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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-12-11-Tuesday スゴイ!

10日に嬉しいモノが2つ届いた。

両方ともマジック関係のモノであるが、ひとつめはプロマジシャンの団体である「公益社団法人 日本奇術協会会報」の「マジックわくわく便り Vol.32」である。

2・3ページの見開きでマジック・ミュージアムの記事を掲載してくれたのである。

記事の内容は、9月27日の花島皆子会長以下3名のプロマジシャンがミュージアムを来訪し、故平岩白風氏のマジック道具をご寄贈いただいた時の写真&記事と、10月29日に島田晴夫師がロサンゼルスからミュージアムを訪問し、引退後に道具を寄贈すると発表された新聞記事などが掲載されている。

もう1ページ(3頁)には2月4日に私が東京で「日本奇術協会の新年会で講演する記事」とマジック・ミュージアムのパンフレットが大きく載っている。

こんなに何度も掲載してくれるのは、日本奇術協会としても「日本唯一のマジック・ミュージアム」と云うことでバックアップしてくれているのであろう。とても嬉しいことである。

もう一つは、とある古本屋の目録から偶然に発見した「文藝倶楽部定期増刊第十二巻第二號 藝人出世譚(博文館)明治39年1月15日発行」と云う320頁の本である。

89名の芸人のことを紹介している本であるが、この中に「松旭斎天一」と「柳川一蝶斎」の二人の奇術師の名前を見つけたので注文したのである。

届いた本は、西暦に直すと1906年の発行であるから、112年も前に出版された本であるのだが、破れた箇所も折れている箇所もない、ほぼ完ぺきな状態である。これは稀有なことだ。

松旭斎天一は207〜210頁で肖像写真も掲載されている。

柳川一蝶斎は238〜242頁で、こちらも肖像写真が掲載されている非常に貴重な本である。

マジック・ミュージアムも日々益々充実していて、毎日ワクワクの連続である。

今年の春には、マジック・ミュージアムの収蔵品を写真に撮って、写真集を作る計画をしていたのだが、10月29日に島田晴夫師が訪問されて自身の使用していた衣装や道具や写真などの資料をご寄贈下さると云う申し出を受けた。

写真集を発刊するなら、島田さんの道具を載せていないのはオカシナことになる。ただし、寄贈は島田さんの引退後と云うことなので、78歳と云う年齢から考えても、まだ数年間は寄贈はないであろう。

出版社に連絡して、事情を伝えて、写真集発行の延期をすることにした。出版社の担当者もその方が良いでしょうと云うので、ジックリ構想を練り直すことにしたのである。

その分といっては、掛かる費用の桁が違うのだが、収容人数100名ほどの階段状の客席を持った小劇場の設置が、かなりな現実味を持ってきたのである。

12月に入ってから、マジシャン団体、劇団、音楽バンド、自主映画上映会などの方々と会って、具体的な構想を練り始めているのだ。

フラットな床の貸会場と云うのは、帯広市内にもたくさんあるが、階段状の客席で100名規模と云うのは無い。

下北沢の小劇場のイメージで、各種の団体や個人が発表の場として使ってくれることを想定している。

造ってから「こんな場所を作りましたからどうぞ使って下さい」と云うのは好きなアプローチの方法ではない。造る前から、多勢に関わってもらって作りたいのである。

帯広市内には550名、350名収容の施設はあるが、大き過ぎて満杯にするのはかなり難しい。沢田研二ではないが、スカスカの状態ではパフォーマーはやりにくいものだ。人口規模から言っても100名程度の小劇場ならば満員にし易いし、また演じ易いとも考えている。

何とか1年後くらいには実現させたいと考えているところだ。