「サーカス団 泥の中の演技」
ブランキータ劇場のオーナーの自宅でオーディションを受けた。観客は彼の奥さんと8人ほどの子どもと、6人ほどの使用人。鳩出しを演じたら、子どもたちが「パローマ(鳩)、パローマ」と大喜びで気に入られてすぐに契約をした。6週間、1日1000ペソ(80米ドル)で週560米ドル、トップクラスの契約であった。
観光ビザの問題は米テキサス州のラレドまでバスで行き、領事館でワーキングビザをもらうことができて解決した。ブランキータ劇場との契約が終了すると、メキシコで2番目に大きいサーカス団の仕事が入ったが、ここの仕事は楽ではなかった。
大雨が降ると、サーカステントの中の床もぬれていた。象の芸の後だったので地面がグチャグチャにぬかるんでいる。泥の上に板を渡して演技する場所まで行かねばならない。ディアナはロングドレスの裾をたくし上げ、島田はえんび服の上に羽織ったマントの裾を持ち上げて中央まで行ったが、土がぬかるんで軟らかくなっており、そこに靴がズブッとハマってしまって身動きが取れなくなった。
「照明係が感電」
その時、スポットライトの照明係が遅れて来て慌ててはしごを登っていったが、鳩出しの最初の1〜2羽を出した頃に、水滴で感電してはしごから落下した。観客は島田の演技よりも、落下した照明係を心配そうに見ている。しばらくその場で様子を見ていたが、マジックを続けてもしょうがないと思い引っ込んだ。エナメルの靴は中まで泥だらけになってしまい洗って乾かすのも大変だった。
この後、週一の集計でのギャラをもらう時に金額が少なかったのでオーナーに問い合わせると、「照明係が落下した時に、貴方は2羽出しただけの演技しかしなかったでしょう。だから一日分の50ドルを差し引いた」のだという。文句を言ったらしぶしぶ払ってくれたが。
雨が降ると、テントの屋根に雨水がたまってたわむが、テントにオーナーの息子が入って来て、外に出てくれという。何をするのかと思ったら、拳銃を取り出して、テントの屋根に発砲して穴を開けて雨水を出した、何という大ざっぱな連中だとあっけに取られた。
「闘牛場で囲まれ」
またある時は、砂嵐に襲われてテントが倒れてしまったのでショーが中止になると思ったら、空中ブランコはできないが、マジックや曲芸などの床で演じる芸人は町の闘牛場に行ってそこで演じろという。メキシコではどんなに小さな町にも闘牛場があるが、周囲をぐるりと観客に囲まれた状態で演じなければならないのだ。
(マジック・ミュージアム館長、坂本和昭、写真は島田氏提供)
【写真のキャプション】メキシコ、テアトロ・ブランキータに出演(1968年)
2019年4月3日 十勝毎日新聞掲載