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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2019-04-06-Saturday 島田晴夫物語⑨

「世界一のマジシャン島田晴夫物語」⑨

「米の人気番組で手応え」

1971年、念願のアメリカに渡り「It’s Magic!」で1週間演じて大好評を博したが、もうメキシコには戻りたくないので、オーナーのビル・ラーセンにマジック・キャッスルで使って欲しいと頼んだ。しかし、当時のマジック・キャッスルには現在の「パレス劇場」はまだなく、狭くて天井が低い劇場しかなかった。

傘のアクトでは天井にぶつかってしまう、「傘以外に何か別のアクトはできないのか?」と聞かれたので「鳩出しができる」と答えた。ビルはまだ島田の鳩出しを見たことがなかったのだ。

1週間後のマジック・キャッスル初演の日、ビルが司会をして島田を紹介し、そのまま舞台袖で鳩出しを見ていた。これを初めて見たビルは「こんなに素晴らしい鳩のアクトは、これまでに見たことがない」と大絶賛し、広くマジック関係に宣伝をしてくれた。

「運命の出会い」

「It’s Magic!」の公演中のこと、ビルとマジック・キャッスルに行くとチャニング・ポロック(マジシャン)らが食事をしていた。紹介してもらったら「ショーを見たけど良かったよ」と言われて電話番号を教えてくれた。

71年12月30日にチャニング・ポロックから「明日、ニューイヤーイブのパーティをやるから家に遊びに来ないか」との誘いの電話が入った。

ポロックは数年前に引退して、中国系の女性と再婚しビバリーヒルズに住んでいた。ディアナを同伴し訪ねると、15、16人がにぎやかにだんらんしていた。ポロックが島田の横に来て「君のマネジメントを私にやらせてみる気はないかい?」と言う。憧れ、尊敬もしていたポロックからの申し出に「お願いします」と即答したのであった。

「ビザでトラブル」

ジョニー・カースン(テレビ司会者)が司会する超人気番組の「トゥナイト・ショー」(62〜92年の30年間カースンが司会した)に71年12月に出演して鳩出しを演じたところ、視聴者から「SHIMADAって誰だ?」という問い合わせがテレビ局に殺到した。

「トゥナイト・ショー」はナショナルテレビのメイン番組で、カースンが島田のことを大変気にいってくれた。高評価に手応えを感じ、さぁこれからだ!と思ったが、またも問題が発生。アメリカにもツーリストビザで入っていたから仕事をしてはいけないのに超人気番組に出演してしまったのだ。

ビルは「ヤマシロ」という日本レストランの料理人として登録してくれたが、もちろん魚などさばいたことはない。キャッスルで鳩を出していただけであったが、この便法も効果があったのはわずかな期間だけであった。

(マジック・ミュージアム館長、坂本和昭、写真は島田氏提供)

【写真のキャプション】マネージャーのチャニング・ポロックと(1978年)

2019年4月6日 十勝毎日新聞掲載