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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2019-04-16-Tuesday 島田晴夫物語⑬

「世界一のマジシャン島田晴夫物語」⑬

「活躍50年過ぎても進行形」

マジシャンの中には大酒飲みが多くて、酒で身を持ち崩す人もかなりいる。島田も若い頃から浴びるように飲んだくちだ。フランスの劇場に出演していた時にシャンペンの味を覚えて、毎日飲んでいたという。2002年に酒の飲み過ぎからか肝硬変になり、やがて肝臓がんへと進行し、11年に東大病院で手術を受けて回復したが、以来、酒はピタリとやめた。

しかし、今回、ロスの島田邸を訪問した際には、奥さんが不在だったので、空港からの途中に酒屋に寄ってシャンペンを購入し、自宅で歓迎の乾杯をしてくれたのだ。もちろんマジシャンらしく、奥さんが帰宅する前に、グラスを洗って棚に戻し、瓶やコルクの栓は、外のごみ箱に捨てに行って証拠隠滅することは忘れなかったが。

「マジック界本流」

日本マジック界の本流は「松旭斎」一派である。明治時代に活躍した松旭斎天一(1853〜1912年)に始まり、その弟子が天勝(1886〜1944年)であり、天洋である。いずれも、一座を率いてアメリカ興行を行った国際派ぞろいだ。

天勝一座の一員として1924年に渡米した石田天海は、一座とは一緒に帰国せずに、妻おきぬと2人でアメリカに残り、技巧派マジシャンとして活躍した。島田は天洋が興した会社のテンヨーに入社し、58年に帰国した天海からはマジックを習っているから、日本マジック界の本流なのである。

「全員名字に「田」」

面白い偶然がある。アメリカで活躍した「石田天海」、テンヨーを創始した松旭斎天洋の本名は「山田松太郎」、そのテンヨーのディーラー(実演販売員)出身のプロマジシャン第1号が「引田天功」、第2号が「島田晴夫」、第3号が「八田加寿雄」、第4号が私の師匠のジミー忍でその本名は「駒田忍」。全員の名字に「田」の字が付いているのだ。

長い期間、海外を拠点に活躍した日本人マジシャンは、石田天海と島田晴夫の2人だけである。

天海は天勝一座のアメリカ興行成功の下地があってからの離脱であったが、島田はまったくの徒手空拳で日本を飛び出し、現在の名声を獲得した。海外での活躍期間は天海が34年で帰国したが、島田は50年を過ぎても現在進行形である。

今回の滞在中にハリウッドのマジック・キャッスルに同伴してくれたが、キャッスルでは役員もキャストも、島田を見掛けると皆があいさつに来る。マジックの殿堂でも、皆からリスペクトされているレジェンドなのである。日本での活動が少ない分、日本ではマジック関係者以外での知名度は低いが、まさに日本が世界に誇る偉大なマジシャンなのである。

(マジック・ミュージアム館長、坂本和昭、写真は島田氏提供)

【写真のキャプション】1989年3月13日号ハリウッドのデイリー・バラエティ紙に全面で掲載された表彰式の記事

2019年4月16日 十勝毎日新聞掲載