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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2019-04-17-Wednesday 島田晴夫物語⑭

「世界一のマジシャン島田晴夫物語」⑭ 最終回

「かけがえのない2人のパートナー」

島田は人との縁を何より大切にしてきた。半世紀を超えるマジック人生での最たるものは、「ディアナ」と「キーリー」の2人の女性との縁であろう。

「出会いと別れ」

豪州時代の1965年から30年以上もパートナー(島田はディアナのことをアシスタントと思ったことはなく、共演者と認識していた)として連れ添ったディアナが、「そろそろ舞台は引退して子どもや友人に囲まれてアメリカで悠々自適の第2の人生を送りたい」と言う。島田には、まだ現役の舞台人としてさらにアクトを追求していきたいという思いがあり、日本に戻って新たな展開を図れないかという期待もあった。当時は母親も健在で、親孝行をして安心させたいという思いもあった。話し合いの末に2人は別れた。

2017年11月に亡くなったディアナは、離婚後も終生島田のことをリスペクトし続け、慰謝料として島田が渡したラスベガスの邸宅の名義はずっと島田のままにしてあったという。

イギリス生まれのダンサーであるキーリーは島田の娘リサの友人として舞台を手伝うようになり、ディアナの代わりにアシスタントを務めるようになった。ロンドン警察に勤める父と国会図書館で働く母親との間に生まれ、堅気の家庭で育った。長年芸能界に身を置いてきた島田にとって、スレていない彼女の存在は新鮮だった。

完成された島田の舞台を懸命にアシストしているキーリーのけなげさに対する感謝の気持ち、それが、やがて愛情へと変わり1997年2月に東京の鰻屋大江戸で挙式。以来20年余、現在では舞台でも家庭でも、かけがえのない30歳年下の若いパートナーである。

「14年ぶり再会」

2018年10月、島田は長年の友人やファンとの旧交を温めるために来日し、北海道、東京、大阪、福岡、など全国を訪問した。レジェンドの来日は、各地の島田を慕うファンを心から喜ばせた。北海道では札幌に続いて、帯広を訪れ、私とも14年ぶりの再会となった。

マジック・ミュージアムを見学し、「マジシャンに限らず人間には、タイミングというものが重要で、どんなに実力がある人でも、タイミングが合わなければ認められない。今回、14年ぶりにあなたと会って、マジック・ミュージアムを拝見し、まさに今、このタイミングだと確信した」と、私との縁を感じて、引退後に道具などの寄贈を申し出てくれたのだった。

世界中で活躍した島田晴夫の道具類がやがて日本に里帰りし、多くの人に見てもらえる。このインタビュー記事が、その一助になればこんなにうれしいことはない。

(おわり=マジック・ミュージアム館長、坂本和昭、写真は島田氏提供)

【写真のキャプション】マジック・キャッスルパレス劇場にて(2018年2月20日)

2019年4月17日 十勝毎日新聞掲載