「7月2日に、日本JCから北の屋台に関してレクチャーを受けたいと云う要請が来ています。坂本先輩にお願い出来ませんか?」との要請があった。
中心街活性化を提言する部門のメンバーが、私の話を聞きたいのだと言うのである。
私は2007年3月に北の屋台を卒業して以来、12年間も北の屋台には無関係であるから、現在のことに関してはまったく説明は出来ないよと伝えたのだが、創設時のことを聞きたいのだと言う。
確かに、現在の北の屋台のスタッフには、創業時のメンバーは一人も残っていない。
数年前の騒動で当時の役員全員が辞職してしまったからだ。
もともと「北の屋台」は、帯広青年会議所の「国際環境大学構想プロジェクト」が発展して出来た「十勝環境ラボラトリー(TKL)」が実施していた9つのプロジェクトの中の一つの「都市構想プロジェクト」が発展して出来たものである。
いわばJC活動が起点になって出来たものなのに、現スタッフの中にJCメンバーが一人も居ないのでは確かに説明は難しいのだろうなぁ〜。
私が「北の屋台」の専務理事を務めていた時(1999〜2007)には、毎日の様に視察の人達が全国各地から訪れていたし、私も「観光カリスマ」として全国各地に行って講演をして歩いていたものだったが・・・。
ここ数年は、講演に呼ばれても演題は「北の屋台」の話ではなく「マジック」の話ばかりである。
訪問して来たのは、「2019年度 日本青年会議所 制度改革実現会議」の副議長とメンバーの2名。
「北の屋台」の話をするのは、久し振りであるが、さすがに自分で考え出した理論であるから、身体にも頭にも染み込んでいるので、しっかりと覚えていた。
15時から2時間半も、立て板に水で資料を見せながら話し続けたのであった。
もっとも後半の1時間は「マジック」の話になって「マジック・ミュージアム」も見たいと云うので、案内してマジックの実演も行ったのであったが・・・。
「北の屋台」が、いまだに「まちづくりの成功事例」と言われるのは、創設者としては誇らしいことである。
北の屋台の現スタッフには、新しいことにも挑戦して、ますます頑張ってもらいたいと思う。
しかし、今回の取材でフッと思ったのだが、こういう「設立時のことを聞きたい」と言う来客には一体どんな対応をしているのであろうか?
私は、現スタッフに創業時のことを講義したことはないのであるがなぁ・・・。何故に私に聞きに来ないのであろう?
「北の起業広場協同組合」の事務所には当時の資料は揃えているのであろうかなぁ〜?
もう過去のことなどはどうでも良いのかもしれないが・・・。