2009年に作って以来、しばらく追加を書いていなかった。
もちろん私を中心とした年表であるが・・・。
手帳を見ながら、思い出しながら、忘れない内に書いておこうと思ったのである。これも終活のひとつである。
父は、事ある毎に私に坂本家の昔話をしてくれた。跡取り息子として歴史も継承しようと考えたのであろう。
私も還暦を過ぎて、これまで子供たちに坂本家の歴史を伝えていなかったことを反省している。そろそろしっかりと伝えておかなければ、伝えないままに、いつ何時私が死ぬかもしれないからだ。
この年表の最初は、祖父の勝の両親のことを江戸時代から書いている。父の系譜、母(上野家)の系譜も書いているしそれぞれの家系図も書いている。
これを見たら、坂本家のことが一目瞭然に解るように書いたつもりであるが、子ども達には説明をしておく必要もあるだろう。
書いていて改めて気付くことも多い。
父が昭和43(1968)年に作った会社「坂本ビル㈱」は今年創立51年にあたる。
父が平成4(1992)年に64歳で亡くなり、私が社長を引き継いだのだが、計算してみると、父の社長在籍年数は24年間である。私が社長になってから27年が経っているのだ。父が社長をやっていた期間よりも私が社長をやっている期間の方が長くなったのである。そう考えると何だか感慨深いものがあるなぁ〜。
「坂本ビル㈱」の前身である「坂本勝玉堂」を創業した祖父の勝の代から数えてみると・・・、勝が帯広で「坂本勝玉堂」を創業したのが明治38(1905)年で、亡くなったのが昭和27(1952)年であるから、勝が47年間ということになる。父の圭司が40年間、私が27年間という計算になる。
坂本ビル㈱だけで考えると父の年数を越えてはいるが、坂本家の家業全体で考えると、わたしもまだまだであるのだなぁ〜。
まだ死ぬわけにはいかないか!
江戸時代の川柳に「売り家と唐様で書く三代目」と云うのがあるが、「唐様(からよう)」とは漢字の書体のことであるから、趣味の書道(文化)に没頭した三代目が家業を潰すとでも云うような意味か。
私も趣味のマジックに興じるあまりに、そうならない様にしっかりと4代目に繋げなければ・・・。