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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2019-12-12-Thursday 訃報

小澤良二(89)氏が亡くなった。

我が社が所属する帯広平原通商店街の2代前の理事長であった。

小澤家と坂本家とはとても古い付き合いで、初代の小澤保貞氏と私の祖父の坂本勝が共に山梨県の出身ということで仲が良かった様である。

現在の坂本家も小澤家も曹洞宗の永祥寺の檀家であるのだが、勝の山梨の実家の宗派は元々は曹洞宗ではなかった。保貞氏の薦めで曹洞宗に宗旨替えをして永祥寺の檀家になったのだと聞いている。

山梨県出身者の代表的職業と云えば「金物屋」と「判子屋」であり、小澤家は金物屋、坂本家は判子屋であった。

祖父の坂本勝は明治38年に帯広町2条5丁目に判子屋「坂本勝玉堂」を開店し、小澤保貞氏は大正4年に帯広町2条4丁目に金物屋「小澤金物店」を開業した。

小澤金物店は大正11年に2条8丁目に移転、坂本勝玉堂は大正14年に2条9丁目に移転している。

いつも隣の丁目で商売をしていたのである。

2代目の小澤良二氏と私の父の圭司とは年齢も近くて馬が合った様で、我が家が火事で全焼した昭和42年以前には、毎日の様に我が家に顔を出して、父と大洋電機の太田さんと3人で何やら熱く、激しく討論していたという記憶がある。きっと帯広・十勝の将来像なんかを熱く語っていたのであろうなぁ〜。

現在の藤丸百貨店が西2条南8丁目で再開発ビルを建設するのに尽力し、ふじまるビルの社長を務められた。

外見は穏やかな紳士であったが、こうと決めたらやり抜く芯の強さを持った方であった。生前にもっと話を聞いておきたかったなぁ〜。また一人昭和・平成の時代を生き抜いた経済人が亡くなってしまった。ご冥福をお祈りします(合掌)。