もうあれから9年も経つのか。
だが・・・、
福島第一原子力発電所の事故は未だに終息出来ていない。
この原発事故は、天災ではなく人災だ。当時の菅直人首相の愚かな対応の人災と云う面もあるが・・・。
日本人の言霊(ことだま)信仰(言葉には力があって、口にした言葉は現実化すると云う信仰)が生んだ人災である。
「事故が起こるかもしれない」「津波が襲うかもしれない」などと云う言葉は現実化してしまう危険性がある不吉な言葉だから使ってはいけない。使ってはいけないのだから、会議の俎上に載せてもいけないのである。
だから日本人は「もしも」への対応が出来ない国民性があると言われている。愚かなことである。
「そんなバカなこと私は信じてなどいないぞ!」と多くの日本人が言うだろう。しかし、未だに運動会などの前日に「雨が降るかもしれない」などと口にしたら、周りの人に何と言われるだろうか?そして現実に雨が降ったとしたら・・・。「お前が変なことを言ったからだ!」と糾弾されるであろう。日本人の精神に1500年位前から染み付いているメンタリティなのだ。
福島第一原発も「大津波が襲って来るかもしれない」と考えていたとしら、高い堤防を築くか、せめて非常用発電装置は、水の掛らない高さに設置していたであろう。
大津波が襲って来たとしても、非常用発電装置が水を被らなければ、あの事故は起こらなかったかもしれないのだ。
あの原発事故は、冷却水を送るポンプが停電によって動かなくなったから起こったのである。
去年のタワーマンションの停電も発電装置が地下に設置してあったが為に起こった停電であった。まるでこの教訓が生きていない。
少なくとも我が社は、地下にあった電気設備を地上に上げたが・・・。
福島第一原発があの大津波で壊滅的な被害を受け、発電装置が動かなくなり、冷却水を送れなくなってメルトダウンを起こし、東北から北関東までの東日本が放射能に汚染されて人が住めない場所になる寸前までいったのを、かろうじて回避出来たのは、単なる偶然にしか過ぎなかった。
「FUKUSHIMA50」と云う映画で、メルトダウン回避の為に残った人達のことを描いているが、結論から云えば、彼らが何かを出来た訳ではなかった。たまたま原発内の圧縮された空気が自然(おそらく地震の揺れで建物に起こった被害によって)に漏れたお陰で大爆発を免れただけである。まさに偶然以外の何物でもなかったのだ。
日本が現在、こんなにノンビリしていられるのは、単なる偶然でしかなかったのである。
そのことを決して忘れてはいけない。
未だに冷却水の処理や汚染土の処理も決まっていない。
日本の政府はいったいどうするつもりなんだろうか?