「商売」では、20世紀後半は、スーパーマーケットなどの様な「薄利多売」の、薄い利益であっても、大勢の客を相手にして大量に販売することで、売上金額を大きくする商売が主流であった。
日本では、この薄利多売のビジネスモデルは人口が増加している間には有効な手法であったのだが、少子化で人口が減り始めた頃からは苦戦を始めたのである。
人口増加時の「商売」は陸上競技の「100m競走」に例えられた。
足の速い、遅いはあっても、いつかは参加者全員がゴール出来からである。パイ(人口・売上)はドンドンと追加されるから、例え体力に劣っていて足が遅くても、先行する人のやり方を真似て「二匹目のどじょう」を狙う作戦も有効であった。
人口が減り始めた頃からの「商売」は「麻雀」に例えられた。
参加者全員がプラスにはならない。パイが限られている(減っていく)から誰かがプラスになれば、誰かが必ずマイナスになる。トップを取った人(先行した人)が、利益を独り占めできるようになったのだ。
人口が減り始めた、まさに世紀の変わり目の2000年辺りから現れて来たのは「薄利多売」よりも「良いモノを適正な価格で」という「厚利少売」の方向性であったのだが、この傾向は、2008年9月に始まった100年に一度と云われた「リーマンショック」によって世界的な不況に陥り、給料が下がり、購買意欲も低下して、モノが売れなくなって価格が下がり、逆戻りをしたのであった。日本では安くなければモノが売れなくなった。
ある評論家によれば、日本人は一億総中流化から一億総下層化したのだと云う。それだけ日本人の収入が全体的に減ったのである。だが、そんな中でも儲ける人ってのは居るから格差が広がり、一部の富裕層と大多数の貧困層と云う格差社会になったのである。
今回のコロナ禍で、数々の問題点が浮かび上がっては来たのだが・・・。
過去の感染症の歴史をみれば、終息すれば社会は回復しているのだが・・・。その回復方法は革命だの戦争だのに依っていたのではないだろうか?
考察を日本に限れば、今後、企業倒産、廃業が大幅に増えるであろう。たとえ倒産を免れても社員の首切り、減給は避けられないのではないか。大多数の国民の財布の中身はカラッポになってしまうであろう。
予防薬・治療薬の開発にはまだまだ時間が掛かるであろうし、メディアなどに依って煽りに煽られた「恐怖心」は国民の大多数の深層心理に深く刷り込まれてしまった。
更に「三密」を避ける新生活様式は、これまで「人を集める」ことで成り立っていたビジネスや文化を破壊してしまうだろう。
日本人の「自粛」の心理というのも恐ろしい。日本人の同調圧力は超強力なのだ。しかも自分が自粛するだけでは収まらず、自粛しない他人にも攻撃をし始めるから困りものだ。
「恐怖心」が蔓延したままならば、買い物をする人、旅行をする人、レジャーをする人、スポーツをする人にまで「非国民」の冷たい視線を浴びせ掛けるであろう。その結果、経済的に多少のゆとりがある人までが、他人の目を気にして経済活動を控えてしまう。これがいったい何を意味するのか?
日本中の経済活動がストップしてしまうのである。つまりは「不況」から「大恐慌」になるのである。
なんだか、とってもマズイ方向に進んでいるのではないだろうか?