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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2021-08-22-Sunday 協調性?

私は昔から協調性に欠けると言われ続けてきたが・・・

「協調性」っていったい何なのだろう?

付和雷同で大勢に従うことを良しとしない性格なんだから仕方がない。

「北の屋台」が今日存在しているのは、私に協調性が無かったからである。

北の屋台をやる前(北の屋台のオープンは2001年7月29日)には「屋台は法律で禁止されているから」とか「寒い帯広では屋台は無理」だとか、世間からは散々にバカにされていた。活動を開始した1999年の頃にはおおいに乗り気であった仲間たちも、周りの人々からそう言われ続け、実際に法律(食品衛生法)の壁が目の前に立ちはだかった途端に、段々と腰が引けていったのである。

私だけが諦めずに、マジック的思考法を駆使して、完全遵法で屋台を営業する現在の方法を考え出してオープンにまで漕ぎ着けたのであった。

もしも、私に協調性があったのならば、皆と一緒に諦めていたことであろう。そうなっていたならば、北の屋台はこの世に存在していないことになる。

現在の「コロナ禍」の世間の対応は、第二次世界大戦時の日本の大政翼賛会に似ていると思う。

甲子園での高校野球も、東北学院の選手1人の感染が判明して、校長が何やら訳の分からない「選手が特定されることを避ける云々」の説明をして辞退したが、これは選手たちが可哀想であるし、逆に感染者の特定に繋がる行為であろう。感染した選手を休ませて代わりの選手を出せば良いし、濃厚接触者の4人はPCR検査を受けて陰性ならば参戦させれば良いではないか。何も過剰反応して辞退することはない。かえって感染した選手の心理的負担が増すだけの愚行である。その他にもコロナ禍の過剰反応は多い。

特に「ワクチン接種」は、一応建前上は「任意」「希望者のみ」と言うことになっているが、実態はワクチン接種をしていない人は「非国民」的な扱いである。

戦時中の大本営発表の過大な戦果報告をそのまま流して国民を誤った方向に誘導した当時のメディアと、現在のメディアとは本質的には同じなのかもしれない。感染者数を発表して、患者が増えていると国民を恐怖に陥れ続けてどうするつもりなのであろうか?

私は、自分が完全に納得出来ていない状況では大勢には流されたくはない。私にとっては、まだまだデータ不足で判断材料が少なすぎる。

戦中のスローガンに「贅沢は敵だ!」というのがあったが、洒落の分かる人はパロディで「贅沢は素敵だ!」とやった。

心の余裕が無い人には、洒落もパロディも許しがたい行為に映るのであろう。

新しい変異株は、インフルエンザの様に、感染力を強めていくのだから子供や若年層にも罹り易くなっていくのが自然の摂理である。感染者数が増加するのは想定内であるし、感染者数が増えれば相対的に重症者数も増えるのが当たり前である。医療崩壊を起こさせないためには、病床がたくさん余っている一般の病院でもコロナ患者を診られるように指定感染症の指定を5類に下げることである。