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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-02-27-Sunday 古絵葉書

帯広百年記念館の学芸員が

17日に我が社を訪問したことは書いたが、その時に、我が家の歴史を話している時に「帯広の古い絵葉書に坂本勝玉堂が写っているモノを集めていたのだが、現在地の西2条南9丁目のモノは何点か見つけたけれども、明治38年に最初に池田利別から帯広に移住して来た西2条南4丁目20番地の絵葉書はまだ見たことがない。筋向かいの宮本商産さんのレンガ造りの建物から南側を写したモノは何点も見たことがあるけれども、北側を写した写真ってのはないのかねぇ〜」

と言ったら「私、見たことありますよ!宮本富次郎商店(西2条南5丁目1番地)が建築された大正8年頃に宮本富次郎商店の屋上から北東方向を撮影したと思しき角度の絵葉書が当館の資料に有ったと記憶しています。探してみますね」と言ってくれたのであった。それが、今日、その映像が送られてきたのである。

私が初めて見る絵葉書の写真であった。おそらくは父も見たことがなかったであろう。

さっそくPCでA4版の写真用光沢紙に拡大プリントしてみた。

推定撮影年は、宮本富次郎商店の建築年である大正8(1919)年〜大正14(1925)年に現在地に移転する間に撮影された写真であろうと推察できる。

店舗の東側の住宅部分と思しき軒先には大根が干してあるのが写っているから季節は秋であろう。

店には「坂本勝玉堂印舗」「十勝石細工」「引札 柱暦 ゴム印 彫刻 団扇 扇子」(一部解読不能)などの看板が掲げられてある。

とてもウキウキしてきた。

勝玉堂の後方には白い3階建ての大きな謎の建物が写っていた。

このような大きな特徴的な建物の写真ならば、帯広の街の写真集で見たことがあるはずなのに、まったく記憶にない建物なのである。

こうなると俄然、私の「調査」する癖が疼いてくるのだ。

書庫にある帯広市の古い写真集を7冊ほどくまなく調べて見たのだが、同じ建物の写真がひとつも載っていないのだ。ただとても似た様な建物の写真が1枚あった。

こうなると答えが見つかるまで調べないと気が済まなくなってしまう。

その似た様な建物は、芝居小屋や映画館の「千代田館」という建物であった。ただし、所在地が大通6丁目とあるので写真の角度的には映るはずがないから違う建物である。

次に、写真集ではなく帯広の歴史を書いた本を引っ張り出してきた。これらの書籍は「北の屋台」をやるときと「坂本家の歴史」を書く為に帯広の街の歴史の勉強をしようと思って古本屋を巡って買い集めた本である。

芝居小屋に「朝倉座」や寄席の「帯広亭」というのがあったとはあるが、所在地が載っていない。この朝倉座が焼けて大通6丁目に「陽気館」として誕生し更に「千代田館」と改名して新築されたとある。

大正7年に西1条南4丁目に活動常設館「神田館」が生まれたとある。

あった これだ!

おそらく、千代田館はこの神田館を模して建てられたのではないだろうか?(その逆かも)それなら似ているのもうなずけると推測した。

住所的にも西1条南4丁目ならピッタリ合っている。ようやくこれが正しいと思う結論までに至った。

因みに、この「神田館」は後に「美満寿館(ミマス館)」と名称が変わるのであるが、ミマス館なら私が高校生時代にはストリップをかけていた劇場なのだが、建物の外観はまるでこの写真とは異なっている。

こういう謎解きってのはとても面白いものであるなぁ〜。