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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-03-11-Friday 年代

一枚の絵葉書から・・・

実にいろいろなことが判明した。

帯広の歴史を書いた「おびひろ・今と昔」と云う文献を参考にして、私が執筆を担当する十勝毎日新聞社「論壇」の3月21日(月)の原稿(16日締切日)を書いているのだが・・・。

私が父の生前に聞いていた「坂本家の歴史」では、坂本勝玉堂が池田利別から明治38年に帯広町西2条南4丁目20番地に移転し、そこから現在地の西2条南9丁目16番地に移転した年代は「大正13〜14年頃」とのことであった。

父が生れたのが昭和2年であるから、父が生れる以前のことであるので、父も確かな年代が分からなかったのではないだろうか?

だから、おおよその年代として大正13〜14年頃として、私に伝えたのであろうと思う。

今回、新聞に掲載されるから、確かな年代を調べようと思って「おびひろ・今と昔」を再度熟読してみたのであるが、そうしたら・・・

「金物」の章で、祖父の勝が初めて渡道した際に寄宿した池田利別の「カネヨ佐藤喜代丸商店」のことが詳しく載っていたのである。

この中で、「カネヨ佐藤喜代丸商店」が池田利別から帯広に進出した年代が「大正十年」との記述を発見したのだ。

祖父の勝は、渡道した際に世話になった佐藤喜代丸への恩返しとして、勝が「河西庁長の諏訪鹿三の西2条南9丁目の土地を16・18・20番地と三戸分購入した際に、その内の一戸分(20番地)を佐藤喜代丸に提供したのである。

だから、佐藤喜代丸が帯広町西二南九に進出したのが大正十年ならば、少なくともそれ以前に坂本勝玉堂が西二南九に来ていなければおかしいのである。

またひとつ謎が解明された!