«前の日記(■2022-03-13-Sunday) 最新 次の日記(■2022-03-15-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-03-14-Monday 勝毎「論壇」掲載

2022.03.14十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「謎解き!一枚の古絵葉書から」

先日、一枚の古い写真を入手した。郷土史家井上壽コレクション(帯広百年記念館所蔵)の絵葉書だ。キャプションには「帶廣ノ一角(その五)(至誠堂発行)」とだけ。手前の建物に「坂本勝玉堂印舗」の看板が見えるが初めて見た写真であるし、現在地の西2南9ではない。

角度から西2南5・1の宮本富次郎商店(現さかい珈琲)の上層階から北東方面を撮影した写真のようだ。祖父の坂本勝(かつ)が明治38年に、凋寒(しぼさむ:池田町の旧名)村利別から帯広町西2条南4丁目20番地に移転開業した店であろう。撮影年は宮本商店建築の大正8年から、西2南9に移転する大正13年までの間と推察される。

拡大すると、屋根上の立方体看板には「勝玉堂」、西2条に面した看板には「坂本勝玉堂印舗」、4丁目線(東西)には「十勝石細工」、その軒下の縦長の看板には「引札 柱暦 ゴム印 彫刻 団扇 扇子」などの文字が見える。東側の住居とおぼしき家の軒下に大根が干してあるから、季節は秋であろう。

勝玉堂の後方には、これまでに見たことがない白い3階建ての建物が写っている。書庫から「写真集帯広」(国書刊行会)をひっぱり出して調べてみたら、似た建物を見つけた。「千代田館」とある。しかし、似てはいるが明らかに違う建物だ。こうなると徹底的に調べたくなる性分なのだ。

謎の建物も「興行」系のものであろうと見当をつけ、「おびひろ今・昔」(井浦徹人著、十勝毎日新聞社発行)という書籍の「興行界の巻」を調べると、「千代田館」の前身は、明治37年に東2南7・19に建てられた芝居小屋「朝倉座」が大正初期に消失して、大通6丁目(現高井旅館隣)に「陽気館」として再生、その後「千代田館」に名前が変わったとある。西1南7の小川醸造(現そばの小川)の場所には「帯広亭」(年代不明)という寄席があったとある。大正5年には西1南9・20に芝居小屋「栄楽座」(後の帯広劇場、現NC駐車場)が。しかし、いずれも方角が異なる。

大正7年、西1南4に活動常設館「神田館」。あったこれだ!方角も年代もピタリと一致する。気分は名探偵だ。ちなみに神田館は大正末期に「美満寿館(みます館)」と名称が変わるが、昭和3年に全焼。再建後、昭和26年に再度火災に遭った故に、外観はまるで異なる。

今年、帯広は開拓140年。古い写真の謎解きをしてみるのも面白い趣向かもしれない。