21日に掲載予定であるはずの「論壇」の私の文章が一週間早く今日14日(月)に載っているではないか!
16日(水)が原稿締切日のはずであるから、もう一日しっかりと他の文献を検証してみようと思っていたのに・・・。
帯広の歴史に関する、昔に出版された書籍を調べてみても、年代がバラバラであったり、不明であったりする。おそらく出版当時に生存されていた関係者にインタヴューした内容を精査しないで、聞いた事をそのまま掲載してしまったのではないだろうか?と思われる。
だから、各種の出版物を比較検証して整理し直す作業が必要になるのだ。私が所有している文献も相当な量があるのだが、やはり図書館などに行って調べてみないとならないであろう。今日は、その作業をするつもりでいたのだが・・・。
ビックリして勝毎の担当記者にメールを入れたら「掲載日は私の完全なミスで、本来は21日の掲載でした。大変申し訳ありません」とのこと。
今回の掲載が「論壇欄」初めての写真付きのイレギュラーな掲載ということもあったので、私は早めに担当記者と調整しようと、いつもよりも2週間早くに原稿のやりとりを始めてしまったので、きっと担当者が掲載の順番を錯覚してしまったのであろう。
私の文章が1週早くに掲載されてしまったので、本来の執筆担当者さんには申し訳なかったが、私の責任ではないのでご了承を。
私としても、まぁ、掲載されてしまったのであるから、今更これ以上調べても仕方がないかと諦めることにしたが・・・
しかし、こういう謎解きは実に楽しい作業であるなぁ〜。
もともと謎解きも歴史も両方が好きなのである。
1999年に「北の屋台」事業を始めた際に、帯広の「屋台」の歴史をいろいろと調べて本として出版したのであったが、文献だけでまとめるのはかなり困難な仕事なのである。私がまだ生まれてもいない時代のことであるし、話を聞こうとしても当時の関係者がほとんど鬼籍に入られているから確かめようがないのである。
祖父の勝の人となりを想像してみて、祖父ならどう行動したであろうかを考えるのは子孫がやらねばならないであろうし、子孫だからこそ解るとも考えているのだ。
今回調べた事で、その内に小説でも書いてみようかしら。