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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-07-14-Thursday 安倍元首相銃撃の

8日の昼前に起きた安倍元首相の銃撃事件

その後、犯人の供述などが公表されてきて、事件の背景が少しずつ見えてきたが・・・。

犯人は政治信条から政治家を襲ったのではなく、母親による新興宗教の統一教会への多額の寄付によって人生が狂ったことに対する恨みで犯行に及んだと言うのだが、なぜに標的が安倍晋三氏であったのか、私にはまだ理解が出来ない。この種のことは、これから週刊誌やワイドショーの恰好のタネになるのであろうなぁ。

いまや国民のほとんどがスマホを所有しているから、全国各地の至る所にカメラやビデオがあるのと同じである。襲撃の模様も素人がいろいろな角度から写した映像が報道されている。ニュースでは銃撃現場から90m離れたビルの壁から弾痕の様なものが見つかったとの報道もあった。それらを見るにつけ、手製銃なのに殺傷能力が高いことに驚くとともに、安倍氏以外に負傷者が誰一人も居なかったことにも驚く。

映像を見るにつけ、安倍氏が死亡したのは、弾の当たり所が悪かったということに尽きるであろう。警護の問題なども含めて不幸な偶然がいくつも重なった結果、死亡に至ってしまったとしか思えない。

夕方に岸田首相が国葬にして費用全額を国費で賄うと会見したが・・・。

吉田茂氏以来のことだと言う。

昭和の時代ならばいざ知らず、平成も終わって令和の現代に政治家を国葬にと云うのには違和感があるなぁ。

政治には、それこそ右から左まで多数の政党があり、国民の意識の大半だって安倍氏の政治姿勢を好ましく思っているわけではなかろう。

日本人の心情と云うか癖というか「不幸な死に方をした人や志半ばで死亡した人を英雄化する」傾向があるのは確かであろう。これは日本特有の「怨霊信仰」が為せることであろう。

しかし、現代において「安倍晋三を怨霊化させない」為に英雄化するのは如何なものであろうか?

安倍氏のご冥福はお祈りするが、国を挙げての国葬にはちょっと時代錯誤を感じるがなぁ~。