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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-10-18-Tuesday 島田晴夫師を偲ぶ会2

偲ぶ会の司会者はNHKのアナウンサーで

私と一緒にロサンゼルスの島田晴夫師邸を訪れた古谷敏郎さんである。

他にも見知ったマジック関係者達が大勢居る。遺族関係者では島田晴夫師の妹さんとその息子さんたち、テンヨーの故山田昭夫人、菅原茂副社長などの顔も見えた。

「テンヨー」と言うのは、デパートなどでマジック用品を販売している会社の名前で、日本近代奇術の父と言われる「松旭斎天一」の甥っ子で弟子でもあった「松旭斎天洋」が興した会社である。

そのテンヨーのディーラー(実演販売員)からプロマジシャンになった第一号が初代の「引田天功」で、第二号が「島田晴夫」、第三号が「八田加寿雄」で第四号が私の師匠の「ジミー忍」なのである。

今回の偲ぶ会に出席しているマジック関係者でも、この4人全員と親しくした人間はごく少数であろうと思う。

私はその内の一人である。

引田天功師とは昭和51年に同じ舞台に立たせてもらったし、島田晴夫師とはこのブログに書いているお付き合いをさせてもらった。八田加寿雄さんは、昭和51年か52年にフランス人の奥さんを伴って日本に戻って池尻大橋にマジックバーをオープンさせたが、開店祝いに仲が良かったジミー忍師のお供でその店に行っている。奥さんがフランスに戻ってしまい一人になった八田さんはマジックの世界から足を洗ってタクシー運転手になったが、ジミー忍師がやっていた世田谷のマジックバーに何度も飲みに来ていて、私も数度一緒に飲んでいる。

ジミー忍師はマジックの師匠である。私の年齢で、この4人と接触を持てたのは私くらいかもしれないと自負している。

今回の偲ぶ会では、私はジミー忍師夫人のまこママと朝生公章さんと同じテーブルであったが、その隣のテーブルにはMr.マリックとマギー司郎が座っていた。

司会者の古谷さんが出席者113名全員の名前を読み上げ、一人一人立ち上がってもらい紹介していたが、まこママを「ジミー忍さんの夫人のこまだまこさん」と紹介したら、マリックとマギー司郎さんがエッツという顔をした。

偲ぶ会では、この他に、島田師の昔の映像や、マジシャン達による回想、キーリー夫人の挨拶などがあって偲ぶ会は厳かに終了したが・・・。

Mr.マリックとマギー司郎がまこママの席に挨拶に来た。マリックこと松尾昭さんの出身地はジミー師と同じ名古屋である。ジミー師が名古屋のデパートでテンヨーのディーラーをやっていた時に、まだ学生だった松尾少年が通っていたのだと言う。

マギー司郎は、この名前を名乗る前に「ジミー司」と言う芸名で活動していたと言う。ジミー師に、勝手にジミーを使った詫びを入れに来たことがあると言う。二人がまこママと涙を流しながら抱き合っていた。

私と松尾さんとは、彼が東急東横渋谷店でディーラーをやっていた頃からの知り合いで、五反田のマジックショップ「マリック」にも顔を出していたし、マギーさんお師匠さんの「マギー信沢」さんは駒澤大学マジッククラブに「メリケンハット」というマジックを指導に来てくれた関係である。

ジミー師の一番弟子で大阪で活躍しているジョニー広瀬さんや、名古屋でマジックと司会業をしている「ふしぎ良」さんも日大の学生時代にジミーさんのところに顔を出していたと集まって来て、さながら同窓会のような雰囲気になった。

まこママもすっかりご機嫌になって、その後で朝生さんと私と3人で夜中まで飲んでいたのであった。(つづく)