«前の日記(■2022-11-27-Sunday) 最新 次の日記(■2022-11-29-Tuesday)»
 | トップ |  | ビル概要 |  | テナント構成 |  | 沿革 |  | アクセス |

観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-11-28-Monday JCOB会

W杯サッカーE組は

ドイツとスペインが1対1で引き分けた!

こりゃぁ~マズイぞ!やっぱりドイツは、日本がコスタリカに負けたことで、決勝進出の目が残ったとヤル気を出してきたんだなぁ~。これで最後の最後まで分からなくなってしまった。

夜に帯広青年会議所のOB会の「さよならパーティー」が北海道ホテルで開催されたので出席してきた。

一昨日の十勝毎日新聞に「坂本ビル手品博物館 閉館」の記事がデカデカと載っていたものだから、皆から「寄贈するなんてモッタイナイねぇ」とか「帯広市は寄贈を断ってきたのかい?」とか「良い引き受け手が見つかって良かったじゃないの」とか言ってくれる。

JCの同僚たちで、ともにまちづくりをやってきたメンバーだから、私が帯広市に文化財として残したかった気持ちを分かってくれていると思う。

以前にもこのブログに帯広市の文化度の低さを嘆いた文章を書いたので、再度書くと気分が悪くなってしまうばかりであるから割愛するが、帯広市は文化を理解していないと嘆きたくなってしまう。

若い頃(35年ほど前)から帯広の将来を憂えいて、真剣にまちづくりを考えてきたからこその意見が、酒の勢いも手伝って盛んに交わすことが出来たのであった。

これから帯広って街はいったいどうなるのであろうか?

平らで広大な十勝平野の中心都市帯広市、遮る山が無く、大きな川は十勝川と札内川くらい。だからなのだろう、街を無計画にむやみに広げ過ぎてしまった。

冬には日本海側に比べて少ないとは言いながらも雪は積もる。除雪の費用は?、上下水道、ガス、電気、などのインフラの設置は?補修は? 中心街の衰退は? これから先どうするのであろうか? 

街の拡張とともにこれらをドンドンと広げてきたが、帯広市の人口が増えている訳ではない。逆に減っているのに・・・。

メンテナンスにも費用が掛かるし、昭和30~40年代に造られたものはもう寿命が来ているであろうから、作り直す必要もあるだろうに・・・

かつて、吉村博市長が昭和40年代に唱えた「帯広の森構想」。これには当初は「成長限界線」としての意味付けがあったはずである。私はそう習った。

しかし、現在の帯広市役所では「帯広の森は成長限界線ではない」と主張している。自らの政策に矛盾が生じたからであろう。

人口が右肩上がりに増えているのならば、街を拡げる意味もないわけではないと思うが、しかし、この20年間は人口がずっと減っているのである。

あぁそれなのに・・・

世界では今SDGsがさかんに言われているが、私はJCで1992年から地球環境問題を言っているし、行動もしてきた。

地球環境を考える「国際環境大学」の創設を提言したし、実行するための組織「十勝環境ラボラトリー」も作って活動してきた。中心街活性化を研究し提言を帯広市と商工会議所にしたし、「北の屋台」も作った。

だが・・・。

1992年当時「エコロジーとエコノミー」は言葉は似ているが相容れない考え方であると言われていた。あの当時の頭のまま成長していない連中の頭の中身は今でもまるで変わっていない。

私は結局この約35年間はいったい何をやってきたのであろうか?

同年代の共にまちづくりをやってきた連中と話していても虚しさだけが拡がっていく。

もう虚無感しか残っていないなぁと感じたのであった。