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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-11-30-Wednesday きれいさっぱり

先週から開始していた

マジック・ミュージアムの展示品や什器備品などの搬出作業が、今日の15時で全て終了した。

思い起こせば・・・

1994年に横浜で開催されたFISMマジックコンベンションに出席した際に、マジックの師匠であったジミー忍師の姿を見つけることが出来なかったので、師匠に電話をしたら、身体の具合が悪くて外出できないから見舞いに来いとのことで、東京都世田谷区の師匠夫妻が経営するマジックバー「魔法の小箱」に駆け付けたのがそもそもの始まりであった。

「空気のキレイな場所でゆっくり静養をしたいから北海道の坂もっちゃんの所に招待してくれないか」と言うのである。

学生時代の4年間に渡って世話になった師匠の頼みであるから喜んで引き受けたのであった。

その年の秋に夫妻に2週間ほど十勝の温泉ホテルや自宅に泊まってもらってゆっくりと静養してもらったのである。

我が家に泊まった際に、私のマジック書籍のコレクションを見せたらば「マジック文化を後世に伝える為にマジック博物館を作るのが私の夢なんだ。その為に展示する物も今集めている。それと坂もっちゃんのこの本のコレクションを合体させたら十分な展示品になる」との夢を語って聞かされたのであった。

師が帰京する前日に、お礼として我が家で私の友人や家族らにマジックを披露するというのでマジックパーティーを開いたのだが、演技の途中で師匠が急に「マジックが出来ない」と言う。「パーム(掌に密かにタネを隠し持つ技法)している感覚が無い!」と言い出したのである。

師匠に「東京に戻ったらすぐに大きな病院に行った方が良いですよ」と忠告したのであった。帰京後すぐに師匠夫人のマコママから電話が入り「脳腫瘍と肺癌が見つかった」との報告があった。

1995年になって何度か東京にお見舞いに行ったが、マジック博物館を作って欲しいとの夢を私に訴えながら、5月に51歳の若さで逝去された。

未亡人となったマコママが、師のマジック博物館を作るという夢を叶えて欲しいこれは遺言だからと師匠の集めた物を私の所にドンドンと送ってきたのである。

しかし、当時の私は自身の家業やまちづくりや環境問題などに忙しくてマジック博物館を作る時間的余裕がまったく無かったので、自宅の一室に保管するだけであった。

2007年3月末でまちづくり事業を離れたことで時間的にも余裕が出来たことから、まずはマジック関係書籍の整理を開始して坂本ビル内に「マジックライブラリー(図書館)」を作った。この時点ですでに6千冊以上ほどの本を所持していたのである。

自宅に保管していたマジック道具類や資料一式も全部、坂本ビルの3階の空スペースに運び込んで、ブルーシートやテーブルの上に広げて分類作業を開始したのであるが、あまりにも量が多くて、まずは書籍の分類に特化したのであった。

2012年6月に東京出張の際に、ジミー忍師の亡き後、マコママが一人でやっていた世田谷の「魔法の小箱」を訪れたら「身体がしんどくなってきたから、もう店を閉めるので、店に飾ってあったマジック関係の道具などを全~部、坂もっちゃんのところに送るからマジック博物館よろしく頼むでぇ~」と言って段ボール箱が次々と送られて来たのであった。

ちょうど、同じ時期に、高校の同級生の植田君に同窓会で会ったら、彼の亡くなった父親のマジック道具の処分に困っているから貰ってほしいと依頼されたのである。

隣町音更町のご自宅に引き取りに行ったら、トラック1台分の荷物があったのであった。

これは、天から私にマジック博物館を作りなさいとの天啓であろうと思ったのであった。

それから、毎日毎日、コツコツと分類作業をやり続けた。午前中は会社の仕事をし、午後から毎日3~4時間ほど分類作業をするのである。

これがマジックに無関心な人にはまったく理解不能であろうが、私には至福の時であった。

コツコツと日々分類作業をやっていたら、2016年になって、マコママから「いったいいつまで掛かっているんやぁ~、私の寿命も考えてくれんと、完成する前に死んでまうでぇ~」とせっつきの電話が毎日の様に入るようになった。その内に「手伝いに行こかぁ~?」となってきたのである。

まだ分類作業は半分も終わっていないというのに・・・

こりゃぁ~拍車をかけるしかないと、毎日の作業時間を5時間以上も費やしたのである。

すると10月になってマコママが「12月3日は奇術の日というのは知ってるよね? これはジミーさんが考えて日本奇術協会の松旭斎すみえさんに提言して始まったものなんよ!(このいきさつは以前にブログに詳しく書いたからここでは割愛する)この日に開館する目標で行こうや!」と言うのである。

とても間に合わないと言ったのだが、手伝いに行くから飛行機のチケットを送ってほしいとまで言う。

言い出したらきかない人だから、むりくりに一応の恰好だけはつけて「セミオープン」という形で見切り発車したのであった。

まぁ、マコママにせかされた形にはなったのだが・・・

正式オープンは半年後ということにして施設を充実していった。

日本初、日本唯一の「マジック博物館」のオープンであるから、新聞やテレビなどで何度も報道された。すると全国各地の、マジック道具のやり場に困っている方々から連絡が入り、マジック道具が大量に送られて来たものだから、またたく間に数も種類も増えていって、展示品は3万点以上に、書籍類も1万5千冊以上にもなったのである。

私一人では整理が追い付かずに、段ボール箱に入れたまま倉庫に保管してあったモノも多数あった。

それらの全てが、今日きれいサッパリと目の前から消えて無くなった!

これぞまさしく世紀の消失マジック、瞬間移動マジックである。

今後は、これらマジック道具や書籍や資料が、私の所に展示してあるよりも、もっともっと有効に活用できるルスツリーゾートに移転する。

来年9月1日のオープンを目指して準備していくことになっている。

マジック道具たちに新しい息吹を与えたい!

それをこれからの余生の楽しみにしよう。