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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-04-09-Sunday 選挙

今日は統一地方選挙の投票日

北海道知事と北海道議の選挙の投票日である。

私は選挙というものに燃えた(萌えた?)ことがない。

成人して選挙権を得てから(大学を卒業して帯広に戻ってから)は投票を欠かしたことは一度もない(大学生時代は住民票を東京に移動させていなかったから投票できなかった)のだが、選挙期間中に立候補者の選挙事務所に行ったり、応援したりなどはしたことがない。

父から「商売人は絶対に選挙に関わってはいけない」ときつく戒められていたからである。ところが、当の本人の父は選挙に関わっていた。

4月1日に逝去された元帯広市長の田本憲吾氏の選挙や中川昭一氏の選挙で婦人部長などをやっていた。

本来は父も、祖父の勝から選挙に関わってはいけないと言われていたと父から聞いている。その父が田本さんの選挙に関わることになったのは青年会議所(JC)が原因なのである。

昭和49(1974)年4月、私はまだ高校生であった。時の帯広市長は革新系の吉村博氏、保守系が多いJCメンバーが市政奪還に向けて燃えに燃えた選挙であった。青年会議所と言うのは本来は選挙には関りを持たない組織であるはずだが、JCメンバーであった橘精三弁護士がかなり強引な理論武装をして帯広JC一丸となって青年会議所OBであった田本憲吾氏を市長候補に担ぎ上げ、組織をあげて選挙活動をしたのである。

田本氏のJCでの先輩であった父は、その選挙のあった昭和49年にはたまたま帯広JCOB会(第11代 カフェ内閣:真井正三会長)の副会長職にあったのである。

同じJCOB会の3年後輩である田本氏をOB会として全面的にバックアップする立場にたまたまなってしまったのだった。

この時の市長選挙は壮絶な戦いであった。革新系の対立候補は元教員の熊谷克治氏であった。僅か200票差の大激戦を制して田本氏が初当選したのである。

この選挙以来、父は選挙の魔物に少し憑りつかれた様であった。「選挙って、票読みとかいろいろとあって結構面白いんだよなぁ~」と言っていたのを憶えている。

田本氏の後ろ盾であった中川一郎が昭和40(1983)年1月に自死した後の、中川昭一氏と鈴木宗男氏の「骨肉の争い」と言われた同年12月の選挙では父は中川昭一氏の婦人部を手伝った。

この選挙戦の最中に、自宅に鈴木宗男氏本人から父に抗議の電話が入ったことがあった。かなりの長電話であったことは憶えている。その電話が終わった直後に、父が「やっぱり選挙なんてやるもんじゃないなぁ~」とつぶやいたのを聞いている。

それを聞いているから、私は絶対に選挙には関わらないと決めたのである。私のことだから父の言っていた選挙の面白さを一度でも体験してその魅力(魔力)のとりこになってしまったら困ると、最初から一切触れないことにしたのである。親類が候補者になったこともあるが、一切手伝わなかった。

だから選挙にはあえて「燃えない」様にしているのである。

それに、昨今の政治家は洋の東西を問わず、尊敬出来る様な人物が見当たらない。むしろ軽蔑したくなるような人物ばかりである。政治家には失望感しか感じないけど、それでも選挙になれば投票には欠かさずに行っている。投票の「権利」だけはしっかり行使しなくっちゃ!