父の圭司は31年前の平成4(1992)年5月2日に肝臓癌で亡くなった。享年満64歳であった。
時は狂乱のバブル経済が弾けたばかりであった。
父の会社の坂本ビル㈱は十勝で一番地価が高い帯広市西2条南9丁目16・18番地でサニーデパートという寄り合い百貨店を営んでいた。
バブルは弾けたが、地価の高騰はこの平成4年が過去最高値であったし、租税評価額も史上最高値であった。現在の地価からは想像も出来ない金額であった。
しかも、バブルが弾けたことで、テナントの多くが撤退し、帯広市内のビルはどこも空き店舗が目立っていて、引き抜きが横行していた。
社長の父が急逝したことで、坂本ビルは引き抜きの狩場の様な状況となり、テナントは数軒しか残っていない有様であった。
バカ高い相続税を国に払い。私が父の会社の後継社長となったが、34歳の若造が引き継ぐのは、かなりの重圧であった。
簡単にテナントを引き抜かれない方法を考えたのが、物販のビルから飲食のビルへの大改造であった。
金融機関から多額の借金をして、ビルを大改装して坂本ビルを復活させたが、あれから31年。
しかし、予想だにしなかった2020年1月からの3年以上に及ぶコロナ禍で飲食のテナントが全部撤退してしまった。
30年前は若かったから借金も出来たし、ヤル気にも溢れていたが・・・
私も今年、父の享年を越える65歳となったし、5年前に癌を患った。
根っからのアナログ人間であるから、今後の、デジタル化社会には、とても対応していけない。もはや諦めしかない。
頭をよぎるのは「引退」「隠居」などの文字ばかりである。
父には申し訳ない気持ちでいっぱいである。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず」
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし」