坂本ビルの事務所を訪ねて来た。昔話に花が咲いたのだが・・・
そのうちに、Kだけは絶対に許せない!と憤慨してKの悪行の数々を暴露し始めたのである。
いくつかは聞いたことがあったのだが、初めて聞く話が多かった。
Kが悪い奴だと云うのは、私が辞める直前に判ったことであったが、そんなにも卑劣な悪いことを毎晩毎晩、屋台店舗でも繰り返していたとは・・・。
奴がそんなに店主の方々にも悪さをしていたとは知らなかった。
大まかに言えば、北の屋台の店主らには「強面(こわもて)」で対応し、Kの悪行に対して文句を言ったら「お前らなんぞ、俺の一言で簡単に辞めさせることが出来るんだぞ!」と脅されていたので反抗出来なかったのだと言うのである。
その一方で、北の屋台の他の理事連中には、便宜を計ってうまい汁を吸わせていたらしいと・・・。
驚いたなぁ。もっと早くに教えてくれていたら・・・。
はっきり言って、Kの行為は犯罪である。
当時は理事者はK以外の人は私も含めて無報酬で活動していたのに、Kに対してだけ他の理事からの提案で高額な給料を払うようになっていたのだ。
私は当時の理事会でも反対したのであるが、多勢に無勢で押し切られて可決されてしまったのである。
その金額は十分過ぎるほどの高額であった。
彼はそれでも足りなかったのか、北の屋台の組合の金庫から金を持ち出す事件を起こした。
本来ならば懲戒免職処分であるはずなのに・・・、Kの処分を決める理事会では他の理事の一人から「Kがこう云う事件を起こしたのは給料額が不十分だからだ。給料をもっとアップするべきだ」と驚くような提案をしたのである。この驚天動地の提案までが可決されてしまった。
何一つ満足な仕事もしていないし、ホウ、レン、ソウ(報告・連絡・相談)すらもまともにやらない人間に、しかもボランティアで活動するのが原則の仕事なのに・・・、そこら辺りの会社社長よりも高額の給料を払うことになったのである。
それなのに、今日の元店主からの話では、北の屋台のイベントの際には、店主からと業者からもマージンを徴収していたのだと言うではないか!屋台店主が苦情を言うと「文句を言うなら辞めさせるぞ!」と脅されるから仕方なく従ったのだと言う。
しかし、Kが集めたというマージンとやらは組合には一切入っていないから着服の疑いもあるなぁ。
Kは毎晩、毎晩、北の屋台の見回りと称しては北の屋台でただ酒を飲んで、ただ飯を食べて、店主や客に悪態をついていたのだと言う。もう来ないでほしいと思っていたのだが怖くて言えなかったのだと言う。
家賃をKに託したある店主は、組合事務局から家賃の督促を受けて「Kさんに渡しましたけど・・・」と言ったら、Kは「俺は預かっていない」としらばっくれたとのこと、泣く泣く、二重に支払ったことがあったのだと言う。
北の屋台は、これから商売を始めたいと云ういわば素人の人たちに修行の場を安価で提供する場所として作ったものである。その弱者をKは喰い物にしていたのだと言う。
なんで私が組合にいた時に言わなかったんだ。と言ったのだが、「Kの報復が怖くてとても言えなかった。我々店主に見せる顔と、他の理事者に見せる顔が違っていたのではないか。我々は北の屋台を辞めさせられたら路頭に迷ってしまうからKが怖かった」のだと言う。
これではまるでヤクザの手口じゃないか。
こんな奴が北の屋台を牛耳っていたのかと知って、私も憤慨したが、もう後のまつりである。Kはさすがに帯広には居られないようだが、今は東北の屋台村で社長をやっているらしいという噂である。
ここ最近は「#MeToo」みたいな、かつてのセクハラ、パワハラなどが暴露される風潮があるが・・・。
私が北の屋台を辞めたのは16年前の2007年3月末日であるが、帯広の発展の為に全身全霊を掛けて立ち上げた北の屋台を舞台に、そんな卑劣なことをやっていたとは腹立たしいかぎりだ。
起業に燃えて北の屋台に参画してくれた屋台店主の方々に対して、組合の幹部がこんな卑劣な行為をおこなっていて、それに気が付かなかった私も責任を感じる次第である。
どうりで唯一Kが上手く処せなかった私を煙たがって、私が辞めるように仕向けたのかと納得した。
それでも、私が辞めた数年後に収拾がつかなくなって、組合の理事会がごたごたになって解散し、残っていた北の屋台創設メンバーの理事全員が辞めて、理事者が一新されたから、現在の組合は健全な運営をしているとの評判であることはせめてもの救いである。