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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-06-12-Monday いきぬきん像

「北の屋台」のシンボル像「いきぬきん」

のミニチュアブロンズ像を欲しいと言う人が先週我社を訪問した。

「北の屋台」の専務理事から「いきぬきん像を欲しいと言う人が屋台の事務局に来ている。坂本ビルに展示してあるいきぬきん像は譲ってもらえるのだろうか?」との電話が入った。

坂本ビルの5階の階段ロビーに、「いきぬきん」ミニチュアのブロンズ像3体、大理石像1体、石膏像1体、樹脂像1体の計6体を展示してある。大きさはいずれも同じサイズである。

この「いきぬきん」と云うシンボル像を造ろうと思い立ったのは、1999年に屋台の研究をするべく世界中の屋台や日本の屋台、更に参考になりそうな場所を自費で視察していて、東京の巣鴨にある「巣鴨地蔵通り商店街」を訪れた時に、この商店街に面した光岩寺にある「とげぬき地蔵」とその横にある「洗い観音」を見て、突如インスピレーションが湧いて来たのである。

「とげぬき地蔵」はその名前の通りに刺さった棘が抜けたり、延命のご利益があるといわれており、「洗い観音」はお参りに訪れた人が「洗い観音」の像と、自身の身体の痛い箇所との、同じ所を洗うと痛みが取れるというイワレがあるのだと言う。

私が訪れた時には、大勢の参拝客が順番待ちの列を成していた。

日本人の年寄りには信心深い人が多いのだなぁと思って見ていたのであるが、よく見ると老若男女の区別なく人が並んで順番を待っていたことに驚かされた。

ただ単に、神や仏のご利益を願って賽銭箱にお金を入れてお参りするだけの「神頼み」よりは、何らかの自主的な行動が伴う方がより願いが叶いそうな気持になるから有難みが増すのではないかと思ったのである。

私は元々「手品・奇術・マジック」の研究をしていて、世の中の「不思議」というものには関心が深いので、単に「北の屋台」のシンボル像を設置するだけよりも、そのシンボル像の「いわれ」を明確に表現しようと考えたのだ。

シンボル像のキーワードをあれこれと考えていくなかで「息抜き」という文字が浮かんできた。言葉遊びも大好きなので、その音に「生き抜き」と云う別な漢字を充ててみた。

『「北の屋台」はお客様がホッと一息「息抜き」をする「優しい」場所であり、また、屋台店主には人生を「生き抜いて」欲しいという「力強さ」の二重の意味を持たせたい』とハタと思いついたのであった。

この2つの思いを、表裏一体のシンボル像にデザインして欲しいと、帯広にゆかりのある芸術家の相原正美さんにこのコンセプトを説明してデザインを起こしてもらった。

台座の部分には「十」の突起の有る星型を配置した。これは北海道のシンボルマークである「五芒星」を2つ重ねて「十」の突起の星型を持つ「二重五芒星」を独自に考案し、「十勝」と「十価値」の表現を加味した。その突起を飾る部分には人々がレンガに書いた文字を彫って、そのレンガを並べて造る様にも私が考案した。

私は「像」を彫ることは出来ないが、コンセプトを練り上げて創ったので人一倍愛着がある。

裏話ではあるが、当初、この案をメンバーに披露した時には、メンバーからは「信仰宗教みたいで嫌だなぁ」という声が多かったのだが、私がシンボルは必要だと押し切った経緯があったのである。

私の「いきぬきん」に対する思い入れは重かった。

相原正美さんが、いきぬきん像のミニチュアを鋳造でブロンズ像にしたいので造ったら坂本さんに購入して欲しい。鋳造だから8~10体くらいしか制作できないが、と依頼された時も私の3人の子どもたち用に3体を購入したのであった。

この相原さんによる「いきぬきんミニチュア像」の制作は、北の屋台の事業ではなく、芸術家相原正美の個人的な仕事であったが、私も個人的に購入したのである。ブロンズ像はとても高額であったから、相原さんが見本として制作した石膏像や大理石像、樹脂像をプレゼントしてくれたのであった。

だが、我が子どもたちには親の思い入れは届かなかった。「重たいから要らない」と置いて行ったのだ。

それを我が社に展示していたのである。

今回、ブロンズ像1体を「切望して、大事にしてくれる方ならば」と有償で譲ることにした。

「いきぬきん」も新たな持ち主の元で大事にしてもらってほしい。