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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-10-26-Thursday マラソン大会

昨日のブログに「マラソン大会を始めた」と書いたのだが・・・

ブログ読者の方から「マラソン大会って、帯広市のフードバレーマラソン大会のことですか?坂本さんがマラソン大会に関係していたのですか?」などの問い合わせが数件あったのである。

私は昔から「マラソンと冬山登山をする人の気持ちがまったく理解出来ない」と公言してきた人間であるから、マラソン大会開催と私とが繋がらないのは当然のことであろう。

しかし、事の経緯を書いて疑問に答えることにしよう。

時は2010年9月14日(火)まで遡る。

以前に北海道新聞社の帯広支社に勤務していたK記者(当時は札幌勤務)から「坂本さんに会ってもらいたい人がいるので御社まで連れて行きたいのだが・・・」という電話が入った。紹介したい人物というのは航空会社エアーDoのY専務であった。

会ってみたら「帯広でマラソン大会をやりたい。スポンサーは、来年(2011年)2月に帯広ー東京便を開設するエアードウが担います。路線開設記念事業としてマラソン大会をやりたいのでなんとか協力してほしい」と云うのである。

K記者は2000年に帯広支社に居たことがあり、マラソンが大好きな人であった。ちょうど私が「北の屋台」を企画して準備している最中であった時期だったのだが、北の屋台を取材していたK氏が、私に合わせたい人が居ると歌手の高石ともやさんを帯広に連れて来たことがあった。

高石ともやさんは「受験生ブルース」で一世を風靡したフォーク歌手で、この時にはマラソン大好き人間として有名でもあった。帯広市内の居酒屋で3人で一緒に酒を飲みながらいろいろな話をしたことがあったが・・・。

K記者に会うのはその時以来であった。協力の依頼に対して私は「歩くことは好きだが、走ることは好きではない。学生時代もマラソン大会はまともに走ったことがない」からと断ったのだが・・・。

K記者曰くは「マラソン大会はお金が掛からないし、スポンサーもいるんだから大丈夫、問題は警察だけだから、開催に漕ぎ着けるには坂本さんの力が絶対に必要なんです。協力して下さい」と懇願されたのである。

生前、父が十勝観光協会の会長をやっていた時に帯広空港へのダブルトラッキング(2社の航空会社が就航すること、当時の帯広空港は東亜国内航空の1社のみが就航していた)活動を熱心にやっていたことを思い出した。Air-Doが就航すればJAL系とANA系のダブルトラッキング就航となる。その記念の大会だということにほだされたのだ。

マラソンは嫌いだからマラソンの事などまったく分からないので、すぐ、その場で力になってくれそうな知人らに電話をして私の会社に来てもらい。どうしたらよいのかを検討してみたら、とりあえずやれるだけやってみるかと云うことになったのである。

その後の会議で、翌年2011年10月末頃の開催日程を決めて、警察、市役所、十勝支庁、バス会社、タクシー会社、運送会社など各種関係団体などを巻き込みながら企画会議を坂本ビルを会場に何度も開催して事業を進めていったのだった。

私は事前に警察に何度足を運んだことか。

自分の自転車に距離計を付けて、距離を測りながらコース設定をやったりもしたのであった。また過去の天気予報を調べてデータを取ったりした。

しかし、この時には最終的に経費が膨大に掛かり過ぎると云うことが判明し、警察も周遊コースは警備上の問題があるとOKを出してくれなかったので、結局、2011年10月の開催は断念することになったのであった。

だがしかし、この時に力になってくれた市役所勤務の知人が、来年は帯広市が開基130周年と云う節目の年だから、何とか予算を付けられるかもしれない。という話になっていったのである。

何度か大変な思いをしながらも、ようやく2年越しで2012年の第1回帯広フードバレーマラソン大会の開催にこぎつけることが出来たのであった。

しかし、この第1回大会のパンフレットには私の名前は載っていない。

この大会を開催する前段の準備の経緯や努力を知っている仲間達からは、「パンフレットに坂本の名前がないのは何故だ?」と言われたのだが、私は組織と云うものに属していないから、団体から出向の役員で構成するマラソン大会組織委員会の役員に入ることは個人の資格では出来ないので遠慮してくれと言われたのである。

懇願されたから仕方なく活動しただけであって、元々、マラソンには興味がまったく無いから逆に関わらなくて済んだとホッとしたのであった。街中を走るコース設定なので、第一回から今回まで坂本ビルを更衣室代わりに提供してきた。ことの経緯はこんなところである。

今年も29日に開催される。準備段階とは言えども関わった大会が続いていることは喜ばしいことである。