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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-10-28-Saturday マジック・ミュージアム

私が蒐集したマジック関係の品々を

2007年からおよそ10年掛けてコツコツと私一人で展示し始めて2016年12月3日の「マジックの日」(1,2,3の数字の並びが、ワンツースリーのマジックの掛け声と同じことから「奇術の日」とすることを提唱したのが我が師匠の故ジミー忍師であった)にセミ・オープンさせた日本唯一の奇術博物館である「マジック・ミュージアム」。2017年7月からは一般公開も始めたのであったが・・・。

コロナ禍などの予期せぬ事態が重なり、運営が困難になったことから、留寿都村にあるルスツ・リゾートを運営する加森観光に寄贈することを決めて2022年11月に閉館し、全ての展示品をルスツ・リゾートに運び出したのであった。

そのマジック・ミュージアムに、私が世界一のマジシャンとして尊敬してやまない島田晴夫師が2018年10月29日に訪問してくれたのであった。

訪問だけどころか島田師が現役を引退したら自身のマジック関係グッズの全てをこのマジック・ミュージアムに寄贈すると取材に来た北海道新聞社と十勝毎日新聞社の記者を前にして公言されたのである。一番驚いたのは他ならぬ私であった。島田師の使用していた道具の「四つ玉」1点程度を寄贈してくれたら有難いくらいにしか考えていなかったからだ。

「島田晴夫コーナー」を造るにあたっては、どんな道具や展示できる品物があるのかを確認する為に、2019年2月17~20日までロサンゼルスの島田邸に、当時札幌NHKのアナウンサーでマジック仲間の古谷敏郎さんと2人で泊まり込んでインタヴューしたり道具類を見せてもらったりマジック・キャッスルに連れて行ってもらったりしたのであった。

その1年後の2020年の1月末辺りから日本ではコロナ禍が始まった。

日本中のエンタメ界も大混乱したが、ソーシャルディスタンスは私の本業にも大きな悪影響を及ぼした。マジック・ミュージアムの運営も困難になり閉鎖を余儀なくされていた。この状態ではとても「島田晴夫コーナー」を設置できるような状況ではなくなったのである。

島田師が香港のマジックコンベンションに出演した帰りに東京に寄られるタイミングに合わせて、私が上京して島田師と面談し、マジック道具類寄贈の件を辞退したいと申し出たのであった。

その後、島田師はロサンゼルスに戻ってからも現役マジシャンとして活躍を続けられていたが、2022年4月29日にロサンゼルスの病院で現役のままお亡くなりになった。

島田師が亡くなられる直前まで、自身のマジック道具の行先の事を気にかけておられて、入院している病院から私に電話してきて「日本に里帰り展示させたい。自分が死んだ後の交渉はキーリー夫人とやってほしい」と私に遺言されたのであった。

私のコレクションを寄贈したルスツリゾートに一緒に展示することが一番望ましいと考えたのだが、私の会社ではないので、私の意向でどうにか出来るものではない。そこでルスツリゾートの加森公人会長に働きかけたのであった。

2022年10月17日に東京の如水会館で「島田晴夫師追悼会」が開催されキーリー夫人が来日することになった。追悼会には私も出席するので、まだロスに居たキーリーさんと事前にメールで盛んにやりとりを行った。

キーリー夫人の来日中のスケジュールを調整してもらい、ルスツ・リゾートに招待して現地を実際に見てもらいたかったのである。ルスツの加森公人会長もキーリー夫人の招待を承諾してくれた。

追悼会の2日後の19日にキーリー夫人が新千歳空港に降り立った。18日に帯広に一旦帰っていた私もJRで新千歳空港に向かい、キーリー夫人を出迎えて一緒にルスツ・リゾートに向かったのであった。

キーリー夫人も、ルスツリゾートを気に入ってくれた様子であった。

その後、アメリカに帰国したキーリー夫人とはメールでやりとりをした。ルスツ側もロスの島田邸を訪問したり、キーリー夫人と緒川集人さんの案内でマジック・キャッスルを見学したり、ラスベガスに行ってデビッド・カッパーフィールドのマジックショーも見学にいくほどの熱の入れようであった。

その後、いくどかの紆余曲折はあったのであるが・・・

昨日27日に、ルスツ・リゾートのマジック・ミュージアムの担当者2名が帯広の我が社を訪問して「この度、キーリー夫人との間で双方合意に達したので正式に契約を結ぶことになった」との報告を受けたのであった。

その結果「坂本コレクションのマジック・ミュージアムを本年11月にオープンさせる予定であったのだが、島田コレクションが加わることになると場所が狭くなってしまうので、新たな場所に移して取り組み直したい。ついてはオープン時期を来年5月まで延期することを承諾してほしい」との要請も合わせてあったのである。

私にとっても島田師との遺言が実現できるのであれば、責任も果たせるし、より良いミュージアムとなることは確実であるから喜んで承諾しますよ。と答えたのであった。

早速、このニュースをマジック関係者に発信したところ、皆さんからの祝福のメールがたくさん届いた。

日本のマジック界においてもグッドニュースであろう。

島田晴夫師が、マジック・ミュージアムを初めて訪問してくれたのが2018年の10月29日であるから、ちょうど丸5年掛かって事態が動いたことになる。島田師も天国で安心されたことと思う。まずは良かったぁ~。これで一安堵である。