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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-11-05-Sunday イノベーションの作法③

跳躍期~落胆の底から革新的発想へ

「博多では屋台はあと20年もしたら消える運命です」

約200軒の屋台を四班に分かれてすべて回り、歓迎ぶりに感激したメンバーたちは翌朝、市役所の担当者の言葉に衝撃を受けた。現存の屋台は現営業者一代限りと決められ、新規参入はいっさい認められていないという。「屋台でまちづくりなど無理です」と担当者の言葉は冷ややかだった。坂本が話す。

「もし、博多だけしか見なかったら、ここで諦めたでしょう。幸いだったのは、先に海外を見ていたことです。どの国でも屋台は活気を帯びていた。日本で既存の屋台がダメなら、21世紀型の屋台を十勝で生み出し、全国に広げよう。帰りのバスの中でみなで決めました」

帯広に戻り、警察署を訪ねると「祭礼などを除き、道路上での屋台は認められない」という。ならば、空き地はどうか。帯広の街は東西南北に格子状につくられていて、空洞化により、通りから隣の通りへと通リ抜けができる広い空き地がいくつもあった。これを道路のように使ってはどうだろうか。もう一度、警察に行き、聞いてみると、「民有地なら一切関知しない」と二回目でクリアできた。

難関は保健所の方だった。「食品衛生法上、民有地であっても屋台は一週間程度の臨時営業しか認めない」と行く手をさえぎられた。坂本たちは、考えるあらゆる案を持っていった。

博多を視察した帰りに「屋台通りがある」と聞いて寄った呉で見た方式をヒントにした案を考えたときは、自信満々で保健所に出かけた。空き地に上下水道と電気コンセントをセットにしたユニットを台数分設置し、冷蔵庫や流し台などの厨房機器を積み込んだ改造車をユニットと組み合わせる方法だ。しかし、担当者の返答は「車にはタイヤがついているので動く。動くものは屋台扱いになる。したがって、結論は同じである」と何の進展もしなかった。

一ヶ所での屋台の営業許可が一週間しかとれないなら、民有地を四ヵ所借り、一週間単位で移動して、一ヶ月経ったら元の場所に戻ってくるのはどうか。奇策を持っていくと、「今のあなた方にそれだけの資金力があるのですか」と失笑を買った。

十数回通っても、「同じ場所で継続的に営業するには設備の整った固定店舗が必要」とはね返され、法の壁を突き崩せなかった。

「もう一度原点に戻ろう」

行き詰った坂本は博多を再訪し、細部まで徹底して取材し直した。そして、先入観が発想の邪魔をしていたことに気づいた。屋台は“動くもの”と思い込んでいたが、博多の屋台は近くの月極駐車場から毎日、リヤカーで運んで組み立てると、指定の営業場所から1センチたりとも動くことを許されない。“仮設店舗”だった。ならば、初めから保管場所と営業場所を同じにすればいいではないか。屋台を集団化して駐車場を借り切り、上下水道、電気、ガスを引いて、食品衛生法上必要な設備を整えた小さな厨房を固定化してはどうか。

飛んで帰ると坂本は模型を手づくりし、保健所に駆け込んだ。担当者は食品衛生法の本を何度もめくりながら「厨房の大きさには規定がなく、飲食店と認めざるをえない」と眉間にしわを寄せていった。客席にも特に規定はない。ここに、固定式厨房と組立式屋台(客席部分)を融合させた日本で唯一の完全遵法な屋台のアイデアが生まれた。

飲食店である以上、新規参入は自由だ。屋台を集団化すればシナジーも期待できる。加えて予想もしない利点もあった。既存の屋台では、食べる直前に熱処理した熱い料理しか出せなかったが、メニューの制約もなくなり、刺身も生野菜も出せるようになった。

ちなみに、固定式と移動式を融合させるアイデアのきっかけになったのは、坂本の子どもが遊んでいた合体ロボットだった。自動車と自動車をつなぎ合わせるとロボットになる。合体させると機能が変わることに面白さを感じていたときに博多を再訪し、思い込みが排除されて「コロンブスの卵」(坂本)が生まれたのだった。

最初の博多視察からわずか一ヵ月、その集中ぶりに驚かされる。

(つづく)