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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-11-07-Tuesday イノベーションの作法④

雌伏期~戦略的広報活動でときを待つ

ようやく法律の壁は突破した。しかし、坂本はここで事業化を急がなかった。実はもう一つ壁が残っていた。内なる障壁、地元商店街だった。

「十勝で屋台? バカじゃないのか」

地元の人々は、屋台は南国のものという思い込みにとらわれ、提案をはなから受けつけなかった。「屋台は暑さと雨が大敵で本当は冬の風物詩だ」という博多の屋台組合長の話や、博多と帯広の気象データを比べると、帯広の方が晴天が多く、夏も夜は涼しいので一年中適していることを示しても、聞く耳を持たなかった。坂本が話す。

「人は理論だけではなかなか納得してくれません。屋台を集団で営業するには専属の出店者が必要でしたが、そんな状態ではとても集まるとは思えませんでした。強行すれば必ず失敗する。われわれの目標はあくまでもまちづくりにあり、人と人とのコミュニケーションを図ることにありました。地元を巻き込み、屋台をやりたい人をたくさん集めるには、情報公開と宣伝しかない。一年間は徹底的にPR活動にあてようと考えたのです」

翌2000年2月、実施母体の組合を設立すると、ホームページを開設。世界各国の屋台の写真をパネルにはり、毎週、人の集まる市内各所で展示会を行った。屋台のデザインを募集し、お祭りのときに一般投票で審査した。仙台の名物屋台の店主を呼び、屋台の模型を使って飲食しながらトークするユニークなシンポジウムも企画した。

「寒さ体感実験」も二回行い、真冬は気温がマイナス20度にもなる帯広でも屋台のまわりに冬囲いをすれば、厨房の熱が循環して客席もほどよく暖まることを、実物大模型をつくって地元の人々の前で実証した。

肝心の駐車場探しも参加者を公募し、いくつものグループに分け、最適地を見つけるナイトツアーとしてイベント化した。注目すべきは、これらすべての活動について地元新聞を巻き込み、三日に一度は紙面に載る目標を立て、それを実現したことだった。

特に場所探しについては、最適な場所として絞り込んだ駐車場の地主と契約内容の交渉に入る前に、新聞で第一候補地として検討に入った旨を掲載してもらった。事前に大量の情報が公開されたことで市民の注目が集まり、地主としても協力せざるをえない状況が生まれた。巧みな情報戦だった。

一年後、オープンに向けた出店説明会には116名もの希望者が集まった。市民の期待感と参加意識を高める戦略的広報活動は見事に的中した。

その後、設計段階では、「同一敷地内には同じ用途の建物は一棟しか建てられない」という建築基準法がネックになった。これも、屋根がつながっていれば一棟とみなすという法の抜け道を見つけ、屋根はひとつながりだが、見かけ上はそれぞれ独立した屋台が並んでいるように見えるデザインで問題を解決した。この間、研究者肌でもある坂本は文献を漁り、屋台の起源や歴史を調べ上げて、本を出版するほど“屋台学”を究めた。

屋台の発案から二年半経った01年7月29日、北の屋台は、ついに誕生の日を迎えた。人気の沸騰ぶりは前述したとおりだ。

(つづく)