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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2024-01-18-Thursday 日本の歪み

日本は一応、三権分立の国家であることになっているが・・・

三権とは、国会の立法権、内閣の行政権、裁判所の司法権のそれぞれが独立していることを指す。

権力が一ヶ所に固まると独裁国家となる危険性が高いから、この三権をそれぞれ独立した機関が担うことで、建前としては健全な国家運営を図っているはずなのである。

どうも最近の日本ではかなり歪みが生じているように感じる。

安倍晋三が首相だった頃は内閣が強くて、国会も検察も内閣の意向を「忖度」していたように感じていた。安倍晋三が暗殺された途端に、それまでのウップンを晴らすかのように、裏金問題が出て来た印象がある(あくまでも私が抱いた印象であるが・・・)。

日本人の心情として、昔の「大岡裁き」とか「一休さんの頓智話」みたいな講談や落語の話が好きな傾向があるように思う。

杓子定規な四角四面の裁きよりも人情裁きが好きなのである。また、一休さんのように威張っている役人を頓智や機知でやり込めるような話も好きなのである。

古来から法律なんてものは有って無きが如きもので、裁く人間のその時々の気分次第や裁量で如何様にでも変わるものであると日本人は思っているのではなかろうか。おそらくDNAに刷り込まれているレベルなのであろうなぁ。

官僚が杓子定規で、上からの命令に絶対服従する人間ばかりというのも恐い世界だ。

ハンナ・アーレントが書いた「エルサレムのアイヒマン」という本には、ナチスの幹部で逃亡していたアイヒマンが捕まって裁判にかけられた時に、彼はいかに正確にアウシュビッツに向かう列車を運行するかに腐心していた凡庸な官僚であったことが書かれている。

つまりアーレントが言う「凡庸な悪」とは自分には悪いことをやっている自覚がまったくなく、上司などの命令にただ盲目的に忠実に従っていると結果的に悪事を働いていることになってしまうことを指摘しているのだ。

社会善とは何のか、社会悪とは何なのか、自分で考えることを止めてしまうと悪のドツボにハマってしまいかねない。

今の官僚にはその傾向がありはしないだろうか?

今回の裏金も、政治家は派閥の長から言われたから従ったとか、慣習だから受け取ったとかの言い訳ばかりが目立つ。自分の頭で考えて行動しないような人間ばかりが政治家になっているのでは日本には先がないだろう。

凡庸な政治家や官僚が国を亡ぼすことになるのではないかと危惧している。