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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2024-05-01-Wednesday 社長~

社長~、安~いの

夢グループ主催のコンサート「細川たかし・長山洋子ふたりのビッグショー」を見て来た。

新聞にチラシが入っていたの見つけた。S席3500円という安~い値段に引かれて申し込んだのだ。

帯広市民文化大ホールは、駐車場として隣接する長崎屋の駐車場(1600台収容)を帯広市が200台分借りていたのであるが、3月末日で長崎屋が閉店したことで閉鎖されてしまったので現在は使用できない。

この駐車場問題に帯広市は完全に後手を踏んでしまった。文化ホールの大ホールは約1500名収容のホールであり、小ホールは550名収容のホールである。長崎屋に道路を挟んで隣接するとかちプラザの地下には80台収容の地下駐車場があるが、このとかちプラザは最初から長崎屋の駐車場を使用することをあてにして作った施設であった。

そもそも、長崎屋が帯広市民文化ホールを造ることに反対して当選した高橋幹夫市長が、文化ホールを否定するような政策として造ったとかちプラザであるのに、十分な自前の台数分の駐車場を造らずに長崎屋の駐車場をあてにするのは矛盾していると憤った記憶がある。

まぁそんな話はさておいて・・・

我が家は文化ホールまで徒歩5分ほどであるから、駐車場など使用することはないのだが、ちょっと離れた場所から来場する観客にとっては駐車場が不足していることや、あっても離れた場所にあることは大問題である。

根本的に十勝の住民は歩きたくないのである。100m離れただけのコンビニにも車で行く人種なのであるから・・・。

この日のコンサートは演歌であるから、観客の年齢層はかなり高齢であろうと予測できる。皆、どうやって来場するのかと思いながら歩いて行ったら、案の定、歩いて向かっている人は皆、駐車場が無いとブツブツ文句を言っていた。

入口に着いたら、並んでいる観客の平均年齢は、たぶん75歳以上だったであろうか? 私ら夫婦はおそらく一番若い年齢層だったかもしれない。杖をついて手を引かれながらの老人客が多かった。

逆に、この年齢層ならば、もうすでに免許証を返納している人の方が多いかもしれない。ほとんどの人がタクシーで来たり、身内に送迎してもらっていたのかもしれないなぁ。

会場はほぼ満席であった。

私らの席は3階席であった。大ホールの3階席で見るのは初めての経験であるが、やっぱり上から見るのは見ヅライなぁ。細川たかしのあの独特の髪型をほとんど真上から眺めるようなポジションなのである。

まぁ、安~いのだから仕方がないか。

出演者自身のMCでは「昼間、釧路に到着してワンステージ歌って、帯広に入った。社長~は人使いが荒い・・・」と言っていた。同じ場所での2ステージならまだしも理解できるが、釧路ー帯広間はJRの特急列車でも100分ほども掛かる距離である。細川たかしは74歳だと言っていたから、疲れているだろうしなぁ、もう声も出ないだろうしなぁと思ったのであるが、案に相違して、素晴らしかった!大満足である。長山洋子の歌も良かったが、細川たかしの特に、「イオマンテ」や「望郷じょんから」には感激した。スゴイ声量である。社長~、嬉しい~、ありがとう~!

私もついに演歌に感動する年齢になったかと感慨深いコンサートであった。


■2024-05-02-Thursday 納骨

今日は父の32回目の祥月命日

そして1月5日に亡くなった母の遺骨を墓地の墓に納骨する日である。

北海道ではGW辺りまで雪があったり、また雪が融けてはいても地面がぬかるんでいたりすることが多いので、父の祥月命日の日に納骨することにしたのである。

お墓の掃除は先日に済ませてある。

墓石をズラしてみたら、遺骨を入れた木製の箱がようやく入るぐらいの大きさしか間口が空いていない。

父の遺骨を入れたのが32年前であるから、もうすっかり忘れていた。

準備をしている内に兄弟姉妹が集まってきた。すぐにお坊さんも来たのだが永祥寺の住職様が来て読経をしてくれた。

父と母が苦労して建てたビルと、祖父が購入した土地を手放した三代目としてはまことに申し訳なくてホロリと涙が出て来た。しかし、ビルを手放したのが母の死後であったことには正直ホッとしている自分が居た。

他人様には迷惑を掛けずに家業を終えることが出来たのはご先祖様のお陰であると感じたが、北海道での120年の坂本家の商売の歴史に幕を下すのは辛いものがある。

坂本家は昔からお墓で写真を撮る変な家族なのである。昔のアルバムにはお墓で撮影した写真が多いのだ。読経を終えた住職にも撮影に加わってもらい記念写真を撮ったのであった。

これで母の葬儀には一応の区切りがついた。

納骨の後で兄弟姉妹で食事をしに行ったが、なんだか急に肩の荷を下ろしたような気持ちになったのだった。


■2024-05-04-Saturday 門塀掃除

昨日は、今年初めての外焼肉をやった。

朝から晴れていたので「そうだ!昼食は外でジンギスカンをやろう!」と思い立ったのである。

十勝では肉屋さんがオリジナルのタレを作って「味付けジンギスカン」を販売している。我が家の贔屓は近所の肉屋さん「おおつか肉店」である。醤油味と味噌味、厚切りと薄切りの4種類が売られている。我が家は断然醤油の薄切り派なのである。

年を取ってくると高級な牛肉は最初の一口目は美味しく感じるのだがすぐに飽きがきてしまう。その点、羊肉のジンギスカンはいくら食べても飽きが来ない。一人でかるく500g以上は食べられる。

肉屋の開店時間の9時を目掛けて一番乗りをしようと勇んで行ったらば、もうすでに10数名が列を作っている。やっぱり皆考えることは一緒なんだなぁ~。並ぶのは嫌いであるが仕方がない。ようやく私の番になったが、後ろを振り返ると更に15人くらいが並んでいる。早目に来て良かったぁ~。

新しい網と木炭と文化炭はすでに購入済みである。風が少し強くなってきたので早目に開始することにした。お天道様が出ている時間には極力お酒を飲まない主義であるのだが今日は特別である。炭を起こしながらビールを飲み始めたのであった。

やっぱり外で食べるのは美味しいなぁ~。

もう終盤に差し掛かった頃に姉夫婦が母の遺品を取りにきたので「残り少ないけど一緒にどう?」と誘った。姉夫婦も今年は外焼肉をやりたいからやり方を習いたいと言う。

肉の残りは一口程度しかなかったが、食事は少人数よりも大勢の方が美味しさが倍増する。

例年ならば、庭の桜の花がまだ咲いている頃なのであるが、今年はすでに散ってしまっている。代わりにツツジや梨や木瓜の花が咲いていたのでちょっとした花見ジンギスカンになったのであった。

段々と風が強くなってきたので早々に片付けたが、午後には突風が吹き始めたからちょうど良い時間帯であった。

昼間のお酒はやっぱり効くなぁ~。ソファに座っていたら眠くなって昼寝をしてしまった。案の定、夜中の1時に目が覚めてしまった。

やっぱり昼間からの酒は止めることにしよう。

4日の土曜日もすることがない。世間ではGW後半の4連休二日目だと言っているが、今の私は365連休である。ダラダラしていても仕方がない。

そうだ!墓掃除用にと会社から持ち帰ったケルヒャー社製の高圧洗浄機があったが、霊園では水道の蛇口が遠くて使うのを断念していたのを思い出した。

自宅の門と塀の石が墓石みたいに黒くなっているのが前から気になっていたので、暇なものだから試しに使ってみようと思ったのである。

なんと・・・、洗剤などは一切使用せずに水圧だけなのに面白いように落ちて綺麗になるではないか!

楽しくなってきて門と塀を数十年振り綺麗にしたのであった。

入口が綺麗になるのは気分が良いものであるなぁ。


■2024-05-05-Sunday いやはや

365連休などと書いたからなのか? 

ボケ(あえて自分のことだから認知症とは書かない)が始まったようだ。

早くも日にちや曜日の感覚が無くなっているのだ。

自分でカレンダーに5日は「ゴルフ」と予定を書き込んでいたのになぁ・・・

ゴルフのクラブやバッグを仕舞ったままにしてあったのだ。あわてて引っ張り出して中身を確認したら、去年の最後のゴルフの時のクラブセッティングのままになっていた。

去年の後半は非力になったためなのか球が飛ばなくなって、しかも長めの5番アイアンがまるで上手く打てなくなったので、その5番アイアンの代わりに9番ウッドを入れていたのである。

今年はまだ実際に球を打っていないから方向性が荒れるだろうと思った。林の中などに打ち込んだ場合の脱出用に5番アイアンは必需品であると思ったのである。

物置に探しに行って見つけてきて入れ替えて出かけたのであったが、練習場に行く時間が無くなってしまった。

ゴルフ場への到着時間もギリギリであった。せめてパターの練習位はやっておきたいと思ったので、2階の食堂で食事をする時間が足りないからと、おにぎりを一個だけ作ってもらってテイクアウトすることにした。

さぁ、パターの練習をしようと思ったらばロッカーのキーを失くしてしまった。オカシイナァ~2階の食堂に持って上がったはずなのに・・・

もう一度2階の食堂に行ってみたが見当たらない。また1階に降りてフロントに届いてないかと尋ねたら「届いていない。ロッカーに付けたままなのでは・・・」と言うのでロッカールームに行ってみたが付いていない。そこで手荷物を再度調べてみたのだが無いので、もう一度2階の食堂に行ってみたら床に落ちていた。ロッカールームでは上着と帽子を脱いで調べた際に帽子を置いてきてしまったことに気が付いた。そこでもう一度ロッカールームに戻って帽子を取ってきた。

クラブハウス内をうろちょろしている間に、私にスタートの呼び出しが掛かった。私は一組目のスタートであったのだ。

パットの練習も素振りもしない内にいきなりスタートになってしまった。

ところが、不思議なものである。今年の最初のスイングは完璧なショットだったのである。セカンドショットも上手く当たって10m奥に2オンしたのだ。

俺ってゴルフの天才かも・・・。

他の3人は3オン4オンで、私よりもホールに近い場所に乗ったから私が一番最初にパットをしなければならなかった。

私のパットは5mもオーバーした。この後の返しも2mオーバーである。

え~グリーンが速い。キャディさんが午前中は公式戦だったから速いのよと言う。もっと早くに教えてよ~。結局2オン5パットの7打であった。

あ~ぁ、そりゃそうだよなぁ~。いきなりぶっつけ本番で上手くいったら誰も苦労はしないよなぁ~。

結局OUTは46打、INは48打の94打であった。私は前立腺癌の治療以後6年間はゴルフ場の風呂には入っていないから表彰式まで皆が上がってくるのを待つのも辛い成績も悪いので、参加賞をもらってさっさと帰宅したのであった。

いやはや、ドタバタの一日であった。


■2024-05-07-Tuesday 銀行

母がお世話になっていた施設から

解約精算書なる書類が届いていたのだが・・・

昨年の12月に母が入院した病院に来た施設の事務長さんから、1月中旬をもって全ての契約を終了する旨を告げられた。その際に「これにて基本的には坂本さんとの契約は全て終了します。でもひょっとすると若干の精算金があるかもしれませんが・・・」とは聞いてはいたのだが、2月末に届いた書類をザッと見たら12月の病院などの解約精算書や領収書の束が入ってはいたのだが「請求書」なるものが入っていなかったので、払い戻し金は無くて精算の内訳の書類が送られてきただけなのだなぁと思ってそのままカバンに仕舞い込んでいたのであった。

5月2日の納骨が終わって自宅に戻った午後に施設から「4月中旬にご自宅に郵送した書類にお願いしたご精算がまだ終わっていませんが・・・」との電話が入った。これまでは母名義の口座からの自動引き落としで支払っていたのであるが、母の逝去によって銀行口座が閉鎖されたので引き落としが出来なかったから自宅に精算書を送付したのだと言う。

封筒を出して調べてみたら、御精算書の中に御請求金額の項目があって20数万何某の金額が掲載されていた。

別個に「請求書」を出してくれていたならばすぐに分かったのに・・・。

施設は自宅から徒歩5分の距離にある近所だから、すぐに現金を持って行って「この請求の仕方では分かりづらいよ。請求書を別に書いて入れてくれなきゃ・・・」と言ったのだが「現金では受け取れない決まりなので銀行に振り込んでほしい」とのことであった。面倒だなぁ~。

「今日はもう銀行が閉まっているから連休明けになるけど・・・」と告げて施設を後にしたのであった。

連休明けの今日、忘れない様にすぐに指定された駅前の北洋銀行に妻を降ろして、私は別の金融機関に向かったのであった。

すると妻から私の携帯に電話が入って「10万円を超える振り込みは本人でなければできない。若しくは委任状が必要なのだと言われたから振り込めない」と言う。

面倒だなぁ~。

仕方がないので入れ替わりで私が北洋銀行に出向いて振り込みを完了したのであった。その際に「本人確認の為、免許証をコピーさせてもらいます」と言われた。近年、確かに振り込め詐欺などが多発しているから、これも防止策のひとつなのであろうが、家族(妻)が窓口に行って振り込むのもダメなのだろうか?

高齢になって銀行に行けない老人の代わりに家族が窓口に行く場合にはどうするのであろうか? 免許証を返納していて持っていない人はどうするのであろうか?

あまりにも杓子定規な対応である。

銀行は機械に頼りきって、人間的な対応を怠ってはいないだろうか?

嫌~な世の中になったもんだ。


■2024-05-09-Thursday 数十年振り

自宅寝室の私専用の机

の上に書類が山の様に積み重なって、今にも崩れ落ちんばかりである。

なにせ、モノが捨てられない性格であるし、妻にも「決して捨ててはイケナイ!」と言ってあるから・・・

ここに私専用の机を設置してから、いったい何年になるのであろうか?たぶん改築をした後であろうから25年以上は経っているであろうか。

その数十年分の書類と書籍類が山積みになっているのである。「暇なんだから片付けたら?」と言うので一念発起して一昨日から片付け始めたのであった。

元々は、私の読書用とコンピュータ用の机であった。その内、本がドンドンと平積み上になっていきPCを置くスペースが無くなり、PCは台所の片隅に移動した。本以外にも書類関係が積み上がっていき、机ではなく物置台に変貌してから久しい。

掃除をしようとすると積み上げた本や書類が崩れてしまうから、私以外の人間には触れさせられないのだ。あまりにミットモナイので大きな布で目隠し用にカバーを被せて見ないことにしていたのである。

一昨日、そのカバーを外してみたら埃も凄く溜まっている。

まずは、2日間掛かって、本を捨て、書類を捨て、不要なモノを捨てた。今日は今朝から雑巾で机を拭き掃除を行ったのだが、埃がベッタベタして綿埃が固まっている。すぐに雑巾も汚くなってしまう。結局3枚の雑巾をダメにしてようやく机が蘇ったのであった。

机は実にスッキリとしたのだが替わりに腰が痛い。

台所のテーブルの片隅に置いてあったPCやらプリンターやらを移動して設置したら、私専用の書斎机みたいな雰囲気に復活したのだが、慣れていないからか何だか落ち着かない。今後は、この机で物書きでもしようと思っているが、そういえばこのブログの契約は今月末で終了することになっている。ようやく恰好が整ってきたのになぁ・・・

午後2時から「大道芸」の会議と手帳に記してある。会場に行ってみたらば・・・、受付で「今日はその様な会議の予定は入っていませんが・・・」と言う。上階から大道芸の係員が降りてきて「日程を間違っていませんか?」と言う。アッそう云えば、先月の9日に大道芸の会議があった時に、私は忘れていて、携帯に呼び出しの電話が入って遅刻したのを思い出しだ。そうか!先月は忘れていた訳ではなくて、手帳にスケジュールを書き込む時に4月9日に書くべきところを間違って5月9日に書いてしまったようである。

こりゃぁ~ますますボケているようだなぁ。


■2024-05-10-Friday 無関心?

会社を辞めてから

世間の事に無関心になっている。

以前は、株価や円レートの上下に関心があったのに、辞めた途端に新聞の経済欄もしっかりとは見なくなった。サラッと流し読みする程度になったのである。

そうなると、新聞も読む箇所がめっきり少なくなってつまらなくなってきた。

スポーツ欄もほとんど見なくなってきた。大谷翔平の活躍は新聞で読む必要はないほど、連日テレビではどのチャンネルでも何度も映像で見せてくれる。

先日「コロナ5類移行1年」の記事が出ていたが、読んでも何を今更とか、まだこんな事を言っているのかと呆れるだけであった。

1年経っても検証もまともに出来ないのか。

コロナの後遺症が怖い云々と言う医者がいるが、この人本当に専門の医者なのだろうか? インフルエンザだって風邪だって、どんな病気にだって後遺症が出る場合があるのは素人だって分かることだ。

罹った人の体質や体調によって重篤度が異なるのは当たり前のことである。

その後遺症の例をあげて「コロナは怖い」と未だに言っているのは、4年前のコロナが発生した頃に自分が発言した大袈裟な内容を、今頃になって大した病気じゃなかったと変更することで、世間から「何だよ」と叱責されない様にするための予防線なのではないのか?

私もしつこく何度も書くが、マスクで顔を隠すことを半ば強制するようなことや、ソーシャルディスタンスなどというバカなことを奨励した責任を取ってもらいたい。こう書くと「強制はしてはいない、奨励しただけだ」と言うであろう。だが、日本人の同調圧力を悪用した大犯罪である。

コロナ禍で日本の政府がやったこの方法は、人間の心理上において重大な後遺症を引き起こしている。すでにその兆候が表れている。

この人間心理に与えた後遺症が、これから多く発症していくであろう。今後訳の分からない犯罪が多発するであろうことを警告しておく。その犯罪に加担するのは、多感な青春時代にクラスメートの素顔も見たこともなく過ごした若者達によってひき起こされるであろう。予言しておく。

これは取り返しの効かない重大なことである。

何せ、こんなバカなことを丸三年間もやり続けたのである。

これを検証しない日本の報道は何だか変である。

私の無関心もそのせいなのかもしれない。


■2024-05-14-Tuesday ゴルフ

今日は今年2回目のゴルフである

前回5月5日にプレイして以来、相も変わらず練習はおろか素振りもやっていない。

ただ前回のゴルフで去年よりも球の飛距離が伸びている感触はあったし、パットもラインが良く読めている感触はあった。

今日のコースは前回と同じ十勝カントリークラブである。30分前のギリギリに到着した。今はなんとな~く早めには行きたくないのである。

ただ今回は前回と違ってパットの練習だけはすることが出来た。芝の速さが判れば十分である。

今日もドライバーが当たってまっすぐに飛んでいく。飛距離が伸びているのは会社の整理と後片づけで重たい物の持ち運びを数ヵ月も続けたことで、去年よりも筋力が鍛えられたせいなのかもしれないなぁ。

十勝カントリークラブは、5人乗りのカートでキャディさんが運転し4人のプレイヤーが乗車する方式だ。このカートにはGPS搭載のモニターが付いていて、各ホールの旗の位置や残りの距離やグリーンの芝目などの情報の他、コンペに参加している人全員のグロスのスコアがリアルタイムで表示される仕組みになっている。

今日のコンペの参加者はシングルプレーヤーが多いのだが、最終組でプレーした私が途中の5番ホールまでトップの1オーバーであったのだ。強風が吹いて皆スコアが悪かったのであろう。私もその後の4ホールではボギーを2度叩いてアウトコースは39打であったのだが、折り返し時点ではまだ2位である。

プロの試合でもスコアボードは見ないと言うプロ選手は多いが・・・

私は気になってずっと見続けてしまった。

結局、後半のインコースはミスを連発して45打であった。

クラブハウスに戻ったら、先に上がったメンバーもスコアを見ているから「坂本~、お前どうしたんだ!珍しいじゃないか!」と声を掛けてくる。

表彰式では1打及ばずに準優勝であった。

太陽フレアの大爆発による電磁波の乱れでGPS機能に障害が出て、距離の表示が狂ったりして皆のスコアが悪かったのかなぁ~・・・

久し振りに良いスコアで上がれて満足のゴルフであった。

帰宅して報告したら「練習もしていないで準優勝するなんて、貴方ゴルフの天才なんじゃないの?」と嬉しいことを言ってくれる。美味しいお酒が飲めた一日であった。


■2024-05-15-Wednesday 新聞記事

昨日のゴルフのことを書いたブログに

「今はなんとな~く早めには行きたくない」と書いた理由が、坂本ビル売却の件を聞かれたら返答に困ってしまうからであった。

坂本ビルを売却したことはこれまでにもこのブログに何度も書いてきたのだが、購入社名に関しては公表をしていなかった。

購入社側が発表していないのに、売却側が先に発表してはひょっとして先方に迷惑を掛けるおそれがあるかもしれないなぁと危惧していたからである。

それが今日の十勝毎日新聞の一面に「ホテル十勝屋が坂本ビル取得」と大きく載ったのである。

これによってもう公表せずにいる必要もなくなったであろう。

昨日のゴルフで一緒に回った人からも質問されたけれど「相手が公表していないのに私から発表するわけにはいかないが、皆が知っている人だよ」とだけ伝えていたのであった。

今日の新聞記事にも載っていたが今年の3月中旬になって急に持ち上がった話なのである。

それまでは、別の複数の企業との間で商談があったのだ。ブログにも書いたようにこの3月からはスクリューコースターにでも乗っているかのような一喜一憂の状況であった。

坂本ビルを壊さずに活かしたいという企業の話が、十勝屋さんの話とほぼ同時期の3月中旬に一足先に現れたのである。

両親が建てたビルを壊すということには息子としては忍びない心情があったので、ビルを活用したいという話には心動かされたのであったが、しかしこの話は最終的にはうまく纏まらなかった。

ホテル十勝屋さんからの購入話は唐突で私も驚いた。

後藤会長とは青年会議所(JC)で同じ昭和33年生まれの「参燦会」の仲間であるが後藤会長は九州出身で、私がJCに入会した1987年からの37年間の付き合いなのだが、坂本ビル購入の話はこれまでまったく無かったのである。

十勝屋さんからの突然の購入希望の申し出があってからわずかの期日で話がトントン拍子に進展したのであった。

こうして新聞にも掲載されて坂本ビル売却が公表されたことで寂しい気持ちもあるが、「空家ビル」にしなくて済んだこと、購入社が地元の会社であったこと、誰にも迷惑を掛けずに事業を終了させることができたことなどで、何だかホッとしている自分もいる。とても複雑な心境なのである。

5月からは会社に出勤することもなくなったので、曜日の感覚が無くなってしまってボケが進んでいるような気がする。今回の公表を機に世間にも積極的に顔出して何かを始めようかと思っている。


■2024-05-16-Thursday 結婚記念日

今日は39回目の結婚記念日である。

39とは中途半端な数字である。50回目ならば「金婚式」で40回目ならば「ルビー婚式」というらしいのだが、39回と云う中途半端な数字であるから別段お祝いすることもなかろう。

午前中に夫婦でショッピングセンターのイオンに買い物に出掛けた。そこの貴金属売り場で妻が何やら品定めをしている。

そう高価ではないモノであったのでプレゼントすることにした。一応は感謝のつもりである。

会社に出勤することがなくなると何だか暇を持て余してしまうなぁ~。会社に出たところで別段仕事らしい仕事もしていなかったのになぁ~・・・

気分の問題なのであろう。不思議なものである。

家の後片付けも一段落ついた。来週からは孫怪獣が二匹来襲しに来るので体力を温存することにして、もう今週は肉体労働は止めにした。


■2024-05-17-Friday 5月20日で終了

このブログの掲載をしている会社との

契約が5月末日で終了する。

6月1日からは、この「観光カリスマ坂本和昭のブログ」は掲載が決まっていないので読めなくなる予定である。

ただ、私のブログを評価してくださる札幌の企業さんから「我が社で提供したい」とのありがたい申し出があった。

そのことも含めて今月中に札幌に赴いて詳しく話を聞いてくることにした。

私は根っからのアナログ人間で、ネット社会のデジタル知識に疎いことを自認しているから、会って話を聞いてみないと理解が出来ない。

果たして、このブログの行方はどうなるのであろうか?

せっかくここまで書き続けてきたのだし・・・もう少し続けてみたい気持ちもあるにはあるのだが。

今月中に結論を出すつもりである。

先日、コンピュータに詳しい次女に頼んでこのブログの文章を全て保存してもらったのであるが、「20日で終了させるから、20日までの分を保存して」と依頼した。一応、このブログへの書き込みは20日までにする予定である。