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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-12-01-Monday 菅原文太

菅原文太が亡くなった。

ついこの間、高倉健が亡くなったばかりである。

相次いでの有名俳優の逝去だから、高倉健と同様に新聞やテレビが追悼番組や過去の出演作品を放送するのだろう。

私は、ヤクザものの映画や暴力ばかりの映画は好きではないから、高倉健の網走番外地シリーズも、菅原文太の仁義なき戦いシリーズも映画館で観たことは一作品もない。

テレビでやっていても、リモコンをザッピングしている途中で目にすることはあっても、最初からラストまで全部を通して観たことは一度もない。

だから、この二人の俳優の死にはさほどの感傷的な気分もないのだが・・・。

自分が年齢を重ねてきているからなのか、自分よりも若い俳優に重厚さがないという感想は持っている。どうしても最近の若い俳優は何だかチャラチャラしていて軽〜い人物のように見えてしまうのだ。

高倉健は映画で誰を演じても、いつも同じ高倉健そのままという感じがしていたが、先日、帯広のシーンが見たくて「幸せの黄色いハンカチ」を少しだけ見たら、結構上手い役者だったんだなぁ〜と感じた。高倉健に関しては喰わず嫌いだったのかもしれない。

菅原文太の映画も観た事がなく、アニメ「千と千尋の神隠し」での声優で「くも爺」の声をやったことの印象ぐらいしかないから、イメージだけでしか分からないが、声は野太くて重厚感があり良かったなぁと感じたくらいでしかない。

菅原文太が名優なのかどうかは分からないが、重厚な役者がまた一人亡くなったということだろう。

これで、日本の映画がまたまた軽くなってしまうのかもしれないなぁ〜。


■2014-12-02-Tuesday 師走

今年も残り一月足らず。

年々感じることだが、時間経過の体感スピードが年齢を重ねる毎に速まっているようである。何だかついこの間、正月を迎えたばかりの様な気がするのである。

今日、衆院選挙が公示された。14日が投票日である。

普通なら、これからの時期は、商店などはクリスマス商戦や歳暮商戦のカキイレ時、飲食店もクリスマスや忘年会のカキイレ時である。

選挙になるとこれらの動きがパタッと止まってしまうから、実に迷惑千万な時期の選挙であることよ。

安倍政権は景気を良くするなんて口では言っているけど、一般庶民のカキイレ時に、こんな大義の無い選挙をやるなんて、景気のことなんてまるで考えていないことが丸出しだろうに・・・。

しかも選挙には700億円もの経費が掛かると云う。これは全て税金で賄われる。

本当に必要な選挙なら、たとえ700億円が掛かろうが、民主主義の経費として認めなければならない。

しかし、何の為の選挙なのかも分からない選挙に700億円もの金を掛けて、しかも世の中の景気を悪くするなんて考えられない。

選挙運動も、選挙カーに乗っては「○○をお願いしま〜す」と言うだけのウルサイだけの連呼である。

もういい加減こんな選挙方法は変えたらどうなんだろう。

同じ700億円使うんでも、もっと有効な使い方を考えて欲しいものである。

全国放送のニュースで注目選挙区ということで北海道7区が出ていたが、新党大地の党首で公民権停止中の鈴木宗男の娘、貴子が民主党から出て、しかも比例代表でも民主党の単独1位というので驚いた。いったいどんな手を使ったのだろうか。

ウルトラCどころかウルトラD、いやウルトラEである。

いくら民主党に人気がなくても単独1位なら、小選挙区で落選しても比例で復活当選出来るだろう。

民主党も、他党の人間を比例1位にするなんて・・・。民主党としても大地の票が欲しいのだろうけど・・・。

鈴木宗男の交渉術のすごさに感心してしまった。


■2014-12-03-Wednesday 積雪

昨夜から降り続いた雪が薄っすらと積もった。

たったの4㎝ではあるが、気温がマイナスになって低く、融けないので今冬の初積雪になるだろう。

例年よりも12日も遅い積雪であるとニュースでやっていた。

天気予報で雪が降ると言っていたので、昨日の内にジョイフル・エーケーに行って除雪の器具を買ってきておいた。

1580円のラッセル型の器具で、雪を押して除雪するタイプであるが、去年まで使っていたのは先っぽの部分が、路面のアスファルトに擦れて摩耗してしまったのだろう、削れてガタガタになってしまいキレイに除雪が出来なくなっていたのだ。

新しく買ったのはやはりキレイに除雪が出来る。

朝方、出社前に自宅の周りを全てキレイに除雪をしておいた。これから雪が大量に降ると、雪の置き場所というか捨て場所というか、スペースが段々と無くなってくるが、最初の内位は広めに除雪をしておきたい。

我が家の車庫の前は、斜めの坂になっているので機械の除雪器だと上手く除雪が出来ない。

ダメだと言うのに、妻が以前に機械式の除雪器を購入してきたが、やっぱりまるで使いモノにならないので、3回ほど使っただけで友人に譲ってしまったのであった。

人力でやるしかないのであるが、面積が広いので大雪が降るとかなりな重労働になってしまう。

4㎝程度の雪なら、30分ほどで除雪が終わるからまだ楽である。

夕方に帰宅したら、また数㎝ほど積もっていた。気温が低いから地面に凍りついている。ラッセルの先端の部分でも削れないほど固まっている。

まぁ、太陽でも出れば融けるだろうから、サッと上の方だけ除雪しておいた。

これから、憂欝な冬である。大雪が降らないことを祈ろう。


■2014-12-04-Thursday 結婚式

私にとっては甥っ子である姉の息子が

来年結婚するという。

挙式はハワイでするのだそうだ。

母は「私は、外国には行けないから、代わりに貴方が坂本家を代表して出席して欲しい」と言う。姉からも私に出席して欲しいと連絡が来た。

お安い御用である。むしろ大歓迎だ。

まだ詳しいことは決まっていないようだが、極内輪の親族だけでの挙式だという。

北海道の結婚式は、内地(ないち:昔は北海道以外の日本のことをこう言っていた)の結婚式とは様式が異なっていた。

招待制ではなく、会費制なのだ。だから、なるべく多くの人達に案内の手紙を出す。

我々の時代の1980年代の結婚式では、バブルの時代ということもあって300〜400名もの人を呼んだものだった。中には500名を超える人もいた。

私達夫婦の結婚式は会費制ではなく、招待制でやったのだが、我が家は商売をやっていたし、妻の親は税理士であったから、取引先や親の知人などの関係で300名ほどの招待客であった。私達夫婦の友人の数は少なかったのだ。だから、本人の結婚式というよりも、家と家の結婚式という感じであった。

日本で結婚式を挙げたら、それぞれの勤務先や友人などを呼ばなければならないだろう。誰を呼んで、誰を呼ばないかという選別も難しいだろう。

そういうことをやらないで済ませるには、海外で極内輪の親族だけで挙式をして、事後報告で済ませるということなのだろう。

なかなか賢い方法である。

海外での挙式に出席するのは初めてであるから、どんな結婚式になるのか今から楽しみである。


■2014-12-05-Friday 地球温暖化

昨夜遅くのニュースで

地球温暖化の特集をやっていた。

4日の環境省の発表に依ると、2013年度の日本の温室効果ガスの排出量が約14億トンで、算定を始めた1990年度以降で最大になったと云う。

東日本大震災の福島第一原発の事故によって、日本中のCO2を排出しない原発の停止が影響していると云う。

もしも、事故前の水準で原発が稼働していたなら排出量は1億5千万トン少ない約12億5千万トンにまで抑えられたとの試算を示したが・・・。

何だか、地震のせいにしているようである。

これは誤った方向への大きな誘導ではないだろうか?

政府は「原発は環境に良い」とでも言いたいのだろうか?

確かに、火力発電所のCO2排出量は原発よりも多いのは事実であるが、それよりも問題なのは、政府が原発に頼りきって、自然エネルギーによる発電の開発をサボっていたからではないのか。

現代科学を持ってしても人間が処理することが出来ない核のゴミを出す原発が環境に良い訳がないではないか。

22年前の1992年から、十勝に「国際環境大学」を創ろうと活動していた時には、ほとんどの人間が環境問題に無関心であった。

あの時のスローガン「エネルギーと食糧の自給他足」を実現するべく努力を続けていたら、けっこう面白い実験が出来ていたことだろう。

十勝が地球環境のモデル都市になって世界中から注目されていたかもしれない。

最近の夏の高気温、局地的な大雨、洪水、竜巻なども気候変動の現象であろう。今頃になって慌てても遅いのである。

おまけに日本は「化石賞」まで与えられてしまった。

この賞は地球環境問題に「化石」のように古い考え方をしている国に与えられる不名誉な賞なのである。

かつての京都議定書の頃は日本は地球環境問題の優等生であった。

それが今や・・・。情けない限りである。


■2014-12-06-Saturday 鍋焼きうどん

先日の菅原文太に関するブログで

「千と千尋の神隠し」の「くも爺」の声優と書いたら、読者の方から「くも爺」は間違いで「釜爺」が正解であるとの指摘を頂いた。

「蜘蛛(くも)」の様に手足がなっていたので、てっきり「くも爺」だと思い込んでいた。誤りは訂正しておく。

昼に妻と買い物に行った。冬仕度の為に、窓にビニールを貼るのを手伝って欲しいと言われたのだが、先日、ジョイフル・エー・ケーというDIYの巨大な店に行った際に、カッターと定規だけで簡単につくれる内窓作りのキットを売っていたのを思い出した。あれなら自分でも造れるし、ビニールの様に貼ったり外したりと面倒なこともなくなるなと思ったのだ。

行ってみたのだが、自宅の窓の寸法を測っていかなかったので、妻からは「ハイ、ハイ、来年にしましょうね」と言われて、結局買わずに終わったのだった。

この店は色んなモノがあって面白い。学生時代に良く行った渋谷の「東急ハンズ」のような面白さがある。東急ハンズ程は洗練されていないが、泥臭い圧倒的なパワーがある。ともに想像力と創造力を刺激される店である。

この店の別棟にペットのコーナーがあるので犬を見に行った。最近は小型犬ばかりで大型犬は人気がないらしい。

3年前まで大型犬のラブラドール・レトリバーを2頭飼っていたから、犬は大好きなのだが、小型犬は踏みつけてしまいそうで何だか怖い。

ペットの寿命は15〜6年はあるだろうから、自分が高齢者になった時に、犬の介護をしなければなららくなると想像したら、とても飼う気にはなれないが、見ているだけでも気持ちが和らぐなぁ〜。

夕食の買い物はこの店の近くのコープさっぽろに入った。たしか昔はコープというのは会員だけしか買い物が出来なかったのではなかったかと記憶しているが、現在は誰でも買い物が出来るようである。

妻が「今日は何を作るの?」と聞く。どうやら休日は私に夕食を作らせようという魂胆らしい。

「じゃぁ、寒くなって来たから鍋焼きうどんでも作ろうか」となったのであった。「それじゃぁ、実家の分も作ってくれる?」と聞く。3人分作るのも5人分作るのも大した差ではないから「良いよ〜」と優しく答える。何て優しい良い夫なんだろう。

私は「タレ」にこだわる。

鰹節と昆布と干椎茸で出汁を取るのだ。ほとんど醤油を使わないで、椎茸の出汁で色を付ける。タレの色は関西風の薄い色である。

麵はさぬきうどんの冷凍麵を使う。生麵よりも冷凍麵の方がコシがあって喉越しが良いのだ。

出汁に使った干し椎茸と鶏肉に下味を付けておく。その他の具は、かまぼこ、ゆで玉子、天麩羅、餅、麩、長ネギ、玉ねぎである。

今日も美味しく出来たので、皆から喜ばれたのであった。


■2014-12-07-Sunday インターステラー

映画「インターステラー」を観て来た。

前評判では「相対性理論」を理解していないと解釈がかなり難しいとか何とか言われていたが・・・。

相対性理論は高校生の頃にすごく興味があって、講談社の科学新書のブルーバックスを読んで勉強したことがあったが、結局はよく分からなくて挫折した経験がある。

「ブラックホールには時間も捉えられる」とか「浦島効果」とかは覚えていたから、大まかな意味はある程度は理解できるものの・・・。

この手の映画こそ、まだ観ていない人の為に、ストーリーや謎解き等を詳しく書くべきではないだろうから、ここでは書かないことにするが・・・。

チラシに載っている程度のことで話を進めよう。

人類滅亡が近い地球から、他の銀河系の惑星へ、人類を移住させようとする元宇宙飛行士の男親と、地球に残る多感で頭の良い娘との愛の物語である。

地球滅亡の原因などには一切触れていないから、なぜ地球が滅亡するのかは分からない。でもこれが、映画の手法としてはなかなか面白い作り方であると感じた。観客の感性に任せるということなのだろう。

3時間近い長〜い映画であるが、実はストーリー展開的にはかなり端折っている映画でもある。端折り過ぎて意味不明の箇所も多いのが難点でもあるが・・・。

伏線も至る所に張られていて、最後にア〜ッあれがそうだったのかと思わせるところも随所にあるし、ところどころに手に汗握る緊張感がある場面もある。

ただ、どうも最近のアメリカの宇宙映画は映像は美しいのだが、そんな馬鹿な!そんなこと絶対にアリエナイだろうというような場面が多い。

まぁ、荒唐無稽な映画だからこそ許される展開なのかな〜?

でも、観終わった後にどう考えてみても解せない箇所があった。かなりの損傷を受けた宇宙船を、操縦士でもない科学者が、操縦を手助けするロボットも無しで、脱出がかなり難しい場所からどうやって一人で宇宙船を操縦して、目的の星に無事に到着することが出来たのだろうか?という点である。これもこの場面を端折ったのか、それとも監督に何等かの意図があったのかは最後の最後まで不明のまま・・・。

これは私にとっては最初からチンプンカンプンの相対性理論よりも、解釈が難しい難問であった。

観終わった後での妻との感想は、日本の昔話の「浦島太郎」や「かぐや姫」は本当にあった話ではないのか。ということであった。

まぁ、この映画に関して書けるのはこんな程度かな・・・。


■2014-12-08-Monday 中川ライター店

私のこのブログにも

度々登場する札幌狸小路の「中川ライター店」が来年1月末で閉店するという記事が7日の北海道新聞朝刊に載っていた。

創業が明治35(1902)年というから113年の歴史がある店である。

この店には、今年春に64歳の若さで亡くなった8歳上の従兄弟の晴則によく連れて行ってもらった。

晴則は、私にマジックを始めるキッカケを作ってくれた従兄弟である。彼は4人兄弟姉妹の末っ子であったから、私を弟のように思って可愛がってくれたのだろう。

私は小学2年生の時から、たった一人で汽車に乗って、札幌の伯父の家に春・夏・冬の休み毎に遊びに行っていた。当時は伯父の店舗兼住宅が札幌のど真ん中である南2条西3丁目の角にあったから、遊びに行くには最適の場所だったのだ。

晴則たち兄弟も、小さい頃は逆に帯広の我が家に遊びに来ていたのだった。

晴則は多趣味な男で、モデルガンやプラモデル、そしてマジックなどをやっていた。私はその影響を受けて、札幌に遊びに行くと、モデルガンをもらったり、マジックの道具などももらっていたのである。

そんな晴則がよく通っていた店が、近くの狸小路にある「中川ライター店」であった。

この店の入り口は木製の薄い黄緑色のスイングドアで、通りから見ると、タバコやライターや、モデルガンやプラモデルなどが雑然と、そして所狭しと並んでいる店であった。そしてマジック用品も扱っていたのである。

伯父からもらったおこずかいを握りしめて、すぐにこの店に買いに行ったものだった。

未だに、札幌に行って狸小路を通ると、懐かしくなって、買いもしないのに、ついついこの店に入って商品を眺めていたものだった。

その懐かしい店が閉店すると云う。後継者である次男が昨年50歳という若さで急逝したのがキッカケらしい。

またひとつ名物店が減ってしまう。狸小路の店も昔とは随分と様変わりしてしまった。

時代の流れと共に商売というものはドンドンと変化するから、ノスタルジーだけでは商売にならないのだろう。しかし何だか自分の子供の頃の思い出が減ってしまうようでとても寂しい気がした記事であった。


■2014-12-09-Tuesday 坂本勝玉堂

2014年12月8日付十勝毎日新聞「論壇」掲載文

「坂本勝玉堂と十勝石」

帯広開拓の始まりを「晩成社」が入った1883(明治16)年とすると、来年で132年。

わが社の前身「坂本勝玉堂(しょうぎょくどう)」は祖父の勝(かつ)(1886—1953)が池田町利別で創業して111年、帯広に移ってからは110年になる。

勝の生家は山梨県北巨摩。農業を営んでいたが、水晶加工や印鑑を彫る技術習得のために甲府に通っていた。ある時、その店に北海道から藁筵(わらむしろ)いっぱいに入った黒曜石が届いた。石器に使われた石だ。

「北海道の十勝という所には、この石がゴロゴロとそこら辺りに転がっている」。その話を聞き、1901年に十勝に下見に入った。

生まれ育ったのは山間の村。十勝平野の広大さに心を奪われ、自分の名前が入った地名に縁を感じて移住を決断した。

最初に入ったのは川の合流点で栄えていた池田町利別。1906年末の人口は利別(凋寒村)7165人、帯広4249人。

同郷の金物屋「カネヨ佐藤喜与丸商店」に寄宿の約束を取り付け、いったん山梨に戻り、2年後に移住した。1904年、18歳で中川郡凋寒村字利別太大通に印判店「坂本勝玉堂」を開業した。

翌05年の鉄道釧路線の帯広開通に合わせ、当時の帯広町西2南4に店舗を移転、印鑑以外にも十勝石細工品の商売も始めた。

黒曜石は欠けやすく、印材としては不適格。そこで達磨(だるま)、風鎮、硯(すずり)などに加工し、全国各地に出向いては十勝石の普及に努めた。

「十勝達磨」は勝が考案した。「十勝」は全勝に通じ、達磨は「七転び八起」。2つの良い意味が重なり合うと考えた。

自然石をそのまま使い、達磨の顔を彫った素朴な置物だが、当時の大ヒット商品になった。売れる物には”ニセモノ”が出回るのは昔からの常。十勝達磨にはニセモノが氾濫したため、当時としては珍しい商標登録を行なったが効果はなかった。

「十勝達磨」は自然物で作った玩具として、山口県の「岩国石人形」、鹿児島県「鈴懸け馬」とともに「日本三大珍品玩具」に指定された。

皇太子(後の大正天皇)が1911年9月に行啓された折、お買い求めになった十勝石細工品の硯2面、兎文鎮2個を謹製したのも勝である

1924年ごろに前河西支庁長、諏訪鹿三の住宅があった西2南9の土地を購入。1925年に借家住まいに決別し、石造り2階建てのモダンな店舗を建てて移転した。十勝石細工、印鑑、カレンダー、団扇、タオルなどを手掛けた。印鑑部門では内弟子を育て、高田東洋堂・斉藤有巧堂・石原印房などが坂本勝玉堂から巣立っていった。


■2014-12-10-Wednesday 補足

8日の勝毎「論壇」に載った「坂本勝玉堂と十勝石」

を読んだ読者の方々数名から電話を頂いた。「イヤァ〜とても懐かしくなって」と言う祖父を知っている方や「いつもの貴方の文章とは一寸違っていて時系列を追っただけの文章だったが、でも面白かったよ」など等である。

祖父を実際に知っている方からは「おじいさんの本名は『まさる』と呼ぶのかと思っていたよ」との指摘もあった。

古い戸籍謄本には名前にふりがなが入っていないから、本当の本名の読み方までは分からないが、祖父が『かつ』と呼ばれることを望んでいたという祖母の言から採用したものだ。通称は『かつ』で通っていたからまぁこれで良いだろう。

110年の歴史を「論壇」の字数制限の1000字で書くのは、そもそも無理がある。たった1000字と云う字数では、時系列を辿って書くくらいしか出来ないから、面白いエピソードがたくさんあるのに、それを入れる字数の余裕がないので、結果的につまらない文章になってしまったと反省している。

来年4月中旬発刊を目指して、現在編集中の「創業111年記念誌」の中に詳しく書く予定なのでそれを楽しみにしてもらいたいと伝えておいたが、その他の読者の為にここで若干の補足をしておこう。

祖父の勝(かつ)が帯広に入ったのは、依田勉三の晩成社から遅れること、わずか22年でしかない。

依田勉三が入植した当時は一面の柏林であったろうから、人などほとんど居なかったであろう。勉三の入植から23年後でも帯広町の人口は4249人にしか過ぎない。祖父はこの子供も含めての4249人を相手にして印鑑が一体どれくらい売れると判断したのであろうか?当時の帯広でハンコは必需品だったのだろうか?

農業なら自給自足を目指すということもあるだろうから、自分で作った農作物を自分で食べて凌ぐことができるが、ハンコは腹の足しにはならない。ハンコ屋でハンコが売れなければ一体どうやって生活するつもりだったのか。単に無謀なだけであったのか、それとも夢想家だったのだろうか?

私が大学を卒業してすぐに、父と二人で山梨の祖父の生家を探し当てて訪ねたことがあった。坂本本家の一人息子であった祖父が北海道に行ってしまったから、祖父の両親は仕方なく分家の坂本家から養子を取ったのである。その坂本家は現在でも農業をして続いている。

訪ねた当時、その養子に入った人は既に故人であったが、その妻が存命であった。その人が言うには、祖父は十勝への移住資金にする為に、実家の田畑を勝手に売り払って行ったトンデモナイ奴だと言う。

残された両親と夫は土地が少なくなってとても苦労したのだそうだ。

どうやら祖父はさすがに土地を全部は売らなかったようであるが・・・。祖父がどれくらいの土地を売って、どれくらいの金を得たのかは分からないが、ハンコが売れなくても生活出来る金額を懐にして来たのであろうなぁ〜。そうでなければハンコ屋で十勝で生計を立てようなんて無茶そのものであるからだ。

まぁ、立場が違えば見方も変わるということにしておこう。父は恐縮して祖父が掛けた迷惑料として、いくばくかの金銭を置いてきたのだった。

明治の30年代に売り払う土地があったということは小作農家ではなかったということであろう。本家の坂本家の近所にはずらりと坂本姓の家があったが、本家の家紋は「左三つ巴」で、分家の坂本家の家紋は「右三つ巴」なのである。祖父はこういう堅苦しい古い風習などが残っているところが嫌だったのかもしれないなぁ〜。自分の名前が入った広大な土地に魅了され、十勝に新しい可能性を感じたのだろう。

そんな祖父が居たから、現在の私が居る。私も祖父のDNAを受け継いでいるから、時々大胆なことをやるのかもしれない。人間とは面白いものであることよ。


■2014-12-11-Thursday 地方消滅

元岩手県知事で、元総務大臣の増田寛也氏が

代表を務める日本創生会議が、2040年までに日本の地方自治体の内、896の自治体が消滅する可能性があると発表して話題になったが・・・。

消滅させない為には智恵を使わなければならないとのことだが、帯広はどうなんだろうか?

帯広市は消滅する自治体にはなっていないようだが、安閑としてはいられない状態であろうと思う。

智恵を使うと云う部分ではかなりアヤシイからだ。

帯広市内でも商店街は、店がドンドン減ってシャッター通りへとなっている。商店会の構成員が減れば、当然ながら活動資金も減るわけである。

寒冷地である帯広の商店会は温かい地域の商店会とは違って、ロードヒーティングをしているから結構な金額の電気代が掛かる。その電気代が11月から極端な値上がりをした。

このランニングコストがこれからは相当に嵩むであろう。雪が降らないことを願おう。

電気代と云えば更に街灯などの電気代だって掛かる。

電球をLEDに替えるだけでかなりの節電が出来るであろうが、LED電球は普通の電球と比べると値段がかなり高いから、イニシャルコストとランニングコストを比較して、何年で元が取れるかの計算が必要になるだろう。

中心街活性化の活動も、この何十年間、メンバーが入れ替わる度に、市民へのアンケート調査や意見交換会などを繰り返しているばかりで、ちっとも具体的な活動には進んでいかない。

もういい加減に市民に意見ばかり聞いていないで、少しは先に進めたらどうなんだ!

今度の選挙では、北海道11区の候補者は3人共TPPには反対しているようだが、自民党が圧勝したら党の中央ではTPPはあっさりと批准することになるだろう。そうなったら十勝の農業もかなりの影響を受けること必至であろうに・・・。

そうなった時の為に、今から色々なことを準備しておかなければいけないのじゃぁないのか!

十勝の人はのんびりしているのか、お人好しなのか、それとも・・・。


■2014-12-12-Friday コレクターの悲哀

マジック博物館の開館に向けて

作業に入ったが、先に開舘させてあるマジック図書館の蔵書のシリーズ物の内の何点かが不足していて完全ではない。

私の性格上、完全を目指したいので、未だにネットオークションで「手品」「奇術」「魔術」「マジック」「マジシャン」「松旭斎」「天一」「天勝」などの項目でチェックをしているのだが・・・。

これをやっていると結構な時間が掛かってしまうから、マジック博物館の作業の時間が喰われてしまう。製作作業に集中したいので一計を案じた。

ネット上の「マジック関係書籍」のオークションでいつも競合するライバルが全国に5人ほど居る。

この内の一人に、「○○、××、△△などの本を探している。余分に持っていたら分けてもらえないか?」という持っていない本のリストをメールで送ったら、すぐに携帯に電話が入った。

このマジック資料収集のライバルさんは、私と同年代で面識もあるし、お互いのコレクションを見せ合ってもいるのだ。

このライバルさん曰く「最近、集めるのが虚しく感じる様になって来た。自分が死んだら、手品に興味がない家族は、この膨大で貴重なコレクションをゴミとして捨ててしまうかもしれない」

「誰か若い人に全部を一度に売ってしまおうかとも思ったが、最近の若い人は本を読まないので誰も買わない」

「ライバル達は皆同じような年代だし、ほとんどの本を持っているから、全部はいらないので必要な本だけ売ってくれと言う」

「一部だけを売ってしまうと、価値が下がるから余分に2冊持っていれば売るけど、そうじゃなければ売れない」

「誰か金持ちで、今からマジック本の収集を始めるというような人を見つけて売りたい」

「テレビの「開運!何でも鑑定団」に出てくるような骨董品の愛好家なら大勢居るが、マジック愛好家は絶対数が少ないし、更にその少ない愛好家の中で本を集めている人はもっと少ないから買う人は居ない」

「これまで収集に使った本当の金額はとても妻には言えない。安かったと言えば、じゃぁ捨てたら?となるし、高かったと言えばバカじゃないのとなる」

「自宅が狭くて置き場所がない」など等である。

確かに、彼の言う通り、世の中のコレクターの辿る道は似た様なものである。もっと愛好家の人数が多い趣味にすれば良かったかも・・・。

私のコレクションも果たして後世に残せるのかどうか、それは家族次第ということになろう。


■2014-12-13-Saturday JCの例会

帯広青年会議所(JC)の12月例会への出席要請が来た。

今年度のJCOB会の会長を務めているから、現役の今年度最後の例会にも出席して欲しいということなのだろう。

案内には「活動報告例会」と書いてあるので、私は「卒業会員卓話」の例会なのだと思い込んでしまったのである。

「卒業会員卓話」の例会というのは、40歳で卒業する会員が、JCでの思い出や活動内容を3分間スピーチで話すという例会で、毎年12月に開催されている。

「活動報告例会」という名称から、すっかりそう思い込んでしまったのだ。

私達が現役の頃の「卒業会員卓話」は卒業会員数が30名前後も居て、人数が多かったし、3分間スピーチとは云ってもほとんどの卒業会員が思い入れが深いものだから当然時間をオーバーしてしまう。中には20分間も話す豪の者が居たりして、やたらと時間が掛かる例会であった。

それでも、自分と一緒に活動してきた卒業会員の話を聞くのは為になったし、卓話には卒業会員の人間性が現われて面白い例会でもあった。

今年の卒業会員は14名であるから、一人5分間としても70分間以上は優に掛かるであろう。だから17:30からという早い時間からの例会なのだと思っていた。

私は卒業してから既に16年も経っている。現役の活動内容も詳しくは知らないし、一緒に活動している訳ではないからきっと眠たくなる例会になるだろうなぁと覚悟していたのだった。

かなり気が重い状態で会場に着いたら・・・。

どうも雰囲気が違う。どうやら卒業会員を送りだす「サヨナラパーティ」の様である。例会の名称が我々が現役の頃とは変わったらしい。

我々が現役の頃の「サヨナラパーティ」は相当に顰蹙をかうような内容のドンチャン騒ぎであった。いつ頃から始まったのかは知らないが、誰かがビール掛けをする様になって、会場がビール臭くなってしまったのだ。

この12月は宴会のカキイレドキである。JCのサヨナラパーティに会場を貸すと、絨毯はビールでビチャビチャになるし、臭いも取れないから翌日の貸し館に影響を与えるから、会場側からJCのサヨナラパーティには会場を貸さないと締め出されたこともあるほどだ。

ひょっとすると「JCサヨナラパーティ」と云う名称だと、どこの会場も貸してくれなくなったから「活動報告例会」なんていう名称に変更したのかもしれないなぁ〜。

今の現役は大人しいから、悪名高きビール掛けも無くなっているようである。現役会員の人数も3分の1に減っているから、その分エネルギーも小さいようだ。

久し振りにサヨナラパーティに出席してみて、懐かしさも感じたし、現役時代のことを思い出して、楽しいひとときを過ごすことが出来たのであった。


■2014-12-14-Sunday 日曜日

迷惑な師走の選挙の投票日である。

足の悪い84歳の母が「選挙に行かないかな」と云うのを「車で行くから一緒に行こう」と誘って9時に投票に行った。

今回の選挙は投票率がかなり悪そうだから、投票所も空いているのかと思ったのだが、案外と大勢の人が投票に来ていた。

比例代表の投票用紙を受け取ると、一番最初の欄に「支持政党なし」と云う欄がある。

あぁ、今回からは「支持政党なし」と云う欄を新たに設けたのだなと思ったら・・・。

よくよく見たら「支持政党なし」と云う「党名」で届け出をした人が居たようなのである。しかも何と一番最初の欄にあるのである。

どこか途中の中ほどの欄なら、「政党名」なんだとまだしも気が付き易いだろうが、一番最初の欄にあるのがミソであった。この位置なら「支持政党なし」の人が間違って書いてしまう可能性が増えるであろう。

私は、もちろん事前に気が付いたので自分の支持する政党を書いて投票したが、これでは、まるで「手品師」のやり方みたいな巧みな騙しの技法である。

投票し終わってから、妻と「よく選管がこの党名で受け付けたもんだね」「上手い事考えたもんだけど、でもこれは今後問題になるんじゃぁないだろうか」と笑いながら話したのであった。

母を投票所から自宅に送って、その後、妻と二人で帯広美術館にムーミンの作者であるトーべ・ヤンソン展を観に行った。

「ネェ〜ムーミン、こっち向いて〜」という唄は何度か聞いたことがあるが、「ムーミン」の漫画はまだ見たことがない。どうにもトロ〜イ漫画のような気がして、これまで見る気がしなかったのである。

妻はそのトロさというかノンビリさが良いのだと言うのだが・・・。

観に行くと妻が「貴方は腹が出ていて短足だから何だかムーミンパパの体型にそっくりだ」と笑いだす。何て失礼な!

美術館には子ども連れの親子が大勢来ていたし、グッズ売り場ではムーミングッズの売れ行きも良いようである。日本のマンがには少ない、このホンワカとした雰囲気が、この世知辛い世の中を癒すようで受けるのかもしれないなぁ。


■2014-12-15-Monday 選挙結果

今朝の道新で最終の結果を見たら・・・、

昨日の選挙の結果で与党が勝つことは事前に分かっていたから、マジシャンとして「支持政党なし」の結果がものすごく気になった。

「支持政党なし党」は北海道内で104、854票を獲得していた。

「幸福実現党」は12、267票、「社民党」は53、604票、「次世代の党」38、342票で、いわゆる諸派と言われる中では一番多くの得票数である。

全国的な政党である「維新の党」の北海道での得票数が247、342票で、この「維新の党」に次ぐ得票数であったのだから、これは、やはり相当の人達が間違って投票したのではなかろうかと思われる。

北海道以外の選挙区にはこの「支持政党なし党」の名称が出て来ないから、おそらく北海道だけでの登録だったのだろうが、これが、もしも全国の全ての選挙区で登録していたとしたら、5〜6人は比例代表の当選者を出していたかもしれない。

最終的に「支持政党なし党」からは当選者が出なかったからなのか、前日の選挙速報でも、誰もこのことを問題にしている人は居なかったようである。

だが、私は、この「党名」で受け付けた北海道の選管にも問題があると思うが、そもそも選挙に、この「ダマシ」的手法を使うのはよろしくないなぁ〜と思う。

以前に鈴木宗男が同姓同名の候補者を立てた時にも選挙を愚弄する行為だと批判したが、まぁ、この世の中には同姓同名が大勢居るのは事実だから、たまたまだったと言う言い逃れもまだきくであろう。

しかし、これは明らかに有権者の錯誤を狙った行為(若しくは誘う行為)で、もしも、最初から人を騙す意図でやったんなら「詐欺」的行為であろうとも思う。

全国には波及していないようだし、当選者を出さなかったからさほど問題にはされていない様だが、私は、これは大問題であると思う。

さて、選挙結果は・・・。

戦前の予想では自民が単独で300議席超なんてことを言っていたが、さすがにそれはなかった。しかし、5名減らして290議席。公明は4議席増やして35議席。与党が3分の2以上を獲得したから、参院で否決された法案を衆院で再可決できる安定的な基盤を獲得したことになる。

野党は、民主党は11増やし、共産党は13も増やした。次世代の党が18も減らしたのは、「次世代の党」と言いながら年寄りばかりの候補者擁立に「次世代の党」ならぬ「次世代には渡さぬ党」だと思われてしまったのではないだろうか。

私は、安倍政権発足時の最初から自国の通貨の価値を下げて喜ぶアベノミクスは理解できないと言ってきたが、野党が説得力のある対案を出せないで批判ばかりしているから、希望は少なくても一縷の望みを掛けて消極的にアベノミクスに期待するしかないような状況になっているのではなかろうか。

第二次世界大戦後の最低の投票率52.36%で、安倍自民党にこれだけの強権を与えた日本国民は、おそらく深くは考えていないのであろう。

2015年は暗〜い年になりそうな気がする。


■2014-12-16-Tuesday 選挙結果2

大物と云われる人が随分と落ちた。

象徴的だったのが、何と云っても野党第一党、民主党党首の海江田万里の落選である。選挙区で落選し、比例復活もならなかった。

東京のような大都市での選挙は、地方の選挙とは違ってドップリとした地域密着型選挙が出来ないから候補者は毎度毎度大変であろうなぁ。

その点で、疑惑の最中にあった小渕優子が圧倒的な勝利を挙げた群馬5区とは対照的であった。

しかし、小渕優子はこれからの捜査によっては、連座制で議員失職する可能性もあるから、そうなるとこの圧勝がかえって群馬の足かせになることもあるだろう。「人間万事塞翁が馬」であるから、果たしてこの結果が小渕優子にとって吉となるのか凶となるのか・・・。

疑惑で落選といえば、もう一人、渡辺喜美が居た。この人の選挙前の行動はまるで理解が出来なかった。

自ら自分が作った「みんなの党」を崩壊させる方向に動き、結果、自身も無所属となって比例には登録をできなくしたのはまるで理解不能である。

離婚したとかしないとかよく分からない関係の(元?)妻が一緒に選挙戦を戦ったりして、これまた人間関係もよく分からない。栃木3区は父親時代からの「渡辺王国」だから自分の選挙は安泰だとでも思っていたのだろうか?

蹴落としたはずの元党首の浅尾慶一郎が神奈川4区の選挙区で無所属で楽々当選したのとは対照的であった。

栃木3区の有権者は、まだ群馬5区の有権者よりもまともな判断を下したということであろう。

私が住んでいる北海道11区も、これからが大変であろう。

中川郁子が自民党で当選したが、「TPPには絶対反対で十勝をTPPから守る」と訴えて当選した。しかし、安倍内閣はTPPを推進するであろうことはミエミエである。

自身の選挙公約と自民党の政策とがまるで反対の立場になった場合に、彼女は果たしてどう動くのだろうか?

守ろうと努力してみたけど、ダメでしたで済ませるのだろうか?

安倍内閣は今回の選挙は「アベノミクスの信任」と言っていたが、今回の圧勝で、集団的自衛権やTPPなど、全ての政策の信任を受けたと言い出すであろう。これから安倍の大暴走が始まる気配が濃厚である。

安倍晋三の幼児性の性格が恐ろしいことになるような気がする。


■2014-12-17-Wednesday 爆弾低気圧

台風並みの爆弾低気圧が

昨日16日から北海道を襲った。

昨夜の会社帰りの時から既に雪が10㎝ほど積もっていたので、夕食前に車庫の前から家の前の歩道、玄関前から裏の母の家との通路を幅一杯に全部キレイに除雪をしたが・・・。

雪は軽かったので、除雪はまだ楽な方の作業であったが、何せ除雪する面積が広過ぎるのだ。おまけに、雪の降り方がとても激しくて、除雪するそばからドンドンと積もっていく。最初に除雪した場所が、他の場所を除雪している内にまた4〜5㎝ほども積もっている。

就寝前に3度の除雪をやったが、雪の降り方は激しさを増しているようだ。いつまでやってもラチがあかないので、明日の早朝に早起きして除雪することにした。

朝、目覚めてカーテンを開けたら・・・。

何と、昨晩キレイに除雪した場所に40㎝位の積雪があるのだ。

ニュースでは帯広市内は60㎝の積雪があったという。帯広空港では73㎝も積もったという。帯広が北海道で一番の降雪量だった。何も一度にこんなに降らなくても良いのに・・・。

ベランダから庭に出る家の南側横にある出入口の前に、2階の屋根から落ちて来た雪が積み上がって、出入口を完全に塞いでしまっている。

屋根から落ちて来た雪は固く締まっているのでとても重たいが、まずは、ここを除雪しなければ外に出られないのだ。

昨夜の内にキレイに除雪しておいたのは、ほとんど無意味であった。

これだけの量が一度に降ったらキレイに幅広く除雪することは体力的にもう無理だ。

まずはライフラインの確保として外に繋がる通路を人一人分が通れる幅だけ除雪を始めた。しかし、この幅でも距離が長いからかなり大変な作業になった。

母の家との通路や母の家の前の通路をまず開けておかなければ、年老いた母に何かあったら困るのでまずはここを除雪しておかなければならない。

6〜9時まで除雪して、何とかライフラインだけは確保した

会社に電話したら、会社の前の歩道のロードヒーティングが効いていないという。積雪量があまりにも多過ぎて、積もった雪の下側(ロードヒーティングに接している面)だけしか融かすことが出来ないで、まるで機能しておらず、ほとんど融けていない状態だという。

ビルの裏の駐車場も積雪量が多過ぎて融雪機(温水で融雪して下水に流す機械)の機能が追い付かずに除雪が進んでいなくて、まだ雪がかなり残っているという。

社員は「私が会社に行って除雪を手伝っても、問題は人手ではなく、機械の処理能力の問題だから自宅の除雪をしていてください」というので14時まで自宅の除雪をしていた。

自宅前の道路に除雪車が来ないので、車庫の前の道路は雪が積もったままだ。市役所の除雪担当者は一体何をやっているのだろう。このままでは車庫から車を出せても、車道を通ることができない。

何とか車を出して、会社に行って除雪作業を手伝ったが・・・。

市内の幹線道路であるはずの西3条通りにも除雪車が入っていない。車の腹を路面の雪にこすりながら、轍にハンドルを取られながらガタガタの道を走るしかない。これはヒドイ状態である。

きっと市役所には苦情の電話が殺到していることであろう。

雪が全く無くても困るものだが、1日で60㎝もの量が降られては街の機能がマヒしてしまう。12月にこれだけの量の雪が積もったのは記憶にない。

腰も足も腕も筋肉がパンパンであるが、この雪では温泉に行くのも躊躇しなぁ〜。

為政者の行ないが悪いと天変地異が続くと言うから・・・。


■2014-12-18-Thursday 暴走

選挙が終わった途端に・・・。

福井県の関西電力高浜原発の安全対策が新規制基準を満たしていると、原子力規制委員会は17日の定例会合で認めた。これにより、まだ地元の同意が必要ではあるが、ほぼ来春の再稼働が事実上決まったことになる。

そもそも、安全か危険かと云う議論はナンセンスである。現代科学で処理できない核のゴミをこれ以上増やしてどうするつもりなのかということが問題なのである。論点を変えるな!

先の選挙は「アベノミクスの是非」を問うだけの選挙であったはずが、安倍首相はまるで全ての事に白紙委任状を与えられたかのようなつもりになっているようだ。

そのアベノミクスが頼りにしている「円安政策」も急に様相がアヤシクなってきた。ロシアルーブルの急落により、世界的に安全と思われている日本円が買われ、円高になっているからだ。

世界経済は「風が吹けば桶屋が儲かる」ばりの複雑な流れになっていて、まずは

①アメリカがシェールオイルを量産し出した。

②シェールオイルは産出するのに経費が掛かる。

③ある程度石油価格が高騰していればペイするが安いと採算が合わなくなる。

④シェールオイルに危機感を持った中東の石油産油国のOPECがシェールオイルが採算割れをするように石油価格を下げた。

⑤ロシアも石油などのエネルギー関連の輸出国である。

⑥アメリカはウクライナ情勢の制裁でロシア経済を締め付けている。

⑦石油価格が下がるとロシアのルーブルへの不安からルーブル安になる。

⑧安全性が高そうなアメリカ国債や日本円が買われる。

⑨円高になるとアベノミクスの円安政策が上手く機能しない。

てなことなのだ。

もはや、世界経済は一国の単独の政策でどうにかなるような状況にはない事は明らかだ。

そもそも、自国の通貨価値が下落して喜ぶ国がどこにあるというのだろうか。日本のアベノミクスは根本的に間違っていると思うのである。

間違った経済政策を進め、核のゴミを増やす原発を再稼働させ、自然エネルギーの買い上げは止める。

安倍首相は日本を一体どうしようというのだろうか?こんな自民党を選んだのが、他ならぬ日本国民自身なのだから、アホというしかないが・・・。


■2014-12-19-Friday 晩酌

義父の家に広尾から毛ガニが沢山届いた。

私の家と義父の家は40mほどしか離れていない同じ町内にあるので、おすそ分けに2匹をもらった。

小振りではあるが身も詰まっているし、何より蟹ミソが上手い。

この日の夕食のおかずは、湯豆腐、焼餃子であるが、なぜだか準備の良いことにザーサイや松前漬まで買ってある。これらの料理が目の前に並んだら・・・。

私は普段は晩酌はやらない。寝酒専門である。夕食を食べ終わった後に温泉銭湯に運転していくからだが、今晩は道路の除雪状況もまだ悪いので、今晩は温泉銭湯に行かずに自宅の風呂に入ることにした。

寝酒もここ2年間は痛風の発作が恐いので黒糖焼酎にしている。ビールや日本酒はほとんど飲まないのだ。

だが、これらの料理を前にしたら急に日本酒の燗酒で一杯やりたくなってしまったのである。

特に蟹ミソを舐めながら日本酒を飲んだら、もう最高である。料理を食べながら飲むには何と云っても日本酒が一番だ。

蟹はあらかじめ身をほぐして食べ易くしてあるから、酒のつまみにはなるが、これだけではご飯のおかずにはならない。

酒を飲み終わった後に、糠漬けの漬け物だけでご飯を食べるのも何だか寂しいなぁと思って、フッと「そうだ!長万部の駅弁、カニ飯弁当もどきを作ろう!」と思い立ったのであった。

夕食前のわずかな時間で、「邪魔だ!」と云う妻の横で「干しシイタケ」を熱湯で戻して甘辛く味付けし、冷蔵庫の中にあった「ガリ(生姜の甘酢漬け)」を微塵切りにした。日本酒とガリの汁と椎茸の戻し汁と醤油などでタレを作り、ほぐしたカニの身と生姜と椎茸を混ぜると出来あがりである。

チャッチャッと手早く作るのが男の料理ってもんである。とても美味しそうに出来たので、先にご飯を食べている妻と母にも分けてあげたのだが、とても美味しいと評判が良かったのであった。

私は久し振りにゆっくりと晩酌をしながら、お酒とおかずを楽しんでから、最後の締めに、このカニ飯を食べて夕食を終えたのであった。

やっぱり晩酌は良いなぁ〜。これからは時々晩酌をすることにしよう。


■2014-12-20-Saturday マジック忘年会

以前このブログに、

帯広に、転勤族で腕の良いアマチュアマジシャンが3人揃ったということを書いた。

それぞれの職業は自衛隊員、銀行マン、生保マンで、全国各地を転勤で移動しているのだが、今年、偶然にも帯広に転勤になったのである。

おおよそ2〜3年で転勤になると云うが、いつまた会社の命令で転勤することになるかは分からないと云う。

PCの機械操作は、私の不得意分野であるからあまり見ないのであるが、ネット上のYOUTUBEでそれぞれ映像を発信している人達で、オリジナルのマジックを創作している人達でもある。

それぞれに芸名(?)を持って活動していて、ミスター。セリックさん、スペンサー・トリックスさん、まじまじしゃんさんと名乗っているが全員純粋な日本人である。

3人ともマジックを頻繁に披露する機会が多くて、ほとんどプロの状態に近いいわゆるセミプロという感じである。

現在の職業を辞めても、マジックを本業に出来るレベルの腕前なのである。

マジックは、他人に見せる回数が多いほど上達をするものだ。観客のそれぞれに異なる反応に、的確に対応していくことで腕が磨かれていくのだ。

私の様に「昔取った杵柄」と云うタイプは、本格的なマジックを披露する機会も少なく、せいぜいが自分一人で鏡を見ながらの練習でしかないので、観客への対応の勘が著しく鈍っている。上手く見せられないから、改めて披露することが億劫になってきて、ますます人前で演じなくなってしまうと、今度は腕が鈍ってくるのである。

そんな中で、現役で活躍しているマジシャンと一緒に居てマジックを見せてもらうと云うのは、とても刺激になるし、楽しいことなのである。

今年7月末に4人が初めて集合して飲んだ時以来、単独で会うことはあっても、4人全員が揃ったことがなかったので、4人でマジック忘年会をやろうよと呼び掛けたのであった。

今年の12月初旬は選挙、先日は爆弾低気圧の来襲で一晩で60㎝の大雪などがあったから、繁華街は閑古鳥が鳴いていた。

それを取り戻すべく、この週末の金曜日と土曜日が、一番の稼ぎ時であろう。特に19日の金曜日は、それぞれの昼間の仕事の会社の忘年会が入っていてスケジュールが合わない。

ようやく20日土曜日の18時からと云う時間帯を決めたのだが、今度は会場がどこも満杯なのである。

それぞれが最低3つのマジックを披露し合おうと決めたから、ある程度の広さが必要になる。一般のお客さんと同席してしまうと、タネが見えてしまったり、他のお客さんに余計な気を使ってしまうので、個室がベストであるが、個室のある飲食店の空きは皆無である。

帯広市内の飲食店を軒並み当たってみたが、どこも満杯で取れなかった。大家のお願いとして、自社ビル内の居酒屋に頼みこんで5人掛けの席を何とか確保してもらったのであった。

前日に、妻とまじまじしゃんさんの奥さんが参加することになり、狭くてマジックを披露する空間が無くなってしまったのである。

とりあえず、この居酒屋で飲食をして、製作途中の3階のマジック博物館と6階のマジック図書館を観てもらい、そこでしばらく遊んでから、マジシャンの溜まり場のバーに6人で向かった。

ここで0時までそれぞれのマジックを楽しみながら、マジック談義に花が咲いたのであった。実に楽しい夜であった。


■2014-12-21-Sunday くるみ割り人形

昨晩のマジック忘年会が楽しくて

ついつい酒をたくさん飲んでしまった。

飲んでいる内に雨が降ったようで、その後、雪に変わって、しかも気温が下がった為に路面がスケートリンクの様にツルツルに凍ってしまっている。

厚い氷ならツルハシで割って除去できるが、今日の氷は薄〜く路面に張り付いていて除去不能の状態だ。こんな日は事故が多発する。

自動車のタイヤも横滑りするし、16日に降った60㎝の大雪は、まだ道路から除去されていない。特に歩道の除雪がまったくと云っていいほど進んでいないから、人間は歩いて移動するのが難しい状態である。

今日は、15時から帯広市民文化大ホールで帯広市民によるバレエ「くるみ割り人形」のお披露目である。バレエの出演者も、音楽を演奏する交響楽団も、帯広市民が中心(一部のゲストを招く)で構成されている。

私は、こういった素人の芸事はあまり見たくはないのだが、バレエの中でマジックを演じる場面があって、そのマジックの指導と道具の貸与をしたことで、招待券を頂いたのだ。

教えたマジックが上手く演じられるのかは見たかったし、昔、我が家の娘が習っていたバレエ教室の生徒さん達が多数出演するので、妻が楽しみにしていたので行くことにした。

道路事情が悪いから、観客はほとんどが自家用車で行くだろう。そうなると駐車場が混むであろうことが予想されたので、自宅から徒歩で行くことにした。自宅から会場までは距離にしてわずか500mも離れていないが、なにせ路面がツルツルである、何度も滑って転びそうになりながら到着をしたのであった。

会場では見知った顔の人達が多くて随分と挨拶を交わしたが、皆、帯広で文化活動を熱心に行なっている方々である。この方々の献身的な活動によって帯広の文化レベルが保たれている。日本各地の地方都市では、今回の様な市民による演劇などが、よく開催されているが、ほとんどが学芸会に毛の生えたようなレベルであると思う。

今回のバレエ「くるみ割り人形」のレベルはかなりのものであった。帯広交響楽団の演奏もしっかりとした音を出していたので感心した。相当真剣に練習を重ねたことが窺える。

こう云う発表会と云うのは、誰か熱心な指導者に引っ張られてレベルが上がっていく。指導者が素晴らしいと、内容もそれに伴って素晴らしくなっていくのだ。

その点では帯広のレベルは相当に高いと感じた。

私が指導したマジックも、演技の中ではほんの一瞬のことでしかないが、上手く演じてくれたのでホッとした。自分が関わっているんだという意識を持つ人を何人も作り出し、関心を持ってもらうことが、多くの市民を巻き込む活動になり、成功にもつながっていく。

この日の観客も、出演者達の家族などが多いのだろう。この手のモノは、最初は自己満足に過ぎ無くても、回数を重ねることで段々とレベルが上がっていくものだ。経費も労力も時間も掛かるが、大切なことである。今後も頑張ってもらいたいと思う。


■2014-12-22-Monday 町内会

自宅で所属している町内会の

役員会が19時から、会長宅で開催された。

私は、副会長職を仰せつかっているので出席してきた。

会長宅と私の自宅は150mくらいしか離れていないのだが、歩道の除雪がキチンとされていないし、先日の夜中に降った雨でツルツルの状態である。

おまけに、この町内のある場所は、元々が高台にある為に、宅地の方が車道よりも1mほど高くなっている。その為、宅地と車道の間にある歩道はほとんどが斜めに30度ほどの坂になっているのだ。だから、夏でも身体が斜めになって歩きにくいことこの上ないのに、冬道は凍って滑るから、尚の事、真っ直ぐに歩く事が出来ない。

会長宅に行く150mの間には数軒のラブホテルが立ち並んでいる。このラブホテルの前を通らないと会長宅には行けないのだが、このラブホテルの入り口も短い急な坂道になっている。

1台の車がラブホテルの入り口でスリップして中に入れない状態になっていた。

結構、急な角度の坂道なので、冬にはタイヤがスリップしてなかな入れずにいる車が多いのである。

ラブホテルに入る姿は他人には見られたくないのだろう。私が近づいていくと運転手は慌てて入ろうとして焦っているし、助手席の女性がこれまた慌てて顔を隠す姿がとても可笑しい。

自動車の後ろを押してあげようかなとも思ったのだが、逆に迷惑だろうなと思って止めておいた。

町内会の議題は来春の新年会の件である。

以前、まだ会員数が多くて構成員の年齢も若かった頃には、十勝川温泉に行って食事会をしたりもしたそうだが・・・。

町内会の構成員の平均年齢は恐らく75歳を超えているだろうと思われる。もはや温泉に出掛けていく元気もない様だ。ここ近年は近場の飲食店で昼食時に集まって、私のマジックやビンゴ大会などでお茶を濁してばかりいる。

今回も、近所の飲食店でやろうということで、会議は僅か15分足らずで終了した。あまりに会議時間が短いので、その後15分ほどは世間話をしてから解散。またツルツルの道を歩いて自宅に戻ったのであった。

凍った路面に慣れている私でも、暗い夜道では時々足を滑らせて転びそうになる。踏ん張りが効かない老人なら、間違いなくスッテンコロリといくところであろう。

これでは、老人は恐くて外に出られないだろう。骨折でもしようものなら、それがまさしく命取りになるからだ。

以前は、そんな道路状況でも自転車に乗っているスゴイ老人も居たものだが・・・。

これまでは、自分で自動車を運転出来る人は、まだ自動車での移動が出来たが、そういう人も年を取ると運転技術が段々アヤシクなる。凍った路面でスリップしたら即座の対応が難しいだろう。ましてや駐車している間に大雪でも降ってしまったら、雪に埋もれてしまった車を掘り出すことも出来まい。

帯広に暮らす老人は、ロードヒーティングが整った場所に集合して暮らさなければ、冬に外出することが難しくなるだろう。行政が先導する必要があると考える。


■2014-12-23-Tuesday 除雪

昨晩の町内会の帰りに

道路で滑ってかなりヒヤヒヤしたので、自宅の前の歩道で他人が滑って怪我でもされたら困ると思い、自宅前の道路の除雪をすることにした。

16日に1晩で60㎝もの大雪が降った。

例年、十勝の12月は雪が少ない。クリスマスまでに雪が降らずに、ホワイトクリスマスにならなかった年も多い。1月末〜3月末に掛けて雪が降るのが普通である。

12月中にこれだけの積雪量というのは記憶にない。

大雪が降った翌日の17日に除雪をしたのだが、60㎝も一遍に降られると除雪しようという気力が削がれる。とりあえず人間一人が通行できる幅だけ除雪をしておいたが、それでも結構大変な除雪作業であった。

まだ12月だというのに、人一人しか通れない幅の道では、1月以降に雪が降ったら、もう除雪を諦めるしかなくなってしまう。

やれる内に道幅を広げておくしかないのである。だから、今日は、早朝から一念発起して除雪をすることにしたのだ。

隣の家の人は、キレ〜イに完璧に除雪をしている。私が自宅の前の歩道の除雪を始めたら、家から出て来てジ〜ッと眺めている。無言で「お前もキレイに除雪しろよ!」とプレッシャーを掛けられている感じである。

こうなると意地でもキレイにしてやるゾと、アスファルトが見えるように除雪をしたのであった。

除雪の方法も、スノーダンプ等の押して除雪するタイプの器具が使えないのでスコップでやるしかない。一度に降った量が多いから路肩は小高い山状に積み上がっているので、その山の上に雪を投げ上げなければならないからだ。

それでも土曜日にサッと降った雨によって雪の表面がやや固まっているから、スコップを差し入れて、雪を30㎝角の角砂糖状に形成し、スコップに乗せて放り投げる。一度の作業で30㎝ずつ作業が進んで行くので、見る間にどんどんとキレイになっていく。こうなると作業はシンドイがやりがいが出て来るから不思議なものである。

午前中に2時間半かけて、玄関、車庫前、塀の前の歩道など人の出入りする場所の雪を除けて道幅を広げたのであった。

全身汗だくでシャツもジャージもビチャビチャである。シャワーをあびて一服したら、昼食後に母が買い物に行きたいと云う。

我が家の裏側にある母の住宅の前に車を付けたら、幅が狭くて母の車の乗り降りがとても不便そうである。

年末年始で忙しい時に、母に転ばれて骨折でもされたら大変である。

買い物から戻ってからの午後も2時間半、母の自宅前の除雪を行なった。最初は車1台分が停められれば良いと思って除雪したのだが、やっている内に面積を広くしていくことが段々と楽しくなってきて、結局は完璧にキレイにしたのであった。

1日で5時間も除雪したのは、久し振りである。両手とも握力がまるで無い状態だ。ジュースの口をひねろうとしたら右手の指が攣ってしまったほどである。

夕食を食べた後に、温泉銭湯に行って1時間以上も身体を温めてから帰ってきた。寝る前には全身に湿布薬をベタベタとたくさん貼って寝たのであった。


■2014-12-24-Wednesday 娘の帰郷

カナダに留学中の次女がクリスマスに戻ってきた。

帯広空港に迎えに行ったら、手荷物を持たずに出てくるから「アレッ、荷物は?」と聞いたら・・・。

羽田空港へ向かうリムジンバスで荷物のトラブルがあったと云う。

バスが羽田空港に向かう高速道路の途中で停車し、運転手が「坂本さま、いらっしゃいますか?」とアナウンスしたという。

「私が坂本ですが」と娘が答えると「荷物を積まずにバス乗り場に置き忘れて来た」と運転手が云う。

娘が「荷物を荷台に積むところはちゃんと確認してからバスに乗り込みましたよ」と答えたら・・・。

最後にバスに乗って来た外人の男性が、乗るバスを間違えたと直ぐに降りたのだが、その時にその外人男性の荷物と娘の荷物を一緒に降ろしたらしいのだ。

娘のトランクの色はピンク色だ。それを男性客のトランクと間違えるとは・・・。

外人男性は自分のトランクだけを持ってその場を去り、後には娘のトランクだけが乗り場にそのまま置いてけぼりになったらしい。

後続のバスが荷物を積み込む際に、持ち主不在の荷物があったので、無線で先発の運転手に連絡を入れて判明したということらしい。

運転手は後続のバスに積んで運ばせるからと云うが、他の乗客がイライラして「早く空港に向かへ」と云う。当然のことだろうが、運転手も何だか慌てているようだったという。

羽田空港には着いたが、後続のバスにはトランクは積んでいないという。このままトランクが届くのを待っていたら飛行機に乗り遅れてしまう。緊急に必要とするモノはトランクの中には入れていないから、自宅に宅配で送ってくださいと言って、バス会社の人に手配をしてもらい帯広に向かったのだそうだ。

帯広に到着して自宅に向かう車中で娘が妻に安着の電話した際に、事の顛末を妻にも話したら・・・。

妻が激怒して「会社の電話番号と担当者の名前を教えなさい」と云う。

空港から自宅に向かう途中にユニクロに寄って当座の着替えの下着を買い、次はコンビニに寄って軽食を買っている時に、妻から娘に電話が入った。

相手の会社はとても恐縮して、トランクを自宅に届けられるのには、まだ数日が掛かる。着替えの洋服代は負担しますから領収証をもらって買って下さいとのこと。しかし、娘は翌日には届くものと思って一日分の着替え用の下着しか買っていない。

数日掛かるなら下着だけではなく、上着の着替えも必要になる。

それにしても、クリスマスでいくら忙しいとは言っても、荷物を取り違えて降ろすとは間抜けな話である。家族へのクリスマスプレゼントもトランクの中であるというから、とんだクリスマス帰省になったことよ。


■2014-12-25-Thursday クリスマス

クリスマスだと云うのに・・・。

誰が設定したのか知らないが、今年度の帯広青年会議所OB会の引き継ぎ会を行なうと云う。

今年度の会長輩出年である昭和33年生まれと幹事長輩出年である昭和37年生まれ、それと次年度の34年、38年生まれの役員が集まって引き継ぎを行なうというのである。

今年度会長の私が出席しないわけにはいかない。

33年会のメンバーが経営するホテルに集まり19時から会合が始まった。

今年も後1週間足らずで終わる。これが会長として最後の仕事になるわけだ。

去年の今頃は、他のメンバーからは「会長と言っても、年4回の例会での挨拶と葬式への出席だけだから・・・」ということで軽い気持ちで引き受けたのだが・・・。

ところが、参加しなければいけない行事が結構あったのである。現役会員の例会などにも呼ばれるし、ゴールド会(70歳以上の会)の例会にも呼ばれる。葬式もOB会員のだけではなく、OB会員の家族の葬式にも列席しなければならないのだ。

ただ、今年はOB会員本人の死去は8月以降の偶数月(8・10・12月)にそれぞれ1名ずつの計3名しか亡くならなかったので、この点は助かったのだが・・・。

まぁ、何とかかんとかつつがなく終えることが出来たのは良かった。これにて私の会長としての全部の仕事が終了をしたのでホッとした。

会合の中で、前年度Ob会の女性の会長(昭和32年生まれ)がつい先日、郵便局の前の凍った路面で転倒し、足の骨を複雑骨折して数ヶ月の入院をすることになったと言う話を聞いた。

妻もつい先日、温泉銭湯に行く時に、自宅の車庫の前で運転席で待っている私の視界から突然にパッと消えた。マジシャンである私に人体消失のイリュージョンでも見せようというのでは勿論なく、凍った歩道の坂道で真後ろにスッテ〜ンとキレイに転んだのであった。

転ぶ時に、下手にあがいて手を着いたり、身体をひねったりすると骨折する事が多い、抵抗せずに素直に転ぶと意外と怪我をしないものである。

せいぜいが軽い打撲で済むのだが・・・。

前会長は、身体を庇おうとして捻ってしまったのかもしれない。

今年の12月は例年になく大雪が降り、しかもご丁寧な事にその後に雨まで降ったから、路面はツルツル状態である。

これからの年末年始にかけては、お酒を飲む機会も増えるから、おそらく酔っ払っての転倒による骨折事故が多発するであろう。私も気を付けなければいけないなぁ〜。この年齢で骨折すると直り難いというからなぁ〜。


■2014-12-26-Friday 会社の忘年会

26日は我が社の忘年会である。

自社ビル内にあるテナントさんの居酒屋「いろはにほへと」で開催した。かなり事前に予約を入れておいて良かった。当日は広い店がほとんど満席の状態である。

我が社の経理を担当してくれていた課長が今年の年末で退職するので、そのお別れ会も兼ねての忘年会だ。

前社長の父が平成4年に亡くなった後の平成8年の1月から勤めている。自衛隊に勤務していたので55歳の定年を12月に迎え、翌1月から我が社に入社してもらったのだ。

経理には素人であるが、前の経理課長も自衛隊出身者で経理には素人であった。前の経理課長は私の父と同じ年の生まれであったから、前社長の死去で会社を去ることを決めたのであろう。引き継ぎと指導を終えてから退職をすることになっていた。

もう一人の古参である管理課長は父よりも3歳年下であったが、昭和27年から我が社に勤めている古株である。何せ母が父と結婚したのが昭和29年であるから、母よりも長く我が社に居るのである。

お別れ会での経理課長の挨拶にもあったが、前社長が死去して、ようやく会社が落ち着いた平成8年1月、経理課長が入社したての時に我が社は海外に慰安旅行に出掛けたのである。

それまで前社長を支えてくれた社員にお礼がしたかったのであるが・・・。

入社半月の、まだ右も左も分からない者に、緊急の連絡先と仕事を伝えて、留守番役にしてその他の全員が出掛けたのだ。私達が留守にしていた4日間はドキドキの毎日で、トンデモナイ会社に勤めてしまったと思ったと云う。その後、我が社に18年間勤めてもらったから、今では笑い話でしかないが、当時は確かにそうであったことだろう。

経理もコンピュータでやるようになってきたから、経理課長の退職を機に我が社もこれからはコンピュータで行なうことにした。

妻の仕事がまた増えることになる。

妻は私にも経理をやらせようと思ったようだが、私は「税理士の娘なんだからそれぐれい出来るだろう。社長が細かい経理をみる会社はつぶれる。社長は大まかなドンブリ勘定で把握する方が良いのだ」という理屈をつけて妻に押しつけたのであった。

後は、妻が切れないようにするだけだ。


■2014-12-27-Saturday 息子の帰宅

カナダから帰宅した次女が熱を出した。

熱がひかないし、やけに咳込むので医者に行ったら・・・。

何とインフルエンザだという。

妻にもうつって咳込んでいるが、妻は予防注射を打っているので症状は軽いが、この暮れの忙しい時期に・・・。

潜伏期間を考えるとどうやらカナダで罹っていたようだ。

カナダに留学中だから日本の社会保険を利用できないので100%の治療代が掛かる。初診料やら検査料、薬代などで13000円も掛かった。保険の有難味がわかろうというものだ。

娘はどこにも遊びにも行けずにいるものだからそうとう不満が溜まっているようだが、妻は「帰宅してからの発病で良かったよ、カナダで一人でウンウン唸っていても誰も看病してくれないんでしょ?」と言ったら、娘曰くは「カナダは留学生だって学生は医療費は全額無料だ」と云う。そうなのか、カナダの方が日本よりも住み易いのかもしれないなぁ。

本州の企業に勤めている息子が夕方に帰宅した。

妻が夕食は作れないと云うので、母と息子と私の3人で「焼肉の五条園」に食べに行った。

帯広に戻って来ると、まずは焼肉が食べたいらしい。帯広の肉は安くて美味しいし、本州ではなかなか1人では焼肉屋に入ることも出来ないらしい。そういえば以前に帰宅した時よりも少し痩せているかもしれない。

若い男が1人で暮らしていると食生活が貧弱になりがちだ。

帯広で喰い溜めして帰れば良い。

食べ終わった後に、2人で温泉銭湯に行った。親子男同士で温泉に行って背中を流し合うというのもなかなか良いものである。


■2014-12-28-Sunday 年末前の休日

大晦日を控えての休日であるが、

妻と娘がインフルエンザに罹っている為に映画にも行けない。

正月用の買い物をしてきて欲しいというので、息子と2人で買い物に出掛けた。

昼食も外食で済ませて来てというので「何が食べたい?」と聞くと「インデアンカレーが食べたい」と言う。

私も学生の時に帰宅すると決まって食べたのが焼肉とインデアンカレーであったことを思い出した。

11時45分に東店に行ったが混んでいて入れないので、先に買い物を済ませて再度行くと、タイミング良く待たずに座れたが、またすぐに混んできたのであった。いつも正月にも混んでいるから、帯広市民はよっぽどインデアンカレーが好きなようだ。

私は温泉銭湯に通うようになってから、辛いモノ(特にトウガラシに反応する)を食べると発汗スイッチが入って、頭のテッペンから汗が噴き出てくるようになった。

このインデアンカレーは辛さを普通にしても途中でスイッチが入ってしまう。大して辛くはないのに・・・。

おしぼりで汗を拭き拭きしながら、紙ナプキンで頭のテッペンの汗を吸い取る作業を繰り返さないと、自分の汗が垂れてカレーに掛かってしまうほどの量なのである。

汗をかくのは、首から上だけで、不思議なことに、身体はまるで汗をかかないのだ。

買い物の方は、最初に行った電器屋には在庫がなくて国道沿いの店まで探しに行ったので、そうとうな距離を動き回ったのであった。

息子は大掃除も手伝ってくれているが、夜は友人と一緒に酒を飲みに行くという。

最近の若い連中は酒を飲まないのかと思ったが、そうでもないらしい。さうが私の息子である。


■2014-12-29-Monday 大掃除

我が社は今日と明日の午前中で今年の仕事が終了である。

妻は会社で仕事が残っているから、早目に会社に行く。貴方はどうせ暇だろうから私に娘を病院へ送迎せよと云う。

病院に娘を送ってから会社に行くと社員が「これから会社の床にワックス掛けをするから社長は邪魔なので、どこかに行っていてくれ」と言う。私はどこでも邪魔にされているようである。

そこに娘から「迎えに来て」という電話が入ったので、すごすごと退社することにしたのであった。

インフルエンザはかなり良くなったようである。

カナダに戻る前にいくつか買い物をしておきたいと云うので、運転手をすることになった。

電器屋、ユニクロなどで買い物を済ませた後、昼食にラーメンを食べることにした。

ここのラーメン屋は店主が私のファンだと云う。私が新聞などに書いているエッセイというかコラムというか、短文が好きなのだという。

わざわざ厨房から出て来て私に挨拶するので、娘が「ヘェ〜、パパって有名なんだね」と感心していた。

もっともらしいことばかり書いているから、よっぽど立派な人と勘違いしているのかもしれないが、そのことは娘には内緒にしておくことにしよう。

妻から「あなたは暇なんだから夕食を作っておいて」と言われたので、鍋焼きうどんを作る事にした。

以前にも書いたが、私の鍋焼きうどんは家族に評判が良いのである。

再び買い物に出て、妻の実家の分まで作っておいた。

寒い冬には温かい鍋焼きうどんが一番である。

娘のインフルエンザは大分良くなったものの、年老いた母にうつすと大変であるので、鍋に具を入れて、タレは別の容器に入れて母の家に届けた。

自分でタレを入れて、後はコンロに掛けるだけで食べられるようにしておいたのであった。

夜には家族4人で酒を飲みながらいろいろな会話を楽しんだのであった。明日は長女も帰ってくるので、久し振りに家族5人が集合することになる。


■2014-12-30-Tuesday 仕事納め

今日の仕事は午前だけで正午に会社の仕事納めである。

今日で18年間、経理をしてくれていた経理課長が退社をする。挨拶ではこれからもアルバイト的に会社に手伝いに来るからいつでも声を掛けてと言ってくれた。

経理は妻がやることになるが、年末の慌ただしさで、まだ完全には覚えていないようなので、とても有り難い申し出である。

我が社は過去最少の人数で運営していくことになるのだが、少数精鋭でいくしかない。

妻に言わせれば、問題は怠け者の私が居ることだそうだ。

まぁ、JCのOB会長も明日で完全に任期が終了し、公職は少なくなっているから外出の機会も減るだろう。

でも、このままの体制で来年はゴルフが出来るのだろうか?

正午で会社を閉めて、妻と2人で正月料理の買い物に行く。

年々、作るモノは減っている。かといって売っている「おせち料理」は食べたいものがないので買うのは止めた。

どうせ客が来る訳じゃぁなし、家族だけが食べるだけだから、いくつか形だけの年越用の料理の材料だけを買って、簡単に作って終わりにした。

夕方に千歳空港から到着するバスで長女が帰ってくる。このところのJR北海道の体たらくでは列車で帰ってくるよりもバスの方が安全で正確で安いという判断なのだ。

同じ様に感じている客は多いことだろう。そう話している矢先に、またJR北海道の安全意識の低さが明るみになった記事が新聞に載っていた。

JR北海道には危機意識ってものがないのだろうか?ちょっと考えられないような状況である。

こんな体制のままでは、北海道に新幹線が通ったって恐ろしくて乗れないぞ!

家族5人が久し振りに集合した。何が食べたいかと聞くと「大根葉!」と言う。私と同じで大根葉の漬け物が大好物なのである。家族と言うものは食べ物の好みも似るものなのだなぁ〜。嬉しいやら怖いやら・・・。

次女のインフルエンザも大分良くなったので、5人で温泉銭湯に行く。11枚綴りの回数券も5人だと2回で無くなってしまう。

温泉から戻って、5人で酒を飲みながらいろいろな話をした。家族団欒というのはとても良いものであるなぁ〜。


■2014-12-31-Wednesday 大晦日

2014年も今日で終わりだ。

年々、時間が過ぎる体感スピードが速まっているように感じる。それこそ本当に「アッ」という間に1年が過ぎてしまった。

今年は、大雪、大雨、地震、台風、洪水から火山噴火まで自然災害のオンパレードであった。地球温暖化の影響が現われているのだろう。

この傾向は来年も続きそうな気配である。

人間も自然の狂いとともにオカシクなっている。年末の1年間の10大ニュースの番組でも盛んに使われていたが、佐村河内、小保方、野々村の3氏の会見はどれも滑稽であった。

バーチャル世界に毒されているのか、嘘と現実の境目が分からなくなっている人間が増えているのだろう。思い込みの激しさが、自分だけでなく世間をも巻き込むことは恐ろしいことだ。

恐らく自分では嘘をついている意識すらないのかもしれないところが逆に恐ろしい。

今年の最後に家族5人が全員集合したが、これからは子供たちが結婚したりして集合ができなくなってくるのだろうなぁ〜、そして更にその後に孫でも連れて人数が増えていくと嬉しいなぁ〜。

母を家に招いて6人で年越しをした。来年は仕事始めが5日であるから日々暇が多そうだなと思い本を大量に買い込んでおいた。

NHKの紅白歌合戦を耳で聞きながら本を読んでいたが・・・。今年の紅白は後半は何だかやけにバタバタしていたように感じた。中島みゆきの中継やら、急遽サザンオールスターズの中継などがあったからだろう。きっと予定通りに運ばなくて、スタッフは陰で大慌てで対応していたのだろうなぁ〜。

耳だけで聞いていると、オンチな歌手の何と多いことか。ジャニーズ系の男は特に酷かったなぁ。それにつられたのか、大トリで登場した松田聖子までもが音を拾えていなかったし声も出ていなかった。

NHKらしい予定調和の世界が崩れてしまった紅白であったように思う。

そんなことを感じながら、我が家は今年1年間さしたる事もなく無事に過ごすことが出来た。

感謝しながら新しい年を迎えよう。