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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-05-01-Tuesday 二十七回忌

父は平成4(1992)年5月2日に

満64歳で亡くなったから、明日が二十七回忌にあたる。

GWの真っただ中ということもあって、日程調整をした結果、今日1日に法要をすることにした。我が家の長男が帰省している時期に合わせたのである。父の9人の孫の中では、出席できたのは我が家の長男だけであったが、坂本家の継承者として、法要の意義を伝えておかなければならないからだ。

長男は平成元年生まれである。息子が生れた時に、父は坂本家の4代目が誕生したと大喜びしてかわいがったものだったが・・・。息子はまだ幼かったからほとんど父の記憶がないという。孫に覚えてもらうためには長生きしなければならないのだなぁ〜。

それにしても、5月2日が命日というのは・・・。

国民のほとんどが、行楽に興じている時期なのに・・・。

他人と同じことをするなと云うことなのかもしれないなぁ〜。

平成4年以来、GWに何処かに出掛けると云うことはなくなった。後を継いだ長男として、毎年の祥月命日のお参りをしなければならないからだ。

父が存命であれば今年は91歳になる。父の友人も半分以上が亡くなり、存命の方々も入院していたり、外出がままならない方が多い。

法要にお声掛けしたら、かえってご迷惑になるかと配慮して、家族だけで行うことにした。

二十七回忌法要ということで、毎月2日の月参りよりも、長めのお経をあげてもらった後、お墓に行って線香をあげてから、ホテルで会食をした。

お坊さんも言っていたが、今後は、人口減少で、お墓も仏壇も減っていくであろうし、法要をする家も減っていくであろうとのこと。

ますます家族の絆を確認する場が失われていく世の中になっていくのかもしれない。


■2018-05-02-Wednesday レディ・プレイヤー・ワン

映画「Ready Player One」を観て来た。

息子が帰省中なので、親子3人で観に行ったのである。

スティーヴン・スピルバーグ監督の作品で、テレビでもガンガン宣伝しているし、スピルバーグ監督が来日してのインタヴューも盛んに出している。2011年、アーネスト・クラインの原作であるが、原作は読んでいない。

舞台設定は2045年であるから、27年後の近未来である。ひょっとすると私も生きているかもしれないくらいの近未来だ。

バーチャル・リアリティのゲームが盛んになり、世界中の市民がゲームに夢中になりゲームばっかりやっている。

「オアシス」と云う、ゲームの中では、プレイヤーのアバターを作って、誰にでも(性別、種族、機械、怪獣など)なれて、何でも(空を飛んだり、海中に潜ったり、宇宙に行ける等)出来る。

ゲームに勝てばお金を貯める事が出来るので皆が夢中になってプレイしている。ゲームで使うアイテムを購入するのにお金をつぎ込んで貧乏になる人も多い。

そんな凄いゲームを作った人が死に、その遺言で、ゲームの中から3つの鍵を見つけ出した者に「オアシス」の権利を譲るという。

テレビゲームは、やらないから、さっぱり分からないが、これまでに観た映画の場面が沢山登場する。1970年代頃からの映画へのオマージュなのだろうか?

映画好きであるから、登場した映画は全て観ていたので、ここは理解出来たが・・・。日本のキャラクターも登場するから、その辺は面白かった。

私はゲームもコンピュータのことも良く分からない。たぶんスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなんかもモデルにしているんだろうなぁ〜。

妻も息子も面白かったと言うが、イマイチピンとこなかったなぁ〜。

近未来ってこんな風になるのかなぁ〜。


■2018-05-05-Saturday 戻る

GW中に帰省していた息子が勤務地に戻った。

また夫婦2人だけの生活である。帯広空港に送って行ったが、空港では孫と思しき幼子との別れをしている老夫婦の姿を多く見掛けた。

「来て良し、帰って良しの孫」と云うが、私もはやく経験してみたいものである。

自宅に戻ってボーッとしていたら、以前に考えていたカンボジアのクメール(アンコール)朝の事が頭をよぎった。

2001年に上智大学がバンテアイ・クデイで発見した274体の廃仏のことである。

私は「マジック」の研究をしている。

マジックの起源は古代の「呪術」や「魔術」などにあると考えているので、その方面の資料も集めて読んでいるが・・・。

最近、「考古学」と「呪術」との関連がとても気になっているのである。

井沢元彦が指摘していることだが、現代人にとって「呪術」は単なる迷信で科学的根拠が無いと、考古学者も無視してしまいがちであるが、当時の人間にとって「呪術」は生活に密着した優先事項であったはずである。当時の生活様式は「呪術」に左右されていたと考える方が妥当であろう。

そんなことを思いながら、このバンテアイ・クデイの廃仏はいかなる理由で行われたのかという興味が湧いてきたのだ。

当時のカンボジアの住民がいかなる「呪術」に依存していたのかを私は知らないが、直観として「廃棄」ではなく「埋葬」ではないかと考えるのである。

バンテアイ・クデイは元々は10世紀頃に造られたヒンズー寺院であった。それを、クメール王朝の最隆盛期のジャヤヴァルマン7世、12世紀末〜13世紀初頭の王様が仏教寺院として再建した。この次の王様も親仏教系であるからおよそ60年間程が仏教を信奉していた時代である。その次のジャヤヴァルマン8世が、ヒンズー教に戻すのである。

この時代に、274対の仏像が破壊され埋められたと言われている。

世界の歴史をみると、宗教改革が激しかったのは、多神教 ⇔ 一神教の変更時である。弾圧が激しいのは唯一絶対神は、他のいかなる神の存在も許さないからである。

だが、ヒンズー教も仏教も多神教である。ましてやヒンズー教と仏教はかなり混合されている宗教だ。

そこに、仏像の破壊、廃仏と云う行為はあまり馴染まない様に感じて仕方がない。

例え、王様が強権を発令して、廃仏をさせようと考えても、民衆がその命令に素直に従うとは思えないのである。信仰心とは強権で変更させられる類のものではないからだ。

時の王様が、前王等が信じていた仏教を憎んだのだとしても、民衆が右に倣えして信仰を変えるのは難しい。

「仏像を破壊して捨てろ!」と命令されたら、どうするだろうか?

破壊するなら、野晒しにすれば良いのであって、丁寧に埋める必要はないと考える。

これは、王様からの破壊命令に対して、抵抗した民衆が、仏像を「埋葬」したと考えてはどうだろうか?

「この世」では王の命令で仏像を捨てなければならなくなったが、ただ捨てるのは忍びない。「あの世」に送って復活してもらいたいと考えるのが人間の心理として普通なのではなかろうか?

では、何故、破壊するのか?

そのヒントが、先日書いた「アイヌ」の埋葬の仕方である。

「この世」と「あの世」は全てがアベコベ。この世で完全な形のモノはあの世では不完全だし、その逆に、この世で不完全なモノはあの世では完全になる。だから、わざと一部を欠損させて埋葬するのである。

それと似た様な風習や呪術が当時のカンボジアにもあったとしたら・・・。


■2018-05-06-Sunday クメール王朝の謎

先日は、アイヌの埋葬の件を書いたが・・・。

この謎を私なりに究明してみたくなって、今日は、年表を書いて考え直してみたのだ。

すると、又、別な事を思い付いたのである。

ジャヤヴァルマン7世  1125−1219年頃 大乗仏教

インドラヴァルマン   1220−1243   仏教を信奉

ジャヤヴァルマン8世  1243−1295   シヴァ神を篤信

シュリンドラヴァルマン 1295        仏教 7世の娘婿

と云う順番である。

通説では、ヒンズー教であったクメール王朝を、J7世王が宗教改革を行って仏教に替え、クメール王朝の最隆盛期を迎える。その後のI王も仏教を引き継いだ様だが、その後のJ8世王が仏像を破壊させてヒンズー教に戻した。J7世王の娘婿のS王が力ずくでJ8世王を退位させて仏教に戻す。となっている。

しかし、これを調べていて不思議に感じたことがある。J8世王は、J7世王の業績を嫌って破壊したことになっているが、果たして嫌っている王様の名前を継承するものだろうか?逆に尊敬していたからこそ同じ名前を継承したのではないだろうか?

J8世王が篤信したと云うヒンズー教の最高神のシヴァ神は「世界が終わりに近づいた時にもう一度この世界を作り直すために、 いまあるすべてのモノを破壊して0(ゼロ)に戻す」能力を持っている神である。

この能力が、どうも頭の片隅に引っかかるのだ。

どうも本当の悪役はジャヤヴァルマン7世と8世の間に居る「インドラヴァルマン王」なのではなかろうかと感じるのである。

I王は、呪術を使ってJ7世王に何等かの「呪い」を掛けたのではないだろうか?と推論してみた。どの様な呪いなのかは分からないが、おそらく仏像などに・・・。

J8世王は、その「呪い」を解くために「シヴァ神」の「破壊能力」に頼るしかなかったのではないだろうか?そして仏像に掛けられた呪いを封印する為に仏像を破壊し埋めたのではなかろうか?

その行為が、激し過ぎたのか、または呪いが封印されたと解釈したのか、J7世王の娘が婿のシュリンドラヴァルマンをけしかけてJ8世王を力ずくで退位させて、再び仏教に戻したというのが、私が想像したストーリーである。

科学がこれだけ進歩した現代であっても、現代人は「呪術」に囚われている。日本人の「言霊(ことだま)」も「まじない」も日本人に染み付いている。ましてや12世紀当時の人間ならば、間違いなく「呪術」に大きく左右されているし、信じ込んでいるはずだ。I王に依ってJ7世王が始めた仏教に掛けられた「呪術」が国を危うくすると本気で信じれば、その仏教関係物をことごとく破壊するように命令を下すかもしれない。

私は、インドラヴァルマン王が「呪術」を操る邪悪な王だったのではなかったか、そして、その呪いを解こうとしたのがジャヴァルマン8世だったのではなかったかと推論する。そうすと、スッキリするのだが・・・。


■2018-05-07-Monday 呪術

先日のブログで呪術について若干触れたが・・・、

もう少し詳しく解説する。

「呪い」を掛けるとか、「呪い」を解くとか書いているのは、実際に「呪い」や「呪術」が実効性のあるものだと言っているわけではない。

現代人が考える「呪い」・「呪術」と、昔の人達が感じる「呪い」や「呪術」とは、精神的な影響力と云う点では、雲泥の差があるのである。

今日の科学が進歩した世の中でも、迷信の類を信じて居る人が大勢いる。ましてや科学の「か」の字も無かった様な時代だったら・・・。

日本にも平安時代の呪術師(陰陽師)として有名な安倍晴明が居る。

日本人も江戸時代末期までは、自分の(本当の)名前を他人に明かすことはなかった。身内しか知らない(本当の)名前を持っていたのである。その理由は、本名が知られてしまうと(誰かに)「呪い」を掛けられる危険性があるからなのだ。

それほどまでに「呪い」を恐れていたのである。

誰かに「呪い」を掛けられたと思ったら、その呪いを掛けた人間に「呪詛返し」を行わなければ呪いが成就してしまうと信じられていたのである。

人の「思い込み」と云うのは、身体にも精神にも影響を与えるものである。

「呪い」を掛けられてしまったと思い込んで、自らを衰弱させる人が大勢居たのである。そうなると益々「呪い」と云うものが実効性のあるものの様に錯覚をしてしまい「呪い」をもっと恐れる様になる。

昔は、病気を治すのは「呪術師」であった。現代の精神科のカウンセラー的なものだったのかもしれない。

「呪術」と云うものは洋の東西を問わず、どこの国にも存在した。

カンボジアにも当然ながら「呪術師」と云う存在はあったであろう。

カンボジアの王様は、802年に即位したジャヴァルマン2世を初代としている。2003年にカンボジアを訪れて石澤先生にご案内いただいた「プノン・クレーン丘陵」で土着信仰とヒンズー教と仏教などが相混ぜになった信仰に依る儀式によって、神から王権を神授されたと「王権神授説」の説明を受けたことがある。カンボジアでも「王様」と「神」は切り離すことは出来ないのである。

土着信仰には「呪術師」がつきものだ。信仰的な争いでは「呪術」が大きな武器になる。相手側に「呪い」を掛けられたと思い込ませたら「勝」につながるのである。

その「呪い」を抑えるには、その「呪術師」よりも強力な能力を持った者に「呪詛返し」を頼むしかない。

ジャヤヴァルマン7世が、何者かの呪術によって「呪い」を掛けられた。その「呪い」を解けるのは、ヒンズー教の最高神にして破壊神でもある「シヴァ神」だけだったのではなかったのか。シヴァ神は、破壊の神様で、物事を一旦白紙に戻してくれる。だから、ジャヴァルマン8世は「呪い」を掛けられた仏像をことごとく破壊して埋めて「呪い返し」を行った。それが終了したことで役目を終えたから引退した。

想像力を逞しくしたら、そんな答えが導き出されたのである。


■2018-05-08-Tuesday 呪術について

この2,3日の私のブログに対して

いくつかメールを頂いたが・・・。

ハッキリ言って、皆さん、文章読解能力が欠如されているのではないですか?一人一人に反論を書くのは面倒なので、まとめてここに書くことにします。

私は、呪術の力がこの世に本当にあるなんて一言も言っていませんよ!

歴史的事実として「呪術」は、それを信じる者にとっては、本物の毒よりも強力な武器であったと言っているのです。

昔の人(日本では明治まで)は、「呪い」を掛けられることを極端に恐れていたと言う事実があるのです。

人間の「思い込み」と云うのは、身体にも精神的にも結構な効果を及ぼすものです。「呪い」を信じる人にとっては、「呪い」を掛けられたと思った瞬間に、恐れや悩み等が生じて、心身に影響を及ぼし、衰弱して病気になったり、鬱になったりしてしまうのです。

それを、科学を信じる現代人は「呪術」のパワーだとは思いませんから、「呪い」なんて非科学的なものなんて・・・と一笑に付してしまうだけでしょうが、「呪術」を信じる人にとっては人生の重大事だったのです。

私は、それを言っているのであり、「呪術師」の能力が本当にあったなどとは一言も言っていません。

ただし、結果として「呪術」が効力を発揮することは、掛けられたと思い込んだ人間の側の「思い込み」の度合いによっては、有り得ることだと思います。

それが今日に至るも「迷信」の類を信じる人が大勢居ることからも窺えると思うのです。

昔の人は「呪術」を信じていました。だから、その行動原理は「呪術」に大きく左右されていたと考えなければならないでしょう。しかし、学者の多くは科学者でもありますから、「呪術」なんてと端から馬鹿にしてしまい、昔の人達の「呪術」を信じる立場にたって考えることをしないのだと思います。

「呪術」を掛けられるということは、人生の一大事だったのです。

一旦掛けられてしまえば、その「呪術」を取り除かなければ、安心して暮らすことは出来なかったのです。

今回の私の説は、日本人のメンタリティーで考察していますから、果たして12世紀のカンボジア人のメンタリティーと合致するかどうかは分かりません。

しかし、世界中、似た様なものだったのではないかと推察できると思っています。

良く、文章の中身を読まずに、表面的に捉えて、私が「呪術」を信じているのだとは思い込まないで下さい。

むしろ、私はマジシャンとして「呪術」を否定する方です。その為に文献を集めて研究しているのですから。


■2018-05-09-Wednesday 寒〜い

何なんだ!この寒さは!

8日に今年初めてのゴルフに行って来た。例年、ゴルフを始めるのは連休明けからだから、スタートはいつもと変りないのだが・・・、

去年の6月初旬に「癌宣告」を受けてからはプレーをしていない。

退院したのが10月末だったが、もう既に寒くなっていたし、例年2月頃に行くゴルフ遠征も右肩の五十肩が痛くて止めにしていたから、なんと実に10ヶ月振りのプレーなのである。

練習嫌いであるから、例年は本番前に1回だけ打ちっ放し練習場に行って80発ほど打って、即本番なのだが、さすがに10ヶ月もクラブを握っていないと当るかどうか不安になる。

今年は、妻に付き合って事前に3回も打ちっ放し練習場に行って300発くらいは打っているが・・・。

さすがに空振りは無かったが、寄せとパットがまるでダメであった。

この日は「ジュエルクラブ」と云うゴルフ仲間で作っている会のコンペで国際カントリークラブの東・中コースを回った。

天気予報では最高気温が13℃だと出ていたから、かなり寒いだろうなと思い冬用の暖かい下着を装着して行ったのである。正解であった。風が冷たくて、この装備でもかなり冷えたのであった。

唯一の収穫は、東の7番のショートホールで、ホールインワンに残り10㎝のスーパーショットを打ったことである。同伴競技者が「ピンに向かってる。入るぞ!入るぞ!」と興奮したら、手前10㎝で止まってしまったのである。残念!

100万円のホールインワン保険に入っているから、入っても良かったのに・・・。

ゴルフを始めたのが26歳、34年もやっているが、まだホールインワンは経験していない。これまでに支払った保険料が100万円を超えているのだから、そろそろ積み立て満期になっても良い頃だ。

そのショットで気分が良くなって、8番ロングも9番のミドルも、ビタッと寄って3連続のバーディである。

最初からこんなに調子が良くて・・・。と思ったら、後半はガタガタになってしまったが・・・。

まぁ、最初はこんなもんであろう。


■2018-05-12-Saturday エアートリップ

仙台に嫁いでいる長女夫婦が

GWは休みが取れなくて、連休明けに休みを取って帯広に遊びに来た。

天気も良いので、2年前に遊びに来た時には出来なかった鹿追自然ランドの「エアー・トリップ」と云う、然別湖のネイチャーセンターが運営するアトラクションに行くことにした。

私たち夫婦は、3年前に姪っ子夫婦が遊びに来た時に一度経験しているが、娘夫婦は初めてである。

森の中に張られたワイヤーロープを、背中に付けた1本のワイヤーに付いている滑車で、そのワイヤーに宙釣りになって、ムササビの様な格好で滑空するアトラクションである。

ワイヤーロープは50〜300mくらいまでの5本あって、それを順番に滑空しながら降りてくる。所要時間は2時間程で、単に滑り降りるだけではなく、この辺りに生息する動植物の説明などしながら、行ってくれるので、とても為になるアトラクションなのだ。

1本目は短くて50mほどで池の上を滑空する。これは慣らし滑空と云う感じである。

2本目は100段以上の階段を登って、小高い森に登って行く。ここは昔は、エゾ鹿を飼っていた公園で、長〜い滑り台があった場所である。その当時に子供たちを連れてきたことがあったが、娘はすっかり忘れていた。

このエアー・トリップは2回目であるが、最初の出だしの1歩が怖い。飛び降り自殺でもする様な感覚になってしまうのである。

何度やっても、最初の一歩の恐怖心が抜けない。

4本目が220mくらいの長さで時速40㎞くらいのスピードが出る。背中の1本のワイヤーに付いている滑車で滑り降りるから、身体が斜めになってくるがそれを手で風を受けて修正しながら、まっすぐに保ちながら降りるのがなかなか難しい。ついつい逆の方の腕を出してしまい、捻じれを益々ひどくしてしまう。

5本目は300mの長さである。ようやく慣れた頃に終わってしまった。

しかし、このアトラクションは面白い。

また、遊びに来よう。

自宅に戻って、眠っていたら、ウナサレたようである。最初の一歩の恐怖心がまだ残って居た様だ。


■2018-05-13-Sunday テレビ&ゴルフ

上智大学の石澤良昭教授の半生をつづったテレビ番組

が13日朝の5時からNHKのE-テレで放送された。

題名は「こころの時代〜宗教・人生〜破壊された心の復興〜歴史学者・石澤良昭〜」である。19日(土)13時から再放送される。

事前に葉書で連絡を頂いていたので、ビデオに収録をしながらも、朝早くに起きて見た。

同じ帯広出身の者として、石澤先生には深い敬意を抱いているからだ。

NHKであるから、かなり固い内容であったが、楽しく拝見した。

午前中には娘夫婦が仙台に戻る。苫小牧からフェリーに乗って帰るので昼には帯広を出発する。前日に食べたアスパラガスとゆり根が美味しかったと言うので、まずは知人の農家に行って、朝採りのアスパラガスをお土産に持たせることにした。天気はあいにくの曇り空であるが、アスパラガスは晴れた日の採れたてが一番美味しい。

次に、競馬場に行って、ゆり根を購入して持たせる。フェリーに乗って自動車で来ると、お土産を沢山に持って帰れるのが強みだ。

競馬場にある紫竹農場のショップでソフトクリームを食べさせる。前日も大正町のお菓子屋のあくつでソフトクリームを食べさせたが、十勝のソフトクリームはどこも濃厚で美味しいと言う。それぞれに特徴があるから食べ比べも楽しい。私も一緒になって食べる。

娘夫婦を見送った後で、JCのゴルフのじゃがいものコンペがあるので、そちらに向かう。雨がパラパラと降って来たから止めようかと思ったが、最近は太り過ぎなので、ゴルフで歩いて少し痩せなくては・・・。

今年3回目のゴルフであるが、結果は最低であった。

60歳になったから飛ばなくなったのか?それとも癌のホルモン治療のせいで筋力が落ちているからなのか、球にまったく勢いが無い。

林の中に打ち込んで、木の根にくっ付いて止まったボールを無理やり打ったら、ボールに当たらずに木の根をまともにクラブで叩いてしまい、手がビリビリと痺れてしまった。クラブに損傷が無かったから良かったものの、これでクラブでも折れていたら・・・。

このところ遊び過ぎていて、身体の疲労感が抜けない。

自宅に戻って早目に寝ることにした。


■2018-05-15-Tuesday タンポポ

我が家の庭

と云うよりは雑草畑であるが・・・。

タンポポで真っ黄色である。

よくぞここまで増えたもんである。毎年、除去は一応はしているのだが・・・、爆発的に増えていく。

タンポポは根が地面の深いところまで入っていくから、抜くのにも力が必要だ。

私は腰が悪いから、この作業は地獄なのである。ついつい手を抜いて放ったらかしにしておいたら、この有様なのである。

今日、見たら、もうその一部が綿毛に変わっていた。黄色い花が全部綿毛に変化して、これが風で飛んで増えたらと考えるとゾッとする。

タンポポは、明治時代に食用として海外から輸入した外来植物だと言うが、輸入した人もこんなに爆発的に増えるとは予想もしていなかったのだろう。

もはや北海道中に広がっている。このままの状態が続いたら、その内に北海道中が真っ黄色になってしまうであろう。

何か対策が必要であろうなぁ〜。


■2018-05-16-Wednesday 結婚記念日

私達夫婦の結婚記念日である。

1985(昭和60)年5月16日(木)に結婚式を挙げた。曜日まで憶えているのは、当時の我が社は「サニーデパート」と云う名称で寄り合い百貨店を営んでいたのだが、その定休日が木曜日であったからだ。

定休日でなければ、会社の関係者が出席出来ないからである。

以来、33年の月日が経過したが、よくぞここまで続いたもんである。

傍目には、仲の良い夫婦の様に映っているようであるが・・・。

私と妻は、小学生の時からの同級生である。

男子は女子に比べて、心身の成長が遅い。とりわけ私は、小学6年生の卒業時の身長が133㎝ほどで、同級生の女子よりも頭一つ分小さかったのである。小学校卒業式に着る学生服が、一番小さいサイズでも手が袖にスッポリと隠れるほどであったのだ。

可愛い活発な美少年であったから、女子ともよく遊んだ。一学年上の姉の同級生からは、いまだに「カズアキちゃん」と呼ばれるほど可愛がられたもんである。60歳のおっさんに「ちゃん付け」もないもんだが・・・。

妻とは中学校は別々の学校であったが、高校一年生の時に再び同じクラスになったのである。

帯広柏葉高校は、女子生徒が少ない高校であった。私たちの一学年上までは、男子クラスというのが存在していた。

一学年8クラス中の2クラスが男子だけのクラスなのである。通称「ダンクラ」と呼ばれて暗〜い青春を送った方々である。

私たちの代からは、8クラス全部が男女混合クラスになった。一クラス45名中の15名程が女子生徒になったのである。

それでも女子は3分の1であるから、希少価値というやつで女子生徒は皆モテたのであった。

妻も、自分ではモテたと言っているが・・・、

高3の12月頃に、妻の家に公衆電話(家の置き電話は家族が傍に居るから恥ずかしくて出来ない)から電話して、交際を申し込んだのであったが・・・、実は私に惚れていたのであろう?「お友達としてなら・・・」と云う返事であった(妻は記憶が無いと言う)。

そのお友達が、大学を卒業して26歳の時に、運命の再会をしたのである。

人間と云うものは、偶然の重なりを自分の都合の良い様に解釈して運命だと思い込む。

我が社の所属する商店街の売り出しで「グアム島旅行ご招待セール」と云うのを行った。まだバブリーな頃で懸賞も豪華であった。

私は商店街側の添乗員的な参加、妻は、当選した親類がペットロス症候群で行けなくなった代わりの参加であった。

たまたまグアム島旅行の1ヶ月ほど前に、当時、私が最年少として参加していた経営塾の2歳上の先輩の結婚式の発起人を塾生でやった。

その打ち上げ会で、先輩から「塾生最後の未婚者として、次は坂本君だな!君に紹介したい人が居るんだが・・・」と言われていたのである。

その先輩と云うのが、妻の大学の先輩であった。

だから二人の共通の知人であり、妻を私に紹介するつもりでいたのであった。

その先輩が私達二人をお見合いがてらの食事会に誘ってくれたのが、何とグアム島旅行から帰って来た1週間後の事なのである。「小学校からの同級生だし、高校でも同じクラスだったし、ついこの前、一緒にグアム島にも行って来た・・・」と云ったら先輩の方が驚いたのであった。

その先輩は「何たる偶然だろう!これは君たち二人は赤い糸で結ばれている・・・」と興奮して云う。

更に、妻の姉も坂本姓の北海道民芸品店経営者の長男と結婚しているのである。姉妹2人がともに坂本姓になるというのも偶然であろう。

父親同士も帯広中学(柏葉高校の前身)時代の剣道部の先輩後輩の間柄であった。

そんな、こんなの偶然が一杯重なって結婚することになったのであった。

まぁ、人生というのは面白いもんである。

ここまで33年間一緒に暮らせたのである。親と過ごした時間よりも長くなった。一昨年、昨年には2人とも入院する事態になった。後何年、一緒に健康で過ごせるのだろうかなぁ〜?


■2018-05-17-Thursday 結婚記念日2

妻は記念日や誕生日の類を覚えない。

今回の結婚記念日もそうであった。

先週末に、娘夫婦が遊びに来ていて、一緒に外食に行った際に、娘夫婦がサプライズで結婚記念日のケーキを用意していてくれたのだが・・・。

急に外食することにしたから予約は入れていない。土曜日であったから、行き当たりばったりで空いている店に入ろうと街中に出てきたのである。娘夫婦はケーキを私達に見せない様に気遣いながら、一緒に入った店の店名と電話番号を調べて、わざわざ一旦外に出て、外から店主に電話して「ケーキを持ち込んで良いか?」と尋ねたのである。

妻は「何でお土産のケーキを持って歩くんだろう?」と訝った様であるが、まだ結婚記念日までには4日もあるから、私は、その辺のことにはまったく気が付かなかった。

飲み始めてから、しばらく経って、娘夫婦がケーキを出して「パパ、ママ少し早いけど結婚記念日おめでとう」と祝ってくれたのである。

そうかぁ、両親の結婚記念日を憶えていてくれたか!と私は感動したのだが・・・。

妻は、ケーキを持って歩くことは不思議がっているのに、結婚記念日のことは忘れているから、何の為のケーキか分からなかったのだろう。

いつも、家族の誕生日などの記念日を教えるのは私の役目である。

16日は、終業後の18時半に一緒に外食に行くことにした。20時からは、札幌のプロマジシャンのスペンサー・トリックスのマジックショーが始まるから、それまでに食事を終える予定である。

33年間の結婚生活で、会社も一緒であるから、ほとんど四六時中一緒なのである。その上、一緒に旅行にも行くし、映画にも行くし、飲みにまで行くのである。もう話す事など何もないかと思うのだが、不思議と会話が続く。仲の良い「お友達」の様である。

そうか!分かった!高校3年生の時に妻が私に「お友達で・・・」と云った意味はこれだったんだな!


■2018-05-19-Saturday 寒〜い

五月の中旬も過ぎたと云うのに

峠では雪だって!

帯広市内は雪こそ降らなかったものの冷たい雨が降り、最高気温が8.5℃と冷え込んだ。

温かくなったり、寒くなったりの気温差が激し過ぎて身体がついていかない。何となく、身体がだるくて鼻水が出る。

18日は、午前中は、お盆(8月14〜16日)に開催している「北の大地de大道芸フェスティバル」の事務局との打ち合わせを行う。今年の出演メンバーのリストが上がってきたが、皆、楽しみな芸人ばかりである。

去年は、8月16日に札幌の北大病院での治療があって最終日に参加出来なかったので、今年は、私もマジックで芸人として出演してみようかなぁ〜。

午後13:20からは、地元のFMラジオ局から出演するように要請を受けたからラジオ局まで出掛けて行った。

何の話をするのか、まったく打ち合わせも無しにいきなりの本番である。まぁ、昔はラジオでレギュラー番組を担当したこともあるので慣れてるから、どんな話でも対応は出来るけど・・・。

結局「マジック」の話だけで終わってしまった。

会社に戻り、15時に札幌で活躍しているプロマジシャンのスペンサー・トリックスさんがマジック・ミュージアムを見学に来る。

彼は、帯広の金融機関に3年前の2015年3月まで勤めていたのである。まだ彼がアマチュア時代から、一緒にマジックショーなどでも演じていたし、完成前のミュージアムを何度か訪れている。完成後もテレビ番組に取り上げてもらう度に、彼を呼んでマジックを演じてもらってもいるのだが・・・。

しかし、ミュージアムは半年間も期間を開けたら、展示物がかなり増えているので、何度見ても驚いてくれる。

プロマジシャンも、これだけ多くのマジック展示物に囲まれると想像力と創造力を掻き立てられるのだろう。新しいマジックのヒントに溢れている場所になっている。

2時間ほど見た後で、妻も誘って3人で夕食を食べに行った。

帯広での彼の仕事が増えてくれたら、もっと楽しくなるから、もっともっとPRをしてあげなくてはいけないなぁ。


■2018-05-20-Sunday 講演

清水寺の森清範貫主の講演を聞いてきた。

毎年「今年の漢字」一字を大書きする方である。弟の嫁さんが司会をするというのでチケットをもらい、妻と二人で聞きに行ったのである。

主催は「帯広明るい社会づくり運動推進協議会」で40周年記念の講演会に森貫主を招聘したらしい。

ここ最近は、名刹の坊さんの「下」の醜聞で週刊誌を賑わせているから、最初はあまり期待していなかったのだが・・・。

京都の清水寺は、高校の修学旅行で行ったきりである。778年に創立された南都六宗のひとつの法相宗の寺で、千手観音が本尊であると言うから1240年もの歴史のある寺である。

現在放送しているNHKの大河ドラマの「せごどん」で、先々週に西郷隆盛と一緒に錦江湾に入水自殺した月照和尚が清水寺の貫主であった。江戸時代の尊王派の坊さんであったようだ。

森貫主は、さすがに話が上手であった。坊さんだから、毎日、説教をしているであろうし、講演の依頼も多いのだろう。自身の「今年の漢字」に関する「文字」についての話は勉強になった。「言霊(ことだま)」は言葉に力があると言う意味だが、文字にも「文字霊(もじだま)」があると思うと言う話には、毎日、毎日、沢山の文字を書いておられるからであろう、とても説得力を感じた。

講演は、時にユーモアたっぷりに、時には少しの毒も吐いて、楽しく聞き入ったアッと言う間の1時間半であった。

講演終了後に、チケットの半券で森貫主直筆の色紙20枚が当る抽選会が行われた。20枚とも全部異なる文字が書かれており、当選した方は大喜びしていた。


■2018-05-21-Monday 三度アンコール

この題名はカンボジアのアンコール・ワットの

アンコールと劇場などでのアンコールを掛けている。

19日(土)13時からNHKのE−テレ「こころの時代」で、帯広出身の上智大学の石澤良昭教授の「アンコール遺跡 亡き友への思い 心の復興」の再放送がされた。

前回の放送を見て、アンコール王朝の謎についてあれこれ考察していたのだが、三度、疑問に思ったことを書いてみる。

それは、ジャヤヴァルマン8世による廃仏毀釈の理由についてだ。(年代など細かい部分は重複するので前のブログを参照の事)

13世紀のカンボジアでは、地元の精霊信仰、ヒンズー教、仏教がゴチャ混ぜになっていたことを書いた。多神教の世界観である。

歴史上、多神教 → 一神教になる際にも、民衆はすぐ素直には宗旨を変えない。宗教と云うものは根深いものである。

では、宗旨変更の原動力とは一体何であろうか?

私は「恐怖」であると思う。つまり唯一絶対神によって「罰」を与えられるという恐怖心だ。多神教の神よりも一神教の神のパワーの方が圧倒的に強いからだ。それはそうだろう。大勢で分担するよりも、一人が全ての権力を握っている方が、その力は大きく強いのが当たり前だ。

だから、それまで信仰していた大勢の神よりも強力なパワーを持ち、与える罰も圧倒的に強力な唯一絶対神は、恐怖の力で民衆の信仰を勝ち取るのだ。

だが、当時のカンボジアでは、精霊信仰もヒンズー教も仏教も混じり合っていた。J8世王が、この内の仏教だけを排斥したのは何故なのかと云う疑問がどうしても消えないのだ。

従前から言われていた。王権奪取(日本の様な万世一系ではなく、王位は実力で奪取出来た)の際の前王らへの「怒り」や「憎しみ」と云う感情だけでは宗旨変更は行われないのではないだろうかと思うのである。

私は宗旨変更の原動力は「恐怖」であると考える。ではこの「恐怖」はどこから生まれたのだろうか?

私は、J7世王がある種の「タブー」を犯したのではないかと推察する。

2004年にカンボジアを訪問した際に、石澤教授に案内されて聖地プノン・クレーン丘陵を訪れた。ここで石澤教授から「王たる証は、大寺院・都城・王宮の3つを建設すること、26人居る王の中でこの3つを揃えられたのはたったの4人だけ」と教えられた。

J7世王は、前の王が建設した建物を改築して済ませたと云う。新たに造るよりも合理的な考え方である。しかし、これは「タブー」だったのかもしれない。

大寺院・都城・王宮を新しく造ると云う思想は「穢れ」を嫌うことに通じるのかもしれない。J7世王は、仏教を信奉し、新しく造ることを止めて改築で済ませた。この「タブー(禁忌)」を犯しても、何事も起こらなければ何の問題も生じない。

想像にしか過ぎないが、J7世王、若しくは民衆に、何らかの「災い」(戦争・疫病・飢饉など)が発生したのではないだろうか?

洋の東西を問わず、古代の王権の側には、宗教を司る魔術師的存在が不可欠である。おそらくクメール朝でも、王様の横には、魔術師もしくは呪術師的な人物が居たはずである。

これまた洋の東西を問わず、宗教を司るには、特殊な才能というか「血」が不可欠とも考えられてきた。

だからクメール朝の王権の一族は力で取って代わることが出来ても、宗教を司る一族は能力を繋ぐ「血」であるから、そう簡単には代わらないであろうと思われる。だが、宗教的な部分を司る一族にも権力争いはつきものだ。

宗旨が変更されると言うことは、前の宗教を司っていた一族と新しい宗教を司る一族が入れ替わることを示している。

追い出された一族は、その追い出した相手を宗教によって「呪う」であろう。

三島由紀夫の戯曲に「癩王のテラス」と云う作品がある。三島がカンボジアを訪れた際にアンコール・トムにある癩王像を見て、J7世王が癩病に罹ったと云う民間伝承を聞いてインスピレーションが湧いて書いた作品だと云う。

現在ではこの「癩王像」は、碑文から「閻魔大王像」であると言われている。この「癩王像」の指が欠けていたり、苔などが癩病患者の様に見えたのだろうと言われているのだ。しかし、民間伝承と云うのはあながち捨てたもんじゃないとも思うが・・・。

まぁ、この説の真偽はさて置いても、J7世王の時代に、仏教を信奉したことでクメール王朝に何らかの災いが発生したのであろう。

それは、おそらく、宗旨変更に依って追い出された呪術師の「仏教」に対する「呪い」であると民衆などは思ったのではないだろうか。そう仕向けた人間がいたのかもしれない。

その「呪い」を取り除く為には、「タブー」を犯して始めた仏教よりも強力な「神」の力が必要になる。それがヒンズー教の破壊神たる「シヴァ神」だったのではなかろうか?

破壊神「シヴァ」の全てをゼロにして再生すると云う能力でクメール王朝を建て直す必要があったのではないかと考える。

だから、J8世王は「呪い」が掛けられた仏像を捨てさせ、もう「呪い」は解かれたぞと民衆にアピールしたのではないだろうか?

前回のブログにも書いたが、憎んでいる王様の名前を継承すると言う行為は心理的には有り得ないと思うのである。

まぁ、こんなことをつらつら考えていても、考古学的に新たな証拠が発見されない限り証明はされないから、ただの知的好奇心に過ぎないんだけどね。でも、こう云う想像って面白いなぁ〜。


■2018-05-24-Thursday 可笑しな風潮

日本大学のアメフト部の

内田前監督と井上コーチの会見を見ていて、可笑しな風潮が流行っているなぁと感じた。

日本の政治家、それもトップである首相や副首相や、官僚のトップである財務省らの役人が、揃いも揃って皆似た様なことを言うものだから、国民も皆、それに右倣えしているかのようである。

恐らくは、自身が言った事に身に覚えがあるのであろう。が、「言っていない」と断言してしまい、後から本当の発言内容が発覚したら「嘘」になってしまうから、「記憶にない」と言っておけば、後々、裁判などになった時に、重い罪からは逃げ切れると踏んでの発言なのであろう。

だが、現在は、同時刻に国民が見ているのだから、「イメージ」の良し悪しと云うものが後々に、もっと重大になって自身に跳ね返ってくることを理解しておかないとならないだろう。あんな歯切れの悪い会見は逆効果でしかないだろうなぁ。

前日の、反則タックルを行った日大の宮川選手の会見にも違和感を覚えたが・・・。

「乖離」があったと言う監督側の発言は、恐らくは率直な感想なのであろうと思う。

宮川選手側の会見でも「はっきりと監督から反則をしろ」と言われてはいない様子が窺える。

監督の内心までは分からないが、恐らく「反則に近いラフプレーをしろ」とは心の中では思っていたのであろうなぁ〜。

それでもまさか、宮川選手があんなにアカラサマに反則をやらかすとは思っていなかったのであろうなぁ〜。それが「乖離」発言につながるのだろう。

念の為に言っておくが、私は反則行為を奨励している訳ではない。だが、スポーツはフェアプレーでとは言いながらも、サッカーだってゴール前では相手選手のユニファームを引っ張ったり、審判に見えないところで小さな反則行為をしているではないか。だが、今回の反則は、そんな小さな反則とはまるで次元が異なる。傷害事件になるかもしれない重大かつ故意の犯罪である。下手したら相手が再起不能になってしまう危険性がある悪質な障害行為だ。

問題は、その反則行為の後の日大側の反応である。

内田監督がたとえ「アッチャ〜、バッカ野郎、どうせやるなら、もう少し上手く(反則)やれよ」と思ったのだとしてもだ、あれだけアカラサマで悪質な反則を見たら、それが今後どんな問題を引き起こすかに頭を回さなければならない。それが監督の役目だろうに・・・。

だが、どうも、この内田監督は、自身の保身だけに走った様だなぁ〜。

アメフトの監督は辞めてもよいが、日大の常務理事は辞めたくないのであろう。

それが、今回の会見にも如実に表れていた。

笑っちゃうのは、会見の後で、体調不良で入院したというから、どこまでクダラナイ政治家の真似をしようと云うのだろうか・・・。

会見の司会をやった日大の広報担当の人間の対応もかなりヒドかったよなぁ〜。今回の問題で、日大のイメージはかなり悪くなったと思うよ。日大がこのまま内田氏を常務理事に留める様な判断をしたら、存続の危機を招く事態にまで発展する可能性すらあるのではないだろうか?


■2018-05-25-Friday 米朝会談中止

スンナリ行くとは思っていなかったけど・・・。

アメリカのトランプ大統領が、6月12日にシンガポールで開催を予定していた米朝首脳会談の中止を北朝鮮に書簡で送ったと云うニュース。

昨晩のニュースでは、北朝鮮の核実験場の爆破を記者団が視察していると云うニュースを放送していたのに・・・。

ここ最近の北朝鮮高官による挑戦的な発言が、トランプの逆鱗に触れたと云うことなのかなぁ〜。

元々、金正恩もトランプも、ガキみたいな精神構造の持ち主であると思ってはいたが・・・、首脳会議開催1ヶ月を切った状況での主導権争いも、互いの心理状況を、互いに読み違えていたのではないだろうか?

トランプ大統領がイスラエルの首都問題を実行したから、アメリカは2ヵ所での紛争を抱える力が無いと踏んだのか、更に、金正恩は中国を後ろ盾に出来たことで急に強気になったのだろう。ここに来て微笑み外交から急に強面外交に戻った感がする。だが、トランプ大統領の性格を読み間違っていたのだろう。交渉を有利にしようとして、ハッタリを掛け過ぎたのではないだろうか?

トランプが、韓国の文大統領みたいにズルズルと大人しく条件を緩和するハズはない。

昨晩、金正恩が行った核実験施設の爆破は、恐らくは本来の機能は残しているはずだ。全部の放棄ではないだろう。

今回の中止で、北朝鮮が、再び核の報復をチラつかせたら、トランプは「ほれ見た事か、やっぱり完全に核実験場を破壊していなかったじゃないか」と世界にアピール出来るから、さすがの金正恩もすぐには動けないだろう。それを見越しての中止発表のタイミングだったのかもしれない。

北朝鮮は、かえって、以前より状況を悪化させたのではないだろうか?

金正恩の強気は一体どこから来るのか?

本当に中国の後ろ盾があるからなのか?

単にガキの虚勢なのか?

ガキの喧嘩は、常識では判断出来ないから余計に始末が悪い。

トランプ大統領は、中東でも、東アジアでも、紛争のタネをまき散らしている。

ますます世界情勢がキナ臭くなってきたなぁ〜。


■2018-05-27-Sunday 日曜日

良い天気の日曜日である。

早朝に庭師さんが来てくれて、今日一日、庭の雑草取りをやってくれると云う。

ここ最近は、庭なんだが、タンポポ畑なんだか分からないような状態であったから、ようやく庭らしくなるだろう。

私は腰が悪いので、草取り作業は10分もやったら背中が伸びなくなってしまう。もしも無理して自分で草取りをやったら、かえって治療費の方が高くついてしまうであろう。

午前中に義父の月参りでお坊さんが妻の実家にお参りに来る。妻の叔父が先頃、瑞宝章小授賞を拝受したので、その賞状と勲章を見せてもらうことになっている。組織に属していない私には、トンと無縁の世界であるから話を聞くのが楽しみである。

お昼のお弁当を食べながら、授与の際の話を聞いた。

自宅に戻ったら、先日、マジック・ミュージアムに亡夫のマジック道具の遺品を寄贈したいと云う方からお電話が入り、今日、運送屋さんに依頼したので月曜か火曜には届く、正確に数えてはいないが段ボール箱30個ほどになりそうだと言う。ありがたいことである。

まずは、分類・整理してから展示したいと考えているが・・・。マジック・ミュージアムの展示スペースがもう残されていないから、そろそろ根本的に運営方法を変えなければいけないであろうなぁ〜。

夕方に映画を観に行った。「蚤取り侍」である。予告編では面白そうな感じがしたのであったが・・・。

なかなかに刺激的な性描写の映画で、私達夫婦のすぐ後ろの席に座っていた成人前と思しき3人の青年達がかなりドギマギしていた様子が背中に感じられた。

結局、何がテーマの映画だったのだろうか?よく理解できなかったのであった。


■2018-05-28-Monday 還暦

今年還暦を迎えたが・・・

「十干十二支」、単に干支(えと)とも云うが、

「甲乙丙丁戊・・・」の十干と「子丑寅卯・・・」の十二支の組合わせが一巡りして元に戻る60年を還暦と呼び、数え61歳のときに生まれ変わりとして赤いチャンチャンコを着せて祝う習わしである。

私は昭和33(1958)年の「戊戌(つちのえいぬ)(ぼじゅつ)」の生まれと云うことになり、今年の平成30(2018)年は一回りした「戊戌」の年である。

「人生五十年」と云われた昔なら、60歳は長生きの部類に入るのだろうが、今や「人生百年」の時代であるから、60歳なんて「鼻垂れ小僧」の部類であろう。同級生らも、多くが去年と今年に定年を迎えた。だが、再雇用や再就職でまだ働いている者がほとんどであるから、まだまだ皆が現役であるのだが・・・。

「干支」なんてものは中国古来のものであるから、西洋には「還暦」の60歳で定年なんて考え方は無いのだろうが、私のメンタリティはやはり日本人であったようだ。

何だか、60歳になった途端に、何事に対しても急激に「意欲」が無くなってきたのである。

この意欲の低下が、単に年齢から来るものなのか、それとも、去年から「前立腺癌」の治療で、内分泌(ホルモン)療法をしているせいなのかは分からない。

何だか、どれもこれも、もうどうでも良いや!と云う投げやりな気分なのである。

闘争心と云うか、「ようし、やってやろう!」なんて気持ちがまるで湧いてこないのだ。何事も面倒臭く感じてしまうのである。

ゴルフのボールは、去年よりもガクンと飛距離が落ちたし、他人に対しても、腫物に触るように神経を使わなければならないようなデリケートな対人関係と云うのがものすごく疲れるようになった。

そろそろ「隠居」かなぁと云う文字が脳裏を巡る。

何か、面白くて、ワクワクして、意欲をかきたててくれるような事がないかねぇ〜!


■2018-05-29-Tuesday 寄贈品

マジック・ミュージアムへの寄贈品が届いた。

段ボール箱25個もの大量のマジック道具である。

今年5月の始めに、札幌在住の石川千鶴さんと云う方からお手紙を頂いていた。「十年前に亡くなったご主人の富三さんの趣味がマジック」だと云う。段ボール箱の中に富三さんのことを書いた本が入っていたが、まだサッとしか読んでいないが、我が社と同じ、帯広市西2条南9丁目にあった「ホシ伊藤」と云う薬の会社にお勤めになっていたようで帯広のことも書かれてあった。こう云うご縁もあるのかもしれない。

一昨年に、同様に大量にマジック道具(主に大掛かりなイリュージョンの道具)をご寄贈していただいた砂川の吉野さん、高橋さんと同じ「札幌メディカルマジッククラブ」で活動していたのだと云う。

奥様同士がお知り合いで、吉野さん・高橋さんの奥様が遺品のマジック道具をマジック・ミュージアムに寄贈した話を聞いて、同様に展示して欲しいと思ったそうである。嬉しいことだ。

貴重な書籍や物品を散逸させることなく、マジック文化の継承の為に役立てたいと思ってくれることが何よりも嬉しい。

ここ2,3日不機嫌そうな顔をしていた私が、今日は朝からニコニコ顔をしているのを見た妻が「とても嬉しそうね」と云う。

これから中身を取り出して分類し、展示をしようと考えているが、さてさて、3階の展示スペースが足りそうにない。

坂本ビルの他の空きスペースをマジック・ミュージアムの別室にでも改造しなければならないかも・・・。嬉しい悩みである。


■2018-05-30-Wednesday 寄贈品2

29日に届いた25個の段ボール箱を開けてみた。

マジック道具の中に「遺稿・遺作集 愚直一徹 石川富三」と云う本が入っていた。

発行人は、今回マジック道具を寄贈下さった石川千鶴さんである。発行日を見たら2009年6月23日とある。富三さんがお亡くなりになったのが一年前の2008年5月23日(満85歳)と書いてあるから、一周忌に合わせてご主人の残された文章を本にして出版したのであろう。

読んでみると、富三さんは、帯広畜産大学の前身である高等獣医学校を卒業されているし、帯広発祥の会社「ホシ伊藤」に勤めておられて、帯広支店にも勤務経験がおありである。

富三さんの遺品である趣味のマジック道具が、帯広に出来た日本唯一の「マジック・ミュージアム」に寄贈されるのは何かの縁であろう。

25個の段ボール箱を開けて、中身を取り出し、種類ごとに分ける作業をするのには、マジック・ミュージアムのある場所では空間が狭すぎて出来ないので、4階の空き部屋に運び込み、机を並べて作業を開始した。

昨日、今日と気温が25℃以上にもなっているから、汗が滝の様に流れるが、この作業は楽しいからまったく苦にはならないのだ。

かなり年季の入った古い道具から、結構新しい道具まで入っている。箱物が多いので展示スペースが相当必要になるだろう。

マジシャンによって、演目の好き嫌いがかなりあるものだが・・・。マジック用具として販売されていないモノでも、演出に使う為に買っておくモノがある。昔、ディスコのマハラジャでお立ち台に立って踊っていた女性が手にしていた羽の扇子が大量に出て来た。箱物からの取り出し用具として使っていたような感じがする。広げて出したら結構なボリューム感が出る品物だ。

私の好きな「カップ&ボール」の和妻(わづま)版の「お椀と玉」の同じモノが数個出て来た。きっと誰かにレクチャーをしていたのかもしれないなぁ〜。どんなマジックを演じていたのかを想像しながら、分類分けをしていくのは楽しい作業である。まだ数日は掛かりそうである。


■2018-05-31-Thursday 缶詰製造機

缶詰を造る機械を購入した。

家庭用の簡易なモノで、人の口に入れる食品用のモノではなく、ギフト(贈り物)用のモノである。

以前にマジック・ミュージアムで「ガチャポン」マシンを購入し、中にマジック・グッズを入れて200円で販売をしているが、ガチャポンでは小さ過ぎて中に納まらないマジック・グッズを缶詰に入れて販売しようかなぁ〜なんて考えたのである。

とりあえず、モノは試しと買ってみたのだ。

以前に購入した缶バッチ製造機と合わせて、マジック・ミュージアムのオリジナル商品として「缶バッチ」と「缶詰」を製作しようとの魂胆である。

総じてマジシャンは「ジョーク」が大好きである。私もジョークは大好きだ。マジックショップの中には「ジョークグッズ」を販売している店も多いのである。

そこで、オリジナルの「ジョークグッズ」を作ってみようと考えた。

缶詰のラベルに『マジック・ミュージアム特製「開封厳禁缶詰 怒っちゃヤ〜ヨ!シリーズ」マジックの呪文! アブラカタブラ・ちちんぷいぷい他多数在中 開封すると効力が消滅します! 苦情は一切受け付けません! 製造責任者:マジック・ミュージアム館長 坂本和昭』と書いたラベルを自分のコンピュータで作って貼ってみたのだ。

その他にも「十勝のダイヤモンドダスト」とか「十勝の美味しい空気」とかを作ってシリーズ1,2,3としてみたら・・・、

妻に見せたら「中身はカラッポ(空)なんでしょ?そんなモノを一体誰が買うの?私なら絶対に買わない!」と冷たい視線!

そうかなぁ〜。面白いと思ったのだが・・・。シャレが分からん奴だなぁ〜。