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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2010-10-01-Friday ゴルフ

久し振りのゴルフに行って来た。

9月13日以来のゴルフである。

今日は地元のFMラジオ局、FMウィングのゴルフコンペで、白樺カントリークラブの白樺コースで9:00から開催された。

妻が居ないので、朝ご飯を食べずに行ったが、ゴルフ場でおにぎりぐらいは売っているだろうと思っていたのだ。

食堂も茶屋の売店も11時頃にしか開かないという。昨晩、東京から戻ってからはパンを3個食べただけで、まともな米のご飯を食べていないから、お腹が減ってしょうがない。

案の定、前半のアウトコースは43打であった。ハーフを終えて茶屋が開いていたので、おにぎりを一個だけ買って食べた。本当は2個ぐらいは食べたかったのだが、昼食にお弁当が用意されているので、ここでタラフク食べてしまったら、せっかくのお弁当が食べられなくなってしまうから一個だけにしておいたのである。

おにぎりを食べたら途端に調子が良くなってきた。前半は身体の切れが悪くドライバーはスライスして飛ばないし、パットも入らなかったのが、まっすぐ飛ぶようになり、アイアンも切れが戻ってきた。

インコースに入ってから、パー・バーディ・パー・バーディ・バーディと14番を終わってなんと3アンダーである。

その後ボギー・ボギーときて、ショートホールで谷底に落としてしまい上手く上げられなくてトリプルを打ってしまった。

最後の18番はショートカットする為に、ティを目一杯高くして、下からすくい上げる様にして打ったら、ジャストミートして球が木を越えてグリーン方向に向かっていった。

行ってみるとグリーンをわずかに通り抜けてエッジまで転がっているが290ヤードをほぼワンオンである。

イーグルパットは惜しくも外れたものの楽々のバーディで37打であった。

このコンペは、ダブルペリア方式だったので、表彰式になるまでハンディがいくつになるかは分からない。バーディを取ったホールばかりが隠しホールに当たっていたら、ハンディは1とか2とかになってしまう。

結局、43・37の80打、ハンディは8.4で準優勝とニアピン賞・バーディ賞を頂き、両手に抱えきれないほどの賞品を獲得してきた。

なんとも出入りの激しいゴルフであったが、ハーフでバーディ4つというのは気分の良いものである。


■2010-10-02-Saturday 同窓会

朝から怒りまくっている。

今日は駒澤大学同窓会十勝支部のゴルフコンペ&懇親会の日なのである。

まずは連絡の悪さに怒った。

この日の為に、一ヶ月以上も前の8月28日に役員会を開催し、大勢の同窓生を参加させる為に、連絡をすぐに行なうように指示をしたのに・・・。

半月前になっても葉書やFAXなどの連絡が入らないので、心配になって確認の電話をしたのだが・・・。

目の前に何か都合が悪い問題が起こると、根本問題を解決せずに、とりあえずその場だけをしのごうとする人間を何人か知っているが・・・。

9日前になってようやく連絡の往復葉書が届いた。

以前から「出来ない仕事は請けるな!」、「忙しくて出来なくなったのなら、自分で抱え込まずに誰かに依頼しろ!」、と何度も言っている。

私もこれまでに、高校の同窓会の幹事や、その他の団体の幹事役を経験してきているが、ボランティア(無償)の仕事ほど、キッチリとやらなければ信用や信頼は築けないと思っている。

報酬がある仕事をキチンとするのは仕事だから当たり前の話だ。逆に金が関わっていないからこそ、キチンとした仕事をしなければならないのだと思う。

もしも、連絡が間に合わずにこの日ゴルフ&懇親会を流してしまえば、この日の為に一ヶ月前に集まってくれた役員たちの時間を無駄にしてしまうことになる。

こういう類の公職は自分だけの仕事ではないのだということを自覚しなければならないと思う。

どんなに自分の仕事が忙しくても、この種の仕事を優先させるだけの気構えがないのなら、最初から引き受けてはいけない。

結局、この日のゴルフの参加者は4名、前日に別のゴルフコンペで会った先輩は「連絡が来たのが一週間前なら、当然、別のゴルフを入れているから、駒澤のコンペには出られない。連絡が遅すぎるよ!」と言われてしまった。

会長として、これほど、無念で残念な事はない。

こういうことが無い様に1ヶ月以上前に役員会議を開いているのだから・・・。

しかし、会長としては連絡が遅くなったことを会員に弁解することは立場上する訳にはいかない。

事前の確認を怠っていたことになるからだ。

これほど、腹立たしいことはない。

結局ゴルフの参加者は4名の1組だけ、しかも申し込みは5名だったのだが、ゴルフの担当幹事が「5名ではまずいので、私は辞退するから4名でプレーしてくれ、懇親会には参加するから」と言うのである。これも会長としてはとても辛いことである。

こんな精神状態でまともなゴルフがプレーできる訳がない。イライラしたままのプレーであったし、グリーンがエアーレーション中で穴だらけでまともに転がらないから、これまた頭に来る。

今期最悪のゴルフであったことは言うまでもない。

今、懇親会から帰宅して、酔った勢いに任せて書いているが・・・。

同窓会長として、部下(こう呼んで良いのか判らないが)が、働いてくれないのは、私の指導力が不足しているからなのだろうか?

こういう場合にどう対処したら良いものなのだろうか?

同窓会と言うものは難しい組織である。


■2010-10-03-Sunday 一人は・・・

私が東京(方面)に行っていたのは、

9月28〜30日のことである。ちょうど入れ替わりに妻が30〜3日まで東京に行っていた。

私が帯広に戻ったのは30日の17:55羽田発の最終便で、妻が上京したのが、羽田着17:00の飛行機だから、ほんの一瞬だけ羽田空港に同時に居たことになる。

羽田空港で顔を会わせるかも知れないと思って17:00に妻の携帯に電話してみたが出ない。まだ電源を入れていないのだろうと思った。

17:40くらいになって妻から電話が入ったが、バスに乗る為にすでに羽田空港からは出た後だと言うので会うことは叶わなかった。すでに妻の気持ちは東京にあるのだろう。東京では3人の子供たちとも会うようで、東京に行くことがとても楽しい様子だ。

その間、私は帯広で一人きりなのに・・・。

妻は私が講演などで出張する際には、夜に必ず電話を寄越せと言うくせに、自分が東京に行っている間は、私に電話は一度も寄越さなかった。

毎晩、東京が楽しくて、楽しくて、帯広(私)のことなどスッカリ忘れていて、電話しなかったというのだ。実に勝手なものだ。

一人きりで居ると、夕食の時が特に寂しい。

たった一人で外食するのは、店に入りにくいものなのである。かといってコンビニで弁当を買って食べるのはもっと切なくなるから、仕方なく馴染みの店に行って一人で食べた。

店の人からは「今日は、お一人ですか?珍しいですね!」と言われる。

そんなにいつも妻と一緒なのかなぁ。

そういえば、知人から「坂本の行くところには、もれなく女房が付いてくる」と言われたことがある。

会社でも一緒、家でも一緒、四六時中一緒に居るのだから、そう言われるのは仕様がない。

我が家では、両親もそうだったし、札幌の伯父夫婦もそうだったから、私にとって夫婦がいつも一緒に居ることが当たり前だと思っていた。

むしろ、専業主婦の人が、夫が定年になって自宅にずっと居られると息苦しいと言う方が不思議なのだ。

自分が出張で家を空けても別段寂しいとは感じないが、妻に家を空けられると、何だか寂しい感じがするものだ。夫婦とはまことに不思議なものである。


■2010-10-04-Monday マイヒストリー33

2001年7月29日にオープンした北の屋台だが、

連日、テレビ・新聞・雑誌の取材や全国各地から視察に訪れる人の波が絶えない。最初は嬉しくて気分良く対応していたのだが、毎日、毎日同じ話を日に2回も3回もやらされるのはタマッタものじゃぁない。

段々と疲れとストレスが溜まってきたが、代わりをやってくれる人間が居ない。理事長にやってもらおうと考えたが、コンセプトなどの全体を把握していないから説明ができないのだ。

結局、理事長には短時間のエッセンスだけで良いテレビ局の取材を担当してもらい。雑誌や視察などの詳細に亘る対応は私がそのまま担当することになったで、忙しさはまるで変わらなかった。

10月12日(金)の朝に西側の駐車場(地主さんの店の車1台分の置き場所)と北の屋台を仕切っている植え込みの松の木が、引き抜かれて、コンクリートのブロックが取り外されて、捨てられていた事件があった。(このことの詳細は7年後くらいに書くことにする)

11月4日(日)に千歳市でシンポジュームが開催されパネリストとして招待された。このシンポジュームの基調講演は青島幸男前東京都知事である。

私はクレイジーキャッツが大好きで、ひょうひょうとして作詞家や作家としてもマルチな活躍をしていた青島幸男氏が好きだったが、東京都知事としての彼には失望していた。

懇親会で隣の席に座らせてもらった時に「東京都知事に当選して一番驚いたのが私なんだよ」と言っていた。詳しくは聞けなかったが、選挙を面白くする為に立候補したのに、間違って当選してしまったから、逆に困ってしまったのではないだろうかと推測した。この時もあまり覇気が感じられなかったが、5年後に亡くなってしまったのは残念だった。

このシンポジュームの翌日から大阪方面の視察旅行が入っていた。出発が新千歳空港なので皆と翌日の朝に新千歳空港で合流することにして千歳市のホテルに宿泊した。夜に千歳の商店街の人たちが飲みに行こうと誘う。連れて行かれた店がフィリピン人のニューハーフの店だった。この種の店に入るのは初めてであったが、なかなか面白い店であった。

翌日に大阪方面の富田林市などを視察した後、夕食時に昨晩のニューハーフの店の話をしたら、皆が面白そうだから大阪にも、そんな店があるだろうから探して行こうということになり、調べたら「冗談酒場」というはるな愛が居た店を見つけて飲みに行った。この種の店は値段が安いし、会話は面白いし、ショーも見られるので大いに盛り上がった。

翌日の視察を終えて、夕食はかつての女郎屋を改造した「百番」という店で取った。何だか女郎の怨念でも籠っていそうな陰気な店で、暗〜い気分になった。メンバーの一人が景気付けに、またニューハーフの店に行くぞ!と言い出し、今度は「ベティのマヨネーズ」という店を探して行って、またまた盛り上がった。

帰りにエレベータで、同じビルにある「船団」というオナベバーに誘われて全員でそこの店に入った。

3日連続で、男が女装している店と女が男装している店を4軒もハシゴして、性の境目が判らなくなる様な不思議な4日間を過ごした。ちなみに遊んだのは夜だけで視察は真面目にやったことは報告しておく。

帯広に戻ると相変わらず視察や取材が殺到している。11月15・16日と根室市で講演して欲しいとの要請があった。

自動車の運転は嫌いだから、列車で行きたいと希望した。以前に青年会議所で北方領土返還運動や全道大会で根室に行ったことがあるが、あの時は貸し切りバスでの移動で5時間半近く掛ったように記憶しているから気が重かった。

帯広から14:09発の列車で釧路到着が15:42、釧路からは迎えの自動車が待機している。19時からの講演に余裕で間に合ったのだから、4時間程度で到着したのだろう。翌朝は8:22根室発の列車に乗って帯広到着が12:49だから4時間半程度だ。列車の移動は本が読めるからまだ良いが、でも自分で運転したらこういう訳にはいかない。

12月20〜25日まで、上智大学の石澤良昭教授のお招きでカンボジアに行ってきた。この話は別途に書いているので割愛する。(つづく)。


■2010-10-05-Tuesday 小沢一郎強制起訴

小沢一郎が検察審査会の議決によって強制起訴された。

小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、昨日、東京第5検察審査会は小沢一郎を起訴すべきだとする「起訴議決」をしたと公表した。

「強制起訴」は改正検察審査会法で新たに導入された制度で、国民から選ばれた11人の(素人)審査員で構成する検察審査会が、2度目の審査で11人中8人以上が「起訴すべき」と判断した場合に、裁判所が指定する弁護士が(検察に代わって)検察官役になっておこなうものである。

つまり、「検察の捜査は生ぬるいゾ!」と、裁判の素人の国民が判断したということになり、検察の威信がこれでまたつぶれたことになる。

だが、私が憂えているのは、別の観点からだ。

日本人が『「起訴」=「有罪」』と思っていることが問題なのだ。それも三権分立(立法・行政・司法)の中の、立法府を司る国会議員が理解していないことが大問題だ。

「起訴されたら、議員を辞職しろ」という言葉は、間違っても国会議員が口にする言葉ではない。

私は小沢一郎という政治家は好きではない。いやむしろ大嫌いな政治家の一人だ。しかし、好きか嫌いかということと、この問題は切り離して考えるべきことである。

好き嫌いで判断するのは法治国家のやることではない。

先の厚生労働省の村木元局長の事件が、その顕著な例だが、犯罪なのかそうではないのかは、司法の場において判断されなければならない。

彼女も起訴された時にメディアから「悪い奴だ」みたいな報道が洪水の如くに流され、国民もその流れに乗っていたように感じる。

村木さんのように、冤罪ということだってあり得るのだ。

もしかしたら、検事がデタラメな捜査をしていた可能性だってなくはない。

罪が裁判によって確定するまでは「推定無罪」というのが法治国家の大原則なのだ。

今回の小沢氏の起訴に対するコメントでは、私が知る限り、仙石由人官房長官が唯一弁護士らしい発言で「確定するまでは推定無罪」と言っていたが、野党の自民党に至っては議員辞職勧告決議案を国会に提出することを検討していると言っていた。

これは、自ら立法府としての存在を危うくする発言だと思う。

立法府の人間が国民の世論に迎合して「起訴=悪人」という考え方をするのは、アホ以外の何物でもない。こういう人間を立法府に送り込んではいけない。三権分立が崩壊してしまう。

このところの、検察がらみの報道をみるにつけ、司法制度そのものが大きく変わろうとしているのかもしれない。


■2010-10-06-Wednesday 高校の同窓会

昨晩、高校の同窓会の

社団法人「柏葉会」の役員会があった。

政府が社団法人の見直しを行っており、有名無実の社団法人を解散させたり、一般社団法人と公益社団法人とに色分けして(一般社団法人になると税率がアップする)、要は税金をそこから徴収しようという腹づもりなのだ。

確かに、日本には、名ばかりの社団法人が多くて税金の軽減措置を受けている団体が多いが、真面目にやっている団体も多い。

今回の法の改正で、手続きにはまことに面倒臭いことが多いのが現状だ。

有名無実の社団法人を洗い出して税金を徴収するよりも、以前にも書いたが、宗教法人団体を見直して、一般法人団体並みに課税すれば、すぐに何兆円という金が国庫に入ってくるだろうと思うのだが・・・。

政治家は宗教団体の票欲しさに動かないだろうし、宗教団体の創価学会が政界では公明党を持っているので、この不安定な政局では公明党の支持が必要だとのことなのだろう。一向にその気配が見えない。

だから宗教団体が怪しげなお金の集め方をしても手出しが出来ないのだ。何だかバカバカしい。

私も趣味のマジックを生かして、教祖様にでもなって新しい宗教団体でも立ち上げようかしら・・・。

同じ、帯広柏葉高校同窓会の新年交礼会(毎年1月の第3土曜日)のパンフレットの広告掲載依頼の文章が4日ほど前に会社に郵送されて来た。

「後日改めてお伺いする」とは書かれているが、同封されているFAXの用紙を見たら、この不況の世の中に文章だけで広告を集めようというつもりなのだろうか?と感じてしまいかねない危険性があるやり方だ。

趣旨文なんて読まない人間が多いのだから・・・。

そうなると、まるで「広告を掲載したければFAXを寄こせ!」とでも言っているかのように勘違いされてしまう可能性が高い。

私も6年前に、交礼会の幹事を担当したが、これは幹事の担当が卒業期の順番で回ってくるシステムになっている。

先輩からは「絶対に企業を担当者が訪問して原稿と集金をする様に」と申し送り事項として厳命されたことだ。

不況が続く中、どの企業も宣伝広告費はなるべく使いたくないのだ。皆、できるなら広告掲載を止めたいと思っているのだが、高校の後輩から「お願いします」と直接に訪問を受けたら断わりにくいのが人情というものだ。

だから、早合点されて、合理的に手紙一枚送って、原稿はFAXでお金は振り込みで、な〜んてやったとしたら、これを機会に止めてしまう企業が増えるだろうことは想像に難くない。

それとも、逆に、丁寧にしたつもりなのだろうか?

だとしたら、一枚目の趣旨文だけを送って、FAXの用紙は同封しない方が良いと感じた。

それとも、いちいち全ての先輩の企業を訪ね歩くのは面倒だから、合理的に郵送だけで、原稿と送金を済ませてくれる企業があれば、それはそれで片づけてしまえ!というのだろうか?

交礼会の目的は先輩と後輩が一堂に会して、親睦を深めるのだから、前段階でコミュニケーションを軽視するような誤解を招く書類の送り方は逆効果だと思う。

誤解される前に32期の幹事は早急に先輩の企業回りをした方が良いと思うよ。


■2010-10-07-Thursday ノーベル賞

北海道出身の鈴木章さんがノーベル賞を受賞した。

日本人の北海道大学の名誉教授の鈴木章さんとアメリカのパデュー大学特別教授の根岸英一さんがノーベル化学賞を受賞したというニュースが流れた。(化学賞はもう一人アメリカのR・ヘックさんも受賞)

ここ最近、嬉しいニュースが少なかっただけにまずは目出度い。

受賞理由は「有機合成におけるパラジウム触媒を用いたクロスカップリング」というらしいが、文系頭脳でしかない私には、まったくチンプンカンプンだが、とにかく目出度いことにかわりはない。

鈴木さんは、シシャモで有名な鵡川町の出身で、理髪店を営んでいた父親が13歳の時に病気で亡くなって、母親が洋服の行商をしながら女で一つで子供たちを育てたという、旧制苫小牧中学校(現苫小牧東高校)から現役で北海道大学に合格したが、すぐに1年間休学して、鵡川町内の小学校で講師を務め、学費・生活費を稼いでから復学したというエピソードがあるという。6人兄弟の長男ということで、今朝のテレビでは、鵡川のとてもユニークな弟さん夫婦が出演されていた。

先日、つくば大学を訪問した際に、つくば大学関係者のノーベル賞受賞者の展示物が飾ってある部屋を見学したが、いずれも東大や京大の卒業生で、つくばで教鞭を取ったという縁で展示していた。

北海道出身者として、北海道の大学の教授として初めてのノーベル賞受賞者ということだから、これで北海道に元気が出れば尚嬉しいことだ。

特に北大は嬉しいだろうなぁ〜。


■2010-10-08-Friday 家の新築現場

我が家のすぐ傍に家の新築現場がある。

ものつくりの現場を眺めるのが大好きなので、毎日朝夕の、犬の散歩のついでにその現場を見ているが・・・。

この家は2×4建築なので、在来工法とは、造り方、スピードが違う。特に建築現場の音が違う。

昔の建築現場からは、のこぎりのギ〜コギ〜コという音や金槌のトンテンカンという音が聞こえたものだったし、ゴミもカンナ屑が多かったように思うが・・・。

最近の2×4建築は、のこぎりの音が聞こえないし、釘を打つ音も、釘打ち機のバスッバスッという音しか聞こえてこない。カンナ屑も見掛けない。

工場で切り出された木材を、プラモデルみたいに組み合わせている様に感じる。

在来工法なら柱を建てて、すぐに屋根に取り掛かったのではなかったか?2×4では屋根はかなり後になってから造るみたいだし、屋根裏のスペースがほとんど見当たらない。

電気の配線なんかのやり方が昔とは違っているのだろうなぁ。

ただ、土台はかなりシッカリとコンクリートで固めている様だから地震には強そうだ。

建てるスピードも速そうだ。見る間にドンドンと家が建っていく。私は自分の住む家の設計をするのが夢で、自分で家を設計して建てたいと昔から思っているのだが、なかなかその機会に恵まれない。

今住んでいる家は、親が建てたものだ。結婚した時に家を建てようと思ったのだが・・・。

今、住んでいる家は「これから家族が増えるのだから、この大きな家はお前にやるから」と言って、両親は同じ敷地内に老後用の小さな家を建てたのだ。

弟は結婚した時に自分の家を建てているから、私だけ自分で家を建てたことがない。

今の家は、昭和42年に父が建てたもので、7人家族(祖母・両親・4人兄弟姉妹)と住み込みの従業員5人の合計12人が生活していた大きな家だ。

私の5人家族の内、3人の子供たちが皆、東京に行って暮らしているから、現在は夫婦2人だけで暮らしている。

いつかは、こじんまりとした老後用の家を自分で設計して建ててみたいと考えている。


■2010-10-09-Saturday ノーベル平和賞

今年のノーベル平和賞に、

中国人の民主活動家の劉暁波さん(54)が選ばれた。

劉さんは現在、中国の刑務所に国家政権転覆扇動罪で服役中の人物だという。

中国政府は、劉さんにノーベル賞を授与しようという動きに反発して、ノルウェーのノーベル賞委員会らに圧力を掛けてきたそうだ。

中国政府にしてみれば、劉さんは犯罪者ということなのだろう。

だが、ノルウェーは逆に、それらの中国政府の圧力に対抗してノーベル平和賞を授与させて、中国の人権侵害や一党独裁に対する批判を世界に注目させるという目的もあったのだろうと思う。ノルウェーは中国の圧力には屈しなかったようだ。どこかの国の弱腰外交の対応とは時期が近かっただけに対比が世界的になされるだろう。

それにしても、中国政府の対応はいただけない。

テレビでは画面を真っ黒にして放送しなかったようだし、その他の中国メディアも黙殺しているらしい。

先の尖閣諸島の事件の時と同様に、駐中国ノルウェー大使を呼びつけて遺憾の意を伝えたというから、かなり奢った中国の姿勢を世界に見せてしまった。逆に世界中に中国の体制の問題を印象付ける結果になったように感じる。日本もこの機会を上手く使って、尖閣諸島問題を世界にアピールして、解決につなげてはどうかと思うが、多分民主党政権はやらないだろうなぁ〜。

ノーベル平和賞の受賞者に関しては、去年のオバマ大統領にしても何等実績が無いままに受賞したりと、ここ最近は政治的な臭いがプンプンしてくる気配がしていたが・・・。

先の尖閣諸島問題が、中国政府の仕掛けであったとしたならば、かなりまずい時期に仕掛けたものだ。

中国の体制が変わる「蟻の一穴」になるのかもしれない。その日がそう遠くない日に来ることを予感させる出来事であると思った。


■2010-10-10-Sunday ゴルフ

今年24回目のゴルフ、

信金のゴルフコンペ信友会の今期最終戦が十勝カントリークラブで8日にあった。

この時期に24回というのは、ここ2,3年の回数の半分である。今年はイマイチゴルフに対する燃え方が少ない。

すごいゴルフを展開していたかと思うと突然乱れて、ダボやトリを叩いてしまう。なんとも安定性に欠けたゴルフをやっているのだ。

この日の同伴競技者はハンディ3と6と11に私が8であるから上級者だけの組み合わせになった。特に3の方は選手であるから、一緒に回って参考にしようと緊張しながらのスタートであった。

私の出だしは絶好調、十勝カントリーのアウトをバーディ・パー・パー・パーとワンアンダーで来たのだ。次の5番ロングホールの第一打も完璧にフェアウエイを捉えて第二打目に新しいフェアウェイウッドの4番を使った。

9月28日に東京に行った際に、新しく買おうと思って有楽町のゴルフショップに行ったのだが、去年買ったばかりのドライバーとアイアンのセットが、な、なんと今年すでに廃盤になってしまったので、ガッカリして購入しなかったのだが・・・。

帰宅してから、廃盤になったのなら、価格も極端に下がっているだろうと考え直して、ネットオークションで調べたら、1本12800円で新品が出品されていたので、4番・7番の2本を購入し、5日に届いたばっかりで、前日の7日に10発ずつ練習場で打っただけで本番に使ってしまったのだ。

これまで使っていたフェアウェイウッドのクラブよりもやや固めに感じたので、もう少し慣れておくべきだった。

このロングホールの第二打は新しい4番ウッドを使ってチョロ、第三打に新しい7番ウッドを使ってドフックを打って隣の6番に打ち込んでそこからバンカーに入れてダボを打ってからガタガタガタと崩れてしまったのであった。

その後、トリとダボとボギーを打って結局終わってみれば43打。出だしが良かっただけにガッカリである。

クラブハウス前でおにぎりの差し入れを食べてインコースに入ってから気分を持ち直して再びやる気満々になった。

インの10番を1メートルに2オンしてバーディパット、上手くパットを打ってバーディが入った〜と思ったら、カップの直前で何かに当たって急激に左に曲がって外してしまいパーで終わった。あれは一体何だったのだろう。

かなりガックリ来たが持ち直して、パー・パーとつなげて13番のロングホール、1打目は完璧な当たりで、2打目はまた、新しいフェアウェイウッドの4番である。不安なまま打ったが案の定、スライスしてダボ。そこからまた調子を崩してしまいインは42打であった。

新しいクラブをシッカリ打ち込んでおかなかった罰があたった感じである。その後、すぐに練習場に向かったのは言うまでもない。

10日のプロゴルフ、キャノンオープンは面白かったなぁ。

横田真一が13年振りに勝利したが、石川遼と一緒の最終組だったから恐らく相当なプレッシャーだったことだろう。

それにしても石川遼のゴルフは凄いなぁ〜。

テレビ放送が始まって石川遼の13・14番の連続バーディを見て、オオ〜これから石川遼の大追撃が見られると思ったところで、妻から「迎えに来い!」の電話が入った。妻は我が家から歩いて5分程度のとかちプラザで開催されている福祉フェスティバルに参加していたのだ。

15番のボギーのシーンは残念ながら妻を迎えに行った途中で見られなかったが、16〜18番の上がり3ホール連続バーディは素晴らしかった。その後のテレビでも15番は映さないから、この場面こそ見たかったのに・・・。

11月5日に釧路で石川遼のお父さんの勝美さんの講演会があるという案内があった。

勝美さんが信用金庫の職員ということで、北海道の道東の4信金の合同での講演会だという。

勝美さんの年齢は54歳。私と2歳しか違わない。是非とも聞いてみたいなぁと思った。


■2010-10-11-Monday 本屋

妻がとかちプラザで

開催されている介護フェアのお手伝いで9・10日の2日間家を開けている。

折角の土曜・日曜なのに・・・、かみ合わない。

やることがないので、昼まで寝ていて、午後から長崎屋の本屋に行った。ここのキクヤ書店は十勝で一番の品揃えだ。

しかし、新刊書の本屋は最近は巨大化してきているなぁ〜。本好きの私にとっては嬉しいことだが・・・。

新刊の本屋は在庫の数の多少だけで、ほとんど特色がないのに対して、神田神保町の古本屋は扱い商品に特色があって店の、雰囲気がバラバラで面白い。

でも最近は、BOOK・OFFタイプの方の古本屋を覗いて、掘り出しものを見つけるのも楽しみのひとつになっている。

値段が馬鹿安の本が時々あるのだ。

本屋に行って背表紙を眺めながら、手に取ってパラパラとめくり、内容を確認してから買うのも面白い。これはネット販売では味わえない良さだ。


■2010-10-12-Tuesday じゃがいも

「じゃがいも」は青年会議所のゴルフの会である。

11日の月曜日にその、じゃがいもの今年度の最終戦が十勝カントリーで開催され参加してきた。

去年は、この「じゃがいも」の会長を務めたので、日程は私の都合に合わせることが出来たから皆勤賞であったが、今年は、なかなか日程が合わずに半分しか参加出来ずにいたから年間成績はまるでお話にならない。

それでも最終戦はポイントが倍になるから、優勝でもすれば10位くらいには入れるかもと思いながら参加した。

金曜日の信友会と同じ場所であるし、新しいフェアウェイウッドの練習にも2回も行ったし、日程も近いから有利だと思ったのだが・・・。

信友会の時とまったく同じ場所で同じミスを繰り返して自滅してしまったのだ。

やっぱり新しいフェアウェイウッドでチョロを2回も打ってしまったのだ。情けないことに、スコアも結局同じ43・42打である。

どうも、打つ前に悪いイメージを持ってしまうと、身体がその通りに反応してしまうようだ。運動神経が良過ぎるからかも・・・。これは果たして良いことなのか、悪いことなのか?

この日の成績は13位で飛び賞にも入らずじまい。年間賞はまるでおよびでなかった。

優勝者と準優勝者の2人のおごりで2次会に行くというので、タダ酒を飲みに同行したが、旗日の月曜日は休みの店が多かった。

28歳で青年会議所に入会してからすぐに「じゃがいも」には参加しているが、これまでの24年間で年間優勝経験はない。全部の会に皆勤すればそれだけで24ポイントも与えられるから、やはり全部に参加しなければ、年間賞は獲得できないのだ。

来年あたりは、何とかスケジュールを合わせて全部に参加して優勝を狙いたいものである。


■2010-10-13-Wednesday マラソン大会の準備

来年の今頃の開催を目指して

マラソン大会の準備委員会の為の準備を行っている。

今日は14時から、我が社の会議室で少人数で会議を開いた。

先週、開発局・十勝総合振興局・市役所・帯広警察署・商工会議所・青年会議所・観光コンベンション協会・物産協会・陸上競技協会・十勝毎日新聞社、その他札幌のマラソンの請負業者など等、総勢24名に出席してもらって、第1回目の準備委員会を開催した。

その際に、日程、コース案などを提案したのだが、他の地域のマラソン大会との日程のバッティング、会場のスケジュールなどの関係で、当初の予定日では開催が難しくなった。

また、コース案では、信号機が53箇所もあること。時計回りでは右折が多くなって警備の人員の数が間に合わないこと。一方通行も同じく警備の人員が多くなり過ぎる。との指摘で再考を余儀なくされた。

警察の許可を得る作業が一番難しそうな気配である。

やはり、問題は、プロの交通整理&警備の人間の配置にありそうだ。ここはボランティアでは警察が許可してくれない。

今日の会議には以前にマラソン大会を実施していた、日専連の担当者の方に来ていただいて意見を出してもらった。

そうそう簡単には行かないものだ。

しかし、こうでなくては面白くない。誰がやっても簡単に出来ることなら、別に私が参画する必要などないからだ。

どんな事業を行うにも、壁が登場してくるものだが、その壁を乗り越えるのに、智恵を使ったり、知己との人間関係を駆使したりすることが、楽しいのだ。

ここまでにも、友人、知人の協力を得ながら進めてきた。特に、中学・高校の同級生等のネットワークが生きている。偶然にもスタッフのほとんどが昭和32・33年生まれが多いから、気心が知れていて動き易いのが幸いしていると感じている。

案内を出す組織などの検討もできたし、根回しはできる範囲で行っている。お蔭さんでどの組織も協力的な対応をしてくれている。

日程もようやくバッティングしない日を確保できたし、コース案は前述の問題点を考慮して作り直し、警察に持って行って説明してきた。

まだまだそう簡単に一筋縄ではいかない様だが、誠意と熱心さと人的ネットワークで、素晴らしい大会にして行きたいと思う。

多くのボランティアや市民の協力も不可欠だから、広報活動も重要だ。

来月の初旬には正式に発表して、実行委員会を立ち上げたいと考えている。


■2010-10-14-Thursday チリ落盤事故

テレビも新聞も世界中がこの生還のニュースで持ちきりだ。

8月5日に起きた落盤事故で地下700メートルに33人が閉じ込められた。

33人は極限状態にも関わらず、統制のとれた行動で少ない食料を分け合って生きていた。17日後の8月22日に地中探索のドリルを引き上げてみたら、その先端にメッセージが結び付けられていて、生存を確認したというから、この地中で17日間33人が生存していたことがそもそも奇跡なのだ。

食料などを地下に送りながら、救助用の穴を掘り進めていたものが10月9日貫通し、13日から救助活動が始められた。

当初は、この救助用の穴が貫通するのはクリスマスの頃だと言われていたが、かなり早くに貫通に成功したようだ。

また、救助に要した時間も、当初予定していた48時間よりも大幅に短縮され22時間半で終了したという。

33人の作業員は事故発生から69日振りに地上に戻ってきたことになる。

妻が「私は閉所恐怖症だからあのカプセルに入って土の中のトンネルを15分間も居られない」と言う。私が「そもそも閉所恐怖症の人間が炭鉱夫になどなれる訳がないだろう」と笑うと「貴方だってそのお腹ならあのカプセルには入れないわね」と返された。

暗く狭い土中に男ばかり33人が69日間も居たら、風呂には入れないし、トイレも大変だろうし、その臭いだけで気が変になってしまうかもしれない。皆が皮膚病や虫歯に罹っているらしい。

ハリウッド映画が早速この事件を映画化をするというから、利に敏いものである。

テレビで見ていたら、作業員の妻と愛人がかち合う場面もあったというし、サッカーの監督になんてオファーもあるようだ。地中に居る間に子供が生まれて「エスペランサ(スペイン語で(希望)」という名前を付けたとか、実に色々なドラマやエピソードが溢れているから映画化しやすいかもしれない。

この33人の作業員は世界中から注目されて、すっかり英雄になったようである。

この事故が起きた背景には人災の側面が大きいとも報道されているから、33人が助かったことが幸いして、その人災面がどこかに行ってしまったようでもある。

まずは33人が無事に地上に戻れて良かったが、これからマスコミなどの取材などで、勘違いを起こして、人生を誤る人が出てこないか心配だ。


■2010-10-15-Friday 国会答弁

昨日のテレビニュースを見ていて笑っちゃったネ!

国会の参院予算委員会での自民党の山本一太議員が菅首相に対して「ノーベル平和賞を受賞した劉暁波の釈放をアメリカのオバマ大統領は求めているが、日本の政府として中国政府に求めないのか・・・」という質問だか意見だか判らないものに対して「劉氏が釈放されることが望ましい」と答えたことに、しつこく喰って掛かった場面や、同じく山本参院議員が新聞記事に載っている内容が正しいかどうかを質問して、それに仙谷官房長官が「新聞記事を確認する質問なんて聞いたことがない。最も拙劣な質問方法で、私はそれだけはやらないように1年生議員の時から教育されてきた」と返した言葉に、頭に来た山本議員が「民主党だって野党時代にさんざんやってきた手法だろう」と喰って掛かっていた。

何とも程度が低い質問だし、国会でやることなのかね〜。

何とか変な言質を取って、政府を窮地に陥れようという魂胆なのだろうけど、そんなことをして何になるのだろう。

ましてや、劉氏の問題で変な言質を取ったら、中国がまた過剰反応するだけだろうに、と思ったら、案の定、中国は早速に過剰に反応して来たが・・・。

国際的に中国の人権問題に対するアピールを行って、世界的に中国を責めるつもりならまだしも、自国の政府を窮地に陥れる為に行うのなら、国賊もののやり方だ。日本に取ってなんの利益にもならないばかりではなく。ますます、中国に対する弱腰外交を世界に印象付けることになってしまうだけだろう。

民主党のやり方が良いと言っている訳ではない。日本人同士がクダラナイ喧嘩を国会と云う神聖な(?)場所でおこなって、しかも国益を損ねるだけのようなやり方が気に入らないと言っているのだ。もう少し、国際的な戦略を持ってやらなければ、意味がないだろう。

こういう偽善的な仮面を付けた質問の仕方は見ていて腹立たしい。

結局、国会議員は自分のことしか考えていないのだということを世間に曝しただけである。

しかし、それにしても仙谷官房長官は弁護士出身だけに答弁が巧みだ。実に厭らしい答弁の仕方である。それによっぽど自分の答弁に自信があるのだろう。相手が指名している人に発言させないで、自分が積極的に出ていってしゃべっている。これも下手な言質を取られない為なんだろうが、結局、菅直人にしゃべらせたら余計な発言をしてしまうと見下している証拠だろう。

ここまでのでしゃばり過ぎはチョット問題だなぁ〜。


■2010-10-16-Saturday ジュエルクラブ

ゴルフ同好の会の名称である。

帯広青年会議所のOBと現役の中で特にゴルフが大好きという人間が25名集まって、5〜10月の毎月1回、年6回のゴルフコンペを開催している。

私も昭和62年、青年会議所の入会と同時にジュエルクラブにも誘われて加入し、いきなり年間優勝をして顰蹙をかったものであった。

当時はまだゴルフを始めたばかりの頃でハンディも16程度だったから強かったのである。翌年も準優勝(優勝・準優勝者は以後3年間は優勝・準優勝を辞退するルールなので1位になった)したのであった。

北の屋台などの活動をやっていた1996〜2007年までの10年間はゴルフが年間12〜5回ほどしか出来なかったので、優勝にはとんと縁が無いが・・・。

優勝・準優勝者は翌年の幹事役を務める仕組みになっていて、総会、ゴルフ(年6回)、表彰式と行っているのだ。

年齢も60歳台〜30歳台まで、親子ほどの年齢が離れているし、実際に親子で参加している人もいる。

成績は出席ポイントと順位ポイントの合計で競うのだが、年間優勝・準優勝者が3年間辞退しても、4年目に資格が復活するとまた獲得してしまう強豪選手が何人かいるのである。

そこで、まだ優勝・準優勝の経験の無い人には、プラス3点を与えたり、参加人員が減ってきているので、新人を勧誘したら5点を与えるとかの工夫もしているのだ。

毎年、10月の最終戦では、ポイント上位者からの順番で組み合わせをすることになっており、最終組の4人は熾烈なつぶし合いをするわけである。

なにせ、ジュエルクラブの年会費×25名の総額の75%近くの金額の賞品を優勝者と準優勝者が取ることになっているから、皆真剣なのだ。

今年の優勝はめでたく初めての人が獲得した。

明日17日(日)には、苫小牧の御前水カントリークラブで、北海道青年会議所のゴルフ「じゃがいも」の地域(LOM)対抗戦が開催される。去年、私が帯広青年会議所(JC)のじゃがいもの会長を務めていた時に、帯広で開催したので、今年はその時のお礼も兼ねて参加しなければならないのだ。

16日に十勝でゴルフをプレーして、18:30〜表彰式&懇親会、優勝・準優勝者の奢りで二次会に行って、軽く仮眠してから夜中の3:00にJCの後輩の運転する車に乗って苫小牧に行って7:00〜またゴルフのプレーである。なかなかハードなスケジュールであるが仕方ない。


■2010-10-17-Sunday じゃがいも地区対抗戦

北海道青年会議所(JC)の、

ゴルフの会である「じゃがいも」の地域(LOM)対抗戦が苫小牧市の御前水ゴルフクラブで開催された。

北海道の各地域の青年会議所のゴルフ好きなメンバーが集まって地区の対抗戦を行うのである。今年は第7回目になる。

今年の主幹は札幌JCで、その他に旭川・函館・釧路・北見・帯広が参加している。帯広からは16名ほどが参加した。

今年の大会はダブルスの成績で競うという。

今までダブルスのゴルフというものを経験したことがない。帯広チームは優勝を狙いに行っているから、Aクラスにはシングルプレーヤー5人とハンディ12の人間で3チームを送り込んだ。私はA2のチームだ。

ダブルスは2人の各ホールの成績の内どちらか良い方のスコアをチームのスコアにしていくゲームだから、シングルプレーヤーが2人でチームを組んだら、アンダーのスコアでの争いになるだろうと予想していた。

案の定Aクラスは前半戦で1チームが2アンダーの34、2チームが35で回っている。私のチームはワンオーバーの37である。

なかなか熾烈な争いである。

2人の息が合うチームと合わないチームがあって、2人同時にバーディを取っても意味が少ないことになる。どちらか1人が悪くても、もう片方が良ければ良いのだから・・・。

私たちのチームもそういう面では、どちらかがパーを拾うという展開でなかなか調子が良かったのだ。

ただし、パーは拾えるがバーディが取れなかったのでスコアが伸びなかったのだ。

60分間の休憩の後で、後半戦に入ったが、私たちが1番ホールの2打目を打つ頃に突然に雷が鳴り始めた。グリーンに上がってパットを打とうと思ったら、今度は突然に大粒の雹が降ってきた。

グリーン上は瞬く間に雹で真っ白に埋め尽くされてしまった。

雹は小さな氷の塊なので、ボールの転がりに影響すること大である。まともに転がってくれない。

こりゃ〜中止かな〜と思ったのだが、中止の案内が来ないので続けてやるしかなかったのだ。

2番ホールに向かうところで雨に変わったら、グリーン上の雹はすぐに消えたので、それ以降は無事に進んだが・・・。

結局、我々のチームは後半もバーディが無しで、ボギーも3つ叩いて39、37(イン)・39(アウト)の好成績であったが、やはり上には上がいる。パープレイの72打で回ったチームが3チームもあるという。

そんな中で帯広のA1チームが見事に優勝を獲得した。我々は成績では3番目であるが、同スコアのチームが他にもあって年齢で10位に留まってしまい、帯広は団体戦では3年連続で第3位であった。

この大会でホールインワンを旭川JCのメンバーが出してしまった。「出してしまった」と書いたがまさにその通り・・・。

90名から参加者数であるからかなりの出費になるだろう。表彰式で挨拶に立ったそのメンバーは土下座して、「申し訳ありません!20万円しか保険に入っていません。今日、ご参加の皆さんには後日、本当につまらないものですが記念品を送りますので、それでどうか勘弁下さい」と言うのだ。こんな大きな大会でホールインワンはやるもんじゃ〜ないなぁ〜。でも一度はやってみたいものだが・・・。

15:00にゴルフ場を出発し、私はすぐに眠ってしまった。帯広に19:30に到着したら、安着祝いをするという。この日出場した有志がスナックに集合して祝ったが、昨日からのゴルフと寝不足で、一日の何と長いことよ!

久し振りにハードなスケジュールであったが、とても楽しい一日でもあった。これで、おそらく今年のゴルフは終了だろう。

一昨年55回、去年が53回であったが、今年は今日で27回目、半分になってしまった。来年はもう少しやりたいなぁ〜。


■2010-10-18-Monday 貴重な資料

私のマジックの師匠の、

故ジミー忍(聖忍)師の奥さんマコママから段ボール一箱が送られて来た。中を開けてみたら、師匠の若かりし頃のポートレートやプロマイド、マジックの写真やパンフレット、映像などが一杯に入っていた。

忙しくてまだ整理していないが、ざっと見ただけでも貴重な資料である。

早速、マコママに「こんな思い出深いモノを頂いても良いんですか?」と電話したら「私が持っていてもしょうがないモノばかりだから、でも坂本っちゃんに送ったら、キチンと整理して、マジック図書館に展示でもしてくれるかと思って・・・」と言う。

現在、私の会社の中に造ったマジック図書館は7000冊の本で溢れ返っており、写真などを飾るスペースがないから、いずれマジックのポスター・絵・写真などを飾る場所を造ろうかなと考えている。

ところが、最近、また俄に忙しくなってきて、来年10月に行う予定のマラソン大会の準備や、講演の依頼などがまた少しずつ増えて来ており、なかなか時間が作れないでいたのだ。今月と来月だけでも、なぜだか7本もの講演やらパネリストやらへの予定が入っている。

北の屋台の全盛時代の忙しさが復活してきたようだが、北の屋台を卒業してからすでに丸3年半以上が過ぎたというのに、一体どういうわけなのだろうか?不思議なことだ。

ようやくここにきて、ゴルフも今シーズンは終わったことだし、少し整理をし始めようかと考えているところなのである。

私は、やはりマジックのことをやっている時が一番楽しい。こういう貴重な資料を整理していると、その内に一冊本が書けるかもね。


■2010-10-19-Tuesday 日経新聞

18日(月)の日経新聞朝刊の1面の「春秋」欄に

私がプロデュースしている「馬鹿(うまか)もん」のことが紹介されていた。

『「馬鹿」と書いて「うまか」と読む。北海道帯広のイタリア料理店。今春に登場した「馬鹿ステーキ」は、道産の馬肉とシカ肉を焼いた絶品とか。農作物や森林に被害をもたらすエゾシカ対策の一環と、本紙地方経済面で紹介していた。』

という内容である。

私は日経新聞を取っていないので、読んでいなかったのだ。

空港で、「日経新聞に馬鹿もんのことが載っていましたね」と言われて初めて知った次第であった。

「馬鹿(うまか)もん」はメディアの受けはとても良いのだが、なにせ馬肉の値段が高過ぎて、今流行の「B級グルメ」としての値段設定が無理なので普及がいまいち難しいのである。

十勝で生産している馬を、わざわざ九州の熊本に送って屠殺して、その肉をまた十勝に送り返してくるから、倍の往復分の輸送料金が掛かるから高級牛肉よりも高額になってしまうのである。

地元での消費量が少ないから、地元に屠殺する施設が造れないでいるのである。

卵が先か、鶏が先かの議論になるが、値段を下げるには、消費量を増やすことと、屠殺施設を地元に造ることである。

世界唯一のばんえい競馬が残っている帯広で、馬肉を食べる文化を作ることが必要だと思うのだが・・・。

食べ物の文化というのは、長年の慣習があるから、その壁を破るのは容易なことではない。

それに、シカ肉に関しては「臭い」という間違ったイメージが定着してしまっているのが辛いところだ。

でも、こうして少しずつでもメディアに紹介されることで「話のタネに一度食べてみようか!」という人が増えてくれれば、実際に食べたら美味しいものだから普及すると思うのである。

地道に気長にやるしかないだろうと思っている。


■2010-10-20-Wednesday 埼玉で講演

19日に埼玉県の浦和で講演をしてきた。

独立行政法人都市再生機構の埼玉地域支社の招きで、埼玉地域と東京の一部の職員に対する講演である。

指定された講演場所は埼玉地域支社のある、さいたま市のラムザタワーという場所だ。

担当者の人が、埼京線で武蔵浦和駅で下車したら徒歩1分ですというメールをくれた。

埼京線?

聞いたことがない路線である。毎月の様に東京に行っているが、まだ埼京線なる路線に乗ったことがない。

ネットで検索してみたら、大崎から出ているらしい。山手線と平行して池袋まで走っていて、埼玉や群馬にまで繋がるようだが、これまで渋谷や新宿に行くにも使ったことがないので知らなかったのだ。

初めて大崎から乗ってみたが、同じ線路なのに、いろんな列車が走っている。やれ「りんかい線」だの「川越線」だの「高崎線」だの、初めての田舎モンにとっては、どれに乗って良いのか判らないではないか。

訳も判らずいきなり乗った列車がタイミング良く快速の川越行きの列車だったので助かった。

乗ってみたら、山手線は恵比寿・渋谷・新宿・池袋にしか停まらないから速いこと、速いこと。

こんな電車があるのを知っていたなら、これまで山手線で各駅で移動する必要なんてなかったではないか。田舎モンは昔ながらの移動方法でしか移動できないのである。

大崎から武蔵浦和まで40分程度で到着してしまった。

早く着きすぎてしまったが、武蔵浦和駅の周りにはブラブラと時間つぶしをするような場所が無かったのである。

指定の待ち合わせ場所に行って本を読んで時間をつぶしていた。

講演は時間もタップリ2時間もらえたし、質疑応答も10分の予定が40分近くにもなった。

毎度のことだが、質問攻めに会う。

でもそれだけ聴衆が関心を持ってくれた証だろうし、質問をしてもらえるのは嬉しいことだ。

講演終了後に懇親会に誘っていただいた。講演に行って、講演終了後にハイさようなら!と分かれてしまうと、知らない場所でたった一人で食事をしなければならなくなる。

一人で入れる店というのは、実はとても少ないのだ。海外なら特にそうだ!。

誰かと一緒におしゃべりをしながら食事をするのは楽しいことなのである。

今回一緒に懇親会に参加された方が、私の著書の「北の屋台繁盛記」を持って来て「サインして欲しい」と言う。

芸能人ではないからサインの練習などしたことがない、サインではなく署名になってしまう。それでも、何だかとても嬉しい気分だ。

私の講演を聴いて、面白かったと言ってもらえるのはエンターテインメントを目指した人間としては最高の褒め言葉である。

これだから講演は止められない。

明日はまた帯広で、全国の大学教授らに講演だ。


■2010-10-21-Thursday 読売新聞風向計

2010年10月21日付読売新聞北海道版「風向計」掲載

「モッタイナイ」嘆く物置

購入してから4年目のコンピュータのプリンターの調子が悪くなった。仕事にならないので、電気製品の修理専門の会社に持ち込んで修理を依頼したところ、店員が「修理代に1万4000円ほどもかかるし、1週間ほどお預かりすることになりますから、すぐに必要なら新しく買った方がいいですよ。」と言う。

電器店の広告を見たら、同じメーカーの新機種が8000円台で販売されているではないか。

仕方なく新品を買うことにしたのだが、なぜに、修理代の方が、新品の購入代金よりも高いのだろう?新製品は人件費の安い中国で大量生産されているから安くて、修理は日本で日本人が行うから人件費の分高額になるということなのだろうか。

故障したプリンターのインクは先日取り換えたばかり。まだほとんど使用していないから、電器店の店員に、「今、使っているプリンターも同じメーカーだけど、今のインクを新しい機種に使えるか?」と尋ねたら「インクの形状が変わっていて、新しい機種には合わないから使えない」と言う。プリンターのインク代のほうも、機械本体の値段に負けないくらいに高額なのに・・・。

メーカーがエコ、エコと盛んに言っている割には、ちっともエコに感じられない。自分で直そうと思っても、最近の機械は素人の手には負えない。

新しモノ好きな性格だから、家庭用ビデオカメラやレーザーディスクなども販売されてすぐに飛び付いた。だが、そのすぐ後に、新しい仕様の機械が出てきて、古い機械は物置行きだ。

最初に購入したビデオカメラは、重たいデッキの機械を肩から提げて、カメラも肩で担ぐタイプの大きな機種だった。その後、段々と小型化していくが、同じメーカーなのにやれ8ミリだ、Hi8だ、ハイビジョンだ、ディスクだ、チップだと互換性のない規格の製品が次から次へと出てくる、昔撮った映像テープは新しい機械では見られないから、古い機械を処分する訳にもいかない。

新しい機械を開発するのはメーカーにとって大切なことだろうが、古い機械との互換性がなければユーザーには好ましいとは言い難い。

次々と仕様が異なる新製品が発売されるからか、機械の寿命も昔よりも短くなっているような気がするのはウガチ過ぎだろうか。せめて10年は機械の寿命も仕様も持つような製品の開発ってできないものなのだろうか?

物置に眠っている機械も、もっと使って欲しいと嘆いていることだろう。何ともモッタイナイ話ではないか。


■2010-10-22-Friday 講演

21日に帯広のとかちプラザで講演してきた。

「サイバースペースと仮想都市研究会」と「複合現実感研究会」というバーチャルリアリプと言うが・・・。

もっと修理代を安くして、再利用する方法を考えなければ、モッタイナイことこの上ないと思うのだが。

しかし、メーカーにしてみれば、修理されたら新製品が売れなくなるから、部品を替えたり、作らなかったりして、仕様を変えて売らんかなとしてくる。

メーカー側の頭の構造を根本的に変えなければ、エコというのは口先だけで、結局は新製品を売る為だけに、エコエコと言っているだけだろう。

この世の中に使われなくなった電気製品は一体どれくらいあるのだろうか?

自分で修理したくても、昔の機械みたいに単純な構造じゃないから、修理出来ないしなぁ〜・・・。

モッタイナイ世の中である。


■2010-10-23-Saturday 渋柿

果物は総じて好きである。

その中でも、私にとって柿は特別な存在であった。

昔は、今日のように甘い果物は少なかったから、おそらく昔の果物の中では柿が一番糖度が高かったのではないかと思う。

柿にも種類が沢山あるが、私が好きなのは、和歌山の種無し柿や新潟の庄内柿が好きなのだ。平べったくて四角い形の柿である。しかも固いシャキシャキしたのが好きで、柔らかくなってべチャべチャになったのは好みではない。

祖父は山梨県の出身なので、山梨の知人から、庄内柿よりやや大型の似た形をしている富有柿が毎年送られてくるが、こちらの柿の甘さはいまいち好きではない。また、干し柿にするような先の細くなっている柿はあまり好きではない。私は好みがうるさいのである。

死んだ父の柿の好みは私と逆で、崩れそうに柔らかくなった柿をズズッ〜とすすって食べるのが好きだった。親子でも好みがまったく違ったのだ。

私の好きな庄内柿は、昔は渋柿がかなり混じっていた。当時の見分け方として皮がまだ薄緑色をしているものは、米びつの中に入れて渋みを取ってから食べたものだ。ここ最近の柿で渋柿に当たることはなかった。品種改良でもしたのだろうか?たとえ、まだ薄緑色の皮の柿であっても渋柿ではない。

昨晩の夕食時に、母が2個の柿を持って来てデザートに食べようと言う。一個は柔らかくなる寸前の朱色になった柿、もう一個はまだ色が薄い固い柿である。

当然ながら、朱色の柿の方が甘かろうと思い、薄い色の固そうな柿から先に食べたらこれが甘くて美味しかった。母も妻も同じ様に考えたのだろう私と同じに薄い色の柿から先に食べたのであった。

次に朱色の丁度美味しそうな柿を口にしたら、何とこれが強烈に渋い柿であった。渋柿に当たったのは久し振りのことだ。

口の中の歯の表面に柿の渋みがネットリと張り付くような感覚がする。すぐにウェッと吐き出して口をゆすいだがなかなか取れない。不幸なことに私が一番先に朱色の柿を口にしてしまったのである。

完全に熟しているように見えたのに・・・。

母は朱色に熟した柿を口にするのを止めた。妻に、少しだけ食べてごらんと言ったら、妻は一口だけ食べて確かに渋いと確かめてから、そのまま食べずに捨てた。

柿の渋さは、口の中に後々まで残るのが何とも厄介なのだ。

久し振りに渋柿を口にして昔を思い出した次第である。


■2010-10-24-Sunday 庭の果実

果物についてもうひとつ、

江戸時代、武士の家とか大商人の家の庭には果実が成る樹は「実(身)を落とす」に繋がるとして嫌ったという話があるが、日本人得意の言霊によるこじつけの一つであろう。

むしろ、果実の成る樹は、実利があるのだからおおいにやるべきだと思うのだが・・・。

我が家の庭には、果実のなる樹がコクワ・梨・りんご・葡萄など何本かある。

今日は少し遅いくらいだが、これまでなかなか暇が無くて収穫ができなかったので、日曜日にまとめておこなったのである。

今年は葡萄は全く実が付かなかった。ここ最近まるで成らないのである。昔は取れた葡萄で自家製の葡萄酒が造れたほどだったのに。

手入れをしないでホッタラカシにしているからだろうか?

だが、今年の梨は大豊作で、去年の不作とは大違いである。甘みは少ないが水分が豊富だから、我が家の犬の大好物なのだ。収穫したものを玄関先に置いておいたら、2〜3個犬が食べてしまったほどだ。

コクワは収穫時期が遅過ぎて、ほとんど鳥に食べられてしまった後だった。コクワはキーウィーフルーツとまったく同じ味がするのでとても美味しいのである。玄関先にあるので、会社に行く前に1〜2個取って食べるのが日課になる。これも不作と豊作が交互に来る。

リンゴは、弟が小学生の時に植えた樹が大きくなって実を付けるようになったのだが、去年は一個も成らなかった。今年は一個だけ実を付けた。今年のモーレツな暑さが影響しているのだろうか?

自分の家の庭に成っていて、熟するまで樹に付いている果物は、とても美味い。流通させる為に運んでいる最中に熟させるものとは根本的に違う。

我が家の近所に庭にリンゴの樹を果樹園みたいに10本ぐらい植えている家がある。この時期に犬を散歩させると、見事に大きな美味しそうなリンゴが沢山成っているのだ。この家は庭でアスパラやナスやトマトなども作っているので、きっと豊かな食生活を営んでいるのだろうと想像できる。

我が家も、庭を縮小して畑にでもしようかなぁ〜と思っているがなかなか出来るものではない。

なにせ、とうもろこしすらまともに作れないのだから・・・。


■2010-10-25-Monday 道5区選挙

北海道5区の衆院補欠選挙で、

自民党の町村信孝氏(66)が当選した。

菅内閣発足後の初の国政選挙であったが、民主党の新人候補者中前茂之氏(38)は大差で敗れた。

今回の選挙は5区の人達は関心が高いのかと思っていたのだが・・・。

投票率が53.48%で昨年の76.32%を約23%も大幅に下回っている。

これでは無関心というよりも、有権者の政治(家)に対する嫌悪感に近い感情の現れではなかろうか?とも思う。

今朝の北海道新聞の朝刊の1面にはこの記事の横に「鳩山元首相がハノイで引退を撤回」という記事が載っていた。

「このままでは民主党がダメになってしまうから・・・」。ということらしい。

鳩山由紀夫という人は何とも空気の読めないご仁だ。空気を読む必要のない育てられ方をしたからだろうが、あまりにもヒドイ。

今回の民主党惨敗の最大の功労者(責任者)は鳩山由紀夫ではないのか?

国民の中で鳩山由紀夫に、民主党を何とかして欲しいとか、政治を何とかして欲しいとかと考えている人間はほとんど居ないだろうと思うのだが・・・。

民主党には期待が大きかっただけに、その反動も大きい。

特に最近の菅直人首相は一体何がやりたいのかサッパリ判らない。仙谷官房長官の影に隠れてしまって、どちらが首相なのかも判らないような状態である。

菅伸子夫人が書いた「アナタが首相になって何が変わるの?」という本が出版されたが、まさしく何が変わるの?と国民が問いたい気分だろう。

今回の道5区の選挙結果も自民党が勝ったとか、町村氏が勝ったとかの次元ではなく。民主党が勝手に自滅して負けただけにしか見えない。

もう少しまともな政治家っていないのだろうかねぇ〜。


■2010-10-26-Tuesday 大道芸フェス開催の危機

十勝毎日新聞2010年10月25日(月)「論壇」掲載

「大道芸フェスティバル開催の危機」

このところ毎年、平原まつり(8月14〜16日)の開催に合わせて行っている「北の大地de大道芸フェスティバル」は今年で通算9回目(フェスティバルとしては7回目)を終え、来年はいよいよ10周年の記念すべき大会になる予定であるが・・・。

ここに来て、この開催に黄信号がともり始めた。

最大の問題は、このフェスティバルの初回からの出演者で、これまで9回全てに出演し、招聘する大道芸人の選定から交渉までを一手に引き受けてくれていたファニーボーンズが、来年の開催時にはヨーロッパの大道芸の大会に出演するために、帯広には出演できないということなのである。

彼らファニーボーンズがいたからこそ、帯広の大道芸フェスティバルは成立していたと言っても過言ではない。彼らが仲間の大道芸人たちに「帯広っていう面白くて、食べ物のおいしい街があるんだけど、一緒に行って帯広の大道芸フェスティバルに参加しないかい」と誘ってくれたから、一流の芸人たちが仲間意識で集まってくれていたのである。だからこそ、いわゆるエージェントなどを通さないで手づくりの運営ができていたのだ。

ヨーロッパの大道芸フェスティバルに招聘されるということは彼らが世界に飛躍するということだし、仲間としては心から送り出してあげたいとも思うが・・・。

もう一つの問題は、JALの破綻である。8月のお盆期間は、正月と同様もともと航空運賃の割引が無い期間である。今年までは株主優待券を活用して少しでも旅費を安くできるように工夫してきたが、破綻によって株主優待サービスが消滅してしまったので、来年からは正規の一番高額な航空運賃でしか来てもらうことができなくなったのだ。

問題解決の選択肢は幾つか考えられる。一番簡単なのは来年だけ一回休止するという手。もう一つは開催時期をお盆から別の日程に換えるという手段だ。

そうすれば、ファニーボーンズも日本に居るから参加できるし、旅費も安くすることができる。だがその場合、単独で「大道芸フェスティバル」を開催するとなると、日程と開催場所と観客数の確保ができるかという問題点が出てくる。平原まつりも「北の大地de大道芸フェスティバル」がなくなったら観客動員数ではかなり寂しい状態になってしまう可能性も考えられる。

9年連続で大道芸を開催してきたから、市民には夏まつりの風物詩になっていることだろう。さても悩ましい問題である。


■2010-10-27-Wednesday 贔屓の

贔屓のラーメン屋さんが閉店した。

今年になってから贔屓にしていたラーメン屋さんが2軒も相次いで閉店してしまった。

一軒は春に「寶来」、そして昨日は「ねぎし」である。

26日の夕方17:30に帰宅して十勝毎日新聞を見たら、「ねぎし」が26日で閉店すると出ているではないか。

「エッ26日って今日じゃないか!」驚いた。

10月はまだ「ねぎし」に行っていなかったので知らなかったのだ。

「ねぎし」特製の「ねぎしめん」は醤油と擂りゴマ、豆板醤を混ぜ合わせた独特のスープ味で、ごま油で炒めたもやしが乗ったちょっとピリ辛の特徴のあるラーメンである。

我が家は昔からのファンで親子3代で通っていた店なのだ。

このラーメンがもう食べられない、しかも今日で閉店!?

すぐに電話して「今日は何時まで営業していますか?」と聞いたら「もう暖簾を仕舞ってしまった」と言う。「どちら様ですか?」と奥さんが聞くので「坂本です」と答えたら「坂本さんが来てくださるなら、店を開けて待っています」と言ってくれたので母を誘って妻と3人ですぐに食べに行ったのである。

「ねぎし」さんは我が家の店子さんだったこともあるので、昔なじみなのだ。

「ねぎし」の親父さんが「坂本さんにわざわざ店を辞めると電話するのも何か変だしなぁ〜と女房と話していたんですよ。今日食べに来てくれて本当に良かった」と、結局、私たち3人が「ねぎし」の最後の客となった。ご主人も「坂本さんが最後のお客さんになってくれて嬉しい」と言ってくれた。

「寶来」は手打ちの太麺、独特の酸味のあるスープの店、「ねぎし」は前述した特徴のあるラーメン店で、両店共、後継者はいない。

両店のラーメンを誰かに継承してもらいたいものだが、それもできなくて食べられなくなるのはとても残念である。

また一軒、帯広の特徴のあるラーメン屋さんが閉店してしまい、名物が減ってしまう。まことに残念なことである。


■2010-10-28-Thursday 十勝Happyマラソン大会

来年の今頃に開催する予定で

「(仮称)AIR DO十勝Happyマラソン大会」という企画を現在進行中である。

来年3月27日に北海道の航空会社「AIR DO」がとかち帯広空港ー羽田空港線を就航するのに合わせて、何か記念になる冠イベントを開催したいという依頼が、何故だか私のところに来てしまったのである。

今は全国的にランニングブームであるらしい。

そんな中で十勝は、かつてはマラソン大会が開催されていたが、現在は無くなってしまったという経緯があるというのだ。

いわば十勝はマラソンの空白地帯なのだそうだ。

十勝平野の真っ平らな土地はマラソンには最適な場所でもあるらしい。その十勝にマラソン大会がないのはオカシイというのである。

マラソン大会が無くなった諸般の事情を調べてみたら、ひとつにはスポンサーの金銭面での負担が大きかったこと。

二つ目はマラソンコースが郊外にある帯広の森の陸上競技場をスタートとゴールにして、農村地帯を走るコースであったことがその理由らしいのだ。

私はマラソンを始め、中・長距離走は大の苦手であるから全く無関心であったから良く判らない。

しかし、確かに観客のいない田舎道を走っても、面白くはないだろうなぁ〜とは思う。

東京マラソンに代表される「市民マラソン」はランナーは都心部を走って、走らない観客(市民)の歓声を受けるから張り合いが出てくるのだろうと思う。誰もいない田舎道ではつまらないだろう。

だから、マラソン大会復活の条件は街中を走らせることにある。

しかし、市街地を走らせるということは、普段は自動車の為の道路をその時だけランナーの為に封鎖しなければならないのだから、警察や道路管理者(国道なら開発局、道道なら総合振興局(旧土木現業所)、市道なら市役所)の許可が必要だ。更に、沿線の住民や会社などにも周知徹底が必要になるだろうから、一筋縄ではいかないだろう。

8月20日にこの話の軽い打診があって、正式に依頼を受けたのが9月14日である。それから超特急で話を進めてきて10月7日には第一回の準備会、そして26日に第二回準備会を開催してきた。

オール十勝で取り組む為に、50以上の団体に声掛けをして下準備をしてきた。ようやく警察も道路管理者も、「とかちプラザ」を出発&到着地点として、白樺通りや平原通りなども走れるコースに賛意を示してくれた。実質1カ月間で、良くここまで漕ぎ着けた感じだ。

これからは、実行委員会を立ち上げて、来月中には発表するところまで行きたいと考えている。


■2010-10-29-Friday ニュース雑感

TPPに関してのニュースから、

前原誠司外相がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関して「日本のGDPの内、農業などの第一次産業は1.5%、その1.5%を守るために98.5%が犠牲になっている」と発言したという記事が載っていた。

話の前後の詳細が不明だが、ここだけ切り取って読むとかなり乱暴な発言だ。このご仁は結構勇ましいことをいつもサラッと言うが、深い考えで発言しているようには感じない。鳩山由紀夫とは考え方が逆の様だが、発言の仕方は同じに唐突である。

いわゆる効率主義者の人達の発言要旨に極めて似ていると感じた。

「日本は資源の少ない国だから、工業を重視して、その工業で金を稼ぎ、稼いだ金で他の国から食料を買えば良いのだ」という発言に聞こえるのだ。

工業系の大企業の社長さんにはこの手の考え方の人が多い。私もかなり以前に、日本を代表するようなメーカーの社長さんから、このような趣旨の意見を聞いて驚いたことがある。

日本の政府の外交がお粗末なことは、先の尖閣諸島の事件でも立証済みである。今日の気候変動の真っ只中にある地球で、世界的な農業の不作が起こらないとは誰も断言できまい。

そんな非常事態が起きた時に、自国の人間に食べさせるよりも金を稼ぐ方が先だとばかりに他国に食料を売る国家が果たして存在するのだろうか?

もし、そんな国が有ったとしても、人間は食べなければ生きていけないのだから、暴動が起きるだろう。かのフランス革命だって、食べ物が不足したから起きたと言われているくらいだ。「パンが無ければお菓子を食べれば良いのに」と言ったマリーアントワネットは断頭台の露となったではないか。

世界はグローバル化していると言うが、それは単にアメリカンスタンダードに他国を合わせさせているだけのようにしか感じない。要はアメリカにとっての商売のやり易さを確保する為の手段にしか過ぎないのではないだろうかと私は思っている。

何度も言うが、人間は食べなければ生きていけない。お金は喰えないのだ。国民がいざという時にチャンと食べられるようにしておくのが政治家の仕事だと思うのだが・・・。

何だか、民主党の政策は行き当たりばったりのように感じてしまう。こんな重要なことを閣議決定で進めようというのはいかにも拙速で乱暴だ。

国会は、議論をする場所なのだからキチンと論議をして欲しい。

プロ野球のドラフト会議で、今年の目玉選手(?)である早稲田大学の斎藤佑樹投手の交渉権を日本ハムが獲得した。

日本ハムはクジ運が強いなぁ。結構話題の選手を獲得している。来年はダルビッシュ投手が大リーグには行かないそうだから、彼に投球術を教えてもらえれば大化けするかもしれない。

中国の尖閣諸島問題から発生したデモであるが、私にはどうも日本に対するデモという感じがしないのである。

これは、日本に対するデモだということにしておけば、中国政府も認めるから、日本に名を借りて欲求不満を解消する為の、いわば自国政府へのデモだと思うのである。尖閣諸島問題くらいでこんなに大騒ぎするほど愛国心があるとは思えないのだが・・・。


■2010-10-30-Saturday このブログ

このブログを読んでくれている人が、

結構居てくれるようだ。「先日のラーメン店閉店の話、本当に惜しいですよね。」と数人から話しかけられた。

読者が居てくれるというのは張り合いが出てくる。

そんな嬉しい気分で29日の早朝にブログを書いてアップしようとしたら、画面にヘンテコリンな横文字が出て来てアクセス出来なくなってしまったのだ。

コンピュータ、ウィルスか!と早合点したが、自分で直せるほどコンピュータには詳しくない。詳しくないというよりも全く解らないのだ。

すぐに、会社のHPを作ってもらったコンピュータの会社に電話して来てもらったが、原因が良く判らないと言う。

結局半日ほどで元に戻ったが、こういう事態になるのは困りものである。尖閣諸島問題を書いたりしたから中国の仕業かしらとか、さもなくばこのブログに登場させた人物の嫌がらせかしら!とあれこれ余計な詮索をしてしまうからだ。

結局原因はよくは判らなかったようだが、日付けが重なった為に起こったような話である。

何にせよ回復してくれて良かった。


■2010-10-31-Sunday マラソンコースを

マラソンコースを走ってみた。

と言っても、足で走ったのではなく、自転車であるが。

現在、「(仮称)AIR DO十勝Happyマラソン大会」の準備中だが、開催予定日が2011年10月30日(日)に決定したので、丁度、来年の今日である。

この時期の十勝の外の状態がどんなものかを自分で体感しておくには今日をおいて他にはないと思い立ち、物置から自転車のマウンテンバイクを引っ張り出してきたのである。

今日の11時の天気は晴れ時々曇り最高気温10℃、最低気温1℃、風は微風という状態。

11:09に「とかちプラザ」をスタート、コースに忠実に走るために車道を走った。

すぐに駅の南側で左折して、長崎屋の北西の角を右折して西3条通りに出て北進、道銀の角を左折して9丁目線に出る。9丁目線を西進して白樺通りを西進する。ここはかなりの長さの直線コースだ。郊外型の店が並ぶ通りであるが、歩いている人はほとんど居ない。

普段、この道を自動車で走っている時には広い通りだと認識していたが、自転車で車道を走ると、自転車専用レーンがないから、自転車は危険を感じて走りにくい。

橋を渡ってすぐに開西病院の南西の角を左折して中島通り(通称:アルバータ通り)(11:39)に入る。この道は自転車専用レーンがあるから自転車は走り易い、ただし、交差点に近づくと自転車レーンが消滅して自動車の左折レーンになるので、かえって危険を感じた。きっと道路に線を引く人は自転車で走ったことがないのだろうなぁ〜。

帯広の森に行く道で右折するが、ここから帯広の森の上り坂までが道が狭いのが少々気になるが、ここまで来たらランナーもバラケるからたぶん大丈夫だろう。

この辺りに来ると牛と豚の臭いがプ〜ンと漂ってくる。十勝を走っている気分が満点だ。この上り坂はかなりキツイが樹のトンネルを抜ける様で良い感じがした。

白樺学園の前に出る道路で左折、明治オーバルスケートリンクの周りを1周して距離を調整する必要がある。

再び、野球場の前の道に出てくるが、帯広の森通りの広い道路に出る前の道を左折して、パークゴルフ場の横を抜ける道に入る。

パークゴルフ場を出てすぐに右折して、帯広の森通りを横断し、交流館の前の道に出る。自衛隊の手前で左折して下り坂。

この下り坂は自転車で漕がずに時速40kmも出たので、ランナーにはかなり酷な箇所になるかもしれない。

下り坂の最初の信号機で右折して常盤通りを東進し緑ヶ丘公園へ、緑ヶ丘公園に入るのに、すぐ手前の緑ヶ丘大通りに左折、すぐに右折して、直進で緑ヶ丘公園に入る道を選んだ方が良いだろうと思った。

緑ヶ丘公園内のコース取りで距離の調整をする必要がある。

今日、走ったコースは美術館と児童会館の間の道に入ってすぐに左折し、百年記念館の裏側と池の前に出て、茶屋を大きく右折して、グリーンステージを右手に見ながら、グリーンパーク前に出る。ここに公衆トイレがある。結構コース上に公衆トイレが存在している。

この道を通って、公園大通りに出て駅に向かって北東進、西8条通りで左折して北進、厚生病院の角を右折して7丁目線を東進、市役所、NHK、中央公園を通って、藤丸の北側の角を右折して西2条通りに入る。

西2条通りを駅に向かって南進、駅北の11丁目線を右折して、西3条通りで左折、鉄道高架下を潜って、長崎屋の前を抜け、とかちプラザを左に見ながら左折、図書館との間の駅南の公園大通りでゴール(12:51)。

いくら信号で停まったりメモを取る為に停まったりしたといっても、自転車だというのに1時間40分も時間が掛かってしまった。

マラソンランナーはフルマラソンの42.195kmを2時間10分程度で走るから、ハーフマラソンなら1時間ちょっとで走るのだろう。エエッ〜、マラソンランナーって自転車よりも速いの?

そうか、すごい速さで走っているのだなぁ〜。

寒さは全然感じなかった。多少耳が冷たかっただけである。太陽が出ている場所はポカポカしているし、風が無かったから温かくて汗までかいた。

ランナーにとっては今日ぐらいの天気の方が暑い時よりも走り易いのではなかろうか?

コースとしては、駅、競馬場、郊外型ショッピング店、住宅、公園の中、学校、中心街など、起伏もあって変化に富んだコースだから走っていても退屈はしないだろう。

ただ、帯広は夏でも、外を歩いている人はほとんどいない。果たしてコース沿線で応援してくれる人がいるだろうか?その辺が心配だなぁ〜。

でも、なかなか良いコース設定ではないかと自負できた。

今日、走ってみて良かった。