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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-12-01-Thursday 冤罪?

またまた冤罪か!

1986年、当時15歳の女子中学生が福井市で殺害された事件を巡って、殺人罪で懲役7年の実刑判決を受けて服役した前川彰司さん(46歳)が、裁判のやり直しを求めた再審請求が認められた。

この事件はたった25年前のものである。それなのに昨日のニュースを見ていたら、前川さんがやったという物的証拠は何もなく、知人の目撃証言を根拠にして逮捕したという。前川さんは捜査段階から一貫して否認していたのだというが・・・。

驚きなのは物的証拠が無いのに有罪になったということである。ニュースではこの知人の目撃証言がウソであったと本人が証言している場面があったが、かなり怪しげな目撃証言という状況証拠だけで殺人の有罪判決とは無茶苦茶である。

今回の再審請求も、恐らく、これまでの検察の態度だったら棄却するのであろうが、先の「村木事件」の証拠ねつ造などで検察の威信が大きく揺らいでいるから、世間の目を気にして再審を受け入れるのではないだろうか?

それにしても、たったの25年前なのに、こんな裁判が行われていたとは恐ろしいことだ。

検察は犯人をでっち上げることが出来てしまうことになるからだ。結局は、真犯人を逃すことにもつながるから、遺族にとっては居た堪れない気持ちになるであろうし、無実の人間を殺人罪で刑務所に入れるということは、その失った青春の時間や、犯人にされた家族の無念さは推し量ることも出来ない。

検察の横暴は、誰一人幸せにすることなく、ただ検察のメンツのみの為に他人を貶めているのだ。

冤罪は一番大きな罪である。

今回のことには裁判員制度もいくらか貢献しているという解説者の意見があったが、確かに裁判という一般常識の通用しない所に、一般人の見方が少しは入ったという効果はあるのかもしれない。

が、しかし、私は一般人が裁くという行為には依然として反対である。

裁判員に一般人の感覚を持たせるような仕組みした方が良いと今でも考えている。


■2011-12-02-Friday 帯広の中心街

帯広市の中心街での

最近の変化について書いてみたい。

まずは広小路商店街のアーケードの修復工事が先ごろ終了した。以前の鉄の重々しい暗さとは打って変わって、開閉式天井を透明プラスチック製(?)に替えたことで太陽光が入る様になり、その重々しい暗さがなくなって、軽くて明るい雰囲気になった。

通り自体は良くなったが、肝心の商店の方が、くしの歯が抜けた様に空き店舗だらけの状態のままだし、残っている店も呉服屋さんや昔ながらの洋服屋などが多いのが現状だ。

テナントの入り手が少ないから、おそらく家賃が安くなってきたのだろう、ぼちぼち若手の人達が、古着屋とか飲食店などで新規に入って来てもいる。今が過渡期なのかもしれないが、今回の改装を機に若い店主に大勢出店してもらいたいものだ。その場合に、注意しなければならないのは、今回の改装費の負担をその新規出店者に付加することだ。

そうしてしまうと、家賃が高くなってしまって、また出店意欲が減退してしまうだろう。大家がその分を長い目で見て負担するようにしなければいけない。

また、出店者の業種を商店街で上手くバランス良く配置するようにしたいものだ。まるで、現在の広小路は商店街としての体を為していないからだ。誰か全体をプロデュースするような人材が欲しいところである。

我が社の正面にある旧北洋銀行ビルの解体工事が始まっている。我が社から見ていると既に5階の高さぐらいまでは解体が進んでいる。

私の事務所から商工会議所ビルの上に付いている北海道銀行の看板が見えるようになった。

この旧北洋銀行ビルは1980(昭和55)年までは藤丸デパートが使用していた建物だ。1964(昭和39)年に藤丸が建てたものだから、当時、向かいに住んでいた私は幼稚園生だったから、物心ついた時には既にこの建物が建っていたことになる。そのビルが解体されると48年振りに風景が変わることになる。なんだかとても感慨深いものがある。

このビルの解体工事の振動が、向かいの私のビルにもドスン、ドスンと響いてくる。地震と間違うほどの大きな振動だ。おそらく鉄骨ビルではなく、鉄筋コンクリート製のビルなのだろう。かなり頑丈な様であるから解体が大変なのではなかろうか?

それにしても、帯広の街中を歩いていると、やたらと駐車場や空き地が増えていることに愕然としてしまう。こんなに空き地ばかりにしてどうしようというのだろうか?

20年前ならまだ駐車場も必要だったが、現在ではかなり余っているほどである。今後も少子高齢化で運転する人の数は大幅に減少するだろうことは明白だし、そこにもってきて、最近の若者の車離れである。ますます車の数も減るだろうに・・・。

行政が帯広の街、全体のプロデュースをしなければ、淋しい街になってしまう懸念が大である。

そろそろ街としての限界が近いのかもしれないと感じている。


■2011-12-03-Saturday タイヤ交換

朝の天気予報を見たら

十勝地方は午後から40㎝の雪が積もるという。

私の車のタイヤはまだ夏タイヤのままだったので、午前中に冬タイヤに取り替えることにした。

今日は午前10時に帯広空港で仕事があるのだが、私の車のタイヤ交換がその時間までには間に合わない。そこで妻の車にタイヤを積んで2台でガソリンスタンドに行き、私の車とタイヤをスタンドに置いておいて交換してもらっておき、妻と一緒に妻の車で空港の仕事に行って、仕事が終了後に取りに戻ることにしたのだ。

12時過ぎに仕事を終えて帯広市内に戻って来たら、雪がパラパラと降りだして来た。

午後に買い物に行ったら、もう薄っすらと積もっている。このブログを書いている午後10時頃には15㎝近くまで積もっている。

タイヤ交換がギリギリ間に合った。

これだけ積もったら、もう明日から春の雪解けまでは積雪状態が続く。もうそうなったらすっかり冬である。

明日の朝は雪かきが待っている。腰が悪い身にとってはこの雪かき作業はかなりつらいのだ。

家の隣の方がキレイ好きというのか、潔癖症というのか、自分の家の前から雪を全て無くすほど完ぺきに雪かきしてしまうので、我が家が適当な雪かきをすると、とても落差が激しく見えてしまう。

もう少し隣の方にもいい加減な除雪にしてもらいたいのだが・・・。


■2011-12-04-Sunday 雪かき

案の定、今冬初めての雪かきになった。

朝、起きて窓の外を眺めたら20㎝ほどの雪が積もっていた。昨夜の10時頃からさほど変わりがないと思ったのだが・・・。

雪かきの為に外に出てみたら・・・、

朝方にでも雪が雨に変わったのだろう、その分雪が締まっていてとても重たい。おそらく30㎝程度は降った雪が、雨で固く締まって20㎝程度になっている状態だ。

この状態が雪かきには最悪である。重たいし、押してもすぐに団子状に固まるしで処置に困るのだ。

とりあえず、玄関から門までと、車庫の前を一台だけ出せるようにしただけで汗だくになってしまった。この後一旦シャワーを浴びて朝食をとって一休みしてから、今度は庭の前と、裏の母の家との通路、母の家の前を開けたら腰と腕がパンパンになってしまった。雪かきしなければならない面積が広過ぎるのである。

またまた汗だくになったので再びシャワーを浴びて一休みしようと思ったら、妻が運転手をしろという。雪が多いと恐いのだと言うのだ。駅やスーパーマーケットや美容院などに運転手として働かされて休む間もない。

妻が美容院から戻ったら、今度は窓にビニールを貼れという。どこまでも人使いの荒い妻である。

夜は、母が小野寺秀道議会議員のクリスマスパーティに行きたいから一緒に行ってくれと言う。私は政治家のパーティにはこれまで一度も出席したことがないのだ。

ただ、小野寺道議は弟の嫁さんの兄きであるから、親戚に当たる訳である。お付き合いということで妻と母と三人で北海道ホテルに行ってみることにした。

母は去年も参加しているという。立食形式なのかと思ったら、ちゃんと席が用意されているではないか。事前に出欠をとる訳でもないから、どれだけの数の人が当日来場するかは判らないと思うのだが、おまけに今日は大雪が降ったから尚のこと読みにくいだろうに、それでもほぼ満席状態であったからスタッフの読みが素晴らしいということなのだろう。これには感心した。

パーティには市議会議員や衆議員候補者も顔を出している。政治家と云うのはこういう付き合いが多いから、私にはこれが面倒臭くてとても政治家になる気にはなれない。

北海道ホテルの食事もまぁまぁ美味しかったし、政治家の政治以外の仕事(?)の別な意味での大変さもうかがい知れた。

今日は腰も腕も肩も痛い。明日はきっと筋肉痛に襲われるだろう。今晩は身体中にシップ薬を貼ってねることにしよう。


■2011-12-05-Monday 帯広空港の

帯広空港の売店の仕事で

午前中に空港に出向いた。

六花亭・柳月・竹屋・坂本商事の4社が構成している「帯広みやげ名店会協同組合」の代表理事になれという。

今年の3月まで構成員で代表理事も務めておられた豆総の奥山さんが病気の為に廃業して協同組合から脱退したので、専務理事をしていた私にそのまま代表理事に昇格せよというお達しなのだ。

とりあえず、決算期の10月末までの臨時で務めることにはしていたのだが・・・。12月の総会で正式に代表理事にするという。

本業もあるし、しょっちゅう自社から27㎞も離れている帯広空港に行く訳にもいかないから、支配人の仕事をしてくれる人材を見つけるならということで引き受けたのである。

その支配人(統轄マネージャー)に藤丸を退職した池田浩さんが就任してくださることになったので、仕事の引き継ぎで、まずは帯広空港での引き継ぎ、午後からは坂本ビルでの引き継ぎを行なった。

これで少しは仕事が楽になるだろう。なにせ無報酬で週に一度、帯広空港と自社都の間を行き来しなければならなかったから往復の時間を含めると3時間近くを消費するのだ。

9・10・11月と3ヶ月間もこれをやらされたのだから堪らない。

ようやく統轄マネージャーが決まったから、これで空港に行く頻度は減るだろうと思っている。


■2011-12-06-Tuesday ニュースから

昨晩のニュースを見ての感想

まずは鳩山由紀夫元首相の5日の「元首相としての責任があるから、これからも沖縄に関わっていきたい云々」「辺野古周辺以外の場所も模索するべき云々」などの発言を聞いていて呆れてしまった。

テレビの画面は見ていなかったのだが、テレビから流れてきた声を聞いて、いつの発言なのかが判らなかったくらいだ。

このご仁は、現在の沖縄問題を自身の「最低でも(沖縄)県外」発言でこじらせた張本人なのに、未だにこんな無責任な責任発言をしているとは・・・、開いた口が塞がらない。

そもそも、政権交代をぶち壊した張本人が現政権に対していうべき言葉ではないだろうに・・・。本来なら蟄居の身であるはずだろうに・・・。

まさに宇宙人!この能天気なお坊ちゃまはいったい何を考えているのやら。ところで、このご仁次回の選挙に立候補するつもりなのだろうか?苫小牧の有権者がこのご仁を当選させたとしたら日本中どころか世界中の恥になるかもしれない。さっさと、自分の「辞める」と言った言葉に責任を取れ!

ロシアではプーチンの人気に陰りが出て来たようだ。先に行われた選挙でプーチンが党首である統一ロシア党はかろうじて過半数は維持したようだが、野党が躍進したという。

そりゃ〜そうだろう。大統領と首相が入れ替って体制を維持し、法律を変えて大統領の任期を伸ばして独裁政権にするプーチンの野望は、言わば、ロシアの新皇帝にでもなるつもりなのだろうか。

ロシアの民衆もさすがに諸手を上げて賛成とはいかないだろう。

プーチンに反逆するものは暗殺されるという噂もあるくらいだから、かなり危険な独裁者になりつつある。

日本だけではなく、どこの国も政治家の劣化が著しいように感じる。


■2011-12-07-Wednesday ニュースから・続

昨晩のニュースも

すごい内容であった。

まずは鈴木宗男(63)元衆議員の仮釈放のニュース。1年間のオツトメを果たしてシャバに復帰したが、それにしても、まぁ元気な人だねぇ〜。

例のダミ声で吼えまくっていたが刑期が完全に終了する来年5月から5年間は公民権停止で選挙には出られないというが、新党大地としての基礎票が50万票もあるそうだから、各種の選挙で影響力をちらつかせて、自らの影響力を保持していこうという狙いなのだろうが・・・。

それにしてもだ、かつて鈴木宗男を批判していた連中までもが、国会内で行われた仮釈放報告会に顔を出していたのには驚いたねぇ〜。政治家の節操の無さには呆れてしまうなぁ〜。

柔道のオリンピック2大会連続金メダリスト(アテネ・北京)の内柴正人(33)が準強姦罪で逮捕された。自身が指導する熊本の九州看護福祉大学の女子柔道部の未成年の部員に合宿先の東京で、酒に酔った部員にみだらな行為をしたというのだ。本人は「納得できない。合意の上だった」と言っているようだが、これは完全にアウトであろう。イタシタことは認めているようだ。

しかし例え、仮に合意があったとしても、合宿の引率の先生が生徒の、しかも未成年者に酒を飲ませて酔っ払っている時に、みだらな行為に及んでは申し開きは出来ないだろう。内柴は自覚が足りないとしか言いようがない。

東電の福島第一原発事故の賠償範囲を検討する文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会は6日賠償指針をまとめたが、妊婦と18歳以下の子ども一人当たりに40万円、それ以外の人には一人当たり8万円の賠償を求めた。対象者は約150万人で2千億円ほどだという。

エ〜ッ、たったの8万円!

事故からほぼ9カ月も経っているのに・・・、避難してホテルに泊まっていたり、アパートを借りている人にとっては、スズメの涙にもならないだろうに・・・。こりゃ〜まだひと悶着ありそうな感じだ。もし、これで賠償が終わりだなんて言ったら、誰だって怒り出すだろう。

埼玉県の通り魔事件で16歳の通信制高校に通う男子学生が逮捕された。大人しい子だったというが、刃物を20数本も所持していたというし、猫の首を切ったという話もあるようだ。

猫の首を切った時点で、精神科医の治療を受けさせるべきだったろう。両親や学校関係者は見て見ぬふりをしていたのだろうか?この事件を聞いて、酒鬼薔薇聖斗事件を思い出した。この種の人間は段々とエスカレートしていくものなのだろう。早目に判った時点での対応をしていればこの少年もこんな犯罪は犯さなかったかもしれない。

それにしても、実に毎日色々な事が起こる世の中である。


■2011-12-08-Thursday レーン・宮沢事件

北海道新聞朝刊で

12月5日から「12・8開戦の朝に レーン・宮沢事件から70年」という5日間に亘る特集記事が組まれているが・・・。

このレーン・宮沢事件(1941(昭和16)年12月8日真珠湾攻撃の日)とはスパイ容疑で北大構内に住んでいた英語講師ハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻(夫妻共に当時49歳)と当時北大工学部2年生だった宮沢弘之(当時22歳)さんが逮捕された事件である。

この宮沢弘之さんの妹さんが、なんとアメリカコロラド州ボルダーでお世話になった秋間美江子さんその人であった。

2年ほど前に帯広に秋間さんが遊びに来られた時に、この事件の話を秋間さんからサワリだけ聞いたことがあったが、この新聞記事のようには詳細には聞いていなかったのだ。

今年も秋間さんは10月1日に突如、帯広に遊びに来られたが、この記事の事やインタヴューを受ける話はされていなかったから、5日の新聞で秋間美江子さんの名前を見て驚いたのである。

明日が連載最終回の5回目である。

これだけの内容の特集記事だから恐らく北海道新聞社からアメリカの秋間さん宅に直接送られるのだろうが、私も新聞を丁寧に切り抜いてアメリカの秋間さんに送ろうかと考えている。

さて、それにしてもだ。

当時の特高警察はかなり強引なことをやっていたという話は、他の事例でもよく聞く話だが、こんなでっち上げの犯罪で若い命を失った家族はとても悔しいことだろう。ましてや、戦争中であるから、スパイ容疑というのは「国賊扱い」だから家族はさも肩身の狭い思いをされたに違いない。

このブログにも何度も書いてきたことだが、未だに、現在も冤罪があるということは、百の犯罪を暴くよりも、一つでも冤罪は出してはいけないという司法の大原則が守られていないからだ。

おそらく、検察や警察の体質というものは、当時と大差ないということなのかもしれないし、一般人の感覚も変わっていないということなのではないか。

しかし、それにしても、身近な人に関わる、こんなヒドイ事件があったなんて・・・。

これは決して古い、過去の話なんかではないことを肝に銘じよう。

これからも冤罪は決して出してはいけない。


■2011-12-09-Friday 今朝の新聞

今朝(9日)の北海道新聞朝刊の

とかち帯広版に『「会計が不明朗」と指摘 帯軟野球有志が会発足』という見出しの記事が掲載されていた。

まだ事の真偽は定かではない様だが、どこの組織にも似た様な問題があるのだなぁ〜というのが感想だ。

私も以前に所属していた某組合の不明朗な会計をこのブログで何度も指摘しているからだ。

多少なりとも税金から補助金を受けている団体ならば、預かっている資金の会計は明朗でなければならない。

例え補助金を受けていない組織であっても、他者から預かっている資金の用途は明確にしなければならないはずである。

私が指摘した某組合は、20軒の屋台から毎月2万円ずつ計40万円もの「広告宣伝費」を徴収している、年額にすれば480万円にもなるが、この使途を一切明らかにはしていない。

家賃という名目で徴収している部分に関しては組合の収入なのだから、役員が例え世間一般の常識からは、かなりかけ離れた高額な報酬を得ていたとしても、その組織の運営方針なのだから、顰蹙をかうことはあっても法律には抵触しないだろう。

が、しかしだ、名目が「広告宣伝費」である以上は、全体の広告宣伝費以外の出費は一切認められないはずである。

何故こんなことを書くのかと云うと、先日、帯広空港の観光案内所や十勝川温泉の3つのホテルの観光案内所を覗いてみたのだが、この某組合のパンフレットが置かれていなかったのだ、パンフレットがあったのは「十勝乃長屋」のパンフレットであった。少なくとも広告宣伝費を徴収して製作している筈のパンフレットが空港やホテルに置かれていなくて、ライバル(?)のパンフレットだけが置かれている状態を何と考えたらよいのだろうか?一体、何部作成したの?

当然、どんな広告宣伝にどの様に使用したのかの明細を、徴収している人達には明らかにする義務があるだろう。

それを、私が辞めた後のここ5年間は一切明らかにしていないのは何故なのか?480万円×5年間なら2千4百万円もの大きな金額になる。

この某組合は家賃以外に「広告宣伝費(月額2万円)」と「共益費(月額2万円)」という別な科目で徴収している。

「共益費」という項目は、トイレの費用(ペーパー、水道、電気、清掃など)、共用通路の費用(冬のロードヒーティング電気代、照明代など)、商店街会費など等に使用されるが、これは預かり金であるから、年間を通せば、徴収した金額とほぼ同額が右から左に動くだけであるはずだ。この項目でも利益をだすことは許されない。だから、どこそこにいくら払いましたという領収証があればそれを報告すれば良いだけなのだが、それすらやっていないという。これで、その組合には4人ものスタッフが常駐して居るというのだから、彼等は一体どんな仕事をしているのだろうか?という疑問が湧いてくるのだが・・・。

まぁ、この組織の人達は金銭感覚が一般とは異なるのかもしれないなぁ〜。


■2011-12-10-Saturday テレビで

土曜の夕方に

テレビTBS系の報道特集という番組をつけていたら「詐欺事件」の特集をやっていた。

仕事をしながら耳で聞いていただけで画面はほとんど見ていないからうろ覚えなのだが、なんでも「絶対に勝てるという競馬の八百長レースを教えるからお金を振り込め・・・」とか云うような詐欺らしかった。

二百万円を騙し取られたという老男性がテレビ局に告発したような感じだった。

それはそうだろう。八百長レースと判って掛けたのなら犯罪の片棒を担いだことにもなるだろうから、まさか警察には告発は出来ないが、騙されたのがどうにも腹立たしいからテレビ局に訴えたというような風に見えたのだ。

どうして世の中にはこんなに詐欺が横行しているのだろうか。このテレビ番組でも詐欺事件の被害額が数百億円にも達しているのだそうだ。お金はあるところにはあるのだなぁ〜。

この詐欺にあった老男性も、金を儲けたいというスケベ心があったからだろう。ましてやそれが八百長レースを教えるというのだからアヤシイと思わない方がオカシイだろうに・・・。

犯罪の片棒担ぎをしてまでお金を儲けたいという卑しい心、騙されたと判って何とか復讐したいというこれまた卑しい心、私はこの男性を気の毒だとは思えない。自業自得というやつではないだろうか。

この詐欺を考えた奴も、騙された人間は警察には告発は出来ないだろうと踏んでの詐欺行為なのだろうが、この手の詐欺には引っ掛かる人間はそう多くはないだろうから効率がすこぶる悪い詐欺だろうと思うのだが・・・。それでもこんな詐欺が横行しているということは今の世の中には卑しい人間が増えたという証なのかもしれないなぁ。

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■2011-12-11-Sunday プロ野球の

プロ野球の話題から

私に関係のある人物の動向について書く。

まずは横浜DeNAベイスターズの監督に、我が母校駒澤大学出身の、中畑清先輩が決定した。

中畑さんとは11年ほど前に、駒澤大学同窓会十勝支部を創設した際にゲストとして帯広に来てもらったし、中畑さんは駒澤大学同窓会の東京支部長を務めておられるので、年に一度開催される支部長会議では、十勝支部長を務めている私とは何度か同席もしている。

中畑さんは、見た通りの裏表のない人で、とにかくいつも元気一杯の方だから元気のない横浜に元気を注入して頑張って欲しいと思う。

その横浜の監督を断わったのが、工藤公康さんである。工藤さんとは娘同士が同じフィギュアスケートのチームに所属していたこともあって、奥さんの雅子さんとは2年前に一緒にアメリカに応援にいったし、工藤公康さん本人とは去年帯広での遠征試合があった時に、ホテルのラウンジでお話をさせてもらった。その時のことはこのブログにも書いたが、その優しそうな風貌からは、そう見えないが、信念を持ったブレナイ芯の強さを持っている方だ。その表れが、自分の思うようなチームが編成できないと、およそ2億円と言われている契約金を蹴っ飛ばして、横浜ベイスターズの監督就任を断ったことである。今年で現役も引退するということで寂しいことだ。しかし、金で動く人物ではないということで改めて尊敬した次第。

日本ハムファイターズのエース、ダルビッシュ・有投手が、ポスティングシステムでアメリカ大リーグへの移籍希望を表明した。去年のアスレチックスと岩隈投手の例もあるから成立するかどうかはまだ未定だが・・・。

ダルビッシュは仙台の東北高校で、私の長女と同級生だった。娘は卒業時に生写真とサインをもらっていて、我が家に飾ってあるが、その写真の顔も身体も、今とは違って細くて弱弱しいが、今や身体も精神も大きくなって日本を代表する大投手になった。

北海道の人間としては日本ハムに入団してくれて、とても嬉しかったのだが、アメリカに行ってしまうのは寂しい気持ちがある。しかし、彼なら野茂に負けない成績を残すことだろう。

奥さんとの離婚云々も言われているが、アメリカで活躍するには英語に堪能な奥さんが必要かもしれない。アメリカに行く前にしっかり身辺整理してから行って活躍して欲しいものだ。


■2011-12-12-Monday 次女に

12月6日の夕方に

次女が卒業した東京の大学から電話が入った。次女はカナダに留学中なのでその旨を伝えて、私が用件を聞いたのだが・・・。

昔、娘に親切にしてもらったという男性の老人から、娘さんの連絡先を教えて欲しいとの要請が学校にあったのだという。

学校側は、その老人に個人情報保護法の問題もあるから、直接に娘さんや親の連絡先を教える訳にはいかないと一旦は断わった言ったのだが、「では、その娘さんに私の名前、住所、電話番号を伝えて欲しい。そしてその娘さんが私のことを判ったら連絡が欲しいと伝えて下さい。」との伝言を預かったというのである。

このところ、娘とこちらの時間帯がかみ合わなくてスカイプがなかなか出来ていなかったのであるが、10日に娘にようやく連絡がついたので確認してみると、留学資金を貯める為に働いていたアルバイト先に良く顔を出してくれた方だという。

悪い方ではないと娘も言うので、そのままホッタラカシにするのも失礼だから、妻が11日にその男性の携帯電話にダイヤルしてみたのである。

その方は、81歳の男性で、東京の有名都市銀行の人事部に長く務めておられ、人を見る目は確かだと自負しているとおっしゃる。

我が家の娘の対応が今時の女性にしては珍しく誠実な対応だと気に入られたようで、この就職難の時代だから是非とも就職先のお世話をしたいと考えてくれていたのだそうだ。娘は幼く見えるからまだ2年生くらいに見えたようで、今年のこの辺りから就活が始まるだろうと考えていた。それが最近、アルバイト先に顔を出しても娘さんの姿が見えないので、学校に訪ねて行ったら、今年の3月に大学を卒業していると言われた。親切にしてもらったお礼が直接言いたいと思ったのだそうである。

電話は1時間程も続いたが、「娘さんを見てキチンとした育てられ方をした娘さんだなと思いましたが、今、お母さまと話をして更にナルホドと納得しました。」とおっしゃる。

妻は普段の私に対する言葉づかいとはまるで違う丁寧な対応をする。妻の外面の良さは天下一品だ。

別段、特殊な育て方をした覚えはないが、私の背中を見て育ったのだろう、褒められて悪い気はしないものだと妻に言ったら、「子育ては全部私がやったのよ」と言うからハイハイと返事しておいた。

親馬鹿かもしれないが、子どもが褒められるというのは嬉しいものである。


■2011-12-13-Tuesday 根室1

北海道庁からの要請で

根室市で12月13・14日の2日間に亘る講師を務める。

自動車の長距離の運転は疲れるから夏でも大嫌いであるし、ましてや冬道での運転は避けたいので列車で行く事にした。

2001年にも北の屋台の講演で列車で根室に講演に行ったことがあるが、その時は根室の主催者の方が釧路駅まで迎えに来てくれていて、釧路からは自動車で移動したので、釧路から根室まで列車に乗るのは初めてである。

帯広駅からは11:35発のスーパーおおぞら3号で釧路に向かったが、帯広を出発する時点で8分の遅れである。釧路駅での乗り換え時間がちょうど8分間だから、ギリギリの時間だ。

釧路駅に到着してからかなり急いでホームを移動したが、列車は13:11分の発車時間になっても動かない。移動に手間取っている老人を待っているようだった。な〜んだ、これなら無理して走る必要もないのに、急いで下さいなんてアナウンスを流すから焦ってしまったではないか。

列車は1両だけの各駅停車のワンマン車、だからこれを果たして列車と表記しても良いものかは判らない。

根室駅には15:30に到着したが、帯広よりもかなり東に位置しているから、時差があるようで、帯広よりも20分くらいは早く日が落ちるように感じた。

駅前から歩いてホテルまで向かう。部屋に入るとタバコの臭いがするので、部屋の交換を申し出たら、そこしか空き部屋が無いというのでしかたなくその部屋に入ったが、今時、完全禁煙の部屋を用意していないのだろうか?喫煙の部屋でも、最近のホテルは脱臭機などを設置しているのだが、ファブリーズが置いてあるだけだった。

列車がそう頻繁には走っていないので、どうしても研修会のタイムスケジュールに合わせると前泊・後泊が必要になる。だから、2日間の研修で4日間も根室にいなければならないので、同じホテルに3泊もしなければならないから、せめて臭いのしない部屋に泊りたかった。気分直しに外をブラついてみることにしたが、街の中はまるで人が歩いていない。近くのイオンに入って夜に呑むお酒を買うことにした。

夕食は豪華であった。いや逆に豪華過ぎてとても食べ切れなかった。メニューは、サービスのドリンク(私は地酒の北の勝を注文)、前菜(小鉢8品)、刺身(ウニの松川巻き8個)、花咲ガニ(1パイ)、野菜の天婦羅(アスパラガス、ジャガイモ、かぼちゃ、タケノコ、なすび)、サーロインステーキ(4切れ)、カニ釜飯、サンマのつみれ汁、デザート(日本酒のアイスクリーム)である。ボリュームがあり過ぎてとても食べ切れない。少しずつ残してしまった。これから3晩もこんなボリュームでは、食べきれずにモッタイナイから給仕さんに明日の晩から量を減らすように注文した。

地下にある大浴場に入り、マッサージを頼んで、夜は、明日披露するマジックの練習をして寝た。


■2011-12-14-Wednesday 根室2

中途半端、

何もかもが中途半端である。

根室で泊っているホテルのことである。

朝食は、夕食を食べたレストランとは別の宴会場。入ってみると、お盆と箸と皿を受け取って、納豆・漬物・サラダ・生玉子・温泉玉子・海苔・梅干し・ご飯・おかゆ・味噌汁・クロワッサン・バーターロールパンなどが並んでいる、バイキング方式なのかと思ったが品目があまりにも少なく貧弱である。何点か取って席に着いたら、給仕が御膳を運んで来た。中身は焼魚・イカの刺身・豆腐・生たらこ・ヒジキの煮もの・ポテトサラダ・松前漬けである。なんという中途半端だろう!

バイキングならバイキングに徹してくれた方が好きなものを食べられるし、定食にするなら定食にしてくれた方が食べやすい。お膳が出るとは思っていないから、バイキングからかなりの種類を取ってしまったので、ここでもモッタイナイことをしてしまった。

食後に紅茶を飲むのが習慣なのだが、コーヒーしかなかったので、ここでも不満が貯まってしまった。

朝早くに起きて、朝市に行き、お土産(花咲ガニ・キンキ・北海シマエビ)を買って送った。9時に会場の根室振興局の3階に入る。研修会は「地域力向上サポート実践研修会」という名称である。釧路、根室近辺の役人17名を対象としたものだ。

一泊二日の研修会というのをこれまでに何度かやったことがあるが、北の屋台の講演とパネルディスカッションのパネラー役というのはあるが、2日間丸ごと担当するのは初めてである。

初日の今日は、午前中は道庁の職員が事例紹介などを行い。私が担当する午後14時の部門に入った。最初にロープマジックを7分程度披露してから、いつもの講演時間の90分間を120分間にして、翌日の「マジック的思考法」の講義の基本的な考え方と宿題を提示して17時に終了した。

まずは得意のマジックで「掴み」を行った訳であるが、これはなかなか効果があってスムーズに進めることができた。初日はこれまでに数百回もやっているいつもの講演のパターンなのでそれほど難しいことはない。

研修会終了後に懇親会を開催するというので、ホテルの夕食をキャンセルした。街中のレストランで開催されたが、変わった枝豆料理、鹿肉料理など面白い料理が出て来て美味しかった。やはり料理は一人で食べるよりも大勢でワイワイやりながら食べた方が美味しい。

二次会のスナックにも付き合って23時にホテルに入ったが、この間、ズ〜ッと話し続けたので喉が痛くなってしまった。


■2011-12-15-Thursday 根室3

根室は寂しい街だ。

日本最東端、ロシアとの国境近くということが、私に先入観を抱かせるのかもしれないが・・・。

駅前からホテルまで徒歩でおよそ12〜3分の間についに歩いている人の姿を見掛けなかったのだから・・・。

根室での2日目の研修は、「マジック的思考法」を使った研修である。これは私が考案したもので、マジックを考える際に使っている考え方をビジネスやまちづくりに応用出来ないかと考えているものである。

普段から自分では使っているものだが、他人に指導するというのは今回が始めてなのだ。

この研修を引き受けた2ヶ月程前から、どうやって指導するかの組み立て方法をズ〜ッと考え続けて来たが、やはりマジックの実演を見せるのが一番良かろうと「カップ&ボール」という3個のコップとボールを使った4千年前から続いているというマジックを披露することにした。

今回の研修を表現するのに最適のマジックだと考えた訳である。

この至極シンプルなマジックが4000年も続いていて、現代でも多くのマジシャンが演じているという理由を解説するのが面白そうだと考えたからだ。その他に、ミスター・マリックが郵便局員栗間太澄と名乗っていたテレビ番組のVTRもマジック的思考法の実例として紹介したり、紙を使ったパズルを使ったりして、飽きさせずに楽しく研修できるように考案したのだ。参加者からは好評だったように思う。

16時に研修は終了したのだが、この時間以後には帯広に戻る列車は無いのだ。なにせ根室から釧路までは一日2便しか「快速車」が走っておらず、根室発21:10ー23:20釧路着の便しかないから、釧路で一泊するか、根室でもう一泊するしか選択肢はない。釧路に23時半に着いても仕方がないし、移動するのも面倒だからこの日も根室に泊った。夕方の町を歩いていて「古本屋」を見つけた。旅先で古書店を覗くのが楽しみなのである。手品関係の本は無かったが、超能力関係の持っていない本が多数あったので10冊ほど購入して送った。

ホテルの食事はあれほど量を少なくしてくれと言ったのに、またまた食べきれない程の品数と量が出た。食べきれずにモッタイナイ思いがした。朝食も3日間ともほとんど同じメニューである。きっと根室に連泊する客が少ないから連泊用のメニューがないのかもしれない。

翌日の一番早い快速車は根室発11:03−13:05釧路着しかない。それに乗って釧路発13:25−14:53帯広着で戻ってきた。


■2011-12-16-Friday ありゃりゃ

朝起きて

4日間離れていた愛犬バニーの散歩に出ると帯広の朝は寒い。

バニーは黒いラブラドールレトリバーで15歳を過ぎた老犬で足元がかなりヨタヨタしているのだが、朝夕の散歩には連れて行けとせまってくるのだ。

オシッコやウンチも我慢が出来なくなっているようで、散歩に連れていくのが遅れると家の中でおもらししてしまう。

今朝は間に合って、家を出た途端に尻尾を上げてウンチをしてくれたので助かった。家の中でおもらしした上にドタッと転んだり、足で踏みつけたりしたら最悪で、家中がものすごい臭いになる。

先月、買い替えたばかりの絨毯もあちらこちらシミがついてしまってかなり臭くなっているのだ。

散歩から戻り、トレーナーから背広に着替えて出勤するのだが・・・。

私もバニーを年老いたとバカに出来ないことをやってしまった。

会社に着いてから、今朝は寒かったのに会社はさほどでもないなぁ〜なんて思っていた。昼にトイレに小便に立ってズボンのチャックを降ろし、パンツの穴を探したが手触りがどうも違う。ズボンのチャックの中を覗き込んでみたら、なんとトレーナーをはいたままだったのだ。道理で寒くないはずだ。いつもよりもズボンが引っ掛かるなぁ〜ぐらいにしか感じていなかったのだ。トレーナーを脱がずにその上にズボンをはいたのに気が付かなかったようなのである。

ありゃりゃ、いよいよボケがはじまったのだろうか?

野田総理大臣が「福島第一原発事故」が収束に至ったと会見したが・・・。

専門家の中からも、冷温停止状態かどうかは確認できないと言っているようだ。

火災事故で云えば、家が火災を起こしたのをようやく消し止めたようなもので、まだ火はくすぶって煙が出ている状態だし、臭いや瓦礫の処理は手付かずのままだ。この状態なら収束とは言わずに、単に鎮火したというだけではないのか。いつまた火が大きくなるかは判らない。

こんな発表の仕方をしたら、政府の信頼はますます薄くなるだけだろう。逆効果のように感じるのだが・・・。


■2011-12-17-Saturday 一人

私が15日に根室から

戻ったら、今度は妻が16日から札幌へ研修で出掛けたから入れ替りである。

今朝は、ご飯がお茶碗に半分だけ残っていたので、じゃがいも2個を茹でて芋オジヤにして食べた。

我が家は、昔からこの芋を入れたオジヤが大好きなのである。

ご飯の量の倍は芋が入っているから、戦時中のお米が少ない時の食べ物だと、父の年代の人達の中には嫌う人もいるようだ。中にはこの影響で芋と南瓜は見たくもないという人が居るが、父は戦時中に芋と南瓜ばかりを食べたことで逆に好物になったようなのである。

親が好んで食べるものは子どもも好きになる傾向が強いから、私はこの芋がたっぷり入ったオジヤが殊の外好きなのである。

出来あがったらバターをタップリ入れて食べるのである。

作っている内にバニーが絨毯の上にオシッコをしてしまった。私が食事をする前に散歩に連れて行けば良かったのだが、遅かったようだ。

朝食を食べ終わってから、散歩に連れ出したがウンチをしてくれない。

バニーを家に残したまま、家を空けてる時にウンチをされたら悲惨な事態になるから、かなり粘ったのだが・・・。

どうやら私のそんな気持ちを見透かしているかのようである。つまり今日は出歩かないで私の世話をしなさいとでも言いたいのだろう。

久し振りにバニーと一緒に家に居て読書でもすることにした。根室に行く往復の列車内で、高野和明著の「ジェノサイド」が面白くて一気に読んでしまったので次に読む本を長崎屋の喜久屋書店に買いに行ったらレジの前に、私の名前が貼り出されていた。このジェノサイドを買った時に応募した懸賞で2等の1500円分の図書券が当たったのだが、ついつい得した気分になって嬉しくなり余計な本まで買い込んでしまった。

店側の思惑にハマってしまったようである。


■2011-12-18-Sunday 犬の嫉妬?

18日の夜に妻が札幌から戻って来た。

私は16日の夜から18日の夜まで一人で自宅に居てひたすら読書に耽っていた。

ほとんど自宅から出ることがなかったので、愛犬のバニーともずっと一緒である。

朝夕の散歩も定時に連れて行ったし、ご飯も定時に与えたので、すこぶるバニーの機嫌も良くてウンチもオシッコも散歩の時にしてくれたので後始末が少なくて楽だった。

バニーなりに私に迷惑を掛けない様にしてくれたのかもしれない。

ところが、18日の夜に妻が帰って来てからバニーの態度が変わって、やたら落ち着かなくグルグルと歩き回るのだ。何だかとても嫌〜な予感がしたが・・・。

案の定、夜中4時過ぎにウンチの臭いがプ〜ンと寝室に漂ってきたので目が覚めた。

臭いの元に行ってみると、廊下の絨毯の上にタップリとウンチをして、しかも何度も踏みつけた後がある。

絨毯もフローリングにもウンチの足跡だらけである。

妻は札幌の2日間の研修と列車の移動で座りっ放しで腰が痛いと言うから、優し〜い私は、バニーのウンチの後始末を30分も掛かっておこなったのだ。

バニーは「アレッ、パパさんがやるの!?」というような顔をして申し訳なさそうに私の側に来る。

バニーは、この3日間、私と二人(一人と一匹か)きりで快適だったのに、妻が戻って来たことで邪魔されたとでも感じたのかもしれない。

妻に嫉妬して、妻に対して嫌がらせをしようとしたのだろう。

女というかメスというか、とにかく異性に好かれるというのも考えものである。

モテル男はつらいよ!


■2011-12-19-Monday 金正日死去

北朝鮮の金正日総書記が死去した

というニュースが流れた。

まぁ、なにせ情報が正しいのかどうかもアヤシイ国だから、最初はウソなのではないかと思っていたのだが・・・。

死因は急性心筋梗塞によるものだという。

後継者にはかねてより後継の準備中だった三男の正恩が就くようだとのことだが・・・。

まだ完全には正恩への継承が終了してはいないだろうから、これからしばらくは北朝鮮の動向には目を光らせている必要がありそうだ。

金正日の体調が悪い事は承知していたが、まだ2〜3年くらいは持つだろうと思っていたから、突然の訃報に少々驚いた。

先週、あの独特の力強い口調で話す北朝鮮の女性アナウンサーのリ・チュンヒ女史(68歳)が10月19日の放送以来、テレビから姿を消したというニュースが出ていたが、この金正日総書記の死亡と何か関係があるのだろうか?

もし、関係があるのだとすると、かなりヤバイ状態なのかもしれない。

金正日のバックアップが無くなってリ・チュンヒアナウンサーが失脚とか粛清とかをされたのだとすると、何等かの権力闘争が起きている可能性がある。

果たして権力を正恩が握るのか、軍部が握るのか、はたまた革命が起きるのか?

日本の隣国だけに、難民が大挙して日本に押し寄せて来るかもしれないし、権力を握りそこなった連中が、やけっぱちになってミサイルのボタンを押して日本に打ち込んで来たりはしないだろうなぁ〜心配だ。もしも、そうなったら危機管理能力の欠如している日本の政府は一体どんな対応をするのだろうか?

と、ここまで昼に書いたのだが・・・。

自宅に戻ってテレビのニュースを見たら、あのリ・チュンヒアナウンサーが喪服を着て大袈裟に金正日総書記死亡のニュースを読み上げている場面が出て来た。なぁ〜んだ、失脚も粛清もしていないじゃぁないか。

良く判らん国だなぁ〜。

金正日も17日に列車内で心筋梗塞で死んだということだが、これも何だかアヤシイなぁ〜。もっと前に死んでいたのに、影武者を使って生きているように見せかけていたのが、何等かの原因で騙しきれなくなって心筋梗塞で急死したように見せかけたのじゃないのか?

真相はどうなのだろうか?

本当にこの国は良く判らない国だ。


■2011-12-20-Tuesday 独裁者の

2011年という年は

独裁者にとっての厄年だったのかもしれない。

エジプトのムバラク大統領、リビアのカダフィー大佐、北朝鮮の金正日など独裁者が失脚したり殺されたり死んだりした。

独裁国家というのは、その国に何等かの地下資源(石油・天然ガス・金・ダイヤなど)などが豊富にあって、そこから上がる利益を、国民にとりあえずは与えて、満足させることで独裁を可能にしてきたのではないだろうか?

独裁者のファミリーや関係者が、その富を独占したり、暴走したりすると国民の不満が高まるが、とりあえず飢えない程度にバラ撒いておきさえすればなんとか体制の維持が出来ていたはずだが・・・。

それが今年になって各独裁国家で国民の不満が爆発したのは、インターネットなどによる情報が国民の手元に行き渡ったせいではなかろうか?

エジプトはパンも買えない貧困層が多くなったからだという話もある。

そんな独裁国家の中でも、北朝鮮と云う国は異色だ。特に地下資源がある訳ではないし、国民の多くは飢えてさえいるからだ。ただ情報だけは国民には行かない様にしているだけだろう。

しかし、古今東西、革命が起こった最大の原因は、国民が飢えたからである。腹が減ったらイライラも募って暴力的になるだろうし、そもそも人は喰わなきゃ生きてはいけないのだから、自分や家族の生命を守る為にも、喰えない状況からの脱出を図ろうとするのだ。

北朝鮮の国民は配給がままならなくて、かなりの餓死者も出しているという話だし、これから冬を迎えて、ますます食料事情は厳しくなるだろうと予想される。

独裁者にしてみれば、既に一刻の猶予もない状態だろうから、喪に服している暇なんてないはずだ。

ニュースでは今朝ほど、日本海に2発のミサイルが撃ち込まれたそうだが、窮鼠猫を噛むじゃぁないが、追いつめられた北朝鮮が「食料を寄こさなければ核ミサイルを撃ち込むぞ!」と言い出すことも、あながち無くはない。

私は以前に、5月11日(何故か日めくりカレンダーが登場したのでハッキリ覚えている)に北朝鮮からミサイルが広島市や出雲市辺りに打ち込まれる夢を見たことがある。どうも11日という日には何らかの意味があるような気がして恐くなった。

日本の政府には危機管理をしっかりとやってもらいたいものだが、一川防衛大臣と山岡拉致担当大臣が共に問責決議を受けた2人というのも怖いなぁ〜。この時期にこんな内閣の体制になって日本は大丈夫なのかしらん。

何だかとても質の悪いジョークのように感じる。


■2011-12-21-Wednesday 富士宮

昨日(20日)の十勝毎日新聞に

静岡県の富士宮市の市長さんら数名が、19日から帯広の北の屋台を訪ねて来て「富士宮市にも北の屋台を作りたい云々」と20日に帯広市役所に米沢帯広市長を表敬訪問して言ったという記事が出ていた。

私に連絡がなかったということは、北の起業広場協同組合の事務所に訪ねて行ったのだろうが・・・。

まぁ、現場を運営しているのは確かに組合だが、新しく作るとなると、彼ら組合の幹部連中に聞いても、彼らはコンセプトを作ったわけでもないし、ましてや理解もしていない。

全国各地で北の屋台をモデルにして誕生した屋台村は40箇所ほどもあるが、私が指導しても、細部の肝心な所はなかなか上手く伝わらずに苦労しているのに、ましてや、コンセプトをまったく理解していない人間から指導を受けたら・・・。

現在の私は現場を持っていないからということなのだろうか?

しかし、2007年3月末に北の屋台を離れてから、尚の事、客観的に見ることが出来たから、その後の私の方が、以前に北の屋台に関わっていた時よりも、冷静に指導することが出来ると自負している。

屋台というのは、先人が長い年月を掛けて積み上げてきた大きさや形や暖簾などにも全て意味がある。それ等を理解しないまま、改悪してしまう屋台村が多く、しかもそういう屋台村はことごとく失敗している。

事業を主導するリーダーが「不便さが生み出すコミュニケーション」をしっかり理解出来ていないと、中途半端に便利な屋台とは言えない、小さな飲食店の集合体を造ってしまうのである。

富士宮市の皆さん、きちんと然るべく人間に聞きなさいな。


■2011-12-22-Thursday 大雪

今日は帯広空港ターミナルビルの

会議が10:30〜12:00まで開催される。

午前中からどんよりとした天気で、予報では午後から大雪警報が出ている。

空港での会議が終わる頃には既に雪がうっすらと積もり始めていた。空港から自宅に戻り、車を車庫に入れて徒歩で会社に向かった。私が履いていた靴がリーボックの底が空気が入っていて丸くなっている靴で、履いているだけで痩せられるという宣伝文句が気に入って買ったのであるが・・・。

この靴は十勝の冬には全く合わない靴である。底が丸くなっているので地面との接地面積が狭いから、凍った路面に薄っすらと降った雪の上を歩くのは決死の覚悟がいる。何度か滑って転びそうになったが、抜群の運動神経の良さで何とか転ばずに済んだのだが、すぐにでも冬用の靴を買わなくては命がいくつあっても足りないようだ。

終業後に自宅に戻ってみると20㎝ほども積もっている。雪の降り方もシンシンと降っているから、これはかなりな量が積もりそうである。

軽い雪ではあるが、溜めてしまうと重くなってしまうから、まずはざっと雪かきをしておいた。

食後に温泉銭湯から戻って来たら、さっき雪かきした場所にまた20㎝ほども溜まっている。

せっかく温泉で汗を流してきたのに・・・、でも、このまま朝まで放っておいたら朝の雪かきが大変になると思い。再び雪かきをした。

冬に雪が降らないと風情がなくなるが、かといって一度に大量の雪が降るのも困りものだ。毎日2〜3㎝程度の粉雪なら、埃も立たないし、箒で掃けば済むから良いのだが、十勝は降らないとなると半月も降らない事があるし、降るとなるとドカッと降ることがある。明日の朝には一体どれくらいの積雪になっているのだろうか?


■2011-12-23-Friday 大雪2

朝起きて窓の外を見たら

昨晩除雪した場所に20㎝ほども積もっている。

昨日からは50㎝以上降ったのではないだろうか?

昨晩の内にある程度の除雪をしておいて良かった。前回の降雪時は湿った重たい雪だったが、今日の雪はさらさらしていて軽いから、まだ除雪作業も楽であるが、それでも除雪しなければならない面積が我が家の場合は半端な面積ではないから大変だ。

犬の出入りをさせる横の出入り口に繋がる通路は距離も20m以上もあるからラッセルの幅だけにしておいて、玄関前の通路は幅を広めに開けた。門の前の歩道は長さ20m以上、幅は2mも開けなければならないし、車庫の前は車2台分の幅を車道まで3mは開けなければならない。

いくら軽いといっても雪は雪である。温度が上がってきたら締まって重くなってくるから午前中に頑張って車庫の前を除いて全部開けた。

午後1時頃に、入院中だった留萌の叔母(母の妹)が亡くなったという電話が入った。母は葬儀に出席したいと言うが、足の悪い母を一人でこの足元の悪い時期に留萌に行かせる訳にはいかない。

だが、冬に自動車を運転して留萌まで行くのはとても自信が無い。ましてや天気予報では留萌地方は明日から大雪波浪警報が出ていて大荒れになる模様だ。風の強い留萌は吹き溜まりが出来やすいから普通の自動車なら埋まってしまう可能性もあるからだ。

帯広から留萌までの交通手段を調べたら、JR根室本線なら帯広ー新得(富良野経由)ー滝川ー深川ー留萌が最短コースだが3回の乗り換えをしなければならない。

田舎の駅にはエレベータやエスカレータの設備は無いだろうから、足の悪い母には駅のホームの階段を昇り降りするのはつらいだろう。

多少遠回りになるが、JRの石勝線で行けば帯広ー札幌ー深川ー留萌というルートもあるが、これでも2回の乗り換えをしなければならない。

帯広ー札幌間はJRの列車を使い、札幌ー留萌間は都市間バスを使う手が時間は掛かるが乗り換えは一回で済むし、札幌駅にはエスカレータもエレベータもあるので楽そうである。

車庫の前だけまだ除雪していないので車が出せないから徒歩で駅まで行って切符を購入して来た。

この時期の北海道の移動はとても大変なのである。


■2011-12-24-Saturday 留萌

叔母の葬儀に

母が出席したいというので妹が同行することになったが、この二人だけでは心配なので私も同行することにした。なにせこの二人はすこぶるつきの方向音痴で、数年前に札幌の伯母が亡くなった時にもこの3人で札幌にJRで向かったのだが、足の悪い母は移動に時間が掛かるから先にホームで待っていると言うので、私はキオスクで買い物をしてから、帯広始発の列車に乗ったら、先に居るはずの2人が居ないのである。まさかと思って反対側の釧路方面に向かうホームに行ったら、2人がそこで待っていたのだ。札幌に行くのに反対方向の釧路に行ってどうする!あわててそのこから札幌行きの列車まで連れて来たことがあったほどだ。

札幌ですらこれなのだから、ましてや冬の留萌にこの2人だけでやるのは心配である。それなら同行したほうがよっぽど楽なのである。

午前9:07帯広駅発の列車は8分遅れで釧路から到着したが、札幌までの天候は良好で遅れを6分取り戻して2分遅れで札幌駅に到着した。

バスを選んだのは幸いで、この日のJRは留萌線は運行停止になっていた。

都市間バスのターミナルは駅と地下で繋がっているので、とりあえず母と妹を地下に残して私が切符を購入してきた。留萌行きのバスは12:20発なので昼食を取っている時間がないので弁当を購入してバスの中で食べることにした。弁当を買った時点で時計は11:50を指している。妹が12:00発のバスがあるからそれに乗ろうと言う。私が「留萌行きのバスがそんなに頻繁に出ているはずがない」と言ったのだが、妹は「インターネットで調べたから間違いない」と力説するので乗り場まで行ってみたらやはり12:20発のしかない。どうやら他社のバスの時間のことを言っているようだ。バスは空いていたのに寒い中余計に並んで待ってバスに乗り込むことになった。

岩見沢辺りまでは天候は良好であったが、過ぎた辺りから曇りになり始めて雪と風が出てきた。高速道路は深川から先は悪天候の為、通行禁止になっているとのことで、深川から一般道路に降りての走行になった。

予定よりも40分以上の遅れであるが、深川の郊外からバスの外の景色が一変した。ものすごい降雪量と猛吹雪なのである。農家の軒先の屋根から、ヘアースタイルのリーゼントよろしく雪のひさしが丸まって飛び出している。道路は地吹雪で見えない。自動車を運転して来ないで良かったと心底思った。

留萌に45分ほど遅れて到着。まずは母のすぐ下の叔母の家に行く。母は3人姉妹の長女である。今回亡くなったのは一番下の母よりも4歳若い叔母である。

亡くなった叔母はもともと細い人で普段から体重が40kgほどしかないような人だったが、遺体はさらにやせ細っていた。

弔問客がひっきりなしに来るので、我々は邪魔になるから2番目の叔母の家に戻り、夕食に寿司を取って食べた。母と叔母は子供時代の昔話をしている。4時間くらいも話していたろうか?11時にホテルに戻って寝ることにした。


■2011-12-25-Sunday 留萌2

先週は最東端の根室に居たから

西の端の留萌とは1時間近い時間の差を感じる。北海道は広い!

朝方の5時に風が窓を叩く音で目が覚めた。

カーテンを開けて外を見たらまだ暗くてよく見えないが、なにやらものすごい猛吹雪の様子である。

テレビを付けてニュースを見たら全国的に荒れた天候の様だが、この留萌の風の強さは半端ではない。

この天候ではホテルの外に出る気にもならないが、母と妹はお土産に「にしんパイ」を買いたいと言う。

三姉妹の次女の叔母夫婦が午前中にクルマで斎場に行って、祭壇に飾るモノを母と一緒に選びたいと言うのでそのついでにお菓子屋さんにも連れて行ってもらった。

11時にホテルに戻って来たが、3時からの湯灌までの時間は何もすることがない。ホテルの部屋の掃除を断ってず〜っと部屋の中で本を読んで過ごした。猛吹雪が続いているから、ホテルの外には出たくないので途中で昼食を宿泊しているホテルのレストランで取ろうと思ったのだが、日曜日はレストランは休業だという。仕方ないので着替えて重装備をしてホテルから20mほど離れたレストランまで歩いていくことにした。母の手を引きながらゆっくりと歩くので、横殴りの雪が耳の中にまで入って来る。

3時に叔母夫婦が迎えに来てくれて亡くなった三女の叔母の自宅に向かい、湯灌の儀式が始まる。父の時以来だから19年振りに見たが、泣くまいと思ってもツラレテ涙が出てくるのを堪えられなかった。

納棺が終わって、そのまま斎場に向かうが吹雪がますますひどくなっている。斎場で弔問客から「猛吹雪で、列車もバスも運休になっている」という話を聞いた。昨日の内に来ていて正解だったということだ。

話には聞いていたが、留萌の吹雪は本当にものすごいものである。

明日の出棺が終わったらバスで札幌に向かう予定なのだが明日は果たしてバスが動くであろうか?

通夜が終わって、遺体の前で親戚一同が話をしている。11時くらいまで一緒に思い出話をしたり、子供たちにマジックを見せたりしてホテルに戻った。


■2011-12-26-Monday 留萌3

今日も朝から猛吹雪だ。

午前中の告別式に出て12:30留萌バスターミナル発の都市間バスで札幌まで出て、札幌からJRで帯広に戻る予定である。

ホテルのフロント係に聞いたら、留萌ー札幌間の都市間バス(中央バス社)が全面運行休止になっているとのこと。

とりあえず斎場に行って、他の人のスケジュールも聞いてから判断することにした。ホテルから斎場に向かうタクシーの運転手に「今日の天候状況で札幌までタクシーで向かうことは可能か?費用は?」という質問をしてみたら「私でよければ行きますよ、費用は4万円程度かな」と言うので、一応携帯電話番号を聞いて「後から連絡する。12時頃には斎場を出発したいと考えている」と言ってタクシーを降りた。

斎場に着いてから聞いたら、都市間バスはもう1社沿岸バスというのは今日も走っているとのこと、高速道路が悪天候の為に閉鎖されているから一般道路で札幌に行くと確実に1時間以上は到着時間が遅くなるというので、時刻表を調べてみたら10:52留萌の東橋停留所発というのしか札幌の列車に間に合いそうにもないのだ。せっかくこの冬の悪天候の中をはるばる帯広から来たのに、告別式の途中で退席するのも気が引けるし、しかもこのバスは留萌の北の羽幌方面から走って来るので、その停留所に何時何分に到着するのかは定かではない。この猛吹雪の中で、停留所で何10分も待たされたら冗談ではなく凍え死んでしまう。

JRは乗り換え時間が短すぎて母が対応出来ない。

結局、タクシーで行くしかないとの結論に達して、先ほどの運転手に連絡を入れた。

母が「妹が別れたくないと悪天候にしているのかな」と云うほどの天気である。

告別式はおごそかに進行したが、娘二人が新潟と札幌に嫁いでいて、夫婦二人きりの家庭で妻に先立たれたら夫は大変だろうなぁ、これから叔父はどうするのだろうかという思いばかりが頭の中を横切る。叔父は自身も病み上がりの身でありながら、妻の看病で札幌と留萌を行ったり来たりの生活が続いたから、かなり憔悴している様子だ。

11時15分には出棺したので、斎場で皆と別れてタクシーを待つ、11時50分に乗って札幌に向かった。

留萌ー雨竜までは猛吹雪で10m先も見えないし、道路幅も除雪が遅れているから雪で極端に狭くなっている。どこが道路でどこが田んぼなのかも判らない。慣れない道ならまるで運転など不可能な状況だ。そこを80㌔ぐらいのスピードで走っていくから助手席に座った私は、緊張してゆっくり眠ることもできない。

雨竜ー新十津川までは吹雪は収まったが、路面はスケートリンク状態である。あちこちで事故を起こしているから渋滞が始まった。なにせトラックが滑って路線変更できないほどなのだ。そこを滑りながら追い抜きをかけていくので「運転手さん、急がないからゆっくり走って」とお願いしたほどかなり荒い運転をする人だ。

新十津川を過ぎた辺りからまた吹雪が始まった。当別辺りは雪が多い。

16時頃にようやく札幌駅に無事に到着した。

16:37発の列車に乗って帯広には15分遅れの17:32分に到着。長い移動がようやく終了した。

今回は私の「晴れ男」はまるで効き目が無かったようである。それにしても北海道の日本海側の猛吹雪はものすごい。よくあんな場所に住んでいるもんだと思ったほどであった。


■2011-12-27-Tuesday 母の実家

叔母の葬儀で留萌に行き

母の実家の話を聞いたので忘れない内に書きとめておく。

母の父(私の祖父)上野兵次郎(M36.1903.07.12生-1967.06.18没、満64歳)は秋田で生まれた。兵次郎の父方の上野家は17代続いたそうだが、父親が他人の保証人になり親の代で財産を無くしたそうだ。兵次郎の母方の進藤家は秋田ではかなりの名家であったらしい。

兵次郎は小樽の海運業の会社に勤めており、小樽生まれの長谷川いね(M41.1908.09.29生-1975.10.11没、満67歳)と結婚している。私の母の隆子は昭和6年生まれ、次女の和子は昭和7年生まれ、23日に亡くなった三女の裕子は昭和10年生まれで3人とも小樽の生まれである。

兵次郎は留萌支店長として昭和11年頃に留萌に赴任する。昭和13年頃に三人の娘を嫁に出すにはサラリーマンでは難しいと考えていたところに樺太支店長への就任を打診され、遠い樺太に行くのは嫌だと、これを期に退社し、その退職金を元手にして(北海道で7番目に開業したという)「ダイマル洋装店」を留萌に開業したという。

「ダイマル」という屋号は兵次郎の母方の進藤家の屋号だそうだ。

いねは手が器用で和装、洋装のどちらもこなしたというが、いねだけでは洋装店は開業できないので腕の達者な女性2人を雇っての開業だったという。

昭和13年頃と云えばまだ和装が中心で、洋服を着る人が少なく最初の3年間は赤字が続き、もう閉店しようかと考えていた4年目からようやく黒字になり以後は発展したという。

洋装店の先駆けで、しかも同じ三姉妹ということで、母と次女の二人の昔話は、今のNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の「コシノ三姉妹」に投影しているかのようであったが、「世界のコシノ三姉妹」と「留萌のウエノ三姉妹」とでは比べるのもおこがましい様な気もするのだが当人たちはいたって大真面目であった。

その後、ダイマル洋装店は順調に経営をし、三姉妹もそれぞれに洋装の技術を身に付けていったという。兵次郎はとてもおしゃれで粋な人だったそうだ。お酒も強く、スポーツもゴルフからスキーまで、また遊びもよくやったと言う。芸事も大好きで、3人の娘たちには、お茶、お花、琴、日本舞踊などを習わせたというのだ。

母や叔母らの話を聞いていると、この姉妹はたぶんにファーザーコンプレックスの傾向があるように見受けられるが、父親を尊敬するということは素晴らしいことであると思う。私も死んだ時に、娘達から良い父親であったと言われたいものだ。

母は、帯広で洋装店も営んでいた父とお見合いで結婚。次女は高校の同級生だった黒瀬求と恋愛結婚。三女も高校の同級生だった佐藤潔と恋愛結婚した。

次女の和子は結婚してから4年間は子宝に恵まれずにいたから、4人の子持ちである姉(私の母)に「一人分けて頂戴」と頼んだらしい。母に依ると「子どもは宝だから分けられないが、貸して育てさせても良い」と言ったという。和子叔母は「いいや、あげても良いと言った時に子どもを授かったんだよ」と若干の食い違いがあるが・・・。

和子叔母にも男女2人の子どもが生まれたが、長男は埼玉県の女性と結婚してその家に養子に入ってしまったし、長女は帯広に嫁いで来たから現在は留萌で夫婦二人きりで生活している。

三女の裕子は留萌の古い建設屋の山高佐藤建設の次男に嫁ぎ、二人の娘を生んだが、長女は新潟県の長岡に嫁ぎ、次女は札幌に嫁いでいるからここもやはり夫婦二人きりの生活であった。

以前から、母の二人の妹は「アンタは幸せだね〜、4人いる子どもの3人が近くに居てくれて」とよく言っていたものだが、年老いるとそう思うのかも知れない。

と云う訳で、次女が継いだダイマル洋装店は後継者がいなくて休業中、現在は、お得意さんから頼まれた仕事だけをしているようだ。

23日に亡くなった裕子叔母は、三姉妹の中では一番成績が優秀だったようである。二人の姉に言わせれば、姉の勉強を側で見ているから「門前の小僧、習わぬ経を読む」ということだと強調していたが・・・。

結婚前は実家のダイマル洋装店で働いていたが、結婚後は完全に専業主婦になったのでもったいなかったなぁとも言っていた。旧家に嫁ぐとその家の習わしに従わなければならないから大変であるようだ。

通夜の席でも叔父、叔母らは酒をほとんど飲まない下戸である。私一人でグイグイと酒を飲んでいるものだから、酒が強いのは兵次郎さんの隔世遺伝だねと言われた。

こういった昔話を聞いても書きとめておかなければ、私の子どもたちにも伝わっていかない。

どうも最近の若い連中は、過去の歴史を軽んじているように感じるが、ご先祖さまがいるから、今の自分が居るのだと言うことをもっと有難く感じなけらばならないだろう。この感謝の気持ちが足りないのが問題である。


■2011-12-28-Wednesday 床屋

年末恒例の床屋に行って来た。

例年ならもう2〜3日は早目に行くのだが、叔母の葬儀で留萌に行っていたので23〜25日の休日には行けなかったから、今日の昼休みを利用して理容に行って来たのである。

私がいつも行く床屋さんは「セイノ理容所」で小学4年生の時からズ〜ッと通っているお馴染みさんだ。

私は月に一度は床屋に行くので、東京の大学に通っている時にはやむを得ずアパートの近くの床屋で済ませていたが、帯広に帰郷してからは、ほとんどがこのセイノ理容で髪の毛を刈ってもらっているのだ。

知らない床屋に入って、根掘り葉掘り聞かれたり、不要な会話するのが煩わしくて嫌なのである。

セイノ理容は予約制を採用していないので、直接店に顔を出して待っていなければならない。電話での予約もダメなのだ。だから年末の混み合う時には1時間以上も待たされることもあるが、今日はタイミングが抜群に良くて10分の待ちで済んだ。たったこれだけのことでも嬉しいものである。

妻に携帯メールで「床屋に居る」と連絡しようと思ったら、電池が切れている。昨日、家に帰ってからすぐに充電して、その後は使用していないのにだ。

さすがにもう10年以上も使っているから、私の使っている機種は古くなって、電池の寿命が来ているのだろう。ここ最近は半日も持たないことがあるのだ。

NTTに勤めている大学の後輩に電話して電池だけ何とか手に入らないか?と聞いてみた。

電話は電話の機能だけで十分だ。カメラ付きだとかワンセグ付きだとかは必要ない。ましてや最近はやりのスマートフォンなんて使いこなせないから変える気にもならない。

もっと私のようなアナログ人間に対応した電話だけの使い易い機種を開発して欲しいものである。


■2011-12-29-Thursday 見た事のない風景

我が社の正面に

昭和39(1964)年から建っていた旧藤丸百貨店ビル(北洋銀行ビル)の取り壊し作業が進んでいて、今日現在で6階建ての建物だったものが1階部分まで取り壊した。

道路を隔てて向かい側に建っている我が社の6階の事務所から作業を眺めていると進行具合が良く判る。

クレーン車やユンボ車などの大型の車3台をどうやって上げたのかは見ていなかったから判らないが屋上まで上げて、それで破壊しながら階層を少しずつ下げて行くのである。

壁が残るがそれをワイヤーで引っ張ってビル敷地の内側に引き倒すのだが、その時の衝撃がものすごい。水を掛けながらの作業ではあるが砂埃とズズ〜ンという地響きで、一瞬、地震かと思うほどなのである。

会社の事務所に居ると、その砂埃が飛んで来るのだろうか、喉がイガラッぽくなる。

このビルは昭和39年に建ったビルだから、現在の私の会社のある場所で生まれ育った私でも物心付いた時には既に建っていた。

だから、その後の昭和42年に建設した我が社から西側を見る風景には常に目の前に藤丸ビルが建っていたのだ。我が社と藤丸ビルは同じ様な高さだから、当然、西側には藤丸ビルの正面しか見えなかったが、今回の工事で1階部分まで解体が進むに連れて、西3条の道銀ビルの姿が見え、今はその手前のブティックの姿まで見えるようになった。

遠く、日高山脈の姿も見えるから、風景が一変したのだ。

生まれてこのかた見て来た風景なのだが、壁が無くなると、それは、初めて見る風景なので、何だかとても新鮮な感覚がするのだ。

これまで、我が社の写真を撮る時には斜めからしか写せなかったが、向かいのビルが全部壊れたら、初めて正面から撮影出来るのではないかと思っている。また新しいビルが建ったら写せなくなるから、工事が終了したら撮影させてもらおうと考えているところだ。

ここ最近は、我が社の向かい側のビルが立て続けに取り壊されるので、中心街の風景がまるで殺風景になってしまった。

早いとこ誰かが購入して、帯広の中心街に相応しい建物を建ててもらいたいものである。


■2011-12-30-Friday 日本の政治家

日本の政治家の行動を

見ていると暗澹たる気持ちにさせられる。

28日に先頃、仮釈放で娑婆に出て来た元衆院議員の鈴木宗男(文中敬称略)が新党「大地・真民主党」を、松木謙公・石川知裕・横峯良郎・平山誠・浅野貴博の5人の議員と結成したと発表した。

政党助成金を受ける要件として年内に5人以上の国会議員の構成メンバーが必要だとのことだから、お金欲しさに駆け込みで結成したのは明らかだが・・・。

何と言うか、ものすごいアクの強いメンバーだね〜。

まぁ、消費税やらTPPやらで、これから政局になっていくことを見越して、キャスティングボードを握ろうということなのだろうが・・・。

鈴木宗男と石川知裕は我が郷里十勝の足寄町の出身だし、松木謙公は北見だったかな?5人の内3人が北海道出身というのも何だかなぁ〜。

横峯良郎も政治家として相応しくないと、さんざんに週刊誌で叩かれている御仁だし、後の2人はこれまで全く聞いた事がない政治家だし・・・。

このメンバーで何をやるのだろうか?とにかくイメージがあまり宜しいとは言えないことだけは確かだろう。

29日の夜のニュース速報で、民主党が消費税の導入を了承したというテロップが画面に流れた。

野田首相が出席して、民主党の税制調査会が出した案(2013年10月に8%、2015年4月に10%)を半年先延ばして決着したというから笑わせる。

国民が何故、反対しているかの根本を正すことなく、期限を半年先延ばしただけで、一体何の問題解決になるというのか?ますます民主党の政党としてのメチャクチャぶりを国民に印象付けただけではないだろうか?

恐らく、国民の大半は消費税を上げなければ日本がダメになってしまうかもしれないということを感じているだろう。上げることは止むを得ないが、だが、その前に公務員給料の引き下げや、議員の定数削減とかの方が先だろうと思っているのである。

だから、今回の消費税の引き上げも、上げる代わりに、公務員給料と議員定数削減法案を同時に国会に提出すれば、そんなに大きな反対にはならなかっただろうと思うのだ。

なぜ、野田首相は消費税増税だけに執念を燃やすのか理解出来ない。歴史に名を残したいということなのだろうか?

それにしてもだ、消費税の増税を何故に2段階にするのだろうか?

我々、商売をしている身にとっては、レジスターやら自販機やらコンピュータやらの設定変更や、値段表示替え(税込み総額表示だから)やらが面倒だし経費も掛かるのだ。

中途半端な8%という税金では計算も面倒臭いし、ようやく値段を覚えた頃にまた変更では対応が本当に面倒だ。

いっそのこと最初から10%の方がよっぽどありがたい。

まぁ、いずれにしろ嘘つき民主党に未来はないから、この消費税問題で、日本の政治の再編が起こるであろうが、現在の国会議員の連中なら誰と誰がくっついたとて期待なんかしていないけどね。


■2011-12-31-Saturday 大晦日に

今年もいよいよ終わりである。

2011年は世界的には、独裁者にとっては厄年とでも言うほどの、いわゆるジャスミン革命というものが頻発したり、北欧での大量殺害事件があったりと大波乱の年であったように思う。

ニュージーランドの大地震で日本人が犠牲になったニュースにも驚いたが、日本に於いては、何と言っても3月11日の東日本大震災の大津波と福島第一原発事故につきると思う。

その後の東電や政府の対応のまずさにいらだったりもしたが、ここまでウソをつかれると怒るというよりも呆れてしまうほどである。この状態は今日まで続いており、来年になっても解消はされないだろう。

どうも日本と云う国は、政治家が国民を暗澹たる気持ちにさせる国のようである。

年末の23日に叔母(母の妹)が76歳で亡くなり、クリスマスや年末などの気分もすっかり削がれてしまい、何だか気分的にもケジメがつかなくて、このまま正月を迎えるというのも何だかなぁ〜という感じである。

最近はテレビもつまらないし、年末から正月にかけては旅行に行こうという気分にもならないから、どうやって暇をつぶそうかと思案中なのである。

2011年の締めくくりのブログがこれではスッキリしないなぁ〜。かと言ってこれといって書くこともないし・・・。

さて、果たして来年は一体どんな年になるのやら。