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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2015-04-01-Wednesday ニュースから

今月中旬に出版予定の

エッセー&コラム集の原稿を校正しながら、妻が見ていたニュース番組が何とはなしに耳に入ってきた。

東京の世田谷区で、保育所を建設しようとの計画に、地域住民が、子どもの声が騒音になると反対して建設できずにいるという様な話であったように思う。

校正作業の片手間であるし、しかも耳からだけの情報でもあるから、詳しい内容も分からないが・・・。

少子化で子どもの数が減っている世の中で、保育所建設に騒音が嫌だと反対する人が多いなんて驚きである。

確かに子どもの嬌声は耳障りかもしれない。

自分の子どもや孫の声ならまだ我慢も出来ようが、他人の子どもの甲高い嬌声を毎日聞かされるのは適わんと云うことなのだろう。

しかしだ。東京と云う大都会に暮らす住民が、騒音を理由に保育所建設に反対するのは、ちょっとオカシイのではないだろうか?

住宅街の一番の問題点は、年齢層の偏りである。

同じ世代の人間ばかりが暮らす街は、新陳代謝がないから、ドンドンと高齢化に向かって衰退していくだけだ。これを解決するには、あらゆる年代層が暮らす街が理想なのである。年寄りも居れば、壮年、青年、学生から幼児まで全ての年齢層が同一地域に暮らし、世代が循環していくのが良いのである。

保育所を住宅街に造る事によって、その街への子どもを持った世代の移住が増えることになるだろう。

それを、金持ちの年寄りが多い(偏見?)世田谷区の高級住宅街に暮らす老人が、子どもの声はウルサイから我が家の近くに保育所は造らないで欲しいと反対するのは、自分のことだけしか考えないエゴであろう。

子どもを育てる保育所の環境とすれば、交通量の激しい都心部よりも、静かな住宅街の方が望ましいのではないかと思う。

反対している住民は「事前に説明がなかった」とか「話を聞いていない」とかのコメントをしていたが、単にムクレテいるだけなのか?それとも建設する側の怠慢なのか?

防音対策などをしっかりやって、騒音がさほど気にならないように周りに配慮すれば、簡単に解決できるような問題にも思うのだが・・・。


■2015-04-02-Thursday おい

この秋に結婚する甥っ子は

ハワイで、ごく内輪だけの挙式をする予定である。

私達夫婦も招かれているので、そろそろ飛行機のチケットやホテルの手配をしようと考えていた。

旅行会社のパックツアーで行こうとパンフレットをもらってきて検討していたが、個人でネットで直接予約した方が20%程も安くなることが分かったので自分で手配してみることにしたのである。

ちょうど3月末日で期限になるマイレージのポイントがあるので、前日の3月30日に飛行機会社に相談の電話を入れてみたら、3月末日に購入するよりも、4月1日以降の方が一人5千円も安く買えるという。その場合でもポイントを上手に使って購入できる方法を親切丁寧に教えてくれたのであった。

ホテルと飛行機は別々に予約するのであるが、飛行機のチケットを購入する際には、現地の滞在場所の住所などを書き込む欄があるから、ホテルの予約を先に済ませた方が手間が省けるので、まずは31日にホテルの予約を入れておいた。

妻と二人で、何処のホテルの場所が良いのか、景色が良いのか、サービスが良いのかを、もらって来たパンフレットを見比べて検討したのだが・・・。

私は、これまで数回ハワイに行っているが、以前に泊ったホテルとは別のホテルに泊まりたい。いろいろなホテルを経験してみたいのだ。

妻は約10年振りである。このホテルは素晴らしい、が、値段が高い、だの、このホテルは中心街から離れている。とか、要望がこれまたウルサイのだ。

時間もなくなってきたから「もう、このホテルに決めるぞ!良いね!後で文句を言うなよ!」と確認してホテルの予約を入れたのであったが・・・。

後になって「な〜に、このホテル、海岸とは道路1本隔てているじゃぁ〜ないの、ホテルの眼の前が海じゃないわ」と文句を言うから、「文句を言わないと言ったじゃぁ〜ないか」と云うとムクレテ「じゃぁ私は行かない!」と言い出す。

今日はエイプリルフールでもあるし、いちいちそんなことを気にしていたら、いつまで経っても手配など出来なくなると考えて、妻のことは無視して飛行機のチケットを購入したのであった。

すると・・・。

金融機関に勤める甥っ子に、4月1日に海外勤務の辞令が出たという連絡が今朝入ったのだった。

一応は、このまま予定通りにハワイで挙式をするつもりなのだが、海外の勤務地に赴いてみないと、まだ何とも言えないとのこと。

まぁ、おめでたいことではあるだから、たとえハワイでの挙式がなくても、我々夫婦は今年結婚30周年だから、キャンセルしないで、真珠婚式のお祝いでハワイにでも行くことにするさ。それまでには妻の機嫌も良くなっているだろう。


■2015-04-03-Friday 出版

今月中旬に出版する予定の

私の本のだいたいの形がみえてきた。

今日、出版社から、印刷する前の真っ白のページだけの、実物大のものが届いた。本の大きさや厚みや紙の手触りなどを実感する為のモノである。

自分も最近は老眼になってきているし、この手の本を読んでくれる人は高齢者が多いであろうから、字の大きさも出来る限り大きくしてもらったこともあって、ページ数が約330頁にもなり、その為に本の厚みが23㎜にもなってしまった。このサイズの本としては、かなり厚みがある本になってしまったのである。

校正も第3稿まで終わり、後は、製本するサイズになってからの最終稿のチェックを残すのみとなった。

来週火曜日頃に、最終稿が上がってくる予定なので、このままなら予定通りに今月中旬頃には出版できそうな気配である。

今回出版する本は、1999年〜つい先日まで、十勝毎日新聞、読売新聞、北海道新聞などに寄稿してきたエッセイやコラムや論文をまとめたものである。

校正しながら読み返ししていると、自分としては、引き出しが多いつもりでいたのだが、結構、同じ様なことを書いているので少々ビックリした。

まぁ、載せる社が違うし、年月日も異なるからこれまでの読者は気が付かなかったと思うが、まとめて読むと、同じ様な文章が重なるのだ。

過去に自分が何を書いたのかを覚えていないと云うことなのかもしれないなぁ〜。

こうして、これまでの文章を読み返してみるのも、自分の考え方の変遷が分かってなかなか面白いものである。

連休ころには北海道の書店で1000円(税別)で発売される予定である。掲載された新聞社がそれぞれ記事で宣伝してくれるというので、期待しているのだが、果たして何部売れるのだろうか?


■2015-04-04-Saturday 青函トンネル

以前のブログに書いた心配が現実になった。

青函トンネル内で、函館発の特急列車スーパー白鳥34号の車両から煙が出て列車が停車し、乗客が避難する事故が起きた。

JR北海道の安全に対する姿勢は、これまでの一連の事故以後もまるで改善された様子がみえないままだ。

青函トンネルの全長は約54㎞もあって、世界最長の海底トンネルである。

今回の事故は、旧竜飛海底駅から青森駅方面に1.2㎞という近距離に停まったのは奇跡的な偶然と考えなければならない。

それでも、乗客全員の脱出までに5時間以上も掛かったという。怪我人は出なかった様だが・・・。

JR北海道の起こしたトンネル火災事故といえば、2011年5月の占冠でのトンネル火災事故が思い起こされる。あの時は脱線した列車から、すぐに火災が発生し、列車は丸焦げになった。

もしも、今回、一番深い場所に停車してしまって、乗客がそこから徒歩で脱出するという事態だったら、どうなっていたのだろうか?

青函トンネルの最深部から最寄りの海底駅まで11㎞もあるという。そこからケーブルカーで地上まで脱出できるそうだが、11㎞という距離を徒歩で移動したら、いったい何時間掛かるのだろうか?

私の歩くスピードならだいたい時速5㎞というところだと思うから、2時間強も掛かる計算になる。列車には足の悪い老人もいるだろうし、車いすの人が居た場合はもっと時間が掛かるだろう。

新幹線なら乗客数も多いだろうから、全員の脱出となると・・・。

今回、青森側の脱出口までの距離はわずか1.2㎞だというのに、しかも火災も発生していないのに、全員の脱出まで5時間以上も掛かったとうのは、あまりにもトロイ。

1年後に新幹線が走るというが、私は絶対に乗らないぞ。


■2015-04-05-Sunday 議員の資質

大阪維新の会の橋下代表が

所属する衆院議員の上西小百合議員の除籍を発表したというニュースが朝からテレビでやっていた。

何でも、国会議員の責務として一番重要な本会議を体調不良で欠席したからだという。

上西議員は、その前日の12日に体調不良で医師の診断を受け、13日の本会議を欠席したにもかかわらず、12日の夜は知人議員と会食し、数軒の店をはしごもしたという。

投票するだけの13日の本会議は欠席し、3時間掛けて新幹線に乗って地元の大阪に戻ったという。

報道によると、14日はホワイトデーで秘書と京都に旅行に出かけ、その秘書の母親の自宅に泊ったというから呆れてしまう。

ワイドショーでは、橋下代表と上西議員とその問題の秘書の3人が並んで記者会見していた模様が映っていた。

上西議員は最初こそ頭を下げていたものの、後半は、報道に対して事実無根だと怒りの表情と強い口調で反論し始めたが、橋下代表に何度もたしなめられていた。

例えどんな弁明をしようが、本会議をサボったことの正当事由にはならない。橋下は弁護士だけにその辺は分かっているのだろう。

まぁ、地方選挙の真っ最中でもあるから、イメージを損ねたくない維新の会は、すぐに除籍という処置をとったのだろうが、これはトカゲの尻尾切りのパフォーマンスの臭いがプンプンである。

それにしても、この上西議員は、事の本質をまるで理解していない様子である。自分の行動の何が悪かったのかまったく理解していないことに驚き、呆れてしまった。

問題はマスコミ側にあるのではなく、議員としての仕事そのものを果たしていない上西議員側にある。

それを報道に対して(私は悪くないと)怒りの表情を見せるこの女性は一体どういう性格をしているのだろうか?相当に気の強い女性であることだけは伝わってきたが・・・。

世は女性の社会進出を促進しようとしているのに、肝心の女性側が、その動きを阻害しているようにしか感じられないのは残念なことである。

除籍されても、議員辞職もしないで、無所属で議員を続けるというが、仮病で本会議を欠席するような議員が職責を全うしたいなんてチャンチャラおかしなセリフだろう。そんなことも理解していない人間が議員でいることに呆れてしまう。

先の中川郁子にしてもこの上西小百合にしても、「女」としての部分が前面に出過ぎてしまっている。国民は、国会を婚活や恋愛の場所になんてしてもらいたくはないのだ。

委員長が居なければ会議は始まらない、その肝心の委員長なのに遅刻を繰り返す責任感のない片山さつきなんて女性議員もいる。

女性が女性の足を引っ張るのは悲しいことである。

3人に共通するのは、地位に恋恋としていることだ。どうせ次の選挙では当選がアヤウイから、それまではしっかり(税金である)給料を貰っておこうということなのか?

こんな程度の人間しか議員になりたいという奴はおらんのかねぇ〜。


■2015-04-06-Monday ズボンの裾

ズボンと言ったら笑われた。

スラックスとでも言うのかと思ったら、最近は「パンツ」というのだそうだ。

私の年代ではパンツと言ったら下着のパンツしか思い浮かばないが・・・。

そのズボンの裾を、靴の踵で踏みつけてしまって裾が汚くなったり、丈を詰めている折り返しの糸がほつれて折り返しの部分が垂れ下がってきたり、果ては裾がボロボロになったりすることが増えてきた。

元々、短い脚が年齢と共に縮んで益々短くなったのかと思ったが、どうやら違うらしい。

原因はお腹の出っ張りにあるようなのだ。

ズボンをベルトで押さえているのだが、腹が出過ぎている為に、ベルトがズリ下がってしまうのだ。その為に、時々ズボンを持ちあげないと裾が靴より下に来てしまい、裾を踏んずけてしまうことになるのだ。

そうか!これがあるから太っている人はサスペンダーでズボンを肩から吊っているのだな。

こりゃ〜私もそろそろサスペンダーのお世話にならなければならないかと思ったのだが、私は肩こりが酷いから、サスペンダーはたぶん無理だろうと思う。

やっぱり痩せるしか方法がないようだ。

ここ2〜3日、鼻水と咳がヒドイ。暖かくなったかと思えば、急に寒くなるから身体の調節機能が上手く働いていないのだろう。

いつもなら、温泉銭湯に行って、サウナに入って大量の汗をかき、これまた大量のビタミンCを摂取すればすぐに治るのだが、今回の風邪はなかなか治らなくて困っている。

あんまり治らないから、まさか風邪じゃぁなくて花粉症だったりして・・・。


■2015-04-07-Tuesday マジック博物館

マジック博物館用のショウウィンドウが出来てきた。

(政治家ではないが)粛々とマジック博物館の開設工事の作業を進めているが、今日は、師匠の衣装を着せたマネキン人形等を飾るショウウィンドウが出来てきたので設置した。

幅140㎝×高さ220㎝、厚さ5mmのガラス4枚と、幅80㎝のドア2枚をアルミサッシで造って、全体で、長さ7.5m、奥行き1m、高さ2.65mのショウウィンドウを造ったのである。

これで、少しは博物館らしい形状になってきた。

このショウウィンドウに、男のマネキン4体に燕尾服を着せた人形と、助手の恰好をさせた女のマネキン1体、上半身だけの首や足が付いていない男のマネキン2体にタキシードを着せ、上半身だけの女性のマネキンに女性マジシャンの衣装を着せたものを展示した。

それだけでは殺風景なので、ジミー忍師匠の写真や、ポスターの額などを背面の壁に飾ってみたが、これでもまだ殺風景である。

大工さんに頼んで、ハンガーを掛けるフックを取り付けてもらい、背面の壁にハンガーで吊るすようにしようと考えている。これで少しは良くなるであろう。

まだまだ、展示は途中であるし、後からまた入れ替えなども行なう仮設置であるが、少しずつ、博物館ぽくなってきているように思う。

去年11月中旬に観に来た、師匠夫人のマコママが6月下旬にまた発破を掛けに帯広にくるというから、それまでに半年分の進展を見せなければならない。

そうなると、対面側の壁にも、同様のショウウィンドウが必要に思えてきたので、もうひとつ注文をしておいた。

妻からは、道楽の博物館にお金を掛けるよりも、もっとビルの設備にお金を掛けろと言われているが・・・。もっともな意見である。

しかし、今年は師匠のジミー忍師が亡くなってからちょうど20年目である。いつまでも完成させずにズルズルと先延ばしばかりしている訳にもいかない。こういう機会でもなければ、作業が進まないからちょうど良い時期なのかも・・・。

何とか今年中には目処を付けたいなぁと思っているとこだ。


■2015-04-08-Wednesday インデアンカレー

今朝は鼻水とくしゃみが止まらない。

いつもなら風邪気味でも、温泉銭湯に行ってサウナに入って汗を流せばすぐに治るはずなのに、結構、長引いているが、これは本当に風邪ではなくて花粉症なのかも・・・。

このところ昼食にはほとんど蕎麦を食べているが、たまに米の飯を食べて精力でも付けようかと思い、久し振りにインデアンカレー店に入った。

注文したのは「インデアンカツでご飯半分に」である。

インデアンカツというのは、この店のカツカレーは、通常はタマネギを入れたオリジナルルーを掛けるのだが、私は昔から、インデアンカレーのルーを掛けてもらっている。

タマネギに火が通っていないと、たま〜に、シャキシャキとして、しかもカライことがあるのが嫌いなのである。タマネギは柔らかい方が好きなのだ。結構、好き嫌いが激しいのだ。

ご飯を半分にしてもらっても、料金がその分、安くなる訳ではないが、最近は小食で、ご飯を余してしまうことがあるから、残したら捨てるだけでモッタイナイので、最初からご飯の量を少なめに注文するのである。

キムチ等の辛い食べ物が好きなくせに、唐辛子や胡椒などの香辛料に身体がすぐに反応して、頭のテッペンから大量に汗をかいてしまう。

この日は、カレーの辛さは通常のままにしておいたのだが、食べ始めてすぐに辛さに対するスイッチが入ってしまって、やたらと汗が出て来る。

汗を拭かないと、かいた汗が食器の中に入ってしまうから、ハンカチで汗を拭き拭き食べることになる。

周りで食べている人も、この人、どうして普通の辛さのカレーでこんなに汗をかくのだろう?と思っているかもしれない。

おまけに、トッピングに生姜の甘酢漬けを大量に入れて食べるから、汗の料は尋常ではない。

タオルも、ハンカチも紙ナプキンもビチャビチャにして、ようやく食べ終えたのであった。

年を取ったからなのか、最近、インデアンのカレーライスを食べると、胸焼けをしてしまうことが多い。

昼にはやはり蕎麦が合っているのかもしれないなぁ〜。


■2015-04-09-Thursday ビックリ仰天

ビックリしたなぁ〜もう〜!

てんぷくトリオの三波伸介では、ちょっと古過ぎるがニュースを聞いていて、びっくりしたなぁ〜もう〜!である。

8日、元横浜中学の校長高島雄平(64)が児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕されたというニュースだ。

私は読書中で、テレビ画面は見ておらず耳で聞いていただけだったが、買春した人数が1万2千人以上だというので、思わず顔を上げてテレビ画面を見てしまった。

最初は、聞き間違いか、アナウンサーの言い間違いだと思った。

このご仁、1988年にフィリピンの日本人学校に3年間赴任した際から買春を始め、その後も今回逮捕されるまでの26年間で、年に3回ほどもフィリピンに渡航しては買春をしていたという。

ご丁寧にも買春した女性の写真を撮って手帳に番号までふっていたというが、その最新の番号が12600番以上まであったというから、驚き、呆れた。

おそらく、このニュースを聞いた人のほとんどが、すぐに電卓を取り出して計算したことだろう。

12600人÷26年間=485人である。1年は365日しかない。

最初の3年間に毎日買春したとして、365日×3年=1095日にしかならない。

教師だから、春、夏、冬の長期の休みがある、帰国後には年3回は渡航していたという。23年間で長期に渡航したとしても、春、夏、冬休みを合わせても、せいぜい年に2ヶ月程度でしかないだろう。

60日×23年間=1380日でしかない。全部合計しても2475日である。

12600人を2475日で割ると5.1人になる。一晩に5人以上買春しないと達成できない数字だ。すごい体力というか執念というか、完全に性欲異常者である。

普通人ならありえない数字である。よく性豪と豪語する輩が、百人切りだとか千人切りだとかと言って自慢している話は何度か聞いたことがあるが、12600人?!まるで桁が違うではないか!

しかも、それが校長先生で、退職後も12年4月〜今年3月まで公益財団法人横浜市教育文化研究所に勤務し教育情報誌編集長を務めていたという。幼児の裸の写真などの卑猥な写真も14万7600枚以上も出てきたというから、ものすごい。

一体、何の情報を集めていたんだろう。

こういう人に教えられた生徒はどんな思いでいることだろうか。

それにしても、こんな計算をしてしまう自分も情けないなぁ〜。


■2015-04-10-Friday 最高裁判決

9日、子どもが起こした事故が原因(?)で死亡した

お年寄りの遺族が、子どもの両親に損害賠償を求めた裁判で、最高裁が1、2審の判決を覆し、遺族側の請求を棄却する判決を言い渡した。両親側の逆転勝訴である。

この裁判が起こされ、遺族側が訴えた時(1審の判決が出た時)にもニュースになったと云う記憶があるが、その時にも、そんな馬鹿な!と感じた裁判結果であった。

私は訴えた遺族側に違和感を覚えたのであった。

事故の概要は、2004年2月、この少年(当時11歳)は学校の校庭でサッカーのフリーキックの練習をしていた。蹴ったボールが飛び過ぎて、ゴールの上を越え、高さ1.3mの塀や幅1.8mの側溝を乗り越えて道路に飛び出した。

たまたま、そこにバイクで通りかかった当時85歳の男性が、このボールを避けようとして転倒し足の骨などを骨折し入院したが、この事故の1年4ヶ月後に肺炎で死亡した。遺族は、この少年の両親に損害賠償を求め、2審判決では両親に1180万円の賠償を命じていた。というものだ。

当時の感想としては、「85歳の老人がバイクを運転?!」「1年4ヶ月後に肺炎で死亡と事故との因果関係は?」であった。

日本もアメリカ並みの訴訟社会になってきたかというものであった。アメリカみたいに弁護士の人数を増やすとロクなことにならない。弁護士も生活の為に訴訟を奨励するようになってしまうからだ。

人間は必ずいつかは死ぬものだ。それはこの世に生まれてきた生きとし生けるものの避けられない運命である。

日本人男性の平均寿命が去年80歳になった。その平均寿命を超えて生きた男性の死亡に損害賠償請求と云うのには違和感がある。

85歳でバイクを運転というのも引っ掛かる。運動神経、反射神経、動体視力など若い頃から較べれば格段に低下しているはずである。本来なら免許証を返上させなければならない様な年齢の老人に、まだバイクを運転させていた家族ってどういう人達なんだろう。もしも逆にこの老人が重大な事故を起こしかねない危険性だってあるだろうに・・・。

事故の1年4ヶ月も後に肺炎で亡くなったなら、この事故との因果関係はどうなんだろう。85歳であれば、風邪をこじらせれば普通に肺炎に罹るものだろう。

平均寿命よりも長生きしたのなら、それでよしとして諦めなければならない。人はいつかは死ぬんだから。これからの未来がある若者に罪の意識を持たせて賠償金を取ってなんになるのだろう。遺族には気まずい思いがなかったのだろうか?

学校の校庭で、通常のサッカーの練習中に起きた不幸な事故であろう。

こんな事故を、裁判に訴える遺族の考え方が理解できないし、賠償請求を認めた1、2審の判決もまるで理解ができなかった。

こんな判決が認められれば、子どもを産み育てたいと云う人達はますます減るだろう。子どもを常に監視していろというに等しいからだ。

最高裁の今回の判決内容は、良識ある判断だと思う。

また少年の父親のコメントも遺族側の心情を慮った良識あるコメントであると評価する。

可哀想なのは、11歳からの多感な時期の11年間も、加害者としての意識を持たされ続けた少年である。

裁判はもっと迅速にするべきである。彼こそ被害者であろう。


■2015-04-11-Saturday トンデモナイ奴だ

函館でトンデモナイ事件が起きた。

10日の午前11時40分頃に、函館市の保育園前の歩道を歩いていた父親(23)と長女(3)、長男(1)の3人が軽自動車にはねられた。この軽自動車を運転していた中村孝(43)容疑者は、車を降りて、更にこの父親を殴って逃走したが、現場から600メートルほど離れた場所で警察に身柄を確保されたという。

最初は、怨恨による犯罪かと思ったが、容疑者の供述によると、この父親らとは全く面識がなく、「イライラしていた。誰でも良いから轢いてやろうと思った」と供述しているという。

似たような事件が、数年前にグアム島の中心街でも起きた。歩道に自動車が乗り上げて、歩いている人を次々に撥ね、その後犯人は、ナイフを持って車を降り、コンビニに入って人を刺して歩いた。犯行があったのは、以前、グアム島に行った際に泊ったホテルの目の前で、しかも買い物もしたコンビニであったから強く印象に残っている事件である。

この犯人も、イライラして起こした犯罪であった。

どうも最近、イライラしては、切れてムチャクチャなことをやる奴が増えているように感じる。

幸せそうに親子で歩いている姿を見て、この野郎!と思われてもなぁ〜。

やられた方も、これでは身に覚えが全くないだろうから、まったく訳が分からない状態であったことだろう。これでは、防ぎようもない。

何だか、怖い世に中になってしまったものである。


■2015-04-12-Sunday 選挙の日曜日

今日は知事選と道議選の投票日だ。

今日は、昨日の寒〜い雨模様とは打って変わって、穏やかな天気である。

自宅の町内会の投票所は300mほどしか離れていないから、散歩がてらに投票に行けばよいのだが、足の悪い母を一緒に連れて行かなければならないから、自動車で行くことにした。

投票を済ませたら、そのまま近所の蕎麦屋で昼食を取るつもりで正午に家を出た。

近所の人達の考えることは皆、同じようで、投票所で見かけた人を、また蕎麦屋で見かけたのであった。

今後、高齢者が増えてきたら、選挙の投票行為も大変になるであろう。妻の両親は、一人は車椅子だし、もう一人も足が悪いから、投票には行けないという。体力的な問題で投票したくても投票出来ない高齢者がかなり居るのだろうなぁ〜。

今回の選挙は、知事選は一騎打ちだし、帯広市区の道議選は保守の乱立で熾烈な争いをしているから、夜の開票結果を見るのが楽しみである。

夕食は17時半からの笑点と、18時からのNHKBS放送の大河ドラマ花燃ゆを見ながら早目に済ませ、温泉銭湯もいつもよりも早目に行ってOCTVの速報番組をみようと思っていた。

銭湯に20時に入ったら、テレビの速報で、北海道知事は現職の高橋はるみ氏の当確が出た。エッ、一騎打ちでかなりの接戦になるだろうと思っていたのに、開票する前に当確が出た。一体どうなっているんだろう。

出口調査というやつで分かるらしいが・・・。

道議選の方はさすがに接戦のようだから、風呂上がりの楽しみにできそうだ。

帯広市部の道議選は、中川郁子がお門違いの色恋沙汰をやっている内に、候補者の調整が出来なくて、保守系4人が乱立するという異常事態になった。候補者を2人に絞って上手く票割りできれば2人の当選が可能なだけに、4人の乱立だと、一人しか当選できないであろう。

4人のうちの1人とは、いずれにしろ禍根を残す選挙になるだろう。

中川郁子はその上更に、路チュウ事件を起こして、保守票を減らしてしまったであろうから、責任が大きい。

結局、ただの一度も選挙期間中に地元に帰ってこなかったのだから、候補者からも応援して欲しくないと思われたのだろう。

こんな状況で辞任しないというのだから・・・。

これから市議選であるが、名前も顔も知らない候補者が多い。はてさて、どんな選挙になるのやら。

23時過ぎに道議選の結果が判明した。やはりギリギリまでもつれたが、候補者を1人に絞った民主党が、一位当選。2位に自民党公認の候補者が入り、3位は大地系の候補者が入った。

得票数を見ると、つくづく、自民党の候補者乱立が痛かったなぁ〜。

自民党公認に漏れて、無所属で出た2人は何が何でも勝たねば政治家生命が危うくなるだろう。造反する以上は勝たねばならないのだ。勝てば官軍になれるが、負ければ自民党惨敗の責任を負わせられるであろうからだ。

これから中川郁子の責任論も出てくるのだろうなぁ〜。


■2015-04-13-Monday 投票結果

7人が乱立した道議選帯広市区の開票結果を見ると、

一位で当選した民主党の三津丈夫は、候補者が一人だったのに、たったの17279票しか取れていない。勝った勝ったと喜んでいられる様な甘い状況ではないだろう。全国的な民主党の凋落傾向は帯広にも及んでいるのかもしれない。

ニ位に入った自民党公認の清水拓也が14033票、5位の伊賀淳貴が9350票、自民党公認に漏れて無所属で立候補した上野庸介が4位で9729票、同じく無所属で立った編田照茂が7位で6262票、この4者の合計票数は39374票、これを2で割れば19687票であるから、単純に考えれば、自民党は2人の候補者なら2議席を取れた計算になる。

4人が争ったから、票の掘り起こしが出来たという見方もあるから、もちろん単純に数式だけで分析する訳にはいかないが・・・。

漁夫の利を得たのは12063票で3位で滑り込んだ、無所属候補ではあったが、新党大地系の現職の山崎泉であったことが分かる。

選挙と云うものは「運」が左右することがあるが・・・。

結局、自民党の乱立は他者を利しただけであった。

自民党の公認候補に漏れた2人は、自民党十勝支部の決定に、いわゆる造反して無所属で立候補したということになるわけだが、逆らう以上は絶対に勝たねばいけなかった。

勝てば官軍だから、当選後に自民党に復党という線もあるだろうが、負ければ賊軍である。次点と3位との得票差は2334票あった。これだけの差をつけられての負けでは、自民党惨敗の責任論が出てくるであろう。

それにしても、自民党の調整力の無さは問題であった。

トップに立つ人間が自身の恋愛で、心ここに在らずで、フラフラしていたのだったとしたら、まとまるものもまとまらない。政治家失格というよりも人間として、公の立場と私の立場とをしっかりと区別できなければいけない。

北海道知事選挙の方は、もう少し接戦になるかと思ったが、開票率90%の時点で30万票もの大差が付き現職の高橋はるみが勝った。

私は、佐藤のりゆきの敗因は鈴木宗男とのやりとりにあったように感じている。鈴木宗男は共産党の応援に対して保守票が逃げると猛反発したが、その、鈴木自身の影響力誇示のための恫喝的なパフォーマンスに対して、佐藤候補の態度がイマイチスッキリしなかったことが影響していると思う。今時の共産党に対するアンチよりも、むしろ鈴木宗男に対するアンチの人数の方が多かったんじゃぁないだろうか。

佐藤氏が当選したら、鈴木宗男が影響力を発揮するのじゃぁないかということへの拒否反応があったように思えてしょうがない。

まぁ、まだこれからも選挙はまだ続く、税金で自分自身の生活を為すために議員になるような人間だけは選びたくないものだ。


■2015-04-14-Tuesday 原稿

くしゃみが出そうになったので

堪えようとして頑張ったら、左の脇腹の辺りがギクッとなった。

変な力を加わえてしまったようで、筋肉が引き攣り痛くて仕方がない。

年を取って、骨がもろくなってくると、くしゃみであばら骨が折れる人が居るらしいが、まさか、あばら骨までは折れていないと思うが・・・

しかし、咳やくしゃみをする度に激痛が走る。

とりあえず湿布薬を貼っておいた。

このところ、今月下旬に出版する本の校正で、ずっ〜と机の前に座っていたから身体がなまっているのかもしれない。

同じ姿勢を続けると身体が固まってしまうような感覚がする。校正作業は慣れているとはいえ、けっこうツライものである。

実際の本と同じ形になっての原稿があがってきたが、修正箇所もかなりの数になった。新聞掲載時の文字使い通りにしようとしているので、新聞の原稿と印刷されてきた本の原稿を左右に並べて、見比べるのはかなり眼が疲れるのだ。

それでも、段々と完成形に近づいていくのは嬉しいものである。

あと1回の校正で印刷に入れる段階まできた。予定通り下旬には本屋に並べられるであろう。楽しみである。


■2015-04-15-Wednesday 古いトランプ

トランプと言うとマジックの師匠に怒られて

しまうが、日本では「プレイングカード」と言っても通じないので、このブログでは「トランプ」と表現することにする。

去年の11月16〜19日まで、帯広に「マジック博物館」の進捗状況を見にきたマジックの師匠、故ジミー忍(聖忍)師の夫人のマコママが、出来あがったばかりの「トランプの壁」に展示していた930個のトランプを見て「先生のコレクションの中の一番素晴らしいトランプを飾っていないやん」と言う。

通常、トランプは紙の箱状のものに入っているが、マコママの言うトランプが見当たらないのだ。

マコママは「たしか箱に入っていたんじゃぁなかったよ」と言う。

「かなり古いトランプで箱の部分は包装紙状になっていたから、先生がその包装紙だけを額装しておいたはずだ」と言うのだ。

額類を分類して分けておいた箱の中を探してみたら、小さな額にトランプを包んでいた包装紙だけを額装したものが見つかった。

中身は何処にあるのか?とマコママに聞いたら「たしか木製のカードケースに布に包んで入れてある」と言うので、今度はカードケースを分類していた箱を調べたら出て来たのであった。

確かに、古そうなトランプであるが、未使用品だからカードそのものは綺麗である。MADE IN BELGIUM とあってカードのブランド名は「GREAT MOGUL」とある。

この「GREAT MOGUL」と云うブランドは、ちょっと前までアメリカのカード会社が造っていたブランドで現在は製造されていないはずだ。

マコママは「貴重な古いモノだから、額装して飾って欲しい」と云うので帯広の額装屋に頼んで額装してもらうことにしたのだった。

額装屋もトランプの額装なんてやったことがないから随分てこずったのだろう、ようやく1週間前の4月7日に完成して持って来た。

私も今月下旬に出版する本の校正で忙しかったので、そのままにしてあったのだが、昨日、校正が終了したので、改めて出来あがって来た額を見ると、実に趣があって良いトランプなのである。

こうなると調査したくなるのが、私の悪い(良い?)癖である。

何としても製造年代くらいは調べたいと思ったのだ。

早速、マコママに電話して、何処でこのトランプを見つけたのかの由来を聞いてみたら、先生とママがやっていたマジックバー「魔法の小箱」(初代の下北沢店)の常連客の骨董屋さんが、35年ほど前にプレゼントしてくれたもので、海外の骨董店が集まる骨董市で見つけたものだという。

それ以外は分からないという。

写真を写して、トランプを輸入している会社にメールをしたら、取り扱い製品ではないので分からない。同じ名称のアメリカ製のトランプならあるという返事が来た。

そのアメリカ製の「グレートモーグル」を検索すると、U.S.プレイングカード社製で、海外への普及品(セカンド)、いわゆる2級品で印刷がズレたりしたものを安く販売するブランドということで、赤と青の2種類がある。アメリカ製の箱の絵を見ると人物は同じデザインであるし、全体は似てなくもないが・・・。

ネットで、「ベルギー・トランプ グレートモーグル」と入れたら、ベルギーはトランプの生産では世界的に有名な国で、「トランプ博物館」もあるという情報を得たが、グレートモーグル(モーガル)はアメリカ製のトランプという情報でベルギー産だという情報は出てこない。これ以上はお手上げの状況である。

誰か、知っている人が居たら是非とも教えて欲しい。

マジック博物館は、松旭斎天一の書いた掛け軸や書などの貴重品を展示するガラスケースも来週には完成するだろう。

連休中は少し頑張って展示でもするか。


■2015-04-16-Thursday 予定より早く

予定していたよりも早く

今朝、マジック博物館のガラスケースの造作をしにサッシの業者が来た。

前回の作業でマジック博物館の勝手が分かったのであろう、作業が前回よりも格段に早くなっている。

大工さんも一緒に来て、同時並行で木製の棚も造ってくれる。

昔、我が、さかもと民芸品店で熊の木彫り等の民芸品を並べていたケースで、使わなくなってから長らく倉庫に眠っていたモノを引っ張り出して来て、棚にしてみたらまだまだ見栄えも悪くない。

昔の棚は結構頑丈に出来ているし、良い材料を使って造ってあるから、廃物利用でもなかなかのものである。

作業をしていたら、今月から札幌に行ってプロマジシャンになったスペンサー・トリックスさんが訪ねて来た。

札幌に行く前に、帯広で紹介してあげたマジックの仕事が昨日、無事に終えることができたので挨拶に来たのだという。

ここ1ヶ月でマジック博物館の展示物の整備もかなり進展したので、驚いていた。

博物館には、プロマジシャンのサイン色紙もたくさん飾ってあるコーナーもあるので、早速、プロになったばかりのスペンサーさんにもサインを書いてもらった。

博物館は、お金も掛かるけど、少しずつ形になっていくのは、楽しいことである。あせらず、のんびりと作っていくことにしようと思う。

老後の為に、永遠に完成させない方が良いかも・・・。


■2015-04-17-Friday いろいろ

韓国のセウォル号沈没事故から

1年が過ぎたという今朝のワイドショーを見て、エッ、もうあれから1年も経ったの?と月日の経過のスピードの速さに驚いている。

14日の夜に広島空港で着陸に失敗したのも、韓国の飛行機会社のアシアナ航空の飛行機である。

韓国の交通機関の安全性はどうなってるんだと思っていたら、日本でもJRの安全認識がヒドイ状態になっているようだ。

交通機関の人間は、他人の命を預かっているという認識が欠落してはいまいか。

安さや効率性を追求して、安全性を疎かにするのは、まったく逆であろう。安かろう、悪かろう(危険であろう)なんて願い下げである。

テロも怖いし、乗り物も怖いとなってしまっては、普通の感覚を持った旅行客ばかりなら、今後、相当観光客数は減るのだろうなぁ〜。

このところの風邪気味なのが治らないままで、咳と鼻水がまだ完治していないところにもってきて、胃がキリキリと痛い。

今日は、異常に寒くて身体が上手く対応出来ていないのかもしれない。

夜に、帯広青年会議所(JC)の現役とOBとの合同例会があったので、昨年度のOB会長を務めた身としては、参加しない訳にはいかないので、体調不良をおして参加してきたが・・・。

随分と空席が目立つ。OB会員の中には会費が無料(年会費に含まれているから)なので、出欠のハガキにはとりあえず出席としておいて、当日出て来ないという人間が多いのだそうだ。

その分、空席が出来るし、用意されている人数分の食事だって無駄になってしまう。意識の低いメンバーが増えているようで嫌〜な気分になった。

胃が痛いのでお酒は控えて、最初は冷たいウローン茶を飲んでいたが、冷たいお茶も胃には良くなさそうなので、温かい緑茶に切り替えて飲んでいた。

アトラクションで新入会員の出し物を見ている内に、これまた気分が悪くなってきた。電撃ネットワークの真似をしての出し物だというが、素人が面白半分で演るようなシロモノではない。

素人が真似して良い芸と真似しちゃ危険なモノもある。簡単に考えて演ってしまうのは、最近のネットの動画投稿にも見られる悪ふざけの延長である。JCがこういうことをやるのかと呆れてしまった。

身体の調子も悪いが、気分も悪いので、早退して自宅に戻ったのであった。


■2015-04-18-Saturday 掃除

今度の連休に自宅に客人が来る予定である。

自宅のリビングは、先日の「最初で最後のマジックショー」のVTRのダビング作業をやっていたので、ビデオ機材やDVDなどが散乱したままになっている。

これを片付けて掃除をしようとなった。

片付けをしている内に、私のマリリンモンローコレクションで壁に掛ける類のものが、脚立が見当たらなかったので、そのまま床に立て掛けてあった状態のモンローの写真付きLPレコードを額装したもの4個が出て来た。これも飾ってやろうと思ったのだ。

母の家に行って。脚立を持って来て壁に飾る作業をした。

母の家との往復時に、通路に敷いてある60㎝角位のコンクリートの敷石が、ところどころ持ち上がって段差が出来ているのに気が付いた。

冬に降った雪が、太陽で融けて、水になって石の間や下に入り、それが今度は氷になって、コンクリートの敷石を持ち上げたのだろう。角々に段差が出来ている。

年老いた母が、毎日、我が家に夕食に来る際に通ってくる通路である。

母は足が悪いし、年取ってくると足が上に上がらなくなるようだから、段差に躓いて転んだりされたら大変だ。

冬期間に、この通路が凍った際に、滑り留め用に撒いていた砂の余ったものがあったので、それで段差を解消しようと考えたのだ。

以前に、左官屋さんが、この敷石を敷いてくれた時の作業を見て覚えていたので、それを真似てみようと思ったのである。

ちょうど、冬の除雪道具も物置に仕舞う作業のついでもあったので、ツルハシで敷石を持ち上げて、砂を撒き、木材で平らにして敷石を置き直したのであった。

砂は結構な量が必要で、余っていた分だけでは4枚しか直せなかったが、一番足が引っ掛かりそうな場所だけは直しておいた。

コンクリートの敷石は結構重くて、腰の負担もきつかったが、一番つらかったのは太ももの筋肉であった。踏ん張って重いモノを持ち上げる作業は、この年になるともう出来ないなぁ〜。

一ヶ所が気になると次々に直したい箇所が目に付く。土曜、日曜で自宅の修繕をやることにしたのであった。


■2015-04-19-Sunday 自宅の

今日は朝から自宅の修繕作業である。

大工仕事は好きであるから、昔から、家の改築などで大工さんがやっている仕事を眺めるのが好きだった。

マジックが趣味であるから、元々、器用な方である。何でも見よう見真似で、出来てしまうから、また作業が面白くて仕方がない。

壁紙を直したり、床を直したりの作業をしていた。

午後からは、ゴルフのテレビ中継を見ながら、リビングの整理をしていたら・・・。

北海道苫小牧市出身の女子プロゴルファーで、私の長女と同じ東北高校出身の菊地絵理香が、初優勝をした。

私の娘はゴルフ部ではなくフィギュアスケート部であったが、地方から東北高校に通う女子生徒が入る寮で一緒だったのである。

娘の1年先輩には、宮里藍が居て、1年後輩には有村智恵や原江里菜、更にその1年下に菊地絵理香が居た。このメンバーを見ると、東北高校女子ゴルフ部はスゴイなぁ〜と思う。

娘の伝手で、何とかこの内の誰かと一緒にゴルフをプレーしたいものであるなぁ〜。

菊地絵理香はこれまで2位にはなれても、なかなか優勝が出来なかった。プレーオフで負けたことも2回ほどあったはずだ。いっつもあと一歩のところで優勝が出来なかった。今回は3日間とも1位を守り続けた完全優勝である。これで自信を持つことが出来たであろう。スポーツは自信を持つとガラリと変わるものだ。これから彼女は強くなるかもしれない。

テレビを見ていたら、何やら外が騒々しい。

そういえば、地方選挙の市議選が始まったのだなと思っていたが、どうも雰囲気が異なる。

窓の外を見てみたら、何と、とある市議候補者が、我が家の真ん前に選挙カーを停めて演説をし始めたのである。

こんな住宅街で、しかも、誰も応援に外に出ているような気配もないのに・・・。

普通は、「○○をお願いしま〜す」と車で街を流して行くだけかと思ったが・・・。20分ほども演説して行った。

変わった選挙戦術であるが、こんなに人の居ない場所でやっても効果があるんだろうか?

まぁ、政策も伝えずに、自分の名前だけ連呼して行くよりは、よっぽど好感が持てたけどね・・・。

これから騒々しいだけの嫌〜な日々が続くのかと思うとウンザリである。


■2015-04-20-Monday ポイント オブ ノーリターン

ポイント・オブ・ノーリターンとは

引き返し限界点のことである。これ以上先に行ったら、もう引き返すことが不可能になる地点のことである。

よく、飛行機の離陸の際に、パイロットが離陸をするのか、離陸を止めて引き返すのかの判断を迫られる限界の場所という意味で使われている。

飛行機のことだけではなくて、人間の生活の中にも、このポイント・オブ・ノーリターンという限界点は存在する。

映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんがよく使う「それを言っちゃ〜オシマイよ」というセリフそのものの事態である。

交渉事でも、相手の反応を見ながら、ここまではOKかな、もうそろそろヤバイかなと駆け引きを行なう人がかなり居るが、立場の強弱によって、譲歩する幅も違ってくるものだ。

立ち場の弱い人間は、相手の立場が強かったり、相手が強気だと、譲歩に次ぐ譲歩を重ねさせられることがある。

また、単なる金銭だけで動いているような人ではなく、人情絡みで動いているような場合に於いては、損得勘定以外に人間的繋がりで譲歩する場合もあるであろう。

我慢に我慢を重ねて、相手の要求(頼み)を呑んで、何とかかんとか遣り繰りをして従うが、その我慢や譲歩が限界点を超えて、もう少しも譲歩出来ない地点まで踏み込んでしまうと、もう嫌だ!となって、全てがオジャンになってしまうことがある。

世知辛い世の中で、金銭的にも余裕を失っているから、あらゆる場面でコストカットは必須の状況であることは理解している。

しかし、そんな状況でも、リーダーたる者は、何が重要で、何が重要ではないのかを見極める眼力が必要なのだと思う。事業にメリハリを付けるのが智恵と云うものであろう。

深い考えもなしに、単なる表面上の数字合わせをやると取り返しのつかない事態になってしまうことがあるだろう。

一旦、そういう事態になってしまってから、慌てて元に戻そうとしても、今度は、一度離れてしまった気持ちを再び取り返すことは出来ないものなのだ。

特に、気持ちで繋がっている場合には、一旦気持ちが切れてしまうと修復するのは余計に難しいものである。

まちづくりにも、ポイント・オブ・ノーリターンは存在する。まちづくりに携わる人間はそこの配慮を忘れないことが重要であると考える。


■2015-04-21-Tuesday 本の完成

去年の10月から出版準備をしていた

3冊目の著書、観光カリスマ坂本和昭エッセー&コラム集「人間万事塞翁が馬」(クナウマガジン社刊)が完成した。

21日の午前中に、印刷会社が10冊だけ製本して持って来てくれたのだ。

本格的な配本は来月7日になるという。全道各地の本屋で、クナウマガジン社(雑誌スロウなどの出版会社)の書籍を取り扱っている書店で1冊1000円(税別)で販売される予定である。

まずは、著作権の関係から、読売新聞社、北海道新聞社、十勝毎日新聞社に送らなくてならない分の10冊を先行して製本してくれたのである。

各新聞社に送る前に、自分でサッと目を通してみたが、なかなか良い出来栄えである。

老眼鏡をかけなくても見える大きさの文字にしたので、総ページ数は357頁にもなってしまったが、とても読み易い本であると思う。

1999年1月から今年の3月までに書いてきた、北海道新聞社37編、読売新聞社27編、十勝毎日新聞社70編など等を掲載したのだが、それにしても、我ながら良くこんなに書いていたものだと感心する。

一度に書けと言われても、とても書けるものではないが、15〜6年間もの時間があったから書けたのである。

自分の書いた文章が、公器とも言える新聞紙上に掲載されるというのは、そうそう出来ることではないだろうと思う。

載せたくて、読者欄に投稿したとしても、そうそう簡単に掲載されるものでもないだろう。

執筆者として、連載させてもらえるのは、とても名誉なことである。

新聞に自分の意見が掲載されるということは、かなり緊張を伴うものでもある。

幸い、これまで、激しい抗議にあったということはなかったが、読者側の文章読解能力の欠如に依って、まったくの勘違いをされて、会社まで抗議に来た人が居たのには驚いたという経験がある。

私は、相手が非難するような事は一言一句も書いていないのだが、勝手に思い込んで抗議を受けたことがあったのだ。

そもそも、言論の自由というのは憲法によって保障されている権利である。だが、権利だからと言って何を書いても良いわけではないのは勿論である。

しかし、自分はこう思うという意見に対して、私はそう思わないという人が居るのは当然であろうが、考え方が間違っていると意見をしに来るのは如何なものであろうか?

文章というものは、読者側の受け取り方によっては、作者の意図とは随分と異なった印象になるのだなぁ〜ということを、その時に感じたのだった。

そんな経験があるから、昨今の政府のメディアに対する圧力に対しては、嫌〜な気分を感じている。

他人の文章に対しては「そうか、そんな考え方もあるんだなぁ〜」で良いではないか。そんなことをフッと感じたのであった。


■2015-04-22-Wednesday 気温

今日はやけに暑い!

急に気温が上がって帯広は20℃を超えた。

三寒四温とは云うけれども、こう連日の様に気温が上下動すると身体の調子がオカシイ。

加齢と共に、気温と体温との調整能力が落ちているのだろう。このところの咳と鼻水が未だに治らないでいる。

ニュースで、首相官邸の屋上にドローンと呼ばれる無人ヘリコプターのようなものが落ちていたのを発見したという。

数日前に落下していたようだが気が付かなかったという。このドローンには放射能のシールが貼られた容器が付いていて、微量の放射性セシウムが検出されたという。

誰が何の目的で首相官邸の屋上に落下させたのであろうか?

放射性セシウムの容器が付いていたということは、単なる撮影目的とは考えられないから、落下は故意ではなく、テロの失敗だったのかもしれないが・・・。

以前に、伊坂幸太郎原作の映画「ゴールデン・スランバー」で、遊説中の首相を、無人のラジコンヘリコプターに爆弾を搭載して暗殺すると云う場面があったと記憶しているが、ドローンの操縦はラジコンヘリコプターよりも簡単だという。

ドローンの値段も1万円位からあるらしいから、誰にでも入手が簡単な代物だ。

ニュースでは、まだドローンを規制する法律がないというから、恐ろしいことである。

ほんの数ヶ月前に、ディアゴスティーニだったか、月に一度の配本にドローンの部品が付いていて、それを自分で組み立ててドローンを完成させるという本の販売があったが、私も欲しいなぁと思っていた。

しかし、短気な私は、毎月少しずつ組み立てるなんて悠長なことはやってられないから止めておいたのだが・・・。

いずれにしろ、他人の家の上空を勝手に飛ばして撮影されるというのは気になるなぁ〜。

ストーカーが、ドローンを使って、マンションの部屋の窓まで飛ばして中を撮影するなんてことも考えられる。高層のマンションに居ても、窓の外からの盗撮を気にしなければならない時代になったということか・・・。

技術革新は犯罪も進化させるようだ。


■2015-04-23-Thursday 価値観の相違

人間の価値観とは何ぞや?

私は小学6年生になる時の春休みの11歳の時に、札幌在住の8歳年上の従兄弟にもらった手品の道具「シカゴの四つ玉」によって「マジック」に目覚めてしまった。

以来、私の人生はこれまで46年間ズ〜ッとマジック中心で動いて来た。

中学、高校時代は独学でマジックを研究していた。帯広にはマジックを指導してくれる人が居なかったからだ。

日本の中心、東京のマジックを知りたいが為に大学に行ったようなものだ。決して勉強の為に行った訳ではない。

だから、上京して大学に入学する前に、縁あったプロマジシャンのジミー忍(初代:引田天功の弟弟子)師に入門し、大学卒業後はプロマジシャンになるつもりでいたのだ。

大学生時代は、1日8時間はマジックの練習をしていたし、寝ても覚めてもマジック一色の生活であった。

プロマジシャンになる夢は、構想から2年の歳月を掛けて万全の態勢で準備をして臨んだ大学3年生の時の駒澤大学マジッククラブ(駒澤大学手品奇術研究会)の発表会で、後輩の考えられないドジによる予期しない大失敗によって潰えてしまった(現在でも時々、この時の発表会の模様が夢に出て来てウナサレルが・・・)。

発表会での大失敗で自信喪失に陥っていたところに、父親に「バカ野郎!」と怒鳴られてプロになっても生活出来ないだろうとマイナス思考で思い込み、夢を断念してしまった。

しかし、「人生は一度しかない」のだから、何故にあの時に挑戦しなかったのかと云う、自分への後悔の念を未だに引きずっている。

派手な芸能界に身を置こうと思っていたのに、大学を卒業して直ぐに父親の会社に入社して、帯広に引っ込んだ、落ちぶれたという意識があった。

帯広って何てつまらない町なんだという意識である。

それが、いつ頃からか、つまらない町なら自分で面白い町にしてやろうとポジティブに思うようになった。

「まちづくり」に興味を抱いて、一生懸命に勉強し、活動した。「十勝環境ラボラトリー」・「北の屋台」・「大道芸」等など、それなりに、その分野では成功を収めたと思っている。

しかし、私の心は晴れない。

どうも、途中で横道に逸れてしまったのではないかという感じがどうしても拭い切れないのだ。

やっぱり、私には「マジック」が一番なのである。

現在、造っている最中の「マジックミュージアム(博物館)」の展示作業をしている時が、一番充実している時なのだ。

「マジック博物館」と云うものは現在の日本にはまだ存在していない。

つまり、日本で一番最初の「マジック博物館」を造りたいと考えてウキウキしているのだ。

しかし、妻はマジックにはまったく興味が無い。

先日、私が作業している所に、珍しく来て、博物館を久し振りに見たら、「ヘェ〜、随分と作業が進んだのね、でも、いくらお金を掛けたの?」と聞くので正直に金額を答えたら・・・。

妻がたった一言「ハァ〜〜〜!?」と・・・、ただ単に呆れてモノが言えないという風情である。

その後は「バッカじゃないの」と事あるごとに私を非難する。

私にとって「マジック」は、妻との付き合いの30年よりも16年も長い、46年間も付き合っている、もはや趣味を超えた存在なのである。

価値観の相違は、恐らく永遠に埋まらないであろうが、マジック博物館は師匠(ジミー忍)との約束でもあるし、私も何としても生きている内に実現したいのだ。

妻に理解してくれとは言わないが、文句を言わずに自由にやらせて欲しいと願っている。


■2015-04-24-Friday 選挙運動

26日の投票で長かった統一地方選挙が

ようやく終わりを告げる。

選挙と商売の相性の悪さは昔から言われていることだが・・・。

3月の卒業、転居などによる送別会シーズン。

4月の入社などによる歓迎会シーズン。

この両方ともに、かなりの客数減少の影響を受けているのではないだろうか?

帯広市議選は定数29人に対して35人が立候補しているから6人が落選するとあって、当落線上にいると感じている候補者は必死の様相で、中心街を選挙カーで回っているようだ。

我が家の前の道路にも随分と多くの候補者が通っていくのだが、思わず噴き出してしまった選挙カーがあった。

女性の声で「帯広市議候補の○○の家内です。どうか助けて下さい」と言いながら車で走っているのである。

妻は「何で私があんたの旦那を助けなきゃならないのよ!」と呆れていたが、もっともである。

「家内」ということは候補者の奥さんであろう。

政治をしているのは夫であろうに・・・。

政治家の妻は政治とは直接関係がないはずだが・・・、

一般庶民を助けるのが政治家の仕事であろう。それを「助けて下さい」というのは一体何を助けるのであろうか?

それこそ、自分の生活費に使うから、夫を政治家にして下さいとでも言っているのだろうか?

こんな妻を乗せて、こんな恥ずかしいことを連呼して街中を走る候補者の意識レベルの低さに愕然としてしまった。

こんな恥知らずな人間しか立候補していないのかと思うと情けなくなってくる。

俗に「ウグイス嬢」と呼ばれる選挙カーに乗り込んで「○○をよろしくお願いしま〜す」と連呼している女性達も、選挙戦が終盤になると、声も枯れ気味になり、とてもウグイスとは云えない声になる。

おそらく、連日の選挙運動によって、候補者に感情移入して、声を枯らしてしまうのかもしれないなぁ〜。

政策を伝えずに、名前だけを連呼するような人間には私の清き一票は入れたくない。


■2015-04-25-Saturday DIY

DIYの店を覗くのが好きである。

DIY(Do it Your self)で一番好きな店は、東急ハンズなのであるが、残念ながら帯広にはない。藤丸百貨店に東急ハンズのトラックセールの店が一部分あるが、これはDIYではなく雑貨の店である。

私にとってDIYは、工作などの材料を売っている店という認識である。

東急ハンズの店は、同じ材料を売っていても、都会的なセンスが良い店なので、見て歩くだけで、想像力と創造力が刺激を受けて、マジックの種を発見したりするのに役に立つのである。

北海道にあるDIYの店は、ホームセンターが多くて、マジックの種を発見するというよりも、家庭大工の道具や材料を販売しているという感じが強い。

しかし、木材、セメントなどの材料から、電動のこぎりやドリルなどの本格的な道具類、電化製品からペット、家庭菜園の花の種や土まで売っているから、この店を見て歩くのもなかなか面白いのだ。

今日は、マジック博物館の展示用の材料を探しに、帯広で一番大きなホームセンターに行ってきた。

見て歩く度に、あれもやってみたい、これもやってみたいと思うようになる。

妻は、ペットコーナーに行きたいという。

我が家の愛犬が、3年前に死んでから、我が家ではペットを飼っていない。

1週間ほど前に、見に来た時に、以前に飼っていたのと同犬種のラブラドール・レトリバーの子犬がいたから、可愛いなぁ〜と思ったのだが、どうにも、死んだ愛犬サニー君に似てバカっぽかったので止めておいたのだ。

だが、逆にそのバカっぽさが、何だかサニー君の生まれ変わりのような気がして「パパさん、また僕を飼ってよ〜」と呼び掛けられているように感じてしまったのだった。

もしも、今回、その犬が売れていなかったら、ひょっとしたら妻が飼うと言い出していたかもしれない。

幸か不幸か、このラブラドールは売れていたので、妻が飼う心配はなかったのだが・・・。

犬を飼いたいなんて言うからには、どうやら妻は、私との夫婦二人だけの生活に飽きているのかもしれないなぁ〜。アブナイ、アブナイ。


■2015-04-26-Sunday 投票日

今日は統一地方選挙後半の投票日

帯広では市議選の投票日だ。朝から晴れて穏やかな日であるから、こりゃ〜皆、行楽に出掛けてしまって投票率は下がるであろうなぁ〜。

我が家は、前回と同じく、正午に母を連れて投票に行き、その足で昼食と買い物を済ませることにした。

投票所に行ってみたら、前回とまったく同じ時間帯なのに、明らかに人が少ない。正午でこの人数なら、かなり投票率は悪そうな感じだ。

選挙って天気が良過ぎてもダメなんだなぁ〜。

自宅に戻ってから、妻は家の掃除をし始めたが、私はダラダラとベッドに寝そべって読書三昧である。読んでいる内に陽気の為か眠たくなってきたのでそのまま布団をかぶって寝てしまった。坂本家の男子は寝ることが大好きなのだ。父も私も息子もやたらと寝るのである。妻は、昼間から寝ていて、夜も眠れるのか?と聞くが、まったく問題ない。なんぼでも寝ることができるのだ。妻は「あなたは、喰っちゃ〜寝、喰っちゃ〜寝ばかりしているから太るんだ、少しは痩せるために、掃除を手伝ったら?」「掃除を手伝わないなら、ゴルフの練習にでも行って身体を動かしなさい」というが・・・。

今日は何となくダラダラしていたい。

夜は、選挙の開票速報を見たいから、早目に夕食を終えて、温泉銭湯に行ってくる。

帯広市議選は6人が落選する。

11時過ぎの開票で、得票数に差が出て、この時点で5人の落選者がほぼ決まった。

それにしても、テレビの女性アナウンサーのプロ意識の低さには呆れてしまった。

当選者の名前を読み上げていくのだが、読み方が難しい漢字の人の名前が読めないのか、間が空いてしまう。その間に困ったようにして男性アナウンサーが代わりに読むのだが、たかが35名の名前くらい事前に調べておくべきだろう。いくら帯広ローカルのテレビ局でもちょっと恥ずかしい仕事ぶりだ。

最後の当選者の発表はなかなか無かったが、最下位当選者と次点者との差がこの開票率92%の時点でも400票ほどもあった。

28名はすでに確定していたのだから、最後の一人にもこの時点で当確を出しても良かったのでは・・・。

最終的には、28番目の当選者と29番目の当選者の差はたったの7票であったのだから・・・。

私の予想が外れたのは、ニートをアピールして立候補した最年少の候補者である。この候補者は下から2番目で当選したので驚いた。

投票率が過去最低の50.48%であったから、その分で救われて当選したのかな?

まぁ、選挙には「時」の幸・不幸が付きものである。

新しく市議になった人達にはしっかりと仕事をしてもらいたいものである。


■2015-04-27-Monday 何なんだ!

今日の天気予報では

帯広は30℃を超えるという。エ〜ッ、まだ4月だぞ!いきなり30℃超かよ。これじゃぁ身体が付いていかないぞ。

会社の冷暖房装置は以前のシステムのモノなら、暖房から冷房に切り替える端境期の時期をはからなければならなかったが、現在の機械は温度の目盛りを変えるだけなので、とても楽になった。

例年、このGW近辺の帯広の気温は25℃を超えたり、10℃以下になったりと非常に不安定で、暑くて冷房に切り替えた途端に、また急に寒くなって、テナントから暖房を入れて欲しいなんて言われたこともあった。

以前の装置なら、この天候の急変には対応出来ていなかったことだろう。

ランニングコストも含めて、天然ガスに替えておいて正解であった。

天気も変だが、世界中で地震やら火山の噴火やらが起きている。25日にはネパールで大きな地震が起き、4000人超の犠牲者が出ている模様だ。地球が活動期に入っているのだろうか?

日本でも、イルカやクジラが海岸に打ち上げられたりしているし、沖縄と台湾の近くで地震が起きた。

逆に、地震の空白状態が不気味に続いている関東、東海、南海辺りに大きな地震が来ないかとても心配である。地震に連動して富士山が噴火したりしたら最悪の状況になってしまうだろうから。

千葉県では、また若い連中によって理解不能の殺人事件が起きた。殺した理由もはっきりしないし、殺し方も生き埋めにして殺したようでとても残虐である。

以前から書いているが、若い連中はゲームのやり過ぎなんじゃないのか?

生命はスイッチひとつで復活するもんじゃぁないということが分かっていないようなバーチャル気分の殺人事件なのではないか。

殺人の後の行動もまるで理解不能である。LINEとかいうものに書き込んでいる内容が、人間としての知性をまるで感じさせない。

若い人たちの間には、かなり不満が充満しているようだ。何だか、ほとんどの人間が心の余裕を失って、皆がイライラしているようである。

嫌〜な世の中である。


■2015-04-28-Tuesday

昨日の30℃を超える気温で

我が家の庭の桜が急に芽吹いた。

朝方はまだひとつも咲いていなかったのに、会社から戻るとかなりの花が咲いている。

我が家の向かいの家の桜は、みごとに咲いて八分咲きの状態である。

北海道の桜は、エゾ山桜だから花よりも葉の方が多いのだが、今年は葉が揃う前に花が咲きそうな気配で、例年とはかなり雰囲気が異なっている。

今日は、昨日よりはかなり気温が低いが、それでも例年よりは温かい。

昼間に「マジック博物館」の展示作業をしていたら、汗がしたたり落ちてきた。

明日からはゴールデンウィーク(GW)だ。

例年、GW中にどこかに出掛けることはしないが、今年は、連日客人が訪ねてくる予定が入っているから、客人をどこかに観光で連れていかなければならないかもしれない。

十勝管内でこの時期に、どこに連れて行ったら良いのだろうか?

例年ならGW中はちょうど観光の端境期にあたるが、今年は色々な場所がもうオープンしているようだ。

帯広市を中心にすると、十勝の主だった観光地が四方八方に拡がっているので、ルートを上手く決めないと無駄な時間が多くなってしまう。

効率的に回るには、かなり綿密に調査して決めなければならないだろうなぁ。


■2015-04-29-Wednesday GW

今日からGWが始まる。

多い人は5月6日までの8日間の休みが取れる。

そんな絶好のGW初日に、またまたJR東日本で東北新幹線が停まってしまったというニュースである。

JRは北海道だけじゃなくて全国のJRで事故が多発している。いったい何をやっているんだろうか。ちょっと酷過ぎるなぁ〜。

青年会議所(JC)の現役会員から依頼されて、午前中に「北の屋台」で説明をして欲しいと云う。

日本JCの会頭、副会頭、北海道地区協議会の会長など、JCのトップの人達が帯広に来ていて、地方創生のヒントにしたいから、北の屋台の詳しい話を聞きたいので、説明して欲しいと云う。

私は8年も前の、2007年3月末で北の屋台を辞めている旨も伝えたのだが、創立時の話が出来るのは坂本先輩だけなのでお願いしますと懇願するので、引き受けたのであった。

1999年からの屋台設立時の創設メンバーは、現在の理事者の中には一人も居ないから設立当時の説明が出来ないのだろうと思ったのだ。

約束の時間の10分前に、北の屋台に到着して、先に来て準備していた帯広JCの理事長らに「屋台の組合に話は通してあるのかい?」と尋ねたら話を通していないと云う。

辞めてから8年も経っていて、現在はまったくノータッチであるから、私が組合の許可なく説明するのは問題があるかもしれないので、その場で専務理事に電話して事情を説明し、事前に許可をもらっておいた。

許可なく勝手に説明したりしたら、坂本は北の屋台を自分のモノだと思っているんじゃないかという人も中には居るかもしれないからなぁ〜。

午前11時から1時間という制約の中で、端折りながらも一通りの説明をした。

JCの現役メンバーにしてみれば、かなり昔の話になるから知らない人も多いようである。

まぁ、あの当時のまちづくりに対する情熱だけは伝わったのでないかと思う。

政府も「地方創生」を盛んに言っているし、若いJCメンバーが北の屋台に刺激を受けて、地方創生のアイデアのヒントにでもなってくれれば、帯広の良い宣伝になるかもしれない。そうなってくれれば有り難いものである。


■2015-04-30-Thursday 本の発刊

午前中に本が完成して会社に届いた。

去年の10月から準備をしていた私の初のエッセー&コラム集で題名は「人間万事塞翁が馬」(クナウマガジン社刊)1000円(税別)357頁である。

1999年1月30日からの新聞紙上に掲載された、私のエッセーやコラムなど135編をまとめて一冊の本として出版したのだ。

北海道新聞社の「朝の食卓(37編)」は500字、十勝毎日新聞社の「十勝の場所の意志に学ぶ(33編)」は1000〜1200字、同じく「論壇(24編)」は1000字、読売新聞社の「風向計(27編)」は1000字の字数制限がある。

この他に「カンボジア紀行(10編)」や「大道芸の見(味)方(3編)」、機関紙に寄稿した論文などである。

掲載紙や掲載時期は異なっていたから、これまであまり気にしてもいなかったが、同じテーマで書いてあるものがある。一冊にまとめて一気に読み返すとかなり重複しているものもある。

まぁ、この辺は勘弁してもらうしかない。

この本は、我が坂本ビル㈱・坂本商事㈱の前身である「坂本勝玉堂」の創業111周年を記念して発刊したものだ。

明後日5月2日の亡父坂本圭司の23回目の祥月命日に配布し、残りは一般書店で販売してもらう計画である。

校正に手間取り、発刊が1週間ほど遅れたが、ギリギリ間に合った。今日、明日中に300冊にサインと落款印を押さなければならない。

さすがに300回も、落款印を押すと右手の人差指の付け根が赤く腫れ上がってしまった。

新聞に記事として写真や名前が出ることは、よくあることだが、自分の書いた文章が掲載されると云うのは稀なことであろう。

だから、自分の書いた文章が新聞に掲載されるというのは名誉なことだと思っている。

それをまとめて一冊の本として出版出来ると云うのは、もっと名誉なことである。

まぁ、読者の方に楽しんでもらえたら幸いである。