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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2023-05-01-Monday 勝毎「論壇」掲載記事

2023年5月1日十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「シンギュラリティ」

近頃やたらと「チャットGPT」という文字を目にする。デジタル関係には疎いが気になるので調べてみたら「質問に対して文章で答えてくれる人工知能(AI)」であった。人間がコンピュータに入力した膨大な量の情報から、適切なものを抽出して並べ替えて出力するらしい。もうここまで進んだのか。

最近のAIは「模倣の天才」みたいな機能を持っているようで、小説や絵画や音楽まで作り出すのだという。「模倣は芸術には必要かつ重要な要素であるが、過去に人間が作った作品をつなぎ合わせて、それらしい作品を作ることは得意なのかもしれないが、新たな発想の産物とは異なる」との解説があった。

しかし、人間の発明も、ほとんどが過去の発明の改良である。画期的な発明はほんの数%程度のものでしかない。発明には「ひらめき」が必要だと言われているが、それがAIにもあるのだろうか。

原始時代より発明は知識の積み重ねから出たものであろう。特に「文字」の発明によって知識の集積や継承が格段に進んだ。発明が発明を生み出すのだ。AIもディープラーニングによって驚異的なスピードで知識の集積が可能となった。いずれ画期的な発明をするようになるかもしれない。

AIが人類の知能を超える「シンギュラリティ」が2045年に到来すると予測した学者がいる。だが、このペースだともっと早まる気がする。アナログ的感覚からは実現したら「AI対人類の戦い」の世界になるかもしれないと危惧する。データから導き出される最善回答は誰がどう考えても人類の抹殺だ。地球を破壊しているのは人類なのだから。人類には同胞を大量に殺戮してきた歴史がある。いまだに世界中で戦争が行われ、平和であった時期など無いに等しい。人類殺戮の大量データから学ぶAIが、人は殺しても良い存在だと学習してしまう危険性はないのだろうか?

識者の中には「機械なのだからコンセントを抜けば良い」とか「あらかじめ危険思想を排除するシステムをプログラミングしておけば良い」と言う人がいるが、やるのは人間である。ウィルスをプログラムに仕込んでおくマッドサイエンティストやサイコパスもいるだろう。AIに頼りきることは甚だ危険である。

機械に職を奪われ、国民はマイナンバーカードに配布される電子マネーのベーシックインカムで生活。旅行やレジャーはメタバース内のアバターで満足する。行きつく先は「ディストピア」だ。

なお、本文中の用語の意味が分からない人は検索を・・・。


■2023-05-02-Tuesday 祥月命日

今日は父の祥月命日

父の圭司は31年前の平成4(1992)年5月2日に肝臓癌で亡くなった。享年満64歳であった。

時は狂乱のバブル経済が弾けたばかりであった。

父の会社の坂本ビル㈱は十勝で一番地価が高い帯広市西2条南9丁目16・18番地でサニーデパートという寄り合い百貨店を営んでいた。

バブルは弾けたが、地価の高騰はこの平成4年が過去最高値であったし、租税評価額も史上最高値であった。現在の地価からは想像も出来ない金額であった。

しかも、バブルが弾けたことで、テナントの多くが撤退し、帯広市内のビルはどこも空き店舗が目立っていて、引き抜きが横行していた。

社長の父が急逝したことで、坂本ビルは引き抜きの狩場の様な状況となり、テナントは数軒しか残っていない有様であった。

バカ高い相続税を国に払い。私が父の会社の後継社長となったが、34歳の若造が引き継ぐのは、かなりの重圧であった。

簡単にテナントを引き抜かれない方法を考えたのが、物販のビルから飲食のビルへの大改造であった。

金融機関から多額の借金をして、ビルを大改装して坂本ビルを復活させたが、あれから31年。

しかし、予想だにしなかった2020年1月からの3年以上に及ぶコロナ禍で飲食のテナントが全部撤退してしまった。

30年前は若かったから借金も出来たし、ヤル気にも溢れていたが・・・

私も今年、父の享年を越える65歳となったし、5年前に癌を患った。

根っからのアナログ人間であるから、今後の、デジタル化社会には、とても対応していけない。もはや諦めしかない。

頭をよぎるのは「引退」「隠居」などの文字ばかりである。

父には申し訳ない気持ちでいっぱいである。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし」


■2023-05-03-Wednesday 帯広百年記念館

帯広百年記念館の大和田学芸員から案内があった。

去年3月に、私が寄贈した古地図や帯広市街図などを「令和の新着資料展」という催しで4月22日~5月7日迄、帯広百年記念館2階の特別展示室で展示しているという。

今日、妻を誘って見学に行って来た。

会場には、百年記念館が作ったのであろう新たなパネルもあって、それには『坂本和昭氏寄贈 地図資料:帯広市中心部で民芸品店およびビルテナント経営をされる坂本和昭氏より北海道・十勝・帯広の地図資料を寄贈いただいた。坂本家は明治37(1904)年に利別で坂本勝玉堂を創業し、鉄道開通とともに帯広に移った老舗で、印判業から十勝石細工の店として成長。中心市街地の発展とともに「サニーデパート」の経営などビルテナント事業もてがけ、近年は和昭氏の手になる「マジック博物館」も展開する。和昭氏が関心を持たれたこれらの地図資料はおもに駅前にあった古書店春陽堂書店で収集、額装は同じく中心市街地の画廊弘文堂に依頼した。ご覧の通り展示・開覧しやすい形態であり、かつ市内中心部で収集・額装されたことにも意義がある。』と表示されていた。

額装には多額の費用を掛けた。地図そのものの値段の数倍、数十倍もの額装代が掛かっているのであるが、地図と云うモノは見ない時には小さく折りたたまれて仕舞ってあるのが普通である。地図を見る度に出したり、仕舞ったりしている内に折れ目の角が薄くなったり、破れたりしてボロボロになってしまう。

貴重で綺麗な状態の資料であったから、そうなってしまう前に、キチンと後世に残す為には額装する必要があったのである。

本来は、我が子たちに残すつもりで作ったのであったが「いらない」と言うので百年記念館に寄贈をしたのである。何点か購入したいと言う他人も居たのであるが、バラバラにするよりはまとめて一ヶ所に寄贈した方が史料的価値が上がるであろうと考えた。

後世の市民に活用されたらば、この資料たちにとっても嬉しいことであろう。

今回の新着資料展には郷土史研究家の「井上寿」の古い絵葉書のコレクションの寄贈品も展示してあったが、その絵葉書の中に、祖父の坂本勝が明治38年に池田利別(凋寒)から帯広に移転した際に入居した西2条南4丁目20番地(宮本商産の筋向い)の坂本勝玉堂が大きく写っている大正8年頃に宮本商産の屋上から撮影したものと思しき古い絵葉書があった。

坂本勝玉堂の後ろ側に、映画館の「神田館」が写っている貴重な資料である。

ぜひ見に行ってもらいたい。


■2023-05-04-Thursday ダンデライオン

GWの連休中はどこか遠くに出掛ける予定は無い。

天気予報では、晴れで気温も20℃以上になると言う。昨日までは風が強くて出来なかったから、今年初の外焼肉でもやろうかと考えたが・・・

朝から空が曇っている。

庭に出てみたら、庭一面に黄色いダンデライオン(タンポポ)の花が咲いている。松任家谷由美の歌にダンデライオンが出てくるが、ライオンの鬣(たてがみ)の様に見えることからの命名なんだろうなぁ~。

しかし、あまりにも増え過ぎてまるでタンポポの畑みたいな感じである。

タンポポが綿毛に変わって飛んでいき、これ以上にタンポポが増えたら大変だ!綿毛になる前に何とかしなければ・・・

庭仕事をする為に購入した作業着のツナギを着込んで、タンポポの根っこ堀りの道具を手にタンポポ駆除を行ったのであるが・・・

しゃがんだ状態になってタンポポの深~い根っこを一株ずつ掘り出して取り除いていたのであるが、すぐに腰が痛くなってきた。

それでも、庭の三分の一位は根っこから掘り返したのだが、タンポポの根っこというのはとても深くて大変な作業である。途中から鎌に持ち替えて花の部分を切る作業に代えたのであった。

それでも腰の痛みを我慢しながら作業を続けていたのだが・・・、右手の人差し指の第二関節の横にマメが出来て、その水ぶくれが破れてしまって激痛が走った。軍手をしないで作業したものだから、マジシャンの繊細で柔な指の皮が剥けてしまったのである。

土からばい菌が入ったら大変だから、すぐに作業を止めて自分で治療をしたが、他の指もマメだらけである。

家の中に一旦入ってしまったら、再度の作業をする気分になれない。

妻からは「タンポポをあのままにしておくの?ツナギなんか買って来て恰好だけは一人前なのに・・・」と叱られたが、腰も手も言うことを聞かないのである。けっきょく、後始末は妻の仕事になったのであった。

午後になって背中が痛くなってきた。どうやらしゃがんでの作業で無理がかかったのであろう。カイロプラクティックの治療院に行って背骨などの矯正をやってもらった。慣れないことは少しずつやらないと・・・

午後3時に、妻の秋田の従弟が妻の実家の義父、義母の仏前にお参りしたいと寄ってくれたのである。

4年振りの再会だ。

10年前には、夫婦で東北地方の夏祭り(秋田の竿灯、弘前のねぷた、青森のねぶた、五所川原の立佞武多)を見物に行った際に、秋田の竿灯まつりではいろいろとお世話になった。

私の昨日のブログを読んで、帯広百年記念館に寄って私が寄贈した古地図を見学してきてくれたという。明日は北広島に出来た日本ハムファイターズの球場のエスコンフィールドまで行くと言う。

私も一度は行ってみたいと思っているが、まだまだ混み合っているだろうし、GW中ではその混み様も激しいであろうから、我々夫婦は完全隠居してからユックリと楽しむことにしよう。


■2023-05-05-Friday GW

長過ぎる連休

GWと云っても何処かに出掛けるのではないからずっと家に引き籠っている。我が家はまるでまだコロナ禍の外出自粛が続いている様な状態である。

昨日、タンポポの根っこ取りを筋肉痛や手の豆を潰したりしながら頑張ったのに今日は昨日以上にタンポポの花が咲いている。すごい繁殖の仕方である。

もうタンポポ駆除は諦めた。

今日は温かいから衣服の入れ替えでもやろうかと思ったが、天気予報では明日からまた寒くなるというので止めた。

映画にでも行くかと上映案内を見ても、見たい映画はない。それでもやることがないから「ガーディアンズ オブ ギャラクシー」を家族3人で見に行くことにした。

徒歩で映画館まで行ったら、汗をかいてしまった。こんなに天気が良いのに室内の映画を観に行くというのも・・・

映画館のエレベータで7階に着いてドアが開いたら、ものすごい人数が並んでいる。この映画館には月に3回ほどは通っているが、この混み様は初めてである。飲食の売店の購入者列も40人ほどが並んでいる。映画が始まる前に飲み物を買えるか心配したのだが、ギリギリ間に合った。しかし、今度は入場者の列に並ばなければならない。

すでに予告編の上映が始まっているのに・・・

どうやら、入場者の列は「コナン」の列の様だ。二つある入口なのに、一つしか使っていない。もう片方は使っていないのに・・・、係員の二人が中でボ~ッと突っ立っていたから、その係員を手招きしてガーディアンズのチケットを見せて、もう映画が始まっているのだからこちらの入り口から入れてくれと言って入場したのだが、開場時間の設定や係員の配置など臨機応変の行動が出来るようにしなければと感じた。

普段はこんなに混んでいないから対応が出来なかったのであろうが、並ぶことが大嫌いであるからイライラしてしまった。

映画は2時間半の長~い映画である。

シリーズ物の続編で、以前の作品のことはまるで記憶に残っていないが、SF娯楽作品であるから、まぁまぁ楽しめた。

しかし・・・、長い映画だとトイレが困る。終盤になってトイレに行きたくなってしまった。

この映画はエンドタイトルロールの後にも短い映像が映る。それが続編への振りになっているから見ておきたい。

エンドの直前に席を立って、入り口付近で立ったまま本編終了まで観終えてからトイレに駆け込み、済ませてからまた戻ってエンドロール後の映像も見ることが出来た。


■2023-05-06-Saturday 寒~い!

今日は朝から雨模様!

気温も低い。昨日とは気温が10℃は違うだろう。これでは身体が順応できない。

今日は昼からゴルフである。

帯広青年会議所の「じゃがいもクラブ」の今年度第1回目のコンペである。

寒いし、雨が降っているから行くのを止めようかと思ったのだが、天気予報では午後から雨が上がるとのことなので、しっかり着込んで出掛けたが・・・

昼から雨は上がったが曇っているし、気温は低いままである。

私は、超ワガママなゴルファーで、暑過ぎても、寒くても、雨が降っていても、風が強くてもゴルフはやりたくないのだが、コンペだから仕方がない。

私は一組のスタートであった。

今日のコンペは白樺カントリークラブが会場であるが、ここはカートでタブレットが装着されている。タブレットにはGPSが付いているし、ホールの案内やカップまでの距離、グリーンの芝目なども表示されていて、スコアを打ち込むとリアルタイムで順位まで分かる。

この我々の1組目は4人ともプレーが早かった。我々の前には誰もプレーしている者がいないから、スイスイと進んでいく。最高気温は10℃くらいしかない。しかも雨が時折りパラパラと降ってきて、風も出て来た。寒いということもあって、サッサとプレーを終えて、クラブハウスで温かい食べ物でも食べて身体を温めたいという気分であったのだ。

寒いから身体も満足に動かないものだから、珍しく3発もOBを打ってしまった。ここ最近は飛距離が極端に落ちているから、OBは打たなかったのに・・・、ティショットを左にひっかけてOBを連発してしまったのであった。IN50打、OUT45打でグロス95打の成績であった。酷いスコアだ。

3時間半でプレーを終えてクラブハウスに戻ったのであったが・・・

同伴プレーヤーはお風呂に入ったが、私は癌治療後のここ5年間はゴルフ場での入浴はしていないので、食堂で味噌ラーメンとコーヒーを頼んで一人で食事をしていたのである。

まてど暮らせど、後続組が上がってこない。なんと1時間後まで待たされたのであった。

後ろの連中はずいぶんとユックリとプレーしていたのであろうなぁ~。

総合成績は32名の参加者数でちょうど真ん中の16位であった。優勝のネットスコアは72.6で、アンダーで回った人が居なかったのであるから、やっぱり皆、寒くて苦労したのであろう。

昨日は汗をかく温かさであったのに、今日は使い捨てカイロが必要な寒さである。これでは身体がついていかない。

鼻水が止まらなくなってしまった。

変な天気である。


■2023-05-07-Sunday コロナ5類に

約3年半も続いたコロナ禍がようやく今日で終わる。

これまで2類相当に指定されていた感染症法の分類が明日から5類になる。

ようやくと書いたが、まさしくようやくである。

それでもまだ、専門家と称する尾身だとか西村だとかはまだまだコロナ禍を続けたいと思っているかの様である。どれくらい日本の社会を破壊すれば気が済むのであろうか?

私は、コロナ禍が始まった頃からず~っと、日本の対応は過剰であると指摘してきた。

何度も何度もこのブログで書いてきたが、私は元来はマスクを使用していた方である。インフルエンザが流行っている時などに列車や飛行機に乗る際には、いつもマスクをしていたのである。

その理由のひとつとしては、喉の潤いの為であった。乾燥している空間に長時間居ると、どうしても喉が不調になる。講演で地方に呼ばれた時などに、喉の調子をしっかり整えておかなければならないプロ意識からだった。

しかし、それ以外の時にマスクはしない。顔の表情を隠すのは後ろめたい気持ちの人がやる行為であるからだ。

サングラスをしてマスクをして帽子まで被ったら、それはほとんど犯罪者の風体であろう。

コロナ禍の時には国民のほぼ全員がマスクをしていた。これは異様な風景である。

私は不本意ながら、外出時にはマスクをした。日本人に多い同調圧力からの「マスク警察」みたいな異常な正義感を持った人たちから注意をされるからだ。またマスク無しでは入場お断りなんて店や乗り物があったからだ。無用な争い事は好まないから、不本意ながらマスク着用をしたのであった。本来ならばしたい人がすれば良いのだ。狡い政府はマスク着用の強制はしていない。あくまでも自主的な結果であるとフザケタことを言う。

ソーシャルディスタンスという愚かな行為も推奨された。

狡い政治家どもは、日本人のお上(おかみ)に従う性質と同調圧力が強いという性質をイタズラに活用したのだ。だが、その代償は大きく帰ってくるぞ。

それが3年以上も続いたのである。

中学校や高校や短期大学などに3年前に新入生として入学した生徒の中には、級友の顔をまともに見たことが無いまま卒業した人も多いのではないだろうか?

クラブ活動も休止、食事は黙食、登校もせずに家でリモート授業、顔の全体像も知らないまま卒業して、何の為の学校なのであろうか?

多感な年頃で、これからの人格形成に重要な期間を無意味に過ごしたのではないのだろうか?

おそらく、日本人のコロナウィルス恐怖心はまだしばらくは治まるまい。この3年間の刷り込みは、そう簡単には解けない。

過剰なコロナ禍対策は、日本の将来にとって大きな禍根を残すであろう大愚行である。

断言する!今後は犯罪が多発する世の中になる。

それは、イタズラにコロナ恐怖を煽った専門家やマスコミのせいである。

彼らは、日本の社会を破壊したのだ。

この世に生を受けたモノはすべていつかは死ぬのである。誰も死なない世界など無いのだ。

この当たり前の死生観を喪失した日本人は自ら破滅の一歩を踏み出した。

コミュニケーションの破壊によって精神に異常をきたした日本人が増え、これまでの犯罪の類とは異なる、残虐で無慈悲な殺人事件が多発するであろう。予言しておく。

コロナウィルス罹患の後遺症よりも、恐怖心を植え付けたコロナ禍後遺症の方が質が悪くて長引きそうだ。


■2023-05-08-Monday コロナ明け

約3年半に及ぶコロナ禍が今日から明ける

予定であるが・・・、帯広では相変わらず皆がマスクをしている。

店舗の中にはようやく透明アクリル板を取り払う処も出てきたが全部ではない。

この期に及んでも、まだ尾身だとか西村だとかは、コロナウィルスの危険性をメディアで発表し続けているようだ。

唯の風邪やインフルエンザに罹ったって死ぬ人は死ぬのである。コロナウィルスだって同じことである。死ぬ人も居るし、死なない人も居る。

コロナウィルスだけに罹った人だけを全て救おうなんて考え方自体がナンセンスであることに、何故に国民が気が付かないのであろうか?

それだけ、彼らのコロナ恐怖心増幅の影響が、日本国民に浸透しているのであろうなぁ~。それを助長させたメディアも罪が重い。

私はインフルエンザのワクチンすら一度も打ったことがないのだから、ましてやコロナワクチンなんて得体の知れないモノを身体に入れるなんてことは絶対にしない。

それで私がコロナウィルスに罹患して死んだとしても、それは運命であると考えることにしている。ワクチン未接種を後悔などしない。

誰だって、病気に罹りたいなんて思う人間は居ないであろう。私だって同じである。別段、長生きしたいとは思わないが、生きてる内は健康でいたいと願っている。

健康と云うのは身体だけではない。精神も健康でいたい。

伝染病に拘る専門家連中は、人間社会と云うものが何によって成り立っているのかをまるで理解していない。コロナウィルスを完全に撲滅することなど最初から不可能なのだ。

人と人のコミュニケーションを破壊してまで、コロナウィルスを抑えたとしても、人間社会が壊れてしまえば、まったく意味が無い。

いや、むしろ、これから先に、このコロナ禍での3年半の抑圧によって精神を病んだ人間や、経済的に困窮した人間の犯罪が激増するであろう。

もうすでにその兆候が表れている様な事件が多発し始めた。

コロナ恐怖心を煽った連中の罪は重いぞ!


■2023-05-12-Friday 叔母の葬儀

母の妹が亡くなった。

留萌の母の実家の家業「ダイマル洋装店」を継いだ母の年子の妹の黒瀬和子(90歳)が5月8日に亡くなった。

ここで、追悼の意味を込めて、2011年12月に亡くなった三女裕子(ひろこ)の葬儀の際に書いたブログを再度(一部修正して)載せておく。

母の父(私の祖父)上野兵次郎(M36.1903.07.12生-1967.06.18没、満64歳)は秋田で生まれた。兵次郎の父方の上野家は17代続いたそうだが、父親が他人の保証人になり親の代で財産を無くしたそうだ。兵次郎の母方の進藤家は秋田ではかなりの名家であったらしい。

兵次郎は小樽の海運業の会社に勤めており、小樽生まれの長谷川いね(M41.1908.09.29生-1975.10.11没、満67歳)と結婚している。私の母の隆子は昭和6年生まれ、次女の和子は昭和7年生まれ、2011年12月23日に亡くなった三女の裕子は昭和10年生まれで3人とも小樽の生まれである。

兵次郎は留萌支店長として昭和11年頃に留萌に赴任する。昭和13年頃に三人の娘を嫁に出すにはサラリーマンでは難しいと考えていたところに樺太支店長への就任を打診され、遠い樺太に行くのは嫌だと、これを期に退社し、その退職金を元手にして(北海道で7番目に開業したという)「ダイマル洋装店」を留萌に開業した(留萌では第1号)という。

「ダイマル」という屋号は兵次郎の母方の進藤家の屋号だそうだ。

いねは手が器用で和装、洋装のどちらもこなしたというが、いねだけでは洋装店は開業できないので腕の達者な女性2人を雇っての開業だったという。

昭和13年頃と云えばまだ和装が中心で、洋服を着る人が少なく最初の3年間は赤字が続き、もう閉店しようかと考えていた4年目からようやく黒字になり以後は発展したという。

洋装店の先駆けで、しかも同じ三姉妹ということで、母と次女の二人の昔話は、NHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」の「コシノ三姉妹」に投影しているかのようであったが、「世界のコシノ三姉妹」と「留萌のウエノ三姉妹」とでは比べるのもおこがましい様な気もするのだが当人たちはいたって大真面目であった。

その後、ダイマル洋装店は順調に経営をし、三姉妹もそれぞれに洋装の技術を身に付けていったという。兵次郎はとてもおしゃれで粋な人だったそうだ。お酒も強く、スポーツもゴルフからスキーまで、また遊びもよくやったと言う。芸事も大好きで、3人の娘たちには、お茶、お花、琴、日本舞踊などを習わせたというのだ。

母や叔母らの話を聞いていると、この姉妹はたぶんにファーザーコンプレックスの傾向があるように見受けられるが、父親を尊敬するということは素晴らしいことであると思う。私も死んだ時に、娘達から良い父親であったと言われたいものだ。

母は、帯広で洋装店も営んでいた父とお見合いで結婚。次女は高校の同級生だった黒瀬求と恋愛結婚。三女も高校の同級生だった佐藤潔と恋愛結婚した。

次女の和子は結婚してから4年間は子宝に恵まれずにいたから、4人の子持ちである姉(私の母)に「一人分けて頂戴」と頼んだらしい。母に依ると「子どもは宝だから分けられないが、貸して育てさせても良い」と言ったという。和子叔母は「いいや、あげても良いと言った時に子どもを授かったんだよ」と若干の食い違いがあるが・・・。

和子叔母にも男女2人の子どもが生まれたが、長男は埼玉県の女性と結婚してその家に養子に入ってしまったし、長女は帯広に嫁いで来たから現在は留萌で夫婦二人きりで生活している。

三女の裕子は留萌の古い建設屋の山高佐藤建設の次男に嫁ぎ、二人の娘を生んだが、長女は新潟県の長岡(現在は札幌)に嫁ぎ、次女は札幌に嫁いでいるからここもやはり夫婦二人きりの生活であった。

以前から、母の二人の妹は「アンタは幸せだね〜、子どもが近くに居てくれて」とよく言っていたものだが、年老いるとそう思うのかも知れない。

と云う訳で、次女が継いだダイマル洋装店は後継者がいなくて休業中、現在は、お得意さんから頼まれた仕事だけをしているようだ(数年前に閉店)。

23日に亡くなった裕子叔母は、三姉妹の中では一番成績が優秀だったようである。二人の姉に言わせれば、姉の勉強を側で見ているから「門前の小僧、習わぬ経を読む」ということだと強調していたが・・・。

結婚前は実家のダイマル洋装店で働いていたが、結婚後は完全に専業主婦になったのでもったいなかったなぁとも言っていた。旧家に嫁ぐとその家の習わしに従わなければならないから大変であるようだ。

ここから先は今回の和子叔母の葬儀のことについて書く。

11日の通夜、12日の告別式との知らせが来た。和子叔母の娘は帯広市に嫁いでいる。

上野三姉妹が下から亡くなり、唯一残った長女の母は92歳と高齢で留萌まで行くのはとても無理であるから、坂本家の四人の兄弟姉妹が弟の運転する車で留萌に向かった。

私が留萌に自分で運転して行ったのは10年ほども前のことである。現在は長距離の運転にはまったく自信がないから今回は弟も出席するというので便乗することが出来て助かった。

10年前とは高速道路(高規格道路)もかなり建設が進んでいて、大幅に時間短縮が出来た。やはり一般道を走るよりもかなり早く到着できた。

留萌はホテルの数が少ない。今回も帯広からネットで検索してようやくツインルームを2部屋の予約することがギリギリ出来たのだが、もう少し遅かったら、それすら確保出来ない状況であった。

シングルが取れなかったが兄弟だから良いだろうと思ったのであったが・・・、弟のいびきが酷くてほとんど眠ることが出来なかった。普通のいびきならばリズムがあるからそれほど苦にはならないのであるが、弟のは無呼吸症候群のいびきで時々停まるのである。その停まる時間が長かったり、リズムを刻まないと気になって眠れないのだ。弟には帰りの車も運転してもらうのであるから我慢したのであったが・・・。

和子叔母と夫の求叔父とは同級生結婚である。夫婦二人とも既に現役を退いてからかなりの年月が過ぎているし、90歳過ぎの高齢者であるから友人関係もすでに鬼籍に入られている方が多い、二人の子どもは留萌在住ではないから、葬儀はほとんど家族葬である。

母方(上野家)の従弟は全部で8人いるが、その8人全員が一堂に揃ったのは半世紀振りくらいのことであった。葬儀は悲しいことだが従弟が揃うというのも葬儀くらいしかないのも事実である。

斎場では、写真が投影されていた。その写真の中に我が家の4人兄弟姉妹が、子供の頃に父(圭司)の運転する車で母の実家に遊びに来た時の写真もあった。

写真を投影するのは最近の葬儀の定番であるが、これはなかなか良い趣向であると思う。特に写真に写っている人にとっては懐かしさが倍増し、話に花が咲くから、特に家族葬にはピッタリの趣向であろう。

和子叔母の棺に花を入れる際に死顔を見たが、母親のいねさんにソックリであった。DNAというのはすごいものであるなぁ~。


■2023-05-13-Saturday 結婚記念日

5月16日は私達夫婦の結婚記念日である。

今回で38回目の結婚記念日である。

3人のこども達がお金を出し合って、私達夫婦を十勝川温泉三余庵に招待してくれるという。

予約してくれた日程が12日の一泊であった。

我が家では犬を飼っているので、その犬の世話をしてもらうのに、息子の手が必要であるから息子の休みに合わせての日程なのであった。

留萌の叔母の葬儀と重なってしまったので日程変更をしようかと思ったのであったが、人気の宿なので前後に空きが無かったのである。

12日の叔母の葬儀は棺の出棺が午前11時前に終了したので、そこで失礼して帯広に戻ったのであった。

道路事情が格段に良くなったので、ほぼ予約通りの時間で宿に入ることが出来たのであった。

前日に留萌で泊まったホテルはとても狭いツインルームで、お風呂もユニットバスで、しかも弟のいびきで眠ることが出来なかった。

今日の三余庵は十勝でも有数のサービスが行き届いた温泉ホテルで、食事は最高に美味しいホテルである。結婚記念日のお祝いとのことで、ホテルの社長さんからシャンペンの差し入れまであって、しかも部屋にはモール温泉の源泉の檜風呂が付いている部屋である。

夕食もゆったり2時間掛けての美味しい食事であったし、朝食もゆったり1時間掛けての美味しい食事であったし、朝食後に庭に出てバードウォッチングを楽しみながらコーヒーを飲む優雅な一日であった。

普段の短時間でのせわしい食事とは大違いで、時間の流れ方がゆっくりした特別な至福の時を過ごすことが出来た。

一日でホテルのピンからキリまでを味わったような感じがした。

3人のこども達に感謝である。ぜひ来年もお願いしたいものである。


■2023-05-14-Sunday 母の日

今日は母の日。

満92歳の母のところに姉妹弟と私たち夫婦の5人で訪問した。コロナ禍での諸制限が緩和もしくは無くなったので、マスク無しで居室での面談が3年振りに可能となった。

やはり、マスクをしたままだと、お互いの表情が読み取れなくてコミュニケーションが上手く取り難いから、久し振りにマスク無しで面会できたのは良かった。

つい先日の11,12日と母の年子の留萌の妹の葬儀に、兄弟姉妹4人で参列してきたばかりであるから、なおのこと母親の有難みを感じたのであった。

母の認知能力もかなり低下してきてはいるのだが、年上の自分よりも先に妹が亡くなったと知らせることで母を意気消沈させないように、あえて妹逝去の報告はしないことにした。

3月末の母の92歳の誕生日の際に、ほぼ同じメンバーで面会した時に写した写真をA4版サイズに拡大してラミネート加工をし、テプラで名前や日付などを大きく貼っておき、見やすく解り易いようにしたものを事前に届けておいた。その写真を見ながら、子どもの名前と本人を何度も何度も確認する。

私が65歳の高齢者の仲間入りをしたよと言っても、母にとっては、子どもはいつまでも経っても子どもなのだろう。

「そのみっともない髭を剃りなさいよ」と何度も言うのである。私が髭を伸ばし始めたのは17年も前からであるのに・・・、この17年間髭面を見慣れているはずなのになぁ~。よっぽど髭が嫌いなのかもしれない。

肩を揉んであげたら「あぁ~気持ちいい~」ととても喜んでくれた。

4人の兄弟姉妹が全員揃って訪問して面会することが出来るのは、母にとっも子どたちにとっても幸せなことであるとつくづく実感した。

なんだか新鮮な感じがした母の日であった。


■2023-05-16-Tuesday 写真うつり

ここ最近、写真に写る機会が多いが・・・

スマホに送付されてくる他人に写してもらった自分の写真を見ると、何だか妙に年寄り臭く見えるのだ。

自分の実年齢よりもかなり老けて見える。

妻にそう呟くと「あら、そんなことはないわよ。写真はちゃんと普段の貴方通りに写っているわよ」と言う。

そうなのかなぁ~。

鏡に映った自分の姿と比較して見たら、送られてきた写真とは別人とまでは言わないが、やっぱりかなり老けて見えるのだ。

どうやら、普段の鏡に映った自分の姿には、「贔屓目」や「うぬぼれ」のバイアスが掛かっているのかもしれない。

それとも、写真は「客観的視点」で自分を見せてくれるのかもしれない。

最近のスマホは、写した写真を加工することが出来るらしい。

目を大きくしたり、鼻を高くしたりなどはオテノモノで、見た目を若くしたり、年寄りにしたり、はては性別を変えたりすることまで出来るというから驚きだ。

AIを使って画像処理をしたら、フェイク映像まで作れるのだという。本人がそこに居なくても、その人物の映像をはめ込んだり、果てはコンピュータでソックリな人物像を造り出して、動かすことも可能だそうだ。

もうそうなると、何が本当で、何がフェイクなのかの区別もつかなくなってしまうではないか。

犯罪の証明に、監視カメラの映像やドライブレコーダーなどが重要視されているが、これらの映像も本物なのか作り物なのかの判別が難しくなってしまったら、何を信じれば良いのであろうか?

鏡に映る自分の姿を、自分の脳みその中で変造しているぐらいはカワイイものであるなぁ~。

怖い世の中になったものである。


■2023-05-17-Wednesday 結婚記念日

昨日が本来の結婚記念日なのであるが・・・

先週の12日に3人のこども達がお金を出し合ってくれて、十勝川温泉での一泊をプレゼントしてくれたし、昨日は平日であるから、特に外食などのイベントも無く、自宅で妻の手料理をいつも通りの焼酎一杯だけの晩酌で済ませたごく普通の日であった。

まぁ38回目ともなるとそんなもんだろう。

GW中に紛失した結婚指輪もすぐに見つかったことだし、まぁまぁ平穏な結婚記念日であった。

しかし・・・。

これからの世の中はいったいどんな風になっていくのであろうか?

コロナ禍が一応治まったことにはなっているが、この間に溜まった膿が、これから爆発的に噴出するのであろうなぁ~。

コロナ禍によって、仕事をなくした人、会社経営をやめた人なども大勢いるであろう。そこにロシアのウクライナ侵攻によって世界中がインフレになっている。

大企業は給料を上げると言っているが、日本の大部分をしめる中小零細企業にはそんな余裕なんてないだろう。

このコロナ禍からの解放によって、貧富の差が更に一段と大きくなるであろう。

貧困に喘いで犯罪に走る人間が増えることは容易に予想される事態である。

何せ、この国は自助努力で貧困に耐えて生活している人よりも、犯罪を犯して刑務所に入った人間の方が快適な生活を営めるというオカシナ国なのであるから・・・。

まだ刑務所には入ったことがないから、テレビから得た情報でしかないが、何の心配もなく三食はきちんと出てくるし、その食事も昔とは違ってそう不味くはないらしいし、お風呂にも入れて、空調設備やテレビまで見ることが可能らしい。仕事も出来て、慰問などの娯楽もあって、運動も出来て、病気になったら医者に診てもらえて・・・、それでいて家賃や生活費を払う必要がないのだ。

生活保護の申請がなかなか受理してもらえないならば、犯罪を犯して刑務所に入りたいと考える人間が増えるだろうことは想像に難くない。

それも軽犯罪ならばすぐに出所しなければならない。犯罪を犯した人間は出所しても仕事に就くことは以前に増して難しくなる。それならば、軽犯罪を犯すよりは、死刑にならない程度の人数(2人くらいまで)を殺して、終身刑でズ~ッと刑務所に入っていたいと考えるであろう。これも合理的といえば合理的な考え方だ。

負のスパイラルの入り口である。

ここ最近の、闇バイト募集での単略的な強盗事件などは、金に困った若者の刹那的な犯罪なのであろうが、これからは、コロナ禍で精神を患った人や職を失った高齢者が犯罪を犯すことが増えるかもしれない。

目的は怨恨や金じゃぁなくて、刑務所に入ることだとしたら、殺すのは誰だって構わないのだ。

殺人を失敗して傷害事件になったらば、刑務所に入る期間が短くなるから、確実に殺人を犯すには、自分よりも弱そうに見える人間が対象になる。そうなると子どもや女性が狙われる可能性が高くなる。

自分が狙われているなんて、まるで身に覚えがない人が、街を歩いていて殺される。これは防ぎ様がない。常に周りに挙動不審な人間が居ないか注意しながら歩かなくてはならない。

老人が自ら刑務所に入る為に、幼い子どもを殺す。そんな世の中は地獄絵図である。

岸田首相もG7開催に浮かれていないで、この国をさっさと何とかしろよ。

せっかくの結婚記念日なのに暗~い未来しか頭に浮かんでこないじゃないか。


■2023-05-18-Thursday 結婚記念日

昨日が本来の結婚記念日なのであるが・・・

先週の12日に3人のこども達がお金を出し合ってくれて、十勝川温泉での一泊をプレゼントしてくれたし、昨日は平日であるから、特に外食などのイベントも無く、自宅で妻の手料理をいつも通りの焼酎一杯だけの晩酌で済ませたごく普通の日であった。

まぁ38回目ともなるとそんなもんだろう。

GW中に紛失した結婚指輪もすぐに見つかったことだし、まぁまぁ平穏な結婚記念日であった。

しかし・・・。

これからの世の中はいったいどんな風になっていくのであろうか?

コロナ禍が一応治まったことにはなっているが、この間に溜まった膿が、これから爆発的に噴出するのであろうなぁ~。

コロナ禍によって、仕事をなくした人、会社経営をやめた人なども大勢いるであろう。そこにロシアのウクライナ侵攻によって世界中がインフレになっている。

大企業は給料を上げると言っているが、日本の大部分をしめる中小零細企業にはそんな余裕なんてないだろう。

このコロナ禍からの解放によって、貧富の差が更に一段と大きくなるであろう。

貧困に喘いで犯罪に走る人間が増えることは容易に予想される事態である。

何せ、この国は自助努力で貧困に耐えて生活している人よりも、犯罪を犯して刑務所に入った人間の方が快適な生活を営めるというオカシナ国なのであるから・・・。

まだ刑務所には入ったことがないから、テレビから得た情報でしかないが、何の心配もなく三食はきちんと出てくるし、その食事も昔とは違ってそう不味くはないらしいしきちんと栄養管理もされている。お風呂にも入れて、部屋には空調設備やテレビまであって見ることが可能らしい。仕事も出来て、慰問などの娯楽もあって、運動も出来て、病気になったら医者に診てもらえて・・・、それでいて家賃や生活費を払う必要がないのだ。

生活保護の申請がなかなか受理してもらえないならば、犯罪を犯して刑務所に入りたいと考える人間が増えるだろうことは想像に難くない。

それも軽犯罪ならばすぐに出所しなければならない。犯罪を犯した人間は出所しても仕事に就くことは以前に増して難しくなる。それならば、軽犯罪を犯すよりは、死刑にならない程度の人数(2人くらいまで)を殺して、終身刑でズ~ッと刑務所に入っていたいと考えるであろう。これも合理的といえば合理的な考え方だ。

負のスパイラルの入り口である。

ここ最近の、闇バイト募集での単略的な強盗事件などは、金に困った若者の刹那的な犯罪なのであろうが、これからは、コロナ禍で精神を患った人や職を失った高齢者が犯罪を犯すことが増えるかもしれない。

目的は怨恨や金じゃぁなくて、刑務所に入ることだとしたら、殺すのは誰だって構わないのだ。

殺人を失敗して傷害事件になったらば、刑務所に入る期間が短くなるから、確実に殺人を犯すには、自分よりも弱そうに見える人間が対象になる。そうなると子どもや女性が狙われる可能性が高くなる。

自分が狙われているなんて、まるで身に覚えがない人が、街を歩いていて殺される。これは防ぎ様がない。常に周りに挙動不審な人間が居ないか注意しながら歩かなくてはならない。

老人が自ら刑務所に入る為に、幼い子どもを殺す。そんな世の中は地獄絵図である。

岸田首相もG7開催に浮かれていないで、この国をさっさと何とかしろよ。

せっかくの結婚記念日なのに暗~い未来しか頭に浮かんでこないじゃないか。


■2023-05-19-Friday エッ~ツ!

北の屋台の元店主が・・・

坂本ビルの事務所を訪ねて来た。昔話に花が咲いたのだが・・・

そのうちに、Kだけは絶対に許せない!と憤慨してKの悪行の数々を暴露し始めたのである。

いくつかは聞いたことがあったのだが、初めて聞く話が多かった。

Kが悪い奴だと云うのは、私が辞める直前に判ったことであったが、そんなにも卑劣な悪いことを毎晩毎晩、屋台店舗でも繰り返していたとは・・・。

奴がそんなに店主の方々にも悪さをしていたとは知らなかった。

大まかに言えば、北の屋台の店主らには「強面(こわもて)」で対応し、Kの悪行に対して文句を言ったら「お前らなんぞ、俺の一言で簡単に辞めさせることが出来るんだぞ!」と脅されていたので反抗出来なかったのだと言うのである。

その一方で、北の屋台の他の理事連中には、便宜を計ってうまい汁を吸わせていたらしいと・・・。

驚いたなぁ。もっと早くに教えてくれていたら・・・。

はっきり言って、Kの行為は犯罪である。

当時は理事者はK以外の人は私も含めて無報酬で活動していたのに、Kに対してだけ他の理事からの提案で高額な給料を払うようになっていたのだ。

私は当時の理事会でも反対したのであるが、多勢に無勢で押し切られて可決されてしまったのである。

その金額は十分過ぎるほどの高額であった。

彼はそれでも足りなかったのか、北の屋台の組合の金庫から金を持ち出す事件を起こした。

本来ならば懲戒免職処分であるはずなのに・・・、Kの処分を決める理事会では他の理事の一人から「Kがこう云う事件を起こしたのは給料額が不十分だからだ。給料をもっとアップするべきだ」と驚くような提案をしたのである。この驚天動地の提案までが可決されてしまった。

何一つ満足な仕事もしていないし、ホウ、レン、ソウ(報告・連絡・相談)すらもまともにやらない人間に、しかもボランティアで活動するのが原則の仕事なのに・・・、そこら辺りの会社社長よりも高額の給料を払うことになったのである。

それなのに、今日の元店主からの話では、北の屋台のイベントの際には、店主からと業者からもマージンを徴収していたのだと言うではないか!屋台店主が苦情を言うと「文句を言うなら辞めさせるぞ!」と脅されるから仕方なく従ったのだと言う。

しかし、Kが集めたというマージンとやらは組合には一切入っていないから着服の疑いもあるなぁ。

Kは毎晩、毎晩、北の屋台の見回りと称しては北の屋台でただ酒を飲んで、ただ飯を食べて、店主や客に悪態をついていたのだと言う。もう来ないでほしいと思っていたのだが怖くて言えなかったのだと言う。

家賃をKに託したある店主は、組合事務局から家賃の督促を受けて「Kさんに渡しましたけど・・・」と言ったら、Kは「俺は預かっていない」としらばっくれたとのこと、泣く泣く、二重に支払ったことがあったのだと言う。

北の屋台は、これから商売を始めたいと云ういわば素人の人たちに修行の場を安価で提供する場所として作ったものである。その弱者をKは喰い物にしていたのだと言う。

なんで私が組合にいた時に言わなかったんだ。と言ったのだが、「Kの報復が怖くてとても言えなかった。我々店主に見せる顔と、他の理事者に見せる顔が違っていたのではないか。我々は北の屋台を辞めさせられたら路頭に迷ってしまうからKが怖かった」のだと言う。

これではまるでヤクザの手口じゃないか。

こんな奴が北の屋台を牛耳っていたのかと知って、私も憤慨したが、もう後のまつりである。Kはさすがに帯広には居られないようだが、今は東北の屋台村で社長をやっているらしいという噂である。

ここ最近は「#MeToo」みたいな、かつてのセクハラ、パワハラなどが暴露される風潮があるが・・・。

私が北の屋台を辞めたのは16年前の2007年3月末日であるが、帯広の発展の為に全身全霊を掛けて立ち上げた北の屋台を舞台に、そんな卑劣なことをやっていたとは腹立たしいかぎりだ。

起業に燃えて北の屋台に参画してくれた屋台店主の方々に対して、組合の幹部がこんな卑劣な行為をおこなっていて、それに気が付かなかった私も責任を感じる次第である。

どうりで唯一Kが上手く処せなかった私を煙たがって、私が辞めるように仕向けたのかと納得した。

それでも、私が辞めた数年後に収拾がつかなくなって、組合の理事会がごたごたになって解散し、残っていた北の屋台創設メンバーの理事全員が辞めて、理事者が一新されたから、現在の組合は健全な運営をしているとの評判であることはせめてもの救いである。


■2023-05-20-Saturday 土曜日

ニュースを見ていると・・・

ウクライナのゼレンスキー大統領がG7サミットに対面で出席する為に来日すると言う。

原爆の被災地の広島市で開催されているG7に出席することで世界中にアピールするつもりなのであろうが、事前にこんなスケジュールを発表してしまって大丈夫なんだろうか?

世界中が注目している中だから、ロシアもまさか大統領が乗った飛行機を撃墜するようなバカなマネはしないであろうが、テロ組織が犯行に及ぶことだってあるかもしれないではないか。

勇気ある行動なのか、それとも蛮勇なのか。

被爆地の広島とウクライナの現状の悲惨さを同列にして世界中にアピールする効果はあるのであろうが、でもG7に来てウクライナへの協力や支援の要請をするということは武器をもっとよこせ!ということなのであろうから、広島にはあまり似つかわしくないと感じるのだが・・・

市川猿之助が一家心中を図り、両親が死亡したが、猿之助は生き残ったというニュース。セクハラを指摘された記事が週刊誌に掲載され、その週刊誌の発売日の自殺(未遂)だと言う。

自殺するような感じには見えなかったがなぁ~。

まぁ、猿之助の回復を待ってから真相が判るのであろうが、何だかよく分からないことばかりである。

楽しいニュースがないから、映画でも見に行こうかと思って新聞の映画館の案内を見たのだが、もうほとんど見てしまっていて他に面白そうな映画がない。妻が岡田准一主演の「最後まで行く」を見に行こうと言うので付き合うことにした。

映画館に置いてあったチラシを読むと、韓国映画のリメイク版のようである。

前日に公開されたばかりなのに観客数は私たち夫婦を含めてたったの10名であった。

韓国のエンターテインメント業界には勢いが感じられるなぁ~。

音楽もしかり、映画もしかり・・・。

それに対して、最近の日本の映画は、恋愛ものやアニメばかりが目立つ。ついに韓国のヒット作品を日本の映画界がリメイクする時代になってしまったかぁ・・・。

この「最後まで行く」を見ていて、フッと昔の日活の「渡り鳥シリーズ」を思い出してしまった。最初に「日活」の名前がロールされたからであろうか?

バンバンと派手に拳銃をぶっ放すし、ありえない設定の数々、しかし、映画はこれで良いのだ、面白ければ良いのである。ドキュメンタリー映画じゃないのだから・・・。

出演陣では、岡田准一も良かったし、綾野剛のニヒルで執念深そうな爬虫類系の顔もピッタリだったし、柄本明のいやらしさが秀逸であった。

まぁまぁの面白い映画ではあった。


■2023-05-21-Sunday 日曜日

朝から雨が降っている。

今日は私の服の冬物を片付けて、夏物を出そうと思っている。

去年までは妻が全部やってくれていたのだが・・・。

私の洋服の数は妻の数倍もあるのだ。

GW中にやるつもりでいたのだが、やろう思うと気温がまた低くなってしまったりしてなかなかやれずにいたのだ。

結婚以来、ほとんど体型に変化のない妻に対して、私はというと・・・

結婚した38年前は、体重は55㌔でスーツはY体であった。ウエスト周りも60㎝ほどでとても細かったのである。

結婚以来、毎年の様に体重と腹回りが順調に肥え続けていき、5年前に入院する直前が一番太っていたのだが、体重は80㌔、腹回りは108㎝まで太ってしまったのであった。

私にとってスーツやYシャツは仕事着であったから、毎年毎年、太る度に買っていったのである。

スーツのサイズもY→AY→A→AB→B→Oにまでなった。

洋服や下着のサイズも M→L→LL→XLへと変わった。

今年の5月16日が38回目の結婚記念日であったから、38年×夏・冬物の洋服が数着ずつだと一体何着になるのであろうか?

そこにモノが捨てられない性格である。

「着られないないなら捨てたら?」と言われるのだが、いつかはまた痩せるかもしれない・・・と捨てずに置いておいたのだ。だが、タンスもクローゼットも満杯になってしまってもはや置く場所が無いから、自分でやるしかなくなったのである。

GW中にやるつもりでいたのだが、やろう思うと気温がまた低くなってしまったりしてなかなかやれずにいたのだ。

5年前の入院でかなり痩せたのだが、太った人間が年取って痩せても、元の体型とはまるで違うのである。

体重は80㌔→70㌔と10㌔痩せて、ウエストは108→93には減ったものの、依然としてポッコリしたお腹であるし、足や腕の筋肉が極端に落ちてしまった。おまけに女性ホルモンのせいで胸が出てしまったものだから、男性用の服だと胸がピチピチになって、しかも肩が落ちてしまう。

レディスの服を試しにネットで買ってみた。店頭で試着するのは恥ずかしいからネットで買ったのだが、なかなか合う服がみつからない。そんなこんなで服の量が増えてしまったのである。

ここは思い切って捨てるか!そう思って整理を始めたのであるが、これまで自分で洋服の入れ替えなどやったことがないものだから、これがなかなか作業が進まないのである。

こりゃぁ~今月いっぱいは掛かりそうな気配だなぁ~。


■2023-05-22-Monday 行政

帯広市は中心街をどうするつもりなのであろうか?

1月末日に藤丸デパートが閉店し、数日前の新聞では、帯広駅南の長崎屋の直営部門を今年7月に閉店するとの記事が載っていた。

長崎屋のテナントの中には、地元のスーパーマーケットである「フクハラ」や、十勝一の品揃えの大型書店の「喜久屋書店」などが入居している。それらのテナントの動向についてはまだ不明であるらしいが、長崎屋の土地と建物を、地元最大手の建築業の宮坂建設の持ち株会社が購入の交渉をしているという記事内容であった。

長崎屋の駐車場は帯広市の「帯広市民文化ホール」に隣接しており、市はこの駐車場を年間1300万円ほどの賃貸料を払って借りているという。もしも長崎屋が購入されて、建物を取り壊すことにでもなって、この駐車場が使用出来なくなったら・・・、文化ホールの使用者は激減するであろうことは目に見えているのになぁ。

なんだか帯広市役所の対応は他人事みたいなように感じるのだが・・・。

市がイトーヨーカドー跡地に高層マンションを誘致して中心街の住人を増やしたのは良いけれど、その住人の毎日の食事の買い物に不自由させてしまうであろう。街中に棲もうなんて人は、除雪も出来ない老齢者が多いのであろうから、歩いて買い物の出来る範囲に食料品店が無ければ困るであろうに・・・。それとも高層マンションを買うくらいだから、住人は皆金持ちでタクシーで買い物に行くから関係ないのであろうかなぁ~。

藤丸デパートが危機的な状況であることは、数年前から分かっていたことである。北海道唯一の地元資本による百貨店が無くなったら市民生活に大きな支障を来すことは分っていたはずであるし、中心市街地の商店街にとっても大きな痛手になることは、ド素人が考えても分かることである。

事実、「平原まつり」「歩行者天国」「商店会」などの運営に支障が出始めている。これから冬になって雪が降ったら「ロードヒーティング」の費用の負担はいったい誰がするのであろうか?

宮崎県宮崎市の中心街にある昭和20年代に建てられた古いショッピングセンターが廃屋同然になって放置されている様子がテレビのワイドショーで報道されていた。土地や建物の所有者が80名ほども居るのに、その所在が判明しているのは60名ほどしかないらしい。宮崎市役所も法律の壁などを理由に手がつけられない状態になっているようだ。もはや屋根は崩れ落ちて、ショッピングセンターなどという名称で呼べる代物ではなくなっている。そこに80歳の老店主がまだ店を営業している姿も映し出された。

あの状態の店で食品を購入する客が居るのであろうか?

いずれ、全国各地で似た様な状況になるであろうことは目に見えている。

それなのに、行政は見て見ぬふりをしている。

新しく再開発することには熱心だが、こういう古くて、ややこしい物件は知らぬふりを決め込んでいる。首長も自分の任期中に問題が顕在化しないように触らぬ神に祟りなしをやっている。

帯広市だってけっして例外ではない。

米沢市長よ、いったい中心街をどうするつもりなんだ?


■2023-05-26-Friday 多発

事件も地震も多発している。

長野県で、女性二人を刺殺し駆け付けた警察官二人を猟銃で射殺した男が立て籠もる事件が起きた。犯人は翌日に投降したが・・・

殺された女性二人は、犯人の一方的な思い込みによって、犯人の悪口を言っていたとの恨みによる殺人のようである。

警官の方は、警官に射殺される前に殺したと言う供述のようだ。

4人もの犠牲者を出した殺人事件であるが、常識的には考えられない犯行である。明らかに犯人の頭の回線のどこかが壊れている。

私は何度もこのブログで指摘してきたことだが、「コロナ禍」による規制の数々は、経済と人間の精神を破壊する行為をほとんどの国民に3年以上に渡って強いてきた。

この犯行は、その後遺症が出始めているひとつの兆候であろう。

これはコロナウィルスの数倍も恐ろしい。

コロナ禍によって経済的困窮に陥った人間や、他人との交わりを抑制された人間は、悩みを相談する機会すら奪われた。その弊害が顕在化してくるのはこれからである。

コミュニケーションを遮断することが、人間にどれだけの悪影響を与えるのかを、感染症の医者や専門家は理解していない。

政治家や官僚のバカどもは、コロナ禍を機会に、日本の「ジジババショップ」を一気に排除する施策に出たと思われる。

私などのアナログ人間は、デジタル化にはついていけない。いや、行かない。

便利さの裏側にある非人間的な生活などしたくない。

「便利さ」には後戻りが出来ない不可逆的な危険性が潜んでいる。

その弊害を考慮することなく便利さに飛びついてしまったら・・・

あぁ・・・

世界はディストピアに向かってまっしぐらに加速している。


■2023-05-29-Monday ファイターズ

プロ野球を観なくなってから久しいが・・・

北海道日本ハムファイターズが、今年北広島市にエスコンフィールドという自前の球場を3月末にオープンさせた。

北海道のテレビ局ではどの局も連日この新球場の特集番組を放送するものだから、否応なく目に入って来る。

特に今年は、WBCでの侍ジャパンの優勝で野球熱がものすごく盛り上がっているので、ファイターズの野球中継も見るようになったのである。

このGWの連休には、妻の叔父夫婦がその息子夫婦と家族でファイターズの試合を観戦してきた。

その様子を聞くと、一度は話のタネに見学してみたいなぁと思ったのである。

去年、ファイターズの札幌ドームでの試合に私達夫婦をご招待してくれた会社があった。バックネット裏の「ダイヤモンドシート」と云う年間契約の特別な座席であった。

その会社が、新しい球場の年間契約をしているのか、どうかは知らなかったのであるが、その会社の役員さんに「一度はエスコンフィールドに行ってみたいなぁ~」とダメ元でつぶやいてみたのである。すると「新球場も年間契約をしているんですよ。坂本さんご夫婦をご招待しましょう!」と言ってくれたのだ。

そして今日、わざわざ来社してチケットを届けてくれたのである。

チケットを見ると、なんと、なんと「ダグアウトクラブシート1塁側」という最高の席だったのである。

グランドよりも一段低く掘った席で、選手らと同じ目線の高さで観戦出来る席なのだ。ファイターズのダッグアウトのすぐ隣だから、選手の顔がすぐ目の前にあるのだと云う。

しかも「クラブラウンジ」と云う場所で食事やドリンクも自由に楽しめるというではないか!なんだか内容を聞くだけで特別感満載の席なのである。

超嬉し~いなぁ!

今からとっても楽しみである。

ファイターズの選手名は当然ながら、相手チームの選手名も調べて楽しく観戦したいと思っている。また野球が好きになったりして・・・


■2023-05-30-Tuesday 世襲政治家

岸田文雄首相の長男で

首相秘書官を務めていた翔太郎(32)が辞任したというニュース。

昨年の12月30日に首相公邸に親戚10名を集めて忘年会を開催したことが週刊文春に掲載されて非常識だと批判を浴びたのが理由だという。

当初、交代させることに難色を示していた岸田首相もついに世間の評判を気にして事実上の更迭をしたのだという。

岸田首相が翔太郎氏を秘書官にした昨年10月当初から批判はされていたのだが・・・、たしか翔太郎秘書官は今年1月の岸田首相の欧州訪問時に公用車を使用してロンドンのハロッズ百貨店に買い物に行ったとして批判されてもいたよなぁ~。

今回の首相公邸の忘年会は昨年末のことであるから、話題になった順番は逆ではあるが、公私混同で自分の息子を首相秘書官に任命したりして世間からは厳しい眼で見られているからこそ「李下に冠を正さず」という自覚がまったく無く、自由奔放に振る舞ったのであるから翔太郎氏が意識の低い人物であることは否めまい。

首相公邸に招かれたら、今の世の中は、国民のほとんどがカメラ付きのスマホを持っているのであるから、記念撮影くらいは誰だってするであろうが、その写真を得意げにSNSに載せたらマズイことになるかもしれないってことに頭が行っていないのが問題ではないのか。たしか岸田首相は危機管理の為に息子を秘書官に任命したと言っていたよなぁ~。

忘年会に呼んだ親戚10名の程度も低い連中だってことが世間にバレたってことだけの話なのであろう。

しかし、岸田首相は自身が政界を引退したらこの翔太郎氏に議員の座を譲るつもりでいたのであろうからこそ、この息子を秘書官に任命したのはその布石であったのだろう。

こういう連中が、政治を私物化しているのであるから、日本の政治家には信頼がおけないのである。選挙区を自分の家の持ち物とか家業だとかと勘違いしているのではないのか?

ここ最近の首相経験者は世襲政治家ばかりである。安倍晋三は父が安倍晋太郎、祖父が岸信介の三世政治家だし、麻生太郎は祖父が吉田茂、父が麻生太賀吉の三世政治家、総理大臣候補の河野太郎だって祖父が河野一郎で父が河野洋平の三世政治家だし、小泉進次郎も父が小泉純一郎で祖父が小泉純也の三世政治家だ。国会議員の150名が世襲政治家なんていう国は日本だけであろう。

もはや政治家になるのは、岸田翔太郎みたいな世間一般の常識に欠けたアホばっかりだし、その親の岸田首相がこれまた度外れた親バカときているのだから日本は絶望的である。G7で支持率が少し上がったばかりなのに、この親バカぶりは世間の評価を大きく下げるであろうなぁ~。

議員に立候補するのがこんな連中ばっかりだったら、投票になど行きたくなくなるから日本の投票率は低いのである。

あぁ、情けなくなる。