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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-06-01-Wednesday 驚いたなぁ〜

昨日の私のブログ

「国歌と国旗」を読んでの感想と意見を7通も頂いた。

何に驚いたかというと、一つはこんなに多くの方に読んでもらえて、しかも感想なり、意見なりを頂けるということだ。私の考え方に対して賛成であっても、反対であっても、反応を示して頂けるという事自体が有難いことである。それだけ真剣に読んでもらえていると解釈してもよいのではないかと感じたからだ。

もうひとつは、国歌と国旗の問題でこんなに反応があるとは全く予想もしていなかったからだ。

これまで「マイヒストリー」シリーズでは随分と感想を頂いてきたが、普段の私のブログに感想や意見を頂くことは稀なのである。

特に、今回は学校の先生(らしき方も含めて)からの意見が5通もあったのには驚いた。

それぞれの立場で、いろいろな意見があるのだと、つくづく感じた次第である。

ただ、それぞれの意見は、聞かせて(読ませて)もらうが、私が昨日書いたことは、あくまでも私の個人的な考え方であって、私の考え方を他人に強要しようとしている訳ではないことを改めて伝えておく。

私の考え方は、「これこれ、こういうものだ」と表現することは誰に規制されるものでも制限されるものでもない。

私のブログを通して、私の考え方を多少なりとも知ってもらえればよいと思っているだけだ。

私のこのブログは、いわば、私の「独り言」であり、ストレスを貯めない知恵でもある。

自分の頭の中だけで、ブツブツと言うよりも、何等かの形で外に出すことで、私の精神衛生状態を良好に保っている作用があると考えている。

私は現在、いくつかの新聞や雑誌に、コラム欄を持って書いているが、新聞等では、過激な表現は出来ないので、かなりヤンワリとした表現に留めている。

その分、このブログは、読みたい人が読めば良いものだから、ストレートな表現が可能になる。

これからも、読者の方々から感想や意見をたくさん頂けるように、書いていきたいと思っている。


■2011-06-02-Thursday 東京の

東京のサラリーマンは

大変だなぁ〜とつくづく感じた。

大学3年生の息子が、今月中旬からインターシップとやらで、40日間企業に行って仕事をするらしい。

その会社とアパートとの通勤時間が片道1時間半ほども掛かるとのことだ。「往復3時間も掛かるから大変なんだよ」と妻の携帯に電話が入った。「父親でなく母親に電話するというのが気になるなぁ」と妻に言ったら、「やっぱり母親なのよ」とドヤ顔で言うから「そうだな」と納得したフリをするしかないが・・・。

大学の近くに住んでいたら、この通勤の辛さは分らないだろうから、ちょうど良い経験になるだろう。

東京のサラリーマンは通勤に片道1時間掛かるのはザラで、中には2時間以上という人も居るらしい。

毎日、毎日通勤に4時間!?

帯広から2時間以上も掛けたら札幌まで(帯広ー札幌間は特急列車で最速で2時間10分)行けてしまう時間だから、自宅と会社の間が徒歩12分という環境に暮らして居る私にとっては毎日、日帰り出張している感じだ。

疲れるだろうし、毎日の通勤時間は一体どうやって暇をつぶしているのだろうか?

私も大学生の時には2年間ほど、埼玉の大学に通う姉と一緒にアパート暮らしをしたことがある。2人の大学の中間地点ということで池袋にアパートを見つけたのだが、毎朝の池袋ー渋谷間の山手線の通学は辛かった。

当時(昭和52〜54年)はまだ、フレックス出勤なんて制度が無かったから、池袋で山手線に乗るまでが大変だった。改札口から既に大行列で電車を8〜10本くらいは乗れずに過ごす。乗れたとしてもギュウギュウ詰めで新宿までは身動きひとつできない。新宿でかなりの人が降りて一寸一息ついても、すぐに降りた人数だけ乗ってくるから、再び鮨詰め状態が渋谷まで続くのだ。

渋谷で地下鉄に乗り換えて大学まで、ナンダカンダでアパートから大学までは1時間以上は掛かっていた。行きの山手線内は無理だったが、地下鉄からは本を読めたので、読書三昧できたから私にとっては良かったのだが。

現在は、当時ほどではないにしろ、まだまだ通勤ラッシュというのがあるのだろうから、2時間以上も掛けて毎日通勤するのは体力的にも大変な重労働であると思う。

昼食も、東京のサラリーマンは店の前に行列を作って待っている。1時間の昼休みで、会社から飲食店までだって5〜10分は時間が掛かるだろう。さらに店で10〜15分も待たされて、食事の時間は10〜15分程度で早飯し喰いをして、食べ終わったらすぐに会社に戻らないとならない。ナンとせわしい毎日なのだろう。

東京の会社と、帯広の会社では給料の額に相当の差があるが、帯広は家賃や物価は安いし、時間はタップリある。

若い頃は、帯広って何てツマラナイ街なんだろうと思っていたが、この年令になると、たまに東京に遊びに行く位がちょうど良い。

息子も、そういう辛さを体験した方が、帯広の良さを実感できるだろうと思う。こういうことはドンドン体験してもらいたいものだ。


■2011-06-03-Friday バッカじゃなかろか

政治家の連中は

皆、バッカじゃなかろうか?

何をやっているのだろう。国民の9割以上はそう思っているのではないだろうか?

総理大臣の不信任案を提出するしないで、自民党と公明党が騒いでいたが、どうせ成立などするまいに、何をこの時期にバカなことをと呆れていたら、今度は民主党の中にこの不信任案を成立させようとする小沢一郎の一派が暗躍して、そこに鳩山由紀夫が加わって、71人(82人の造反で可決)だかが集まり成立しそうな無雰囲気になったらしい。

菅首相は、可決されたら解散する。と言っていたが、東北地方があの状態では投票など出来る訳がないだろうから、選挙など到底無理なことは百も承知のはずだが・・・。

それで慌てた菅首相が、鳩山由紀夫と会談して、鳩山が3つの項目の条件を出して退陣を決断させたという。(菅首相は、信用してくれとこの確認書に署名することは拒んだようだ)

国会前に開催された民主党の代議士会で菅首相は「震災対応の目処がつたら辞任する」と表明して、急転直下、日和見した鳩山一派は反対票を投じることになった。

不信任案可決のシナリオが狂った小沢一郎は鳩山の行動に対して怒ったという。

菅首相は辞める時期を決めた訳ではないと言うし、鳩山は第二次補正予算の目処が立つ(6月末)頃にと言うし、岡田幹事長は3つの項目の確認書は辞める条件ではないと言うし、それに対して鳩山は「人間はウソついてはいけない」とどの面下げて言っているのかしらないが・・・。

結局、鳩山一派が反対票を投じて不信任案は否決されたが、小沢は欠席、松木謙公は賛成票を投じた。

茶番もいいところだが、質は最悪の出がらし茶番劇である。

その後の首相の会見では、一定の目処というのは原発事故が終息を迎える頃だと言い出したようだし、側近には「俺は辞めるつもりはない」とまで言っているらしい。原発の終息には10年以上も掛かるから、これから10年以上も続けるつもりなのかもしれないが・・・。

言った、言わない。賛成する、反対する。辞める、辞めない。

何だ、これは、ガキの喧嘩じゃあるまいし。

結局は不信任案を否決(一度否決された不信任案は同じ国会会期中には再提出できない)させる為だけの、「その場しのぎ」のデタラメな策だったようだ。

これで解散総選挙という事態は、一応は避けられたようだが、逆に菅首相のリーダーシップは益々減少してしまうだろう。こういう詐欺的な姑息なやり方は民主党の党内抗争を激化させるだろう。

自民党も、自民党だ。原発事故のもともとの責任は、自民党にあるだろう。それを民主党の菅内閣の罪であるかのように言うのは無責任だ。

もう、日本の政治家は国民から完全に呆れられている。

実に情けない政治家共だ。国会議員は全員辞職してしまえ!

こんな奴等に日本の未来を託したくはない!

今回の一連の政争で、こう思った国民は大多数になったことだろう。

あまりにもレベルが低い争いをやっているだけだ。もういい加減にしてもらいたい。


■2011-06-04-Saturday まぁちゃんと・・・

3日、まぁちゃんと愉快な仲間たち主催の

ゴルフコンペと懇親会に参加してきた。

まぁちゃんこと川原正行さんは以前にこのブログに書いた、元スピードスケートのオリンピック選手で、現在はオリンピック選手らのコーチをしている。そのスケートの関係者(選手、選手の親、元選手、コーチ)らが集まって毎年、ゴルフとその後の懇親会を主催している。

私は去年はゴルフコンペにだけ参加して、夜の懇親会は、別の会合があって欠席したのだが、今年はゴルフと、夜の懇親会には妻も出席したのである。

前日の2日夜の風呂上がりに、焼酎を飲み過ぎたのか(ビールはダメだが焼酎なら良いと素人からは言われていたが・・・)、また痛風の発作が起こって左足の膝に痛みが出始めた。やはりアルコールの大量摂取はいけないようだ。

早朝に痛み止め薬を飲んで、水分を沢山摂って小便をやたらとすることで、痛みをなんとか収めて参加したのだが・・・。

最初は膝がうずく程度だったのが、段々と痛みが増してきて、左膝の踏ん張りが利かなくなってきた。

そうなるとボールはどこに飛んでいくのか、コントロールが出来なくなってしまった。カートでのプレーだったので、何とか我慢出来たが、ボールが曲がるので、カートでは近くに行けないような所にばかりボールが行く。急な斜面などにボールが行くと、昇り降りに膝に負担が掛かる。右に左にOBを出してしまい。前半のハーフは50を叩いてしまった。

よっぽど、ハーフで棄権しようかとも思ったが、痛さを堪えながら何とかプレーを続けた。強く振り回せないのでボールに軽く当てるだけのショットしか出来ない。ところが、これが良くて後半は40で回ったのだからゴルフは判らないものだ。

膝を庇いながらオカシナフォームで打っていたら、今度は左右の太ももの裏側やら腰やらが痛くなってきた。

それにしてもスピードスケート選手という人達は、実に良くボールを飛ばす人達だ。ドッシリと下半身が圧倒的に発達しているからからだろう。一緒に回った元オリンピックの女子選手が私をはるかにオーバードライブしていくのだから。私も飛距離にはある程度の自信があったのだが・・・。

自信もフォームもグチャグチャになって、帰宅してシャワーを浴びてから、全身に湿布薬を貼ったり塗ったりしてから、懇親会に妻と一緒に出席した。

懇親会場は「鳥せい」という焼鳥屋の2階で、座布団の席である。これがまた辛かった。膝が痛いので胡坐もかけないし、足を伸ばして座ると腰が痛い。困ったものである。大好物のレバーは妻からも止められているから目の前にあるのに食べることができない。精肉ばかりを食べて、焼酎を飲んでいた。

妻は盛り上がって二次会にも行きたいと言うが、私はもう身体が限界に達していたので引き揚げることにした。

身体がシンドイと十分に楽しめないものだ。妻は来年はゴルフを一緒にやりましょうよと誘われてその気になったらしい。明日は打ちっ放しに行くから付き合ってと言う。

明日には痛風が治っていると良いのだが・・・。


■2011-06-05-Sunday 読売新聞風向計

2011年6月3日(金)

読売新聞北海道版朝刊「風向計」掲載

『解き放てない「思い入れ」』

物を集める習癖はどうやら男性に特徴的なようだ。 

例えば、私が好きなテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」。鑑定を依頼する人物は男性が圧倒的に多い。番組では、妻や家族にさげすまれながらも骨董(こっとう)品を収集している男性が登場する。家族に内緒で高額商品を購入したものの、その値段を正直に打ち明けることのできない男性。自身の鑑定眼を頼りに専門家から高値を付けてもらうことで妻を見返そうとする。ところが、専門家からは「偽物で安物」と宣告されてうなだれる。そうしたシーンを見るにつけ「物の収集という行動と男は切っても切れない存在なのかもしれない」と、つい感じてしまう。

子供の頃の遊びを振り返ってみると、男の子は古くにはビー玉やメンコ、今であればさしずめカードゲームといったところか。女の子で思い浮かぶのはママゴトや人形集めだろう。

女性の多くは、年を重ねるにつれて、対象が実用的なモノに移行していくが、男性は成人になっても精神状態はいつまでも子供のまま。マジックの指南本を多数集める私の事例を引くまでもなく、何かを収集する癖を持つ男性は枚挙にいとまがない。

他人から見ればただのガラクタにしか見えない物を大事に保管している。でも、本人にとってみれば「我楽多」。すごい宝物というわけだ。

先の東日本大震災による津波被害で、貴重なコレクションを失われてしまった方々も多いのではないかと心が痛む。

もちろん生命に勝るものなどないが、津波が奪っていったのは人々のコレクションだけではない。津波に流された家屋の跡で、家族の写真を懸命に探す人たちの姿がテレビのニュースで繰り返し報じられていたのを今なお、鮮明に覚えている。家族の絆を凝縮した家族写真はかけがえのない財産だ。

大切な物というのは価格や他人の評価によって決まるわけではない。所有者の「思い入れ」の総量が価値になるのだろう。もはやそうなるとそれは単なる物体ではなく、物欲とも違う。

最近、「断捨離」という考え方が注目を集めてきた。ヨガの「断業」「捨行」「離行」が応用されているのだとかで、不要な物を断ち、捨てて、物への執着心から解き放たれることで、「身軽で快適な生活を手に入れる」ことを目指すという。

物に対する執着心とは無縁の境地になれれば、心安らかな日々が待っているのかもしれない。でも、どうやら私には出来そうにもない。


■2011-06-06-Monday ゴルフじゃがいも

5日の日曜日は

帯広青年会議所(JC)のゴルフの親睦会「じゃがいもクラブ」の今年度第二回目のコンペが帯広白樺カントリークラブで開催され、参加してきた。

一昨日のゴルフの時には痛風の発作が出ていて最悪の状態であったが、今日は痛風の痛みはまるで出ていない。あの痛さがまるでウソのようである。

一昨日とまったく同じコースでのプレーで、しかも天気は風がやや強いだけで快晴のゴルフ日和だ。

今日で今年6回目のプレーになる。

最初のインコース10番はいきなり15ヤードほどの超ロングパットが入ってバーディでのスタート。ヘッドアップしてのチョロを3回やってしまったが、OB無しで前半は42打とまずまずの成績。

後半のアウトコース1番で、これまたバーディスタートで気分が良い。4番のショートコースでは、100回打っても入らないような極めて難しいパットが入ってパーを拾って、8番までで2オーバーパーの38打ペースである。9番をパーで上がるとネットスコアで0.7アンダーパーになる。

この「じゃがいもクラブ」は優勝者は2割、準優勝者は1割ハンディが上がる。さらにアンダーを出した人はそのアンダー分だけ次回からハンディーが上がってしまう決まりだ。

この帯広白樺カントリーはトリッキーなコースだが距離が短いので、良いスコアが出易いコースだ。何年か前には、20名近くがアンダーパーで回ってきて、入賞賞品も貰えないのにハンディキャップだけ上げられた人もいたという曰く付きのコースなのだ。

0.7アンダー程度の成績では上位入賞は難しいから、最後の9番ではボギーで上がろうと考えていたのだが・・・。

こういうボギーで上がれば良いやと考えていると、力みが無くて、実に素晴らしいショットを打ってしまいバーディチャンスに付いてしまった。いつもこういう風に打てたら楽なのに・・・。

結局2パットのパーで38打。

イン42、アウト38、グロス80、ハンディキャップ8.7、ネット71.3。総合成績は第7位入賞であった。

もし、最後のパットをわざと外していたら、12位という成績であったから、わざと外すなどというゴルフを冒涜した行為をしなくて良かった。

今年初めてアンダーパーで回れたので、少しは安心できた。


■2011-06-07-Tuesday 日本の政治

現在の日本の政治に言及すると

こちらもバカだと思われてしまう。そんな危惧すら抱いてしまう悲惨な状況だ。

菅直人は、きっと首相を出来る限り長く続けたいのだろう。その為のペテンであったはずの「あやふや退陣表明」が、国民の多くからも、または同じ民主党の仲間からも、そして閣僚からも完全に見放されてしまったようだ。

同じ政党に所属する前首相が現首相をペテン師呼ばわりするのは、何とも情けないというか、こいつらマトモな神経してるのかと思っている国民は多いと思う。

いくらKYの多い政治家でも、さすがに今回の程度の低いペテンは許容範囲を越えていた。菅直人の往生際の悪さと地位に執着する態度が、国民には悪あがきにしか映らないから、これを支持したら自らの政治生命が危うくなってしまうと、岡田も枝野もあっさりと菅を見放したようである。

しかし、菅もまだしぶとい。

早期退陣の外掘りと内堀りを埋められてしまったのに、まだ8月までは・・・なんて言っているようだ。

だが、その他の政治家もオカシイだろう。

辞めていく首相に第二次補正予算案を作らせるなんて有り得ないことだ。しかも、まだ時期首相候補の絞り込みすらも決まっていない(どれも頼りない名前が10名ほどは挙がっているが・・・)。新しいトップが関わらなくてどうするというのか?

こいつら政治家はバカとアホの集団ではないのか?

どんな組織だって、次のトップ候補が居て、次に何をやるのかを決めてから、トップの交代を行なうものだ。

ましてや、この緊急時に政治空白が許されないような状況に、こんなバカな程度の低い政局をやっている。

これにこそ、国民は怒るべきだろう。

このままでは政治家という職業は、賎業になってしまう。本当に志の有る人間はバカバカしくて政治家になんぞなりたいとは思わなくなるだろう。これではいけない。

この未曽有の危機に直面している時に、まともな人間が政治をやらなければ日本は衰退するどころか滅亡してしまうだろう。

何処かに、誰かマトモな政治家は居ないのか!


■2011-06-08-Wednesday マジック本収集

会社の6階に

「マジック関係書籍の図書館」を創設したのは、北の屋台の専務理事を2007年3月末に退任してからだから、かれこれ丸4年が過ぎたことになる。

当初は、私が小学6年生の時から集めだした本、約4000冊と、マジックの師である故ジミー忍師のコレクションが遺言で私のところに送られてきた本、約1000冊で合計5000冊で本棚4台で始まった。

私の収集した本と、師のコレクションには重複している本もかなりの数あったので、実質は約4500冊程度であった。

その後、ネットオークションにハマッてしまい。マジック関係はもとより、世の中の不思議という観点で、手品、奇術、マジック、魔術、幻術、催眠術、心理学、超能力、霊力、幽霊、妖怪、忍者、忍術、新興宗教、だまし、詐欺、ウソ、超常現象などの本のいわゆる「大人買い」というやつを続けてきた。

自分でもいささかテーマを広げ過ぎたかなと後悔しているが・・・。

この4年間でおよそ3000冊ほどの本を購入してしまい。日毎に本の量が増えていく。

本棚もそれに会わせて5台追加で造ってもらって合計9台にまで増えたが、5月の段階でそれも満杯になってしまい。ダンボールに入れている状態であったから、本棚を更に2台追加発注した。

その棚が先週、出来上がってきて本棚の合計が11台となったので、また若干の余裕スペースが生まれた。

全体の分類分けを再度やりなおして、調べ易いように並べ換えようと考えているのだが、なかなか構想がまとまらなくて困っている。

こういうものは全体構想を持たずに、部分から始めてしまうと、最終的には収拾が付かなくなってしまうから、よく全体のことを考えながら着手しなければならない。

本は重いから、置いてある棚の段を一段換えるだけでも結構な重労働なのだ。

なんとか仕事の合間を見つけて今週中にはけりをつけたいと考えているところだ。


■2011-06-09-Thursday 交通マナー

十勝の交通マナーは

全国最低ランクだとは何年も前から言われ続けていることだが・・・。

ここ1週間で実際に目にした交通マナーの悪さを書いてみる。

まずは、我が社坂本ビルの所在地の裏通り側、南から北への一方通行の西1条西仲通りを逆走する車である。

私が自社の駐車場に車を停めようとしたら、六花亭本店方面から、70歳代後半と思しき男性が運転する小型車が、一方通行を逆走して南側に抜けて行った。運転している本人はまったく逆走していることを気が付いていないようであったが、危険なのは言うまでもない。

私の様に一方通行を長年に亘って身体で認識してしまっている人間は、まさか逆走してくる車があるとは考えてもいないから、駐車場から車を出す時には右側から来る車に神経の大半が向いている。もちろん左側から歩いて来る人間や自転車なども通るから左側を見ない訳ではないが、注意を振り向ける割合は右側に多くなる。そこに逆走してくる車がかなりのスピードで走って来たらと考えると恐ろしい。

2つ目は、帯広駅南側にある長崎屋の駐車場前の道路である。

長崎屋の開店時間は午前10時である。駐車場の入口が開くのは10時10分前ぐらいなのだろうと思う(開店と同時に入ることなどないので正確には知らないが)。その東側入口の前に車が20台ほどズラーッと駐車場の入口シャッターが開くのを待って並んでいて、南東角の交差点まで列を作っている。長崎屋でバーゲンセールでもやっているのかと思っていたら、近くの「とかちプラザ」や「帯広市民ホール」などの催しものに来た人達なのだそうだ。

問題は長崎屋の南側を通る通称「青葉通」を東側から西に向かって来た70歳代と思しき男性が運転するベンツ車が、この長崎屋の駐車場に並ぶ車の列に、無理やりに入ろうとして入れずに横断歩道の真ん中で2車線目に停まってしまったことだ。北進して駅側に向かう車の前を塞いでしまうのだから、直進する車が渋滞してしまった。

しかも悪いことに、駐車場の入口はまだこの後10分程は開かないから車の列は前に進まないのに、このベンツは動こうともしないでそのまま道路を塞いでいる。

列に並んでいる他の車も不必要に車間距離をあけて停めているから、詰めてあげれば入れるものを、まるで周りに気を遣うような様子ではない。実に迷惑な運転手だ。

この車間距離と言えば、最近は信号待ちする車の車間距離を1台分くらいの距離をあけて停める女性ドライバーがやたらと多い。

なぜにこんなに車間距離をあけて停めるのかまったく理解できない。帯広市内は100m×50mの格子状の区画になっているが、この50mの道路に自動車が4台しか信号待ち出来ない状況がよくある。左折して入ってこようとする車を、詰めて入れさせてあげようとは考えないようなのだ。こんな女性ドライバーが2〜3人固まってしまったら、これまた車が入れなくて渋滞が起こる。こういうドライバーは自分の周りの道路状況がどの様になっているのか、全く気にならないのだろうか?

少しだけでも前に詰めてあげれば、渋滞を起こさずに済むのに・・・。

もっと酷いのは車線の変更である。ウィンカーを出さずに割り込んで来るのは日常茶飯事になってしまっているが・・・。

先日は、2車線の道路で左側の車線を走っていた若い女性が運転する車が、急に猛スピードを出して右側の車線を走っている私の車を追い抜いた。そして次の交差点で右折しようとして私の車の前に出て交差点で停まったのだ。私は直進するから、その車の右折が完了するまで右側の車線で停まっていなければならなかったのだ。私の後ろには1台も車が走っていないのだから、私の車が行き過ぎてからゆっくり車線を変えれば良いものを、何故に猛スピードで追い抜いて私の車の前に出なければならないのか?

嫌がらせのつもりなのか?

この1週間で目にしただけでもこんなに沢山ある。

結局、十勝のドライバーは自己中心的でワガママ性格なのだろうと思う。非常に危険だし、腹立たしい。もう少し周りの状況を考えながら譲り合って運転しようよ。


■2011-06-10-Friday あざとい

実にアザトイ、そして実にナサケナイ!

AKB48に関係する者たち全部のことである。

昨日が、人気投票の集計結果の公表日だったとのことであるが、こんなにテレビや新聞が大騒ぎするほどのことなのか?

スポーツ新聞は1面で報じ、号外まで出したところまであるという。

私は、未だにAKB48のメンバーの顔も名前も判らないが、美人なんて子は一人も居なさそうだが・・・、まぁ顔の好みなんてものは人それぞれだから、別段構わないが・・・。

以前にもこのブログに書いた記憶があるが、秋元某というご仁は素人を使った商売が上手いようだ。

若干でもエンターテインメント業界に関わった人間として、こういう芸の無い人間たちが、この世界で幅を利かせるのは我慢がならない。

学芸会程度の歌や踊りや芝居を見せられて喜んでいる観客がこんなに大勢居るということは、日本の芸能界の程度と日本人の文化レベルの低さを象徴している。

素人がそのまま売れるということは、芸能界の自殺行為なのに、テレビがそれを後押しするということが全く理解出来ない。テレビ局も視聴率が取れればそれで良いという考え方なのだろう。

AKB48は、身近なアイドルを目指しているから美人は不要と言うが、14〜5歳の女の子がテレビに出てチヤホヤされたら、勘違いをして、その子の将来は悲惨なことになるのではないのか?その子等の未来に対して秋元某を始めとする大人達は責任を取れるのだろうか?

本来なら、もっと勉強するなり、何なり、この年代の内にやっておかなければならないもっと重要なことが沢山あるはずだ。

単なる金儲けの手段に利用されているだけの存在ではないのか?

女の子の所属事務所もバラバラにして事務所に競わせるようだし、メンバーも今回の人気投票のように競わせることで、モチベーションを上げようということなのだろう。

その戦略に踊らされて、一人で何百枚、何千枚も投票権が入っているCDを何十万円、何百万円も出して買ったというバカな男のファンがテレビに映っていたが・・・。日本の将来が心配だ。

こういう抱き合わせ的な販売戦略っていうのは許されることなのだろうか?

確かに商売の戦略としては上手い戦略なのだろうが、果たしてそれを芸能界という場所で、しかも素人の未成年者を使ってやることが、人間として正しいことなのだろうか?私は疑問に思う。

何でもアリで、金、カネ、かねの世界は見苦しい。

素人を発掘して玄人に育てるのは良いことだ。誰でも最初は素人なのだから、だが、素人芸そのままを見せて金儲けするのは邪道だし、観客をバカにした行為である。

せめて、芸能界は玄人の熟練した技を見せる場所にして欲しいと思う。


■2011-06-11-Saturday 駒澤大学同窓会十勝支部

私が会長を務めている、

駒澤大学同窓会十勝支部の総会が11日17時から、帯広市内の北海道ホテルで開催された。

この総会に先駆けて、14:30〜同じ北海道ホテルの会場で、「駒大とかち寄席」と称して、先の東日本大震災の被災者の方々に義援金を送ろうとチャリティ寄席にすることを企画した。

毎年、駒澤大学の総会の日には、同じ駒澤大学同窓の芸人やスポーツ選手などを招聘して講演会などを開催し、駒澤大学の名前を同窓以外の一般の方々にも広める活動をしている。

このところは落語ブームという背景もあり、三年連続で三遊亭王楽さんを招聘しているのだ。

三遊亭王楽さんは、先代5代目の三遊亭円楽(顔の長い)の最後の27番目の弟子で、王楽さんの父親は、日本テレビの笑点でピンク色の着物を着て「仕事が無い、仕事が無い」と言っている三遊亭好楽さんだ。好楽さんも5代目円楽の弟子であるから、好楽、王楽は親子でありながら、兄弟弟子という不思議な関係でもある。

3年前に王楽さんを初めて帯広に招聘した時には、これまた5代目円楽の弟子で、駒大同窓の三遊亭貴楽さんと王楽さんの2人を呼んで十勝支部創立十周年記念の駒大とかち寄席として開催したのである。

去年も今年も普通の年なので予算が少なく王楽さんだけを招聘した。

王楽さんは2年前に帯広に初めて招聘した時にはまだ二ツ目であったが、そのすぐ後の平成21年秋に真打ちに昇進した今年33歳の若手落語家で、駒澤大学英米文学部卒業である。大学在学中は父親の職業である落語にはあまり興味がなく、駒澤大学の落語研究会には所属していなかったというから面白い。

最近はテレビにも良く出演するようになった人気上昇中の落語家である。

11日の9:20とかち帯広空港着の飛行機で東京から来てもらい、中札内村の六花亭の美術村た、花畑牧場などを車(通過しただけ)で案内した後、十勝野フロマージュというナチュラルチーズの工房に案内したが、赤部社長さんがいらしたのでちょうど良いタイミングであった。

王楽さんには十勝をゆっくり紹介したいのだが、売れっ子だから今日は帯広に宿泊しないで最終便で東京に戻って12日日曜日の昼に仕事が入っているという。聞くと明日の夜には、またトンボ帰りで、帯広のノースランドホテルで、笑点メンバーの歌丸、円楽(6代目)、好楽らと一緒に、笑点のスポンサーの日本香堂の仕事が入っているというから笑ってしまった。

芸人は忙しいのが何よりである。

今回の駒大とかち寄席は、入場無料だが、入口にチャリティ募金箱を設置して義援金を募った。観客は200名以上の方々に来ていただき、募金額も85000円程も集まった。

冒頭の私の挨拶で「今回集まった義援金は、とろい日本赤十字には送らずに速やかに手渡せるところに送ります」と言ったところ会場からすごい拍手が巻き起こった。観客も日赤の対応の遅さに呆れているようである。

王楽さんには3席も演じてもらい、観客の方々も満足してくれたようで、来年も是非開催して欲しいという声を数十人から掛けられた。嬉しいことだ。

17時からの総会の出席者はややさびしい人数に減ってしまう。どこの大学のどこの地域も同窓会への参加者が年々減っている傾向にあるという。出身学校に対する愛着は持ちたいものだと思っている私としてはさびしい気持ちがする。来年はもう少し、総会への参加者も増える様な工夫をしたいと考えている。


■2011-06-12-Sunday 日曜日

12日の日曜日は

前日の駒大同窓会の懇親会とその後の二次会で飲み過ぎたのでゆっくり寝ていようと思ったのだが・・・。

11日、北海道ホテルで総会が終わった後、会場を市内に移して二次会を行なった。駒大同窓会本部の副会長として、兵庫支部長の渡邊さんが来てくださっているので、二次会に一緒にお連れした。

懇親会でも隣の席だったので色々と話をしたが、兵庫のお寺の住職さんであり、かつ観光農園なども運営しているので観光事業に関心があると言うから「北の屋台」と「十勝乃長屋」を二次会の前に案内して歩いたのだ。

北の屋台は混んでいたが、長屋の方は空いていた。やはりコンセプトをしっかりとしてなければ、ただ小さい店を並べるだけでは流行らないとか、不便利さが生み出すコミュニケーションとか、コの字型カウンターの意味などを比較をしながら、屋台と長屋の違いを説明できるからよいものを造ってくれたと思う。

二次会でも北の屋台のことで話が盛り上がり、ず〜っと焼酎を飲み続けた。痛風にはビールは悪いが焼酎なら良いというのはどうやら俗説のようだ。焼酎のアルコールでも、やはり飲み過ぎると痛風には良くないようである。

翌日の朝に起きると、左足の先がモヤモヤとうずく。痛いほどではないが、どうやら前段階のようである。

妻が洋服と靴の買い物に付き合えというので、荷物持ちとして同行した。夕食の材料を買う段になって、今日は私が晩御飯を作ろうかと提案した。簡単に出来るラーメンを作ることにして買い物を済ませ、帰宅したら、今度はゴルフの練習に付き合えと言う。ゴルフが終わったら温泉だと言う。こちらは痛風の発作が起きないかビクビクしているというのに人使いが荒い。

札内川の打ちっ放しに行って60球づつ打ってから、札内ガーデン温泉に入る。昨日のアルコール分を出し切ってスッキリした。十分に水分を取りながら温泉に入らないと、血液が濃くなって痛風の発作が起こり易くなる。

温泉から帰って、犬を散歩させて、晩御飯の支度をする。

夜は「仁ーJIN」を見て、焼酎を飲んでサッサと寝た。妻に振り回された日曜日であった。


■2011-06-13-Monday 月曜日

13日月曜日は、

地元の帯広信用金庫のゴルフコンペである。

およそスポーツの中で就業中に堂々とゴルフだと言って会社を離れられるものは他にはない。

接待テニスや接待スキーなどはないが、接待ゴルフというのは認知されているのだからまことに不思議なスポーツである。

今日は接待とは違うが、地元の取引金融機関主催のゴルフコンペであるから、平日なのに会社をサボってゴルフが出来る。

十勝のゴルフ場は、遠い所でも帯広市内からは車で40分程度で到着できる距離にある。一番近いゴルフ場は車で10分である。

午前中に会社で一仕事して、ゴルフが終わってからまた一仕事するなんてことも可能なのだ。

十勝はゴルフ好きな人にとっては天国みたいな場所だろう。

このところ2回連続で80打で回っているので、今日は優勝を狙うつもりであったが・・・。

午前中は会社に出て、仕事を片づける。

昼からゴルフコンペに帯広カントリークラブに行く。このコースでのプレーは今年初めてだ。

ドライバーは素晴らしい飛びであったが、フェアウェーの芝の状態が悪くて、ことごとく穴ぽこに入ってしまう。段々それにイライラしてきてショットが乱れ始めてきた。そうなるとリズムもバラバラになり、寄せとお先にの30センチくらいの短いパットを3回も外してしまってイライラを増幅させてしまった。

そうなるとスコアを取り戻そうと冒険したりして無茶な攻め方をするから、それが失敗してますますイライラが募る。

ゴルフは冷静にプレーしなければ良いスコアに結び付かない。

結局45・43の88打でサッパリスッキリしないスコアであった。

どうもスコアが安定しない。


■2011-06-14-Tuesday 雑草

雑草の生命力の強さには驚かされる。

この春に我が家の庭にタンポポの花が一面に咲いて、辺り一面が真黄色になった。

自分でタンポポを除こうとしたのだが、根が深くてなかなか取り除けない。中腰の姿勢は腰の悪い私にはかなりの重労働になるから、いつも来てもらっている庭師さんにお願いしたのだが、庭師さんは根からの駆除ではなく、庭の土の表面を削るようなやり方なので、1週間もするとまた伸びてくる。

門から玄関までの間をインターロッキングという敷石でビッシリと固めてあるからここには雑草は生えないだろうと思っていたのだが、石と石の僅かな隙間から雑草が芽を出して来た。

摘める程度の大きさになったものは気が付く度に引き抜いていたのだが、ここ最近の雨で、雑草も元気になって、一気に量が増えてしまった。

門と道路のアスファルトの隙間からも雑草が生えてきたので、鎌で丁寧に取り除いたのだが、こちらも1週間もしたらまた生えてきた。

犬を飼っているので、あまり除草剤は撒きたくはない。

そうなると人力でやるしかないのだが・・・。

雑草の生命力には敵わない。

我が家の前の道路に植樹してある樹の下にも、下草の「雀の帷子」が伸びて1m位の高さに成長している。犬の散歩の際に近所の雑草の状態も見るのだが、何故だか、我が家の前の雑草の背丈が、近所よりも高いのだ。犬のおしっこの栄養が行き渡っているからだろうか?

これも鎌で刈ろうかと思ったが、市役所が刈って運んでくれるというのでそのままにしているのだが、何ともみすぼらしい風景に映る。

市内の空きビルの前の道路や建物とアスファルトの隙間から雑草が生えている光景を見掛けると、侘しさが増してしまう。

雑草には可哀想だが、雑草はみすぼらしさのバロメーターなのだ。雑草が生えているととても周りをみすぼらしくしてしまうから頻繁に駆除しなければならない。

商店街も雑草が生えないように常に人が歩いていなければ活気が生まれないのだ。

雑草と人間がいたちごっこをしている場所が活気がある場所なのだ。このいたちごっこを止めた途端に商店街は廃れる傾向にあるようだ。


■2011-06-15-Wednesday 発見!

新しい発見をした。

大仰に書いたが、何の事はない。ズボン(最近は何故だかパンツと呼ぶらしくて下着と紛らわしい)のサイズのことなのだ。

結婚した当時は私のウエストは60㎝程度の細さであった。

それが結婚以来、毎年、毎年1㎝ずつウエスト周りが順調に成長を続けて来たから、ウエストが前年よりも細くなったということがなかった。しかも今年は、この冬の運動不足と不摂生からお腹周りが急に4㎝程も太って95㎝にもなり、はけるズボンが無くなってしまった。

これからの暑いシーズンに向けて、ゴルフでもやって(すぐに)痩せようと考えているから、高い値段のズボンではなく安い価格のもので、当座だけを凌ごうと考えて、ユニクロに行って安い綿パンを1本買うことにした。

さすがに安いだけあってサイズが大まかでウエスト95㎝の下は91㎝のサイズしかなく4㎝も差がある。

W91㎝のズボンではキッチリというかややキツメなので、かなり弛めだが95㎝のサイズのモノにした。

ユニクロはいちいち裾丈を詰めなくても良い様に、股下サイズも色々な長さのモノを揃えているが。私はレングス73㎝という一番股下の長さが短いのを選んだのだが、それでも数㎝は股下を切断しなければならなかったのだ。何と言う股下の短さよ。

妻にはいつもズボンの切れ端でハンカチが作れるわねと言われている。

自分でもそのまま切れ端を捨てるのは本当にモッタイナイなぁと感じている。

発見というのは己の足の短さに今更気が付いたということではない。ズボンのウエストサイズが大き過ぎるズボンはズリ下がってきて、はき心地が非常に悪いということが判ったということなのである。

これまではいつもキツメのズボンをはいていた。前年のズボンがはけなくなるとギリギリのサイズのピッタリしたズボンを買っていたから、緩過ぎるズボンというのは、これまではいたことがなかったのだ。

ズボンが緩い分をベルトで締めて留めているのだが、ウエストの形がへその下から細くなっているので、動くとすぐに腰辺りまでズリ落ちてしまうのだ。

だから、いつもズボンをたくしあげていないと恰好悪くてしょうがない。

あぁ、だからお腹が付き出た人は、サスペンダーをしているのか!と納得した次第である。

このまま太り続けると、見た目も悪いし、自分でも恰好悪いと思うので遅ればせながら真剣に痩せる決心が付いた。昔のズボンがはける様になってみせるぞ!


■2011-06-16-Thursday 不幸な事故

事故というものは全て不幸な出来事であるが、

昨日の東京江戸川区で起きた自動車死傷事故ほど不幸な事故はないのではないか?

運転手は81歳の老人男性で、ブレーキとアクセルを踏み間違えたと供述しているというが・・・。

81歳で運転だって?

81歳といえば(失礼だが)もうそろそろお迎えを意識する年齢だろうに、家族の人間は免許証を取り上げなければいけなかったろう。

恐らく、この81歳の老人は足が悪くて歩けない(逆に恐ろしいが・・・)から自動車を運転していたのだろうが、自動車は凶器になるということを本人も家族も意識していない。

自損事故だけならまだしも、他人を巻き添えにして死なせてしまってはこの老人も、人生の最後の最後に大きな悔いを残すことになったと思う。

巻き添えで死んだり、怪我をした人も浮かばれまい。加害者、被害者、双方に不幸な事故である。

しかし、何故、この事故が東京なんだ?と思う。

帯広のような公共交通機関がほとんど機能していない田舎なら、自分で運転しなければ用事が果たせないというのも、まだ理解はできるが・・・。

しかし、東京の江戸川区なら、タクシーだって沢山走っているはずだろうに。

東京の様な大都会では、自分で運転して行って、いちいち駐車場を探して駐車するよりも、タクシーでドアtoドアで移動した方がはるかに楽だし、金銭的にも安いはずだ。

何故、老人はタクシーを使わないのだろうか?

恐らく、年齢的にタクシーは高くて贅沢なモノだと思い込んでいるのかもしれない。

自家用車を運転するには、実は結構なお金が掛かっているのに・・・。

まずは1年目には自動車そのものの価格が掛かり、それに自動車取得税やらなにやらの税金等が加算される。それ以後は、自動車重量税、自動車保険料、ガソリン代、駐車場代、点検料などのメンテナンス代などが毎年掛かる。

100万円の車を買ったとすると、1年目の費用は色々込みにすると140〜160万円ぐらいだろうか?2年目以降も年間50〜60万円は維持費に掛かるのではないだろうか?

車検までの3年間で大雑把に計算すると280万円程度は掛かるだろうから、年間にすると約93万円というところか?

81歳の老人なら毎日出歩く用事もないだろうが、93万÷365日=2548円(1日分)である。

毎日タクシーを使っても往復2548円分を移動できる計算になる。

昔から使っている自動車で廃車寸前の車だったとしても、維持費に掛かる費用60万円÷365日=1644円になる。

これなら明らかにタクシーの方が安いだろう。

ついこの前も運転マナーのことについてこのブログにも書いたが、老人の運転は危なっかしいことこのうえない。

自主的な運転免許証の返納を呼び掛けるだけでは、この種の事故はなくならないだろう。

自動車は凶器にもなるという自覚を持ってもらうことが重要だ。


■2011-06-17-Friday 事故が続く

北海道の公共交通機関で

やたらと事故が相次いで発生している。それも一歩間違ったら大勢の人間が死んでいたかもしれないという大事故になりかねない事故である。

JR北海道では、5月27日に石勝線トマム駅近くのトンネルで脱線火災事故を起こした。6月6日には室蘭線で特急列車から白煙が上がり緊急停車し、8日には運転手が居眠り運転をし、12日には特急列車の自動停止装置の不具合で列車が停車し、13日には函館線で列車のブレーキの解除ができなくなる不具合があり、同じ13日には根室線で快速列車の無線が使用できなくなり、15日には函館線で普通電車の発電機のゴムベルトが切れ、同じ15日に配線工事のミスで信号機のトラブルが起こった。

ここのところ20日間で8件もの不具合や事故が発生していることになる。

空の方でも4日に北海道エアシステム機が奥尻空港付近で、あわや、あと1秒で地上に衝突していたという事故があった。

これは機長が「フライトディレクター」という機械の高度入力を忘れたという単純なミスで、しかも国土交通省への報告を10日までしていなかったというから呆れる。

北海道の公共交通機関は一体どうなっているのだ。

何故に、こんな事故が続くのだろうか?

普通なら、事故が起きたら気を引き締め直して、いつも以上に点検やら整備やらをするのではないかと思うのだが・・・。

逆に、点検上や整備上のミスが頻発しているというのはどういう訳なのだろうか?

JR運転手の居眠りなんて、あんな重大な事故が起きた直後にあり得るのか?

パイロットも初歩的なミスを犯しているのは、他人の生命を預かっているという気の張り方が足りない証拠である。

列車に乗っても危ない。飛行機に乗っても危ない。道路を歩いていても危ないなら、家から出られなくなってしまうではないか。

福島第一原発事故で水も空気も危なくなっている。

もはや、日本の水と空気と安全はタダという神話(?)は俗説以下になってしまった。

政治もそうだが、公共交通機関も信頼が第一なのだ。しっかりとやってもらいたいものである。


■2011-06-18-Saturday 大学同窓会

駒澤大学同窓会の

全国支部長会議が18日午後から、駒澤大学の深沢キャンパスで開催された。

全国各地の55支部の支部長が集まっての会議である。例年この季節の金曜日に開催されるのだが、今年は会場がいつもの場所とは変更になり、その都合で土曜日の開催になった。

例年の会場はモノレール駅のある浜松町近くのグランドホテルなので、朝一番の飛行機で来てもギリギリ13時からの会議開始時刻には間に合うのだが、世田谷の駒澤大学となると間に合わないので前泊することにした。

羽田空港に着いたらロビーや通路などが節電で随分と暗い。渋谷駅の中も随分と節電しているようでかなり暗い。でも日本はこれまで必要以上に明る過ぎたのだ。これぐらいがちょうど良い。これを機会に全体的に照明を落とした方が良いだろうと感じた。

有楽町に着いてあちこち見て回り、地下鉄銀座線で渋谷に入ったのだが、有楽町の駅前の地下から銀座線の表示に従って地下の通路を歩いたがやたらと距離がある。階段の上り下りも結構ある。これなら地上を歩いた方がはるかに良かったと思った。田舎者には東京の地下はよく分からない。

夜に何もすることがないので映画でも観ようかと思ったら、かつて渋谷の駅前にあった映画館がない。何やら高層の建物を建築中であった。結局映画を観るのは止めて井の頭線のガード下の懐かしい焼き鳥屋「鳥竹総本店」に入って食べた。一人で食事するにはこういう店か、ファストフード店ぐらいしかないのがつらいところだ。

土曜日は早めに起きて、昔住んでいた三軒茶屋をぶらついた。その当時からある肉屋がやっているトンカツ屋川善でとんかつ定食を食べてから歩いて大学まで向かった。結構な距離である。

毎年、この駒澤大学の同窓会の支部長会議の日程に合わせて、同じ駒澤大学の「手品奇術研究会」の同窓会も開催している。

支部長会議が金曜日に開催されて、翌日の土曜日にマジッククラブの同窓会というのが例年の運びなのだが、今年は同じ土曜日の開催なので、マジッククラブの方には遅れていくことになってしまう。

そこで、マジッククラブの会場を大学の正門横に昔からあった喫茶店のロマンという場所に設定してくれた。

支部長会議の開催される深沢キャンパスとは徒歩3分の距離である。

例年なら金曜日の支部長会議の後の懇親会も終わってから、東京在住のマジッククラブの同輩を誘って、マジックバーなどに前日から飲みにいくのだが、今年は支部長会議が終了する予定の15:30に会場を抜けて、懇親会には欠席して合流する予定である。

ところが、意地悪なもので、こういうスケジュールが混んでいるときに限って、いつもはシャンシャンで終わるはずの会議が長引いてしまう。質問でも意見でもない愚にも付かないトンチンカンな話を何度も手を挙げて発言する支部長がいるのだ。さすがに周りの支部長達も頭に来ていたようだ。

この日は会議終了予定時間の15:30を過ぎても全く終わる気配がないので焦ってしまった。

終了予定時間を20分過ぎて、懇親会の時間になっても会議が終了する気配が見えないので、仕方なく支部長会議を途中退席してマジッククラブの会議に向かった。

1年振りに旧交を温めあったが、やはり青春時代を一緒に過ごした仲間というのは良いものだ。2次会が終了してから、プロマジシャンの故ジミー忍師にお世話になった4人で奥さんのマコママがやっている千歳船橋の「魔法の小箱」というスナックに顔を出した。

去年の12月に同じマジッククラブの後輩の結婚式で顔を合わせて以来である。

半年振りに会っても結構積もる話があるものだ。

一緒に行った3人が皆、家が遠かったり、家族との待ち合わせがあったりとかで早目に帰ってしまったので、私も早目に引き上げてホテルに戻った。

来年は大学の支部長会議もまた金曜日に戻るだろうからゆっくりと話しをしたいものだ。


■2011-06-19-Sunday 東京

この梅雨時の東京は

北海道の人間にとっては実に嫌〜な季節だ。

昭和51年に大学に入学した年の6月に、始めて経験する梅雨に辟易した記憶がある。毎日シトシトと降る雨と、ジメジメした重たい空気、蒸し暑い温度に体調をすっかり崩して、大学に行く気にもならずに3畳一間の下宿のベタベタする布団で寝ていたことを思い出した。

もちろんクーラーなどは無いし、小さな扇風機を買ってきても3畳一間の狭い空間では風も通らずに蒸し暑い空気をただ掻き回しているだけであった。

自炊生活であったが、冷蔵庫も持っていなかったから、常温で保存していた海苔の佃煮の瓶詰の蓋が開かなくなり、苦労してようやく開けたら、シュッポ〜ンと大きな音と共にカビが飛び出したことがあった。

そんな悲惨な学生時代を思い出してしまった。

今年の東京は、福島第一原発事故の影響で、節電、節電だから、ホテルの部屋の温度設定も27℃であった。

北海道から来た人間には寝苦しくて眠れない。嫌〜な寝汗をかいてしまった。

電車も、デパートも冷房の温度を高めに設定しているようで、去年までの建物や電車の中に入った途端にヒヤッとするような不快感はないものの、逆に汗が引かないのがつらいところだ。2〜3日だからまだ我慢も出来るが、このままズ〜ッと東京で暮らせと言われたらゴメンこうむりたい。

渋谷駅前のスクランブル交差点で信号が変わると四方から一斉に歩いて行く様子を見ると、長女がやっているシンクロナイズド・スケーティング(フィギュア)の演技で四方からすり抜ける技を想起する。よくぶつからずに歩けるものだ。

昨晩も飲んでいる時に、地震があった。震度は1か2程度であったが、東日本大震災以来、かなり頻繁に揺れると言う。

十勝も地震が多い場所だが、今の東京ほどではないだろう。もし東京で地震にあったらお陀仏かもしれないなぁと思いながら飲んでいた。

人込みは人ゴミだ。人の汗の臭いと多さに酔ってしまうような感じだ。やはり、東京は、もう少し人口を減らしたほうが良いだろう。


■2011-06-20-Monday 高速道路

昨日の19日(日)で

高速道路の「土日・祝日の上限1000円」の割引制度と無料化社会実験が終了した。

北の屋台を作る時に、気を付けた点のひとつに「便利さには不可逆性(後戻り出来ない)がある」という事であった。

人間の心理というものは、不便なモノが便利になっていくことを歓迎するが、便利なモノが不便になるのは我慢しずらい傾向があるということである。

不便なものが徐々に便利になっていくのは嬉しいことだが、一旦便利にしたものを、ある日突然不便に変えてしまうとブーイングが起こり易いのである。

だから何も考えずに、便利になるのだからとか良いだろう、安くなるのだから良いだろうと安易に実行してしまうのは、後戻りさせずらいだけに慎重にやらなければ返って反感を買うことになってしまうのである。

高かった高速道路の料金が一旦安く(またはタダ)なったら、今度は少しでも料金を上げると、以前の料金よりも例え安かったとしても、消費者の抵抗感が増すものなのである。

社会実験とはいうが、人間の慣れというのを軽視してはいけない。一旦ゼロ円にしたものを、また元に戻すというのは、かえって抵抗感を増してしまう行為だ。

そこらへんを民主党の国会議員の方々は理解しているのだろうか?

社会実験はやってみたら良い。やってダメだったら考えるというものではないと思うのだ。人間の心理というものをもっと研究してから実施するべきだろう。

今回は、東日本大震災の復興財源の確保という、誰もが反対できない大義名分があるから、メディアなども正面切っての反対を唱えることはできないだろうが、消費者の心理としてはかなりな抵抗感があるであろう。

特に、無料化実験が中止になる場所の痛手は大きいだろう。

消費者が高速道路にはお金が掛かるのだということに再び慣れるまでの間は、高速道路を使用する人が大幅に減るだろう。

そうなると、無料化によって客が大幅に減った一般道に面したドライブインなどにもまた客が戻ることになる。しかし、高速道路の道東道はこの秋には夕張ー占冠間が開通して全線が繋がり便利になる。そうなると・・・。

なんだか政策に翻弄されているようだ。

高速道路の無料化社会実験はまことに罪深い政策であった。


■2011-06-21-Tuesday 八日目の蝉

20日に会社から帰宅

途中の車の中で、妻が突然、映画「八日目の蝉」が観たいと言い出した。

私は、邦画のお涙頂戴的な映画はあまり好みではないが、妻が観たいと言い出したからには一緒に行くしかない。

新聞で映画の時間を調べると午後8時ちょうどの開始である。自宅で夕食を食べ終えてから、温泉に行く支度を整えておいて、映画館に向かった。

例によって「夫婦50歳割引き制度」のお陰で、2人で2000円という料金で観る事が出来る。

この映画は2時間半の長い映画であるが、この2時間半を一人1000円で楽しめる娯楽は少ないだろう。

これまた例によって、まだ観ていない人の為に、詳しいことは書かないが、映画のストーリーは、不倫相手の子を身籠り、堕胎させられたせいで子供を産めない身体になってしまった野々宮希和子(永作博美)が、不倫相手の男の妻、恵津子(森口瑤子)が妊娠、出産すると、希和子は生後4カ月のその子を誘拐して4歳まで育てる。その間の逃亡劇と20歳ぐらいに成長した秋山恵理菜(井上真央)(希和子からは薫と呼ばれていた)がこれまた岸田(劇団ひとり)という妻子持ちと不倫して子供を身籠る。

希和子が逃亡中に暮らしていた女だけの新興宗教団体エンゼルホーム(教祖役の余貴美子は上手い女優だ)に一緒にいた恵理菜と同じ年齢の千草(小池栄子)が現れ、恵理菜と一緒に、小豆島に行く。そこがかつて希和子と薫(恵理菜)が一緒に生活していた場所だった・・・・。

私は意外にも、余韻が感じられて良い映画だなぁ〜と思ったのだが、妻が、観た後にやたらと怒りまくっている。

妻曰く「この題材でお涙頂戴はオカシイ!妻の居る男と不倫をして、子供を作ること事態が間違っている。希和子はきっと復讐の為に子供を誘拐したのよ。要は自分の堕胎した子供の代わりに育てただけなのよ。私だったら、まずこの夫は許さない!(恐いなぁ〜)。私は実の母親の恵津子の気持ちが良く判る。恵津子をヒステリー性格に描いているが、一番かわいい盛りの、しかも人格が形成される4歳までを他人に育てられて自分に懐かなかったら、たぶん自分だってこうなる。なんだかこの映画は希和子の行為を認めているかのようで腹立たしい・・・・・・・・・・。」などと言うのだ。

そうか、そういう見方もあるのか。

確かに、この映画に登場する秋山にしろ岸田にしろ男は皆、卑怯でズルイ奴らだと私も思う。

妻子が居るのに、不倫をする人間と言うのは、男も女も、結局は自己中心的で、周りのことなど考えない人間なのではなかろうか?

映画が終わった後に、そのまま温泉銭湯に行って12時に帰宅したが、妻はまだ怒っている。お風呂の中でも、あの映画のことを考えていたら腹立たしくなったと言うのだ。こちらに飛び火しないことを祈る。

あっ、そうそう、夜中の1時に寝ようと思って寝室の電気を消したら、壁掛けの電波時計の針が、急にグルグル回り出し、ひと回りして止まった。以前にテレビで、地震の影響で電波時計の電波が届かなくなったという様な話があったが、ヒョッとしてまた大きな地震でも起こるのだろうか?

妻の怒りがこんな所に伝播して、電波時計が止まったのかもしれない。


■2011-06-22-Wednesday 昔の映像

18日に東京で

マジックの師匠の故ジミー忍(聖忍)(1943.06.26-1996.05.11)師の奥さんのマコママが千歳船橋で経営しているスナック「魔法の小箱」を訪ねた折に、ジミー師の一番弟子のジョニー広瀬さんが保存していた8ミリフィルムをDVDに編集した貴重な映像を数点頂いた。

昭和46〜47年頃にジミー忍師がテレビ出演した際に、そのテレビのブラウン管を8ミリカメラで撮影したものや、堺市のキャバレー王将に出演した際の8ミリカメラで撮った映像、大阪梅田のクラブ大和屋でのトニー・バンドンメルンの演技や日本奇術連盟で演技しているジョニー広瀬さんの演技。1972年のハワイで開催されたPCAM世界大会の島田晴夫さんらの8ミリフィルム。「松浦天海師を偲ぶ」と題したDVD、「バーディコヤマ師の芸能生活40周年と還暦を祝う会」のDVDなどである。

いずれも貴重な資料である。

特に、ジミー忍師の堺市のキャバレー王将での演技は、映像はモノクロで、しかも音が入っていないのが残念だが、バンドの伴奏に合わせて踊りながら、鳩、ファイヤーシンブル、犬出しなどの演技が入っており、当時のキャバレーでの演技の様子が垣間見える貴重な資料だ。

キャバレーでの演技を弟子のジョニー広瀬さんが撮影したものだという。当時はなかなかキャバレーでの演技を写したものは少ないだろうと思う。

ジョニー広瀬さんがマコママに「珍しい8ミリフィルムが押し入れから出てきたからDVDにしてマコママに送るよ」と言って送ってきてくれたものだと言う。

「坂もっちゃんのマジック資料館に保存しておいて」と譲り受けたものだ。

マコママはバンドの音楽が入っていないから、チャップリンのサイレント映画みたいで滑稽だと謙遜していたが、ジミー忍師の演技は今観ても、なかなか個性的であり、しかもダンディーでカッコイイ。

ジミー師のオリジナルのファイヤーシンブルはいつ見ても素晴らしいアクトである。

ジミー師は現在の私と同じ年の53歳で亡くなってしまったが、マジック界は惜しい人を亡くしたと思う。いささか早過ぎる死であった。


■2011-06-23-Thursday マジック教室

昨日22日に

「かちまいアカデミー」(地元の新聞社、十勝毎日新聞社の主催する各種教室)で私が指導する「かんたんトランプマジック」の最終講義を終えた。

この教室は1ヶ月に2回(隔週)の開催で一回の指導時間は90分間、期間は3ヶ月間で計6回の教室なのである。

他の教室はどのように運営しているのか判らないが、マジックをたったの6回で覚えてもらうのは至難の業だと感じている。

基本的なカードの持ち方や、シャッフルの仕方などを教えるだけでは、習う方はつまらないだろうから、極々簡単な、技術を使わないカードマジックも交えながら進めていくのだが、生徒さんの中で進行の差が、段々と出て来るのが一番の困りものだ。

呑み込みの早い人は先に進みたがるし、まだ習得出来ていない人が居る内に先に進むと、その遅れている人は脱落してしまう。全員が一応は出来るようにしてから次の段階へと進むのだが、この匙(さじ)加減が難しい。

およそどの様な習い事だって、自宅での練習はするものだと思うのだが、最初にマジックはタネが分かれば出来ると考えているのか、あまり自宅で練習する人は少ないようだ。私の講習を受けている内に、上達するには自宅での練習が不可欠だと感じてくれるのだが、3ヶ月の期間では短過ぎて、気付いた時には遅過ぎる。

昨日も「これで今回の受講内容は終了です」と挨拶したら。生徒の全員が「次のステップに行きたい」と嬉しいことを言ってくれた。

しかし、このまま全員を次の段階にすると、益々その差が出てきてしまう。もっと期間が長ければ、クラス分けでもして昇級試験的なことをやって段階を上げることも可能だが、3ヶ月で6回の講習ではとても不可能なことだ。

この「かちまいアカデミー」では3ヶ月毎の生徒募集方式であるから、次に「中級マジック教室」を開催して初めての人が入って来ると困ってしまう。「中級」は「初級」を終了した人だけに限るとすると、今度は人数が集まらないだろう。

マジックを習いたい、覚えたいという人に何とか上手く教えてあげたい、マジック人口を増やしたいと考えているのだが、私にも本業の仕事があるし、マジックだけをやっている訳ではないのでこれまた難しい。

一体、他の教室はどのように運営しているのだろうか知りたいものである。

7〜9月は「かちまいアカデミー」はお休みさせてもらったので、この間に抜本的な方法を考えることにしよう。


■2011-06-24-Friday 講演会

今日は久し振りに講演をした。

3月11日の東日本大震災の影響で、3〜5月に予定が入っていた講演会が全部中止になったので、実に久し振りの講演会であった。

今日の講演は、帯広市の隣町の音更町主催の生涯学習での講演である。平日金曜日の10:30〜12:00の時間帯であるから、高齢者の為の町民大学のような感じであった。聴衆は25名ほどであるが、皆さん高齢者だけに礼儀正しく、真剣に聞いてくれるので話がし易い。

大学などの授業でも何度か講義をおこなっているが、学生はザワザワしているし、落ち着きがないので、こちらも集中ができないことが多いのだが、今日はユッタリと気分良くしゃべることができた。

講師も人間だから気分良くしゃべらせた方が、話も面白くなるし、テンポも良くなる。

ぺチャぺチャおしゃべりされたり、携帯電話などの音が鳴ったりするとやる気が半減してしまうものだ。

テーマは「まちづくり」である。

青年会議所の「国際環境大学構想」活動から、「十勝環境ラボラトリー」の話、そしてそこから「北の屋台」の話しへと展開させていった。

今回は時間が足りなかったので、北の屋台の話はいつもの半分位に留めたが、皆さんとても面白がって聞いてくれた。

相槌ひとつで講師は乗るものなのである。

久し振りの講演であったが、とても気分良く話すことができた。

ところで、このところ地球上では随分あちらこちらで地震やら竜巻やら火山噴火などが多発している。

地球がおかしくなっているのか、何万年かにある活動期なのか?

日本の天気もおかしい。

帯広は一昨日まで暑かったのに、昨日は急激に温度が下がって、前日との温度差が14℃にもなった。こんなに温度差があったら老人は体温調節が上手くできなくて大変だろう。事実、妻の両親は一昨日はクーラーで昨日はストーブという生活であった。

今日は息子が住んでいる場所近くの埼玉県熊谷市は39.8℃にもなったという、体温より高い温度の暑さであれば低温サウナに入ってようなものだし、上高地は大雨で土砂崩れが起きたという。いったいどうなっているのだろう。


■2011-06-25-Saturday 帯広市中心街の

帯広市中心街のビルが

ドンドンと壊されていくようで寂しい。

我が社、坂本ビルが地上6階地下1階の「サニーデパート」としてオープンしたのが1969(昭和44)年10月31日のことであった。以来今日まで、まがりなりにも44年間は営業を続けている。

当時の帯広市に我が社の前に建っていた大型の商業ビルディングは1959(昭和34)年の「かじのビル」、1961(昭和36)年の「藤丸デパート」、1966(昭和41)年の「ステーションデパート」、1968(昭和43)年の「金市館」だけで、「サニーデパート」の後には1970(昭和45)年に「長崎屋」、1975(昭和50)年に「イトーヨーカドー」が建った。

この内、現在も帯広市に残っているのは、我が社より古いビルでは「かじのビル」だけになってしまった。「ステーションデパート」と「金市館」はすでに解体されその跡地には別の建物が建っている。

「藤丸デパート」の建物は「北洋銀行ビル」としてこの5月までは使用されていたが、現在は解体を待つだけになっている。

我が社よりも新しいビルの「長崎屋(いせきビル)」はかなり前に解体され、現在は駐車場になっているし、「イトーヨーカドービル」は1998(平成10)年に移転して以来、空きビルのまま十数年間も放ったらかしの状態である。確か1983(昭和58)年の建築だったはずの「ホシビル」もすでに2010年1月に解体され駐車場になっている。ホシビルに至っては、バブル時代にかなりお金を掛けて建築されたビルなのにたったの27年間で解体されてしまった。

時代の移り変わりとはいえ何とも寂しい限りだしモッタイナイ。

建物の耐用年数は法律上は55〜60年あるのに、なぜに壊さなければならないのか?繰り返すが実にモッタイナイことだ。

昨日、西2条7丁目の南西の角に建っていた「チャームビル」という名の2階建ての飲食店が解体工事中であったのを目にした。

一時期、帯広の固定資産税の7割を中心街が負担しているという話しを聞いた事がある。市役所の職員に確認しても教えてくれなかったので真偽のほどは分からないが・・・。

帯広市は市内の中心部にこんなに空き地を作ってどうするつもりなのだろうか?市の固定資産税収入だってかなりの減少をするはずだろうに。

もう少し、真剣に中心街のことを考え直さなければ帯広市は衰退してしまうだろう。市役所は危機感が薄いようだ。


■2011-06-26-Sunday 週刊誌

週刊誌の文春と新潮を読んだ。

昨日の土曜日に買った新潮に「原発対応スポークスマン愛の日々」というタイトルでトップ扱いで記事が出ていた。

N山審議官(週刊誌では実名報道)は、今回の福島第一原発事故の経産省原子力安全・保安院のスポークスマンをしているから、しょっちゅうテレビに顔が映ってはいるが、でも一介の公務員にすぎないだろうに・・・。

記事の内容は「6月17日にN山審議官が同じ経産省の若い女性職員と路上でキスをした。彼には妻子がいるから云々という」という他愛もないものである。

別段どうということのない、恋愛だか不倫だかは知らないが、ごく日常によく見られる光景だろうに・・・。

週刊誌は、この世の中は全員が聖人君子でなければならないとでも言うのだろうか?一介の公務員のプライベートのことを何故にこんな風に書かなければならないのだろうか?

このN山さんは、可哀想にテレビに登場したことによって、カツラまで世間にバレてしまった。

原発事故の本筋とは何ら無関係のことで、週刊誌上のしかもトップ記事で世間に公開するほどの重大な情報なのだろうか?

とても疑問に思う。

どうも日本という国は、政治もメディアもオカシクなっていないか?

ここ最近の菅首相の言動を始めとする政治家の動きは、コメントにも値しないと思っているから書かないでいた。私の筆が腐るからだ。

でもこれはヒョットすると、国民の意識を「もう原発のことなんてどうでもいいや」と思わせる高等戦術なのかもしれない。


■2011-06-27-Monday 東京に

妻が24〜26日まで東京方面に行っていた。

東京方面と書いたのは、厳密に言うと神奈川県であり、埼玉県であるからだが。

妻の用事は大きくは2つ、長女が「ドリーム・オン・アイス2011」という新横浜スケートセンターで開催された、フィギュアスケート全日本代表エキシビションの大会を見るためである。

安藤美姫や小塚崇彦など、男女のシングルの選手、ペアやアイスダンスなどの選手らに交じってシンクロナイズド・スケーティングの日本代表チームとして長女がキャプテンを務める「神宮アイス・メッセンジャーズ・グレース」も出場するからである。

私はまだ、この大会を見たことがない。私に愛犬バニーの世話をさせて、いつも妻が出掛けていくのだ。ことのついでに大学の同窓生と一緒に食事をするらしい。

私も先週、東京で大学の同窓会(私の場合は、全国支部長会議という公職のついでに大学のマジッククラブの同窓と会ったのだが・・・)に出たばかりだから、さすがに2週連続で行く訳にもいかないだろう。

翌日の日曜日は埼玉の大学に通う息子の下宿の掃除に行くという。

息子は、現在大学3年生だが、今月13日からインターンシップという制度で企業に働きに行っているという。

妻曰くは「息子はインターンシップに行くようになってから随分と頼もしくなったよ」と言う。息子も、私の普段の仕事振りを見て育ったせいか、仕事なんて半分遊んでいるようなものだと思っていたらしいが、働いて給料をもらうと言う事が大変だということがようやく分かったらしい。

朝早くに起きて、始発電車のラッシュに1時間半揉まれて会社に到着し、緊張した状態で仕事をする。帰りもラッシュに揉まれて、アパートに着いたら午後9時頃、後はシャワーを浴びてバタンキューと寝てしまう毎日が続いているとのこと。

他人の飯を喰う事は良い経験になっているようだ。

私は、大学4年生の時には、卒業したらプロマジシャンになるつもりだったから就職活動というものをしたことがない。しかも、4年生時の夏休みに帰宅した際に、そのことを父親に話したら「バカヤロー」の一言で強引に父の会社に入社させられたから、他人の飯というものを食べた経験もない。

息子にとっては、今回のインターンシップはかなり良い経験になることだろう。私が学生の頃にはこんな制度は無かったように思うが・・・。

でも、私は学生時代の4年間は、プロマジシャンのジミー忍師に付いて助手をやっていたのだから、今で言うインターンシップの先駆けをやっていたことになるのかもしれないなぁと、息子の話を聞いて思ったのであった。


■2011-06-28-Tuesday 医者の倫理感

26日にテレビドラマ「JIN−仁」が終了した。

最近のドラマでは、昨年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」とともに全編を見た数少ないドラマである。

「龍馬伝」も「JIN-仁」も、同姓である唯一の歴史上の偉人坂本龍馬が登場するので気になって見ている内に面白くなって全編を通して見たのである。

26日に最終回を迎えた「JIN−仁」は現代の医者が、江戸時代にタイムスリップするという、奇抜な設定のドラマであったが、なかなかに面白い内容であったし、最後がどうなるのかという興味を持たせる展開で毎回、毎回楽しみにしていた。

タイムスリップものの常であるが、論理的整合性を求めてしまうと、タイムマシンパラドックスに陥ってしまうから、そこをどう解決するのか興味があったのだ。

案の定、「パラレルワールド」と「歴史の修正力」に逃げたかというお決まりのパターンでややがっかりさせられたが、論理的整合性には疑問点が多かった最終回であった。

このドラマの主題には医者という職業の倫理観というものも含まれていたと思う。

この「JIN−仁」というドラマの最終回と同じ日に、現代の医者が、自分の生命を延命する為に、禁止されている生体間移植を違法におこなったというニュースが流れた。

暴力団に依頼して金に困っている人間で腎臓を提供してもよいという者を探し出し、その提供者と偽装の養子縁組をして手術をしたという。

日本では生体間移植は親族に限られるという法律がある為だとニュース解説者が言っていた。

その提供者は現在行方不明だというし、その提供者の前に、同じ様に養子縁組した提供者とは金銭をめぐるトラブルがあったともいう。

この医者は55歳だというから、まだ死にたくなかったのだろうが、医者が他人の臓器を違法に手に入れて、自らの生命を延命させるという行為は医者として如何なものだろうか?

医者なら、自らの寿命をまっとうすれば良いと思うのだが、この医者は煩悩だらけの金儲け主義の医者なのだろうなぁ。

どだい、医者が人命を救うこと以外の、金儲けの事業なんぞにかまけていてはいけないだろう。そもそもそんな時間があったら、治療に専念すれば良いのだ。その為に高額の医療報酬を貰っているのだから。

妻に「俺が腎臓病になって息子から移植してもらいたいと言ったらどうする?」と聞いたら「冗談じゃぁない。貴方はもう人生を充分に楽しんだでしょう、息子の人生はこれからなんだから、可愛い息子の腎臓を取るなんて絶対にさせない」と言う。それがごく普通の感覚だろうと私も納得した。

金と欲に毒された医者が多過ぎるようで残念なことである。

一方、北大では、医者が酔っ払って、患者の個人情報を紛失したというニュースも流れた。

医者が、正体不明になるまで酒に酔うなよ。自制心の無い医者というのも恐ろしいものだ。

医科大学は倫理学の単位を取れない者に医者の資格を与えてはいけない。ところで、医科大学に倫理学なんて授業が有るのだろうか?


■2011-06-29-Wednesday 触れたくないが

最近の日本の政治に関しては

書けば私の筆が腐ると思っているから、書きたくないのだが・・・。

27日に菅直人首相が内閣の人事を小規模ながら代えた。

この人事を巡っては、与党民主党内でも、蓮舫行政刷新相ははじき出され、海江田経産相は細野豪志が原発大臣に就任して面目丸潰れ、大切な筈の環境大臣は江田法相の兼務だし、これでは???何をやりたいのかまったくの意味不明な人事だ。

自民党は浜田和幸参院議員を一本釣りされて怒りまくっているし、メディアも今回の人事の意味が理解できずにいるようだ。

でも、今回の人事は何の事はない、菅直人の延命策以外の何物でもないだろう。

これだけ、与党も野党も意志の疎通を滅茶苦茶にされて、疑心暗鬼にすれば、決まるものも決まらなくなる。菅直人首相自らが、首相退陣の一応のメド(現在、巷では一応のメドとは目処が立たないことを言うらしい)として掲げたことになっている3つの法案も8月までに成立する目は今回の人事でなくなったろうと思う。

つまり、逆に言えば、メドをメドでなくしてしまえば、いつまでも首相を続けられることになるという訳だから、何と言うすごい延命策だろう。

もはや、この首相は、復興も原発の終息も無関心のようだ。自ら掲げた法案の成立を、自ら破壊しているようなものだからだ。

菅直人は自分の歴史的評価しか気にしていないかのように感じる。今、辞めたら、最低の首相としての評価しかなくなるから、何等かの実績を残してから辞めたいと考えているのだろうが、延命しようとすればするだけ、国会が混乱するだけで何も進まない。政治的空白がもうすでに何ヶ月も続いている。

この状態で、東北の被災者の人達はよく黙っていられるなぁ。

菅直人の名誉欲が日本を滅ぼすことになるかもしれない。

鳩山由紀夫が不信任案で演じたピエロ的な言動が、またしても日本を混乱させたことになる。

国会議員は全員辞職しろ!


■2011-06-30-Thursday 帰国

28日に倉本聰さんが

主宰していた演劇集団「富良野塾」が解散した後に、塾生らが造った演劇集団「富良野GROUP」の公演「帰国」が帯広の隣町の幕別町百年記念ホールで催された。

この「帰国」は棟田博原作の「サイパンから来た列車」を元に、倉本聰さんが作・演出をした作品である。

時代設定は昭和86年というから現代2011年の8月15日の真夜中過ぎ、東京駅のホームから最終電車が発車したところから始まる。

サイパン島沖で戦死した英霊たちが、現代の日本に戻って来て、その変わり様に驚くという物語だ。

「幸せ」とは何か、「便利さ」とは何か、「豊かさ」とは何か、「家族」とは何か等などを気付かせてくれる内容の演劇で、劇中何度も、「ウ〜ン、そうだよなぁ〜」と考えさせられる。

特に尊厳死の問題に関しては、まさしく現代日本の歪みであるように感じた。恐らく、誰もが尊厳死はあって良いと思っているのだろうに・・・。

戦争中の手紙の検閲などが無い分、我々現代人は自由なのかもしれないが、しかし、逆に失ったものもまた大きい。特にそれは人情であろうか?

お金が有ることが、便利さに溢れることが、本当に幸福なのか?

劇中に出てきた「貧幸(ひんこう)貧しくても幸せ」という言葉に、お金に振り回される現代人の不幸と心の余裕の無さを感じた。

ご先祖さまが居たから、今の自分が居るということのありがたさをもっと感じなければいけないだろう。英霊に犬死にだったと嘆かせるようなことはしてはいけない。

私は演劇やミュージカルや寄席などが大好きだ。これも父親の影響かもしれない。幼い時から観に連れて行ってくれたからだ。有り難かったと今も感謝している。

この倉本聰さんの演劇集団が十勝に公演に来た時には必ず観に行っている。

この演劇集団に知人の娘さんが参加しているということもあるからだ。松本りきさんという女性で、父親とは帯広青年会議所で一緒だったし、私の娘が通っていた「アンジュバレエ教室」と「ユニバースフィギュアスケート教室(指導:川原泰子)」で娘らが松本りきさんと一緒に習っていたという関係から、いつも公演のご案内をしていただけるからだ。

松本りきさんは高校生時代に、自宅から遠い場所(西帯広)にある「アンジュバレエ教室」に雨の日も自転車で通っていたという頑張り屋さんだ。この頃から舞台女優を目指してバレエやフィギュアスケートを習っていたという。この公演では中央で踊る主軸のダンサー役で出演していた。

ご両親は、当日も会場受付で裏方さんとして仕事をしていたが、娘が頑張っている姿を目の当たりにしたら、親としても応援したくなるという気持ちは良く分かる。

毎回、倉本聰さんも一緒に来て、舞台の最後には登場するが、杖を付いて歩かれていた。足が悪いのだろうか心配だ。北海道からもっともっと素晴らしい役者を生み出してもらいたいと思う。

話はガラリと変わって、26日の夜中の1:20にまた電波時計の針が回り出した。28日も1:00にまた同じ現象が起きた。

この現象の後、1〜2日後には震度4クラスの地震が起きているからまた心配である。

もしも、この電波の乱れが地震に関係有るなら、地震予知に役立つかもしれないなぁと思った。