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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2024-02-02-Friday 足跡

我が家の庭の雪上に動物の足跡が・・・

通路を除雪した後に強風で粉雪が飛んできて吹き溜まりが出来ている。固まった雪を再度除雪したのだが、それでも粉雪が薄っすらと通路に積もっている。

その雪の上に動物の足跡がクッキリと残っていた。

愛犬はトイ・プードルであるから小型犬であるが、その愛犬の散歩の際についた足跡と比較してみるとかなり大きい動物の足跡だ。

近所に野良犬はいない様だし、近所の猫の足跡とも違う。

以前に我が家の庭を北キツネが通り抜けたことがあったが、あのキツネがまた現れたのであろうかなぁ~?

数年前に、駅南側の「とかちプラザ」の庭で北キツネを見掛けた。そのキツネとおそらく同じ個体であろうと思うが、その後で、我が家の庭を通リ抜けていく北キツネを目撃したのである。その時以来、しばらくキツネを見掛けていないから、駆除されたのかと思っていた。

我が家の近くには、緑が丘公園という広大な緑地があるから、そこに住み着いているのかもしれない。緑ヶ丘公園はカラスの棲家でもある。何万羽というカラスが巣を作っている。

それが、氷まつりの時期になると昼夜に雪像・氷像づくりの作業で人が出入りするものだから、近所の我が家の周りに現れるのである。この時期、夕方になると家の周りの電線にビッシリとカラスが止まっている姿はヒッチコックの映画「鳥」を想起させる怖さである。

連動しているのかどうかは分からないが、カラスと一緒にキツネも人家に近づいて生ごみなどを漁っているのかもしれない。

リスや野鳥などの野生小動物が庭を訪れるのはよいのであるが、リスや野鳥くらいならば大歓迎なのであるが、キツネはちょっと困るなぁ。

キツネはエキノコックスを運んでくる危険性があるからだ。

さすがに帯広市内は、札幌みたいに山が近くにないから、熊や鹿は出てこないが、と書いていて・・・。

そういえば、我が家の子どもたちが通っていた街中にある「帯広小学校」に熊が出没したこともあったし、中心街の我が社の前をエゾシカが走り抜けたこともあったよなぁ~。

自然が近いというのは豊かなことであるが、山に餌が不足すると人家近くにまで降りてくるというからそれでは困る。

先日のニュースでやっていたが、最近の熊の中には冬眠しない「越冬熊」がいるというから、その内に熊や鹿も現れるかもしれないなぁ。


■2024-02-03-Saturday 節分

今日は節分。

「節分」とは?

「各季節の始まりの日の前日のこと」または「鬼を追い払って新年を迎える、立春の前日の行事」とあった。

立春の日付は年により異なるために2月3日とは限らないのだという。

二十四節気においては「立春」は新年の始まりで、節分は大晦日的な日で江戸時代までは一年の締めくくりの日であったとある。

いつものように妻の買い物のお供でスーパーマーケットに行ったらば、駐車場からやけに混んでいる。

節分だから、豆を買い求めての客なのかなぁ~。蒔く豆なんてのは日持ちがするのだから別段、節分当日に買うこともないのになぁ~と思って中に入ったら・・・、

総菜売り場の前にやけに人だかりが出来ている。何でだろう?と思って近くに行ってみたら、そこには巻寿司の山があった。

巻寿司には「恵方巻」のシールが貼ってあって、買い物客はその恵方巻の入ったパックを何個も買い物籠の中に入れていく。

節分に豆撒きする風習は我が家でも昔からやっていたが「恵方巻」とは何なのか? 関西方面の節分の風習らしいというのは、十数年前から知ってはいる。何年か前に我が家でもやったことがあったが・・・

どうやら利にさとい商人が、クリスマスやバレンタインデーのチョコレートやホワイトデーみたいに意図して流行らせたものであろう。

関西方面の風習がもはや全国区のイベントになっているようである。

「恵方」つまり良い方角(毎年その方角が変わるらしい)を向いて、無言で巻寿司を食べ切る風習だという。

恵方巻のパックを見ると「生太巻き」の様である。

我が家では、私は生モノがあまり好きではないし、甲殻類アレルギーが居るからいわゆる「恵方巻」の生太巻きは食べられない。

それに、あんなに太い巻き寿司を一本、無言で食べ切るなんてとてもとても無理なことである。

それでも、去年はあまり良い年まわりではなかったから、縁起担ぎとして恵方巻きの真似事でもやってみようかと思い。細巻きの「かんぴょう巻き」や「新香巻き」を探したのだが売っていなかったので仕方なく売っていた「納豆巻き」の3本入りのパックを買って帰ったのだった。

「納豆巻き」は嫌いではないのだが、一本丸ごと連続して食べ切るのは少々辛いので半分に切って食べることにした。

これではご利益が半分以下になってしまうかも・・・

でも、あんなに太い太巻きを丸ごと口に入れられる口のデカい人って居るのであろうかなぁ?

海苔ってのは意外と口の中に張り付いて残るから、途中で水分を取りながら食べないと喉詰まりしてしまうことも多いのではないだろうか?

意外と危険な食べ物であったりして・・・、それとも命懸けで食べるからご利益があるのかもしれないしなぁ~。

でも、生ものの食べ物であるから賞味期限は短いし、そもそも今日食べなければ意味が無い食べ物だから、売れ残ったらどうするのだろうか。

次に、豆撒きをした後の豆を「年齢の数だけ食べる」という我が家でもむかしからやっている風習をやることにしたのだが・・・

我が家が蒔いたのは殻付きの落花生である。

殻を剥いては皿の上に置いていったのだが、とても66粒は食べられないと思ったので33粒の豆を半分に分けて食べることにした。

これもご利益は半分になったかなぁ~。

半分と半分とで足して一人前ということにしておこう。

あっ、おまけとしてデザートに菓子の恵方巻の「イチゴロール」を半分食べたからこれで1.5倍だな!


■2024-02-05-Monday 東京で雪

東京都心部で大雪というニュース

どれくらい積もったのかと思ったら、たったの7㎝だと云う。

10㎝以下の積雪程度で毎度毎度こんなに大騒ぎをしていたら、雪国に暮らす我々はとても生活などできはしない。10㎝程度でパニック状態を起こしていたのならば北国ではとても暮らしてなどいけない。

ニュースの映像を見ていると、自動車のタイヤを冬用のスタッドレスタイヤに履き替えた車が、ゆるい登り坂の道路で立ち往生している場面が映った。

夏用タイヤでのことならばまだしもだが、冬用タイヤで満足に運転が出来ないなんて・・・。雪道に慣れていないとはいえ、こんなに未熟なドライバーが、雪の日に運転なんてするなよな! それこそ不要不急じゃない外出は控えろよ、迷惑である。

狭い道路で1台が立ち往生してしまったら、他の車も動けなくなって大渋滞を引き起こしてしまう。

この車に乗っていた若者たちの服装は皆、軽装であった。自分たちだけでは動かすことも出来なくてJAFを呼んだと言っていたが、もしも北海道の寒さで冬道にこんな軽装で立ち往生したら、それこそ生命の危険がある。こういうアホが一番迷惑なのである。

東京にだって雪は降る。わずか数㎝ていどの積雪で、こんな状況になるような場所に人口を集中させ過ぎだろう。自動運転の「ゆりかもめ」も止まってしまって乗客が線路(?)を歩いて移動していたが、東京は災害に弱い都市であるなぁ。

東京で交通が麻痺したら、たちまち全国各地にもその影響が及んでしまうのだから、こんな国づくりは誤りだろうに。

札幌だって同様だ。世界中見回してみても、こんな豪雪地帯に200万人もの人口が集まっているのは異常なことだ。

帯広は寒さは厳しいけれども降雪量は少ない地域である。

十勝の西側には2000m級の山が連なる日高山脈、北側には大雪山系が壁の様になっていて、北西方面からの雪を降らせる季節風を防いでくれるからだ。

曇天続きで、ほとんど毎日の様に雪が降る日本海側の豪雪地帯とは異なり、十勝は冬でも晴天の日が多い。

逆に晴れていると、空に蓋をする雲が無いから昼間に温まった空気が上空へと逃げていってしまうので「放射冷却現象」で気温は低くなるが、しかし、寒さに対処するのは、雪に対処するよりもよっぽど簡単だ。

札幌市の除雪費は毎年100億円以上も掛かっている。帯広の屋内スケートリンク場が毎年建造できる金額だ。

帯広でも、春が近くなって、風が南東方向から吹くと、今度は逆に雪雲が日高山脈にぶつかって十勝に大雪を降らせる。

例年3月の彼岸辺りに一晩で50㎝以上の大雪が降る。さすがに一日で30㎝以上もの雪が積もると帯広でも大変な事態となるが、それでも年に一度ていどならば、まだ対処が可能である。

北海道の中心機能を札幌から帯広に移すべきだと以前から言っているが、しかし、北海道でも札幌への一極集中が益々進んでいるが・・・・


■2024-02-07-Wednesday 書店消滅危機

活字中毒である私にとっては、

帯広市から書店が減ることは大事件なのである。

私は、作家の高田崇史の「歴史の謎解き」物の作品が大好きで、ほぼ全作品を読んでいる。

2022年の11月の末に出版された「古事記異聞 陽昇る国、伊勢」も面白くて、早く次の本が読みたいなぁと心待ちにしていた。

通勤途中にあり、自宅からは徒歩5分にある長崎屋の喜久屋書店には、会社帰りにほとんど毎日の様に顔を出していた。

その喜久屋書店で、高田崇史の最新刊で、去年5月に出版された「江の島奇譚」だけは唯一読んでいない本である。この本が店頭に並んですぐに、書店でパラパラと頁をめくってみたのであるが、それまでの高田崇史の本とは趣向が異なっていて、私には面白くなさそうだったので買わずにいたのであった。

それから、しばらくの間は、早く高田崇史の新刊が出ないかと本屋を覗いていたのであるが、なかなか店頭には並ばなかった。

毎日のように覗いていた喜久屋書店が去年の12月で閉店してしまった。

書店で背表紙のタイトルを見て、読みたいと思った本を、パラパラとめくってみてから買う癖がついている。だからアマゾンでは欲しいと思った本以外は買わないのだ。

新聞などの書評欄に載っている本も、私の趣味に合わない本が多い。やはり本屋で実際に、実物を手に取って、パラパラとめくってみて初めて買う買わないを決めたいのである。

高田崇史の新刊本「猿田彦の怨霊 小余綾俊輔の封印講義」が、12月20日に出ることを知ったのだが、しかし、母の入院などがあって本屋に寄る機会が減っていたのである。

妻の買い物のお供でスーパーマーケット内にある書店で新刊本のコーナーを見て探していたのであるが、なかなか発売されなかった。

いつもとは異なるスーパーマーケットでの買い物にお供した際に、隣接する帯広市内に残る書店で一番大きな本屋に立ち寄って探したのだが無い。

書店員さんに訊ねたが在庫が無いと言う。系列店に電話して確認してくれたがその書店にも無いと言う。仕方ないので注文することにしたが、注文品は、中身を見てから買う買わないは決められないと言う。注文品は返品不可なのだと言う。

高田崇史の前著「古事記異聞」は伊勢神宮と猿田彦に関する歴史の謎解きが主題の本であった。今回の本の題名が「猿田彦の怨霊」であるし、シリーズが異なるから、内容が重複する可能性が高いのだが、一応注文を依頼してから書店内を巡って歩いていた。その間に書店員さんが出版社などに在庫の有無などを確認してくれていたのである。

結果は「出版社にも在庫が無い。増刷するか否かはまだ決まっていないので、取り寄せは出来ない」と言う返事である。自分で他所の本屋を探すかアマゾンででも買うしかない。

無いとなると逆にすぐにでも読みたくなる。仕方ないので別のショッピングセンター内の本屋に行くことにした。

その書店の新刊本コーナーに一冊だけ残っていた。パラパラとめくってみたら、猿田彦のことはかなり前著と重複した内容であるが、全体を読みたくなって購入したのであった。

帰宅して、すぐその日の内に読破したが面白かった。

帯広市内最大の喜久屋書店が閉店しただけで、これだけの騒動である。これから読みたい本が市内の書店で販売されていなかったらどうしようか。

札幌への出張の帰りに大量に購入して帰るしかないのであろうか?

デジタルのモノや、読み聞かせモノなどは、あれは本ではない!

本は「紙」でなければならない。本好きにとっては困った世の中になってしまったものだ。


■2024-02-09-Friday ヨーカドー道内撤退

総合スーパーのイトーヨーカドーが北海道から撤退する。

つい先ごろ、帯広店を今年6月に閉店すると発表したばかりであるのに、今度は札幌からも撤退して、北海道内の全ての店舗を閉店するのだという。

苗穂駅に隣接するショッピングセンター「アリオ札幌店」も来年3月頃に閉店するという。

このアリオ札幌店は、数年前に苗穂駅の新築工事の際に北大の建築関係の教授らや、まちづくりの関係者らと一緒に視察したことがあった。

当時の古い苗穂駅には、広い線路用地を南北に横断する歩道橋があって人と自転車は線路の上空を渡ることが出来た程度であった。

説明では、新しい苗場駅は南北を広い横断歩道で結び、アリオとの間に新築するマンションとも空中回廊で結ばれ、豪雪地帯である札幌の冬でも、外に一度も出ることなく駅とショッピングセンターとマンションを行き来出来る施設になるとのことであった。

マンションはまだ完成していなかったが、とても便利な場所になるなぁと感じたのを覚えている。しかも立地としては苗穂駅は札幌駅の隣の駅であり、冬以外なら列車で移動しなくても徒歩ででも移動出来るほど近い場所である。これから高層マンションも数棟が建てられるし、マンションの隣には病院も出来るから、老人が暮らすには最適の場所であるなぁと思ったのだ。

そんな素晴らしい立地にある店舗を閉鎖するなんて・・・

確かに、イトーヨーカドーは衣料スーパーが主流で、食料品部門は弱かったのかもしれない。セブンアイグループでは、セブンイレブンが稼ぎ頭であるから、今更、地方都市のスーパーなんて赤字部門はサッサと切り捨てようという戦略なのかもしれないなぁ。

しかし・・・・・・・・・・・・

すごくショックである。

アリオは、ユニクロやトイザらスなども入居している巨大なショッピングモールである。駐車場も広いし、ショッピング環境は整っている。

この店の交通の便は最高であろうし、立地的にも最高だ、周りの住民数もマンションがこれから沢山建つのであるから増えるのであろうし・・・・、マンションに住む住民にとっても都心にも近くて、マンションの隣には病院まである。しかも、寒い日や雨や雪の日にも外に一歩も出ることなく買い物が出来る。食事も巨大なフードコートもあって時間潰しにも困らない。これだけの好条件が揃っている物件はおそらく北海道では皆無であろうと思うのであるが・・・・

大手の考えることは分からないなぁ~。

確かに、これからの少子高齢化の加速で、高齢者夫婦や片割れが死んで独り身になった人が、自分で材料を買ってきて、自分で食事を作って食べるよりも、一人や二人分程度の量ならばデリバリーの方がかえって美味しいし、材料を無駄にしないのかもしれないなぁ。最近の冷凍食品の味もかなり良くなってきているしなぁ~。

近未来には、野菜や肉を売る店なんてのは、業者専用の店だけになっていて、一般客向けは、出来合いの総菜の、しかも一人前ずつのパックの冷凍食品の無人販売店ばかりになったりして・・・。

各家庭にはコンロも無くなって、調理器は電子レンジしか必要なくなるなんてね・・・。あぁ~嫌だ嫌だ!

これからいったいどんな世の中になっていくのやら・・・。


■2024-02-10-Saturday 書店を救う?

自民党の二階俊博元幹事長が

幹事長就任時の5年間で50億円もの政策活動費を受け取っていたという。1年あたり10億円かぁ~。しかも何に使ったのかを報告する必要がないという。いやはや何とも・・・。

がしかし、1年間に10億円もの大金を湯水の様に使えるというのは、額が大き過ぎてあまりピンとは来ないよなぁ~。どうせ、自分で汗水流して働いて稼いだ金じゃないからジャブジャブと使えるのであろうがなぁ~。

それよりも、私が羨ましいなぁと思ったのは、同じ二階俊博氏が代表を務める政治団体が3年間で3500万円の書籍代を支出していたとのニュースの方である。

以前にこのブログにも書いたが、私は活字中毒みたいに、紙に印刷された活字を読んでいないと落ち着かない読書好きを自認している。だから、私の周りには常に本があって、自宅のベッドの周り、トイレの中にも本が並んでいる。

しかも、本は買って手元に置いておきたい性分なので、図書館は小学生の時以来利用したことがない。

そんな私の図書購入費は、年間で12万円~15万円くらいである。3年間に換算すると36万円~50万円くらいになろうか。

二階氏の3年間で3500万円を、一ヶ月分に換算すると約100万円になる。読書家を自認する私の約100倍の書籍代である。

私は、買った本を捨てられない性分であったから、会社の書庫には数万冊、自宅の本棚にも1万冊以上の本があった(過去形)。

それを終活と称して、数年前から泣く泣く帯広市の図書館や本好きな知人らに寄贈したりして大部分を処分をしてきたのであるが、もしも、私にひと月100万円分の書籍購入費を使わせてくれていたならば、私のビルは全て本で埋まったであろう。そうしたら帯広の書店は閉店しなくてすんだかもしれない。

でも、さすがに読書好きを自認する私でも、月に100万円分の本はとてもとても読み切れないがなぁ~。


■2024-02-11-Sunday 人口減少がもたらすもの

世界的には人口爆発が続いているのだが、

日本では少子高齢化で人口減少が急速に進行している。

岸田首相は就任時に異次元の少子化対策をすると言っていたが、未だに具体策は出て来ない。

つい先日「国民一人当たり月500円の徴収を行って子育て支援金を・・・」と発表したが・・・

こんなお金をバラまいたところで、少子化対策になると本気で思っているのであろうか?

何か新しいことをやろうとしたり、金をバラまくことばかりを考えているようだが、バラまく為に掛かる人件費や手数料などにも多額の金が掛かって、実質の金額は少なくなるばかり、公務員も余計な仕事が増えるだけ、アッホじゃなかろか。

どうやら、政治家は増えるであろうと思っている高齢者たちから金を集めるつもりなのであろうが・・・

その老人の「大量死」の時代がもうすぐやって来る。

この数年間、コロナ禍で高齢者に何度も何度もワクチンを打たせたが、このワクチンは人間の本来持っている免疫力を減退させる副作用があるとも言われている。

コロナでは死ななくても、インフルエンザなど他の病気で死ぬ人が増える可能性があるであろう。

今年、団塊の世代が全員75歳以上になる。

この世代の大量死がもう目前に迫っている。インフレで働き手の給料を上げたところで、すでに退職している老人には何の恩恵もない。物価の高騰は年金生活者にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。

高齢者の懐をあてにしても、空振りに終わる懸念があるだけだ。高齢者はこの3年間のコロナ禍ですっかり外出することが億劫になってしまったし、高齢者は食事も細いし、新しい服も買わないだろう。それこそ何歳まで生きられるのか分からなければ「老後の為に使わずに貯金しておこう」とますます金を使わなくなるであろう。

今後、高齢者の支出額はコロナ禍以前には回復はしないであろう。

人口減少は単なる人手不足だけで終わりはしないのだ。

あらゆることを、これまでの人口増加時代とは逆のベクトルで設計し直さなければならないのに・・・

こんな頼りにならない政府では未来に希望が持てないよなぁ~。未来に対する不安を取り除かなければ消費額は増えない。


■2024-02-12-Monday 麻生太郎氏の講演

自民党副総裁、麻生太郎氏の

講演会というのか政経セミナーというのかが、13:00から帯広駅に隣接するホテル日航ノースランド帯広で開催された。

9日に我社を訪れた知人からひとり5千円もする入場券を頂いたのである。

政治には無関心な私は、つい前日までこのような講演会があることすら知らなかった。

政治にも、政治家にも興味が無いし、普段なら捨てるのもモッタイナイからと誰か他の人に頂いた入場券をすぐにでも差し上げているところであるのだが・・・

失言では有名な麻生氏のことである。

つい先日も、上川陽子衆院議員のことを「おばさん」とか「美しい方とは言わんが・・・」とか「カミムラ」とか名前を言い間違えたり、容姿や年齢を揶揄したりとかでメディアを賑わせたばかりの人物である。

今の私はとにかく暇なのだ。

三連休の最終日で、しかも振り替え休日の月曜日である、別段他に何もやることがない。

何か面白い失言でも放言でも聞けるかもしれないなぁと思って暇つぶしに聞きにいくことにした。

会場は、我が家の近くの徒歩数分で行けるホテルである。散歩がてらに歩いて行くには好都合な距離だ。

幸い、今日の昼間は風も無く穏やかな日であった。

会場に着いたらホテルは満席状態であった。

やっぱり皆、麻生太郎氏の話(放言)を聞きたいのであろうなぁ~・・・・・・・・

だが・・・、麻生太郎氏の話は、失言も放言もまったく無く、極々普通のまちづくりの話ばかりで、期待していたのとは大きく異なり、まとも過ぎて全然面白くなかった。

もっとサービス精神に溢れている人物だと思っていたのに・・・。

エンターティナーだったならば、ここで、中川ゆうこの名前を上川ゆうことかナカムラゆうことか、わざと言い間違えたり、上川よりは美しいとかと言ったりしたならば・・・

でも、まさかお笑い芸人じゃあるまいしなぁ・・・

しかし、期待外れではあったなぁ~。政治家としての当たり前の話をいまさら聞かされてもなぁ~。

あぁ、私はいったい日本の政治家に何を期待しているのであろうか?

日本国のナンバー2のポジションにいる政治家に、失言や放言を期待してるなんて・・・

なんだか自己嫌悪に陥った一日であった。


■2024-02-13-Tuesday ペット

ペットを飼っている日本人は多い。

日本全国の2022年の推計飼育頭数は、犬が7,053千頭で、猫は8,837千頭。この2種が圧倒的に多くて、この他には、魚や鳥や爬虫類などもいるが犬猫に比べれば微々たるものである。

犬派と猫派とに大きく分かれるのではないかと思うのだが、中には犬と猫を一緒に飼っている人もいるようだ。

私はなんといっても犬派である。自分の干支が戌(いぬ)年ということもあるし、猫アレルギーの家族もいるので猫は飼っていない。

猫は犬に比べると身軽であるから、家の中での活動空間がとても広い。猫を飼うと、倒れやすい置物などを高所にも並べることも出来なくなってしまう。

犬ならば、ジャンプしてもせいぜいが数十センチ程度であるから、床から1m程も高い場所であれば壊される心配もないから安心して飾っておける。

何より犬の方が人間に従順であるのが良い。

ペットを飼うと困りもののひとつが「抜け毛」である。

以前に、大型犬のラブラドール・レトリーバーを2頭同時に飼っていたことがあったが、抜け毛の始末には難儀した。特に毛の生え変わりの時期には、コロコロが必需品であった。

犬の寿命は12~15年くらいであるから、飼っている犬が死ぬのを見るのは何よりツライ。2頭が12年と16年の寿命を全うして死んでしまってからは、しばらくの間は「ペットロス症候群」みたいに気分が落ち込んでしまった。

5年前に子どもたちが夫婦二人だけでは寂しかろうと、犬をプレゼントすると言うのだが、高齢者になると大型犬を散歩に連れて行くのも、お風呂に入れるのもかなりシンドイなぁと考えていたら、小型犬で毛も抜けない犬種のトイ・プードルなら良いだろうと買ってくれたのである。

トイ・プードルの運動能力にはビックリした。50㎝位の長椅子にピョンと飛び乗るジャンプ力がある。頭も良くて、人間の言葉を理解しているような行動をする。

つい先日のことである。とある粗相をしたのでキツク叱ったことがあった。怒られたことをチャンと認識していて、夜になっても寝室に来ない。寝室の前のドアのところで寂しそうにしながら待っているのである。

許してあげたら、嬉しそうにして部屋に入って来る。この仕草がこれまた可愛いのだ。

これだから犬は可愛い。益々可愛いがってしまう。、あんまり可愛いものだから、私がついついおやつを与え過ぎてしまって、最近少々太り気味になってきた。

おやつを上げ過ぎると病気になってしまうから、心を鬼にして与えないようにしなければならないのだが・・・

おねだりされると上げてしまい。今度は私がキツク叱られている。


■2024-02-15-Thursday 温かい

2月中旬だというのに・・・

一昨日13日の最高気温は+10.8℃(最低気温−10.1℃)。

そして昨日の最高気温は+12.8℃(最低気温−3.8℃)であった。

今日の最高気温は+5.7℃と一桁にはなったのだが、最低気温が−0.2℃で、まるで寒さを感じない日であった。

この時期に「+(プラス)」で、しかも二桁の+気温が二日続きなんて帯広で生まれてこのかた66年間で記憶に無いことだ。

まるで4月中旬の雪解け時期みたいに、アスファルトの路面が太陽の熱で温かくなっているのであろう、1月23日に一晩で27㎝降った(その後数㎝ずつ降雪があったが)時に除雪した家の周りの雪山がかなり低くなり、その雪山の下の方にある氷の塊も緩んできて白っぽくなっている。

こういう状態で氷の塊が路面から浮いているのを見ると、身体が疼いてきて割りたくなるのである。

鉄製の長い棒で、先っぽがノミ状になった氷割り用の道具で、この氷の塊を砕き、アスファルトから剥がしてから、スコップで雪山の上に乗せ、道幅を広げる作業を2時間近くも、もくもくとやっていた。

なんだか、まるで春がもうすぐそこまで来ている様な気分である。

しかし、まだまだ2月の中旬である。こんな異常な高温がず~っと続くとは到底思えない。

どうせ、3月の彼岸の時期には、帯広にはドカドカ雪が降るのが例年のことだから・・・

数㎝程度ならば除雪作業も良い運動になるのだが、10㎝以上も降ると重労働になるから、もう重たい大雪は降らないで欲しいなぁ~。


■2024-02-16-Friday てっ、言ってるそばから・・・

昨日のブログに

もう大雪は降らないでほしいと書いたばかりなのに、その翌日に25㎝もの降雪があった。

昨日までの+10℃を超える温かい日が続いたことで、庭の積雪もすっかり融けたのに・・・、いきなり降るなよなぁ。

路面が太陽の熱で温まって、その熱がまだ完全に冷めていない時に雪が降ったものだから、アスファルトに接したところの雪が融けてシャーベット状になっている。

朝の5:30から除雪作業を開始したのであるが、25㎝の積雪の下の部分はベチャベチャで、上の部分はサラサラの雪であった。

除雪器のハンドラッセルと云う雪を押していく除雪器だと、雪を押していくと、最初に雪が押されて塊りになり、次にその塊りがロール状に丸まっていく。こうなると重たくて重たくて、このラッセルではそのロール状に固まった雪を持ち上げることが出来ないのだ。

雪のロールをそのまま傍らに置いておき、まずは道幅を広げていく。次にスコップでそのロール状の雪の塊を持ち上げて雪を積み上げていくという二段階の作業を余儀なくされた。

両腕はパンパンになってしまった。腰も腰ベルトを装着して作業したのだが筋肉痛で痛い。肩や首まで辛くなってきた。

5:30~7:00まで自宅の除雪作業をやってから9:00に出社。

13:30に帰宅して、やり残した自宅の除雪作業をやった。

昼間の気温はマイナスではあったものの、快晴であったので陽の当たる場所は、朝除雪作業をしてアスファルトが露出していた部分は綺麗に雪が解けている。まるでロードヒーティングを敷設しているみたいである。

天気予報によると、明日からの数日間は寒い日が続き、日曜日あたりになると、また気温が10℃を超えるらしい。

ヘンな天気である。これも異常気象なのであろうなぁ~。


■2024-02-17-Saturday 整理

重たい雪の除雪作業で、

両腕も腰も悲鳴を上げている。

長期の天気予報を見ると、来週はまた温かくなりそうな気配であるし、ひょっとすると雪が雨になる可能性もあると言う。

雨が降ってシャーベット状になってから、気温が低くなって凍ってしまうと厄介である。だからそうなる前に、道幅を少しでも広げておきたいと思ったものだから、今日も早朝から除雪作業をやってしまったのである。

若い頃だったならば、筋肉痛は、もう一度筋肉を酷使すれば治ったものなのに・・・

脳味噌の方は若いままなのに、身体は自分で思っている以上に老いている様なのである。

ついに腕が上がらなくなってしまったので、これではまずいとマッサージに行くことにした。

歳は取りたくないものである。

会社の備品の整理作業もやっているが、欲しいという人がいる。他ならぬ兄弟姉妹である。どうやら坂本家の血には「モッタイナイ」の遺伝子が組み込まれているようだ。

午後から、会社に下見に来るという。

使わなければ廃棄するだけであるから、使ってくれる人が居るのはありがたいことだ。

これで、整理の方も大方の目途がついた。

坂本ビルの1階に入居していたテナントの「メンズセレクション」さんが2月末日で退店することが決まっているが、明日18日で坂本ビル店を閉店して、広小路の角の元「マコトヤ」さんが入っていた場所に移転する。今はその移転作業中なのである。

いよいよ、後12日で坂本ビルから全てのテナントが退去することになる。

今年1月5日に亡くなった母の四十九日が2月22日であるから、何だか丁度区切りが良いのかなぁとも感じる。

寂しさ、侘しさがこみあげてくるなぁ~。


■2024-02-19-Monday 墓地使用許可証

1月5日に亡くなった母の死亡後の

各種手続きをやっている最中であるが、大方は終了した(と思う)。

22日に四十九日を迎えるが、次は、遺骨をお墓に納骨する手続きをしなければと思い市役所に電話して訊ねてみたら「墓地使用許可証と云うものがあるはずだが・・・」と言う。

探してみたら出てきた。出てきた。

その許可証の中身を見たらば、昭和59年12月に死亡した祖母、そして平成4年5月に死亡した父の遺骨をお墓に納骨したことになっていないのであった。

確か、私の記憶では、当時、霊園の管理事務所にいた係員に「焼骨」した際に焼き場の係員から渡された火葬証明書を示して訊ねた時に「こちらで市役所の方に届けておきますから・・・」と言われたので、それで手続きがすべて終了しているものと記憶していたのだが・・・と市役所の担当者に伝えたらば「32年も前のことですものね、当時はそんなことをしていたのかも・・・」とあやふやなことを言う。

「祖母と父の骨は既にお墓に納骨してあるし、今頃そんなこと言われてもなぁ・・・」と言うと、「許可証を持って市役所1階の戸籍係の7番窓口まで来て下さい。祖母と父の死亡日が載っている、それぞれの戸籍謄本と継承者である貴方の謄本と住民票の4通が必要です」と言う。

これまでに、母の死後の手続きで、各種の謄本も取得済みだし、これまでに祖母と父の死亡時に取得した謄本などの資料も全て一冊にファイルしてあるので、それを市役所の窓口に持って行ったのであったが・・・

市役所の墓地の担当者曰く「手続きには全て原本が必要なのです」と言うではないか。

「死亡日や続柄などが確認出来たらそれでもう良いのではないのか。しかもすぐ隣が戸籍課なんだし、同じ市役所内のコンピュータにデータが保存されているのであるから、わざわざ紙に印字した原本を高い金(4枚で2,150円)払ってプリントして提出しなくても良いのではないのか?」と言ったのであるが・・・

「ダメです。原本が必要という決まりですから」と言うので、しぶしぶ隣の戸籍の①窓口に移って謄本や住民票など4枚をプリントしてもらい、⑦番窓口に提出して手続きを終了したのであった。

いまや銀行などの預金の相続でも、窓口で原本を見せたら、銀行は原本を必要とせずにコピーを取って原本を帰してくれるのに・・・、同じ戸籍課のすぐ隣の窓口で、コンピュータを見たら一目瞭然の事柄なのに原本の提出が必要だというのはどうにも納得できないなぁ~。これこそ無駄の極致であろうに。

クレーマーみたいなみっともないことはやりたくないから、その苦情を冷静に大人しい物言いで窓口の係員に伝えるに留めておいたのであるが・・・

手続きの完了を待ってい間に、墓地使用許可証の入っていた封筒の中身を見てみたら「第16號 墓地使用許可證 」という古い許可証が出てきた。「帶廣市西二條九丁目一六番地 坂本勝 貮等墓地 四坪壙區 此使用料金 拾四円也 右使用許可ス 昭和十二年七月三日 帶廣市長 渡部守治」とある。これは帯広市東8条南14丁目辺りにある「帯広墓地」の使用許可証で祖父の勝が申請した墓地である。

市役所の係員にも見せたら「へぇ~、こんな古いものも持っておられるんですね~」と感心したのか、それとも呆れたのか・・・

まぁ、なんにせよ、これで母の納骨の準備も無事に完了したのであった。


■2024-02-21-Wednesday マジック界の大発見

21日の22:00~22:45にNHK総合テレビで放送された

「歴史探偵」(江戸マジックショー)と云う番組で、世界のマジック界にとっても大変な大発見の発表がなされた。

それは江戸時代の天保8(1837)年に出版された「名陽見聞図絵」と云う尾張藩士が名古屋周辺の風俗のことを書いた本の中に「水中脱出マジック」の「水がらくり桶ぬけ」という手品を演じている場面が絵入りで紹介されていたことを、河合勝(マジック研究家)さんが発見したというニュースであった。

河合勝さんとはメールを交わし合う仲なのであるが、このことはテレビで初めて知った。テレビの中でも発見したばかりであると言っていた。

「名陽見聞図絵」と云う江戸時代の和本は、いわゆる手品の解説本ではない。名古屋近辺の風俗を見聞きした尾張藩士が、その見聞した風俗の内容を紹介した本である。手妻師が水をいっぱいに入れた桶の中に入り、上から蓋をして紐を掛けて出られなくする。その桶に幕を被せると、桶の状態はそのままで手妻師だけが桶の中から脱出することが絵と文章で描かれていた。これは、まさしく、現代でも行われている水中脱出マジックと同じ現象の演じ方である。

「名陽見聞図絵」という本は「公益財団法人 東洋文庫(東京都文京区)」の所蔵と表記されていたから、マジック本の蒐集家である河合勝さんもこの本の存在自体をこれまで知らなかったのであろう。

世界のマジック界では、これまでは、世界で初めて水中脱出マジックを演じたのはアメリカのマジシャンで脱出王と呼ばれたハリー・フーディーニ(1874~1926)であると言われてきた。そのフーディニが水中脱出マジックの「ミルク缶からの脱出」というのを演じたのは1908年のことである。

名陽見聞図絵が出版されたのは1837年のことであるから、その作者が「水がらくり桶ぬけ」を見たのは当然出版以前のことになる。つまり、これまで世界初の水中脱出マジックと言われていたフーディニの「ミルク缶からの脱出」を演じた1908年の70年以上も前に、すでに日本の手品師が水中脱出マジックを演じていたということなのである。

これが一体何を表すのか?

当時の日本のマジック界は世界の最先端を走っていたということである。

これはスゴイ大発見である。

私も日本のマジシャンのハシクレとしても誇りに思うことである。

このニュースが世界のマジック界に伝わってほしいものだ。

この春にオープンするルスツリゾートの追い風になってくれたらありがたいことだ。


■2024-02-22-Thursday 四十九日法要

1月5日に亡くなった母の四十九日法要を営んだ。

法要の日程を考えたら、カレンダーでは明日から三連休であるので、出席者が会社をを休む必要がない連休中におこないたかったのであるが、繰り上げは良いが繰り下げはいけないのだと言う。

今年の2月には10~12日の三連休もあるが、この日程だと少々早過ぎるなぁと考えて、ピッタリ49日目に当たる22日にしようということにしたのであった。

母の享年は満92歳である。すでに下の2人の妹たちは亡くなっているし、母の友人たちも既に鬼籍に入っている方が多い。たとえ生存中でも冬の足元の悪い中を来てもらうのも大変であろうと考えて、兄弟姉妹の家族だけで法要を営むことにした。

母の自宅に集まって、お坊さんには、新しい位牌への魂入れの読経もしてもらった。

坂本家の位牌は、祖父・祖母・父の三人の位牌は「十勝石(黒曜石)」で作ったものである。

それに倣って母の位牌も十勝石で作りたかったのであるが、作ることができる職人が居ないので残念ながら実現できなかったのだ。

仕方なく、見た目が十勝石の位牌に似ている漆を幾層にも塗った会津塗の位牌を探してきて仏具屋さんに依頼したのであった。

出席者は身内だけであるから、かえって和やかに法要を営むことができたと思う。

読経が終了した後は、北海道ホテルの和食レストランに場所を移して会食をし、母の思い出話をした。

去年の12月の母の入院から今日まではなんとなく落ち着かない毎日であったが、四十九日法要が終わって、ようやく一段落着いた感じがする。


■2024-02-24-Saturday ひと段落

22日に母の四十九日を終えて・・・

去年の12月2日の母の入院以来バタバタと落ち着かない日々がず~っと続いていて、クリスマスも大晦日も正月も無い日々であったが、1月5日に母が死去し、2月22日には四十九日法要も終えて、母の死去に伴う諸手続きに関しては、これでようやく落ち着いた感がする。

しかし、同時並行で会社の方の整理もしなければならないので、まだまだユックリすることは出来なさそうである。

何せ、モノが沢山あるのだ。

よくぞまぁこれだけ多くのモノを大事に持っていたものである。

書籍類は図書館、古地図や昔の貴重な道具類は百年記念館、木彫りの熊などの彫刻類は温泉宿などに寄贈して活用してもらうことにした。

会社の物品類は昭和43年竣工の建物であるから56年分のモノがある。事務用デスク、チェアー、ロッカー、宴会用の机、椅子、演壇、ステージ、マイク、スピーカー、アンプ、ライト、音響設備、防犯カメラ、書棚、金屏風、間仕切り、金庫など等が大量にあるのだ。

これまでに大方は、貰ってくれる方を見つけたのだが、引き取り手がいないモノは処分をしなければならない。

いつ頃になったら完全に処分が出来るのであろうか?

最初はモッタイナイという気持ちが強かったが、ドンドンと差し上げている内に、モノに対する執着心が消滅したような感じがして、何だかサッパリした。

これからは、もうモノは買わないことにしよう。


■2024-02-26-Monday 写真はマジック!?「論壇」

2024年2月26日十勝毎日新聞「論壇」掲載

『写真はマジック!?』

「不思議」はマジックの生命であるから、しばしば科学の最先端を使用する。

やがて先端科学が世間に普及して「常識」になるとその演目は寿命を迎える。

「写真」も昔はマジックだった。写真は19世紀初め頃の発明と言われているが、暗い部屋に小さな穴が開いていると、外の景色が上下逆さまに壁に写ることを利用して、16世紀のフランスの画家たちは、その壁に映った像をトレースして絵を描くことで風景画が隆盛を迎えた。このピンホール現象によって壁に写った像を紙に定着させることはマジックであった。カメラの語源である「カメラ・オブスキュラ」はラテン語で「暗い部屋」という意味である。

江戸時代後期に写真が入って来た頃には、魂を吸い取られる魔術だと警戒していた人々も、新しもの好きの坂本龍馬らが写真館で撮ったりし始めると日本中に写真館ができて大流行した。写真が広く一般にも知れ渡るようになると、その仕組みや原理を理解していなくても誰も驚かなくなる。写真は「魔術」から「常識」へとなったのだ。

その写真が20世紀に再びマジックになったことがある。1950年代にソ連のボリショイサーカスと一緒に来日したキオというマジシャンが、観客をカメラで写した直後に客に紙を渡す、するとその紙には客の姿が徐々に浮かびあってくるという演目である。

当時の写真は撮影したフィルムを暗室で現像し、印画紙に焼き付けて乾かす作業が必須で、写真を手にするにはそれ相応の時間が必要なのが常識だったからだ。だが、ポラロイドカメラが発売された途端にまたマジックではなくなった。

フィルムカメラで写した写真は、長らく「動かぬ証拠」としての機能をも持ち合わせていたが、デジタルカメラの登場によりコンピュータを使って画像の編集が可能となったことで、顔だけ他人とすげ替えたり、背景を変えたりなどもできるようになり、写真は動かぬ証拠ではなくなった。

いまや、ほとんどの人がスマホを持っているが、スマホ搭載のカメラは、素人でも簡単に画像の編集ができる。画像編集アプリを入れたら、被写体の年齢や性別なども簡単に変えられる。

生成AI(人工知能)によるフェイク画像が世界中に瞬時に拡散する事態にまでなって、リアルなのかフェイクなのかの判別も難しくなり、写真は真実を写すものではなくなった。

もはや、マジシャン泣かせにとどまらずに、警察泣かせでもあるだろう。

これからいったい何を信じて生きていけばよいのであろうか。


■2024-02-27-Tuesday 参ったなぁ~

せっかく雪が溶けたというのに・・・

一昨日の夜からシンシンと雪が降り積もっている。

例年、十勝では春の彼岸の頃に、一晩で50㎝以上の重たい雪が降るのであるが、今年は降雪量も少ないうえに、2月に気温が+10℃を越える日が続いたりして路面のアスファルトが出ていて、もうすっかり4月の雪解けの頃かと思われるくらいの陽気であったのに・・・。

2月下旬になってまた急に気温が低くなったかと思ったら、天気予報では月曜日に十勝に40㎝くらいの雪が降るという。

26日の朝5:30に起きて外を見たら、まだ雪が降っているし、10㎝程は積もっている。玄関前から車庫の前と歩道の部分の除雪をやったのだが、軽い雪であったのでそんなに辛い作業ではなかった。しかし、雪の降る勢いは益々強くなっている。雪は湿気も出てきて重たくなってきた。天気のデータを調べてみたら帯広市内の26日の降雪量は21.5㎝で27日の降雪量は9.5㎝であった。30㎝超の降雪量には参ったなぁ~。

マイッタと云えば、昨日の十勝毎日新聞を見たら「論壇」のコーナーに私の文章が載っていたので驚いた。

私に割り当てられていた掲載日は来週の月曜日3月4日号のはずなのだ。この3月4日号の締切日は28日の水曜日のはずである。

最近、忘れっぽくなったものだから、締切日を忘れて編集者に迷惑を掛けてはいけないと、とにかく早目早目に新聞社に原稿を提出することにしている。

今回も、早目に提出しようと先週の22日の木曜日に母の四十九日法要が終了した直後に書いて、すぐに提出しておいたのである。

私の特技のひとつは「主題」が決まったら、すぐに文章にすることが出来ることだ。書くことが決まったら1000字程度の文章ならば毎日でも書ける。実際にこのブログはその様にして書いている。

ただ、最近は暇で暇で退屈で平凡な日々が続いているので、ブログに書く様な「事」が起きないものだから、ブログのネタに困っているが・・・

22日は、四十九日法要後の食事会で、ホテルのウェイターの人に兄弟姉妹の写真を撮ってもらった時に、思い付いた「写真」という題であった。

帰宅したらすぐに、忘れる前に書いて、書き終わったらこれまたすぐに新聞社に送っておいた。送っておきさえすれば締切日に遅れることは絶対にないからだ。

文章の推敲は、送った後で担当記者とゆっくりやれば良い。

私の頭の中では、締切日まではまだ数日間あるから、これから文章に磨きをかけようかと思っていたのに、一週早くに掲載されてしまったので驚いたのだ。

本来の2月26日号の論壇の執筆担当者も驚いたことであろう。それともこの方の原稿が飛んだのであろうかなぁ~。


■2024-02-29-Thursday 零(ゼロ)

今日2月29日は閏年の閏日である。

4年に一度、オリンピックイヤーに閏年が巡ってくる。

私のラッキーナンバーは29であるから、2月に29日が四年に一度しか巡って来ないのを残念に感じていた。

その四年に一度の2月29日に、一階で営業していた坂本ビル最後のテナントの「メンズセレクション」さんが退去して物件の引き渡しを受けて契約を終了した。

55年前の1969(昭和44)年10月に父がサニーデパートとしてオープンさせて以来、テナント数が激減した時期もあったけれども、ゼロになったのはこれが初めてのことである。

父の圭司が逝去したのは1992(平成4)年5月であるから、父が社長を務めたのは23年間。

父の逝去後すぐに私が社長を引き継いだから、私が社長を務める期間は今年で33年である。

父が存命中は常務として会社を支えた母は、父の逝去後は会長に就任したが、その母も今年1月5日に亡くなった。父よりも10年間長く務めたことで勘弁してもらうことにしておこう。

コロナ禍発生以来、未来予想力に対して自信を失った。世の中の変化の先取りをする能力に限界を感じたのである。何が何やらさっぱり判らん!

「コロナ禍は人災である」という私の考えは発生当初からまったく変わりない。

伝染病には詳しいかもしれないが、人間社会の有り様や人間心理をまったく理解していない学者連中や政治家どもが、社会を破壊したと思っている。

人と人とのコミュニケーションを破壊した行為は、これから徐々に表出してくるであろう。先日の新聞にも載っていたが「婚姻数の激減」などはその最たるものであろう。婚姻数が減れば、子どもの数が減るのが当然であろう。人口減少を喰い止めるどころか、逆に拍車を掛けたのだ。

コミュニケーションの破壊は、経済だけではない。文化をも破壊したのである。

4年間に亘る、諸行事の中止は後継者を失うことになった。芸能事で4年間のブランクは取り返しが利かないほどの大ダメージである。

コロナへの過剰な対応を推進した連中、そしてそれを後押ししたメディア、それに乗っかって自粛した国民。

この国の国民は、確たる「自己」を持っていないから同調圧力に弱いんだよなぁ~。