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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2014-01-01-Wednesday 元旦

明けましておめでとう。

2014年の元旦を迎えた。

3人の子ども達も全員が揃ったので、まずは母の家で年始の挨拶とお雑煮を食べる。

もう子どもたちにお年玉を上げる必要もなくなったので出費が少なくて楽だなぁ〜。

食べ終わった後に、恒例の大和写真館での家族写真の撮影である。

我が家では、妻と結婚した時から今日まで、ほぼ毎年写真館で写真を撮影しているのだ。途中僅かに数年抜けているが、それは子ども等が学生時代はクラブ活動などで帰郷しなかった事があって、家族5人が揃っていない時には写したくないということで、撮影しなかったことがあったからだが、ここ最近はまた5人全員が揃った時には撮影を続けている。大和写真館では我が家の家族写真を大きな額に並べて入れて飾ってある。

その額に入れた写真を見て、毎年我が家と同じ様に撮影する家族が増えているというから、これまた嬉しい話である。

撮影が終わった後は、そのまま帯広神社に初もうでに行く。

初もうでの後は、妻の実家に新年の挨拶である。義父と義母は「もう孫たちも、お年玉という年齢でもないからお年玉ではなくて、お小遣いを上げる」と言って子どもたちにお金をくれたのであった。いくつになっても孫はカワイイのであろう。本来なら初めて貰った給料で、逆に祖父母にプレゼントをする立場であろうに・・・、子ども達も思わぬ副収入に驚き、また喜んでいた。

カメラを持参して祖父母と一緒に写真を撮影したが、元旦にカメラ屋はまだ開店していない。コンビニの現像はどうも色と紙が気に入らないから、自宅のプリンターで印刷してすぐに届けたら喜んでくれた。

その後に母の家に戻ると、妹家族の5人と弟家族の3人が来ていたので、ここでも集合写真を撮影してすぐにプリントして上げた。なんて便利な世の中なのであろう。

昔のように百人一首やマージャンなどはしなくなってしまったが、去年の12月に結婚した姉の娘(私の姪っ子)の話題になったら、妹の長女も来年結婚すると言う。正月早々におめでたい話が続いている。今年も良い年になりそうである。


■2014-01-02-Thursday 正月二日

年々、お正月と云う気分が薄れていく。

昔のように挨拶廻りもしなくなったし、子ども達と百人一首やトランプなどのゲームをして遊ぶこともすっかりなくなった。

近年の正月の楽しみと云えば「箱根駅伝」を見て、母校駒澤大学の応援をすることぐらいである。

去年の大学駅伝の2冠を既に取っているから、この箱根駅伝を取れば大学駅伝3冠達成ということだ。

駒大は選手の層が厚いとの前評判であるから期待が高まる。

近年、駒大は「復路の駒大」と云われて復路に強いとされているが、去年も復路優勝を果たしてはいるが、総合優勝は日体大に持っていかれている。今年の大八木監督は往路から積極的に行くということなので、往路優勝、復路優勝で総合優勝をする完全優勝をしてもらいたいと願っている。

しかし・・・、なかなか思ったような展開にはならなかった。

今回、往路優勝したのは東洋大であった。

3区で東洋大の設楽悠太がトップに立ち、4区もトップを守った。

去年までの東洋大には5区に絶対的な存在の山の神柏原がいたが、彼は去年で卒業したから、今年は日体大の服部をマークすれば良いのかと思っていたのだが・・・。

この服部よりも東洋大の5区を走った設楽啓太の方が区間賞を取る大活躍であった。

駒大も良く頑張ったが東洋大に59秒の差をつけられて2位であった。

しかし、駒大の9区には絶対的なエースの窪田忍が居るからこの秒差なら逆転は十分可能であろう。

明日の復路が楽しみである。


■2014-01-03-Friday 正月三日

朝早くに

長女が戻って行った。

これから子どもが一人ずつ帰っていくと寂しくなっていく。

娘を送った後に、すぐにテレビを点けて箱根駅伝の復路をスタートから見た。

往路での59秒差は十分逆転出来るタイムだと思っていたが・・・。今年の東洋大の選手層の方が駒大よりも厚かったということであろう。追い付くどころか、7区、8区を走った駒大の1年生が逆に引き離されていく。9区のエース窪田忍にタスキを渡した時点では3分40秒に広がっていた。これでは2分以内なら何とか・・・という作戦が役に立たない。前を走る走者の姿が見えないと追い掛けるのは難しくなる。

結局窪田でも30秒縮めることが出来ただけであった。

今年の東洋大は圧倒的な強さであった。なんせ2位の駒大に約5分もの差をつけているのだから、シード校である10位の大東大との差は22分もある。

箱根駅伝は平らな道路だけを走る訳ではなく、5区の山登りや6区の山下りなどがあるから、選手起用が難しいのであろうが、それだけに見ている方は普通の駅伝よりも面白い。

来年こそは駒大に優勝してもらいたいものである。


■2014-01-04-Saturday 正月四日

朝一番の飛行機で

次女と長男が戻っていった。帯広空港まで送って行ったが、駐車場にはボンネットに雪が乗ったまま放置してある車が多い、無料の駐車場であるから、何日も置いたままにして旅行しているのだろうが、通路にまで停めてあるのは如何なものか。

帯広はまだ雪が少ない地域であるからまだしもだが、もしも大雪でも降ったら、一体どんな状態になるのだろうか?

あれでは除雪車も入れまいから車が動かせなくなる可能性がある。そうなる前に空港側でも対策を講じておく必要があるであろう。

駐車場も満杯であったが、飛行機もどの便も満席であった。いつもこれくらい混んでいれば良いのだが・・・。

17時から北海道ホテルで、帯広青年会議所の1月第一例会と新年交礼会があった。

私は今年度OB会長を務めるので、どちらにも出席して挨拶をしなければならない。

12月の最終例会にも十数年振りに出席したが、セレモニーのJCIクリード唱和のスピードが早過ぎてついていけない。私が年を取ったから口が若い頃のように滑らかに動かないせいなのかと思って周りのOBに聞いてみたら、皆、昔よりもかなり早口になっていると言っていた。

どうやら年のせいではないようで安心したが、唱和なんだからもう少しゆっくりと話した方が良いのではないかと感じた次第である。

例会と交礼会と2回も挨拶をしなければならないが、同じメンバーを前に2回挨拶するのも、なかなかシンドイものである。まったく同じ話をするわけにもいかないし、かと言って、異なる話をするほど引き出しがあるわけじゃぁないし・・・。

まぁ、その場で適当に少しだけ変えて挨拶したが、いつまでたっても挨拶は上手くならないものである。

講演を何度もやっているから人前で上がるということはなくなったが、基本的に同じ話を繰り返す講演と、異なる話をしなければならない挨拶とでは緊張の仕方も違うものである。

今年は、これから何度か挨拶をする場面があるであろうが、少しは事前に挨拶を考えておいた方が良さそうだ。

交礼会終了後に前年度32年会の渡辺会長と次年度34年会のメンバー数人と幹事長である37年会の永井君らと一緒に街に飲みに出掛けた。

32年会は渡辺会長、33年は私一人だけの出席、来年の為に事前に勉強に来ている34年会。年度によっていろいろと特色があって面白いものである。


■2014-01-05-Sunday 正月五日

昨年12月30日から

続いている長い年末年始の休みがようやく今日で終わる。

旅行に行くわけでもないのに、こんなに長い期間自宅でゴロゴロしているのは逆に疲れてしまうものだ。

ここ1週間毎日毎日、喰っちゃぁ〜寝、喰っちゃぁ〜寝をしているものだから、一昨日に行った銭湯で測った体重が、私のこれまでの人生上の再重量になってしまった。

最後の日曜日もこれといってすることがない。昼間はベッドの中で読書三昧で3冊の本を読んだ。

夜はNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が始まる。

私は歴史物が好きだから大河ドラマは好きでよく見ているが、今回の主役の黒田官兵衛を、妻が大好きなV6の岡田准一がやる。

去年の大河ドラマの「八重の桜」はいつも18時からのBS放送で食事をしながら見ていたのだが、岡田准一ファンの妻は、今回は食事をしながらではなく、落ち着いて見たいということで20時からの本放送で見ることになったのであった。

見終わった後に、チャンネルを回していたらTVHの「今夜歴史が変わる!?たけしが暴く古代の謎 新・世界七不思議 大百科スペシャル」という私の大好きな分野の番組に出くわした。

面白くて全部見ていたが、第二部のミャンマーの仏教遺跡のコーナーで上智大学の石澤良昭教授が登場した。

石澤教授は帯広市の出身で懇意にさせていただいている方だ。

去年、ミャンマーの遺跡の研究をしているとは伺っていたのだが、まさかこの番組に出られているとは思わなかったので驚いた。

なにせ、去年の12月には、この石澤教授と何度もメールのやり取りをしていたからだった。(長くなるので、この詳細は後日に廻すことにする)


■2014-01-06-Monday 仕事始め

正月も休み過ぎると身体がなまる。

ようやく今日、6日から仕事始めである。この休みの間、随分手紙が来ていたが、その中に「何度もメールしたが戻って来るので手紙を書いた」というものが3通も入っていた。そこに更に「メールが入らないから電話した」との電話が入った。

クリスマスから年末に掛けて、写真入りのメールのやり取りが多かった為に容量をオーバーしてしまったようである。今年はやけに年賀のメールが入って来ないなぁ〜と思っていたのだった。

あわてて不要なメールを削除してようやく元に戻った。

会社で年頭の挨拶を済ませた後、11時半からノースランドホテルで帯広市の新年交礼会に出席した。十数年振りの出席である。新年交礼会はJC、帯広市、勝毎と続くので、同じ顔ぶれで挨拶するのも面倒だから、帯広市の交礼会はず〜っと欠席していたのだが、今年はJCOB会長として出席しなければならないのだという。

昔は「迎賓館」という市役所の隣の会場でおこなっていたが、そこが取り壊されたのでノースランドホテルに会場が変更になったという。会場が変わってからは初めての出席である。

久し振りに「帯広市歌」を聞いた。「ゴジラ」の曲を作曲した隣町の音更町に住んでいたことのある伊福部昭の作曲である。荘厳過ぎて覚えられないのが難点である。

以前は一千円の会費を取っていたが、去年から無料になったとのこと、乾杯用に牛乳が出てくるだけであるから、簡素化されて良いが出席者名簿も無くなった。まぁ、見知った顔を見掛けたら挨拶をするが、昔から他人の顔と名前を覚えるのが苦手であるから、名簿が無いと誰だかよく判らないので、どうもこういう交礼会のような行事は不得手なのだ。


■2014-01-07-Tuesday 松旭斎天一

年末のヤフーオークションで

手に入れた、明治の奇術師で近代マジックの祖と言われる「松旭斎天一」の掛け軸の文字が全て判読できた。

年末に、帯広柏葉高校の書道教師である八重柏冬雷先生に判読の依頼をしておいたのだが、6日に会社に行ったら八重柏先生からお手紙が届いていたのである。

『 誰 将 螳 蜋 試 逆 車 当 軍 之 事 勝 嘆 磋 山 河 百 戦 只 枯 骨 功 罪 千 秋 空 白 沙 

 庚子秋季於淡洲福良鳴海舘書 旭天一 』

と書いてあるそうな。

この漢詩は天一自作の漢詩であると伝記本に写真付きで載っている。漢詩自体はその伝記本に上記の様に活字でも書かれていたので意味は判らないが文字だけは判っていたのだ。しかし、「庚子(かのえね)」の次の文字からの判読が難しかったのだ。

達筆な人のくずした文字は玄人でもなかなか読むのが難しいのであるから、普段から書に慣れ親しんでいない私にはさっぱり判らない。

それでも、江戸時代に書かれた「和妻(わづま)」(奇術の昔の言い方)の本を判読する為に購入した「くずし解読字典」で調べることを、これまでにも何度もやっているから50%くらいは当たっている。

特に、今回はヒントが沢山あったので、まるでクイズを解くような面白さがあった。

何せ私の所には、マジック関係書籍や資料が1万5千冊ほどもある。その膨大な資料の中から「奇術師一代 松旭斎天一の生涯(品川書店刊)青園謙三郎著」・「明治のスーパーマジシャン 天一一代(NTT出版刊)藤山新太郎著」・「明治の演芸・演芸資料選書1(国立劇場芸能調査室刊)倉田喜弘編」などを選び出して調べてみると面白いことが判明したのだ。

「庚子(かのえね)」は明治33(1900)年とある。

資料では天一一座はその明治33年の9月末に淡路島の福良町にあった鳴海館という劇場で興行をしていたという記録が見つかったのである。

そのヒントから、ミミズがのったくったようなくずし文字が、「秋季」や「福良」や「鳴海舘」と読めたのである。

最初、私は「庚子秋季(松)(飛)(砂)福良鳴海舘(為)旭天一」と読み解いたのであったが( )の中の文字が違っていた。

これらの情報を一緒に八重柏先生に送っておいたのであったが、先生は「庚子秋季(於)(淡)(洲)福良鳴海舘(書)旭天一」と読み解いて下さった。淡路島を昔「淡洲(たんしゅう)」とも云ったそうである。ここでも資料が活きたようだ。

私が最初に「松」だと思った字は「於」という文字であった。私が最初に「飛砂」と読んだのは福良は飛砂防止の工事をしているという情報からだったが、これは間違いであった。「飛」が「淡」で、「砂」と読んだのが「洲」であったとは・・・。

しかし、これで意味が全て繋がった。

資料にある天一の興行スケジュールとも合致している。天一は舞台上で揮毫して客に渡していたと云うから、明治33(1900)年に淡路島の福良町の鳴海舘で書かれたものであろう。

鑑定に出すまでもなく、天一の真筆に間違いなかろうと思う。すなわちこの掛け軸は天一47歳時の作品である。


■2014-01-08-Wednesday 新年交礼会

今年は青年会議所OB会の

会長を務めているので、いろいろな団体の新年交礼会に顔を出さなければならない。

4日の青年会議所、6日の帯広市、そして7日の十勝毎日新聞社グループと立て続けに新年交礼会が続いた。

どの交礼会も出席者は同じ様な顔ぶればかりであるから、私は例年、勝毎の交礼会だけにしか出席していない。

勝毎の交礼会は、無料で美味しい北海道ホテルの食事が食べられるし、挨拶は林社長一人でだけで短いし、出席者の数も多いから、この交礼会ひとつだけに出ていれば年初の挨拶もほとんど済ませられるので楽でよいのだ。

この3つの交礼会の内、勝毎のものが出席者数が最多であろう。おそらく500名超の人が出席していたのではなかろうか?

昼の12時に始まり、食事は会場の周りに屋台風になっている所から自分で取ってくる立食形式である。蕎麦、寿司、てんぷら、ローストビーフ、豚角煮、チーズ、パン、フルーツ、ケーキなどが揃っている。最近太ったせいか、立食は1時間が限度なので、一通りの食べ物を味見してお腹一杯になったところで早々に退席した。

帰りにはお土産のチーズケーキとサブレまで手渡された。

これだけの人数を招待して、飲食を提供し、お土産までくれるのだから、年々出席者が増えるのも道理である。しかし、結構な経費が掛かっているのであろうなぁ〜。さすが、勝毎グループというところをアピールしている。

この勝毎の交礼会には文化系の画家や舞踊家や書家の方々も出席されているから、前日の帯広市の交礼会の出席者の顔ぶれとは少し異なっていた。

新年交礼会はまだまだ続く。


■2014-01-09-Thursday 石澤先生1

先日のブログでアンコール・ワット研究の

世界的な第一人者である上智大学の石澤良昭教授と昨年の年末にメールで何度もやり取りしていたと書いたが・・・。

実は、去年の11月初旬に、私の会社の隣の浅野カメラ堂の浅野祐一さんから「石澤先生のカンボジアでの研究支援の為に、また自動車を寄付することにした。近日中に石澤先生からお前の所に電話が入るようにしてあるから、坂本、お前に手配の一切を任せるのでまたよろしく頼むな!」と仰せつかったのであった。

石澤良昭先生は帯広市の出身で、帯広三条高校を卒業されて上智大学に進学された方で、カンボジアのアンコール・ワットの遺跡調査では世界的な権威の学者である。

私は1995年に帯広青年会議所で大学問題担当の副理事長を務め「帯広市大学設置審議会」の委員に井上理事長の代理で出席していた。この審議会の副委員長を務めておられたのが石澤良昭上智大学教授であった。

以来、親しくお付き合いをさせて頂いているが、1996年に活動を開始した「十勝環境ラボラトリー(TKL)」のプロジェクトのひとつである「国際環境大学公開講座」の第47回の講師として2000年7月21日に石澤先生を招聘したのであった。

この時、事前の新聞の広報記事を見た浅野祐一さんが聴講したいと申し込んで来られたのであった。浅野さんも石澤先生と同じ帯広三条高校、上智大学の出身であったからだ。

講演の題は「アンコール・ワット〜大伽藍と文型の謎〜」というものであったが、石澤先生の活動に共感した浅野さんが懇親会の席で自動車の寄贈を申し出たのであった。

というのも、土曜日の21時から放送しているテレビ「日立世界不思議発見」という番組で、石澤先生の活動が、ちょうどタイミング良く帯広に来られる直前に紹介されたのであった。その放送の中で「トヨタ」のランドクルーザーがカンボジアのぬかるんだ道路で動けなくなっている場面があったのだが、その番組を見ていた浅野さんが「ぬかるんだ道路でも走れるような車を寄贈しますよ」と言い出したのである。

「坂本!そんな車はないのか?」と私に聞かれたが、自動車のことには疎い私は「スズキのジムニーなら浜辺の砂浜も走れるそうですからジムニーはどうですか?軽自動車なんだから値段も100万円くらいじゃぁないでしょうか?」とまるでデタラメなことを言ってしまったのだった。「そうか!それくらいの値段なら寄付しますよ」と浅野さん。その場で自動車を寄贈することが決まったのだが、「手続きの一切は坂本お前がやれ!」とのこと。

後日、ジムニーは100万円の倍以上もする車だということが判明したのだが、浅野さんは「男が一旦寄付すると言ったんだから、今更値段が高いから止めますとは言えんだろう」と男らしいことを言う。

結局、石澤先生の希望で同じ値段なら大人数が乗れるボンゴタイプの車が欲しいということになって車種はトヨタのハイエースになり、年内にカンボジアに届けられたのであった。

そしてその「浅野号」の贈呈式をカンボジアで行うことになり、私も浅野さんに同行してカンボジアに行き、アンコール遺跡群を世界的な権威である石澤先生の説明を受けながら見て回るという贅沢と云うか幸運に浴したのであった。(つづく)


■2014-01-10-Friday 石澤先生2

2000年に寄贈した

その「浅野号」がカンボジアの舗装されていない悪路を13年間も走り回ったものだから去年、ついに廃車になってしまったのである。

昨年の秋に上智大学の100周年記念式典に浅野さんが出席した際に、その話を聞いた浅野さんは新しい車の寄贈を申し出たとのことで、今回も「坂本!お前が手配一切をやれ!」と仰せつかった次第なのである。

こういう善行の下働きはやっていても楽しいから喜んで引き受けたのだが、11月中旬になっても石澤先生から連絡が来ないので、その旨を浅野さんに伝えると「先生は遠慮されているかもしれないなぁ、坂本!お前の方から先生に連絡してみろ!」とのこと。

すぐに上智大学の「アジア人材養成研究センター」の石澤先生宛てに手紙を出したら、すぐに連絡が入って「本当に浅野さんのお言葉に甘えてもよろしいのでしょうか?」と遠慮がちに言われるので「浅野さんの気が変わらない内に手続きをしましょう」と答えておいた。

先生は12月初旬にカンボジアに行くので現地のスタッフと車種などの検討をしてから連絡するとのことだった。

一旦、日本に戻ってきて12月17日には車種も決めたいのだが云々というメールが入ったが・・・。

これが結構な値段がする車である。すぐに浅野さんにその旨を連絡したら即OKだと云うではないか!

ウ〜ン、さすが太っ腹ら〜!ゴルフをやる時もこれくらい太っ腹なら良いのに・・・。

石澤先生は12月23日に再度カンボジアに行って、そのままカンボジアで新年を迎えると云うが、出来ればその時に現地で購入したいと言う。だが、そうなると金曜日の20日までに全手続きを終えなければならないのだった。

実質2日間しか時間の余裕がなかったので、結構忙しい思いをしながら手続きを終えた。

石澤先生からは「素晴らしいクリスマスプレゼントになりました。ありがとうございます。」とのメールを頂いたのであった。

正月に届いた写真には、カンボジアで購入した新車の横でほほ笑む石澤先生の姿が写っていた。

この話は石澤先生が帰国後に、複数の新聞社に報告をして記事にしてもらうとおっしゃっていたから近日中には新聞記事になるであろう。

そして、メールには再度カンボジアで贈呈式(僧侶に安全祈願のお祈りをしてもらう儀式)をするから、浅野さんと私にまたカンボジアに来て欲しいとも書かれていた。

カンボジアにはすでに数回行っているから、浅野さんとは「今度はミャンマーに行きたいですね」と話している。石澤先生には5日のテレビでやっていたミャンマーの仏教遺跡を案内してもらいたいとリクエストするつもりである。


■2014-01-11-Saturday トリック

映画「トリック」

劇場版ラストステージを観てきた。

例によって、夫婦50歳割引き制度でひとり1000円という値段である。

私の趣味がマジックであるから、マジック関係の映画は一応観ておきたいのであるが、妻はこの手の映画はあまり好きではないようだ。しかし、一人で1800円を払って観るよりも、もう200円払って2人で観た方が得であるから誘ったのである。

この「トリック」は2000年の金曜日の夜のテレビ番組が始まった第1回放送から全部観ている。

マジックや超能力が題材として扱われていたからなのと、当時、まだ新人であった仲間由紀恵が好みであったのが理由である。

いまでこそ、11時過ぎの深夜ドラマは悪ふざけ的な演出のドラマが多いが、2000年当時はかなり珍しい演出方法であった。

エンディングでかかる鬼塚ちひろの「月光」も良かった。

段々と人気が出てきて劇場版が製作されるようになったのだから、多くの人に受け入れられたのであろう。

今回の映画版の監督は堤幸彦であるが、テレビ版でも何本か監督を担当しているという。

堤幸彦は映画「20世紀少年」などでも、超能力や新興宗教などの危うさをテーマを扱っているが、トリックではかなり茶化した演出をしている。堤監督はこの手のモノが結構好きなのかもしれない。

小道具的なモノとして阿部寛演じる「上田次郎」の著作物が作品中に出てくるが、これ等を実際に出版もしているから、悪ふざけもここまでやると愉快である。

ちなみに、上田次郎は日本科学技術大学教授という肩書で、「どんと来い、超常現象!」や「上田次郎のなぜベストを尽くさないのか」などを出版したことになっている。

仲間由紀恵演じる自称超天才美人マジシャンの山田奈緒子も「超天才マジシャン山田奈緒子の全部まるっとお見通しだ」を出版している。マジック関係書籍を収集している私は、当然ながら全部購入した口だ。

今回も「日本科学技術大学教授上田次郎の人生の勝利者たち」を本当に出版しているそうだ。

この映画の最後の場面の意味が良く判らなかったなぁ。あれは一体どういう意味だったのだろうか。


■2014-01-12-Sunday 日曜日の

12日日曜日の過ごし方

午前中に帯広青年会議所が氷まつりの安全祈願祭をするが、OB会長は出席不要とのことなので助かった。何せ猛烈に寒いからだ。今年の帯広は雪が極端に少なくて、元旦にパラッと降っただけ。北海道の他の地域のニュース映像などを見ると余所は結構な量が降っているようだが・・・。

これだけ少ないと氷まつりの雪像を作る為の雪も足りないだろうと思っていたらパラパラと雪が降ってきた。安全祈願祭ではなくて降雪祈願でもやったのかな。

農家の人も雪が少ないと困るようだ。雪が断熱材の役割を果たして土が凍ってしまうのを防いでくれるのだが、今年のように極端に雪の量が少ないと寒さがもろに土の中にまで浸透して土が深くまで凍ってしまい、氷解けが遅くなってタネ蒔きが遅くなってしまうとのこと。

スキー場もゲレンデに雪が無くて困っている。

多過ぎるのも困りものだが、少な過ぎるのもまた困りものである。

自宅で本を読みながらテレビをつけていたら、ケーブルテレビの帯広シティケーブルで成人式の中継をしていた。

ちょうど画面は米沢市長の挨拶が終わるところであったが、会場がヤジで騒然としていたかと思ったら、終了間際に十数人の新成人の男が壇上に上がりマイクを手に取ったり、演台を蹴りとばしていたりした場面が映ったのでビックリした。

係の人に降ろされて、乱闘などにはならなかったようだが、何とも情けない奴らだ。成人としての社会のマナーも判っていない連中だ。帯広の成人式にもこんなバカが出現するとは・・・。

米沢市長もそそくさと壇上を去らずに、彼らを一喝してやれば恰好良かったのに・・・。

夜21時から面白いテレビが重なった。ひとつは「全力教室」でマジックをやるし、もうひとつは昨日観た映画「トリック」の新作スペシャルを放送するのだ。どちらも見たいから2台のテレビを点けて見ていたのだが、どちらにも集中できないので、マジックの方をビデオ録画して「トリック」の方を見た。

昨日観た映画につながるエピソードがいくつか出てきたが、これは昨日封切りだった映画を観ていなければ判らないエピソードである。例えば「ミサンガ」など・・・。

つまり、初日に映画を観てくれた客へのサービスということなのだろう。堤幸彦監督はなかなか面白いことをやる監督だ。私もこう云う仕掛けは大好きである。


■2014-01-13-Monday 糠みそ漬け

年末に甕(かめ)に入った

焼酎を頂いた。この正月で飲み切って、さて、この空いた甕をどうしようかと思案していたら、妻が糠みそ漬けでもしようかなと言い出した。

どうやらNHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」の影響のようだが、糠みそを漬けるには丁度良い口の広さと大きさである。

元より私は漬け物が大好きであるし、特に茄子やカブの糠みそ漬けは大好物なのである。

早速、近くのスーパーに糠みそを買いに行ったが、暮れの漬け物シーズンは既に終了しているから、初めに行った店には糠みそが売っていなかったのだ。

もっと大きなスーパーに行ってみたら売っていたので購入してきた。最初はキュウリで馴らして、後から茄子やカブを漬けるという。

妻はセロリのぬか漬けが好きだと云う。妻の実家では皆が好物だと云うが、坂本家ではセロリは誰も食べないから、妻は好物のセロリを料理しない。しかし、糠みそにはセロリを入れたいと云う。

私はセロリが嫌いだから、妻は漬けたセロリを徒歩1分の実家に持って行って美味しいと喜ばれたと云う。

私も今日は茄子が美味しく漬かったのでご飯がすすんだのであった。昔は茄子は夏にしか食べられなかったのに、何だか季節感が感じられないが、冬の茄子なのに皮もそれほど固い訳でもなく美味しいのだから、ハウスものというのも便利なものである。

でも、やはり旬というものを大切にはしたいものだ。少々複雑な心境である。

しかし、ぬか漬けは美味い!これでまた食事の楽しみが増えた。

妻も糠みそを混ぜると手肌のシミに良いと言って朝晩混ぜているから、これで、飽きずに続けてくれればきっと良い糠床になるであろう。


■2014-01-14-Tuesday 温泉で

14日に市内の温泉銭湯に

行ったが、そこでとある事態が生じた。

80歳台と思しき老人が、洗い場で転倒したのである。

私はその転倒した場所からはかなり離れた所で身体を洗っていたのであるが・・・。

転倒した瞬間は見ていないが、状況から判断すると椅子に腰かけようとしたが、椅子が後方にズレてしまい、そのまま腰を落としてしまったようである。

椅子がサ〜ッと床を滑っていく音の後に、ゴンとお尻を床に着いた大きな音がした。その音に驚き、音のした方向を見ると、老人が床に腰を落として足を前に投げ出して座っている。周りにも数人の人が身体を洗っていたが、一瞥しただけで誰も助けに行かないのである。

一番離れた場所に居た私も、その老人の方をしばし眺めていたが、この老人がなかなか立ち上がらないので、身体の石鹸をすぐに洗い落して老人が倒れた場所に向かったのであった。近くに居た人たちは薄情な人ばかりなのであろうか?

この老人は顔見知りの人であった。先方は私のことを知らないであろうが、Iさんという方でご意見番として鳴らした方である。

この手の方はプライドが高いから、手助けをしようとすると逆に怒られる可能性がある。

しかし、「起こして欲しい」と言われたので抱え起こそうとしたのだが、足を投げ出している状態であるし床が濡れているから、これが結構難しい。

湯船に入っていた若者が手助けに来てくれたので二人で抱えて脱衣所まで運び、銭湯の人に伝えてから、私は再度湯船に浸かって身体を温めてから上がった。

すると、まだこの老人はベンチに座ったままであった。

誰かが脱衣かごを老人の前に置いてあげたようであるがパンツが上手くはけないようである。後ろにそっくり返ってベンチから落ちそうになるので後ろで支えようとしたり、「着替えをお手伝いしましょうか?」とも言ったのだが「自分で出来る」と言うのですぐ近くで注視するに留めておいた。

奥さんと二人で来ているようなので、銭湯の人にその旨伝えてから、私は休憩所で妻を待っていた。

私が休憩所で待っている間にすっかり回復してシャンシャンと歩いて出てきたから安心したが・・・。

どうやら、急な温度変化でめまいがしたようである。低いお風呂場の椅子に座ろうとして転んだから、高さは大したことはないが、痩せておしりの肉も落ちているから尾てい骨でも打って骨折でもしようものなら大変な事態になるところであった。

このところ外気温が異常に低いから、体温調節が難しい老人には、この季節の温泉は危険である。


■2014-01-15-Wednesday 東京都知事選挙

東京都知事選挙であるが

どうやら、候補者が出揃ったようである。

元首相の細川護煕(76)が正式に立候補を表明した。その横に、これまた元首相の小泉純一郎(72)が立って支援を表明したから、かなりややこしいことになってきた。

細川氏は反自民を掲げた日本新党を率い、反自民党を結集して首相になった人だし、その自民党の首相であった小泉氏と連携するとは・・・。

この細川氏は佐川急便から1億円を借りたという問題を自民党側から追及され、説明が上手く出来ずに首相就任後わずか9ヶ月ほど(1993年8月就任、1994年4月辞任)で辞任してしまった経緯がある。

今回、知事選が行なわれるのは、先に都知事を辞任した猪瀬氏が徳州会から借りた金額5千万円の説明が出来なかったことにあるのだから、細川氏がその倍額の1億円を借りたのに、その説明が出来ずに辞任したという問題があるところがネックになるであろう。

20年も前の話であるから既に時効ではあろうが、構図が同じというか経緯が経緯であるから、スッキリとはいかない。

果たしてこの部分がどうなるのであろうか?

小泉氏は郵政民営化と同じように得意のワンイシュー選挙を仕掛けているようだが、脱原発が都政に直結するのか、都民がそのことに関心が高いのか?または76歳の高齢だということもネックになるだろう。

小泉氏の過去の成功体験が、今回はそのまま通用はしないだろうから、舛添氏との一騎打ちになる気配であろう。

まぁ、今回は東国原が出ないだけ、まだ候補者はましな方であるが・・・。


■2014-01-16-Thursday JR北海道の

JR北海道の相談役である

坂本真一(73)さんが入水自殺をしたというニュースが流れた。

2011年9月には当時の中島尚俊社長が自殺しているが、これでJR北海道の社長経験者が2人も自殺したことになる。

坂本真一さんとは北海道開発委員会で8年間一緒に仕事をしたし、観光関係のシンポジュームなどでも数回一緒に仕事をしたことがある。

同じ坂本姓ということもあって、何かと気に掛けてくださった。

とても自殺をするような人には見えなかったが・・・。

死因は溺死ということだから、極寒の余市の海に生きたまま入水したのではないかと推測されるという。

しかし、何故?!

これまでのJR北海道の一連の事故や不始末の原因は、まだ何一つも解明されていない。

日本人の気質として、死者に鞭打つような行為はするべきでないという風潮があって、死者が出たら捜査は終了みたいなことが多いが、今回の事は客を乗せて安全に運ぶという使命を持った公共交通機関の問題だから、死者が出たからと云っても、このままうやむやに済ませる訳にはいかないだろう。

かえって坂本相談役の自死が原因解明の妨げになってしまう可能性もあるだろう。もしも、そう云う事態にでもなったら、JR北海道の再生の妨げにもなってしまう。

これから捜査されることに対して自身のプライドが許さなかったのかもしれないが、これは後々、無責任と誹られる可能性もある。むしろ積極的に原因究明に尽力するべき立場であったろうと思う。

傍から見ていると判らないが、JR北海道の闇はかなり深いのかもしれない。


■2014-01-17-Friday 言葉づかい

自分ではさほど気にして

はいないが、他人が聞くと気になるものに「言葉づかい」がある。

私が自分の母親に対して「も〜う、かなりボケてんじゃぁないのか?、この前、言っただろう・・・」などと話す言葉づかいを、妻が聞いていて「あんなにキツイ口調で言うなんて失礼でしょう」と注意する。

確かに、傍で聞いていたら、実の親には結構きびしい言葉づかいをしているようであるし、それを近くで聞いている方は何だか嫌〜な気分にもなるのであろう。

しかしである。その私に注意していた当の本人の妻が、自分の親に対して話している言葉づかいを聞いていたら、これが結構、私以上にキツイ言葉づかいで話しているのであるから・・・。

話している当人は、おそらく気付いていないのかもしれない。

親も80歳を過ぎると、身体の動きもスローモーになるし、頭の回転もかなり鈍くなっている。

母は、昔からもの忘れの傾向が強かった人だが、ここ最近は、朝言ったことをすぐ昼には忘れたり、トンチンカンなことを言うこともあるようになった。いわゆる認知症というかボケというか、そういう症状に近いのであろう。

人間、歳を取ると暇になるからだろう、ある事が気になりだすとその事ばかりを考えてしまうのかもしれない。こちらは会社で仕事をしているのに、会社に電話してきてトンチンカンなことを言い出すものだから、ついつい口調が厳しくなってしまう。

それを傍で聞いているとキツク感じるのだろう。

「老いては子に従え」とは言うが、子どもはいくつになっても子どもなのかもしれないなぁ〜。

ゾンザイな言葉で話せるというのも気安さからなのだが・・・。

でも、実の親に対して、丁寧な言葉で話せる人間っているのであろうか?


■2014-01-18-Saturday 新年交礼会

16日に帯広市の

商店街振興組合連合会の新年交礼会が市内のホテルで開催された。

私は去年から出席するようになった。

というのも、宴会の余興でマジックを演じて欲しいと依頼されたからである。

市内の11ある商店街の役員や、市役所の商業観光課の職員、商工会議所の職員などが出席する新年会で、総出席者数は60名前後である。

去年は「カップ&ボール」と云う3つのコップと玉を使った世界最古と言われているマジックを演じたが・・・。

宴会で酒を飲み過ぎて酔っ払ってしまい、途中で手順を忘れるという失態をしてしまった。

前回の失態があったからなのか、今回は私にマジックの出演依頼はなかったのであるが、私は密かに名誉挽回の機会を伺っていたのである。

前回はマジック道具をアタッシュケースに入れて参加していたが、大袈裟にマジック道具を持って行くと気取られるから、荷物にならない「ロープ切り」のマジックを演じようと、ポケットにロープとハサミを忍ばせて参加していたのである。

ほどなく宴会も進行し、終盤に差し掛かった頃合いを見計らって、司会者のところに行き「デザートが出てくる間の10分間だけマジックをやらせて欲しい」とお願いしたのだ。

私が自分からマジックをやらせて欲しいというのは珍しいことなのである。

こういう場面ではめったに披露しないことにしているからだ。

近年はもっぱらバーなどでホステスさん相手に演じるばかりである。

今年のこのロープマジックは何度も演じているし、去年の暮れにマジッククラブのメンバーにも指導していたから、酔っ払っても大丈夫なほど手順が身体に染み込んでいる。

まぁ、観客には不思議に感じてもらえたことだろう。

今年は、マジックを披露しなければならない機会が増えそうであるから、もう少しステージマジックの練習をしておく必要もありそうだ。毎度毎度同じ演目ばかりでは飽きられてしまう。

さて、今度は何を演ろうかな。


■2014-01-19-Sunday 柏葉同窓会

地元、帯広柏葉高校同窓会の

新年交礼会が18日(土)18:30から北海道ホテルで開催された。

私は同窓会の幹事をしていたから、大学卒業以来ほとんど毎年出席をしている。

この新年交礼会は同窓会としては一番大きな活動だ。

何せ、出席者数が700名を超えているのであるから、会場は満杯でギチギチに詰め込むような状態だし、更にその大宴会場だけでは全員が入りきらないから別室にモニターを設置して分けるほどにもなっている。

担当する幹事は毎年順送りになっていて、今年の当番期は柏葉12期と35期である。

私の卒業期は柏葉26期、私らが担当したのは9年前の2005年であったから、今年の当番期は私たちよりも9歳年下である。

去年の交礼会に私は珍しく欠席した。去年の当日は東京からの最終便の飛行機で19:30頃に帯広空港に到着したので、そこから会場に向かっても間に合わないから、まっすぐ自宅に戻ったのである。

同級生から二次会への誘いの電話があったが疲れていたので二次会への参加も止めたのであった。

今年は、同窓生が多く参加しているかと期待して行ったのだったが・・・。我が26期の出席者はたったの5名でしかも全員が男性であった。

1期上の25期は18名が参加するという。2テーブルを占拠するほどの参加者数だ。それにひきかえ26期はテーブルの半分を他の期に明け渡すという寂しさであった。

この5名で二次会に繰り出した。同じ年齢の人間と飲むのは話題が同じだし、高校生当時の昔話は懐かしくて面白い。途中で交礼会には出席しなかったもう一人が合流して6名で飲んだのであった。

この6名の中にはすでに孫が生まれて爺さんになった者もいるが、一方では今年子どもが小学校に入学するという豪の者も居る。ちなみに子どもが成人する時には70歳である。

去年の12月中旬に、この柏葉時代の同級生が脳梗塞で急死したことを報告したら「70歳なら俺ならもう生きていないかもしれないなぁ〜」と言う奴も居た。人生は色々である。


■2014-01-20-Monday 氷まつり

20日の20時に

氷まつり会場で雪像造りの作業をしている青年会議所の現役会員の陣中見舞いにOB会長として行ってきた。

OB会長としての仕事は当初に聞いていたよりもかなり多い。

今年は雪が極端に少ないから雪不足で雪像造りも出来なくて困っているようである。十勝中、雪が少ないから余所の町村から運んでくることも出来ないであろう。

スキー場で使う降雪機で水を噴霧していたが、あれではまるで役に立たないであろう。かなり苦戦をしている様子である。材料である雪が無いのだから作業も出来ない。

例年よりも規模を4分の1に縮小することを決めたようだが、それでも雪は足りないかもしれない。

今年も青年会議所は迷路を作るようだが、雪では無理だから氷柱を使って作るという。氷は出来あがりはキレイだが、作業は雪の何倍も大変なのである。

元々、十勝は雪が少ない場所だから、札幌のような「雪まつり」ではなく「氷まつり」という名称なのだが、これだけ雪が少ないのは私が生まれてからでは記憶がないほどである。

帯広氷まつりは昭和39(1964)年に、札幌雪まつりを模倣して始めたものだが、私は小学4年生か5年生の頃の冬に帯広小学校の正門の所に、店から熊の木彫りを手本に持って行って、クラス全員で熊の雪像を作ったという記憶がある。それが私が氷まつりに参加した始めかもしれない。

私は青年会議所に12年間もいたから、氷まつりの作業には結構参加しているほうだろう。

しかし、平成10年に卒業してからは、これまで一度も作業に行ったことがない。寒いのは暑いよりは好きなのだが−15℃は寒過ぎる。

今回も服装は完全防備にして、貼るカイロも身体中に貼り付けて行ったのだが、やっぱり寒かった。帽子をかぶっていかなかったから頭が冷えたのかもしれない。自宅に戻ってから寒気を感じるようになった。

近年珍しく風邪をひいたかもしれない。やっぱり帯広の冬はあなどれないなぁ〜。


■2014-01-21-Tuesday 氷まつりの歴史

帯広氷まつりの歴史に

ついて教えて欲しいと、先日の氷まつり会場で言われた。

私は昭和33(1958)年に帯広市街の中心地で生まれ育ったから、昭和39(1964)年に始まった氷まつりも第1回から見ているだろうと云うことなのである。

当時は父が観光協会の副会長をしていた時期でもあるし、おそらく氷まつりの会場には連れて行かれているのかもしれないが・・・。

記憶は先日書いた、帯広小学校の正門のところに、家の北海道民芸品店から持って来た熊の木彫りを見本にして熊の雪像を作ったことを覚えている程度であるが、年代はハッキリしない。

ネットで検索しても、ここ2〜3年のことしか出てこない。そこで、十勝大百科事典という資料を調べてみたが、これには「まつり」のことは一行も書かれていないし、そもそも「氷まつり」という文字すら出てこない。

そこで、十勝毎日新聞社が以前に発行していた「十勝年鑑」で調べようと思ったがこれは昭和45年からの分しか残っていなかった。

どうやら「氷まつり」のことについて調べたり、記録を残していたりという人は居なかったようなのである。

今度は「十勝毎日新聞七十年史」を調べてみたら巻末の年表に、

昭和39(1964)年2月8日 第1回氷まつり、本社主催 会場:帯広小学校校庭と書いてあったのを見つけた。

一番最初は帯広小学校の校庭、現在の中央公園の場所で、十勝毎日新聞社主催で開催されたのであろうと思われる。

翌昭和40(1965)年の第2回は2月6・7日、同じく勝毎主催で帯広小学校の校庭で2日間開催と記録が残っていた。

ここから推測すると第1回も2日間の開催であったようである。

昭和39年というと私が帯広小学校に入学した年であるから、おそらく見ているのであろうと思われるが残念ながら記憶は無い。

勝毎の七十年史には何故だか第3回(昭和41年)の記録が載っていないが、1月30日に旧裁判所跡地(現在の旧ヨーカドービル)で勝毎主催の「全犬種雪中展」という催しを行なっている。この時期に単独でこんな事業はやらないだろうから氷まつりを盛り上げる為の催しではないかと思う。

翌42(1967)年1月28日にはこの旧裁判所跡地で第4回氷まつりを開催しているという記録がらあるから、おそらく、昭和41(1966)年はこの「全犬種雪中展」の前後に裁判所跡地で第3回の氷まつりが開催されたのではないかと推測される。

昭和43年の1月25〜29日の4日間は緑ヶ丘公園のリンクで「第23回冬季国体」が常陸宮ご夫妻を迎えて開催されている。

私は帯広小学校の陸リンクで常陸宮ご夫妻が帯広小学校のスケートの授業を視察された催しに参加した記憶が残っているが、これが1月26日のことであった。

この冬季国体と開催日が重なる1月27・28日に緑ヶ丘リンク周辺を会場にして第5回氷まつりが開催されたとの記録があるから、国体を盛り上げる為に緑ヶ丘リンク周辺に会場を移したのではないだろうか?

それ以来、会場は緑ヶ丘公園になったのではないかと思われる。

第6回以降は七十年史にも記録が残っていない。

「氷まつり」に関して調査して記録を残しておく必要があるだろうと思う。


■2014-01-22-Wednesday 天一の掛け軸が

昨年、ヤフーオークションで

落札した明治時代のマジシャンで、日本近代奇術の父と云われる松旭斎天一が書いた「座花酔月」の書と、自作の漢詩「誰将螳蜋試逆車当軍之事勝嘆磋山河百戦只枯骨功罪千秋空白沙」の掛け軸のことを、このブログに書いたのだが、それを読んだプロマジシャンの藤山新太郎さんから「実物を拝見したい」とのメールが届いた。

藤山新太郎さんはNTT出版㈱から「天一一代 明治のスーパーマジシャン」という著作を2012年7月に出版されている。

松旭斎天一は今日の日本奇術界の本流の祖とも言える人物である。

弟子に一世を風靡した女性マジシャンの松旭斎天勝や、アメリカで活躍した天才マジシャン石田天海、そしてデパートなどでマジック用品を販売する会社テンヨーを興した松旭斎天洋らが居る。

この松旭斎天洋の門下でデパートで実演販売をするディーラー出身で後にプロマジシャンになる初代の引田天功や、世界一のマジシャンの称号を持つ島田晴夫、フランスで活躍した八田加寿雄、そして私の師匠のジミー忍(聖忍)が居るのである。

その他にもこのテンヨーのディーラー出身では、Mr.マリックこと松尾昭や札幌で活躍するバーディコヤマなども居る。

だから、松旭斎天一は日本の奇術界ではその名を知らないマジシャンは居ないという人物なのであるが、残念ながら一般にはまったく知られていない存在でもある。

マジックを趣味とする私にとっては、歌舞伎界の市川団十郎や落語界の三遊亭円朝並みに評価されても然るべき人物であろうと思っているのだが・・・。

藤山新太郎さんも著書の中で同じ様な趣旨のことを書かれているから思いが一緒なのかもしれない。

私のブログには写真を載せていないから文章だけから想像されてメールをくれたのであろう。すぐに写真を撮ってメールに添付して送ったら「天一の書は、書き出しが墨跡が濃く、右肩上がりで、楷書と草書が自在に混じります。旭天一の文字もその通りです。本物かと思います。」とのお墨付きを頂いた。

最初は、好きなテレビ番組である「開運!何でも鑑定団」という番組に応募して鑑定してもらおうかとも考えたが、マジックの研究者である河合勝さんと、天一の本の著者である藤山新太郎さんから真筆であるとのお墨付きをいただいたのであるからその必要もなくなったであろう。

あとは一日も早くマジック博物館を整備して展示したいと思っている。


■2014-01-23-Thursday 都知事選告示

東京都知事選挙の告示が

23日になされ16名が立候補したが・・・。

私は昔から選挙というものがどうも好きになれない。だから選挙に立候補する方々の心境というものはなかなか理解することが出来ない。

東京都の選挙であるから北海道人の私には投票権がないが、首都東京の顔を選ぶとなるとさすがに関心はある。

でも、私に投票権があったとしても、積極的に投票したくなるような人物が見当たらないなぁ。

近年の大都会の知事や首長の選挙に立候補して当選するには、政治の実績とか人柄なんてものよりも、知名度のみが優先されているようで、これが日本の政治の不幸を招いている元凶ではないかと思えてくる。

青島幸男や横山ノックなんて人物が大都市の顔になったが、それで東京都や大阪府の人たちが果たして幸福だったのだろうか?

まぁ、知事なんてものはただの顔だけで、実際の行政は役人が全てやるのだろうけど・・・。

今回の都知事に立候補した16人の方々の顔ぶれをみると、とても知事なんて務まりそうにもない人もいる。

泡沫候補の更に泡沫候補という感じで、きっと親戚すら投票しないんじゃないだろうかと思われる人や、家族すら投票しないような候補者もいるのではなかろうか?

当然ながら当選することに目的があるとは、とても考えられない。

こう云う泡沫候補者は、いったい何の目的で立候補するのだろうか?

自己顕示欲が強くて、新聞などに自分の名前が載ることに快感でも覚えるのだろうか?

泡沫候補者の顔ぶれを見ていると、ドクター中松氏がまだまともに見えてくるのだから恐ろしくなってくるなぁ〜。

猪瀬前知事が徳洲会から5千万円を受け取った問題で、東京地検特捜部の事情聴取を受けたというニュースも同時に流れた。

猪瀬前知事と徳洲会との間を取り持ったと云う新右翼団体「一水会」の木村三浩代表なる人物に、その5千万円の中から500万円を渡していたことも判ったという。これは10%の手数料ということなのだろうか?

真相究明はこれからだろうが、親切な人から借りたという5千万円の10%をポンと渡せるのだから、猪瀬前知事も相当に親切な人のようであるなぁ。


■2014-01-24-Friday マー君

楽天イーグルスのマー君こと

田中将大(25)投手がアメリカ大リーグのニューヨークヤンキースに入団することが決まった。

年棒の総額は7年間で161億円だという。

決してマー君にケチをつけている訳ではないが、素直に祝福してあげる気になれないのは私が嫉妬しているからなのだろうか?

しかし、嫉妬と云うにはあまりにも金額がデカ過ぎて、私としては嫉妬してる感覚もないのだが・・・。

以前、このブログにも書いたことだが、アメリカのプロスポーツ選手の年棒があまりにも高過ぎるのではないだろうかと思っている。

ニューヨークヤンキースはこんなべらぼうな金額の年棒を支払っても球団としてペイしているのだろうか?

年棒の金額が選手の価値を表わしているのだとしても、まだ、ただの1球も大リーグで投げていない投手に対して、この年棒額は異常である。

25歳にしてこれだけのお金を手に入れたマー君の人生感とか金銭感覚ってこの先一体どうなるのだろうか?

マー君が85歳まで後60年生きるとして、利息を考えずにただ消費していったとしても年間2億6830万円ずつ使える計算になる。貯金をして利息でも加わったら・・・。

まだ投げてもいない選手にこれだけの金を払う球団があるアメリカのスポーツ界は異常以外の何物でもない。

かつてローマ帝国の皇帝は「パンとサーカス」で統治したというが、アメリカの人口の1%の人数が90%の富を持つと云われるアメリカなら、サーカスに代わって国民の不満を別なものに向けさせるのがスポーツなのだろう。

またアメリカンドリームで運動の才能がある人間はスポーツで成り上がれるぞと示すのもひとつの手なのかもしれないが・・・。

どこか変だぞ!


■2014-01-25-Saturday 映画

妻と映画を観に行こうと思った。

テレビで山田洋次監督の「小さいおうち」というディズニーのアニメ映画のような題名の映画が25日封切りだと宣伝をしていたので、これを観ようということになったのだが・・・。

帯広の映画館では上映していないのだ。

すっかり映画を観るモードにスイッチが入ってしまっているから、何か別な作品でも観ようかと新聞の映画案内欄を見たのだが、子供向けの作品ばかりであるし、他の大人向けの作品はほとんど鑑賞済みである。

一体誰が上映作品を選んでいるのか知らないが、上映作品を選んでいる人と私とではどうも嗜好が異なるようだ。

観に行く時間帯も関係するから、中から「ゼロ・グラビティ」という作品を選んだのである。

予告編でチラッと観た記憶があったがどうやら宇宙の映画のようだ。

しかも3D映画である。洋画の3D映画は吹き替え版だからあまり好きではない。やはり本人の声で観たいからだ。

この映画にはほとんど2人しか登場しない。サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーの2人である。

映画館は意外にも混んでいたので驚いた。封切り後2週間ほども経っているのというのに・・・。

しかし、混んでいるとマナーを知らない客が紛れ込んで居るのが困りものだ。映画の途中で携帯電話が鳴りだし、何とその男性は会話を始めたではないか。何人かが咳払いをして会話を止めさせようと促したが・・・。

私と妻は列の右端側に座っていたが、映画の途中で左端側から2番目に座っていた女性が立って外に出て行った。トイレが電話であろう。戻って来たら右側の私たちの前から席に着こうとする。私たちの席の前にはポップコーンや飲物の紙コップを入れたカゴを置いてあったのに、それを踏んづけながら6人程の前を通って自分の席に座ったのである。常識の無い奴が多過ぎる。映画よりこっちの方に腹が立ったのであった。

例によって映画のストーリーについては詳しくは書かないが、いくらSF映画とは云いながらも「ソンナ、馬鹿な」という荒唐無稽な場面の連続であった。

隣に座っていた中年の女性はラストで涙を流していたが・・・。私は笑いをこらえるのに必死であった。

唯一、3D映画だから、目の前に何かの破片が飛んで来るシーンで思わず身体が反応して除けてしまったことだけが面白かった。

何故、こんなに混んでいたのか不思議である。


■2014-01-26-Sunday 町内会新年会

自宅のある町内会、

新生町内会の新年会が26日正午から近くの「もみじ乃」という和食の店で開催され妻と二人で出席してきた。

私は以前はこの手の会合には欠席を決め込んでいたのだが、4年ほど前に副会長になってからは出席を続けている。

この日の参加者は28名。

この4年間でかなりの人の顔と名前を覚えたが、それでも判らない人も数人いる。年に一度や二度の顔合わせではなかなか覚えることができない。

御多分に漏れず、新生町内会も高年齢化している。会場は座布団座りの和室であるが、かなりの方が椅子を希望する。用意してもらった椅子の数が足りないほどであった。

男性の出席者で私より年下なのは一人しかいない。各班の班長さんを指名する段になったら、やれ誰それは入院中だの施設に入ったから無理だろうなどの声が飛び交う。すでに平均年齢が65歳を越える限界町内会になっているのではないだろうか。

副会長の役目として総会の議長をすることになっている。議長はいろいろな団体でやっているからお手のものなのであるが、町内会の進行はこれで結構難しいのである。

総会などの会議に参加したことの無い人も相当数いるから、会議の進め方を知らない人も多いのである。議長の進行に合わせてくれれば良いのだが、勝手に話し始めたり、議題と無関係の話に脱線してしまうことも多いのである。

食事はすでに目の前に用意されているから、スムーズな進行をしたいのだが・・・。

今年は会計監査の人が2名とも欠席だったので監査報告を急遽その場で議長の私が代行するということになってしまった。まぁ、町内会というのはかなり緩い組織だからこんなもんでも良いのかもしれないが、一応お金を扱う以上はキチンとやりたいものである。

宴会になって、これまた急遽マジックを演じることになった。妻から用意して行きなさいと云われていたのでロープとハサミだけは持って行っていたのであるが・・・。

この町内会には昭和44年の小学5年生の頃から住んでいるから、私を子どもの頃から知っている人も多いのである。

マジックの途中で「手を開いて見せろ」とかの声が飛び交う、まぁ、何とかかんとか無事に演じたのであったが非常にやり難い場面であった。


■2014-01-27-Monday 陰謀論

この世の中には

「陰謀論」と云うのが好きな人が大勢いるようだ。

曰く、この世界は「フリーメーソン」だの「イルミナティ」だのという、誰もが名前くらいは一度は聞いたことはあるが、その実体がよく分かっていない組織が牛耳っているのだとかと云う類の話のことである。

こう云う話は「まことしやかな」話の方が面白おかしく伝わるものだが、中には「そんなアホな」と云うような荒唐無稽な下らない話がほとんどなのである。

先日、そんな話が私の耳に入ってきたから思わず笑ってしまった。

その陰謀論とは「去年の北の屋台の一連の騒動は坂本が仕組んだ陰謀だ」という荒唐無稽なものである。

おそらく、私の趣味が「マジック」ということが関係しているのかもしれないが・・・。

マジックの一部門に「メンタルマジック」というものがあって、特に最近流行りの「メンタリズム」を操る「メンタリスト」と称するマジシャンには、海外ではダレン・ブラウンや日本ではDaiGoらなどが活躍していて、人の心を自在に操っているように見せるものがあるからかもしれない。

たしかに、私はマジックの研究家でもあるし、この部門の心理学系のマジックの書籍もたくさん持ってはいるが、これはあくまでもマジックなのである。

私が、客がひいたトランプを当てられるのも、スプーンを曲げられるのも、マジックの技法を使っているからであって、マジシャンは「魔法使い」ではないし、マジシャンには「超能力」もないのである。

どうも、世間ではこれらすべてを一緒くたにしているようである。しかし、私がオールマイティの優秀なマジシャンであるという幻想を抱いてくれているのならありがたいことだが・・・。

もしも、私が他人の心を自在に操れるのなら、こんなところでくすぶってなどいないし、それこそ今頃は世界的なマジシャンか、億万長者にでもなっていることであろう。

私の陰謀だと云う北の屋台の騒動だって、旧理事者の人たちが8月末にいきなり「解散する!」と新聞記者を集めて会見を開いて、騒ぎを自ら大きくしたのだということは十勝中の誰だって分かっていることである。

その後も自ら新聞ネタになるようなことをやっては勝手に世間を騒がせただけだろうに。

陰謀論にすり替えをすることで、世間の目を別な方向に持っていきたいのだろうが、それは少し無理ってもんではないだろうか。

世の中にはびこるフリーメーソンなどの「陰謀論」も、結局は他人のせいにして事の本質を誤魔化すための手段でしかないのだ。

「成功するのは自分のお陰、失敗するのは他人のせい」ではいつまで経っても信頼はされない!


■2014-01-28-Tuesday 地球環境問題

27日に銭湯に行った時に

サウナ風呂のテレビではテレビ朝日系列でビートたけしが司会をしている「TVタックル」と云う番組が映っていた。

私が入った時には、地球環境問題でいわゆる地球温暖化(気候変動と訳すのが正しいのだが)の主原因がCO2(二酸化炭素)か否かと云う問題で論争している場面であった。

サウナには10分前後しか入っていられないので、結論までは見ていないが・・・。

東京工業大学の丸山某教授が「地球温暖化の原因がCO2だという二酸化炭素主犯説は間違いである。雲が原因である。地球はむしろ寒冷化に向かっている。」という様な論旨の発言をしていた。CO2が主原因だとする気象予報士の森田某と論争していたが・・・。

私は科学者ではないから誰の論理が科学的に正しいのかは判らないが、この丸山教授の言っていることに共感した。

私は1991年に帯広青年会議所(JC)の「都市環境問題委員会」の委員長を拝命した。帯広JCでは初めて冠に「環境」という文字が付いた委員会であった。

就任前にこの委員会の委員長として1年間何をやったら良いのかが判らなくて、やたらと「環境」と名の付くものを勉強したのだが、結局「都市問題」以外にも「地球環境問題」を取り上げることにしたのであった。

当時の地球環境問題は今日のように一般の人が関心を持つような問題ではなかったし、ゴミの分別すらまだやっていない時期でもあった。企業も地球環境問題は経済活動の邪魔になると敬遠していた時代でもある。

今日のように地球環境問題を考慮しない企業は生き残れないなんていう時代が来るとは隔日の感ががある。

この当時に勉強したことにいわゆる「地球温暖化」の問題があった。この当時から「地球温暖化」というのは「気候変動」の誤訳であることから本来の問題とは異なったイメージで伝わってしまった感がある。

正式にはUnited Nations Framework Convention on Climate Changeであるから、正確に訳せば「国連気候変動枠組条約」となるのである。この英語のどこにも「温暖化」などという言葉は入っていないのだが、特に北海道の人は、温かくなるのは大歓迎というイメージが強かったように思う。

この時代からいわゆる「温暖化」の主原因は産業革命以後に工業などで人為的な二酸化炭素の排出量が増えた為であるとの「CO2主犯説」が主流であり。私もこれを長い間信じていた。

しかし、数年前から疑問に感じ始めたのである。

それは二酸化炭素の「排出権」の売買というビジネスが横行し始めた頃に起因する。

この「排出権の売買」というのは、工業先進国が、まだ十分に工業が進んでいない後進国から、二酸化炭素を排出する権利を金で買うというもので、先進国は金さえ払えばそのまま二酸化炭素を排出しても良いというものである。

何のコッチャと思った。

二酸化炭素の排出が地球温暖化の主原因ならば、早急に二酸化炭素の排出量を抑えなければならないだろう。それなのに排出する権利を金で買うということは排出量は総体で何の変化もしないということになる。

一般家庭の排出量を減らしても、工場がドンドン排出しては意味がないだろうに・・・。

これには、大きなマヤカシがあると感じたのである。

新たなビジネスを作り出して儲けようとする悪い奴等が居るのではないかと。

丸山教授の説が正しいのか間違っているのかの判断は出来ないが、地球環境問題の本質とはかけ離れたところで妙なビジネスが横行していることだけは確かである。それも世界的に・・・。


■2014-01-29-Wednesday My Birthday

今日29日は

私の56回目の誕生日であるが、もうこの年令になるとたいして嬉しくもないものである。

昨日28日に、帯広青年会議所OB会の新年総会が18:30から市内の北海道ホテルで開催された。

本来なら、これがOB会長としての初仕事であるはずなのだが、昨年暮れから何だかんだとOB会長の仕事が続けてあるので、初仕事という感じはまるでなくて、すでにベテランの会長のような気分である。

式次第での会長挨拶は、1月ももう終わろうとしているのに、会合の名称が「新年総会」であるから「明けましておめでとうございます」との挨拶で入らねばならないのが自分でも変な感じがするが・・・。

この時期に式で挨拶などしたことがないから違和感があるのだろうなぁ。

「神輿に乗る人担ぐ人、そのまた草履を作る人」と七五調に近いリズムの言い回しがあるが、今回、私はは会長として神輿に乗る立場なのだろうが、どうにもその立場にしっくりこないのである。

どうやら私は神輿に乗って担がれるよりも、お神輿を先導する役目の方が好きなようである。

まだまだ人間としての器が小さいのであろう、お殿様のように「良きに計らえ」と鷹揚にやるのが、どうにも性分に合わなくて居心地がヨロシクないのだ。

かつて芸人を志したこともあるほどだから、他人を喜ばせたいという「エンターティンメント」の精神が旺盛なのが困りものなのである。

他人からやってもらうよりも自分でやりたくなって身体がウズウズしてしまう。

任せた以上は余計な口出しをしないようにと思っているが、今回の内閣名が「向かうところ手品師」内閣であるからには、例会にも手品のようなサプライズや楽しさの演出がもっと多くても良いであろうと感じた。

何だか淡々と流れてしまったように感じたのであった。

これからエンターティンメントの演出法ぐらいは伝授する必要があるかもしれないなぁ。


■2014-01-30-Thursday いろいろ

29日の誕生日に

母が夕食をご馳走したいという。いつまで経っても子どもは子どもということであろう。さすがにもう自分で作るのではなく外食でということだが・・・。

何処にしようかと相談しているうちに、六花亭本店2階の洋食レストラン「ホーム」にすることになり母と妻と3人で訪れた。

ここのシェフの井出さんは、かつては西2条の我が家の店子で、家の東側で洋食の草分けであったレストラン「ドラゴン」のコックさんだった人だ。そのドラゴンの主人山崎多美也さんの娘さんを嫁にもらい独立してホームを開店した人だから、それこそ私が生まれた頃から知っている方である。ホームのコックをしている絵が上手い娘さんの宏子さんは私よりも2学年下で私たち兄弟と一緒に遊んだ仲である。

久し振りにホームの洋食が食べたいねということになったのであった。母がこの店に来るのは久し振りだったので井出さんの奥さんが「あら、おばさん珍しいわね」と挨拶に来ると「今日は和昭の誕生日だからお祝いに・・・」と言うと「和昭ちゃんはいくつになったの?」と聞かれた。いくつになっても私は「カズアキちゃん」なのである。

誕生日だからとワインとデザートをサービスしてもらい美味しい洋食を堪能したのであった。

家に戻ってテレビをみたら「STAP細胞」だかという第三の万能細胞を発見したというニュースが流れた。ノーベル賞を受賞した山中教授の「IPS細胞」よりも簡単に作ることができるらしい。

理系のことはサッパリ判らないが何やらすごいことらしいが・・・。テレビではNHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」に出てくる妹役の子に似た風貌の若い女性が解説する場面が映っていた。

てっきり助手なのかと思っていたら、何とこの女性、小保方晴子(30)さんがリーダーだというので驚いた。若くて才能があってしかもそこそこ美しい女性がリーダーで開発したというのは、メディアにとっては最高の素材であろう。きっとこの女性を前面に出した報道が、ニュースのみならずワイドショーや週刊誌などでも明日から繰り広げられるであろう。

こう考えると容姿というのはとても重要な要件なのだなぁ。

容姿といえば、一方で冷凍食品に農薬を混入させた阿部利樹(49)容疑者の風貌はいかにも冴えなくて、とても49歳には見えない。まるで60歳以上のような風貌に見えるし、犯罪をやりそうな人間に見えてきてしまうから恐ろしいものである。

これも外見によって受ける印象が異なる例であろう。

私も少しシェイプアップする必要があると感じた。


■2014-01-31-Friday もう1月が

今日でもう1月が終わる。

歳を取る毎に、時間が進むスピードがドンドン速くなっているように感じる。

元旦に見たテレビ番組の漫才で「何だか昨日が去年だったような気がするんだ」というボケがあったが、それが笑い話ではなくて、1ヶ月も経つのについ昨日のような気がする。

今日は月末だから朝から何かと忙しくて余計にそんな感覚が増幅されているようではあるが、何だか妙な恐怖感がある。

今朝は出社前に市役所の記者クラブを訪れて、上智大学の石澤教授がカンボジアのアンコールワットの西参道修復工事などを指導しているアジア人材養成研究センターに、帯広の浅野祐一さんが自動車を寄贈した件の記者会見を、2月17日に帯広のガーデンズホテルで行なう旨のプレスリリースを届けて来た。

寄贈の手続きを行なった者の責任として、報道関係者にお知らせしなければならないのだ。プレスリリースを配布しただけではアピールが弱いので会社の近所にある報道機関を直接訪問して取材依頼のプッシュをしておいたのである。

訪問した報道機関からは、単なる贈呈式で目録や感謝状のやり取りだけでは絵にならないから、活動報告や写真やビデオなどを写して欲しいという要望も出たので、上智大学側にそれを伝えた。

やる以上はキッチリとやりたいのである。

午前中はそんなことに時間が取られたが、会社は月末の支払いなどの経理がある。

午後には個人的なことでも突発の自体が発生して、なんやかんやと気忙しい一日であった。