■2023-07-01-Saturday 半分過ぎた
今年ももう半分が過ぎてしまった。
年々月日が過ぎるスピードが速くなっている。
それだけ私が歳を取ったということなのかなぁ~。
ここ数日、やたらとストレスが溜まることばかりが続いていて、身体の調子も精神の調子も思わしくない。
29日はとある会議で5時間も椅子に座りっぱなしであった。
腰も辛かったのだが、心も辛かった。
こういう会議は心身によろしくない。
過去にも何度かこの種の人事にまつわる会議で揉めに揉めて、解決するまでその後数十日間も悩まされたことを経験しているのだが、とかく人事というのは大きな問題である。
地位というものにまったく無関心な私には理解に苦しむ事態であるのだが、世間の人々には拘りを持つ人が多いのであろうなぁ~。
この会議の最中に大雨が降っていたというのだが、まったく分からなかった。雨音に気が付かない程、会議に集中していたのであろう。ここ数日の雨は農家の方々にとっては惠の雨であったことだろう。
問題を話し合いで解決出来ないものなのであろうか?
聖徳太子の頃から日本では「和をもって貴としとなす」と言われているのに、争いだらけである。これだから世の中から戦争が終わらないのかもしれないなぁ~。
でも、世の中には話し合いでは解決出来ない問題も多いのかもしれない。それが人間の嫉妬や妬みや恨みなどの黒い感情であり、ここ最近のコロナ禍によるソーシャルディスタンスの奨励などの愚行によるコミュニケーションの破壊が及ぼしている悪影響なのではなかろうか?
それでなくても、最近は世界中で心の余裕を失っている人々の行動がギスギスしてきて、暴力的になっている様に感じる。
相手を慮る気持ちが薄れているようだ。
相手の立場に立って考える気持ちの余裕が消失してしまっているかのようである。
なぜにこんなに自分の利益のみを考える世の中になってしまったのであろうか。金、金、金の世の中はうんざりである。
なんだか嫌~な世の中になっているなぁ~。
■2023-07-02-Sunday インディ・ジョーンズ
6年程前までは痛風に悩まされていた。
4回程も痛風の発作を起こして痛くて痛くて、歩くことも寝ることも出来ずに困っていたのだ。
7:00からTBS系列のテレビ番組の「ゲンキの時間」で「痛風」の特集を放送していたので観た。
専門医が女性ホルモンには痛風の元である尿酸値を下げる効果があると述べていた。
そういえば、前立腺癌の治療で「内分泌(ホルモン)療法」を受けて女性ホルモンを注射してからは劇的に発作は出ていない。
これは女性ホルモンの良い方の効果のひとつなんのであろうなぁ~。何せあの痛風の痛みとときたら・・・。
9:30からは毎月の月参りで母の家にお寺さんに来ていただいて読経をしてもらった。
午後からは予定が入っていないので、妻と二人で映画「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を観てきた。
一昨日の夜のテレビで、前作の「クリスタル・スカルの王国」(2008年)を観たら、とても観たくなったのである。
この間15年もの間が空いているから、主演のハリソン・フォードの実際の年齢である80歳の老け具合と映画のインディ・ジョーンズの設定年齢の差(60歳くらい?)をどう表現するのかを観てみたくなったのだ。我ながら悪趣味だねぇ~。
このインディ・ジョーンズシリーズは、第1作目の「失われたアーク《聖櫃》」(1981年)が最高に面白かった。こんなに面白い映画はそれまでに観たことはなかったと思うほど面白かった。レーザーディスクでも買って何度も繰り返し観たものであった。
しかし第2作目の「魔宮の伝説」(1984年)は駄作であった。第3作目の「最後の聖戦」(1989年)では父親役にショーン・コネリー(初代007俳優)を起用してやや盛り返したものの第1作ほどの感動はしなかったし、第4作の「クリスタル・スカルの王国」(2008年)では古代の伝説が宇宙人の話になってしまって、何だか主題の軸がズレてしまった感じがした。
どれも冒険活劇としてはそこそこの出来ではあったのだが、1作目ほどの感動は感じられず、期待をし過ぎて、逆に裏切られてガッカリ度が増してしまったようであった。
今回がハリソン・フォードの出演が最後だと言うので観ておこうと思ったのである。
例によって、まだ観ていない人の為に予告編以上の「タネ明かし」的な解説はしないが・・・。
どうも最近のアメリカ映画にはやたらと「タイムリープ」的な話が多過ぎるように感じるなぁ~、それと「マルチバース」。
流行りなんだろうか?
インディ・ジョーンズ・シリーズには、もっと歴史の謎解きみたいな展開を期待していたのに・・・。
■2023-07-03-Monday 新橋のビルでガス爆発
今日の15:00過ぎ頃に東京の新橋の
ビルの2階に入居している飲食店でガス爆発があったと言うニュース。
その店の50歳代の店長が「ガス臭かったが、喫煙ルームでタバコを吸うために火を点けたら爆発した・・・」と言う。
こいつアホか?
ガス臭いのに、タバコを吸うなんて・・・
普通、ガス臭かったら、窓を開けて空気の入れ替えをするだろうに・・・
それなのに、タバコに火を点けるって・・・
そういえば、何年か前の札幌の不動産屋の店長が、ガスボンベのガス抜きを店内でやっていて、作業終了後に一服タバコを吸うために火を点けたら爆発したという事件があったなぁ~。
こいつらガスの怖さを判っていないのだろうか?
この新橋のビルであるが、6月18日の東京出張の折に、次女と一緒に夕食を食べたレストランの目と鼻の先の距離である。
あの爆発の映像を見たら、近くを歩いている時に、あんな爆発が起きたらと思うとゾッとした。
爆風と衝撃で鼓膜が破れる危険性や、ガラスの破片が飛んで来る危険性もあるであろう。
このビルはかなり古そうなビルであるから、ガスの配管に穴でも開いていたのかもしれないなぁ~。
■2023-07-04-Tuesday 変な事件
ニュース番組を見ていると、
最近のニュースには驚かされる。
札幌のススキノのラブホテルで、男性の首無し死体が発見されたという。
出張で札幌に行くと、札幌パークホテルに泊まる機会が多かった。
ススキノで飲んで、歩いてパークホテルに向かう途中にラブホテルが立ち並ぶ一帯がある。
この首無し殺人事件が起きた現場のホテルもその一角にあるホテルのようだ。
カップルがチェックインして、片割れだけが早くに出るとフロントに電話してホテルから出たらしい。
ニュースでも、この片割れがハッキリと「女性」だとは断言していなかった。
最近のLGBTQに配慮した報道なのかなぁ~?
男性を殺して、首を切断するなんて、か弱い女性にはとても出来ない行為だから犯人は男性が女装していたという推理なのかなぁ~。
首を切断するのには「のこぎり」みたいな道具が必要であろうと思われる。包丁ではかなりの時間が掛かるだろうし、力も必要でかなり難しい作業であろう。
重たい頭を支えている頸椎の骨はシッカリ頑丈で太いはずだ。マグロの解体みたいな訳にはいかないだろう。マグロの解体ショーだってデッカイ日本刀みたいな包丁を使って解体している。
だとすると、ホテルに入ってすぐに殺して、首を切断し始めなければ、チェックアウトの時間には間に合わないかもしれない。
猟奇的な殺人事件であるが、殺す凶器と切断する道具と、首を持って帰る入れ物が必要になる。これらを事前に用意していなければ、この犯行は難しいだろう。
かなり用意周到な犯行である。
しかし、こんな深い殺意を持った相手と一緒にラブホテルに入った被害者は、この犯人とどのような関係性があったのであろうか?
首を切断して持ち去ることで、被害者の身元の判明を遅らせる目的があったのではないかと専門家らの解説であったが、一人暮らしの人ならともかく家族があるなら、すぐに誰だかは分かるのではないだろうか?
今時の繁華街近くならば監視カメラも多く設置されているから、犯人の足取りもすぐに判明するのじゃなかろうか?
憎悪の犯行というよりも、愛情の表現なのかもしれないなぁとフッと思った。安倍貞事件で情夫のオチンチンを切り取った事件が昔あったが、何だかそれ以上に相手に執着している事件の様にも感じるがなぁ~。
最近は常識では考えられない変な事件が多いからなぁ~。
■2023-07-05-Wednesday 駒澤大学同窓会十勝支部
駒澤大学同窓会十勝支部の役員会を
今日18:30から坂本ビル会議室で開催した。
十勝支部が誕生したのは2000(平成12)年であるから、今年23年目を迎える。
現在、私は十勝支部の支部長を務めているが、私が支部長に就任したのは、2010年頃であったと思うので、かれこれ13年ほど支部長をやっていることになる。それ以前にも事務局長や副会長を務めてきた。
あまり長く支部長をやっていると、組織が硬直化してしまうし、やることもマンネリ化してしまう。
私は根っからのアナログ人間であるから、最近のデジタル化のことは良く分からない。この辺りで若い人にバトンタッチしたいと一昨年から退任を申し出ているのであるが、なかなか後継者が見つからなくて困っている。
最近の若者は、同窓会みたいな活動には関心が薄いようだ。同じ大学を出ているというだけで、年齢の幅も広い。特に駒澤大学は120年の歴史がある大学であるから、私の親世代の卒業生もいる。
それに、十勝からの駒澤大学への入学者数がここ数年激減しているのだ。入学者数が少ないということは、すなわち卒業生も少ないということである。
昨日の役員会でその原因を話しあったが、家庭の経済事情ではないのか?という意見があった。
ここ30年くらい日本経済の低迷で給料が上がっていない。
私立の東京の大学に子どもを出すには、学費以外にも仕送りが必要になる。だから東京に限らず私立大学を敬遠して、学費の安い国公立大学を受験する生徒が増えているのだという。昔の旧国立二期校が人気なのだと言うのである。
たしかにそうかもしれないなぁ~。
原因はたぶんに複合的なのであろうが同窓会にも存続の危機が迫っているのかもしれないなぁ~。
■2023-07-06-Thursday 変化
3年間に亘るコロナ禍によって
人々の意識と行動に大きな変化が生れたのではなかろうか?
自分自身を顧みると、意識の上の変化では「何事もやたらと面倒臭くなって億劫に感じる」ようになったことだ。
なんだかよく分からないが、とにかく何もやりたくなくなったのだ。倦怠感というか、ダルさというのか、何かスッキリしないものが私の意識にまとわりついているような感じがする。
行動の面の変化では「まったくモノを買わなくなった」。コロナ禍以前はマジックミュージアムの展示品を充実させようとして、毎日ネットで「マジック」「手品」「奇術」「魔術」「魔法」などと検索をしてはモノを購入していたのだが、ミュージアムを閉館して展示品を手放した途端にピタッと購入癖が消失したのだ。まったく買わなくなったのである。
また、活字中毒の私は、活字を読んでいないと落ち着かない。だから、ほとんど毎日の様に書店に行っては本を購入していた。興味のある事が多過ぎるので気になる本は片っ端から購入して読破していた。
読書は慣れてくると読むスピードが段々と速くなってくるので普通の雑誌ならば30分程度で読み終えてしまう。それでも本は読みたいから、最近は値段が安くて分厚い月刊誌の文藝春秋などを買ってきては、端から端までユックリと時間を掛けて読むようにしているのだ。
本の購読料は5分の1~6分の1くらいに減った。
コロナ禍が終焉してきて、外国人が大勢来日し始めて、観光業や飲食業にはかなり客が戻ってきているようには見えるのだが・・・。
洋服も、藤丸百貨店が閉館してしまって買う店が無くなってしまったし、私自身がもう社会から隠居しようと考えているので、背広なんてものが不要になった。ネットで一回ジャケットを買ってみたのだが、カタログでは好みや体型にも合わないので以来買うのを止めた。
収入も減ったから以前のような高価なブランド品なんて買えなくなった。下着やカジュアルウェアならユニクロで十分だし、ダイエットして以前に購入した服を着まわせば良い。
私がこんな具合なんだから、世の中のファッション関係の景気ってのはどうなんだろうか?気になるなぁ~。
つい先日東京に行った際に、娘とお台場のダイバーシティ(ショッピングセンター)の中を見て回ったのだが、客は若者や外国人が多かったが、高級ブランド品の店にはほとんど客はいなかったし、安価でデザインが良い海外のファストファッションのH&MとかZARAなんかには若者客が居た。
ここ30年間の給料が上がっていない状況で、食品や生活必需品の値上がりラッシュの今では、洋服には高い金は出せないであろう。人間は喰わなきゃ生きられない。
バブル時代のTシャツ1枚が1万円以上なんてバカ高いのを買う若者なんてのはごく少数になったのであろうなぁ~。新品を買うよりも中古品を買う人が増えているという。
バブル崩壊後の30年以上停滞を続ける経済に、この3年間のコロナ禍が完全に引導を渡したことになるのかもしれない。
コロナ禍は、コロナウィルスの脅威というよりも、専門家と称する世間知らずの連中が、経済を破壊し、コミュニケーションを破壊して人間の精神をも破壊した。
単なる風邪程度のコロナウィルスの恐怖を誇大に喧伝し、効果の怪しいワクチンを何度も何度も打ちなさいと奨励したり、効果の無いマスク着用を半強制的な義務付けをさせて人の表情を阻害したり、人と人とがコミュニケーションを交わすことを妨害した。
後世の歴史書にはそう書かれることになるであろう。
コロナ禍は人災である。それも取り返しの利かない大災厄である。
■2023-07-08-Saturday 柏葉高校同窓会ゴルフコンペ
今日は母校帯広柏葉高校の
同窓会親睦コンペが開催された。
会場は帯広国際ゴルフ場で1組目のスタート時間は7:00である。
私は昭和51年卒業の柏葉26期で、同期からは8名2組が参加する。我々は4組目と5組目でそれぞれ7:21、7:28分のスタートである。スタート30分前には集合していなければならないから、参加者には6:40までに集合するように連絡をしていた。
幹事役の私が遅れる訳にはいかないから、私は6:30には会場入りしていた。
自宅から会場までは25分くらいは時間が掛かるので6時には自宅を出発していたい。そうなると5時起きである。
昔は5時起きなんて大変な苦労であったのだが、ここ数年は5時前に自然に目が覚めるようになった。年寄りは早起きだと昔から言われているが、私もそれだけ歳を取ったということであろう。
天気予報では30℃超えの暑さであるという。健康の為に歩こうと思っていたからカートの予約は入れていない。
今日は22日振りのゴルフである。入念にストレッチをしてから筋肉痛のチックを足や腰に塗って、腰にはコルセットを巻き、熱中症対策用の冷感タオルを用意して、水も凍らせて持って行った。
早朝は曇っていたから気温もそれ程高くはなかったのだが、10時頃から暑くなってきた。
やたらと汗をかくので水分補給を怠らずに、首に巻いた冷感タオルも常に冷たい水に浸して冷たさを保っていたのであるが、ハーフを終了して後半に入った2ホール目(通算11ホール目)で右足のふくらはぎが攣ってしまった。すぐにこむら返りを直す漢方薬の「芍薬甘草湯」のゼリーを飲んだら少し治まったのであるが、筋肉はヒクヒクが続いている。
ドリンクは3本も飲んでいるし、塩飴もなめていたのに7ホール目でついに左足の脛の筋肉が攣ってしまった。
キャディさんが心配してバックを乗せるカートを運転させてくれたのであるが、踏ん張った途端に左足の指先の筋肉が攣ってしまった。シューズを脱いで筋肉を伸ばして、残り2ホールをプレーした。
トイレの洗面台で顔を冷たい水で何度も洗い、頭から冷やし続けてなんとか一息ついたのだが、熱中症の一歩手前であったかもしれない。
我ながら体力の無さを嘆いているが、相変わらず暑さにも弱い。
成績は酷かったのだが、ダブルペリア方式であったので飛賞の15位が当ったのであった。
参加費程度の商品券が当たったので、まぁ良しとしよう。
ちなみに、去年のこの大会では、私はベストグロス賞(ハンディキャップを引く前の打数が一番少ない打数で上がった人)を獲得し、個人戦は準優勝、団体戦では優勝と、賞品を独り占めしたのであったが・・・。
■2023-07-09-Sunday 災害
昨日今日と帯広は暑いが、
九州や島根県では線状降水帯が発生して大雨や洪水に悩まされている。
気象というものはバランス良くならないものなのかねぇ~。
ニュース映像を見ていると、今年の農作物の出来はどうなのだろう?心配である。それでなくても諸物価が高騰しているのに、農作物の出来が悪かったら家庭の台所は悲鳴をあげるのではないだろうか?
ロシアのウクライナ侵攻で小麦などの値段が上がり、鳥インフルエンザで玉子の値段が上がり、今度は農作物の不作なんて事態にならないことを祈るしかない。
日本の農業は、政治家のバカどもの無策で、食料自給率は先進国では最低の38%である。だが、この数字だって日本国民は数字のマジックに完全に騙されているが、この食糧自給率はまったくの出鱈目で、実はもっともっと低いのである。
日本の農家は、作物を作る為の肥料や家畜の飼料のほとんどを輸入に頼っているからだ。
今回の鳥インフルエンザでの玉子高騰で分かったことだが、日本は卵を産むヒヨコを海外からの輸入に頼っていたのである。
もしも、戦争や世界的な食糧危機に陥った時に、世界中で一番先に飢える国は日本であると言われていることを国民は知らない。
バカな政治家どもは、「金で買えば良い」とフザケタことを言っているが、人間は食べなければ生きてはいけない動物なのである。
農業生産量の多い海外の国で食料危機がきたならば、まずは自国民の食料を確保するのが常道であろう。飢えを放置すれば暴動が起こるからだ。
昔から「パンとサーカス」(食料と娯楽)というのは国民をおとなしくさせる為の政策なのである。腹を満たし、ストレスを発散させる娯楽を与えておけば国民はおとなしくしていると言われているのだ。
だから政情不安な国ほど自国民を飢えさせないようにするのだ。
金で食料が買えるわけがない。
「弱り目に祟り目」という言葉があるが、困っている時には別の困りごとが発生しやすいものである。
今、日本で一番恐ろしいのは、巨大地震の発生である。
マスコミなどでは南海トラフ地震の発生が近いと騒ぎ出しているが、日本の地震学者の間では南海トラフ地震よりも十勝沖地震の方が切迫しているという説があるのだ。
去年、私の学生時代からのマジック仲間の地震学者がマジック・ミュージアムを訪ねて来た際に、講演会を企画して実施したのだが、その時の話では十勝から釧路、根室の太平洋岸は巨大地震が切迫していると言っていた。この太平洋岸に大きな津波が襲ってきたら、壊滅的な状況になるだろう。
震度7クラスの大きな揺れの心配もあると言う。
我が社の坂本ビルは「旧耐震基準」で建てられたビルである。(つづく)
■2023-07-10-Monday 続 災害
昨日のつづき
我が社は「旧耐震基準」で建てられたビルである。
「旧」とあるからには「新」がある。
「耐震基準」とは何か。
端的に言えば「地震に耐える構造の基準」で、1981年5月31日までの建築確認において適用していた基準は「旧耐震基準」で、その翌日の1981年6月1日から適用された基準が「新耐震基準」となっている。
「旧耐震基準」というのは1950年の「建築基準法」にまで遡る。1968年に発生した十勝沖地震でビルの倒壊があったことを踏まえて鉄筋コンクリート構造の建物の帯筋基準が強化されたのだ。そして1978年の宮城沖地震の被害を踏まえて1981年に新耐震基準に改正をされたのである。
1981年6月1日以降に建設される建物は震度6~7クラスに堪えられる構造で設計しなさいということである。
我が社の坂本ビルの竣工は1969年10月である。
つまり、この新耐震基準が施行される12年も前に建てられたビルで、帯広市では6階建て以上のビルでは一番古くて、今年で建築後55年にもなるビルなのだ。
坂本ビルは鉄筋コンクリート造りであるから、鉄骨の建物よりは丈夫であるが、それでも心配だ。
長持ちさせるのには、耐震の検査をして指摘された箇所の補強工事を行えば良いのだが、かと言ってそう簡単に出来るものではない。
入居してるテナントさんが多数ある場合に改修工事を行うことは相当な困難が伴うからだ。
コロナ禍でテナントの90%が撤退した今のガラガラの状況ならば・・・。
今年1月末に閉店した「藤丸デパート」は1980年の建物であるが、改修工事に巨額の費用が掛かることなどから、この閉店を機に取り壊しをして新しく建物を建てることにしたとの報道があった。
来年3月で閉館するという「長崎屋」は1990年の建物でまだ33年しか経っていない建物だが、ここも取り壊すという報道である。
坂本ビルも地震が怖い。震度7クラスの地震には耐えられないのじゃないだろうかと心配してる。
阪神淡路大震災の時のビルが倒壊した姿が目に焼き付いている。
■2023-07-11-Tuesday 出雲大社
2018年4月に夫婦で出雲大社を中心に神社巡りをしてきた。
出雲大社にはいくつかの不思議があるが・・・
出雲大社の参道は鳥居から本殿に向かっては下り坂の「下り参道」と云う、とても珍しい形状の参道になっていた。
つまり、入口の鳥居よりも、本殿の敷地の方が低地にある構図になっているのである。鳥居から900mほどのゆるやかな下り坂を降りて本殿にお参りする形状になっている。
日本の圧倒的多数の神社は、本殿が丘や山の上にあるから、低地にある鳥居をくぐってから階段状や登り坂になっている参道を上がっていって本殿にお参りするのがセオリーなのである。
今回の出雲地方の大雨被害の様子をテレビのニュースで報道していたが、高い位置にあるはずの鳥居の前の「出雲大社正門前商店街」に大雨の被害があったという映像を見て出雲大社が浸水しないか心配したのであったが・・・
低い位置にあるはずの出雲大社の本殿辺りには被害が無かったのだとニュースで言っていた。不思議なことがあるものだ。
出雲大社は「水は低き所に流れる」と云う法則が当てはまらない場所なのであろうか?
「下り参道」と云う形状には「祟り神」を封じる意味があるとの説もあるし、出雲大社に祀られているのは「大国主命(オオクニヌシノミコト)」もそうだが、出雲大社が本当に祀っているのは「須佐之男命(スサノオノミコト)」であると云う説もある。
ヤマト政権に祟る神を出雲大社に祀って、祟らないように何重にもわたって封じ込めた神社だとの説もある。
低い場所にあるはずなのに、雨の被害に遭わなかったというのは面白い現象だなぁ~。
■2023-07-14-Friday マジック・ミュージアム進捗状況
留寿都村のルスツ・リゾートの
マジック・ミュージアム・プロジェクトの社員3人が14日来社した。
今年9月にオープンさせる予定であったマジック・ミュージアムの開館を11月くらいまで延期させてほしいとの要請の為である。
去年10月にルスツ・リゾートの現地を視察させてもらってから、メールではやりとりしていたものの、久し振りの顔を合わせての会議である。
延期の要請の他にも、展示場所の変更や展示物の選択など等議題は多い。
当初予定していた遊園地内の未使用の倉庫を改造しての構想は、遊園地が冬期間は閉鎖されること等がネックとなっていたが、ホテル内の廊下を改造することで通年展示が出来るようにしたいとのこと。展示スペースは減るものの、冬期間閉鎖よりはマシであろうと判断してOKした。
展示スペースが大幅に減ることから、寄贈した展示物の全てを置くスペースが無くなる。展示品の取捨選択を迫られることになる。
書籍類やDVDやビデオ等は貴重な資料ではあるが「背表紙」を見せるだけの展示方法ではインパクトに欠けるであろうし、現代の若者達の関心は薄い物かもしれない。
奥行が必要な展示物も廊下という場所であるが故に展示方法が難しい。
おのずと、「ポスター」「絵画」「トランプ」「フィギュア」などが中心となるであろう。だが、「ディズニー」のフィギュアの展示はパテントの扱いが厳しいので断念することになりそうだとのこと。
どうせ、そこまで変えるならば、「博物館」みたいな展示の仕方ではなく、遊び心のある観て楽しい、動きがあって楽しいみたいな新たな展示の仕方にしてもらいたい。
私自身はまだ観ていないが、東京の豊島園跡についこの前に完成した「ハリー・ポッター」の施設の様な「魔法館」みたいな雰囲気と仕掛けが欲しいところである。
この方面に関しての研究をしている旧知の大学教授をアドバイザーに依頼してはどうかと推薦しておいた。
この大学教授は、USJのアドバイザーや大阪万博のアドバイスも行っている人で私よりも若い。
世界中の博物館、展示館、動物園、博覧会などを見て歩き研究している方だから、きっと面白いアイデアを紹介してくれるのではないかと期待している。
■2023-07-17-Monday 同級生とゴルフ
今日、同学年の友人とゴルフをした。
昭和32年生まれの酉(とり)と33年生まれの戌(いぬ)の同学年生が、厄年のお祓いを期に集まって出来た酉戌会(ゆうじゅかい)のゴルフコンペが17日に帯広国際カントリークラブで開催された。
飲料メーカーのキリンの協賛オープンコンペに参加する方法で行われたのだが、参加者は4名1組だけであった。
その4人全員が、家が中心街にあった幼馴染で、同じ小学校、中学校を出ている。
久し振りに顔を合わせた人もいたが、会うなり一様に健康状態を心配する挨拶になるのは、前期高齢者になったからなのであろうか?
全員が互いの不健康自慢をする。
今日は、曇りの天気で暑くもなく寒くもなく雨も降らずのまぁまぁの天候であった。蒸し暑い炎天下でのゴルフは身体の負担が大きくなってきたから、この気温は助かる。
私のプレーはというと、ここ最近の傾向であるが、ボギーばっかりである。東コースは7ホールがボギーで、パーとダボがそれぞれ1つづつの45打、中コースはパー2,ボギー4,ダボ3で46打の合計91打。
何せ、体力低下でボールが以前よりも飛ばなくなっているからパーオンしていかないので、簡単にボギーを叩いてしまう。もう最近はすっかり諦めの境地に達している。
ダブルぺリア方式であったが、第15位の飛賞「キリン午後の紅茶ミルクティ20缶)が当たった。
他の3人は参加賞であったから当たっただけ運が良かったということかな。
歳をとっても出来るスポーツってのは、もうゴルフくらいしか残っていないのかも、パークゴルフやゲートボールは年寄り臭いからまだやりたくないよなぁ~。
■2023-07-21-Friday 新聞記事&広告
8月13日に開催されるマジックショーの
「奇術の世界ファンタジーマジックショーinまくべつ(日本奇術協会主催)」の宣伝の記事と広告が21日の十勝毎日新聞に掲載された。
随分早くから手配をしていたのであるが、掲載がここまで遅くなってしまったのには、いくつかの手違いがあったようだ。
私は、日本奇術協会の賛助会員になっていることから、協会から手伝って欲しいとの要請があり「地域コーディネーター」として、新聞社などへの橋渡し役のお手伝いをしてきたのであるが、しかし、なにせこの開催日程が大問題なのである。
私は2002年から20年も続けている「平原まつり」(これまでは8月14~16日、今年は8月14・15の二日間)での「大道芸フェスティバル」の仕事もしているので日程が被ってしまっているのだ。
一緒に大道芸をサポートしてもらっている勝毎の事業部は8月13日は、10万人の観客を集める一大イベントである「勝毎花火大会」がある。
8月13~16日は「地獄の3日間」なのである。
特に今年は大道芸人は別のイベントで12日から帯広入りすることになっているのだ。マジシャンたちも12日に入って来る予定となっている。
何故、よりによって、奇術協会がこの日程で帯広の隣町の幕別での公演を選んだのであろうか?
私の趣味がマジックでも、まさか身体を半分にすることは出来ないし、瞬間移動もできない。
開催日も近づいてきたし、困ったなぁ~。
■2023-07-22-Saturday 絢香コンサート
今日、帯広市民文化大ホールで開催された絢香のコンサートに
行ってきた。
LIVEはやっぱり良いなぁ~。
特に歌の上手い歌手のコンサートは観に行って良かったとつくづく思う。
やっぱり芸能事はテレビやスクリーン越しでは臨場感が湧かない。
LIVEというのは一期一会で毎回毎回状況が変わるから、たとえ同じバンド編成で同じ歌を同じ順番で唄っても、その場所毎で雰囲気は毎回ガラリと変わる。
だから、この日も絢香の追っかけのファンと思しき人達が、帯広までLIVEをわざわざ見に来る人が居るのだ。旅費や宿泊費も掛かるであろうし、彼らの収入はどうなっているのであろうか?他人事ながら心配になる。
コンサートは16:00開場の17:00開演である。終演まで夕食を我慢するのもお腹が空きそうだったので、市民文化ホールの隣の長崎屋で夕食を摂ってから会場入りすることにした。
最近はカレーライスを食べると胸やけするようになってきたから、軽く蕎麦でも手繰ることにした。
4階の「一休」は今年の1月末までは藤丸の6階に在った蕎麦屋の店主の佐藤さんがやっている。もともとここ長崎屋の店は支店みたいに在ったのだが、藤丸が閉店したので長崎屋の店主として営業している。
この一休は、親父さんが西3条南10丁目でやっていた「一ぷく」という蕎麦屋の息子さんで、私はこの「一ぷく」にも通っていたから顔馴染みなのである。一ぷくは田舎蕎麦風の太く茶色い麺の蕎麦であったが、一休は白っぽい蕎麦と緑色のよもぎ蕎麦の2種類の蕎麦で麺も細い。
他に客が私たち夫婦しか居なかったので、店主の佐藤さんがテーブルまで来て、中心街は藤丸閉店で寂しくなったねぇ、家も後継者居ないし来年3月の長崎屋閉店を機に店仕舞いすると云う。
ますます中心街で昼食を取る店も無くなるなぁ~。
長崎屋もこの7月末で長崎屋の店舗が抜ける。もうすでに商品がガラガラになった棚などが目立つようになってきて、寂しさに拍車をかけている。
入居テナントもかなり減った様に見える。この状態で櫛の歯が抜ける様に店が段々と減っていっては、他の店舗が来年3月まで営業すると言っても商売が成り立つのであろうかなぁ~。ガラガラの店舗のショッピングセンターほど寂しい場所はないから、商売は難しくなるであろうなぁ。
■2023-07-24-Monday 勝毎「論壇」
2023年7月24日十勝毎日新聞「論壇」掲載記事
「地震とビルの老朽化」
30年前の7月12日に発生した北海道南西沖地震(マグニチュード=以後M=7.8、奥尻島の震度6)の追悼番組を見てその被害の大きさにがくぜんとした。
政府の地震調査委員会が2019年に「十勝沖」などの千島海溝沿いで今後「M8.8程度以上」の巨大地震が起きる恐れがあるとの新たな評価を公表した。巨大地震は過去に350年前後の間隔で発生、前回からすでに400年程経過していることから、巨大地震が切迫している可能性が高いとしている。
東日本大震災級の津波も怖いが建物の倒壊も怖い。1995年1月に発生した阪神淡路大震災(M7.3、神戸の震度7)では、神戸市繁華街の三宮のビルが倒壊した映像が印象深い。
マグニチュードとは、地震のエネルギーを表し、1大きくなると約32倍、2大きくなると1000倍になる。
建物には「旧」と「新」の「耐震基準(地震に耐える構造の基準)」があり、81年5月31日までの建築確認において適用していた基準が「旧耐震基準」、その翌日の6月1日から適用された基準が「新耐震基準」である。
旧耐震基準は50年の「建築基準法」にまで遡る。68年の十勝沖地震(M7.9、帯広の震度4)で函館大学などのビル倒壊があったことから鉄筋コンクリート構造の建物の帯筋(鉄筋コンクリート柱に用いる鉄筋の一つ)の基準などが強化された。そして78年の宮城沖地震(M7.4、帯広の震度4)の建物倒壊などの被害を踏まえて81年に新耐震基準に改正された。
同年6月1日以降に建設される建物には「震度5強程度の中規模地震では軽微な損傷、震度6強から7程度の大規模地震でも倒壊は免れる強さとする」ことを義務づけた。
今年1月末に閉店した「藤丸デパート」は80年竣工(しゅんこう)だから旧耐震基準で築後43年だが、新聞報道では改修工事に巨額の費用が掛かることなどから閉店を機に取り壊して新しいビルを建てることにしたとあった。
来年3月で閉館するという「長崎屋」は築後33年の90年竣工で新耐震基準だが、老朽化で取り壊す予定という報道である。
坂本ビルの竣工は69年10月で「旧耐震基準」で建てられたビルである。新耐震基準が施行される12年前に建てられたビルで、帯広市内では6階建て以上のビルでは一番古く、今年で建築後55年になるビルだ。
耐震検査をして補強工事を施せばよいというのだが、そうそう簡単に出来るものではない。実際に改修工事を行うには各種の問題が伴う。
今後帯広でも同様の問題を抱えたビルが増えることであろう。
■2023-07-25-Tuesday 暑~い
今日の帯広市の最高気温は35.5℃
の猛暑日である。
天気予報で暑くなるとの予想が出ていたので、犬の散歩もまだ暑くなる前に済まそうと思って朝の6:00に家を出たのであるが、すでに日差しがものすごく強くて身体に突き刺ような感じがするほど強烈であった。
犬も辛そうだったので早々に切り上げて戻ったのだが、家の中もすでに暑くなっている。
我が家にクーラーを設置したのは以前に飼っていた犬用で居間にしか設置していない、それも20数年前に買った代物である。普段はほとんど使うことなどないから点検などもやったことがない。
北海道では自宅にクーラーが付いている家など少なかった。夕方に庭に水を撒いて窓を開けて網戸にしておけば十分であった。夜に寝る時にそのまま窓を開け放しにしておくと夜中に寒くて目が覚めたくらいであったのだが・・・
最近はぶっそうな世の中になったから、夜中に窓を開け放すことは出来ないしなぁ~。
ほとんど裸の恰好でアイスキャンディばかり食べて過ごした。
暑さで食欲も減退しているから、夕食もローソンに行って冷凍の日本蕎麦を買ってきて冷たいお蕎麦にして食べた。晩酌の酒のあては冷奴と糠漬けである。ビールをグイッといきたいところだが、どうも最近はビールよりも芋焼酎の方が好みであるから、レモン炭酸割りにして飲んだ。
天気予報では明日は今日以上に気温が上がるとのことである。
ヤクルト1000を飲んで寝たのだが、夜中の1時半頃に喉が渇いて目が覚めた。水ともう一本ヤクルト1000を飲んで寝たが、パジャマが汗で濡れていた。暑さに弱い人間であるから寝苦しい夏は大嫌いだ!
■2023-07-26-Wednesday 今日も暑~い!
昨日も暑かったが今日も暑い!
昨日の帯広市の最高気温は35.5℃で今日の最高気温は35.4℃。2日続きの猛暑日である。
今朝も朝早くの6:00に犬の散歩に出掛けたが、朝っぱらから日差しがキツイ!こんな早朝なのに犬も外に出たがらないようだ。いつもの道を途中でショートカットして早く家に戻ろうとするのである。
私も汗が出てきたので早めに切り上げて自宅に戻った。
水分補給を怠らないように水をチビリチビリと飲むようにしている。
ここ数ヵ月間伸ばしていた髪の毛がうっとうしくなってきた。隠居に合わせて「仙人」みたいに髪も髭も長~く伸ばすつもりでいたのであるが、この暑さではうっとおしく感じるようになってきた。
顔を合わせる人たち皆から似合わないと言われることもあって、美容室に予約を入れてさっぱりとカットしてもらってきた。
やっぱり夏の髪型はショートカットである。
美容室の帰りにコンビニに寄って冷凍の蕎麦を買おうと思ったのだが、すでに売り切れであった。皆考えることは一緒である。
コンビニの冷凍庫の中に「アップルパイ」があった。包装の裏側には電子レンジにかけないで冷たく凍ったままで食べると書いてある。これは良いぞと思い買った。その他にアイスキャンディを数本買って帰った。
こう暑くては食欲も湧かない。
冷たい麺類くらいしか食べる気にならない。栄養ドリンクとアイスキャンディと冷やしたチョコレートばかりを食べている。
昨日の夜はクーラーを切って寝たのだが、夜中に汗をかいたり喉が渇いたりしたから、今日はクーラーを点けっぱなしで寝ようと言ったのだが、音が気になるしクーラーの冷たさが嫌いだと言うので、扇風機を最小にして寝たのであるが、やっぱり音が気になるという。
明日の天気予報は帯広の最高気温は今日以上の36℃だという。北海道の家は高断熱高気密住宅であるから、一旦家の中が暖まってしまうと今度は熱が逃げていかないから困る。
3日連続の猛暑日で、クーラーの付いていない部屋は蒸し風呂みたいになっている。これからいったいどうしたら良いのだろう!
■2023-07-27-Thursday まだまだ暑~い!
今日の最高気温は34.4℃だと発表されたが・・・
この3日間の気温では一番低くて猛暑日ではないのに、家の中は暖まった空気が残っていて逆に昨日よりも暑い。
北海道の高断熱高気密住宅でクーラー無しの生活では、一度暑くなった家の中は灼熱地獄である。
扇風機では暑い空気を撹拌するだけで生ぬるい風が来るだけ。
参ったなぁ~。
暑くて眠れずに早朝5時に目が覚めた。というよりも寝たんだか寝てないんだかよく分からない状態である。
5:30頃に玄関のチャイムが鳴った。誰だろう?こんな早朝に・・・
監視カメラで見たのだがツバの広い帽子を被っているので顔が見えないから出ないでいたら、庭の方に向かって来た。
近所の老婦人であった。
庭で採れた野菜をおすそ分けに持って来てくれたのである。
ここ数日間は6時には犬の散歩にいくから起きてはいるが・・・
老人の朝は早い!
明日は「お盆参り」でお寺さんが来る日だから、玄関先をキレイにしておかなければならない。
7時半頃から水を撒いて掃除をしたのだが、ここ数日間の熱が地面に溜まっているのであろう。アッという間に蒸発してすぐに渇いてしまう。それでも水を撒けば幾分かは涼しく感じる。
そうだ!寝る前にも家の周りに水撒きをして気化熱で気温を下げてから寝ようと決めた。
午後に仏前の供え物とお坊さんなどに出すお菓子を買いに行ったときに、果物のゼリーが売っていたので一緒に購入してきた。このゼリーを冷凍庫で凍らせてシャーベット状にしてデザートにしようと考えたのである。
晩ご飯を食べ終えてから庭に出て水を撒いたら少しは涼しくなった。
天気予報ではこの高気温状態は後一週間は続くみたいである。
身体がもつのであろうかなぁ~。
■2023-07-28-Friday もう勘弁して
今日の最高気温は35.6℃
昨日よりも気温が高くなった。もう勘弁してほしい。
今年のお盆はやたらと忙しいスケジュールがすでに入っているので、お寺さんにお盆の時期(13~16日)の「お盆参り」は避けてほしいとお願いしていたら、今日の朝の8:30にお参りするとの連絡が入った。
最近は朝の5時には起きているから、8時半のお参りでも問題ないのだが、兄弟姉妹たちが朝早いとお参りが大変になることだけが心配である。
前日に盆提灯も出しておいた。
朝の犬の散歩の前にクーラーの電源を入れておき、散歩から戻ったら玄関先に打ち水をしておいたのだが、撒いた水もすぐに蒸発してしまう。玄関先のタイルがここ数日の高温で蓄熱しているのであろう。打ち水程度ではまさに「焼石に水」の状態であるから、ホースで水を撒いたのであったが、ホースの繋ぎ方がまずかったのか撒いている途中でホースが蛇口から外れて、私が頭から水を大量にかぶってしまい全身びしょ濡れになってしまったのである。
すぐに水を止めて着替えたのであったが直前のアクシデントは焦るものである。
お坊さんは時間通りに8:30に来てお参りをしてくれたが、朝の7時から檀家を回っているという。まだ早朝なのに暑くてかなわないとこぼしていたのであった。
6時に入れたクーラーであったが、部屋の中がさっぱり涼しくならない。やはり高断熱高気密住宅であるから、ここ数日の高気温が部屋のなかに溜まっていて、そう簡単にはクーラーも効かない。
会社に出社すると事務所内はクーラーが効いていて涼しいが、廊下にはクーラーを効かせていないので、事務所から廊下に出た途端にモァッとした温かい空気が身体にまとわりつく。
昼食はいつもは妻が作るお弁当を事務所で食べるのであるが、この暑さでは食中毒が怖いのとお米を食べる食欲も湧かないから、こんな日は冷たい蕎麦に限るとお蕎麦屋さんに行って食べてきた。
外気温が30℃を超えると蕎麦屋が繁盛する。
それでもタネモノを食べる気力も湧かなくて盛り蕎麦を食べただけにしておいた。
この暑さが続いたら夏痩せするかもしれないなぁ~。
■2023-07-29-Saturday エスコンフィールド
今日はエスコンフィールドで野球観戦の日である。
札幌の知人から、エスコンフィールド新球場への招待券を2枚頂いたのであるが、そのチケットというのが凄かった!
7月29日(土)14:00試合開始の日本ハムファイターズvsオリックスバッファローズ戦のチケットで、席は一塁側ダッグアウトクラブシート席(docomo CLUB LOUNGE)と印字されてある。
どの辺りの席なのかを頂いてすぐにネットで検索してみたら、ファイターズの選手が試合中に控えている1塁側ダッグアウトのすぐ隣の席で、グランドと同じ高さの目線の席なのである。席のすぐ裏手にはこの席専用のラウンジがあって飲食は無料だし、観客席にも持ち込めるのだと言う。
野球の最高の席はバックネット裏だとず~っと思い込んでいたのだが・・・。
プレーしている選手と同じグランドの高さでプロ野球の試合が観戦出来るということが、いったいどう云うものなのかとの想像が実際に体験するまでは出来なかった・・・。
今年の4月末に完成したばかりのエスコンフィールドは札幌市と千歳市の中間辺りの「北広島市」にある。
帯広からJRの列車に乗って札幌に行く途中の車窓から工事中の球場が見えていた。
4月の末頃にはテレビで新球場完成の様子の特番が組まれていたし、親類が5月の連休に野球観戦に行ってきた様子を聞いたりしていたので期待感は十分に高まっていた。
この時には親類は車で行ったのだが、私は車の運転は嫌いである。公共交通機関がある場所には基本的に公共交通機関を使用して移動をしているので今回もJRで行くことにした。
帯広駅08:03発の特急おおぞら2号に乗って南千歳駅着は10:14。南千歳駅から10:22発の快速エアポート103号に乗り換えて北広島駅着は10:39。所要時間は乗り換えも含めて2時間36分である。
北広島駅を降りて改札口から外を眺めてみたら、駅南側のバス・タクシー乗り場にはすでに長い行列が出来ていた。駅の北側には「エスコンフィールドまで徒歩19分」の案内版がある。夫婦共に列に並ぶことが大嫌いであるし、チケットには開場予定時間は11:00と書いてあったので歩いて行くことにしたのであった。
しかし、これが間違いの元であった。
この日の札幌の最高気温は34.4℃であった。北広島も札幌と同じ様な高気温であったことだろう。炎天下の強烈な日差しの中を、日陰がまったく無い道をしかも上り坂の道を20分以上も歩いてようやく球場まで到達した。
汗かきの私は背中に背負ったリュックサックとシャツのすき間から汗がお尻にまで流れてくる。タオルハンカチも汗でビチャビチャである。手に持った水のペットボトルはすでにお湯になっていた。
正面玄関から中に入ろうと思ってチケットを係員に見せて尋ねたら、このチケットの入口が判らないと言う。一塁側の入り口の方に回って行って聞いて下さいとのこと。
球場の外周りをグルリと回って1塁側の入り口から入場した。
入口の係員にこの席にはどう行ったら良いのかと尋ねたが要領を得ない。このチケットを持つ客への対応をしたことがないのであろう。
ようやくそれらしきエレベータの前に辿り着いて、そのエレベータ前の係員に聞いたらば、このエレベータで地下まで行って下さい。そこがラウンジですと言うので、エレベータに乗って地下まで降りて行った。
エレベータの前に、ようやくネットで調べたラウンジの風景が開けた。開場してから間もなくの時間帯であったのでラウンジにはまだほとんど観客は来て居ない。
喉がカラカラだったので、無料だというラウンジでまずはビールをもらい。おつまみになるものをバイキングで皿に盛ってラウンジのテーブル席に座って食べていたら、隣の観客が首から何やら身分証の様な物をブラ下げている。
どうやら、私たちは受付を済ませずにラウンジ内に入ってしまった様である。エレベータは本来の入口ではなく、階段で降りてくる途中に受付があったのだ。そこに戻って受付を済ませて首から下げる身分証の様なカードをもらった。これをしていないと再度の入場が出来なくなる様だ。
お腹を満たしてから、新球場を探索することにした。
正面入り口の傍に、大きなダルビッシュ・有と大谷翔平の顔のデザイン画が描かれている壁がある。
この二人のMLBへの移籍金で建った様な新球場であるから、この二人の顔が描かれているのかしらん?
上の方には「七つ星横丁」という食堂街もあるし、その他にも飲食店やら物販店もたくさんあるが、この球場では現金が使えないというので何も買わなかった。
しかし、どのショップも客で溢れていた。こりゃぁ~「札幌ドーム」とは商売の規模がまるで異なるわいと納得した。札幌市の殿様商法は大きなミスをやらかしたもんだ。
札幌市も、もっと日ハムに便宜を計っていたならば球場を新設して移動はしなかったかもしれなかったのに・・・。札幌市にとっては財政的にも大変な痛手であろう。こんなことやってる札幌市はオリンピックなんて実施できるのかなぁ~。
この1塁側ダッグアウトクラブシートの席数は40~50席程度しかない。そのシートの後方にある専用ラウンジでは一流ホテル並みの料理や飲料がビュッフェスタイルで無料で提供されている。ビーフステーキはその場で焼いているし、観客席に持って入り易い焼きそば、フライドポテト、フライドチキン、サンドウィッチ、エビチリ、サラダ、ケーキからポップコーンまで種類も豊富でどれも美味しい、特にカレーライスは絶品で3杯も食べてしまった。
トイレも専用トイレであるし、ラウンジではモニターもあちらこちらに付いているから試合の模様は食事をしながらでも見ることが出来るし、観客席にも持ち込み自由である。
1塁側ラウンジにだけは、試合後に行う記者会見用の部屋も隣接されていて記者会見の模様までガラス越しに見ることが出来る。特別感満載の席であった。
さて肝心の試合であるが・・・
日ハムの先発はWBCにも出場した駒澤大学の後輩の伊藤大海(いとうひろみ)投手である。
私のすぐ目の前で投球練習をしている姿が見える。球のスピードの速さが実感できる迫力満点の席の近さである。
2回の表のオリックスの攻撃で、伊藤投手が三本間の狭殺プレーのタッチミスでやらずもがなの1点を自ら与えてしまった。
三塁と本塁間の挟殺をするのには三塁側に近い所にランナーを追い戻すのがセオリーなのに・・・。あんなに本塁に近い場所で・・・。
何だかスッキリしない点の与え方である。
3回にも押し出しのファーボールで1点を与えているし・・・。結局伊藤は3回で交代した。
攻撃では何と言っても3対4の1点ビハインドの9回裏の1死満塁でバッターは前の打席でソロホームランを打っている清宮の場面である。
1打逆転サヨナラを打ってヒーローを狙ったのであろうが、フルカウントになったのだから、このままファールで粘ってまずはフォアボールで押し出し同点の満塁にして万波に託すべきだろうに・・・、それがチームプレーってもんだろう。
結局清宮はセカンドゴロゲッツーで試合終了。例によっての1点差負けであった。
勝てる試合を逃したところがチームの若さというか、勝てない原因というのか・・・
試合の後は、この球場で可動式の屋根を開けての花火大会が開催されると言う。試合は6時前に終了したが、花火大会は7時半過ぎからだとのアナウンスがあったので、帰ることにした。花火大会終了後ならば帰るのが大変なことが予想されたからである。
花火大会も見てみたかったが、それよりも帰りに北広島駅までノンビリと人の渋滞する中を歩くのはしんどいという気持ちの方が勝ったのであった。
試合には負けたが、普通の席では経験できなかった素晴らしい野球観戦をさせてもらった。感謝、感謝である。
■2023-07-30-Sunday 札幌
野球の試合を観てまっすぐ帯広に帰るのもモッタイナイ。
若い頃に比べて移動することが体力的にもかなりシンドクなってきている。
3時間以上掛けて帯広に戻るよりも、30分で札幌に出て泊まる方がはるかに楽であるし、久し振りに札幌の再開発の様子も見学しておきたいと思いホテルをとった。
しかし、札幌のホテルはどこも混んでいるし、宿泊料金がコロナ禍時の倍以上もしているホテルもある。かなりインバウンドの海外からの観光客が増加しているのであろう、ようやくススキノのビジネスホテルのルートインホテルを予約出来た。
狸小路に面した3丁目にあった「サンデパート」が再開発され、この7月に一部をオープンして「moyuk sapporo モユク サッポロ」として再生した。
「サンデパート」は1962年に開業した寄合デパートであり、父がこのビルをかなり意識していたであろうことは、我が社のビル名が「サニーデパート」と名前が似ていることからも推察できる。
私は小学1年生時分から一人で国鉄の列車に乗って、毎度の(春・夏・冬)休みに伯父の店舗兼住宅のあった南2条西3丁目に遊びに来ていた。現在のパルコの1丁南側の駅前通りに面した角地で「北宝商会」という北海道民芸品を営んでいたのだ。この建物を札幌オリンピック前に5階建ての「北宝ビル」へと建て替えて職住を分離させたのだが、それ以前はこの札幌の中心街にずっと暮らしていたのである。だから私は札幌オリンピック前後の札幌市中心街の変わり様をしっかりと記憶しているのである。
北広島のエスコンフィールドから札幌のススキノのホテルにチェックインしてすぐに、この「モユク」を見学に行った。夜の混み具合も観ておきたかったからだ。4~6階には「AOAO SAPPORO」なる水族館もあったが、ここは明日の午前中にゆっくり見学することにした。
夕食はエスコンフィールドでタップリ食べていたのでお腹が空いていないから、コンビニで軽食などを購入し、薬局で筋肉消炎剤のチックを購入してからホテルに戻った。歩き過ぎて足が痙攣を起こしそうな感じがしたからだが、これは正解であった。予想通りに朝方にベッドで足が攣ってしまったのであった。
ホテルは朝食付きであった。ビュッフェスタイルであったが、予想に反して豊富なメニューであった。帯広では普段は朝食は食べないのだが、旅行先では朝食もしっかりと食べるようにしている。あちこちと歩き回るにはエネルギーを蓄えなければならない。
ホテルを出てモユクに向かうときに地下街で「マッサージ」店の看板が目に留まった。予約がすでに一杯で私は15分間だけ足裏マッサージをしてもらい、妻は肩を15分間だけマッサージしてもらったのだが、だいぶん楽になった。
モユクの水族館は小さな水槽ばかりで、大きな水槽というのは無かった。ラボと謳っていたがその名の通リ実験室みたいなイメージであった。ペンギンは可愛かったし、クラゲも面白かったが、他の展示物はあまり感動はしなかった。昼食にはやや早かったが混み合う前に地階の蕎麦屋で蕎麦を食べてから「劇団四季のミュージカル リトル・マーメイド」を鑑賞しに行った。
ミュージカル大好き人間の私としては観ておきたい演目であるのだが、妻は数年前に一度観ていると難色を示す。ミュージカルというものはLIVEであるからその都度、毎回雰囲気が異なるものである。何度でも観たほうがよいのである。
観終わってから妻も「良かった」と言う。そうだろう!そうだろう!
駅に向かう途中で大通り西3丁目の「大通ビッセ」の町村農場に寄ってソフトクリームを食べた。昨日からずっとソフトクリームを食べたかったのである。
今日は「土用の丑の日」である。
駅に隣接する大丸デパートの地下ではどの店も「うなぎ弁当」を売っていたが、どうせ、ウナギを食べるなら名店のうなぎを食べたいと思い。「宮川」のウナギを購入してから列車に乗った。
暑かったのと歩き過ぎたのでかなり疲れたが、良い経験ができた小旅行であった。
■2023-07-31-Monday 地球沸騰?
国連のグテレス事務総長が
「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代がやってきた」と言った。この7月の世界の平均気温が観測史上最高を記録したのである。今年7月の高気温は日本だけの現象ではない。
十勝も例外ではなく、連日の猛暑日に辟易している。今日の最高気温は30.7℃で午後には水撒き程度の2㎜の小雨が降ったから幾分かは気温が下がったが・・・。それでもまだ30℃以上の最高気温が続いている。
私は帯広青年会議所で1992年に「都市環境問題委員長」を務めた時に地球環境問題を勉強し、その対策から翌1993年に所属した「大学問題委員会」で十勝に「国際環境大学」を創設することを提案した。
1995年には「国際環境大学構想プロジェクト」の担当副理事長としてその活動を推進し、翌96年には「十勝環境ラボラトリー」を創設して、その後10年間2006年末まで活動を精力的に推進してきた。
しかし・・・
ほとんど誰も真面目に地球環境のことなど考えてもくれなかった。この30年間は無駄だったのだろうか?
現在は、あの当時と比べたら、少しは地球環境問題への関心は高まったかもしれないが、世界中では相も変わらず地球環境のことなどお構いなしに戦争をやって地球温暖化をどんどん進行させている有様である。
国連なんて何一つ有効な解決策を提案すらしていない。
SDGsなんて云うまやかしを世の中に蔓延らせて満足しているだけだ。
グテレス事務総長が言う様に地球が本当に沸騰したらいったいどうなるのだろうか?
北極の氷はコップの中の水に浮かぶ氷と同じで融けても水の量は増えないのだが、南極の氷は南極大陸と云う陸地の上にある分厚い氷であるから、これが溶け出したら海水が増えて、水没する島や沿岸部が出て来る。
南極の棚氷が割れて、巨大な島クラスの大きさの氷の塊が滑って海にドッブンコと落ちたら、その衝撃で巨大な津波が起きると予想されている。
そうなったらもう終わりだ。
エルニーニョ現象だのラニーニャ現象だのと海面の水温が平年よりも高いとか低いとかで、世界中で異常気象が起きているが、その比ではない異常気象が起きるであろう。
どんな状況になるのかは前例が無いからよくわからないらしいが、冷たい巨大な氷が海面に落ちたら海水温は急激に下がるのは必至であろう。
地球環境はもう崖っぷちにあるのではないのだろうか?
いずれにしろ急激な変化には人間も動物も植物も対応が出来ずに地球滅亡なんてことになるかもしれない。そうなってからでは遅い。
いや、すでにもう手遅れなのかも・・・