■2018-07-01-Sunday 金・土曜日
29日(金)は
16:30から「帯広青年会議所」の60周年の記念式典が帯広市民文化小ホールで、18:30からは駅北多目的広場で懇親会が開催された。
帯広青年会議所は私が生れた昭和33年に設立されているから、今年60周年ということになる。私と同じ還暦である。
青年会議所(JC)は40歳で卒業である、私は28歳で入会したから12年間も在籍をした。20年前に卒業しているのだが、何だか、ついこの前だったような気がするほど、この20年間の過ぎるスピードを速く感じている。
昔の仲間等と会うと気分が若返るなぁ〜。
しかし、我々が現役の頃には180名以上も居た会員が、現在は59名であると云う。少子化のせいなのか、景気が悪いのか、若者がJC的なものを嫌うのか・・・、おそらく、それがミックスされての会員減少なのであろう。少ない人数で、こういった記念式典を開催するのは、かなり大変なことであったろう。お疲れ様である。
翌、6月30日(土)は、私が支部会長を務める「駒澤大学同窓会十勝支部」の総会&落語会&懇親会を「とかちプラザ」で開催した。
ここ10年連続で、駒澤大学同窓の三遊亭王楽(笑点のピンク色の着物の好楽の息子)師匠をゲストに招いて、落語会を開催している。
駒澤大学同窓会の本部が、同窓生の有名人(芸能人やスポーツ選手ら)を派遣講師として登録してあり、支部総会にその派遣講師をゲストとして招聘するなら、そのギャラや旅費は本部が負担してくれる制度があるのである。
同窓生だけの少人数で聞くのはモッタイナイからと13年程前から、この制度を活用して、同窓生以外の一般の方々にも無料で開放しているのである。
王楽師匠は10周年の際に、やはり駒大同窓である彼の兄弟子(5代目円楽の弟子)の三遊亭貴楽師匠と二人を招いて「駒大寄席」を開催した時から10年連続で招聘していおり、もうすっかり帯広に定着したようで、王楽さんのファンも大勢出来たようだ。
15周年の時には、好楽・王楽の親子落語会を開催している。
ここ2〜3年は、毎回300人ほどの観客が集まるようになっているのだが、今回は、無料チケットの配布でミスをしてしまった。
とかちプラザと坂本ビルで配布した枚数が定員をオーバーしていたのである。消防法では定員オーバーは認められないことになっている。その他に同窓会会員にも郵送で2枚ずつ配布しているので定員を超えてしまう危険性を感じて、配布を終了したのだ。
無料だと、自身がお金を払ってチケットを購入していないので、当日の都合でのドタキャンが多いのが常であるから来場者数を読み難いのである。
だから、坂本ビルにチケットを求めて来られた、ここ2〜3日の方々にはチケット配布は終了しましたと告げてしまったのである。
今日は、蒸し暑い日で、とかちプラザではいくつかのイベントが開催されており、駐車場が近燐のを含めて満車状態であった。その為かドタキャンが多くなったようで350席のところ300人の来場に留まったのだ。
この50人の読み方が難しい。
来年は20周年である。
駒大同窓には6人ほどの落語家が居るので、来年は複数の落語家と色モノ(落語以外の寄席芸)の芸人を招聘して「駒大寄席」を開催することを総会で決定した。
来年こそは満席にしたいと思う。
■2018-07-02-Monday 日曜日
7月1日(日)は
まず、午前中は十勝カントリークラブで駒澤大学同窓会のゴルフコンペである。前日の総会&落語会の労をねぎらう為のゴルフだ。
前日夜に見た天気予報では、十勝は曇りということであったが・・・、どうも最近の天気予報は当たらないなぁ〜。
やっている間はずっと小雨が降っていた。
ゲストの三遊亭王楽師匠と東京の同窓会本部から副会長のWさんも参加してくれた。
王楽さんは、十勝でしかゴルフをやらないと云う。去年は雨で中止となっているから2年振りのゴルフだと云う。
天気は思わしくなかったが和気藹々とした楽しいゴルフであった。一緒に回った王楽さんは3番のショートホールでワンオンして、人生初めてのバーディを達成し、ニアピン賞も獲得かと思われたのだが、ニアピン賞は後続の空気を読めない人が抜かしてしまったのだった。
終了後には、これまた恒例になっている「焼肉平和園」で懇親会&表彰式である。ダブルぺリア方式であったが、優勝は東京本部から来てくれた同窓会のW副会長さん、ビリは王楽さんであった。因みに私はベストグロスで準優勝であった。
昼食の焼肉も盛り上がり、来年の十勝支部20周年では「駒大寄席」を開催することが前日の総会で決定したのだが、来年7月の会場(とかちプラザのレインボーホール)の予約が今朝で、それも抽選なのである。
ゴルフに参加しないメンバーが抽選に赴いてくれて、見事に予定通していた7月13日(土)を引き当てたのであった。
日程も決まったことだし、王楽さんのスケジュールも抑えたので、後の落語家や色物の芸人さんと交渉を開始して、複数の芸人での「寄席」にしたいと思う。駒大の同窓生からは「芸人を呼ばずに、坂本がマジックをやったら良い」とも言われたが・・・。
15時からは、私が評議員を務めている「真宗協会70周年記念講演会&式典&祝賀会」が北海道ホテルで開催される。真宗協会は、病院などの医療福祉、老人ホームなどの高齢者福祉、障害者福祉事業などを展開している社会福祉法人である。
焼肉の煙で全身が臭くなっているので、自宅でシャワーを浴びて会場の北海道ホテルに妻と一緒に向かった。
講演会は俳優で歌手の杉良太郎さんである。杉さんも福祉事業に深く関わっている方であると云う。
杉さんの落ち着いた口調と前日からの疲れもあって、私は途中で睡魔に襲われてしまい。横に座っている妻から肘でつつかれながらの聴講であった。
祝賀会も大勢の人が出席した盛大な会で、北海道ホテルの食事も美味しく知人も多く参加していたので、会話も楽しいひとときであった。
この週末はとてもスケジュールが混んだ忙しい日であったが、充実した日でもあった。
■2018-07-03-Tuesday マジックの難しさ
マジック・ミュージアムに2日(月)の午前中に
隣町の小学校の一クラス9名の生徒と付き添いの教諭3名の計12名の予約が入った。
かなり前から予約をしてくれて、その後も何度も確認の電話や手紙まで頂いていた。1時間位の見学で、その内20分ほどの実演もやって欲しいと云う依頼である。
それくらいは普通の依頼であるからお安いご用であるのだが、気になるのは小学生と云うことだけだ。
マジックは、人間の心理面の習性を活用している演目が多い。多用するのは「先入観」であり「思い込み」である。
先入観に凝り固まった人と云うのは一番マジックをやり易い人種なのである。マジシャンが言葉で軽く誘導するだけで先入観を利用して不思議を演出できるのであるが、まだ先入観と云うものを持っていない世代、特に小学校低学年は、この誘導が効かないから一番扱い難い世代なのである。
また、興味を持つ演目を見つけるのが、これまた難しいのだ。
小学校低学年よりも下の年齢層の幼稚園児だと、モノが出現したり消失したりする単純な演目がウケルのであるが、小学校低学年になるとあまり単純な演目は面白がってくれなくなる。
何らかのヒネリ技が必要になるのである。
今回は、最初にカップ&ボールをやってある程度は興味を持ってもらったと思ったのだが、次のカードマジックはつまらなそうであった。そこでカードマジックは2種類で止めて、スプーン曲げをやったが、これもあまり興味が無さそうである。輪ゴムは、先入観が無いことが見事に発揮されてしまい初めてタネを見破られてしまった。
演じている私自身が一番驚いたのは、サイコロの目を当てるマジックである。これは大人にはあまりウケナイ演目なのだが、これを5回もリクエストされてしまった。よっぽど興味を持ったのだろう。
今後は、マジック・ミュージアムにも小さな子供らが来場するであろうから、今日の実演は私に取ってもとても勉強になった一日であった。
この小学生らが来る直前に、マジック・ミュージアムを訪ねてくれた人がいた。30日の駒大の落語会に来てくれた女性である。ここ数年毎回聞きに来てくれている方だ。無料で落語会を開催してくれていることに感謝しているのでお礼に東京のお菓子を持参した。来年も楽しみにしていると云う。実に嬉しいことである。こういう方が増えてくれたらやりがいがあるというものである。
■2018-07-04-Wednesday 諸事雑感
イヤ〜、W杯サッカーのベルギー戦惜しかったね〜。
おそらく、この一戦に関しては日本中で解説がなされるであろうから、一言だけ私見を述べる。
後半の2点先取した直後から「半端ない」ではなくて「半端な」戦い方をしてしまったということであろう。何事も中途半端が一番よろしくないのである。攻めるのか、守るのかをシッカリと決めないまま同点にされて、アディショナルタイムでは、怒涛の速攻カウンター攻撃にやられてしまったということであろうなぁ〜。この辺がまだまだ甘かったのかなぁ〜。
駒澤大学同窓会十勝支部の来年の20周年記念事業に関して、早くも動き始めた。6月30日の総会で、来年は複数の落語家や芸人を招聘しての「駒大寄席」をやることが決まっている。
日程は、1日に行われた「とかちプラザ レインボーホール」の抽選で希望していた2019年7月13日(土)を見事に引き当てたので、さっそく出演者との交渉に入ったのである。
落語家はメインに三遊亭王楽(平成12年文学部卒)(真打)(笑点のピンクの着物の三遊亭好楽の息子で、5代目円楽の最後の弟子)師匠を、サブには三遊亭ふう丈(平成20年経済学科卒)(二ツ目)(三遊亭圓丈の弟子)さんを決めた。
「寄席」と名乗るには落語家だけでは足りないので、色物の芸人として江戸大神楽の花仙(平成12年駒澤短期大学国文科卒)さんを招くことにした。大神楽(だいかぐら)とは、昔の正月のテレビで「おめでとうございま〜す」で有名になった海老一染之介、染太郎さん兄弟がいたが、日本のジャグリング(曲芸)である。
花仙さんの芸は、一昨年に拝見しているし、男の落語家2人と女性芸人1人で組合せとしてもバランスが良い。落語を耳で聞くばかりでは観客も飽きてしまうから、目で追いかける曲芸が間に入ると趣に変化が出せるので構成上もやり易い。
来年は面白い20周年記念事業になりそうである。
まだ解決できていない問題が1点ある。それは無料にするか入場料を徴収するのかという問題である。
今年の落語会も、350名収容の会場に300名の入場者数であった。無料にすると、どうしても当日のドタキャンが出てしまう。チケットを捨ててしまっても、モッタイナイという意識が薄くなっているので、主催者側にすると来場者数の読みが難しくなるのだ。
人間と云うのは、たとえ100円であっても、お金を払っていると、捨てたらモッタイナイと云う意識が働くものなのである。
だが、お金のやり取りと云うのも、これまた厄介で面倒なことなのである。
消防法では「立ち見」と云うのは許可されない。そんな中で、何とか満席にしたいと考えているのである。さて、この難問解決には知恵の働かせ処である。まだ開催日まで1年も時間があるから、何か良い方法を編み出そう。
3日の夕方から坂本ビルで、私が会長を務める「北の大地de大道芸フェスティバル」の第2回の実行委員会があった。お盆の8月14〜16日まで開催される「おびひろ平原まつり」の中で開催している大道芸の催しである。何だか最近私はまるで「興行師」みたいな仕事をしているなぁ〜。
■2018-07-05-Thursday 寒くて・・・
気温は低いし、雨が長く続いているし・・・
一体どうなっているんだ!
昼食を食べるのに半袖姿で、ビルの外に出たら・・・、雨が激しく降っているし、気温が10℃くらいしかない。寒くて寒くて、すぐに近くのラーメン屋に飛び込み、温まろうと味噌ラーメンを頼んだが、入り口付近の席しか空いていなくて、客の出入りの度に冷たい風が吹き込み、ラーメンを待つ間中寒かったのであった。
北海道中、いや日本中が雨で大変な状況である。特に北海道が酷い。
北海道は元々雨が少ない地域と云うこともあって、河川などの洪水に対する備えが十分とは言えない。それが一昨年の大洪水の被害につながったのである。
今回の雨も、長く続いているから、河川氾濫の危険性が出てきた。
今日は北海道中のJRがあちこちで不通になった。帯広ー札幌間も特急が全部運行停止になった。
気温もさっぱり上がらないから、農作物への悪影響が心配だ。生育状況も悪く、畑も水浸しになっているところが多く。根腐れを起こし始めていると云う。
このままだと、大不作になりそうな気配である。
梅雨の無いはずの北海道なのであるが、20年位前から6月に長雨が降るようになった。蝦夷梅雨とかライラック(リラ〉の時期であるからリラ梅雨とか呼ばれている現象が起きている。
明らかに地球の気候が変動している。こんなことは、私が1991年に帯広青年会議所の「都市環境問題委員会」の委員長になった際に提言した地球環境問題の時から分かっていたことである。人間というのは現実に問題が起こらないと、対処をしないものなのである。
そういえば、昨日の新聞に5月30日に「平成30年度 第1回 帯広市総合計画策定審議会」が開催され、そこでようやく、帯広市の人口減少を認め、減少に合わせた計画づくりをしなければ・・・云々の記事が載っていたが、私に言わせれば「何を今更」と云うことである。12年前の2006年にこの種の会議に参加した私は「人口減少を認めて、それに合った計画づくりをしなければ現実と計画とに歪が生じる」との懸念を示したのだが、「人口は努力すれば増えるかもしれない・・・」とか何とかアホな意見を云う奴がいて、皆がそちらの意見に引っ張られてしまったことがあった。
私は馬鹿ばっかりの会議に嫌気が差して、その会を脱退したのだったが・・・。
人口減少なんてデータを読めば明らかなことのに、実際に起こらなければ対処を始めない。いつも先送りばかりしているから、実際に人口減少が起きてから慌てるのだ。後手後手の政策が効果がよろしくないのは、これまた明らかなのであるが・・・。
■2018-07-06-Friday オウム真理教
昨日のブログで北海道の雨が酷いと書いたが、
ニュースを見たら、九州や広島や京都の雨の方が酷いようだ。アナウンサーが「何十年に一度の大雨」とか「経験したことが無いほどの・・・」とか言ってるが、一昨年や去年にも経験したばかりだぞ。もはや、毎年の大雨は恒例化してしまった感がある。この表現は実態とまるで合っていないなぁ〜。
オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫ら元幹部6人の計7人の死刑が執行されたと云う。
95年3月の地下鉄サリン事件のニュース映像は、いまだに鮮明に憶えている。同年1月の阪神淡路大震災のニュースとともに大きな出来事であった。
1973年、私が高校1年生の年に発刊された「ノストラダムスの大予言」と云う本が影響を与えたとも言われている。1999年7月に起こる地球の終わりが近づいていると云う終末論が日本を席捲していた。
終末論が流行るとオカルト的なものが同時に流行る。
現在の日本では主流になっている浄土真宗や曹洞宗などの仏教も、末法思想(釈迦の入滅一千年後にその教えが失われ世の中が乱れる)が流行った鎌倉時代に興った新興宗教なのである。
超能力などの超常現象をマジックの観点から研究していた私は、このノストラダムスの大予言関係の書籍を多数購入して読破していた。
そもそも「予言」と云うものには、人間の心理的なバイアスが掛るものなのである。「占い」と同じように、どの様にも解釈できる曖昧な表現を用い、読み手側が、当たっていると思うように仕向けるトリックなのである。要は人間の思い込みを活用したトリックなのだ。
だが、精神的に弱い人間や、悩み事を持っている人間は、何かを信じたいと思うのであろう。旧来の宗教では救われないと感じた人間が、急進的な新興宗教に傾倒する傾向がある。冷静な人間から見たら、何を馬鹿なことを思うようなことに心酔する。
死んだ後の来世で救われても仕方が無い、生きている内に救われる「現世利益」を求めるのである。
現実の世の中に不満を持った人間が、麻原の作った荒唐無稽な宗教もどきに走ったのだ。
ただ、このオウム真理教の中にも、ヒエラルキーが存在する。信者同士の嫉妬心や出世欲を活用して競争をさせる。オウム内での地位を上げたい信者は、麻原の言う事に盲目的に従うようになる。
独裁的な組織では、出世と死は独裁者の気分次第であることは北朝鮮をみたらすぐに分かるであろう。逆らったら「死」が待っている。教義に疑問を持って脱退したくなっても、脱退したらこれまた「死」が待っている。実際に脱退しようとした信者が殺されている。恐怖に依って縛られた状態だったのであろう。
「生きる」為には、教団に残らなければならない。残る以上は出世をしたい。信者は互いに、教団内での地位を上げたくて、普通ではあり得ない競争を行う。オウムが取りいれた「省庁制」がそれに拍車を掛けたのであろう。
教祖に認められたい。自分の能力を示す為に、殺人化学兵器の製造も行ったし、忠誠心を示す為に散布までして、罪のない無関係の人間を殺戮した。集団心理と競争心理と出世欲が複合された状況になったのだろう。人間の心理とは何ともモロイものである。ただ、麻原が、それを理解して活用していたのかは、不明のまま死刑が執行された。
私は、麻原を操っていた黒幕的な存在が居たのではないかと疑っているのだが・・・。
麻原と元幹部らの7人が死刑になり、おそらく近日中に残った6人も死刑が執行されるであろう。
新興宗教には「法難」が付きものと云う考え方もある。残された信者らが死刑になった13人を聖人として崇めて、新たな信仰を起こすことが考えられる。
思い込みやマインドコントロールなど、心理面に深く入り込んだ考え方は、ちょっとやそっとでは変えられないものである。
■2018-07-07-Saturday 風呂掃除
今日は札幌で妻の叔母の一周忌
朝から義母と叔父と妻の三人で札幌に出掛けた。
出掛けに妻が「私たち夫婦は共働きでしょ? でも、貴方は会社でも、家でも普段は仕事をしていないんだから、私が居ない今日くらいお風呂の掃除をしておいても良いのよ」とキツイ調子で言い残して行った。
このところの長雨でお風呂場に黒カビが発生しているので、それを留守間に綺麗にしておけと云うことである。
帯広は今朝も雨が降っているから、ゴルフにも行けないし・・・。
言い付け通りに、ドラッグストアに行ってカビ取りスプレーとタワシを買って来て、午前中にお風呂場をピカピカに磨いたのである。普段はまったく掃除と云うものをやらないのだが、やるとなったら徹底的に綺麗にしないと気が済まない性分なのである。
それでも1時間も掛らなかったので、先週、私が東京出張に行っている間に妻が帯広の映画館で一人で見た「ウィンストン・チャーチル」と「ペンタゴンペーパーズ」を私も観に行った。
東京に居る間に妻から「私は帯広で一人で観るから貴方も東京の映画館で観たら?」とメールが入っていたのだが、東京の近場の映画館では上映していなかったのである。だが、とても観たかった映画である。
時間を調べたら「チャーチル」が11:45〜13:45、「ペンタゴンペーパーズ」が13:45〜である。これならギリギリ2本連続で観る事が可能だ。私も既に60歳だからシニア料金の1本1100円なのである。久し振りに2本立てで映画を観た。4時間で2200円は安い娯楽である。どちらの映画も「正義感」「使命感」「勇気」「決断力」「ブレナイ強い心」を表している映画である。どこぞの国の政治家や倫理観が欠如している官僚らに見せたい映画である。
20時頃に帰宅した妻が、風呂に入って一言「あらっ、明るくなったじゃない。これからもヨロシクね」と云う。
綺麗にするとこれだから・・・、またひとつ家事仕事が増えそうだ。
■2018-07-08-Sunday 大雨の
ニュースを見たら
西日本の広島・岡山県辺りの被害が物凄いことになっている。特に倉敷市真備町の映像を見て驚いた。梅雨の大雨被害なのに台風の被害よりも酷い状況である。町中が冠水し、中心街をボートで救助作業をしている。
「何十年に一度の大雨」と言っていたが、一昨年も昨年も、これよりは酷くはなかったが、同じ様な被害があった。何だか今後もこのような被害が日本全国の各地で増えそうな気がする。
梅雨の大雨で、80人以上が死亡するなんて・・・。
真備町は大きな2本の河川に挟まれた天井川(昔の小学校の社会の教科書に載っていたが、川の水面が住宅街よりも高く、堤防で水を防いでいる場所)の地域だと云う。堤防が決壊したら、低地は水浸しになる。その危険性は50年以上も前から指摘されていたことだ。
ニュース映像を見たら、比較的新しい住宅街の様にも見えた。
人口が増えていたひと昔前なら、いざ知らず、何年も前からデータ的には人口減少社会の到来が言われていた頃に、こんな場所を住宅街として新たに開発したとすると・・・。
川の側の低地や、山間の狭隘な土地を開発して家を建てるのは、災害に遭うリスクが大きいことを認識しなくてはならないだろう。例え土地の値段が多少安くたって、災害に備える費用や、災害に遭った時の被害額は、土地の値段よりもはるかに高くなるのではないだろうか?
水害や土砂崩れに遭って、家の中に泥水が入って来たら、家具は使い物にならないし、ドブ臭い匂いも取れないであろう。
それよりも、生命の危険が大きい。台風の被害でもこんなに大勢は亡くならないのに・・・。
これから、日本には台風が襲ってくる季節である。今回被害を受けた地域が再び台風の被害を受けたら・・・。想像するに恐ろしい。
アルミニューム精製工場が爆発した事故も起こったが、水没したのが原因らしい。状況を考えると、東日本大震災時の福島第一原発事故と原因が似ている。今回の工場爆発は規模の小さい原発事故と云う感じがする。
原発ではないから放射能の拡散が無かったが、爆風の被害は大きかったようだ。それでも恐ろしい。
根本的な解決は、人が住むのに適さない場所は捨てて、安全な場所に移住することだ。これは国が率先してやらなければならない。国には国民の安全を守る責任があるはずだ。
政治家も官僚も、クッダラナイことに税金を使っている場合じゃないぞ。
■2018-07-09-Monday 支那蒸籠
マジック・ミュージアムにまた寄贈品が届いたが・・・。
送られて来た寄贈品の「壺」を見て妻が「何この壺!壺としてはまるで使い道がないじゃないの!」と云う。
寄贈してくれた方も、何に使うか分からずに、どうやらこれはマジックの道具らしいなぁと思ったのだろう。「マジック・ミュージアムに寄贈します。要らなければ捨てて下さい」との付箋紙が貼ってあった。
送られてきたのは「銅製の壺」である。それこそ、落語の古道具屋に出てくる与太郎が言うような「底が抜けていて、水もほとんど入らないし、花も生けられないヘンテコリンな壺」なのである。
見かけ上は一応、壺の形をしてはいるが、壺としては何の役にも立ちはしない。
これは、中国奇術の「支那蒸籠(しなせいろ)」と云う中国の伝統的なマジックに使う道具なのである。
木製の大小二つに重なる円筒形の大きな筒(蒸籠)を交互に持ち上げて中を改め、客には筒の中には何も無いことを確認する。その筒の中から、果物やらお菓子やらオモチャなどを沢山、何度も何度も取り出していくプロダクションマジックなのである。
マジックの終盤に迫った頃には、この円筒の中から水が一杯に入った大きな壺が現れる。この壺は、小さな円筒よりも円周が大きくて、客はどうしてこんな大きな水の一杯入った壺が、この筒の中から出現したのかとても不思議がるのである。
そして最後には、またこの壺が忽然と消えて無くなる。
私も好きな演目のマジックの一つで、たま〜に演じることがある。
今回は、その壺だけが送られてきたのだ。
私の持っている支那蒸籠の壺はステンレス製で、内側の中央部には溶接で継いだ跡があっていかにも安っぽい感じがするのだが、今回寄贈された壺は銅で出来ていて、しかも中央には継ぎ目などもまったく見えないから、一枚の銅板から打ち出して曲線を作ったのかもしれない。色からしていかにも重厚な感じがする壺なのである。
銅で作った支那蒸籠の壺はこれまでに見たことがない。
今回、送られて来たのは、この壺だけであって、木製の筒(蒸籠)もその他の道具も他には何も入っていない。
送ってくれた人に「どなたが使用していたものですか?」と尋ねたのだが、まったく分からないと云う。何故、家にあったのかも知らないと云う。来歴は不明なのであるが、想像するに、かなり高価な古い道具である。ひょっとすると特注品で作らせたモノなのかもしれない。
いずれにしても、私に取っては超がつくお宝である。
こんな貴重なモノを捨てられたのではマジック界の損失である。綺麗に磨いて展示することにしよう。
■2018-07-10-Tuesday 中華
先日のブログで
「支那蒸籠(しなせいろ)」と書いたら、『「支那」と云う国名は使ってはイケナイのですよ、最近は「中華蒸籠」と言っています。』との忠告があった。
すぐに、マジック用品のカタログを見たら、確かに「中華蒸籠」と表示されているが・・・。
私が学生だった頃の40年程前には、このマジックは確か「支那蒸籠」と呼んでいたはずである。私はその様に記憶している。
中国の英語名は「CHINA(チャイナ)」で、これは「支那」から来ているはずなのだから、中国を支那と呼んでは何故イケナイのだろうか?意味が分からない。
そう云えば・・・。
十年程前だったか、石原慎太郎が中国のことを、支那、支那と云っていたが、その呼び方を中国人が嫌っているとか云う記事を何かで読んだ気がするが・・・。
もしも「支那」って云う呼び方が蔑称で、そう言われるのを中国が嫌がっているならば、China(チャイナ)と云う呼び方も変えて欲しいと国連辺りで訴えるとかするはずだけどなぁ〜、そんな話はまだ聞いたことがないしなぁ〜・・・。Chinaは良くて支那はダメって変じゃない?
日本人が、勝手に中国人に忖度しているだけなんじゃないの?
それこそ、「忖度(そんたく)」の、し過ぎなんじゃぁないのだろうか?
かなり昔から、「支那蒸籠」と云う固有の名称で定着しているマジックを、忖度して、わざわざ「中華蒸籠」と呼び変えるのも、なんだかなぁ〜。あまりスッキリとしないなぁ〜。
その伝に従えば、昔、「志那の夜」と云う唄があったが、あれも「中華の夜」に変えなきゃなんないのか?って話になるでしょ?
「♪しぃ〜なぁ〜のよぉ〜る〜♪」が「♪ちゅう〜かぁ〜のよぉ〜る〜♪」では様にならない。
せっかくの忠告ではありますが、私は「支那蒸籠」と習ったのであえて変更は致しません。
■2018-07-11-Wednesday カード
マジック・ミュージアムに今日届いた荷物の中に
古そうな「からくり箱」が入っていた。
木製で、縦12、横8.5、厚3.5㎝の大きさ、表面には種類の異なる木で象嵌細工がされている、上蓋側にはカードにスペード・ハート・ダイヤ・クラブのマークの象嵌、裏側には大きくダイヤのキングの象嵌、横側にはぐるりと→マークの象嵌が施されている。
どうやら箱根名物の寄木細工のからくり箱ではなさそうだ。私は、からくり箱も大好きで、数個所持しているが、箱自体にはそう大した価値はなさそうである。ただ、意匠が「トランプ」模様であるから、マジック・ミュージアムに展示するには良いモノであろう。
振るとカタカタと音がする。中に何か入っているようだ。
カラクリはごく単純なワンアクションだけで簡単に開いた。中にはプレイングカード(トランプ)が一組入っていた。
中に入っていたトランプは、初めて見るモノだ。サイズもブリッジサイズよりも小さめの縦8.3、横5.6㎝しかない。かなり古そうなカードである。52枚とジョーカー1枚とエキストラカード1枚、ブランクカード1枚の計55枚が入っていた。外箱は無い。
スペードのAのカード表面に英文字で『A.DOUGHERTY NEW YORK №95 JEWEL PLAYING CARDS 7-23 359 A.D.1848 』と書いてある。
エキストラカードには『ESTABLISHED 1848 A.DOUGHERTY'S PLAYING CARDS THE STANDARD FOR MORE THAN HALF A CENTURY. NEW YORK』と書いてあり、その裏側の赤い模様の白い縁にも『№95 JEWEL Liiy Back №953 R.,B.,Gr.,Br. Linold Finish 』の文字がある。文字情報はこれだけだ。
赤い色の裏模様は花のデザインであるが、LIIY(リリー)とあるから百合の花であろう。
これらの情報を元にしてネットで検索してみた。
「A.DOUGHERTY」と云うメーカーが販売しているカードには「TALLY-HO(タリホー)」と云う有名なカードがある。マジシャンの前田知洋氏が使用しているカードであるが、№95のLiiy Back №953と云うカードは該当するカードが見当たらない。
「FOR MORE THAN HALF A CENTURY」とあるから、創業の1948年からは半世紀の50年以上は経っているということだろう。
私の感触では、1920〜30年代頃のカードではないかと思うのだが、誰か知っている方が居たら教えて欲しい。
■2018-07-12-Thursday 外焼肉
5月の連休に息子が帰郷した時に
我が家の庭で、ジンギスカン(焼肉)をやって以来トンとご無沙汰である。子供達が居た頃には、我が家族と近所に居た妻の両親も呼んで大勢で焼肉をやっていたのだが・・・。
炭火で焼くジンギスカンは最高に美味いのだが、妻と二人きりだと、外焼肉をやろうと云う気にはなかなかならない。ましてや、やりたくても天気が悪くて出来ないのである。
そんな中で、東北に嫁いでいる長女から、ジンギスカンの肉を送って欲しいとの要請があったので、いつも肉を買っているO精肉店に出向いて、店から直接送ってもらうように手配したのだが、私も食べたくなってしまい、我が家用に薄切り醤油味のジンギスカン500g一袋を購入して自宅に戻ったのであった。
今日の天気は曇りであるが、まぁ、何とか焼肉はやれるだろう。
連休に購入した炭を引っ張り出し、キャンプ用のコンロで火を点けたのだが・・・。
このところの長雨で、炭が湿気を吸ってしまったのだろうか、火の起こりが悪い。いつもなら簡単に点くのに・・・。
結構な時間が掛かって、ようやく火が起きた。
夫婦二人だけでの焼肉は何だか寂しいなぁ〜。
網にも火が入って赤くなったので、金ブラシで網にこびりついた油の炭を取ってから、肉を乗せるとジュ〜ッと音がして肉がすぐに焼ける。ジンギスカンは生(レア)ぐらいがジューシーでちょうど良い。ウェルダンにするとパサついて美味しくないのだ。
夫婦二人でビールを飲みながら、ジンギスカンをつまむ。曇り空だから少々寒いが、明日からまた天気が悪くなるという予報なので、今日中に食べておかないと、肉に醤油味が染み込み過ぎて塩辛くなってしまうから、今日しかやる時がない。
牛肉も美味しいのだが、美味しいと感じるのは最初の一切れだけで、すぐに飽きてしまう。が、羊肉はいくら食べても飽きが来ないのである。
アッと云う間に500gを食べ終えてしまった。もう少し食べたかったが、500g袋でしか販売していないから2人だと適量が難しい。
次の外焼肉は、夏に子供らが帰省するまではオアズケかな。
■2018-07-13-Friday 平原まつり
私は腹を立てている。
今日「平原まつり(8月のお盆の14〜16日に開催される帯広三大祭りのひとつ)」のポスターを貼って欲しいと会社に商店会の事務局員が持って来た。
今年のポスターにも「大道芸」が全く扱われていないのだ。
私が「大道芸」を初めて帯広の平原まつりに導入したのが、2002年であるから、もう16年も前のことである。この16年間のポスターには、ただの一度も「大道芸」は登場していない。何年かに一度しか呼ばない徳島の阿波踊りでさえ載っているのに・・・。
毎年、一流の芸人を招聘して市民の方々には喜んでもらっていると自負しているのだが・・・。
どうやら主催者側には「大道芸」を軽くみている人が多いのであろう。
この16年間はいつも、大道芸を演じる場所でも、主催者側とは揉めてきた。『「大道芸」は空いてる場所でやれ!』と云うことである。
大道芸は客とのコミュニケーションを取りながら演じるケースが多い。またパントマイム系の演技では、効果音とのシンクロをさせる演技もあるから、大音量の音楽系の演目のすぐ隣では演じることが難しいのである。
これまでに何度も、何度も、要請を繰り返してきたのだが、なかなか改善される気配がない。
私は、現在の「平原まつり」は「大道芸」を観に来る観客が相当多いのではないかと感じているが、どうやらまつりを運営する上層部はそう感じていないようだ。
「大道芸」が観客を集めているのだとしたら、その観客を満足させることが平原まつりを盛り上げることにも繋がると思うのである。
これまでの劣悪な環境でのパフォーマンスに耐えて一所懸命に演じてくれている芸人に、もっと良い環境で演じてもらえれば、パフォーマーも観客にも両方に良い場になるのに・・・。16年間もズ〜ッと同じことを言い続けてきたが、全く改善されないことにもう疲れた。
私はこの16年間、お盆の13〜17日は大道芸の為に、帯広に張り付いてバックアップをしてきたのだが、去年は癌の治療の為に最終日だけ札幌の北大病院に行って欠席をした。欠席したのは、これが初めてであった。
以前のブログにも書いたが、60歳になり、癌にもなったことだし、今後は色々な役職を辞していくつもりでいる。
一昨年にオープンさせた日本唯一の「マジック・ミュージアム」はまだまだ未完成の状態である。私は元々長生きしたいとは思っていないが、この「マジック・ミュージアム」を未完成のままにして死ぬのは嫌なのだ。
が、病気にはストレスが一番ヨロシクナイと云うし、腹を立てるのが一番のストレスになるとも云うから、腹の立つ役職はすぐにでも辞めることにしている。
■2018-07-14-Saturday この天気は
この天気は一体何んだ!
梅雨の大雨で200名を超える犠牲者が出たが、翌日からは30℃を超える猛暑が続いていて、復興作業をする人には辛い状況になっている。
この30℃超と云う温度も、調べる場所が芝生の上1.5mの日蔭の百葉箱の中だと云うから、アスファルトの上なら5℃以上も暑いであろう。
一方の北海道は相変わらずの雨続きで、さっぱり太陽が顔を出さない。
先月に依頼していたメロンの送付も、未だ届いていないと云うから、おそらくこの悪天候で、メロンの集荷が出来ないのであろう。
この低気温、日照不足で、作物の生育にも重大な問題が起きている。
日本列島にも、地球の気候変動の影響が顕著に出てきているのだろう。これからは、異常気象が日常になるだろう。
こうなることは、一般にも30年程前から予想されていたことである。人間と云うのは、自分の身に災難が降りかかってこなければ、事前に対処しようとは思わないものなのだろうなぁ〜。それでは遅いのに・・・。
台風、地震、火山噴火、大雨、大雪などの災害が多発するであろう。
極近い将来に、日本にも、食糧不足、水不足が襲ってくるであろう。
未だ、東京近郊では大きな災害が起こっていないのは、地球の警告の意味もあるのではないか?
一刻も早く、東京一極集中をやめて、人間の住む場所と、住んではイケナイ場所を明確にして人口移動をするべきだと考える。
よくまぁ地震大国の日本で、自らの足で登り降り出来ない高さの階に住んで、へっちゃらでいられるものだなぁ〜。東京の街づくりは異常である。
■2018-07-15-Sunday 魔法の美術館
3連休の真ん中だと云うのに今日も朝から雨だ!
北海道立帯広美術館で「魔法の美術館」と云う展示が6月30日〜9月5日までやっている。
「魔法の美術館」を英語に訳したら「Magic Museum」で「マジック・ミュージアム」と同じである。
日本唯一の「マジック・ミュージアム」を立ち上げた者としては「魔法の美術館」と云うのはとても気になる展示である。
どうせ雨で他のことをやることも出来ないので妻と出掛けることにしたが、駐車場が珍しく混んでいる。
何とか停めて車を降りて徒歩で美術館に向かったら、途中にやたらと親子連れの姿が多い。それも小学校入学前の幼い子供が多いから、きっと美術館の向かい側にある「児童会館」で子供向けの催しでもやっているのだろう、美術館にこんな小さな子供を連れてくるような事は無い筈だなと思いながら歩いて行くと・・・。
何とほとんどの親子連れが美術館に入っていくではないか。
チケット売り場の女性が「坂本様いつもありがとうございます」と云う。私の顔を知っている人なのであろうか、それとも、私は毎月美術館に観に行くから覚えられたのだろうか?「今日は子供連れが多くて騒がしくて申し訳ありません・・・」と案内してくれる。
確かにいつもの美術館の3倍は人が入っている。
中に入ると、センサーやら、コンピュータの映像やらを融合した身体で楽しむ展示である。これは子供に受けそうな展示である。
キャンバスに描かれた絵や、陶器、彫刻品など動かないモノの展示が多い美術館で、コンピュータグラフィックを使った動く映像の展示物や、人間の錯覚を上手く活用して不思議な感覚を起こさせる展示物ばかりである。
人間の脳味噌は目から入ってくる情報を、錯覚させる癖がある。分かっていても錯覚を起こしてしまうのだ。その錯覚を活用した展示物なのである。
こう云うモノをマジック・ミュージアムにも導入したいなぁ〜と云ったら「冗談じゃない」と妻が真剣に怒るのである。
いくら私でもこんな金の掛るモノを造ったりはしないよ。
それでも、これまでに観て来た美術館の展示方法とは異なっているので、展示の仕方としてはマジック・ミュージアムの参考にはなったのであった。
これからは、こう云う類のモノも芸術になるのだろうなぁ〜。
■2018-07-16-Monday 高気温
昨日も雨で寒かったから電器ストーブを点けたくらいなのに・・・
今日はいきなり30℃の猛暑である。最高気温の差が15℃以上もあって身体が付いていかない。
妻は午前中に、洗濯物を外に干して、久し振りに太陽で乾かせると喜んでいた。その後妻は、知人の1周忌に出掛けるので、会場のホテルまで送ていった後に、映画館に行って一人で「ジュラシック・ワールド 炎の王国」を観て来た。
妻は、この手の映画はあまり好きではないし、予告編を観ただけでだいたいのストーリーが分かったから、あなた一人で観ておいでと云う。
観客は比較的に混んでいた。
映画のストーリーは妻が言ったのとはまるで異なり、予想外の展開で面白かった。
少し前に「マッド・サイエンティスト(狂った科学者)」の物語を読んだばかりであったので、科学の暴走は恐ろしいなぁと感じた。
おそらく、マッド・サイエンティストの誰かが、遺伝子操作をしてこの世の中にキメラを造り出していることであろうなぁ〜。
マッド・サイエンティストの中には、自らが創造主になる夢を持つ者が居そうな感じがどうしてもするのである。
映画館から帰宅した後は、妻と一緒に弟の家に、新たに飼ったと云う犬を見に行くことにしている。ついでに、久し振りに温かいから、外でバーベキューをやろうと云う。
精肉店で肉を購入して出掛けた。弟の家で新たに飼った犬は、雑種だと云うが賢くて精悍な顔つきをした犬であった。
我が家でも、2匹のラブラドールレトリーバーを飼っていたことがあったが、死んでからは、次の犬を飼うことが出来ずにいる。
犬はかわいいものである。
犬を見ながら、ビールを飲み、焼き肉を食べて、楽しい時間を過ごした。大勢でのバーベキューは良いものだ。
久し振りの晴天を十二分に楽しんだ日であった。
■2018-07-17-Tuesday 企画の変更
先のブログでマジック・ミュージアムの
所蔵品の写真集出版の企画が持ち上がった話を書いたが、いよいよ本格的に動き始めた。
出版社からは、出版する現物と同じ大きさ、同じ紙質、同じページ数の白紙の冊子状のモノが2冊届けられた。これで、全体の構成やページ毎のイメージを作るのだと云う。
早速、このページには、これを、このくらいの大きさで載せて、このページには・・・とやってみたのだったが、載せたいモノばかりで収拾がつかなくなってしまった。
やはり、まずは頭の中でシミュレーションしてみる必要がありそうだ。
この写真集出版の前に、出版企画に上がっていたのは、2015年12月3日のプレ・オープン式の時に、収録した師匠の故ジミー忍師の思い出話のテープ起こし本の出版であるが、これは今年の4月初旬に上がってきたテープ起こし原稿の校正の為に、東京に居る師匠夫人のまこママに送って赤ペンを入れたり、書き加えて下さいとお願いしてあるのだが、5月初旬に「まだですか?」と尋ねたら、「今月は忙しい」との返事で、今日現在に至るも、未着のままなのである。
想像するに、赤ペンを入れ過ぎたり、加筆し過ぎて収拾がつかなくなっているのかもしれないなぁ〜。
こういう作業は思い入れが強過ぎると、アレもコレもとエピソードを加え過ぎてしまい。かえってまとまりがつかなくなってしまう傾向があるものなのである。ましてや、原稿の校正作業などはおそらくやったことがないと思うので、悪戦苦闘を繰り返しているのだと推察する。時間が掛かるのはやむを得ないことだが、この分だと、たぶん今年度のモノにはなりそうにないと思う。
だが、まこママの気の済むまでやった方が納得したモノが出来るであろうし、焦らせると益々混乱させてしまうであろうから、送られて来るまで督促などもせずにひたすら待つことにした。
写真集の出版なら私一人が頑張れば出来ることなので、こちらの方を先に出版することに企画を変更することにした。
■2018-07-18-Wednesday 異常
岐阜で気温が40℃を超えたと云う。
息子が岐阜で働いているから、妻が心配してメールを打ったのだが、息子は至ってノンビリとしたもので「大丈夫」とだけ返信してきたのだった。
息子が以前にいた場所は、これまた日本でも有数の高気温で有名な、埼玉県の熊谷市であったし、前任地の名古屋も暑い場所であったから、もう暑い場所には慣れたのかもしれないが・・・。
それにしても、日本の天気は異常だ!
先の梅雨の大雨で広島県や岡山県などでは210名以上の死者が出た。依然として行方不明者も大勢居ると云う。
雨が止んだ後は、30℃以上の高気温が続いて、復旧作業を困難にしていると云う。
少子化が叫ばれる日本で、近年は自然減よりも、災害などで亡くなる方が増えている。政府は、抜本的な解決策を出さなければいけないのだろうに、その危機感はまったく感じられない。
宴会で酒盛りしたり、政治家の利益にしかならない参院6増案を可決したり、カジノ法案を可決させると云う。
政治家ってのは、いったい何を考えているのだろうか?
この猛暑で2020年8月には、東京でオリンピックが開催される。
熱中症ならぬ熱射病で小学1年生が亡くなったが、こんな高気温の中でスポーツをするなんて・・・。ただ見ているだけの観客だって危ないと思うよ。たった1ヶ月程度の開催でしかないオリンピックに、巨額の金を掛けるよりも、国民の日常の生活を、長いスパンで考えた政策に金を掛けてもらいたいものである。
■2018-07-19-Thursday 空飛ぶスーツ
ニュースで「空飛ぶスーツ」のことを報道していた。
実際に飛んでいる場面が出たが、カッコイイ!
私らの世代の男なら、皆が憧れた「空を飛ぶこと」。それがこんなスーツで出来るなんて・・・。
007の映画の冒頭シーンでボンドが背中にタンク状のモノを背負って空を飛ぶのを見たが、その時は、そんなバカなと思ったものだった。所詮は映画のフィクションだと思ったのだ。
だが、1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式で「ロケットマン」が同じ形状のモノ(ジェットパック)で空を飛んだ姿を見て、あぁ〜現実なんだ。やっぱり、007に出てくるモノはやがて実用化されるのだなぁ〜と感心したのだったが・・・。
今回のは、飛行する姿が、映画のアイアンマンの飛ぶ格好に似ている。掌からの噴射ではなく腕からであるが、背中と両腕に5基のジェットエンジンを付けて、その噴射で飛ぶと云う。飛行時間は3〜4分程度と短いが、この飛ぶ格好は恰好が良い。
実際に、ロンドンのデパートで5000万円で売りに出されていると云う。開発者はリチャード・ブラウニング氏と云う人だそうだ。
ドローンもアッと云う間に広まったし、この装置も、大量生産されて価格が1000万円位になったら、かなり売れるんじゃぁないだろうか。
面白そうだ。私もこれで飛んでみたいなぁ〜。
■2018-07-20-Friday 大道芸人
大道芸人のSeoppi(セオッピ)さんが十勝に来た。
陸別町で開催される「まつり」に参加する為である。
去年、帯広市でお盆に開催した「平原まつり」での「北の大地de大道芸フェスティバル」にも出演してもらった芸人さんである。
コップ10個を短時間で積み上げることを競う「スポーツ・スタッキング」の世界記録保持者である。
イケメンだから女性の人気が高い。今年も「北の大地de大道芸フェスティバル」に出演してもらうことになっている。
打ち合わせも兼ねて、夕食会を行った。
食べた後で、スタッフらと一緒に、マジック・ミュージアムに行く。去年も見学してもらっているが、この1年間で、収蔵品が格段に増えているので、ビックリしていた。
大道芸人には「マジック」の要素を取り入れている人が多いが、少なからず興味があるようである。
芸人さんの口伝てと云うのはかなり宣伝効果があるあら、地道にファンを増やしていきたい。
それにしても今日も暑いなぁ〜。
■2018-07-21-Saturday 暑い!
ニュースでは日本全国で38℃以上の猛暑だと云うが、
ここ北海道の帯広市でも30℃を超える暑さである。
北海道人は暑さに弱いと云われるが、私は特に弱いのである。
太ってからは、やたら汗かき体質になったようで、今日も、駒澤大学の総会で貰った、駒澤大学のネームが入ったマフラータオルを首に巻き付けて過ごしている。
私は、癌の治療でホルモン療法をしているのだが、その副作用として「ホットフラッシュ」と云う更年期障害に多い、突然の大量発汗と云うのがあるのだが、元々の汗かき体質と相まって、拍車を掛けているようだ。
全身に汗が流れ出る。
昨日から妻は、今日の朝からのスケジュールを分刻みで入れていたが、この暑さで身体の具合が悪くなったと云って、全てキャンセルをすると云う。
私も、この暑さでは、身体を動かしたくないから「あぁ、それが良いね」と応じた。何もしたくないし、外にも出たくない。
ニュースでも「不要不急の外出は控えましょう」と呼び掛けているではないか。
夏は夏で、暑さで外出を控えましょう!
秋には、台風で・・・、
冬には、大雪で・・・、
これに、大雨だの、竜巻だのが加わる。
その内、外出できる日の方が少なくなったりして・・・。
家でも、室温を上げたくないから、料理でコンロに火も入れたくない。昼食も夕食も外食で済ませ、お風呂に入るのも止めた。
何もやることがないから、テレビでゴルフの全英オープンを見るが、10人出場している日本人選手の成績がイマイチである。特に期待していた松山英樹が予選落ちしたから全然面白くない。何も最後の最後に18番でOBを打たなくても・・・。
寝苦しいが、それでもお腹にタオルケットだけ乗せて寝たのだが、寝る前に飲んだビールのせいで、夜中に2度もトイレに起きてしまったのであった。
■2018-07-22-Sunday パンク侍
今朝も暑い!
昨晩は良く眠れなかった。
午前中は、身体がベタベタするのでシャワーを浴びてスッキリしてから活動を開始した。
菩提寺から「8月の盆参りを7月25日に伺います」とのハガキが届いたので、少し早いが「お盆飾り」の準備をする。
姉が数年前に送ってくれた「盆提灯」を物置から持って来て組み立てるが、簡単で、軽い作業なのに、全身汗だくになってしまった。
午後からは、身体を動かす運動系のスケジュールは中止して、映画を観に行くことにしたが、もう既に話題作や観たい作品は観終えている。
前評判はあまり思わしくないが「パンク侍」を観ることにした。
でも、珍しくお腹の具合が宜しくない。昨晩のビール以来、やたらとオシッコが近いのである。
脱水症状になってはマズイと思い、いつもなら、映画館のショップでコーヒーを買って飲みながら観るのであるが、今日はコーヒーを止めて、ペットボトルの水にして、それをコマメに飲んでいたのだが・・・。
映画が始まる前にトイレに行ったのに、途中で我慢が出来ずにトイレに立ったのである。映画の途中でトイレに立ったのは初めてのことである。
映画が終わって、エンドロールの最中にもトイレに行きたくなって、まだ館内が暗い内に席を立ってトイレに向かった。
2時間半の間に3回も小便をしたくなったのだ。
映画の途中でトイレに立つとストーリーが繋がらなくなってしまって面白くなくなる。
そのせいなのかなぁ〜。映画のテーマと云うか、監督の表現したいことはとても「深い」テーマだと思うのだが、何だかフザケ過ぎているみたいである。
ウ〜ン、深いのか、重いのか、軽いのか、よく分からん!
観終わってから、この日も家の中の温度を上げたくないから外食で済ませることにした。ケンタッキーフライドチキンを買って来て、家でビールを飲みながらNHKの「西郷どん」を見る。
チキンがやたらと塩辛い。夏バージョンで塩分を増しているのであろうか?こんなショッパイチキンは初めてである。
喉が渇いてビールを飲み過ぎてしまった。
夜は、またゴルフの全英オープンを見る。
タイガーウッズが8番でトップタイになったところで、昨晩も満足に寝ていないものだから眠ってしまった。
朝起きて、ニュースを見たら、タイガーウッズは後半に崩れて6位に終わったと云う。
優勝したのは、タイガーと一緒に回っていた目立たないイタリアのモリナリと云う選手で、私が見ていた間も確実にパーを重ねていた選手であったが・・・。
崩れたと思っていたマキロイやキスナ—が最終的に2位だったのにも驚いたし、堅実なプレーで二連覇を目指していて、最終日に首位タイでスタートしたスピースが崩れて9位になったと云うのも・・・。
寝ておいて良かったとは思うが、ゴルフってのは終わるまで分からないもんだなぁ〜。
■2018-07-23-Monday 帯広の
本州の40℃超の気温から比べたら
帯広の暑さなど高が知れているのだが、それでも私は暑さには弱いから25℃を超えたらもう辛いのである。
黙っていても、額から汗が流れ落ちるので、会社でも首から駒澤大学の文字が入ったマフラータオルを巻いて仕事をしているが、そのままの姿で昼食に出たら、妻から格好悪いからマフラータオルを外しなさいと云われるが、格好よりも汗を拭く方が優先である。もう恰好などどうでも良い。
午後になって、マジック・ミュージアムに予約無しで飛び込みでお客さんが来た。
札幌からの3人連れの方で、一人はマジックを趣味にしているとのこと「スゴイ!スゴイ!」を連発してくれるので嬉しくなった。
午後に、マジック・ミュージアム宛に、またまた荷物が届いたので、開けて整理を始めたのだが、もう並べるスペースが無い。
ガラスケースの中も、幾重にも重ねて飾ってあるので、空間も無くなりゴチャゴチャ感が益々ヒドイ状況である。
先ほどの観客も、物量の多さに圧倒されていたのだが、今後の事を考えると、もっと博物館らしくスッキリした展示をする必要があるだろう。
図書コーナーを別の場所に移動させようかとも考えたのだが、本がこの場所にあるからこそ、圧倒感を醸し出している様でもあるので、なかなか決心がつかないのである。
嬉しい悩み事である。
■2018-07-24-Tuesday ラーメン屋
会社の近所に新しく開店した
ラーメン屋さんに昼食を食べに入った。
同じ場所では以前にも、ラーメン屋さんがあったのだが、そこは夜間営業のみの店で、これまでに一度も入ったことがない内に、撤退してしまった様なのである。
年を取ると「締めのラーメン」は、翌朝に胸やけがして苦しむことになるから、もう10年以上も夜間のラーメンは食べたことがない。だから会社の近所なのに、これまで一度も食べたことがない内に、店が入れ替わってしまったのであった。
以前の店の内装がどうであったかは、外からは店舗内が見えない様に目張りをしていたから、居抜きのままなのか、新装開店したのかは不明である。1階は厨房とカウンター席で、2階にも席があるようだ。
この日は1階のカウンター席で食べたので2階の様子は不明である。
「ランチ」ののぼり旗が歩道に出ていたので、入ってみる気になったのであるが、「とんかつ定食」「ハンバーグ定食」などのメニューもあるからだろう、若い男性客ばかりが入っていた。
この若い男性客らのマナーがなっていない。
カウンターには灰皿が置いてあったから、店側としては喫煙OKと云うことなのだろうが、しかし、今どき、「ラーメン」「蕎麦」などの啜って食べる麺類の店で、隣でタバコを吸われたら、麺と一緒に煙も吸ってしまうから味も気分も悪くなってしまう。せめて隣の客に対して「タバコを吸っても良いですか?」と聞くくらいのエチケットを持ってもらいたい。
そう聞かれれば「ダメです!タバコは止めて下さい」とハッキリ断るけどね・・・。
喫煙席と禁煙席を分けたり、ランチタイムは禁煙とかにしなければタバコの臭いや煙が嫌いな客は寄り付かないであろう。
私も、もう二度と行く気にはならない。開店直後ではあるが、細かい配慮の無い店は続かないだろうなぁ〜。
■2018-07-25-Wednesday 盆参り
菩提寺のお坊さんが8月の月参りと盆参りを兼ねて
今日、お経をあげに我が家に来た。
我が家の宗旨は曹洞宗であるから、お膳の用意なども必要になる。
お盆の時期は少し早いが、お盆参りであるから、兄弟姉妹にも連絡を入れておいたら、皆が集まったので、母も交えて、墓参りをしてから、昼食に行くことにした。
妹は娘とその子供(妹の孫で母にとっては2番目のひ孫)も連れて来た。お経をあげてもらっている間も大人しくしていてとても落ち着きのある娘である。小さい子が居ると場が和むものだなぁ〜。
お墓には毎月お参りをして掃除などもしているから、花を替えて、線香だけを上げて来た。
母が洋食や中華はあまり好きではないと云うので、北海道ホテルの六郎と云う和食レストランに行くことにした。
今年は、土用の丑の日にうなぎを食べなかったので、母以外は皆「ひつまぶし」を注文した。
以前に、ここのひつまぶしを食べてから、何だか妙にハマってしまったのである。特に出汁を掛けてわさびを利かせて食べるのが好みである。
たまに、家族揃ってホテルのレストランで、会話を楽しみながら食事をすると云うのも良いものである。
■2018-07-26-Thursday 嬉しい予定!
昨日は最高に嬉しい一日であった。
墓参りを終えて、家族で昼食を済ませてから出社し、パソコンのメールを開いてみたら・・・。
プロマジシャンの団体である日本奇術協会から、9月末に4名のプロマジシャンがマジック・ミュージアムを訪問して下さるという連絡が入ったのである。
去年の秋に訪問して下さる予定であったのだが、生憎、私の入院と重なってしまい実現しなかったのであるが、今年、再度の予定を組んでくれたのだ。協会からマジック・ミュージアムへの展示品をご寄贈下さるのだと云うではないか。何と有難いことであろう。
更に、マジック界のレジェンド!日本マジック界が世界に誇るマジシャンの中のマジシャン島田晴夫(77歳)さんがマジック・ミュージアムに関心を持って下さっていると云う。
今年秋の来日の際に、北海道にプライベートで来られる予定があって、そのついでに帯広まで足を伸ばすことをご検討中との連絡が入ったのである。
私としては、何としてもマジック・ミュージアムを見ていただきたいと思っている。
島田晴夫師は、私が生れた1958年に17歳でプロデビューした方である。デパートの玩具売場にある手品の店「テンヨー」で実演販売(ディーラー)をやった後にプロになった方だ。
この「テンヨー」と云う会社は、日本近代奇術の父と呼ばれる「松旭斎天一」の弟子で親類でもあった「松旭斎天洋」が作った会社である。
このテンヨーのディーラー出身のプロマジシャンの第1号が初代の引田天功師で、島田晴夫師は2番目である。因みに天功師が島田師の6歳上である。
先輩の天功師が日本で名声を得たので、島田師は海外に活路を見出して、世界ナンバーワンのマジシャンの称号を得た。現在はアメリカ在住で日本にはたまに帰ってくると云う生活なのである。
テンヨー出身のプロマジシャンには、この他にヨーロッパで活躍した「八田加寿雄」さん、私の師匠の「ジミー忍」や札幌で活躍した「バーディコヤマ」さん、超魔術の「Mr.マリック」さんなどが居る。
私は、島田師には何度もお会いしているが、帯広のマジック界の若い人達にも世界ナンバーワンのレジェンドに会わせてあげたいと考えている。お話を伺えるだけでも大収穫であると思う。
何とも、嬉しい連絡が入った一日であった。是非とも実現させたい予定である。
■2018-07-27-Friday 相馬野馬追
福島県の相馬の馬追を観に来た。
長女が嫁いだ先の実家が相馬で、ず〜っと「野馬追」を観においでと誘われていたのだが、なかなか実現出来なかったのであった。
去年、一昨年と私や妻の入院などもあって、人間いつ死ぬか分からん!行ける時に思い切って行っておこうと決めたのである。
急な決定であったから地元の宿はもう既に予約で満杯である。宿泊の手配などはすべて先方任せにして、当方は交通機関の手配だけをして出掛けたのであった。
車の運転が好きではないから、新千歳空港まではJRを利用する。しかし、このところのJRは時刻通りの運行がされていない。この日も鹿との接触で30分ほどの遅延があった。飛行機との連係は会社が異なるから列車が遅れても飛行機は待ってはくれないから、時間には相当な余裕を持ってスケジュールを組まないとならないが、1時間に1本しか走らない特急列車ではスケジュールを組むのが難しい。焦らずに旅をするには前泊・後泊が必要になる。これが田舎の悲哀である。
新千歳空港から仙台空港に到着すると娘夫婦が出迎えてくれた。
まずは、娘が高校生の時にお世話になった寮の寮監さん、寮母さん夫婦に挨拶に行く。昔の娘の迷惑をかけまくった逸話を聞かされると赤面モノであるが、卒業してから何年も経つのに、それでも、未だに懇意にしてもらっているのは有難いことである。
次に、娘の仕事先のアイススケート場に向かう。娘はフィギュアスケートのコーチをしていて、これから生徒等にスケートのレッスンなのである。このスケート場からはオリンピックの金メダリストである荒川静香と羽生結弦が巣立っている。二人は共に娘と同じ東北高校の出身だ。こう云った縁にも助けられているのだから幸せな娘である。
アリーナは以前に訪れた時よりも綺麗に改装されていて、とても快適になっていた。ファンの為のギャラリーも新設されて、荒川静香や羽生結弦のトロフィー等が展示されている。これも羽生結弦の五輪2連覇効果であろう。見学に来ていた生徒の親御さんからも「先生のお父さん、お母さんですか?いつもお世話になっています」と挨拶される。
外は30℃の猛暑であるが、さすがに中は寒い。半袖姿で入場したから30分で限界になったので、娘の旦那さんと相馬の両親の家に向かう。一服してから、明日(28日)の早朝8:30からの「出陣式」の会場になる「中村神社」を観に行って参拝して来た。
中村城跡の近くにある相馬市の市役所、体育館、市民会館などは新しい建物なのであるが、外観は日本の伝統的な建物のデザインで統一されており、他所の街の高層ビルの市役所などと違って、風情と落ち着きがあって、野馬追を行う町としての景観を維持することにも一役買っている。
明日の朝は早起きしなければならないから、この日の我々夫婦の歓迎会は控え目にとのことだったが・・・。スケートのレッスンを終えた娘も遅れて合流し、結局は豪勢な宴会になったのであった。
この宴会で私が「相馬の若殿様とは一緒に焼肉を食べた仲なんだよ」と自慢げに云ったら、皆が半信半疑の様子なのであった。
■2018-07-28-Saturday 相馬野馬追2
28日(土)は相馬中村神社の境内で
「出陣式」が行われる。
心配した台風12号は、あらぬ方向の西側に向きを変えて行った。だから台風直接の大雨や強風には当たらなかったのだが、やや小雨がパラつく天気である。オカシイナァ〜俺は「晴れ男」なのに・・・、でも晴れ男だから台風が逸れたのだと云うことかな。
7:45頃から「御発輦祭(相馬市・相馬中村神社境内本殿)」が、
8:35頃から「出陣式(相馬中村神社境内)」が行われる。まずは、この出陣式から見学をする。
中村神社の境内には、昔の戦の本陣の様な雰囲気で腰掛が並べられている。中央には総大将として相馬行胤(そうま みちたね)氏が33代目当主の和胤氏の名代として座る。
相馬家は十勝の大樹町で牧場を経営していたことがあり、行胤さんとは旧知の間柄なのだが、相馬の人にとっては殿様であるから、親しく話しかけるなんて・・・。
威厳を保って、総大将の役を演じている様にも感じたので、声を掛けずに遠くから見守っていたのであった。
野馬追に参加する人達は、皆が昔の甲冑姿である。時代劇の俳優の様に武士に成り切って演じている様な感じである。
日本の伝統的なまつりで、しかも「サムライ」の恰好をして演じるのだから、観客には、もっと外人客が多いのかと思っていたのだが、外人の姿がほとんど見えない。これって第一原発事故の放射能の風評被害のせいなのだろうか?
挨拶も最初の総大将はピンマイクでその場でやるからまだしもなのであるが、甲冑姿をした地元の国会議員や市長などが、総大将の前でお辞儀した後、サイドのスタンドマイクの前まで来て、順番に挨拶するのであるが、話す内容は現代の挨拶そのままだから、どうにもチグハグ感が拭えない。どうせやるなら完全に時代劇風に武士に成り切って、言葉遣いも昔風にやってしまった方が観客としては面白いのになぁ〜。
お年を召したお歴々は、かなり偉そうに、一般市民に対して「コラッ、そこを歩くな!どけろ!」と武士が町人に言うみたいに怒鳴っていたので、かなり武士になり切っていたけどね・・・。
出陣式が終わったら、9:30頃から、今度は「お繰り出し」で相馬市内を行進するので、速足で中村神社を出て、大手門前の歩道まで移動して一番てい見やすい場所を確保した。馬に乗った騎馬武者の姿をした30騎ほど、槍を持った歩兵雑兵、神社の寄付集めの人、ほら貝を持った人等など200名ほども居たろうか、相馬市内を行進して歩く。固いアスファルト上を、ヒズメで走るのは馬にも相当な負担であろうなぁ〜。
現代の町並みを武士の恰好をした連中が行進する姿は面白くて絵になる。もっとプロデュースをしっかりとやったら、もっともっと良い「見世物」になると思うのだが、どうやら野馬追の関係者はこの昔ながらの朴訥な「行事」感が良いと思っているらしいなぁ〜。
この「お繰り出し」の後には見学出来るものもないので、親類の人が運転する車で福島県観光に出掛けた。
相馬からスカイラインと云うかなりクネクネと曲がりくねったワインディングロードの山道を抜けて磐梯山、猪苗代湖の「野口英世記念館」に向かうが・・・。
晴れていたら最高の景色なのだと云うが、残念ながら10m先も見えない濃霧である。曲がりくねった山道を濃霧の中を車で走るのは結構神経を使うものである。直前に昼御飯を食べたばかりであったから久し振りに車に酔ってしまったのであった。
野口記念館は生家の横に新しく建てられたものであるようだ。展示物には英世ソックリのロボットもあって、マジック・ミュージアムもこんな風に造りたいものだなぁ〜と思いながら見学をした。
ガラス博物館を見学して、また相馬に戻るが、車には往復で5時間くらいも乗っていたろうか。北海道も広いが福島県もかなり広いなぁ〜。
宿は、予約で満杯でホテルに連泊が出来なかったので、この日は亘理町の海沿いの民宿泊である。震災後に建てられた新しい民宿で、コジンマリしていて、且つとてもキレイである。
客は話からすると釣りの客が多い様に見受けられた。
娘夫婦と一緒に4人でこの民宿で夕食を一緒に食べてから別れた。料理はとても美味しいし、品数も量も多くてとても食べ切れない。
残してしまったので申し訳なかった。
部屋は畳敷の6畳間、共同トイレ、共同風呂、共同洗面所である。学生時代の合宿生活を思い出したが畳で寝るのも良いものだ。
でも意外とグッスリと眠ることが出来たのであった。
■2018-07-29-Sunday 相馬野馬追3
29日(日)は原町と云う場所で
甲冑競馬や神旗争奪戦が行われる。テレビなどに映るのはこの「神旗争奪戦」の模様である。
今回の相馬行きは急に決めたものであったから、事前の下調べをあまりしていないのだ。宿の手配も移動も、娘の嫁ぎ先のご両親に任せっきりなのであった。
自分で見学する計画を立てたならば、地図などで場所も調べておくから、だいたいの見当が着くのだが・・・。
行く前に描いていたイメージでは、出陣式や神旗争奪戦なども近い場所で開催されるのだと思っていたのだ。
ところが、連れて行かれてビックリした。それぞれの開催場所がかなり離れているのである。
レンタカーを借りたとしても土地勘もないから、駐車場も見つけることが出来ないであろうし、その他の交通手段も充実していないから、ご両親の案内が無ければ見ることは出来なかったであろう。
北海道の広い直線道路しか運転したことのない私には、城下町の曲がりくねった狭い道は運転できない。どうやって行き違うのだろうかと思うほどの狭さなのである。何せ、「エッこの道が双方向通行なの?」と思わず声に出してしまったほどである。北海道なら一方通行でもこれより広いのに・・・。
ご両親の車で相馬市内から40分くらい離れた場所にある南相馬市原町区にある「雲雀ヶ原祭場地」に連れて行ってもらった。11時半頃に到着。ご両親は駐車場が無いから近くで待機しているので2人で見て来てと云う。入口近くで車から降りて会場に入った。
物凄い人数の観客である。昨日の出陣式の観客数の数百倍もの人数である。全国各地から観に来ているようだ。
私達の席は自由席。中央の見やすい指定席は旅行会社が全て押さえている。指定席は20名の団体専用で、個人客は自由席しか取れないのだと云う。
警察のテントの横の僅かなスペースが空いていたので、そこに座って観たのだが、警察が監視する場所の近くだけあって見晴らしが良かった。かなり後から行ったのに良い場所を確保出来たのであった。
天気は晴れ時々スコールの30℃超の気温。晴れたかと思ったら、10秒くらいのスコールみたいな雨がザァ〜ッと降り、すぐに止む。ご両親からもらったビニール合羽を頭から被って雨を防ぐが、着たままだと蒸し風呂状態になるから、また脱いでお尻の下に敷く。これを4度ほどのスコールの度に繰り返したのであった。このビニール合羽がなかったらヒドイ事になっていただろう、配慮が嬉しい。
前方では傘を差して見学する人の傘が邪魔である。後方で見学する人の迷惑を考えてくれなくちゃ〜ね。
正午頃から「甲冑競馬」が行われた。1周1600m位の馬場を7〜10騎の騎兵が競争する。騎手は甲冑を着て、背中に旗指物を付けている。この旗が風を切る音が迫力満点なのである。7レース程が行われたが、ほとんどのレースで落馬があり、馬だけが懸けていく場面が見受けられた。アブミが木製の「と」の字型のモノだから、雨だと足が滑り易いのだろうなぁ〜。その騎手が乗っていない馬を捕まえるのがこれまた面白い。
走り終わった騎馬が観客席の坂を登って裏側に退去していく。この坂の付近で観られたらもっと迫力があったであろうなぁ〜。
甲冑競馬の後は、いよいよメインイベントの「神旗争奪戦」である。競馬場の中央の広場に馬に乗った甲冑姿の騎兵が数百騎も集まっている。
花火と共に一度に2本の神旗が打ち上げられ、それを数百騎の騎馬武者が奪い合うのである。ここでも落馬する人が出るのだから、かなり危ない催しだ。これを20回40本の神旗を打ち上げるそうだ。4回の打ち上げを観て引き上げた。最後まで居たら帰りが大変そうだったし、私は雨と汗で体中ビチャビチャなのである。妻に「帰るぞ!」と言ったら、「もっと観ていたいのに・・・」とかなり不満そうであった。
近所で待機していてくれたご両親に電話をして迎えに来てもらい、ホテルに戻る途中で漬物屋さんに寄ってお土産を買う。店がコレクションした甲冑が博物館として飾ってあるのでそれを見ていたら、静岡から来たオジサンに話しかけられた。北海道の帯広から来たのだと伝えたら、何だかやたらと帯広の事情に詳しい人だった。結局、何故詳しいのかは謎のままであったが・・・。
ホテルに戻ってシャワーを浴びて一休み。
17:00からは「お上がり」と云う凱旋パレードの行進が相馬市内で行われる。帰りは陣笠・陣羽織姿での行進だと云う。
相馬市役所と中村第一小学校の間に掛かる歩道橋の上には誰も人が居ないから、この上から見学したら?と聞いたら、ダメなのだと云う。お殿様が行進するのに上から見下ろすなんてトンデモナイ。二階の窓から見るのも無礼だからダメなのだと云う。
歩道橋の脚の下で行列を眺めていたら、総大将の相馬行胤(そうま みちたね)公が目の前に来たので、手を振ったら私に気が付いてくれて「エ〜ッ何で坂本さんがここに居るの〜? 言ってよ〜! マジックしに来たの?〜」と馬の上から大きな声でこちらに身体を向けて反応してくれたのである。威厳のある殿様役をしているのに、突然に素に戻っちゃったので、観客が驚く様にして私を見たのであった。
誰だ!あれは! 殿様が親しげに声を掛けたぞ!てなもんなのかなぁ〜・・・。
この後、中村神社の境内で、褒章を行うと云うので、そちらに移動した。まだ式が始まる前であるが、中央に腰懸けている総大将の前に、来賓らが挨拶に行っているが、皆、陣羽織姿である。洋服姿の私が挨拶に行くのは場違いだなぁと思って、テントの横で見ていたら、相馬総大将が、私を見つけて、向こうから席を立ってこっち側に来てくれたのである。「イヤぁ〜坂本さん、お久しぶりです。でも、どうして?・・・」と聞くので「娘が、相馬が実家の家に嫁いだもので・・・」と云ったら「どちらの相馬?」と聞く。どうも相馬も広いらしい。私には住所が分からない。一緒に居た娘の旦那の父親が「相馬の〇〇です」と答えてくれた。「そうですか!これも縁ですね。坂本さんには十勝ではいろいろお世話になって・・・」と手を握ってくれる。「一緒に写真を撮っても良いですか?」と聞いたら、ハイ勿論と言ってその場で集合写真を撮ってもらったのである。その並んでいる私達を撮っている観客も数人居たから、どうやら不思議な光景であったのだろう。
前日に、総大将の知人であると云ったのが、法螺ではなくて本当だったと証明出来たので私の株もかなり上がったのであった。
式の間は、正面から模様をずっと見ていて、終了間際に帰る時に、私が相馬総大将に手を振ったら深々と頭を下げて答えてくれた。総大将は偉そうにしていないとイケナイのに・・・。
帰りの道すがらは、この話題で盛り上がったのであった。
この後、6人で夕食を食べてカラオケをやったのだが、気分が良くて12時まで大いに食べて、飲んで、歌って大いに盛り上がった。ついつい飲み過ぎてしまったのであった。
■2018-07-30-Monday 相馬野馬追4
30日(月)は「野馬懸」が小高神社で行われる。
地元相馬の住人でも、関係者以外の一般住民で「野馬追」の全ての行事を観たことがある人は少ないのだと云う。娘夫婦のご両親もこれまでには「お繰り出し」ぐらいしか観たことがないのだと云う。
意外と地元の人に取っては、いつでも見られるからと云う感覚なのかもしれないなぁ。
「野馬懸」は昨日の「神旗争奪戦」が開催された「原町」よりもまだ南側の南相馬市小高区の「小高神社」と云う場所で9:00頃から開催されるのだと云う。
騎馬武者が馬具を装着していない裸馬3頭を境内に設けた柵内に追い込んで、白ハチマキ、白装束姿の「御小人」と呼ばれる数人が、この裸馬を素手で捕らえて神前に奉納すると云う儀式である。この御小人たちが、わざと転んでみせたり、気を失った振りをする。御神水を桶で掛けて蘇生させるパフォーマンスをやって観客を喜ばせるのだ。
1頭目はスムーズに捕らえられたが、2頭目の馬が気性が荒い馬で、柵の前で、馬が外に出ない様にする役目の甲冑姿の人の壁を突破して、私が見ている横の観客席に飛び込んで来たのだ。客の横を抜けて参道にまで出たが、何故だか馬が境内方向に戻って来た。ところが境内の前を竹竿で塞いであるのである、馬がその竹竿をへし折って中に戻って来た。竹竿を押さえようとした甲冑姿の人は、その勢いに後ろに倒されてしまった。
私はこの竹竿のすぐ横に居たから、私の目の前でのことであった。凄いハプニングであったが怪我をした人は居なかったようで幸いであった。
3頭とも無事に捕らえられて、昔の「せり」の模様を再現するのだが、ここでも観客を笑わせるパフォーマンスがあって、なかなかに楽しい催しであった。
帰る時に、総大将席に座っていた相馬行胤さんに向かって手を振ったら、気付いてくれて、またお辞儀を返してくれた。13年振りの再開であったのによく覚えていてくれたものだ。殿様のDNAってのは人の顔と名前を覚えるのが得意なのかもしれないなぁ〜。
帰る途中に、道路脇にあった「百尺観音像」を見学した。1ヶ月くらい前に偶然に、この観音像を造った「荒嘉明」以下の親子4代の物語を放送していたのを観たのである。観たのが途中からだったので、それが相馬にあるとは知らなかったのであるが、スゴイ執念を感じる事業であるなぁ〜。
娘夫婦の住むアパートの近くでインドカレーを食べてから、娘夫婦のアパートを見学する。
娘はスケートの仕事があると云うので、ご両親に仙台空港まで送ってもらう。北海道には歴史的な場所やモノが少ないから、今回みたいな伝統的なまつりが続いていることはウラヤマシイ限りである。今回の旅は何から何までご両親にお世話になった旅であった。次は北海道にも来てもらいたいと思う。
■2018-07-31-Tuesday 相馬野馬追5
31日に帯広に戻って来た。
新千歳空港と帯広とは近いようで遠い。車の運転が好きではないから、新千歳空港を使う時はJRを利用するのだが、特急列車が1時間に1本では、飛行機と列車の連絡が宜しくないのである。
結局、千歳のホテルに後泊して、翌朝早くの列車で帯広に戻ったのであった。
帯広も暑い。30℃を超える暑さである。例年なら暑くても空気が乾燥していてカラッとした暑さなのだが、今日の暑さは湿気が多くてジメジメしている。北海道も本州と変わらぬ気候になってしまうのかなぁ〜。
相馬野馬追は、この日の為に、馬を飼っていなければならないだろうし、乗馬の練習もしなければならないだろうし、甲冑の手入れもしなければならないだろう。
おまけに、甲冑姿の人は4日間も参加しなければならないのだから、費用も身体も大変である。
大勢のボランティアによって支えられている行事であると痛感した。歴史と伝統を守ると云うのは大変なことであるなぁ〜。
おそらく現代的なアレンジを良しとしない方々も多いと思われるから、改革と云うのも並大抵では出来ないであろう。
でも、運営は、もう少し近代的にやっても良いのではないのだろうかなぁ〜。
観客席の造り方はもっと工夫があっても良いと感じた。出陣式などの際に神社の境内に縄すら張って無い状況では、観客はどこで見学したら良いのかも分からない。開始後になって「ほらっ、そこどけて!」と云うのでは先に来て陣取って居た人は不満が残るであろう。
「甲冑競馬」「神旗争奪戦」をおこなう「雲雀ヶ原祭場地」の観客席は、座る場所を桟敷席風に設える工夫が必要だろう。草の斜面にシートを敷いただけの席ではお尻が痛くなるし、観客の統制が取れない。結局、皆が前へ、前へと押し寄せて、しかも立ったままで見るから、正規の席に座った客の視界を遮ってしまう。
この辺の運営方法は改善の余地があると感じた。
戻った後で、福島では震度4の地震が起こった。どうも私が行って帰って来た場所には1週間以内に地震などの災害が起こるケースが多い。
これは私が悪いのではない。逆に云えば、私が居る間は災害が私を避けているのである。だから、私が居なくなると災害が起こるのだ。そう解釈している。