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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2018-09-01-Saturday とかちマルシェ

8月31日(金)の夕方から2日の夕方まで

帯広駅周辺ととかちプラザを会場にして「とかちマルシェ」と云う食のイベントが開催されている。

80店以上の飲食の露店(テント)が集合する一大イベントである。昨年よりもかなり規模を拡大しているようだ。これだけの数の屋台が並ぶと壮観である。

31日の午前9時に、自宅からマジック・ミュージアムに徒歩で向かったので、準備段階から目にしたし、帰りは丁度昼飯時の12時だったので、途中で何かを食べて帰ろうと思ったのだが・・・。

自宅と会社の区間を地理的に説明すると、自宅と会社とは徒歩約12分間の距離で、ちょうど中間地点に帯広駅が在るのである。

行きはともかく、帰りは昼食時だったので、人が大勢出ており、歩くのにも困るほどの人出であった。

勉強の為に、一通りのテントを見て歩いたのだが、メニューは肉類がほとんどで、還暦過ぎのお腹には、昼から肉は少々重過ぎる。どこかに蕎麦がないかなぁと探したのだが、うどんや焼きそばしかない。あれあれ、十勝の名物のひとつが蕎麦だと思っていたのに・・・。

とかちプラザと駅の間の車道を封鎖したのはヒットであった。いちいち横断歩道まで移動するのは面倒だものね。

もう少しメニューにバラエティ感があっても良いかなぁ〜。

今年の七夕まつりの時にも感じたことだが、十勝の人はイベントに飢えているのではなかろうか?

80店舗以上の屋台が集合すると云うのは、台湾の台北で経験した「夜市」以来であるが、雰囲気がまるで異なっていた。

帯広のは、昼間と云うこともあるのだろうが、何故だか賑わいを感じなかったのだ。

台北の屋台は商品を「見せる」ことにも力を入れていた。

今回の帯広のは、売り手のパフォーマンスが足りない感じがした。屋台は美味しそうに見せる見せ方と、煙などの香りと、作る時のパフォーマンスが融合していて、見ているだけで楽しくなるし、食べたくもなる。

まだまだ、売り手側が、こう云うイベントでの売り方に慣れていないのであろうなぁ〜。

回数を重ねていけば、面白いイベントに育っていくであろう。


■2018-09-02-Sunday アッチャー!

アッチャーまたまたやってしまった!

今日の昼からのゴルフの約束をスッポカシテしまったのである。

朝起きた時に手帳を見て、ゴルフのスケジュールの確認はしていたのだ。2日は父の月命日のお参りの日で9:30にお坊さんが来る。お参りが終了した後で、母と妹が着物の整理を始めた。それを眺めている内に、すっかりゴルフの事が頭から抜け落ちてしまった。

天気も良いから、たまに母を外食とドライブに連れだしてやろうと思ったのだ。

母が、寿司を2,3個つまみたいと云うので、回転寿司屋に連れていき、食後に大正町のお菓子屋に行って、母の好きな生チョコレートを買ってから、お花畑にでも連れて行こうと車を走らせていたら、携帯が鳴った。

友人からで「何処に居る?ゴルフ場に向かっているか?」と聞くのである。その瞬間にアッしまった!今日はゴルフだったと思いだした。

だが、時すでに遅し、今から自宅に戻っても全然間に合わないので「ごめん」と謝ったのであった。

今日は最高のゴルフ日和なのに・・・。残念!

近頃、物忘れが激しいなぁ〜。今日も朝の段階では手帳を見て、しっかり確認していたのに・・・。何か、他のことをやっていると、きれいさっぱりと忘れているのだ。健忘症? 認知症? それと何か他の病気?

でも、きっと今日は天気が良過ぎたから、熱中症を心配したご先祖様がゴルフのことを忘れさせてくれたのかも・・・。


■2018-09-03-Monday 16mmフィルム

8月10日に届いた古〜い16mmフィルムに

何が映っているのかの確認がようやく出来た。

映画の最初に出てくる字幕を書き留めた。

タイトルは「世界の魔術(これは映画の為のトリックではありません)」

出演者は「ケン・リトルウッド」と云うマジシャン

アシスタントは日本人の女性で「黒川昭代」

製作社は「朝日興行社」と「東宝芸能社」

背景は「幕」であるから、何処かの劇場のステージ上であると思われる。

白黒映画で上映時間は19分間である。BGMは生バンドの様である。時折拍手や歓声が聞こえる。

燕尾服にシルクハットにステッキの正装姿の男性(マジシャン)が酔っ払っているかの様なフラフラした演技で、ステッキをシルクに変え、タバコを出して葉巻に変え、それを更にパイプに変えて、そのパイプが指の間で4本のパイプに増加したり減少したり・・・。

シンブル(指貫)の増減、シルク→玉、玉を口の中に入れては、あちこちから出したり、口中の玉を紙テープに変えて長く引っ張り出す、またタバコを出して、今度はロウソクに変え、左右の指の間で8本に増したり減らしたり、ロウソクを大パイプに変える。

場面が変わって、数本のステッキのプロダクション、新聞紙の復活、コインプロダクション、タバコ→マッチ→花、最後は女性の助手の胸からブラジャーを抜き取って終わり、ここまではステージのスライハンドマジックの演技である。

次は同じ場所であるが、大掛かりなイリュージョンマジックである。3本の剣の上に女性の助手を乗せて、2本の剣を抜き取り、首の1本で支える人体浮遊術である。このマジックでお終い。

場所は、同じ劇場の様だが、3回のステージを1本にまとめた様である。

42年程前に、師匠のジミー忍から、ケン・リトルウッドのマジックのビデオを見せてもらった記憶がある。今回の16mmフィルムのモノとは別物であるが・・・。

私のデビューは「ステッキのプロダクション」であった。ケン・リトルウッドが何本もアピアリングケーン(出現するステッキ)を出すのを見て刺激を受けたのである。

ケン・リトルウッドは日本には、何度か来日はしている様だが、何年の来日時の映像なのかは表記されていないから分からない。

おそらく、このケン・リトルウッドの演技を見た後で、マジック本の「奇術研究」を出版したりマジック道具を販売していた「力書房」が「増加するパイプ」や「増加するロウソク」などの道具を売り出したのだと推測できるから、そうなると昭和34(1959)年以前の来日時の映像なのではないだろうかと思っているが・・・、誰か分かっている人が居たら教えて欲しい。

貴重な映像ならばDVDにダビングして保存しておこうと思っている。


■2018-09-04-Tuesday ウワァ〜モッタイナイ!

2日、ブラジルで博物館火災のニュース。

ブラジルのリオデジャネイロの200年の歴史がある国立博物館で2日、大規模な火災が発生し、建物が全焼、2000万点に及ぶ収蔵品の多くが消失したという。

地元メディアによると、閉館後であったが為に、怪我人などは確認されていないようだが、収蔵品およそ2000万点の多くが焼失した可能性があるという。

この博物館は1818年に建てられたもので、恐竜の骨や、ブラジルの先住民文化に関する展示などで知られていたという。

私も「マジック・ミュージアム」と云うマジックの博物館を作っているから、こういうニュースには敏感に反応してしまう。

マジック・ミュージアムの収蔵品は、大小全部まとめてで7万点ほどであるから2000万点の収蔵品というのが、いかにすごいのかが分かる。

200年間も掛けて集めた2000万点の収蔵品が一夜にして焼失してしまったと云うのだから、文化的損失は計り知れない。関係者のショックは相当なものであろう。再び同じモノを集めることはもう出来ないであろう。

火事は怖い。我が家も昭和42年に自宅と店舗が火災に遭って全焼し、家族の写真から貴重な絵画なども全て焼失しているから、火災の怖さは身を持って経験している。お金には変えられないモノと云うのがこの世にはたくさんあるのである。


■2018-09-05-Wednesday 1周年

去年の今日(9月5日)入院した。

一昨年の人間ドックでPSAの数値が高く「前立腺癌」の疑いがあると診断され、生体検査の受診を勧められたが、ビビって2度ドタキャン。

昨年の人間ドックで、PSA値が上昇しており、覚悟を決めて生体検査を受診したら、癌が見つかった。

帯広の病院ではダヴィンチと云う手術補助ロボットを使用した前立腺の全摘出手術を勧められたが、排尿のコントロールが出来なくなるとのデメリットがあるとのことで手術を回避、札幌の北大病院に行って、先進治療の「陽子線治療」を受けることにしたのである。

手術をしない代わりに、陽子線と云う放射線をピンポイントで当てて治療をする。身体への負担は少ない代わりに治療期間が約2ヶ月間となるのであるが、こちらを選択したのだ。

お陰で、癌は消滅、現在は普通に生活をしている。

昨日の台風21号のニュースを見て驚いた。ニュース映像を見たら、車がおもちゃの様に転がって、トラックも横転している。大木が折れ、看板や屋根が空中を舞い、電線に絡みついてショートして停電している。暴風の恐ろしさをまざまざと見せられた。こんな状況なのに車を運転する人が居るのには驚きである。不要不急の外出は止めるべきだろう。家の中に居ても飛んで来たモノにぶつかって窓ガラスが割れて怪我をした人もいたと云うから恐ろしい。

関西空港では、高潮で滑走路が浸水し、連絡橋にタンカーが衝突して封鎖され、孤島と化して多くの人が取り残されていた。

水も怖いが風も怖い。

近年、自然の猛威が襲い掛って来ているようだ。台風の進路からはかなり離れている帯広でも、昨晩は物凄い風と雨の音で目が覚めた。

そんな状況で、朝刊が自宅に届いていたので驚いたが、新聞を読んだら帯広のすぐ隣の池田町の羊の牧場でヒグマが出没して羊が食べられたという。今年は、随分とあちらこちらで熊の出没のニュースが多いが、山に熊の食べ物が無いのであろう。

こんなに災害続きで、復旧には金も人手も必要であるのに、2年後にオリンピックをやる余裕があるのだろうかなぁ〜。地方の新たな建築や保守などが遅れなければ良いのだが・・・。


■2018-09-06-Thursday 大地震

6日真夜中の午前3時過ぎに

グラリグラリと大きく長〜くゆったりと揺れた。けっこう大きな地震であるが、帯広の震度は4程度である。すぐにテレビを点けたが、点けた途端にプツンと切れた。停電である。

情報がないとなると尚更心配である。揺れ方からすると帯広からは離れた場所の揺れ方だ。東日本大震災の時も同様に長くゆったりと揺れたから、また東北かと思ったのだ。

災害に備えて枕元に懐中電灯、ラジオなどの必需品は置いてあるので、すぐにラジオを点けたら、北海道の千歳市近辺が震源であるらしいことが分かった。震度も6強だと云う。これは大変だ。新千歳空港も相当な被害を受けているであろうから、台風21号で使用不能になった関西空港に続いて、新千歳空港も使えなくなったら、空の交通がズタズタになる。

とりあえず外が明るくなるまでは寝ていようと、ベッドで寝ていたが、早朝に社員から電話が入った。会社は上から下まで点検したが異常がなかったと云う報告である。私が行く前に点検を済ませてくれていたありがたいことだ。

妻が外が明るくなったからコンビニに行って食料や電池などを買って来てと言う。が・・・。停電しているから車庫の電動シャッターが動かせないので車が使えない。「コンビニも休業しているはずだから・・・、こう云う時は自宅に待機していた方が良い・・・」と言って寝ていたら、妻が「役に立たない人ね」と怒りだし、自分で買いに行ったのであった。戻って来た妻が、コンビニはすごい行列が出来ていた。私一人だけだから重たくて大したモノを買ってこられなかったと怒っているが・・・、妻とは災害時の考え方が根本的に異なる。

東日本大震災の際に、緊急時に必要なものを取り揃えてある。それを開けてみたら・・・。

乾電池は半分が液漏れを起こし、白い塩みたいな粉がこびりついていて半数しか使えない。やはりこう云うモノは定期的な入れ替えが必要なのだろうなぁ。

朝食を済ませたら、妻はすぐに会社に行けと言う。停電で信号が動かないから、こう云う時はあわてて向かうのは危険である。もう少し後で良いと言ったら、妻が「アンタは災害時にはまったく頼りにならない」と言って一人で会社に向かった。

私はラジオや懐中電灯、乾電池と飴やタオルなども持って9時に家を出たら、ちょうど妻が戻って来た。入れ違いに徒歩で街中に向かう。駅の中も真っ暗である。昨日は台風21号の影響でJRも運休していたが、駅中は明るかった。停電と言うのはやっかいだ。

15分で会社に到着。エレベータが停止しているから階段で6階の事務所まで上がるが、膝がガクガクして息もあがる。社員が待機していたので報告を受け、自身でも一通り確認してから、今後の指示をして会社を出、街中を回ってみると、六花亭が営業しているではないか。店内に入って腹の足しになりそうなお菓子を10個ほど買う。次に藤丸百貨店の前に行ったらデパート自体は閉店しているが、ワゴンを出してパンと飲料を販売しているがお客さんは少ない。情報が行き渡っていないのであろう。

街中をグルリと回ってみたが揺れの被害はなかったようである。後は電気が復旧すれば通常通りの状況に戻りそうだが、ラジオでは発電所の復旧には数日が掛かりそうだと言っている。

電気が使えないとコンピュータもテレビも使用できないから情報が非常に少ないのが困る。携帯電話に次々とお見舞いの電話やメールが入るが、携帯電話のバッテリー残量が少なくなっていく。頼みの綱の携帯が使えないのは困る。

東日本大震災の時は、地元に居る人間は電気が無いから情報が入らずに、外の人間から携帯で言われて初めて状況を理解したというが、その感覚が理解できた。災害に遭っている人間には情報が無く、無事な所に居る人の方が情報が多いのである。

街中のコンビニはもう営業をしていないから、電池などが買えない。このまま数日間の停電が続いたら乾電池の備蓄が足りなくなるかもしれない。

自宅に戻り、買って来たお菓子で腹を満たす。夜への停電の備えが必要だが・・・。

とりあえず自宅のリビングのテーブルの上に、必要なモノを並べ置いておく。

夕方になって自宅の周りを歩いてみたが、人がほとんど歩いていないし、家の中も静かである。

まだ外が明るい内にインスタントラーメンを作って夕食にする。水道やガスが使えるのは助かる。

日が暮れて外が真っ暗になった。庭に出てみたら満天の星空である。街中にある自宅でこんなに多くの星が見えるのは初めてである。

中心街の方向も真っ暗である。頭にヘッドライトを装着して、会社まで行って来ると言ったら、妻がアンタはバカじゃないのと怒る。どうも災害時の考え方に差があり過ぎるようだ。

会社まで徒歩で行ったら、ホテルも駅前のノースランドホテル一ヶ所を除いて全て停電しており真っ暗である。西2条通りでは、みずほ銀行の電気が煌々と点いていて歩道を照らしているが、それ以外は街灯も全て消えている。数台走っている車のライト以外は明かりが無い。20時でこんなに真っ暗なのは初めてである。会社の前と後ろに回って点検したが異常がなかったので、自宅に戻る。途中でとかちプラザに電気が点いていたので中を覗いて見たら、緊急の休憩所になっており200名ほどが居たが、受付に居た顔見知りの市役所職員に聞いたら救援物資が届いていないのだと云う。

新聞の号外をもらって帰宅した。

21時少し前に、電気が復旧したが、帯広の中心街だけで、郊外は依然として停電したままだと云う。北海道の全域が18時間に亘って全戸停電なんて冗談では済まない。北電の対応はまるでなっていない。こんなお粗末な体制で原発を稼働させたいなどトンデモナイ話である。北電への信頼は地に堕ちた感じだ。

電気が復旧したからテレビを点けてみたら、厚真町などの被害がものすごい状況だ。ラジオで聞くのとテレビの画面で見るのとでは大違いである。やはり情報は大切であるなぁ〜。


■2018-09-07-Friday 大地震2

地震翌日の7日である。

台風が来ると気圧が下がるから地震が発生し易いとはよく言うが・・・。

自宅は昨晩の21時に電気が復旧したが、帯広市内では依然として停電したままの場所も多い。朝7時の時点では、社員の家の近辺はまだ復旧がされていないと云う。

今朝は車で出勤したが、信号機はところどころで点いていない。信号機がまばらにしか作動していないから、危うく減速しないで交差点に入ってしまうところであった。

会社に着いてからは、電気器具の設定のやり直し作業である。これに時間が掛かる。コンピュータ制御は停電してしまうと再起動が厄介である。

中心街でも、我が社は電気が復旧しているのに、周りのビルは復旧していないと云う。3軒横のビルからや向かいのホテルも停電したままだ。なぜ、坂本さんのビルだけ電気が点いているのかと聞かれても理由が分からない。

送電のラインが異なるのであろうか?

早目に復旧した我が家でも18時間もの停電であった。電気が無かったら何も出来ない。

現代文明と云うのは電気無しではまったく機能しない脆弱なものである。

まだ、水道とガスが使用出来ただけでも大いに助かった。東日本大震災時の東北では、全てのライフラインが使用不能であったのだから、生きた心地がしなかったであろうなぁ〜。今回の停電でその一部だけでも実感をした。

それにしても、北電の停電の説明が理解出来ない。地震発生が夜中の3時なのに需要と供給のバランスが崩れたのが原因だと云うのである。火力発電に大きく依存している体制そのものが危機管理がなっていないとしか言わざるを得ない。十勝の糠平にある水力発電だけで十勝の需要は賄えるのに、稼働させていないのだと云う。今後は、火力、水力、その他の自然エネルギーの発電をバランス良く使用して、二度と長時間の停電が起きないようにしてもらいたい。

十勝沖ではマグニチュード8以上の大地震の発生が懸念されていると云う。今回ですらマグニチュードは6台であるから、おそらく震度は7以上になるであろうし大きな津波も発生するであろう。

だが、近年、心配されている関東では地震が起きずに、離れた北海道や九州で大きな地震が発生している。これはきっと、さっさと東京周辺から離れなさいという地球の警告ではないだろうか?

それにしても、台風、地震と日本は災害続きである。先日も書いたが、こんな状況で、不祥事続きのスポーツ界の祭典であるオリンピックなんぞやっている暇はないぞ!復旧に全力を傾注させろよ!

昼時に街中をグルリと歩いて回ったら、電気が通じていないのに2軒のラーメン屋が営業をしていた。水道とガスは通じているから、路面店なので外からの明かりだけで営業している。コンビニも時間限定で開店していたが、もはや食べ物は皆無であるから、出勤している人間にとってはラーメン屋の営業はありがたいであろう。ラーメン屋の隣のパーマ屋さんは電気が点いて営業していた。それにしても、電気が通じている店が数軒ずつまばらなのは何故なんだろうなぁ〜。

会社が終業後にテナントである「いろはにほへと」が営業すると云うので妻と一緒に食事をしに行った。自宅では、電気が通じていても食材が購入出来なかったからだ。

食べ物が出てくる前に、妻が「貴方の昨日のブログはいったい何よ」と怒りを込めて言う。「私が早朝にコンビニに行ったのは、携帯電話の充電器を確保する為だったのよ。もしも携帯の残量が無くなって、子供たちと連絡が取れなくなったら、いらぬ心配かけるからでしょう? 貴方より先に会社に行ったのは、朝から対応してくれている社員との連絡を取ったり、会社の近所の人達との情報交換をする為だったんだよ。暗くなってから貴方が街中に行くのを咎めたのは、もしも暗い中で貴方が転んだりして救急車を呼ぶ様な事態にでもなったら他人に迷惑を掛けるからでしょう?」と畳掛けて来る。

ここは逆らわずに「そだね〜」で済ませておこう。


■2018-09-08-Saturday 大地震3

地震から2日目

6日の21時に会社も通電したので、私は普通に9時に出勤し17時まで会社に居た。

7日の夕方になって帯広市内にいる兄弟姉妹や知人から、ようやく電気が通じたとのメールが入った。妹の家は、我が社とは400mくらいしか距離が離れていないのに、電気が復旧したのは7日の17時頃であったと云う。郊外では依然として復旧していない場所もあるという。何故にこんなにまばらに復旧するのだろうか?

我が社と自宅に電気が復旧した6日の21時の時点で、同じ帯広市内の同じ町内でも、すぐ隣のビルなのに電気が来ていないというビルもあった。

我が社に電気を貸して欲しいとやって来た本州からの客によると、近くのホテルでは宿泊希望者に対して「部屋の電気も水道もトイレも使えませんけどそれでも良かったら・・・」と言われたが、そんな部屋には居たくないので断ったとのこと。

ホテルなどでは、ポンプで水を屋上のタンクまで汲み上げて、水の重みで配水するから、停電だと水が使えないのだ。エレベータも使えないから階段で昇降するしかない。

街中のホテルはそんなところが多いであろうから、商売はあがったりであろうなぁ。

1時間おきに街中を歩いて回っていると、7日の15時過ぎになってようやく中心街のほとんどの店舗に電気が復旧し始めた。しかし、この15時過ぎと云う時間帯が実に悩ましい時間帯だったのである。

店主らから話を聞くと、ほとんどの店が「何時に復旧するのか分からないから、既に今日の臨時休業を決めてしまって店員にも伝えて自宅に帰したので、今更この時間に復旧しても・・・」と異口同音に言うのである。そうだよなぁ〜。どうせならもう2〜3時間くらい早かったらなぁ〜・・・と云うところであろうか。

自宅に戻ると太股の裏側の筋肉が痛くなってきた。昨日のエレベータが使えない中で6階の事務所までの数度の階段での昇降と自宅と会社の間の数度の往復の徒歩のせいであろう。

たかだか6階の階段程度でこれなのだから、高層マンションの上階にでも暮らして居たらと想像すると・・・。

高層マンションなら、水道が停まっていなくても、停電していたらポンプが稼働しないから、屋上のタンクに貯まっている水が無くなったら水も無くなる。そうなったらトイレすら使えない。

地震大国の日本では、特に足腰の弱って来る老年なら低層住宅に暮らすしかないなぁ〜。

今回の地震と、北海道全てでの長時間の停電で危機管理に対する考え方が随分変わったのであった。


■2018-09-09-Sunday 大地震4

大地震から3日目(8日)土曜日

冷蔵庫の中には目ぼしい食べ物が残っていない。車庫は電動シャッターが動かせるようになったのだが、ガソリンスタンドは相変わらずの長蛇の列なので月曜日までは不要不急の車での外出は控えようと考えた。

徒歩で行ける駅南の長崎屋に買い出しに行ったが・・・。

店内には、これまた目ぼしい食材は残っていなかった。

特に牛乳が欲しかったのだが、乳製品はヨーグルト類も含めてカラッポであった。

18時間以上もの長時間の全道的停電で酪農家では牛乳の搾乳が出来なかったり、冷蔵保存が出来なかったり、乳製品を作る工場が稼働していなかったりが重なって、乳製品は品薄状態である。

仕方がないから豆乳を代替品として買って帰ったのであった。

北海道全域で長時間に亘って電気が停止したのは、地震の揺れの直接の被害よりも大きかった。

帯広では余震をまったく感じないが、震源地の近くではひっきりなしに震度4クラスの地震が起きている。

十勝も地震多発地帯であるから、震度5クラスの地震は何度も経験しているし、余震が続くと心が安らぐ暇がないから心的ストレスは相当なものであろう。死者も30人を超えてしまったから被害の大きさでも大地震である。

停電対策としては、発電機を準備して置くと云う方法もあるが、燃料がガソリンである。一般家庭ではガソリンの備蓄は出来ないから、これでは2〜3時間しかもたないであろう。

新聞の読者の声欄には、ソーラー発電装置を設置している住宅の住民からの投稿が載っていたが、昼間は発電が出来たからテレビも見られたし携帯電話の充電も出来た云々と、あったが、コストパフォーマンスがはたしてどうかなぁ〜。

そこに蓄電池装置でもあったら完璧で、停電も苦にならないのだろうが・・・。

我が家では古い豆電球タイプの懐中電灯を2つ備蓄していたのだが、単1電池4個を使用するのに暗くて重たい。

一方で百円ショップで購入してあった単4電池3個だけのLED電球の小さな懐中電灯は明るくて軽い。これからはやっぱりLEDの時代だなぁ〜。

頭に装着する電灯も、両手が使えるから、とても重宝した。

今回の地震は、まだ9月初旬の温かい時期であったからまだしもであったが、もしも厳寒期であったらと想像すると恐ろしい。

電気が停まるとボイラーに点火出来なくなるからだ。昔のルンペンストーブみたいに薪や石炭を燃やす暖房装置は、もはや北海道の一般家庭には存在しない。冬の停電は生命の危険が大きいであろう。

もしも、真冬に今回みたいな長時間の停電が起こったら、凍死者が数百人の規模になったかもしれない。

改めて、今すぐ出来るコストパフォーマンスが良い真冬の停電対策を考えて準備しておこうと思う。


■2018-09-10-Monday 大地震5

大地震から4日目(9日)日曜

午前中は家の中の片付けをして、午後は昨日と同じ駅南の長崎屋に買い出しに徒歩で出掛けた。まだガソリンスタンド前が列をなしているので、並ぶのが嫌いであるから、空くまでは、車の使用は控えようと云うことである。

途中の道では、日曜日だから元々休みの店が多いのだが、その休みを返上して、休業を余儀なくされた金曜・土曜の代替営業をしている店もあった。

帯広市内は地震の揺れによる被害はほとんど無かった。マジック・ミュージアムの展示物も安定性の悪い2本脚だけで立っている人形類が数個倒れていただけである。建物の被害はほとんど無かったが、ただ停電しているので営業が出来なかっただけであるからなぁ〜。

停電の被害が大きかったのはスケートリンクであろう。スピードスケートの室内リンク十勝オーバルではリンクの氷が溶けてしまい、新たに造り直すのには1ヶ月半を要すると云う。

長崎屋の電気屋で、LEDの照度が高い懐中電灯とキーホルダー型の小型の懐中電灯を購入した。普段から身に付けておこうと考えたからだ。

ランタン型のモノは全て売り切れていたし、妻のスマホの乾電池で充電出来るモノも全て売り切れていた。皆考えることは一緒であるなぁ〜。

今後の事を考えると、イザと云う時の為に何を用意しておけば良いのだろうか?

ガソリンを使用する発電機は重たいし値段も高い。キャンプ用の「ソーラー発電機」は安いモノは2万円くらいで入手できるが晴れている昼間しか使えない。ポータブル蓄電池は常に充電しておかなければイザと云う時には役に立たない。一長一短があるなぁ〜。

食品売り場では、昨日は品切れになっていた乳製品も売っていたので牛乳とヨーグルトを購入したが、パンはまだ入荷していなかった。

停電と云う問題を考えると、今流行りの電子マネーってのも使用不能になるのであろうなぁ〜。自宅には多少の現金を持っていないと、停電時には何も買えないことになる。便利は不便であるなぁ〜。

震源地に近い厚真町では死者が40名を超えてしまった。テレビを見ているとひっきりなしに震度1〜4の地震が発生している。被災した方々は心安らぐ暇がないであろうなぁ。

経済産業相や北電が、計画停電を言い出したが、知人が「泊原発を稼働させる為の陰謀だ!」と言う。電力が足りないと云うが、水力発電所を稼働させれば十分に間に合うと私も思うがなぁ〜。

JR北海道も、札幌ー帯広ー釧路間の特急列車は少なくとも12日までは運休すると云う。そんなに掛かるの?

そんな中でテニスの大坂なおみ選手が全米オープンで優勝をした。試合自体は相手選手のセリーナ・ウィリアムズと審判との間での言い争いがあって罰則を与えられたりしたし、観客の大坂選手に対するブーイングがあったりして、見ていて愉快ではない展開であったが、それに臆することなく勝ったのだから大したもんだ。

少し前の大会で優勝したことで自信が持てたのだろう。何事もそうであるが、自信は人を大きく変える。

大坂選手とサーシャ・バインコーチの関係が信頼によって成り立っている横の関係なのと比較すると、日本のスポーツ界の指導者と選手の支配関係はヒドイよねぇ〜。

体操界の問題は、本質の速水佑斗コーチの暴力問題から大きく逸れて、理事者間の権力争いの問題にすり変わっているように見える。テレビでコメントしている連中の下心が垣間見えてしまって可笑しくなる。

こんなことばかりやっていて、本当に2年後に東京でオリンピックなんて開催出来るのだろうか?


■2018-09-11-Tuesday 勝毎「論壇」島田晴夫

2018年09月10日 十勝毎日新聞「論壇」欄掲載

世界一のマジシャン 島田晴夫

日本人マジシャンでは誰が一番? 有名なところではMr.マリック?プリンセス天功?それともマギー司郎?昭和40年代だったら、引田天功(初代)が有名だったが、世界のマジック界なら断トツで島田晴夫なのである。

日本のテレビにはほとんど出演していないので一般には知る人ぞ知る存在であるが、私は高校生の時にテレビで島田晴夫の鳩出しの演技を見て憧れ、プロマジシャンになりたいとの願望を持ったのであった。まさに雲の上の存在であったが2004年には帯広に招聘(しょうへい)してマジックショーを開催したこともある。

今年7月にNHKのBSプレミアム放送で3時間にわたって放送されたマジック特番で、アメリカのロサンゼルスにある「マジック・キャッスル」というマジックの殿堂のステージに歴代一番多く出演したマジシャンとして紹介されていた。世界ナンバーワンのマジシャンに授与される「マジシャン・オブ・ザ・イヤー」を1974年に日本人として初めて受賞している。78歳であるが今もって現役で活躍しているレジェンドである。

現在はロサンゼルス在住の島田師が、今年8月に直接私の携帯に「10月末に訪日するがその際にマジック・ミュージアムを訪ねたい」と電話をくれたのである。大感激である。

島田師は私が生まれた1958年に17歳でプロデビューしているが、デパートなどでマジック用品を販売する会社「テンヨー」のディーラー(実演販売員)出身のプロマジシャンだ。「テンヨー」は日本近代奇術の父といわれる松旭斎天一の親戚の松旭斎天洋が起こした会社で、プロ第1号は6歳年長の引田天功、島田師はプロ第2号である。私の師匠のジミー忍もMr.マリックも同門である。

デビュー時の日本では、既に先輩の引田天功がテレビでも活躍していたので、活路を海外に求め、羽織はかま姿で「番傘出し」や龍の神楽をモチーフにした「ドラゴンイリュージョン」などのオリエンタルスタイルのステージマジックや「鳩出し」「八ツ玉」などの超難度のマジックで一世を風靡(ふうび)し、ラスベガスの人気ショーの「スプラッシュ」では5年にわたりメインゲストを務め、世界のマジック界を超越して、エンターテインメント界のスーパースターになった人なのである。

マジック・ミュージアムには、9月末には日本奇術協会から4人の役員が訪れて、マジック道具の寄贈を受けることになっているが、日本唯一の施設として玄人筋には評判になって来たようでうれしい。(文中敬称略)


■2018-09-12-Wednesday 地震余波

昨日の勝毎の「論壇」は

島田晴夫師のマジック・ミュージアムへの訪問に私がウキウキしているようで、時期的にはあまり相応しい内容ではなかったが、原稿の締め切り日が地震発生の1日前であったので、これは仕方がない。暗い内容ばかりのニュースの中で、良いニュースであったから、かえって良かったよと言ってくれる人も居たので良しとしよう。

胆振東部地震発生(6日03:08)から1週間、震源地近くでは、依然として震度4クラスの余震が続いている。

北海道全域で起こった停電(ブラックアウト)の復旧は一応はなされているが、20%の節電をお願いしたいとの北電からの通知が北海道全戸にされているので、暗めの日々を過ごしている。

世間では、経産省と北電が泊原発を稼働させたいが為に節電をと言っているとの陰謀論が盛んであるが・・・。

陰謀論かどうかは別としても、北電の対応には不満足である。私は、素人ではあるが、水力発電所をもっと稼働させれば十分対応可能であるように思うのだが・・・。

私達夫婦は、共に還暦になって「終の棲家(ついのすみか)」について話す機会が最近増えてきていた。

現在の庭付きの一軒家だと、冬の除雪が大変だし、夏の庭の手入れも大変だから、市内中心部のマンションにでも移るか?と言っていたのである。

だが・・・。

ここ最近の、台風やら地震やらの災害のニュース映像を見ると、この考え方もマズイなぁと思うようになって来た。

そもそも、60歳を過ぎて、身体のあちらこちらに不具合が生じてきているから引っ越しを考え始めたのに、優先順位が除雪や庭の手入れよりも、震災時の電気・水・ガス等のライフラインの確保の重要性の方が勝ってきたのである。

今回の様な、停電になった場合は高層マンションの方が、一軒家よりも弱いと云うことが判明したからだ。

停電でエレベータが使用不能になった場合、私達夫婦の現在の体力からしても、重たい荷物を持っての階段の昇降はせいぜいが3階までが限度である。もしも、どちらかが車椅子のお世話にでもなっていたら、1階でなければ生活が出来ない。

高層マンションは、水の面でもすこぶる弱い。帯広市内の一般住宅での断水は無かったのに、マンションでは水が出ないと云う事態になったと云う。電動ポンプで水を屋上のタンクまで汲み上げて、その水圧で各戸に配水する仕組みになっているから、停電になったら、水を汲み上げられないからタンク内に残っている水だけしか使用出来ないのだ。入居戸数が多いほど早く水が無くなることになる。

断水した後で電気が復旧し、ポンプが稼働してタンク内に水が戻った時も、要注意だと云う。上層階の家が一旦空になったトイレの水を流したら、水が空になって溜まった空気の圧力で下層階の家の配管が破裂する危険性があるのだと云うのである。

地震の揺れにも危険が伴うと云う。

上層階では、揺れがかなり増幅されるのだと云う。家具が部屋の中を行ったり来たりする事態になるのだと云う。

これだけの悪い状況を並べられたら、老人が高層マンションの上階に暮らすのは躊躇ってしまうなぁ〜。

これから帯広市の中心部では18建ての高層マンションを建設する計画になっているのだが・・・。

妻は「人間は地に足が着いた状態で暮らすのが一番なのよ」と云う。

自宅の敷地は地盤の良い高台にあるので、浸水の危険性はゼロであるから、現在の住居を壊して更地にして、トレーラーハウスでも造ろうかなぁ〜。屋根にはソーラー発電装置を付けて、蓄電池も完備して、庭に手動ポンプの井戸でも掘って、車庫はやめてカーポートにして・・・。


■2018-09-13-Thursday 3年生存率

癌患者の部位別の術後3年生存率というのが公表された。

詳細な説明は、面倒だからここでは書かないが

私が去年、治療を受けた「前立腺癌」は最も生存率が高くて98%であった。

それを見た妻曰く「前立腺癌なんて盲腸みたいなモンよ!」と・・・。

去年の9月初旬から10月末までの約2か月間、札幌の北大病院に入院して先端医療である「陽子線治療」と云うのを受けてきた。

数値上は癌を示すPSAの数値はこれ以下にはならないと云うレベルまで下がり、治療後に医師からは10年後の生存率は97%と言われていたから、そうすると7年でたった1%下がるだけ・・・。(ホントかいな?)

まぁ、癌の中では一番軽い部類なのであろう。

「前立腺癌」は、患者が知らずにいても、癌で死ぬよりも他の病気や事故で死ぬ方が多い癌なのだと云う。だから70歳過ぎたら治療もしない人も多いのだと云う。

私の場合は、2016年の人間ドックのオプションで受けたPSA検査(前立腺の病気を知らせる血液検査)で高い数値が計測され、生体検査も2度のドタキャンをするなど1年間は放っておいたのだが、翌17年の人間ドックでの検査では数値がグッと上がったので、覚悟を決めて生体検査を受けたら、案の定、癌が見つかったのであった。しかもあまり質の良くない癌の顔つきをしているとのことで、帯広の病院では、前立腺の全摘出手術を勧められたのだが、術後の尿のコントロールが難しくオムツの世話になると云うデメリットを勘案して、北大病院の陽子線治療を受けることにしたのである。

外科の医者は、再発や転移がなるべくしない様に病根を丸ごと摘出する手術を勧めるのだが、患者側から見たら、術後のクオリティ・オブ・ライフを確保する為には、身体にメスは入れたくない。生来身体に付いている臓器を摘出するのは、何等かの後遺症が出ると感じたのだ。

それに60歳でオムツというのは、プライドが許さない。たとえ癌が完治したとしてもストレスで他の病気になる可能性があると思ったのだ。

放射線などの、手術に代わる方法で治せるならば、それに越したことはない。先進医療の「陽子線治療」はピンポイントで癌細胞に陽子線を当てて治療する方法であるから、身体への負担はほとんどない。治療後の数値上は癌は消滅したと思っているし、オムツなどの世話にもなってはいないから、ごく普通の日常生活を保っている。

陽子線治療を選択して本当に良かったと思っている。


■2018-09-14-Friday 災害に弱い観光

元々観光業と云うのは

災害等には弱い業種なのであるが・・・。

北海道中のホテルや飲食業では、観光客、特に外国人観光客のキャンセルが相次いでいると云う。

一昨年の台風の時にも、公共交通機関であるJRがストップし、道路や橋が崩れて一般道も閉鎖されたが・・・。

今回も、JRは地震発生の6日未明から今日までの8日間も特急がストップした。

台風や地震が原因ならば仕方がないと諦める他はないが、大したことない(と個人的には思われる様な)風や雨でも、JRはすぐにストップする。

更に、しょっちゅう鹿などの動物と列車が接触して、ダイヤが乱れるから、私などは新千歳空港で飛行機に乗る際には、相当な時間的余裕を持って行く様にしている。

おまけに、節電要請で、電気を大量に使用する業種では、ウシロメタイ思いをしながらの運営であったり、節電しながらの営業であったりして、観光客も心から遊べない。

これでは、観光客は、予定通りの行動や楽しい旅がやれなくなるから、北海道旅行を敬遠するのであろう。

ましてや、今回の地震では、外国人観光客への外国語での案内がほとんど無かったと云うのだから、ホスピタリティが不足していると言わざるをえないであろう。

今回の地震で41人もの犠牲者が出たし、震源地近くでは依然として余震が続いているから避難している人を尻目に遊ぶというのも気が引けてしまうであろう。

観光業は天候だけではなく、メンタルにも影響されてしまうのだ。

地球環境は、今後益々、荒れ狂うであろうから、観光業者には試練の時がやってくるであろう。

我がマジック・ミュージアムも一昨年の8月17日の台風以降は客が来なかったし、去年は私の闘病でフイにしてしまったし、今年も台風やら地震やらで振るわない。

さて、さてどうしたもんであろうか?


■2018-09-15-Saturday SUNNY

映画「SUNNY 強い気持ち・強い愛」を観てきた。

妻が観たいと云う。私はこの手の邦画はあまり好きではないのだが・・・、

去年までは「夫婦50歳割引き制度」で2人で2200円で映画を観ていたのだが、今年、二人とも還暦を迎えたので「シニア割引き制度」だと一人ずつでも1100円で観られる様になったから、二人一緒に観に行く必要はなくなったのだが・・・。

題名が、父の会社であった「サニーデパート」と同じであるからこの「SUNNY」と言う名前には愛着があって、飼っていた犬の名前も[SUNNY]と付けたくらいなので、お付き合いするかと思ったのである。

観たら意外と面白かったのである。

時代は1995年の阪神淡路大震災の後、もうすぐ引退する安室奈美恵の曲が流行っていて、世の中に彼女のファッションを真似たアムラーと呼ばれたルーズソックス姿の女子高生たちが跋扈していた頃である。

1995年というと、バブルが弾けて、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった年である。

ノストラダムスの大予言も大流行りしていて、世の中では終末論が盛んになり厭世感が満ちていた時代である。

この時代に高校生だった女子高生達が16〜18歳だったとして、あれから23年経って39〜42歳になった現在の姿が交錯していく展開だ。

観終わってから、妻と二人で街中で飲んだのだが・・・。

昔話になると・・・。

1995年は私が帯広青年会議所の副理事長だった年で、現在の「北の屋台」にも繋がる「国際環境大学構想プロジェクト」を担当していたのである。

妻は「貴方はJC、JCでほとんど家に居なかった。私は一人で3人の反抗期真っただ中の子供を育てて、貴方の不在の会社も切り盛りして、家庭も守って・・・」と言う。「言っている内に段々と腹が立ってきた・・・」と言う。

ありゃりゃ、何だか風向きが・・・。


■2018-09-16-Sunday 樹木希林

女優の樹木希林が15日未明に亡くなった。

75歳であると云う。

全身癌と本人は言っていたが、先にみつかった乳癌が全身に転移したのかもしれない。

2004年に乳がんが発覚し、翌年右乳房の全摘出手術を受けた。

乳房の摘出手術を受けた後は、手術や抗癌剤の投与などの治療は受けずに、鹿児島の「UMSオンコロジークリニック」で「四次元ピンポイント照射療法」という、放射線治療の一種を受けていたと云う。

「癌に放射線を立体的に当てる『三次元照射』に、呼吸による位置変化を追跡する時間軸を加えたのが『四次元ピンポイント照射療法』。癌細胞だけを狙い撃ちし正常な細胞を傷つけることが少ないため、体の負担も軽く済むといわれている。

私が北海道大学病院で受けた「陽子線治療」に似ている療法である。

術後の生活にも支障が少ないから、いわゆるクオリティ・オブ・ライフが過ごせる。

樹木希林の言葉で「死は誰にでも訪れるものだが、癌と云うのは有難い。事故などでいきなり死ぬよりも己の死期を考えながら過ごせる・・・云々」と云う様なことを言っていた。

私も同感である。

彼女の様に達観して、余生を過ごしたいものである。


■2018-09-17-Monday 暑い!

9月の中旬が過ぎたと云うのに・・・

今日は快晴で気温も27℃まで上昇した。

例年なら、お盆過ぎには急激に寒くなって秋になると云うのになぁ〜。

箪笥から半袖シャツを出して着たが、汗が止まらない。前立腺癌の治療法で、内分泌療法(ホルモン療法)というのを併用しているのだが、この副作用で更年期障害の症状である「ホットフラッシュ」と云う、何の前触れもなく突然に大量の汗が噴き出てくる症状が出るのである。

首にマフラータオルを巻いて過ごしていた。

そのまま車を運転し、妻と二人で喫茶店に入ろうとしたら、妻から「格好悪いから外しなさい」と注意された。

タオル地のハンカチは必需品なのでいつもは持っているのだが、今日はマフラータオルを首に巻いていたから持ってはいない。そのタオルを車の中に置いていったのだから・・・。

喫茶店でも汗が出てきたから、妻からハンカチを借りて拭いたのだが、すぐにビチャビチャになった。喫茶店を出る時に返そうとしたら、まるで汚いモノの様に「アナタが持っていなさいよ!」と云う。

午後は、帯広美術館に「神田日勝・岡沼淳一展」を観に行った。多くが鹿追にある神田日勝記念館の絵を持って来ての展覧会であるが、十勝の画家の作品も一緒に展示してあるので、知っている画家の作品も多数あり、普段の展覧会とはまた少し違った感じがして楽しかった。

私の所有している題名に「手品師」「奇術師」「魔術師」「マジシャン」などが付いているマジック関係の作品を企画展として展示してもらえないかなぁ〜。40点ほどもあるから、結構面白い企画展になると思うのだけれど・・・。

彼岸の墓参りを済ませた後で「今日は温かいから外でジンギスカンでもやるか」となった。

今年はもう出来ないと思っていたのに・・・。

物置の奥にしまった炭のコンロなどを引っ張り出してやったのだが・・・。二人だけだからと炭の量をケチったが為に火力が弱くてなかなか焼けないのである。こういうものは勢いで食べないと・・・。

合間に飲んでいるビールでお腹が膨れてしまって、あまり食べられなかったのであった。

陽が落ちるのがだいぶん早くなったなぁ〜。まだ明るい内に片付けて相撲などのテレビを見る。

平穏な一日であった。


■2018-09-18-Tuesday 総裁選挙

自由民主党の総裁を選ぶ選挙の

候補者2人、安倍晋三と石破茂が各テレビ局のニュース番組を渡り歩いて討論をしていたが・・・。

自民党の党首である総裁を選ぶと云うことは、日本の首相を選ぶと云うことと同義であるのだが・・・。

どこの局の番組もキャスターが似た様な質問しかしないから、ほとんど全部同じ内容の繰り返しばかりである。

見ていて気になったのは、安倍晋三ってかなり頭が悪いんじゃないか?ってことだった。

キャスターが「(生)放送時間の制約があるから、簡潔に短く答えて下さい」と言っているのに、安倍晋三は、端からキャスターの言うことを聞いていないのか、それとも質問の意味を理解することが出来ないのか、関係の無い話を延々と述べて、質問にまともに答えようとしない。

ゴルフとテニスの比較など誰も聞いてもいないのに「テニスなら良くて、ゴルフならダメなのか・・・」とムキになって答える。ガキの知性しかないみたいに感じたなぁ〜。

キャスターの質問に対して、短く的確に纏める能力が欠如しているとしか見えなかった。

目はキョロキョロとせわしなく動くし、まるで挙動不審者の様にしか見えないのだ。

これが日本の首相だと云うのだから・・・。

安倍首相は外交に自信があると常日頃から言っているが、こんな討論しか出来ない人間が、本当に外交なんて出来るのだろうか?

ゆっくりした口調で落ち着いて話す石破茂の方が、まだ少しは良さそうな印象を受けたのだが・・・。

石破茂の話しも、言っていることは安倍と比較すると一見良さそうには見えるのだが、建前論や抽象論だけでまったく具体性に欠ける。

石破は、眼つきがよろしくなくて、人相もあまりよろしいとはいえない風貌であるから、かなり損をしている。

これでは勝てない。

古来中国では為政者に徳が無いと天変地異が発生すると言われていたが、ここ最近の台風、地震、ゲリラ豪雨の多発の原因は、安倍首相の徳の無さに起因しているのかもしれないなぁ〜。

今年一番の暗澹たるニュース番組であった。


■2018-09-22-Saturday 無気力

ここ数日は何だか無気力になってしまって・・・

ブログすら書く気にもならなかった。

何故なんだろう?

天気も昼はこの時期にしては温かいが、やはり太陽が沈むと急激に気温が低くなる。この一日の気温差に身体が付いていっていないのかもしれない。

今日は朝から雨が降っていて、昼間から寒い。鼻水が出てきて身体がダルイ。どうやら風邪をひいたようである。

2週続いての3連休であるし、先週の台風21号やら胆振東部地震の停電被害などで、ここ3週間ほど仕事をしている感じがしないのである。

この倦怠感が早く解消してほしいものだ。

一日中本ばかり読んでいると益々気が滅入る。何か楽しいことがないかしら・・・。

ブラックアウトの停電を経験して、危機意識を持ち、会社には発電機を備えることにした。機種の選定に当たっては、色々と長所短所を調べた結果、ソーラー発電機は昼間の太陽が出ている間しか動かないし、蓄電池を併用しないとあまり意味をなさない。この蓄電池が結構な高額なのである。

ガソリンで発電するタイプは、ガソリンの保存が難しいからこれもダメ。

結局、家庭用ガスボンベで発電するタイプにしたのである。

価格は約9万円、消費税と送料を入れたら約10万円になった。燃料は家庭用のガスボンベ2本で1時間の発電が可能である。

ガスボンベはメーカーモノでも1本が200円弱であるし、保存がきく。極寒の北海道の冬季間の停電に備えておく必要があるであろう。電気させあれば、家庭用のボイラーも動かせるし、一応は緊急用の暖房機として、このガスボンベの簡易ストーブも購入してある。

だが、せいぜいが1日しか持たない。

北海道の真冬にもしもブラックアウトが1週間も続いたら・・・。

凍死者が多数出るであろう。そんな事態にならない様に北電にはしっかり電気の供給をしてもらいたいと願うものである。


■2018-09-23-Sunday 参ったなぁ〜

3連休のど真ん中の日曜日。

マジック・ミュージアム見学の団体予約が11:00から入っていたので早目に行って準備万端整えて待っていたのだが・・・。

11:30になっても誰も来ないので、幹事の人に電話をしてみたら「アレッ、別の幹事から変更の連絡が入っていませんか?」と言う。「連絡は頂いていませんが・・・」と答えたら「午前中の人数が少なかったので午後の13:30からに変更する様にと言っておいたのですが・・・」と言う。

「変更の連絡は頂いておりませんが・・・、そうですか、では13:30にお待ちしています」と返答して、藤丸デパートに行って時間つぶしをして来た。

13時には戻って来て待っていたのだが14:00過ぎても誰も来ないのである。

再度、幹事の人に電話したら「アレッ、来週の○日の午後の1時半なんですけど・・・」と言うのである。

さっきは、○日なんて言わずに、ただ午後の13:30と言ったじゃないか!なんてことはおくびにも出さずに「分かりました。では○日の13:30ですね」と怒りを抑えて電話を切った。

最初に連絡を寄こした幹事が、変更を別の幹事に頼んで、しかも、その変更がOKなのかの確認もしていないのである。私の○日の都合がもしも悪かったらどうするつもりだったのだろう?

まったくもう!

今日はせっかくのゴルフ日和だったのに・・・。ただ時間だけを浪費した一日であった。


■2018-09-24-Monday 初優勝

ゴルフで今季初の優勝をした。

去年の10月末に2ヶ月間の入院生活を終え、退院した後は7ヵ月間もゴルフが出来ず、今年の5月になってからようやくコースに出ることが出来たのだが、成績はず〜っと振るわなかった。

筋力がガタッと落ちて、お腹がポコッと出たものだから、腰が回らなくなってボールが極端に飛ばなくなった。

今年の5月にゴルフを始めた頃は、15歳以上も年長の先輩から「お前も飛ばなくなったなぁ〜」と同情されたくらいなのである。

あんまり悔しいから、クラブのシャフトの硬さを「S」から「R」に替えて、力ではなくシャフトのしなりで飛ばそうと考えたのであるが・・・。

元々練習嫌いであるから、取り替えたシャフトの柔らかさに、ようやく慣れて来たのかなぁ〜?

今日のゴルフは早朝7:00のスタートである。5:00に起きて自分で朝食を作ってしっかり食べてから出掛けた。

会場は十勝カントリークラブ(パー72)。競技名は「ハマナグリーンヒル杯」。66名の参加者で、ダブルぺリア方式である。

コースは昨日がクラブチャンピオンの決勝戦だったそうだからグリーンがやたらと早い。

今日のゴルフ、飛距離は、そんなに伸びてはいないし、寄せもイマイチであったのだが、パットが良く入ってくれた。

他のメンバーの3人は、全員が顔みしりで楽にやれたのが良かったのかもしれない。

スコアは、OUTは42打、INは40打でグロスは82打、HCは12.0になって、NETは70.0(−2)になった。

なにせ、今年のゴルフでグロスで90打を切ったのは今日が初めてである。オフィシャルハンディが11.0であるから、オフィシャルハンディでも1アンダー、アンダーで回ったのも勿論今年初めてだ。

嬉しいなぁ〜、これをキッカケにして立ち直ってくれたらもっと嬉しいのだが・・・。


■2018-09-25-Tuesday ?何じゃこれ〜!

3連休明けの25日月曜日

会社に来てみたら、23日にマジック・ミュージアムを見学することになっていた団体からのFAXが届いていた。届いた時間が印字されているので見てみたら21日18:48となっていた。

何コレ?

休み前日の金曜日の終業後(17:00終業)にFAXを送り付けて来て、一体誰が見るというんだ!

常識的に考えたって、キャンセル(キャンセルにしても先方の意思の確認を怠る失礼な行為であるが・・・)と違って、予約の変更ならば、一方的に自分達の都合だけを伝えたところで意味をなさないではないか。

まずは変更したい日時に私のスケジュールが空いているのかを確認すると云うのが一番重要な事項であろう。

それらの確認作業を的確にする為にはFAXと云う通信手段は甚だ不適当である。

電話で相互に意思の疎通を図るのが、一番確実でてっとり早い作業である。

ましてや、会社が終業後にFAXを送ったのなら、相手にキチンと届いているかどうかの確認が絶対に必要であろうに・・・。

実際に、23日の当初の予約日時には、私の手元にはこのFAXは届いていないのだから・・・。

25日の午前中に、このFAXの送り主から電話が入った。「何度かFAXを送ったのですがね〜」と言うが・・・、(心の声)1枚しか着てないぞ。FAXでは役に立たないだろうに・・・。送り主の会社名を見たら、ホテル関係者なのである。オイオイ!ホテル関係者なら予約の変更にもっと敏感になっても良いのじゃぁ〜ないのかね!

私も、その言い方に腹が立ったので「休み前日の終業後にFAXを送って、休み中の予定変更をどう私に伝へようとしたのですかねぇ〜、お陰で私は一日を無駄にしてしまいました」と嫌味を言ったが、23日に感じた不愉快さがまたぶり返してきたのであった。


■2018-09-26-Wednesday 今日の出来事

今日のニュースには驚いた。

①「新潮45」の休刊

②貴乃花親方の引退である。

①については、「言論の自由」と言う問題につながるであろう。LGBTに関しての杉田水脈議員の「生産性がない」云々の言に対して擁護する言論を掲載したことに抗議の声が殺到したので休刊にしたと云うのである。

「言論の自由」とは一体何であろうか?

私は、反論する「覚悟」を持って討論に参加することが必要最低限のことではないかと思うのである。無責任に言い放しすることは許されない。

新潮45に対する抗議も、無責任にギャーギャーと喚くのはいただけない。言論には言論で戦うのが筋でなければ、この様な非難の仕方は文化を殺す行為であると感じる。

日本語に堪能なキャンベルさんが、自身の同性愛を公表して評論していたが、自分の言動に覚悟と責任を持っての勇気ある行動であると評価する。

休刊を決めた新潮社は、この覚悟も責任も持たずに、安易に擁護論を掲載したことに問題があるのであって、本質を外れた抗議活動には疑問を感じる。

②の貴乃花の年寄引退の会見には驚いた。

貴乃花はかたくなで、ストイック過ぎるのではなかろうか?大相撲に対する愛情には敬服するが、改革をするには仲間が必要だ。たった一人では無理である。このやり方なら自身が独裁者にでもならなければ改革は為せないであろうから、自己矛盾に陥ってしまう可能性もある。性急過ぎて仲間がついてこれなかったのであろうなぁ〜。

結局、弟子の暴行事件をキッカケに問題を提起したのだが、別の弟子が暴力事件を起こしてしまって、それもオジャン!

弟子も貴乃花の心中を十分に理解できなかったのであろう。でも、協会側のやり方もかなりエゲツないけどね・・・。

25日の18:30から、帯広市民文化小ホールで、帯広青年会議所主催のサッカーJリーグを創設した川渕三郎氏の講演会があったので聴きに行った。

大変に興味深い内容で、実際の経験談がとても面白かったが、観客数が少なくて残念であった。もっと多くの人に聞かせたい話であるのに・・・。

550名収容の会場に150名ほどの観衆であったろうかと思う。もっと事前のPRを積極的にやったら良かったのに、この聴衆数では講師に対しても失礼である。


■2018-09-27-Thursday 日本奇術協会

今日はマジック・ミュージアムは大盛況!

午前10:00に壮瞥町から団体さんが見学に訪れてくれた。昨年9月に来館希望を頂いていたのだが、その時は私が入院中で閉館中であったので、今年の今日まで来館日が延びていたのである。一年越しでの来館は嬉しいことである。たっぷりとマジックの実演をサービスして喜んでもらったのであった。

11:30からは、「公益社団法人 日本奇術協会」の花島皆子会長、メンバーのプロマジシャン TSUKASAさん、KYOKOさん、和田奈月さんの4名が東京から来館してくれた。

「日本奇術協会」はプロマジシャンの唯一の団体である。

これまた去年の9月に来館の予定であったのが、今年までのびたのである。

去年の同じ様な時期に来館希望のあったグループが、一年越しで同じ日に来館と云うのも面白い現象であるなぁ〜。

「日本奇術協会」は、平岩白風(ひらいわ はくふう)さんと云うアマチュアマジシャンのオリジナルのマジック用品の遺品を、マジック・ミュージアムにご寄贈頂けるとのこと。

平岩白風さんは、昭和20〜40年代に活躍したアマチュアマジシャンであるが、著作物も多く、また創作マジックの名手でもあった。

私も、マジックを始めたばかりの頃は、白風さんの著作を買って練習したし、道具の作り方を詳しく解説している本もあったので、自分で道具を工作して演じたものである。

その現物が寄贈されたのであるから、これは「平岩白風コーナー」を作らなければならないであろうなぁ〜。また目玉が増えた。

会長の花島皆子さんは、松旭斎すみえさんの弟子である。

私がまだ大学生の時にはすみえさんと何度か同じ舞台で演技したこともあるし、昭和54年に来日した、映画「ヨーロッパの夜」の中で「鳩出しマジック」で世界のマジック界を一世風靡した超ハンサムなマジシャンのチャニング・ポロックが来日した際に、私がポロックに英語でサインをお願いをしたら、側に居たすみえさんが「私にもサインを頼んでちょうだい!」と依頼された時の写真がちょうどミュージアムに飾ってあったので、昔話に花が咲いたのである。

一緒に昼食を食べながら、また食後にミュージアムに戻ってからもず〜っと話し放しであった。4人は16:00過ぎまで、ジックリと見学してくれたが、やはりマジシャンに取っては、ミュージアムのコレクションは圧倒的な数と質であるようだ。「とても一日では見学の時間が足りない」

「スゴイ!面白い!」を連発してくれたので、私も嬉しくなってしまった。

マジック関連グッズを蒐集している人は、日本でも個人的にはかなり居るのだが、常設での展示スペースがあるのは、ここ帯広のマジック・ミュージアム一ヶ所だけである。

展示物もプロマジシャンの衣装、大道具、小道具から、書籍、絵画、ポスター、銅像、ブリキ玩具、フィギュア、サイン色紙など等、バラエティに富んでいるから、おそらく世界にいくつかあるマジック博物館の中でも、収蔵物の種類と数では世界一なのではないかと自負している。

「ここでなら帯広でマジックの大会を開催出来ますね!是非、企画したいですね」とのこと、益々面白くなって来たゾ〜。


■2018-09-28-Friday バーディコヤマ

プロマジシャンのバーディコヤマさんの

「芸歴50年を祝う会」が28日の18時から、札幌のジャスマックプラザホテルで開催された。

バーディさんは、テンヨー(マジック用品製造販売店)の実演販売員(ディーラー)出身のプロマジシャンで、私の師匠の故ジミー忍の後輩にあたる。

「テンヨー」は明治時代に活躍した日本近代奇術の父と言われた松旭斎天一の親類で、弟子でもあった松旭斎天洋が起こした会社である。

デパートなどのおもちゃ売り場でマジック用品を販売している会社だ。このテンヨーのディーラー出身のプロマジシャンの第一号が故(初代)引田天功であり、2番目が来月10月末にマジック・ミュージアムを訪問して下さる島田晴夫、3番目が八田加寿雄、4番目が師匠のジミー忍、年齢がず〜っと下がってバーディコヤマ、更に下がってMr.マリックなどが居る。

日本のマジック界の主流の系統なのである。

私とバーディさんとの出会いは、1976(昭和51)年の4月、駒澤大学に入学したての私が、高校時代から手紙でマジックを教えていただいていた神田神保町のトリックス(テンヨー出身の赤沼敏夫が起こしたマジック用品製造販売会社)と云うマジック用品販売店の布目貫一師の店を訪ねた際に、バーディさんがこの店に顔を出したのである。

上京して初めて出会ったプロマジシャンであったので、舞い上がった私はすぐに近くの文房具店に走り、色紙とマジックペンを購入してサインをもらったのである。宣材写真を貼って書いて下さった。これがサイン色紙の第一号である。このサイン色紙は現在、マジック・ミュージアムに展示してある。

「祝う会」の中で、バーディさんのマジックの歩みをVTRで紹介したが、尊敬するマジシャンの一人としてジミー忍師の映像が映し出されたのであった。

バーディさんも名古屋出身で、バーディさんが中学生の時に、ジミー忍が名古屋の名鉄デパートでテンヨーのディーラーをしていて、マジックを教えてもらったのだと云う。

バーディさんは私が大学生時代に、東京を離れて札幌の「マジック・キャッスル」と云う店を任されて来道した。以来、新潟に越す2年前まで札幌で活躍をした。

ジミー忍師がマジック・ミュージカル「ザ・マジック」で北海道を公演した時に、私も釧路・帯広・札幌と帯同し、札幌では終演後に一緒にマジック・キャッスルを訪れたのである。

その時以後は、親しくお付き合いをさせていただいている。

今回の、この「祝う会」では、特等席を用意してくれて、しかも、私にマジック・ミュージアムの宣伝の挨拶をする機会を与えて下さったし、最後の乾杯の挨拶までさせていただいた。有難いことである。

舞台上ではサービス精神が旺盛で、パフォーマンスが盛りだくさんであった。バーディさんのマジック、過去の映像、札幌のアマチュアマジシャンの演技などが続き、美味しい食事をする暇がなかったのであった。

二次会では、これからのマジック界の在り方について、2時間以上も熱い思いを話して下さり、近日中にマジック・ミュージアムを訪問したいとも言ってくれた。私もマジック界に貢献したいと思っている。


■2018-09-29-Saturday ミュージカル

札幌で時間が出来たので

一緒に札幌に行った妻が、観たいと云うので、劇団四季のミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を観て来た。

妻のスマホでは、当日の空席情報が分かり、チケットも購入することが出来る。わざわざ劇場の窓口まで行って当日券を購入する必要がないと云うのだ。何と便利なのであろう。

私の携帯電話はガラケーであるから、こういったことは出来ない。当日チケットを劇場まで買いに行かなくて良い分、ホテルでユックリ出来る。この便利さは魅力的だが・・・。

夫婦のどちらかが所持していれば事が足りるから、まだスマホは不要である。

とても良い席を確保できたので、ミュージカルが大好きな私としては満足である。

サウンド・オブ・ミュージックは、ジュリー・アンドリュース主演の映画を小学生の時に学校全体で観に行った。同級生だった妻も観た記憶が残っていると云う。その後も何度も観ているから、ストーリーも歌も良く憶えている。歌の力と云うのは凄いものだ。

今回の主演のマリア役の平田愛咲はコケティッシュな顔立ちで、役に合っていてとても良かった。

劇団四季の役者のレベルも格段に上がっている。

妻も大満足して「感動した」と興奮していた。感動して疲れたのか、「札幌に居たら、余計な買い物をしてしまうから早く自宅に戻ろう」と云う。

列車の時間までは、まだかなり残っているが、駅に向かい、2時間早い列車に変更して戻ることにした。

途中で、胆振地方でまた地震が起きたと云うニュース。震度は3であったが、列車は線路の確認作業でなどで遅れたであろうから、早い時間に変更して正解であった。

心地よい疲れで列車の中で爆睡してしまったのであった。


■2018-09-30-Sunday 巨大な台風が

巨大で強力な台風24号が

日本列島を襲っている。

北海道の胆振東部地震の震源地近くでは未だに震度4クラスの余震が続いているというのに、進路予想を見ると胆振辺りに上陸しそうである。

暴風の猛威は沖縄や九州、四国でも暴れまくっているようだ。何でこんなに台風やら地震やらが起きるのだろうか?

先の台風21号の甚大な被害に懲りて、日本人も不要不急の外出などは避けるであろうが、台風被害の映像を撮って流そうとする輩も出るのであろうなぁ〜。困った風潮である。

今日は、マジック・ミュージアムには2組の団体さんの予約が入っていて、キャンセルを心配したのだが、人数は少し減ったが、今日は2組とも来館してくれたのでまずは良かった。

マジック・ミュージアムは1昨年の7月中旬に一般公開を始めたのだが、8月中旬過ぎには十勝を大型の台風が2つ続けて来襲し、鉄道や道路が壊れて、陸の孤島と化し、予約客のキャンセルが相次いだ。

去年は私に前立腺癌が見つかり、その治療でほとんど閉館状態であったし、今年も、台風や地震やブラックアウト(停電)の影響で予約のキャンセルが相次いだのだった。

観光業と云うのは、元々天変地異に弱い職種であるが、こう立て続けに来られると、いささか気分がメゲテしまう。

自社ビルでなかったならば、とうの昔に閉館に追い込まれてしまっていたかもしれないなぁ〜。

先日の、日本奇術協会の花島皆子会長さんも「この様な素晴らしい施設が日本に出来たことが嬉しい」とおっしゃって下さったのだから、そう簡単に閉める訳にもいかないであろう。

災害にも負けない運営方法を編み出さなければ・・・。