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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2011-07-01-Friday 6月29日

29日に長野県で震度5強の地震が起こった。

3月11日の東日本大震災で太平洋側に引っ張られた地盤が、また元の場所に戻ろうとしているのか、最近は内陸部での地震が多い様だ。

我が家の電波時計の狂いは、地震予知能力があるようである。

私見ながら、電磁波の乱れで電波時計の電波が届かなくなるか、受信できなくなるのかもしれない。この仕組みを地震予知につなげられないものか?

29日16:30から駒澤大学同窓会十勝支部の役員会を開催した。先の11日の総会で議題に挙がった慶弔規定の見直しと、チャリティ寄席で集めた義援金約85000円の送付先、それと18日に東京での全国支部長会議の報告が主な議題である。

年会費2000円で運営している十勝支部での弔電、香典などの扱いがこれまで曖昧であったので、この辺でシッカリしたものに変えていこうということである。弔電だけでも1500〜3000円くらいまで種類があるし、香典の額も決まっていなかったのだ。

まずは、香典は会員本人の葬式時のみ5千円と決めて、家族の不幸には出さないと決めた。弔電は会員本人と一親等以内の親族にして1500円程度の装飾の無い安価なものにすることにした。慶の方は会員本人の結婚と叙勲にして5000円と決めた。会費2000円の会ではそれが限界だ。

いずれも、会員か若しくは家族から、事務局に対して連絡があったものだけを対象とすることを明記した。200名以上の会員のことをいちいち事務局が把握することは困難だからだ。

11日に開催したチャリティ「駒大とかち寄席」は三遊亭王楽さんが熱演してくれたお陰で210名以上の参加者から85800円の義援金が集まった。18日の全国支部長会議の席上で、駒澤大学の石井学長から「駒大の学生で被災した学生が相当数いる。教授らおよび職員から義援金を集めて対応しているが、同窓会としての協力もお願いしたい」との発言があった。今回は寄席の挨拶で私が「とろい赤十字には送らない」と言ったら会場から拍手が起こったほどであるから、この時に集まった額に十勝支部で不足分を足して10万円を同窓会被災者の為に活用させてもらうことにした。近日中にこの旨を十勝毎日新聞で公開して募金して下さった方々にお知らせするように指示をした。

事務局というのは、ボランティアであるから、当然、自分の仕事の合間を縫って事務局の仕事をするということになる。

何等の報酬も与えられず、逆に何等かのしくじりがあると叱責されるという割に合わない仕事である。

使命感と責任感のある人でなければ務まらない大変な仕事だ。

同窓会などの役職はやったことのある人間でなければ、その大変さは分からないだろうが、会員がその苦労を感じて、せめて会合に出席してくれることを望む。

年々、この種の会は会員数の減少と活動の低下が言われているが、コミュニケーションを取り合う会合を増やすことが人間の心の余裕を生むのではないかと思っているので、楽しい会にして参加者を増やしたいものだ。


■2011-07-02-Saturday ペテン政治

ペテン師は菅直人だけかと思ったら

日本の政治家ほとんどがペテン師だ。

菅直人は民主党の幹部も欺いて、会期を50日間から70日間に延長させ20日間を獲得したことになっているが、浜田参院議員の一本釣りで自民党との関係が悪化し、すでに8日間も空転している。民主党の幹部も政府の閣僚も菅直人のやり方にウンザリしている様子だ。菅直人は一体全体何の為に延長を目論見、何の為の引き抜いたんだ?サッパリ判らん!

30日に首相官邸で開かれた政府・与党の「社会保障改革検討本部」の会合で、今後の社会保障と税制の基本方針となる「社会保障・税一体改革案」を正式に決定したというニュースが流れた。

財源として消費税を「2010年代半ばまでに」現行5%の消費税を段階的に引き上げて「10%」ととすることを明記した。

これによって、先に消費税10%を謳っていた自民党と、民主党の2大政党が「消費税率10%」で一致したから、早晩消費税10%は避けられないことになるだろう。

この政府案は最初は「2015年度まで」に10%に引き上げることになっていたが、民主党の反対で「2010年代半ばまで」に修正されたというが、どこがどう違うのだ。「2015年まで」に反対していた人たちが「2010年代半ば」なら賛成するって、どういうことなんだ。私にはサッパリ理解できない。

政治家どもは言葉をもてあそぶなよ!

段階的に引き上げるって、1年毎に1%ずつ上げていくつもりなのか?

こちとら商売をやっている身にしたら、レジスターやら販売機やらの設定変更が面倒臭いことこの上ないし、計算がこれまた面倒臭い。

もっと、スパッと表現して、上げるならスパッと上げろよ。誰もが理解できる日本語と政策にすることが必要なんじゃぁないのか?

言葉をもてあそんで、国民に勘違いを起こさせて、選挙の時に有利にしようということなのか?だとしたら、政治家皆んな、国民を愚弄しているゾ!フザケルナ!


■2011-07-03-Sunday 柏葉高校ゴルフ

柏葉高校同窓会の

第35回ゴルフコンペが3日7時から、十勝カントリークラブで開催された。今年の担当幹事は3期後輩の29期の連中である。

上は80歳から下は30歳台まで約90名ほどの参加者で盛り上がった。

我が柏葉26期は例年8名程が参加しているのに、今年はたった3名の参加者であった。

夜中の1時にまた、電波時計が狂った音で目が覚めて、それから眠れなくなってしまい、お酒を飲んで寝たら、今度は5時に目が覚めてしまい。起きるには早過ぎるかなぁと、二度寝したら何だか身体がスッキリしない。結局、ゴルフ場に着いたのは7:15分で、我々のスタート時間の7:48までには大した練習も出来ないまま、起きた時に柔軟体操でもすれば良かった。

朝の第一打目は自分でも驚くほどのナイスショットで280ヤード飛ばして、セカンドショットは残り110ヤードほど、ところが今日はアイアンがまるで切れていなくてバンカーに入れてボギースタート。

2番は、左のOBが恐いのでスプーンでティショットするがこれまたナイスショットでフェアウェイセンターから第2打を打ったがドスライスで右の斜面に、そこからチョロ、チョロして左上2mに5オン、下りの超高速グリーンを上手く打ってワンパットでようやくダボ。3番、4番はパー。5番のロングホールは右隣のコースに打ってしまって、第3打は林越え180ヤードを7番ウッドで見事3オンするも、3パットのボギー。良くなりかけたら、崩れることの繰り返しでスッキリしないゴルフであった。結局アウト44、イン43、ダブルぺリアでハンディキャップが13.2で8位であった。

今年はどうもゴルフが乗らない。もう少し回数もやりたいのだが、例年の半分ほどしかコースに出ていない。

なんとなく気分が乗らないのだ。

同輩から「お前の腹はヒドイなぁ〜、ウェスト何センチなんだぁ〜」と言われてしまったから、痩せる為にもゴルフ位はやらないとなぁ。少し気分転換でもして、これからはゴルフに励もうとするか。


■2011-07-04-Monday まちづくり

どうも帯広の人たちは、

「まちづくり」というものを簡単、若しくはチョロイもんだと思っているらしいが・・・。

私は、国土交通省(内閣府・農林水産省)から「観光カリスマ」というものに任命されて全国各地のまちづくりに携わってきた方々と交流する機会を多く持たせてもらっているが、まちづくりに熱心な方々は総じて、健康を害したり、早死にしている人が多い。

何故なのかを考えてみると、精神的にかなりの苦労をされて来られたのだろうと推察する。

商店街を例にとってみると判り易い。

商店街は意見の集約があまりにも難しいのだ。

そこには立場の違いというのが大きいと考える。地主で家主で店主という人も居れば、借地で家主で店主という人、借地で借家で店主という人も居る、また雇われている店長という人も居る。

商売の規模もまちまちだ。年商何百億円の会社もあれば、数百万円のパパママショップの人もいる。

だがそれぞれが皆、一国一城の主なのだ。商売のやり方には皆一家言持っている人達だ。

そこに、ジェネレーションギャップという厄介なものが加わる。

かなりな老年の人、初老の人、壮年の人、青年の人とバラバラである。この世代間の溝というのがなかなか埋められないのだ。これに男女の差というものが加わる。

若い世代は改革をやりたい、やらねば商店街の明日は無いと焦っているが、後継者が居なくて自分の代で商売を辞めようと思っている人は、自分の目の黒い内はなるべく平穏にしておきたい、商店街を改革するのは自分が死んでからにしてもらいたいと考える傾向が強い。

こういう人が一人でも居ると改革は容易ではない。時間の経過と共に若かった人達もやがて年を取る。そうなると同じことの繰り返しになる。

戦後も66年も経つと保守的な考え方が蔓延してくるようだ。

青年会議所は40歳で卒業するという組織である。ほぼ同年代の集まりだから改革などもやり易いと思うのだが、それがなかなか出来ないのは、同じ年代でも保守的な考え方の人間と、革新的な考え方の人間が居るからだ。

組織の構成員の考え方を一つにまとめるのは多大なエネルギーを必要とするのだ。

組織の役員なり、事務局なりを経験していて、その苦労を知っている人は協力もしてくれようが、そういう役職に付いたことのない人は、まとめる苦労を知らないから、平気で話をぶち壊してくれる。そうなるとまとめようと考えて尽力してくれた人が嫌気を差してしまうのだ。

商店街のトップに立つ人は、聞き上手な人でなければならない。ワンマンでグイグイ引っ張っていくには相当なカリスマ性と知力と金力と体力が必要になる。なかなか全てを持っている人は存在しないからだ。

これからのまちづくりは益々難しくなるだろう。もはや、各商店にも体力が残っていないからだ。

かつて、私が所属していた商店街では、通りの改装計画で理事会と青年部との衝突が起こったことがある。

青年部は、ある作戦を立てた「各商店がまだ改革をする体力がある内に、青年部は商店街活動から一斉に撤退しよう。体力がある内に商店街活動を一旦どん底まで落とすのだ。年寄りだけの理事会は商店街活動が出来なくて、やがて青年部に泣きを入れてくるだろうから、その時には白紙委任状を取り付けて商店街活動を青年部の手にしよう」としたのだ。

その作戦は途中までは上手くいっていた。しかし、アホな奴がポストに釣られて抜け駆けして、この作戦は水泡に帰してしまった。

その後はズルズル、ダラダラと低迷を続けて、各商店の体力も気力も無くなってしまった。もはやこの商店街は何か新しいことをするには体力・気力不足になってしまったのだ。

アホな奴は、このままでは商店街が大変なことになると心配したのだろうが・・・、そう理事会に思わせる作戦だったのに・・・。

体力のある内に一度大変な状態にする作戦だったのだが、そもそもその作戦を本当に理解していなかった様なのだ。

結局それから既に20年以上無為な日々が過ぎ去った。もはや私にもかつての勢いも気力も無い。結局はこれまでの商店街活動の30数年間を無駄にしてしまったようだ。きっと私と同じ様な思いの人も多かろう。

帯広のまちづくりは根本原因を正さなければ、このままやりつづけても無駄に終わると危惧している。

私に残された気力はもう限りなくゼロに近づいていると思う今日この頃である。


■2011-07-05-Tuesday 勝毎「論壇」

2011年7月4日十勝毎日新聞「論壇」掲載記事

「カテゴリーキラー」

帯広市でも商売の形態は随分と変化を遂げた。藤丸デパートが西2条南9丁目にオープンしたのが1961(昭和36)年11月。以降、66年ステーションデパート、68年金市館、69年サニーデパート、70年長崎屋、75年イトーヨーカドーがオープン、80年くらいまでは商店街との相乗効果で中心街は全盛期を迎えた。薄利多売のスーパーマーケットは住宅街の近くに出店を始めたが、中心街とのすみ分けができていた。

中心街の変遷は交通機関の影響が大きい。帯広においても、舟 → 馬車 → 汽車 →車 へと変遷していくたびに中心街が移動した。

80年ころから自家用車の比率が高まり、列車の使用が減少し十勝でも広尾線、士幌線が87年に廃止され、駅はビジネス客中心になった。

車によって行動範囲が広がり、平らな帯広は郊外に「ロードサイドショップ」や食品以外の商品も扱う「総合スーパー」などがオープン。

全国チェーンの電化製品、スポーツ、靴などのロードサイドショップが進出を始めるが、このタイプの店は特定の分野の商品を豊富に品ぞろえして低価格で販売することから「カテゴリーキラー(CK)」と呼ばれた。CKが進出すると商圏内の店舗がその分野の取り扱いをやめ、やがて撤退にまで追い込まれることから名付けられたものだ。

この複数のCKを一カ所に集合させた「パワーセンター」も登場。中心街の集客力は薄れ、大型店の撤退や郊外への移転が起きた。

最近は「テレビショッピング」や「ネットショッピング」が台頭してきたからCKなども絶対の存在ではない。全国各地に店舗を構えれば、不動産や人件費などが膨大に掛る。それらの経費をほとんど掛けなければ、より低価格で販売することが可能だからだ。

商品を手に取って調べられない難点はあるが、賢い(ズルイ?)消費者は市内の専門店に行って商品を確認してから購入する者まで現れた。

私見であるが、「商売を単なるモノの売買」と考える店は生き残れない。効率化し経費を最小限に抑える方式は中小零細では限界がある。たとえまねしても資本力で蹴散らされるだけだ。

北の屋台の成功は「不便さが生み出すコミュニケーション」にある。効率化・便利さに対抗する術は「情」であり「ワクワク感」だ。きれいなだけでも安いだけでも客は買わない。

かつて帯広では買い物を「まちに行く」と言っていた。中心街はおしゃれして出掛けるハレの場所だったのだ。抜本的な対策を取らなければ中心街の存在価値もなくなるだろう。


■2011-07-06-Wednesday オイオイ!

オイオイ!松本くん!

(この文章は5日午前中に書いている)

4日のニュースで松本龍復興担当大臣が岩手県庁で達増知事と会談した際に「知恵を出さなけりゃ支援しない」、「俺は九州だから何市と言われても何処だかわからない」とかの発言をし、宮城県庁で村井知事と会談した際には「長幼の序を判っていない、先に部屋に入って迎えろ」「これはオフレコで書いた社は終わりだ」なんて言う様なことを腕組みしてエラソ〜に発言している映像が流れた。

テレビ局のカメラが入って撮影しているのに「書くな!」とオフレコ発言しても意味がないだろう、テレビは書かずに映像を流しただけだから松本大臣様の「書くな!」には反していないよなぁ〜、それにしてもそもそもこんな発言をすること自体がオカシイ。

今のこの時期に、こんな発言をしたらどの様な事態になるのかも考えられないのだろうか?

だとしたら、こういう直近の未来すら予見できない奴が復興担当大臣なんて最悪だ。

これは不測の事態ではない、自ら招いた事だ。

この松本という奴は一体何を考えているのだ?

自分を何様だと思っているのだろうか?

そもそも言葉使いがなっていないだろうに。

「復興をやってやる」的な発言はフザケテいる発言だ。まるで、自分の金で復興させてやるかのように聞こえる上から目線の発言である。

なんで、政治家にはこんな奴しかいないんだ?

そういえば、就任の会見の時には突如サングラスを掛けて「チーム・ドラゴンだ」「民主党も、自民党も、公明党も嫌いだ・・・」なんて舞い上がったのかフザケタことを言って顰蹙をかって釈明させられたばかりであったのだが、まるで懲りていないどころか、もっと酷い発言をやってしまった。これでは復興の審議に入る前にまた国会が停滞してしまう。自らの発言で停滞させたのでは大臣失格だ。

これは、野党側からの反発は相当大きいだろうなぁ〜と思っていたら、身内の民主党からも批判が出た。

岡田幹事長は、半分呆れた「もう、やってらんね〜よ」と言いたげな表情で会見していたが・・・。

当の松本大臣様は「何が問題なんだ?」と言っていたが、ぶらさがり会見では「私は九州の人間ですけん・・・。B型で・・・」というこれま問題な発言をしていた。

これを書いている内に辞表を提出したというニュースが入ってきたが、さもありなん。

今回の内閣改造の一番の目玉ポストに据えた大臣が、たったの1週間程度で、自らの失言で辞めたのではお話にもならない。

任命権者としての菅直人の責任はどうなるのか?

そもそも、任命した菅首相がこの件で一切会見をしないのは逃げているとしか見えない。

菅直人は、見栄えが良い所は自分が会見するくせに、こういう会見には出て来ないズルさがある。

リーダーはこの逆でなければいけないだろうに・・・。

辞めるべきは松本よりも菅直人の方ではないのだろうか?

いずれにしろ、オソマツな事態である。


■2011-07-07-Thursday スカイクラブ

6日は全日空系列の

スカイクラブのゴルフコンペが帯広白樺カントリークラブで開催され参加してきた。

今日の帯広は気温が30℃になる予報である。痛風の発作が起きないように十分に水分を摂取しながらプレイした。

一緒の組で回ったIさんはとても愉快な方であった。

今日は晴れていたのでサングラスを掛けてプレイしたが、どうも普段と感じが微妙に違って、今日の私はパットの調子がイマイチで、カップにけられてわずかに入らないことが4ホール続いた。

するとIさんは「坂本さんは○○殺しですね」と言う。私は「エッ、○○殺し???」と訳が判らなかったら解説をしてくれたら「なめるだけで入れないから」だという。

バーディを取って「ナイスバーディ」と言われた時には、「アメリカで女性と一緒に回る時には、ナイスバディと言ったらビンタされますよ」とか、パットが入らないと「パッとしないパットが多いですね」とかやたらと下ネタ系のジョークや親父ギャグを連発する。

気合が抜けるが楽しいゴルフで和気あいあいとしたプレイであった。

スコアは白樺コースのアウトが44、インが40の不本意なスコアであったが、ダブルぺリアのハンディは、上手くハマって13.2も付いてネット70.8で準優勝であった。

話は変わって、我が家の電波時計は4日の夜中の1:20にまた狂ったら、5日の和歌山で震度5強の地震があった。

これは、本当に地震予知に役立つかも知れない。

またまた話は変わって、生肉をいよいよ厚生省が禁止するらしい。ビニール袋に入れて70〜80℃位のお湯でボイルして、芯の部分のみをカットして提供すればOKだという。そんなアホな!

これでは、生肉じゃぁなくて、ローストビーフだろう!

まぁ、私は生は苦手だから一向に構わないけど、生食が好きな人は困るだろうなぁ。第一、こんな提供の仕方をしていたら、すごい高価な食べ物になってしまう。本来なら一番手を掛けない筈の生肉が、一番手間が掛かって、しかも高価になるなんて悪いジョークにしか感じないけど。

役人の責任逃れの法律作りは罪作りでもある。

更に話は変わって、政府は今頃になって原子力発電所の再稼働には「ストレステスト」が必要だなんて言い始めた。

ストレステストをすることには賛成だが、何故、佐賀県の玄海原発の再稼働要請の前に言わないのだろうか?

どうせまた菅直人の思い付きに、海江田経済産業大臣らが振り回されたのだろうが、佐賀県の原発現場の人間は怒りまくっているだろう。

浜岡原発の停止でもそうだが、思い付きで政策をやるから一貫性も整合性も無い。どういう基準で停止させるのかが明確でないから、こういう事態が起こるのだ。

ここでこんなことを言い出した背景には菅直人は、「脱原発」を掲げて衆院を解散するつもりなのかもしれない。

菅直人にこのまま首相をやらせておいたら日本はメチャメチャになってしまうぞ。


■2011-07-08-Friday 読売新聞風向計

2011年7月7日読売新聞北海道版「風向計」掲載

『行動力生んだ「大予言」』

危機感が原動力となって行動力が発揮される場合がある。

私の場合、それは「ノストラダムス」だった。1973年11月に出版された「ノストラダムスの大予言」(五島勉著、祥伝社刊)は、200万部も売れた大ベストセラー。1999年7月に人類滅亡の危機が訪れるという内容だった。

高校1年生だった私は、「26年後のことなんて遠い未来の話」と、当時は実感が湧かなかった。

しかし、99年が迫ってきた95年、1月に阪神淡路大震災が発生し、3月にはオウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた。「これは本当に予言が当たって地球規模の災厄が起こるかもしれない」と危機感を抱いたことは、今も記憶に新しい。

この後、ノストラダムスに関する本が再び大流行し、日本は世を挙げて終末論が喧伝(けんでん)された。結局、ノストラダムスの大予言は「ノストラダマス」で終わったようだ。

ここで予言がどうこう言うつもりはない。きっかけが何であれ、危機感を持つことが重要だと強調したいのだ。

危機感を抱いた私は何をしたか。96年に地球環境問題を考える組織「十勝環境ラボラトリー(TKL)」を立ち上げた。

TKLの目的は『十勝から新しい価値観とライフスタイルを創造し、世界に向けて発信することで地球環境問題に貢献する』『十勝を安全で安心なエネルギーと食料の「環境循環モデル地域」にする』の2つ。目的達成のために9プロジェクトを同時進行させ、帯広の新たな名所となった「北の屋台」もこのプロジェクトから派生して生まれた。

振り返ると、TKLは時代の最先端を進み過ぎていたかもしれない。目的が必ずしもストレートに受け入れてもらえず、2006年末に解散した。

でも、長期の将来展望を持った上での短期計画を持っていたから、成果を挙げることができたのだろう。

危機感と行動力があれば首尾良く進むかというと、決してそれだけではない。戦略性も重要な要素だからだ。

経験からして「まちづくり」においてはメンバーの共通認識が大切となる。危機感のあまり、一部の幹部が焦って共通認識を持つ前に拙速に行動してしまうと、どこかの国の政府のように途中で空中分解してしまう。まちづくりが失敗に終わったケースはほとんどが「拙速な行動」に原因を見いだせる。

目的を明確にして、実現に向けての戦略性を持ち、メンバーの意識をまとめて実際に実行する。今こそ、そうした能力がリーダーには求められている。


■2011-07-09-Saturday 札幌学院大学

8日金曜日は

札幌学院大学で講義をおこなった。

講義の正式名称は「2011年度 札幌学院大学経済学部 公開講座 経済学特別講座 総合テーマ 観光とスポーツの経済学」という長い名前の講座で、4月15日の第一回から7月29日の最終回まで4ヶ月間計15回のロングラン講座である。私が担当したのは7月8日第12回講座だ。

講師陣は私以外にも、北海道在住の私と同じ観光カリスマのロス・フィンドレーさんや小川原格さんの他にも大学教授らがいる。

私は「まちづくりマジックの種明かし」と題して「北の屋台」の話を中心にまちづくりの話を90分間にわたって展開した。

公開講座ということで学生以外に一般人の聴講生もかなりいて老若男女が大学の教室にいるという変わった雰囲気の中での講義であった。

札幌学院大学からは、一昨年から何度も講演の依頼を受けていたが、日程がなかなか合わずにお断りをしていたので、今年は日程調整を早目にして引き受けたのだ。

大学の事務の方から、大学にはJR石勝線で帯広駅から乗って新札幌駅で降り、普通電車に乗り換えて白石駅まで、そこから函館本線の快速電車に乗り換えて大麻(おおあさ)駅(一瞬ドキッとする名称だがタイマと読むのではない)で降りて、徒歩で大学に来て欲しいとの連絡である。

最初にこのルートの説明メールを頂いた時に、大麻駅と地下鉄の麻生駅をすっかり勘違いして、アレッ4年ほど前にも一度、札幌学院大学では講義をしているはずだが、その時は、確か新札幌からタクシーで向かったのだが、麻生に行くなら方向が違うから、似たような大学の名前なのかしらと思い込んでしまったのだ。

大学に行くルートが違ったので、入った門も4年前とは別の門だったから学内に入るまで同じ大学とは感じなかった。思い込みというのは恐ろしいものである。

札幌近郊の路線図が頭に入っていないので、白石駅の位置が判らなかったのと、大麻と麻生を勘違いしたことから起こした間違いであった。

やはり事前にシッカリと調べてから行かなければいけないなぁと反省した。

講義が15時に終了した後、札幌に出た。事前に取っておいた列車の切符は札幌駅17:07発の特急であるが、疲れたので早い出発時間の列車に切り替えようと考えたのだ。

しかし、前の2本の特急列車はいずれも満席で、当初の列車も満席だとのこと。何故だか帯広方面への客の数が多いようだ。諦めて、駅近くの「足裏マッサージ」に入って時間を潰した。

しばらく講演をやっていないと2時間の立ちっ放しは結構疲れるものである。


■2011-07-10-Sunday 土・日

9日土曜日の予報では

帯広でも気温が32℃になるという。

十勝は乾燥した場所だから、気温が急激に上昇することがあるが、湿気が少ない分、本州方面の同温度よりもかなり楽であるが、それでも30℃を超えると北海道人にとってはやはり辛い。

夕方に、親を招いて庭で焼肉をするべく妻と買い出しにいった。我が家から30m程しか離れていない場所に住んでいる妻の両親と、我が家の裏に住んでいる私の母親の3人を招いて夏には良く庭で焼肉をするのである。

親達も庭でやる焼肉なら、肉が柔らかくて美味しいと、いつもよりも喜んで沢山食べるのだ。今日は今年2回目の庭での焼肉である。

食べ終わった後、孫達とスカイプを使って顔を見ながらの会話をさせようと思ったのだが、PCの繋がり具合が悪くて、出来なかったので、結局は携帯での会話に終わってしまったが・・・。

その後、温泉に行ってスッキリしてきた。温泉からの帰り道に妻がビールが飲みたいと言う。私は4月13日の痛風の発作以来ビールは飲んでいないのに・・・・。

コンビニで妻の分だけビールを買って、私はポカリスエットとアイスキャンディで我慢した。

翌、日曜日は天気予報では午前中は雨の予報であったが、雨は夜の内だけで朝から快晴。今日も暑くなりそうだし、夜半の雨で蒸し暑くもなりそうだ。

朝の散歩の時に、愛犬のバニー(黒ラブラドールレトリバー♀15歳)の息がハァハァと大きい、しばらくお風呂に入れていないから毛が多くなってて暑そうだ。しかも最近の我が家は暑さのせいもあってかバニーの臭いで家全体が動物園臭がするので、家に戻ってからお風呂に入れることにした。

バニーを買った時には、その前に買った「サニー(白っぽいラブラドールレトリバー♂2年前に13歳で死去)はおバカ犬だから貴方の犬で、おりこうさんのバニーは私の犬だからね」と言っていたくせに、世話は私の役目でお風呂に入れるのも貴方の仕事だというのだ・・・。

バニーの毛の抜けること、抜けること、ビニール袋一杯に黒い毛が抜けた。羨ましいくらいだ。

妻は風呂上がりのバニーの身体を拭いている時に腰を痛めたようで、その後の仕事も・・・のつまらない日曜日であった。

我が家は私も妻も犬も皆、腰を痛めている。


■2011-07-11-Monday 4ヶ月

東日本大震災発生から

今日で丸4ヶ月が過ぎた。

もう4ヶ月も経ったのか?というのが正直なところだ。

被災者の方々の物心両面にわたる苦労は大変なものだろう。

今朝のNHKのニュースで、1896年に起きた明治三陸地震津波による被害者数約22000人に対して、今回の東日本大震災の死亡者・行方不明者数は約20300人で下回る見込みだとのこと。

1000年に一度の大震災と言っていたのに、115年前の地震津波の被害者の方が人数が多かったということに驚いた。

昔の方が日本全体の人口が、現在よりも少なかったから、当時の22000人という人数の犠牲者数は膨大なものだったろう。

そこが115年で、再度2万人もの人数が津波で犠牲になったということには、色々な面で考え直さなければならないことがあるだろう。

まずは1000年に一度ではなく100年に一度は大津波が襲来することを想定しなければならないだろうと思う。

115年前は、地震に対する認識も自然災害だから「仕方が無い」で済ませて、そのまま復興させるしか考えられなかったのだろうが、ここまで科学が発達したのなら、人命を損なわない暮らし方の提案が出て来てもよいのではないだろうか?

土地は個人の財産ではあるが、個人個人がまた元の場所にそのまま家を建ててしまったら、地域としての防災が出来なくなってしまう。

復興は勿論急がなければならないが、個人個人が勝手に動くことは控えた方が賢明だろうと思うが、この国の政治に任せていたのではいつになるかはおぼつかない。

民間の建築家や各地でまちづくりに関わってきた人達と地元の人達が、何度も勉強会を一緒に開催する必要があるだろう。

専門家と称する人達の上から目線でやることは避けたいものだ。

辞める(本人は先日、自分自身の進退については言及したことがないと答弁していたが・・・)ということに世間ではなっている首相の元で、復興をするのはあらゆる面で時間の無駄であると思うのだが・・・。

この国の政治家は自分のメンツを保つ為なら、国がどうなっても構わないと考えているのだろうか?


■2011-07-12-Tuesday 暑い〜!

11日の夜に

自宅の町内会の役員会があった。

副会長を仰せつかっているのでビールを1ダース差し入れに持っていったが、自分は痛風だから飲まないつもりであった。

しかし、あまりに暑いのでツイツイ口を付けてしまったら・・・。

およそ3ヶ月振りのビールである。しかも暑い夏の夜にはビールが格別に美味い。最初こそ遠慮していたものの、一旦口にしてしまったらビールの誘惑には勝てずに、結局、4人で14本を空けてしまった。

翌12日は、会計事務所のゴルフコンペの予定である。天気予報は曇りで気温は28℃とある。曇りなら大丈夫と勝手に決めて、自宅に戻ってからも焼酎の水割りを飲んだ。

ゴルフは芽室町にある帯広カントリークラブ新嵐山コースである。自宅からは車で40分くらいの距離だ。8:30集合だから7:40分に自宅を出発した。

天気は、予報が外れて、曇りではなくて快晴でしかも無風状態。気温の体感温度は30℃を越えていた。

新嵐山は山岳コースでアップダウンが激しいところだから、暑いと疲労が足に来る。

前半のインコースはまだ気温が低かったからさほどでもなかったが、後半のアウトコースに入ったら、気温が29。3℃にもなり、汗が止まらなくなった。下着のパンツまでビチャビチャになりながら、集中力も欠いたプレイであった。

水分補給をしっかりしないと、昨夜のビールで痛風が出たら最悪だからとアクエリアス2本とお茶を1本飲みながらプレイした。大量に汗をかいているが、お腹の中は水分でグルグルいっているし、足もつりそうでかなり体力的にきつかった。

ウ〜ン暑い日のゴルフは健康に悪い。


■2011-07-13-Wednesday やっぱりなぁ〜

今朝の新聞を見たら

昨日の帯広の最高気温は33.3℃だったと出ていた。やっぱりなぁ〜、私の身体中の温度計は30℃超を感じていたからだ。30℃以下と以上とでは感じ方が異なる。

ゴルフで炎天下に外に居たからかなぁ〜とも思ったがやっぱり33.3℃もあったのだった。

一昨日の夜から我が家の寝室のテレビのNHKBS放送の映りが悪くなった。以前にもこういう状態になった後に、大きな地震が来たから、今回もそうかもしれないと思っていたら、12日に宮城沖で震度4の地震が起きた。やっぱりなぁ〜。電波時計といい、BS放送といい、電波の受信に地震は何等かの影響を及ぼすのではないだろうか?

研究してみる価値はありそうだが・・・。

18年前の7月12日に北海道南西沖地震が発生し、奥尻島が津波の被害に会い198人が犠牲になった。

今回の東日本大震災の記憶が生々しいこともあってか、テレビでは特集を組んで現地から追悼行事の生放送をしていた。

正直言って、奥尻島の時には、今回の3.11の様な津波の生々しい映像が無かったから、奥尻島の津波は場所的特殊性の限定的な災害だとしか思っていた。津波なんて、せいぜい水位が少し上がるだけぐらいにしか考えていなかったのだ。今回の3.11の津波があんなに威力があるとはとても想像が出来なかった。

自動車や家が、怪獣映画のミニチュアに水をぶっかけたように簡単に流される映像を見て心底驚いた。

やっぱり、人間は自然を侮ってはいけない。

昨日のニュースを見ていたら、菅直人首相がストレステストのことを自画自賛していた。確かに政治は結果が大切だろうが、プロセスも重要であると思う。

いつ辞めるかハッキリしない首相の元で、復興大臣に任命されたって、自分の任期も首相と一緒に辞めることになるのだろうから、いつまでにどういう仕事をしたら良いかが判らないだろうと思う。

早く、新しい体制にしないと益々遅れるばかりだろう。

国会で、菅首相が原発の国有化に言及したが、これとて、新しい体制でやらなければ、辞める人が次の人に足かせだけをはめては、次の人がやりにくくなるだけだ。場当たり的な発言はもうやめてもらいたい。

菅直人は、辞めろ、辞めろと言われればかえって、意地になっているようにも見える。

このままでは政治は国民に完全に見捨てられてしまうぞ。


■2011-07-14-Thursday 取材と映画

13日は地元の新聞社

十勝毎日新聞の記者から「北の屋台の10周年にあたっての感想が欲しい」との要請で13:30〜16:00の2時間半にわたっての取材を受けた。

北の屋台は2001年7月29日にオープンしたから、今年が開業10周年になるのだが、私にとっては「十勝環境ラボラトリー(TKL)」の9プロジェクト活動の1つの延長として1999年2月から始めた「まちづくり・ひとづくり交流会」からだから12年半という感覚なのである。

かなり長めである2時間半のインタヴューの中身を、無理矢理に要約すれば「北の屋台はまちづくりとして始めたものだから、そこで得た利益を理事者自分達の生活費にするのではなく、まちづくりに還元するべきだし、ひとづくりという観点からは、屋台を卒業して独立する人を多数輩出して欲しい。」ということである。

どうにも腑に落ちないのは、組合は共益費(トイレや通路などの全体の共用部分に掛かる費用)(月額2万円)や広告宣伝費(月額2万円)という項目で毎月集めているお金は20軒で40万円ずつ80万円にもなるのだ。

家賃の8万円(月額)は(店主らから徴収する家賃は組合の収入だから、例えK専務の高給に消費されていようとも理事会で決定したことなら店主らは異議を唱えることは出来ないが・・・)とは違って、その項目に使用する目的で集めたものなのだから、共益費の何に、広告宣伝の何に使用したかの内容をキチンと店主等に開示する義務があるだろうに、それを開示していないのは、お金を扱う者としておかしいことだ。

当初は補助金という税金を使わせてもらっているのだから、いわば半分は公的な事業なのだから、お金の扱いには透明性が必要だと考える。どうもその辺があやふやになっているのは気になるところだ。

現在の北の屋台は、新しいことには一切着手せずに、私が考案したシステムをそのままやり続けているだけだし、まちづくりの意識は無くなってしまい単なる金儲けの不動産賃貸業になってしまっているという苦言を呈したのである。

今後、北の屋台の関係者多数にインタヴューして特集を組むそうだから、どのような記事になるのか楽しみである。

妻が、21時から上映の映画「スーパーエイト」を観たいと言い出した。予告編を観て面白そうなSF映画だったから一緒に「夫婦50歳割引き料金」で二人で2000円で観てきたのである。

製作はスティーヴン・スピルバーグだが、監督はJ・J・エイブラムスという全く知らない人だ。「E・T」や「スタンドバイミー」などの映画をオマージュにした作品とのことであるが・・・。

例によってあまり細かいところまでの解説はやめておく。

時代設定は映画の冒頭でスリーマイル島の原発事故のニュースがテレビで流れる場面があったので1979年。

アメリカ・オハイオ州で、主人公は14歳の映画製作をやっている学生達という設定だ。

最初は宇宙人の姿をなるべく見せないようにして恐怖感を煽る手法なのだろうが、私はなんだかチャライ感じがしてあまり恐怖を感じなかった。

妻は面白かったと言っていたが、私は看板倒れのような感じであった。

唯一良かったのはアリス役の女の子である。この女優は将来が楽しみだ。

この映画には、大きな疑問点がある。もともと、かなり無理な展開だから細かいところに多々疑問があるのだが、そこはSF映画だから我慢するとしてもだ、ものすごい高度な文明を持った宇宙人が何故にスッ裸なのだろうか?

映画を観終わった後に、2時まで開いている温泉銭湯に行ってスッキリして寝た。


■2011-07-15-Friday 北の屋台の・・・

昨日の私のブログを

読んだ読者から聞かされた北の屋台の経費の不思議さは、私のマジック以上の不思議さである。

北の屋台では通路の真ん中に景気付けの為に提灯をぶら下げたんだそうな。この費用は本来なら組合が店主等から集めている広告宣伝費若しくは共益費で賄う性格のものだが、いくら組合に提灯を付けて欲しいと頼んでも一向にやってくれないので、諦めた店主等が諮って、各店が2万円ほどずつを出し合って自ら付けたんだそうだ。?????

ヘェ〜、北の屋台は相変わらず儲かっているんだなぁ〜。毎月、組合に払っている広告宣伝費と共益費を組合が何に消費しているか、それとも消費しないで貯め込んでいるのかも判らずに、それ以上に自分たちでお金を集めて提灯を付けたら、組合がお金を二重取りしていることになるだろうに・・・。組合は何の為に存在しているのだ!

各ビール会社と共同で「ビールフェア」なるものをやっているが、これの経理もおかしい。広告宣伝費とは別途にお金を店主等から徴収して前売り券を販売したそうだが、何故、店主等からお金を集める必要があるのだろうか?

ビール会社が協賛して行う事業なのだから、広告宣伝費で賄えば済む話ではないのか?

しかもその売上金額は組合が持って行ったというが、むしろそのお金は店主等に還元されなければならないのではないのか?

何故なら、各屋台は中央でビールを組合に販売されたら、自分の屋台でのビールが売れなくなるだろう。

つまり各屋台は自分の店の売り上げを減らされて、更にビール券を買わされて、しかもビールの売り上げは組合が全額持って行くというのは、組合によるボッタクリだろう。

このビールの売り上げ代金は一体どこに流れていくのだろうか?

昨日のブログにも書いたが、屋台店主らの無知若しくは従順さに付け込んで不透明なお金の徴収が行われている様だ。北の屋台は半分公的な事業として、正々堂々と誰にでも公開出来る様な経理をしなければならない義務と責任があるはずだ。

屋台店主等も影でコソコソ言っても何の解決にもつながらないから、組合に対してハッキリものを言った方が良いと思うよ。


■2011-07-16-Saturday 雨で・・・

14日は朝から雨が降っていて、

12・13日と二日連続で30℃を越えた気温がウソの様に下がって寒いくらいである。最高気温の差は12〜3℃ほどもあるだろう。

昼からゴルフコンペの予定が入っていたが、午前中の大雨の為に中止になったと幹事から連絡が入った。わがままな高齢者のメンバーから中止にしろという連絡が幹事に入ったのだろうと推察した。

午後からは小降りになったから、プレイ出来なくはないが、まぁ、雨の中でプレイしても面白くないから中止も仕方ないだろう。着替えて会社に行く。

急な予定変更は、仕事のスケジュールも狂うし、遊びに入っている心のスイッチを、仕事の気分に切り替えるのが結構難しいものだ。

仕事を終えた後、19時から高校の同期会の役員会を私の会社で行う。卒業以来、5年毎に全8クラス合同の同期会を開催しているのだが、今年がその年に当たる。

5年前の開催時に「今回で合同同期会は最後にする」と決めたのだが、また開催して欲しいという希望が多いとのことで、再開することになったのだ。

ただし、前回の様に温泉に一泊しての会合ではなく、午前中に有志のゴルフコンペを開催し、18時からは市内のホテルで開催することにしたのだ。

役員会では8クラス360名中270名の住所が判明しているので、往復はがきで案内を送る手はずにした。住所のシール貼りの作業を行ったが、手分けしたらすぐに終了した。

役員会が終わった後に、妻と一緒に食事に行った。実に久し振りに夜の街に出た。

北の屋台の卒業生で、六花亭本店(西2条南9丁目)の東側にある「タベルナ・センナリ(西1南9)」というイタリアンレストランに久し振りに入った。4月まではランチをやっていたので良く食べに行っていたのだが、5月からランチを休止しているので丸一ヶ月以上も行っていなかったのだ。

この間に、随分とメニューも変わっていて、女性向けのメニューが増えているようだ。

帯広の余所の店ではなかなか食べられないメニューで、とても美味しかった。

もう一軒、飲みに行こうかと思ったのだが、雨が降っているからか、妻がもう家に帰ると言ってサッサとタクシーを停めてしまう。一人では飲みに行かせてくれないので仕方なく自宅に戻ったのだった。


■2011-07-17-Sunday 全英オープンゴルフ

この時期になると寝不足になる。

ゴルフの全英オープンをテレビで観るせいである。

今年はサンドウィッチという町のロイヤル・セントジョーンズ・ゴルフクラブで14日から開催されている。

日本からは石川遼、池田勇太、藤田寛之らが参加したが、予選を通過したのは池田勇太一人であった。

毎度、全英オープンの開催されるゴルフ場の映像を観る度に、良くこんな場所でゴルフが出来るなぁ〜という感想が先に出て来るほど、難しそうなゴルフ場だ。

いわゆるリンクスタイプといわれる海岸沿いのコースだが、大きな樹木が生えていないから風の影響も大きいし、第一目標物が無いから方向を定めるのが難しいと思う。そこにラフの草の深さと壁の高いポットバンカーや固いグリーンだから、世界の一流選手らが、ピンに容易に寄せられないし、短いパットも外して苦労している。

私だったらと考えると、キャディが居る日本のコースならまだしも、あのコースでキャディが付かないセルフプレイなら、きっと3ホールも終わらない内に、ボールを1ダースは無くしてしまうのではないだろうか?

予選を通過した池田勇太以外の日本人選手もきっと「やってられないよ〜」という感じだったのではなかろうか?

池田選手も3日目を終わって+5だから、優勝は難しいが、少しでもスコアを上げて上位に行って欲しい。

一方、日本の女子ゴルフ界では、スタンレーレディースで有村智恵が15日の第一日目にアルバトロスとホールインワンを達成した。男女プロゴルフを通じて同一日に達成したのは初めてだということだ。なんでも一般ゴルファーは365日毎日1ラウンドプレーをしても3万年も掛かる確率だという。

私も死ぬまでに一度はホールインワンを達成したいものだ。


■2011-07-18-Monday 寝不足

前日に引き続き寝不足だ。

全英オープンゴルフの最終日と、女子サッカーのW杯の決勝戦が18日の(月)の夜中に重なったからだ。

全英オープンは、強風と雨の中で、アメリカのフィル・ミケルソンが前半に猛チャージを掛けて一時トップに並んで、がぜん面白くなったが・・・。

結局はイギリス北アイルランドのダベン・クラークが通算−5で優勝した。さすがイギリスのコースの攻め方を知っているという感じであった。世界一の飛ばし屋D・ジョンソンもイギリスのコースには歯が立たなかった様だし、アメリカの人工的な綺麗なコースと、イギリスの自然のままのリンクスコースでは戦略が違うということを見せつけた戦いであった。

女子サッカーはなでしこジャパンがW杯優勝という快挙を成し遂げた。

アメリカに先行されたのを追いつき1対1で延長戦を迎えて、ここでも先行されたのを澤穂稀が決めて追いついた。なんという粘り強さだろう。画面で見る限りでは圧倒的にアメリカに押されていたように見えたが・・・。

この澤の同点ゴールはどうやって蹴っているのか判らない角度から決めたシュートで、日本男子サッカーの決定力の無さとは大違いである。

同点で迎えたPK戦もゴールキーパーの海堀が2本も止めた。一人目のアメリカのボックス選手のPKでは海堀が左方向に飛んだら真ん中に蹴られて入れられた!と思ったのだが、何とそれを空中で右足一本でセーブしたのには驚いた。この最初のPKを防いだことでアメリカは浮足立って2人目、3人目と失敗。結局アメリカは3人がミスして、澤が蹴るまでも無く勝利が決定した。前回の男子のPKミスとはこれも大違いだった。

最近の良いニュースはスポーツ、それも女性のニュースばかりだ。男性も少しは頑張れ!


■2011-07-19-Tuesday

18日は寝不足の中

青年会議所(JC)のゴルフコンペ「じゃがいも」の第三回例会(年6回開催)「JCOB会長杯」が十勝カントリークラブで12時から開催された。

天気予報では曇りであったが、無風快晴になって温度は26℃。土日と続いた雨のせいもあって、非常に蒸し暑い。

低温サウナ風呂の様な状態になって、私の発汗スイッチが入ってしまい、まぁ汗の出ること出ること。

下着のパンツからシャツまでビチャビチャである。

ゴルフの方は、ショットが定まらず、右にスライスを打ったり、左にひっかけたりと散々だったが、なぜだかパットが決まりまくって、前半のアウトコースは1バーディ、3ボギーで38打であった。

後半は汗のかき過ぎでフラフラになって、集中力を失い、ダボとトリプルを打ってしまい44打。前回のアンダー分のハンディ0.7が引かれるので私のこの日のハンディは8、グロス82、ネット74で7位入賞であった。

2組目のスタートだったので、汗でビチョビチョになった服をそのまま着ていたのでは気持ちが悪いから、ロッカールームで素っ裸になって着替えてから食堂に行ったが、黙って座っていたらものすごく眠たい。

全英オープンゴルフとなでしこジャパンのW杯決勝戦を観て、ほとんど眠っていないところに汗を大量にかいたのでかなり疲れたのだろう。

自宅に戻って温泉銭湯に行き、再び汗を大量にかいてから寝たが、今日は一体何リットルの汗をかいたのだろうか?

これで少しは痩せてくれたら良いのだが・・・。


■2011-07-20-Wednesday 気象

何だか世界中の気象がおかしい

帯広は19日は最高気温が30℃の蒸し暑い日だったのに、今日20日は最高気温が20℃という予報である。

朝方、犬の散歩に半袖姿で出たら寒くて鳥肌が立った。

こうも日毎に気温がこんなに激しく上下したら、体温調節がうまく出来ない年寄りは身体をおかしくしてしまうだろうと思う。

新聞のお悔やみ欄の掲載が増えているように感じるのはタダの錯覚なのだろうか?

今回、和歌山県周辺を襲っている台風6号もこの季節の台風としては異常にでかいそうだし、進行スピードがかなり遅いとのことで各地に相当の被害をもたらしているようだ。

何週間か前には、アメリカで起こった超巨大な砂嵐のニュース映像や巨大な竜巻やハリケーンなどの映像を見ると、地球上のあらゆるところで気象がおかしくなっているように感じる。

何だか、災害が巨大化してきていないだろうか?

そこへもってきて、これまた地球上のいろんな場所で地震やら火山の噴火やらが起きている。地球が己の身を人間から守る為に災害を引き起こしているかの様だ。

18日と19日の夜中にも我が家の電波時計がまた狂った。調べてみたら、地震が起きる直前には断層で大地と大地擦れ合うと電磁波が発生するのだとのこと。この電磁波が、地震雲や電波の乱れを生じさせるという。これはまた近い内に大きな地震が起こるかもしれない。

人間は価値観を変えて、つましく謙虚に生きるべき時なのかもしれないなぁと考えている今日この頃である。


■2011-07-21-Thursday まちづくりの

まちづくりはゲームに似ている。

1年前の2010年7月5日の十勝毎日新聞「論壇」に「ゲームとまちづくり」と題して寄稿しているが、再び書きたいと思う。

私がはまっているのは、トランプゲームの「フリーセル」というゲームである。

コンピュータ・ゲームにも内臓されているから知っている方も多いと思う。ランダムに配られたカードを順番に並べ替えていくゲームだ。

少し詳しく解説すると、まず表向きに8列にカードを並べていく、するとカードは52枚あるから、7枚の列4列(左側)と6枚の列が4列(右側)出来る。

上方には4列ずつの空の枠が2つあって、左側は不要なカードを一旦収納するスペースであり、右側の枠はスペード・ハート・ダイヤ・クラブのマーク毎にAから順番に上げていくスペースである。

ルールは赤いカードと黒いカードを交互に順番良く並べること、動かせる枚数は空間分の枚数しか一度に動かせないことなどである。

まぁ、文章では分かり難いから、一度、コンピュータゲームでやってみるとよい。

このゲームはとても単純だが、似たようなカードゲームの「ソリティア」がコンピュータにはあるが、ソリティアとは違って、「運」の要素は皆無である。

最初の配列によって簡単、困難の差は出てくるが、しかし最後には必ずクリアは出来るゲームなのだ。

コツは、まず配られたカードをジックリと見て、戦略を立ててから始めることである。

イキナリ考えもせずに闇雲に初めてしまうと、途中でカードが動かせなくなって行き詰まってしまう。

以前のコンピュータゲームでは、「やり直し」機能が付いていなかったから、失敗したらまた最初からやり直すしかなかったが、新しいコンピュータでは一枚ずつカードを戻すことが出来る機能が付くようになったから、失敗したと思われる箇所まで戻ってそこからまたやり直すことが出来るようになったのだ。

この機能が付いたことで、私は「フリーセル」はまちづくりの考え方の鍛錬に使えるなと直感したのである。

このゲームは初動を間違えるとまず上手くいかない。また途中でかなり面倒な作業(カードをすこしずつあっちにやったり、こっちに戻したりする)をしなければならないこともある。しかし、クリアするには面倒がらずにキチンと順番にやっていかなければ、楽をしようとして作業をショートカットしてしまうと途中で身動きできなくなって破綻してしまうのだ。

「まちづくり」に置き換えたなら、初動をミスするケースは結構多い。

帯広のまちづくりでもかなり見受けられる。

私がこのブログにもよく書いている「共通認識」の醸成をせずにイキナリ行動を起こしてしまうケースだ。

上手くクリアするには、配られたカードを良く見て、その配列に合わせた戦略を立てなければならない。他の街でやっていることをそのまま帯広に持ってきても、カードの配列、すなわち場所も人柄も気候も違うのだから上手くいくのは偶然に頼るしかなくなる。

ミスを認めて対処する謙虚さが必要であると思うのだ。

初動段階でミスした時は、少し戻せば良いのである。根本原因を正さずにそのままつき進んでもやがては身動きがとれなくなってしまうからだ。まずは帯広に合わせた戦略が必要だし、それでも上手くいかない時は一体何がまずいのか、途中で一旦立ち止まって考えることも必要だし、時には引き返すことも必要だと考える。

そのまま強引にやっていっても最後には破綻してしまうのに、戻すことはプライドが許さないのかもしれないが・・・。


■2011-07-22-Friday 地元の新聞に

地元の新聞の十勝毎日新聞の

20日の一面トップ記事に「電信通商店街がまちづくり会社設立」と出ていた。

随分と思いきったものだなと感心した。

私は「観光カリスマ」に任命されてから、これまでに全国各地の商店街を見てきたが、帯広電信通商店街のような売上額が小さな規模の商店街が「まちづくり会社」を作って自らの活動資金を得ようというのは初めて聞く事例だ。

大抵はその街の一番売り上げ規模の大きな商店街、若しくは二番手あたりの商店街が作るものだったが・・・。

売り上げ規模の小さな商店街というのは依存体質のところが多くて、補助金をもらいながら細々と活動するというのが常であったが、自らの活動資金を自前で用意しようという心掛けはとても立派なことだと思う。

電信通商店街の役員の方々は、これから大変なご苦労をされることになるだろうが、頑張ってもらいたいと思う。

役員は全員が無報酬で働くということだが、これが本来の姿で、専任の事務員はともかくとしても、役員はボランティアでなければ、この種の活動は上手く機能しない。

本来、ボランティアであるはずの活動から、報酬を得てしまえば、他の会員に対して献身的な活動の要請がしずらくなってしまうのである。つまり「お前は商店街活動で報酬を得ているのに、俺らにはタダで働けっていうのか?」ということになりかねないからだ。

作ったばかりの会社であれば当然赤字であろうから、報酬を出せる余裕もないだろうが、例え、黒字になったとしても、まちづくり会社の収益は「まちづくり」に還元するべきだろう。個人の生活費に回すべきではない。役員自らの生活費に消費してしまえば、いらぬ誤解を受けてしまう。

公的な事業というものは、収入の使い道などのお金の出し入れは厳格にしなければならない。そしてそれは少なくとも公開されなければならない。

北の屋台もボランティアの精神で始めた事業なのに、収益をまちづくり事業に回さずに、一人の役員が自分の生活費を組合から得るようになってから最初のコンセプトがガラガラと音をたてて崩れだしてしまった。

まちづくり事業のトップに立つ人間は、自分の利益などは考えずに高い志を持って事業を推進していくような人でなければいけない。

電信通商店街の今後に期待している。


■2011-07-23-Saturday 風評被害

風評被害っていうのは恐ろしいものだ。

女子サッカーW杯で優勝したなでしこジャパンの熊谷選手が居酒屋で男子大学生と話したことを、その男子学生が自身のツイッターでつぶやいたことから大事件に発展したようだ。

熊谷選手が、チームが優勝したことで舞い上がってしまって軽い気持ちでしゃべった事なのか、あるいは男子学生があることないこと書いたのかは判らないが、まぁ熊谷選手、男子大学生の両者共に軽率な行動であったことは事実であろう。

有名になるということは、制約がともなうものだし、自らの行動を抑制できない人間は有名になることで、かえってこのようにリスクを受ける頻度が高まることを意味している。

しかし、「○○さんが△△と言っていたよ」という類の発言は実に恐ろしいものだ。

私も先日似たような経験をした。

先週のある日突然に「坂本さんが○○さんと親しい、○○さんから坂本さんがマジックを教えてもらったという話を、××さんから聞いた」と言って私の会社に訪ねて来た人がいたが、私には全く身に覚えの無い話であった。

その○○さんという人物の名前はおろか顔も知らない人だったのだ。

××さんとは○○さんではない別の人物との話をしていたのに、××さんの方で一方的に勘違いをされて、私が○○という人物と親しいらしいという話にいつの間にかすり替わったようなのだ。

相手の話に、よっぽどの関心でもなければ、他人の話を上の空で聞いているということは私にもあることだから××さんを責めるつもりもないが、しかし、噂話とか悪評とかというものは、こうやって出来あがって、こうやって伝わっていくのかと思わず認識させられる妙な事件であった。

風評被害にあっても困惑しない様に、いつも自分で正しいと思うことを、正しいと思う方法で行っていれば、他人に恥じることなどない。姑息な考え方や行動をする人間だけが困るのだろうと思っていた。

でも、思わぬところから、そういう行動をしていても、この世の全員が私のことを知っている訳ではない。いや、むしろ知らないからこそ変な事が言えるのだろうとも思う。

しょせん噂話を無くすことなどできないのだろうから、要は、自分の生き方に自信と誇りを持って生きていくしかないのだろうと思う。


■2011-07-24-Sunday プロゴルフトーナメント

北海道で開催されている

男子プロゴルフトーナメント「長嶋茂雄インヴィテーショナル・セガサミーカップ2011」第3日目を観戦して来た。

7月8日に「札幌学院大学」で講義をしに行った際に、新札幌駅に貼ってあったこのゴルフトーナメントのポスターを見掛けて、そういえば大学のマジッククラブの同輩のS君がセガサミーホールディングスに勤めていたなぁと思い出し、S君に招待券をおねだりしようかと考えたのだが、帯広に戻ったら連絡するのを、すっかり忘れてしまっていた。

すると13日に自宅にS君から手紙が届いていて、その中にこの「セガサミーカップ2011」の招待券が2枚入っていたのだ。一瞬、アレッS君にお願いしたんだったっけ?と思ったほどだったが、手紙には「招待状をもらったので勝手に送らせてもらいました」と書いてある。

これは以心伝心で私の願いが繋がったのだと嬉しくなって「イャ〜実はお願いしようと思っていたんだ。ありがとう」とすぐに、お礼のメールを打ったのだった。

2枚あるから、妻に「行くかい?」と聞いたら「行く〜(石川)遼君を直に見てみたい」と言うので2人で行くことにした。

どのみち、リニューアルオープンした新千歳空港を視察に行かねばと考えていたし、トーナメントが行われる会場は新千歳空港近くの「ザ・ノースカントリーゴルフクラブ」なので、ゴルフの観戦半分、空港の視察半分で行くことにした。

私のゴルフ歴は28年程もあるが、これまでゴルフトーナメントの観戦はしたことがない。他人のプレーを見るよりも、その時間があったら自分でプレイしている方が良いというタイプなのである。

そんな私が今回観る気になったのは、妻とは異なる感情であるが、やはり石川遼という存在が大きい。直に見てみたいと思う様な、こういうスター選手が居るということはゴルフ界においても宝だろうと思う。

自動車を運転して行くのは疲れるし、会場のゴルフコースは千歳駅からバスで15分程度の近場である。無料送迎バスが出ているということもあるので帯広駅09:07発ー千歳駅11:11着のJRで行った。

会場には11:40頃に到着、まずは10番ホールのティグランドに設置された観戦スタンドの一番前に陣取った。

そこでは中嶋常幸、平塚哲二、P・シーハン組から最終組の金庚泰、ドンファン、市原弘大までの5組のティショットを目の前で観た。

やはりスイングスピードと飛距離のすごさは半端ではない。10番はやや左側にドッグレッグしたコースで右側は272ヤードで池に入る。左側には大きなバンカーがあって、このバンカーを越えるにはキャリーで252ヤードを打たなければならない。全員、「アレッどこを狙って行くのだろう」という方向に打って行く。ドライバーを持った選手はバンカー越えを狙い、池が心配な選手は、3番ウッド以下のクラブで打っていくのだ。プロゴルファーは252ヤードなんて屁でもないという感じで軽々とバンカーを越えていく。打って行く方向、距離感覚、スイングの音など現場でしか感じられないものがある事が良く判った。このティショットを見ただけでも来た甲斐があったというものだ。

最終組が打ち終わった後は、15番のグリーンに移動して、セカンドショットとパットを久保谷健一、園田峻輔、白佳和組から石川遼、広田悟、D・スメイル組まで見て、16番ショートホールの石川組と最終組のティショットを見て、18番に移動してロングホールの石川組のセカンドショットを見てから帰った。

観客の6〜7割が石川組に付いて回っている。やはり遼君人気はものすごい。遼君はオーラというか、魅力を感じる選手だ。直に見ることができてテレビでは伝わってこない臨場感を味わえた。

しかしだ。北海道の観客のマナーは最低だなぁ〜と感じた。プレイに入っているのに動き回る観客が多いのだ。可哀想だなぁ〜と感じたのは石川と同組で回ったスメイルと、石川の直後の最終組で回った選手である。

16番ショートホールで9アンダーで同率首位にいたドンファン選手が、ティショットを右にプッシュアウトして池ポチャした時、妻は「アラッ、最終組のプロゴルファーでも池ポチャするのね」と驚いていたが、あれは、16番を終えた石川組が17番に移動するのにくっ付いて回っている観客が、彼らが打つ時にも静止しないで動いていたのが、視線に入ったのが原因ではないかと思う。

18番ではスメイル選手が第3打を池ポチャしたが、この時はスメイル選手の構えている3mほど前をおばちゃんが、石川見たさに歩いて移動していたのが視線に入った為ではないだろうか。ゴルフは結果のスポーツだから、例えどのような妨害があってもやり直すことは出来ない。

そんな時は仕切り直せば良いのだが、こうしょっちゅうやられたのではリズムが狂ってしまうだろう。スメイル選手は明らかに「もう勘弁してよ〜」という様な表情をしていた。

プロのカメラマンもパットの直前にシャッターを押してしまって、選手が仕切り直す場面もあった。北海道での観客のマナーをもっと指導する必要があると感じたが、プロのプレイを真近に観ることが出来てとても参考になった。帯広に戻ったら早速試してみようと思う。

14:40には終了したので、1週間前にリニューアルオープンした新千歳空港に行ってきた。随分とまた大きくしたものだ。映画館や入浴施設まである。こんなに沢山のテナントを入れて果たしてそれだけの客が来て買い物などをしてくれるのだろうかと疑問に思った。まぁ今後を見ることにしよう。

帰りのJRまではまだ時間があるので「アウトレットモール・レラ」に行くことにした。妻は「レラに行っても絶対に何も買わないよ!」と私には釘を刺しくせに・・・、結局、私は買い物をしなかったが、自分だけは何点も買い物をしていたのだった。


■2011-07-25-Monday JCOB会

24日13時から

帯広市ばんえい競馬場でJCOB会(青年会議所のOB会)の家族会が開催された。

今日の晩ご飯は、妻の両親と私の母を招いて、庭で焼肉をやることにしてから出掛けたが・・・。

その前に、近くの帯広ガスで開催されているガス展に寄った。妻が、自宅のガス台の調子が悪いので買い替えたいというのである。

10年ほど前は、子供たちを連れてよくこのガス展には行っていたものだ。昔は、ソバやうどん、焼き鳥や焼ソーセージなどが無料だっし、金魚すくいとかヨーヨーなども無料で出来たのである。

今回久し振りに行ってみたら、一部有料にはなっていたが100円だから安いことは安い。さすがにものすごい数の人達が来ていて駐車場が間に合わない様であった。

妻はガス台を購入してクジを引いたら2等賞の3000円の商品券が当たったので大喜びであった。

その足でそのまま競馬場に向かった。

昼食は「とかちむら」で食事をするのかと思っていたのだが、何と意に反して競馬場の横にズラリとコンロを並べての焼肉パーティであった。これでは今晩の晩ご飯と被ってしまう。でも仕方ないから焼肉を食べた。食べてる時に数人のメンバーと話したが、皆、私のブログを面白いから読んでいると言う。結構多くの人に読んでもらっているようで嬉しい。

食後にバックツアーでばんえい競馬の裏側を案内してもらう。これはなかなか興味深い内容であった。

その後JCOB会がスポンサーになった第二レースに参加者が賭けるのが今日のメイン行事である。私と妻は第一レースから賭けたが両方ともに外れであった。

自宅に戻ってテレビをつけたら丁度男子ゴルフの最終日の模様が映っていた。石川遼は残念ながら2位に終わった。

観終わった後は焼肉の準備である。昼も焼肉だったからそれほど食べられないと思っていたのだが、結構沢山食べてしまった。やはり外で食べるのは美味しいものである。食後に、前回不調で上手く繋がらなかったスカイプを開いて息子と話をさせてあげた。孫との会話がこんな風に出来るのか、便利な世の中になったものだと驚き喜んでいた。思わぬところで孝行が出来たかな?

この後、温泉銭湯に行って一日の汗を流して就寝した。

寝た後に、夜中の1時頃にまた電波時計が狂った。また1〜3日後に日本のどこかで震度5クラスの地震が起きるのではないだろうか?心配である。


■2011-07-26-Tuesday 北の屋台10周年

23日の北海道新聞朝刊に

「北の屋台開業10周年」という大きな囲み記事が掲載されていた。

小見出しには『「脱マンネリ」へ努力』と載っていて、その記事の中で、北の起業広場協同組合の久保裕史専務理事のコメントとして「北の屋台はまだ成長過程にあり、慣れやマンネリを払拭していかないとこの先は短い。お客さまはどんどん変わってきているのに店主が変わらなければ、衰退につながる」との言葉が載っていた。

新聞を読んでいて思わずプッと噴き出してしまった、何をとぼけたコメントを発しているのだろうと。

私が北の屋台を去った2007年3月末は、まだ第二期の途中であった。2007年11月末日までが第二期の期日であったのに・・・。

この退任した辺りの事情については、このブログの「マイヒストリー」に詳しく書いたからそれを見てもらうことにしてこの場では割愛する。

私が辞めた後に、第三期、そして今年の第四期の店主達を選んだのは、他ならぬ北の起業広場協同組合だろうに・・・。

その選んだ責任者本人が、ぬけぬけと「店主が変わらなければ・・・」というコメントをするとは、驚くというのか、呆れるというのか、何と言ったらよいのか見当もつかない。

そもそも、こんなコメントを新聞に掲載されて、組合は恥ずかしくないのだろうか?

それともこのコメントの恥ずかしさすら認識できていないのだろうか?

自分で4期連続で同じ店主を選んでおきながら「店主が変わらなければ、マンネリになる」って???、一体どういう論旨なんだ?

それに、そもそも、新しい企画を立案したり、実施したりするのは組合の仕事だろう、新人の店主らにそれを求めるは酷な事なのではないだろうか?

それを私が辞めた後には全く新しい事業はやりもせずに、私が在籍していた時と同じイベントばかりやっていて、何が「マンネリを払拭していかなければ・・・」なのだろうか?

論理がまるでメチャクチャだろうに。

変わらなければならないのは、組合そのものなのではないのだろうか?

店主は素人を3年毎に毎回入れ替えるのが最初からのコンセプトなのだから・・・。

新しい企画や行事を組合が発想(企画)できないなら、組合の存在価値は無いに等しいだろう。今回の10周年をキッカケに十勝・帯広にとって有意義な「北の屋台」いや北の起業広場協同組合になって欲しいと切に願っている。


■2011-07-27-Wednesday もろもろ

世界中で何だかヒドイ事故やら事件が起きている。

まずは中国の高速鉄道の衝突事故。

開業時から専門家からは安全性に疑問が出されていたが、案の定という感じか。あの種の事故は日本では考えられない事故であろう。

事故後の対応にも驚いた。2日後にはもう開通させている。しかも事故車両は現場に穴を掘って埋めてしまうという誰が考えてもムチャクチャなことをやった。これでは原因究明が出来ないだろう。つまりは、何が衝突の原因かを不明にしたまま、また走らせているということだ。中国当局の発表では落雷が原因とのことだが、落雷などショッチュウあるのだから、これでは雷が発生したら何時また同様の事故が起きるか判らないのではないのか。

まぁ中国は人口が16億人もいるらしいから、事故で100人や200人死んだところで構わないとでもいう感じなのか?

でも、高速鉄道の料金は高いらしいから、中国の富裕層が客であろうと思われる。この連中の命を軽視したら、それこそ政府としてはかなりまずい事態になるのじゃぁないだろうか?

ノーベル平和賞の国ノルウェーで、考えられない事件が起きた。爆弾テロと銃の乱射である。平和な高福祉国家での事件であるのが驚きであった。犯人は32歳のブレイビックという極右思想の若者で、反イスラムで起こした事件だという。

ニュースで見ると、オスロ市内で爆発した爆弾は、建物の破壊状態が激しいから、かなりの威力があった爆弾だと思われるが、死者数は7人程度であったようだ。一方の銃乱射では80名以上が犠牲になったというから銃は爆弾よりも恐ろしい。

一体この犯人は、反イスラム思想で、何故に同胞を射殺できたのだろうか?

安全と思われていた国で起こった事件だけにショックも大きい。

なでしこジャパンに対して「国民栄誉賞」を授与する準備がなされているという。この「国民栄誉賞」はどうも政治的に利用され過ぎなのではないだろうか?授与の基準があいまいだし、他に与えても良いと思われる人物には授与されていなかったりするのが気になるところだ。

なでしこジャパンも急激に持ち上げすぎるのも、逆に今後のことを考えたら酷なのではないかと思う。

沖縄在住のマジックの兄弟子からマンゴーが送られてきた。毎年、私の方からはメロンを送り、兄弟子からはマンゴーを送ってくるバーターお中元なのである。

マンゴーは実に美味しい果物だ。なにせ果物の女王と言われるくらいだから。

全国各地に点在する大学の時代の友人と、特産物の交換をしているがこれはなかなか嬉しいことである。おすそ分けもまたコミュニケーションのひとつである。日本人の良き習慣を続けたいものだ。


■2011-07-28-Thursday 26日

26日は「飲んべおやじの会」の

ゴルフコンペが帯広国際カントリークラブであった。この会は名前の通り、酒好きでゴルフ好きな人間が、昼間はゴルフをしてその後飲み会をする集まりである。

元々はお酒を飲みながらゴルフをプレイしていたのだが・・・。

当然、ここ最近はゴルフのプレイ中の飲酒は自分で車を運転してきていない人間に限られている事は言うまでも無い。

今日は、先週の土曜日に観た男子プロゴルフの「セガサミーカップ」の影響なのか、ショットがおかしくなってしまった。どうもプロのショットに影響を受けてしまった様なのである。練習もせずに出来る訳がないのに・・・。

本来はフェード打ちなのに、プロのドローボールに憧れてスイングを崩してしまった。

もうひとつ、地元のデパートで開催されていたアイデア商品の特設会場で購入した帽子に付けるサングラスを装着してプレイに臨んだのが不味かったようなのだ。

サングラス越しに見るとボールが大きく見えてしまうから、打つ時にはサングラスを上げて打ち、打ち終わったらまたサングラスを下げるという事をショット毎に繰り返していた。

これがまずかったようで、スタンスがどうもいつものようにシックリいかないのだ。いつもの様にスッとスタンスに入れないので、今日はパットがまるで入らなかった。

おまけに、前半最後の東9番ホールでは笑い話にもならないようなミスをしてしまった。

去年のコンペで2回も誤球をしてしまったことがあったので、その後は誤球を絶対にしない様にオレンジ色のボールを使用している。

それが・・・、9番ホールで私が打った球が右側の林の方向に行ったのだが、4人で散々探したが見つからなかった。キャディさんがかなり戻った場所でオレンジ色のボールを見つけて「有りましたよ〜」と言うので、アレッこんなに飛んでいないのかなぁ〜、木にでも当たって戻ったのかなぁ〜と思いながらも、オレンジ色のボールだから、自分の球だと思って打ったのだった。フェアウェイに出たボールを見たら、なんとメーカーも番号も異なっているではないか。

これは誰かが忘れていったロストボールということである。

誤球を回避する為にオレンジ色のボールを使っているのに、よりにもよって、オレンジ色のボールを私が打った方向にロストしていくなんて!

このホールは結局10打になってしまい。この日のゴルフの集中力はこれで切れてしまった。

この後の後半のハーフは、もっと酷いことになってしまったパーが一つも無くて47打も叩いてしまったのだ。今季最悪のスコアである。

この日のコンペで不名誉な最下位という結果に終わってしまった。

まだまだ精神修行が足りないなぁ〜。

コンペ終了後の飲み会で、何故だか「ウォシュレット」の話になった。私はこれ無しではいられない体質になってしまって、海外旅行に行く時には携帯用ウォシュレットを持ち歩くほどなのだが、これは大痔主であった父の影響である。

父はいつも痔で苦しんでいた。

ウォシュレットが発売されたのを調べてみたら1980年6月ということなのだが、我が家ではそれ以前から使っていたように記憶しているのである。一般的な販売の前に父が試供品でも手に入れていたのではないかと思うのだが・・・、いつの頃だったか私の記憶もあいまいな部分もあるのだが・・・。でも、早い段階からウォシュレットを使っていたのは確かである。

ウォシュレットはもはや世界に誇る日本の文化であると思っている今日この頃なのである。


■2011-07-29-Friday 会議で・・・

28日は北海道庁の会議で

札幌に日帰り出張であった。

北海道の平成20年度からの(おおよそ)10年間の計画を考える「北海道総合開発委員会」の計画部会の会議が28日に札幌のKKRホテル札幌で開催された。

私は参事を仰せつかっている。

この会議は平成20年の3年程前から開催されているもので、平成20年までは計画を考え、それ以降は、その計画が予定通り推進されているかの進捗状況を判断する会議である。

計画を作っている時と、現在とでは状況が大きく変化している。何せ、計画を推進し始めた直後の平成20年9月には、100年に一度の経済危機と言われた「リーマンショック」が起こり、今年3月11日には1000年に一度と言われる「東日本大震災」が発生した。

これだけ大きな事態の変化があったら計画の見直しという作業が必要なのだろうが、一旦作った計画を事態が変わる度に変更していたのでは、これまた計画が計画でなくなってしまうから難しい。特に硬直した官僚機構の中では、自分の会社の様に、パッパッと変更できないもどかしさがある。

しかし、ことは100年に一度であり、1000年に一度の超重大事態なのだから、もう一度立ち止まって考え直す時かもしれないと思う。

福島のいわき市在住の知人に、「十勝に移住したら?」と軽い気持ちで言ったら、かなり真剣に検討したようである。

どうやら福島県の福島第一原発の近辺に暮らしている人達の危機感は、北海道に居る私達には想像出来ないほど逼迫した状況なのかもしれない。

しかし、最終的に知人は十勝への移住は諦めたという返事が来た。曰く、「自営業ならいざ知らず、手に職の無いサラリーマンでは、十勝には雇ってくれる会社が無い」とのことだ。移住するには独立して何か商売でも始めるしかないと言う。十勝は農業だとの単純な考えから農業に就農することも考えてみたと言うが、農業への参入はそう簡単ではない。サラリーマンが農業に転身することは容易なことではないし、例え上手く農業を始められたとしても、十勝の大規模農業に参入するには巨額の資金が必要だから無理だと言う。

北海道は人口減少に苦しんでいるのだから、被災者を受け入れたら良いのではないかと単純に思ったのだが、事はそう簡単な話ではないようだ。

人口減少だから大規模化・機械化して省力化をはかると言う事なのか、大規模化・機械化するから人手がいらないという事なのか?一体どちらなのだろう。

北海道の未来は「農業」「食料加工」「観光」の3つを融合させなければならないと考えている。

もっと北海道での食に関わる職を増やして、皆が自分の生活費を自ら稼ぐ場所にしなければならない。バラマキや施しは人間を堕落させてしまいがちだ。

しかし、北海道民が単なる労働力だけであってはいけない。これまでの植民地的な、原材料の供給であってはいけないし、本州方面の大企業の工場を誘致して安い人件費で人を使うような人的供給は、結局は利益は本社の存在するところに吸収されてしまうことになるからだ。

北海道の足腰を強化するには、地元の企業が、地元に工場を作って農畜水産物を加工して販売することが重要な政策だろう。

それと食を中心にした観光を融合させるコーディネーターが必要なのだ。

これまでの風光明媚な所を見せるだけの観光は、やれインフルエンザだ、やれ口蹄疫だ、やれ震災だと、何かが起こる度に客が減少する。これでは不安定過ぎる。

北海道は、もっと視察観光に重点を置くべきだろう。

何処かの追随ではなく、先進的な試みを行って、世界中からの視察者を集めたり、その会議を開いたりすれば良いのだ。

自然エネルギーも候補のひとつだろう。

私達が1996年からやっていた「十勝環境ラボラトリー(TKL)」の思想が正にそれであった。

もう一度、TKLの活動を見直して再行動する時かもしれない。


■2011-07-30-Saturday 30日

30日の夜中の1:25頃に

またまた自宅の電波時計が狂ってグルグルすごい速さで廻り始めた。

前回の狂った翌日にも震度4の地震が起きているから、今回も1〜3日以内に日本の何処かで震度4クラスの地震が起きるのではないだろうか?もしも当たったら、かなりの精度の地震予知になると思っている。

26日に「飲んべオヤジの会」のゴルフを終了して料金を払っている途中に高校時代のクラスメートのK君から30日にゴルフをやりたいとの電話が入ったので、その場で30日の8:50に1組の予約を入れた。

もう一人の同級生T君を誘って3人でプレイした。

T君はショットのイップス(精神的なもので、身体が固まってしまってスムーズなショットが出来ないこと)に悩んでいるとのこと。

私の周りのゴルファーでこのイップスに悩んでいる人がかなり居るのだ。イップスの多くは通常パットに現われるのだが、T君は逆にパット以外のショットで手が動かなくなる症状だ。

イップスはよく伝染すると言われているが、確かにイップスの人の打つのを見ていると、何だか打つリズムが狂ってくるし、段々と力が入ってしまって、見ている方もオカシクなってしまう。私も最初こそ良かったのだが、段々とイップスの影響を受けてきたのかスコアが徐々に悪くなってきたので、なるべくT君の打つ姿を見ないようにしてプレイした。

私はイップスだとかシャンクなどにはこれまでなったことがない。もともと練習が嫌いだから、本番で失敗するのはアマチュアゴルファーなら当たり前のことで、一発や二発ぐらい変な球が出ても悩むことなんかないと思っているからだ。イップスに悩んでいる人は、きっと考え過ぎているのではないだろうか?

高校時代の友人と50歳を過ぎても一緒に回れるゴルフというのは、良いスポーツである。

ラウンド終了後に3人でラーメンを食べてから分かれた。

帰宅して、十勝毎日新聞の「北の屋台」の特集記事を読んだ。29日が「上」で、今日が「下」の2回の特集記事である。

10年前の2001年7月29日が「北の屋台」の10周年の記念日である。

記者は私の所にも来て2時間半ものインタヴューを受けた。

新聞だから、私が指摘したような「北の屋台」の闇の部分は書けないのだろう。だが、4期も連続で屋台に出店している店主が4店もあり、3期連続の屋台が7店もあることなどが一覧表で表示されていたから、読む人が読めば、分かる様に工夫されていたように感じる。

「北の屋台」の組合は不動産賃貸業になることなく、北の屋台の家賃からあがる収益を、一部の理事者の個人の生活費に回すのではなく、まちづくりの事業につぎ込んでもらいたいものだと思っている。

新潟県や福島県が記録的な豪雨が襲っている。

特に福島県は福島第一原発とは離れた場所の新潟県との県境方面を680〜1000ミリという豪雨が襲っている。これでは踏んだり蹴ったりだ。地球はオカシクなっているようだ。

SF小説「日本沈没」を書いた小松左京氏が亡くなったが、日本は本当に沈没してしまうのではないのか?どうも、まずは政治によって沈没させられそうな気配である。


■2011-07-31-Sunday 地震予知、他

やはり我が家の電波時計は

地震予知能力があるようである。

31日の午前03:54頃に福島県で震度5強の地震が起こったというニュースを今朝聞いて、やっぱりそうかぁと思った。

恐らく、電波時計の受信装置が、地震が起きる直前に地面と地面がこすれて電磁波が発生するのをキャッチして狂いだすのではないかと推測している。

いつも夜中の1時過ぎ頃に狂いだすのだが、当然、毎日のことではない。昨日は女子の全英オープンゴルフを2時頃まで見ていたが、狂いださなかった。

どういう加減で狂いだすのかまではまだ判らないが、狂った日から3日以内には、これまで日本のどこかで震度4以上の地震が全て起きているからまだ外れたことはないのだ。

それにしても、福島県は原発事故といい、豪雨被害といい、また今朝の地震といい、まさに踏んだり蹴ったりである。

原発と言えば、佐賀県の九州電力玄海原発の再稼働の「やらせメール事件」で、古川康佐賀県知事が番組放送数日前に九電の副社長に「原発再稼働を容認する意見を出すことが必要だ」と発言していたことが明らかになったというニュースが出た。

これは九電が27日に設置した第三者委員会が知事から事情を聴き、事実関係の調査を開始。郷原委員長が30日に福岡市で記者会見して「知事の発言がやらせメール問題の引き金になった可能性は十分にある」と発言したという。

このやらせメール事件は、5,6年前の自民党政権時代のことまで出てきているから、自民党も政権を責められないだろう。

でも、「やらせ」的なことは日常で結構行われていることだろう。動員をかけることなんてしょっちゅうやっていることだろうに、そんなに目くじらたてるほどの重大なもんだいなのだろうか?

何だか報道している新聞などをみても、じゃぁ当時の新聞社はどうだったんだろうか?と思ってしまうのだが・・・。

原発問題をこういう枝葉末節のことに矮小化するよりも、日本の今後のエネルギー問題を真剣に話し合った方が建設的だと思うのだが・・・。