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観光カリスマ
坂本和昭のブログ


■2022-01-01-Saturday 元旦

新年明けましておめでとうございます。


■2022-01-02-Sunday 正月2日

帯広神社に初詣に行って来た。

今年も、コロナ禍の為か例年よりは参拝客が少ない。それでも去年よりは若干は増えている感じがした。

おみくじを引いたら「末吉」であったが、内容は、今は悪くても段々と良くなっていくとのことなので、今が底だと考えると少しは元気が出てきた気がする。

初詣の後で、イオンに「マジック・ミュージアム」の出張展示を見に行った。

イオンのマネージャーが高校の同級生で、彼からの依頼で初めて外部への貸し出しを行ったのである。新聞のイオンの売り出し広告の折り込みチラシにも載っていたので、早目に観に行くことにした。

1階の南側の空き店舗の空間を利用しての展示である。

私のマジック履歴などがパネルになって大きく展示してあったので驚いた。妻からは「まるで貴方がすごいマジシャンみたいな大きな扱い方ね」と言われたが・・・。

展示場は20坪程度の広さで、写真パネルや絵画など、壁を使用した展示が多いが、メインは一昨年の10月にテレビ東京系列の人気番組「開運!なんでも鑑定団」に出演した際に出品した「オートマタ(西洋からくり人形)」の「美人手品師」である。実物はゼンマイを巻いて動かすのであるが、貴重品なのでお客さんには触れてもらいたくないから、テレビモニターにこのオートマタが動いている映像を流しっぱなしにする展示方法を取ってもらった。

やっぱりこれは人の目を引く展示物であるようだ。

客の子供たちがキャーキャー言って喜んで見ていたのは、見る角度によって絵が変化する写真パネルのコーナーであった。

普通の顔をした人間の写真が、別の角度から見ると、化け物に変化するパネルである。これを10枚ほども展示してある。

他愛もないものであるが、子供にはやっぱりこういう変化のあるものが受けるのであるなぁ〜。

写真を撮ってLINEで知人に送ったら、皆からスゴイねとの返事が来た。1月末までの1カ月間の展示期間があるから、十勝在住の方々はぜひ見に行って下さい。

自宅に戻ってから、箱根駅伝をテレビ観戦した。母校の駒澤大学は昨年は10区で大逆転で優勝しているから連覇が懸かっている。

2区でエースの田澤廉が1位に躍り出たのだが・・・、後続の3区がブレーキになってしまった。ライバル校の青山学院大学がトップでそのまま往路優勝してしまったから、明日の復路こそは「復路の駒大」で頑張って逆転してもらいたいなぁ〜。


■2022-01-03-Monday 箱根駅伝

箱根駅伝は青学大の圧勝に終わった。

母校の駒澤大学は、昨年は10区のアンカーが大逆転して優勝したが・・・

今年は、往路が終了した時点で、駒大はトップの青学大とは3分以上の差が付いていたが「復路の駒澤」と言われているから大逆転を期待していたのだが・・・

まるで相手にならない状況であった。

駒大は選手起用が外れまくって、上位に上がってきたと思ったら、次の走者がブレーキになることを繰り返して結局は3位に低迷した。

一方の青学大は選手の起用法がズバズバと当たったみたいで、結局は2位の順天堂大学に10分51秒もの大差を付けての圧勝であった。往路の3区からはず〜っとトップを独走し続けた。

実力のある選手を10名揃えて適材適所に当てはめるというのは、そうとう難しいことなんだろうなぁ〜。

駒大は選手たちの体調管理があまり上手くいっていなかったように感じたし、選手自身によるコンディション作りも上手くいっていなかったのであろうなぁ〜。その辺で青学大に差をつけられたのであろう。

それにしても・・・。

今の選手たちの走るスピードはテレビで見ていてもかなり速くなっているようだ。恐らく、現在の私ならば、100mを全力で走っても彼らには勝てないであろうなぁ〜。体力には自信が無い私にはマラソンと登山をやる他人の気持ちがまったく理解できないが、選手たちは練習で毎日、毎日何十㌔もの距離を走り続けているのであろうなぁ〜。

テレビの解説者たちが、選手の故障の理由の中で疲労骨折した選手の例を何例か挙げていたが、疲労骨折するまで走り続けるなんて・・・

駒大陸上部も、ただ走るだけではなく、新しい練習の仕方を考案した方が良いのではなかろうかなぁ〜?

そんなことを感じた今年の箱根駅伝であった。


■2022-01-12-Wednesday 大雪

一昨年もそうだったが・・・、

去年の12月も雪がほとんど積もらなかった。去年は、つじつま合わせのように1月から雪が降ったが・・・

今年も昨日までは積雪がほとんど無かったのに、昨日の天気予報では十勝は昼過ぎから雪が降り始めて一晩で60㎝も積もると云う。

午前中は晴天であったから、天気予報は外れだなと思っていたのに・・・。

やっぱり正確であった!

夕方帰宅してからと、夕食後に2回の除雪をしておいたのであるが、今朝起きて窓の外を見て驚いた。昨晩の2回の除雪などまったく問題外の積雪量である。軽く50cm以上は積もっていた。

毎日、少しずつ5〜6㎝程度降る分には、何の問題もない。逆に運動不足気味の冬に毎朝の除雪ならまったくOKなことである。

しかし、一晩に30㎝以上も降られると、雪には慣れている道産子であってもうんざりしてしまう。

ましてや60㎝も積もると除雪作業は10㎝程度の数倍の大変さになってしまう。体力的な問題もさることながら、精神的に参ってしまうのだ。

もうこのまま春の雪解けまで除雪せずに置いておこうかしらんと思ってしまう。

しかし、さすがにまだ1月の中旬であるから、春の雪解けまで除雪をしないというわけにはいかない。

これだけの量の降雪量なら、停電や断水などの危険性もあるので、とりあえず水だけは確保してから、除雪作業を開始した。

午前中に気温が上がってきて、雪が湿っぽくなって重たくなってきた。

60㎝の上はガチガチ、ザラザラで、下側はサラサラである。

こういう雪の塊は、上を固いスコップで壊してからでないと除雪がしにくいのだ。手間が普段の3倍掛かる。

まずは、緊急時脱出用に一般道の歩道までの道を開ける。人一人が通れる幅の60㎝ほどの幅である。それでも我が家は玄関から歩道までの距離が結構長いので大変だ。

次に車庫の前を開けて車を一台は通れる幅を開けるのだが、道路がまだ除雪されていないから、まだ除雪しても意味はない。それでも何かの緊急用に先に開けておきたいのである。車庫の前を除雪していたら、車庫の前でタイヤがスタックして動けなくなる車が続出した、その度ごとに脱出を手伝うことになる。こんな大雪の日に除雪もしていない道路を普通の乗用車では通行は出来ないだろうに・・・。皆、無謀過ぎる。

そこが終わったら、母の家との通路、ゴミ出し用の通路を開ける。

もう汗だくである。握力もすでに無い状態だ。私のマジシャンとしての繊細な手は力仕事には向いていないのである。軍手をしているのに手がマメだらけになってしまって痛い。

車庫の屋根の上の積雪も気になる。自動車2台分の車庫なのであるが、54年前の建物で、しかも柱を飛ばして建ててあるから、60㎝もの積雪では屋根が潰れてしまう危険性がある。

脚立を立てかけて屋根に上って除雪を始めたのだが3分の2程も雪下ろししたら軒先の方が降ろした雪で一杯になって屋根よりも高くなってしまったのでこれ以上は降ろせなくなってしまったから3分の1だけ残して止めにした。

今日は、会社も臨時休業にした。こんな日に我が社を訪ねて来るような緊急な客などいないであろうから・・・。

買い物に行くのも諦めて、家の冷蔵庫に残っているもので、昼食も夕食も間に合わせることにした。

こんな日には、それこそ不急不要の外出は自粛しなければならない。


■2022-01-17-Monday 雪のことしか・・・

政府がコロナ禍を続けていて・・・

変異株のオミクロン株の感染者数が増えているとのことで、またまた全国の知事らが、マンボウだなんだと大騒ぎをしているが・・・。

もう丸2年が経ったと云うのに、いつまで経っても同じ対策しか出来ないのであろうか?

政治家連中には絶望感しか湧かない!

またまた国民に飲食やら移動の自粛を求めて、専門家と称する連中は日本の経済を破壊することしか考えていないようだ。もはやコロナで死んだ国民の数よりも、職を失ったり、精神を病んでしまった国民の数の方が遥かに多いはずである。ここ最近の変な事件の多発はその予兆であろう。

新聞によると、昨年の企業倒産数は、バブル崩壊以後最低数であったと書いてあった。国が中小零細企業に貸し出している所謂「コロナ融資」の効果であると言うのだが・・・。

借りた金は所詮「借金」である。いずれは返さねばならない。

コロナ禍が半年くらいで治まると思って借金で何とかやり繰りしようと借りて頑張っている企業なども、人災であるこのコロナ禍を連続することによって、1年、2年と自粛期間が延びて、更にまだ続けようとしている。

もはや限界に来ている企業も多いはずだ。こんなバカなことを続けていたらば、今年は、過去最大の倒産数や失業者数、自殺者数を記録することになるであろう。

私の周りでは去年の年末はクリスマスも忘年会もゼロであった。新年会も予定されていた宴会は全てキャンセルである。

日本人は自粛好きなのか、それとも世間の目が怖いから、こんな時期には宴会など開けないと忖度しているのであろうか?

そんな中で、今日の帯広は10㎝ほどの降雪量があった。

11〜12日に掛けて降った60㎝の大雪の除雪がまだ完全には終わっていないのに・・・。

会社の120坪の駐車場の除雪が、昨日ようやく終わったところなのであるが・・・、自宅周辺はまだまだ除雪が出来ていない。

2日前に、自宅から歩いて会社に行った際には、帯広駅構内を通って来たのであるが、駅北側の歩道がまったく除雪されていなかった。

ここは、いったい誰が除雪をしなければならないのであろうか?

駅といえば、帯広の顔であろう。しかもすぐ横にはバスターミナルが隣接して建っている。大雪でJRの列車が運休していたから、代替の移動手段としてバスを使った人も居るはずである。その人たちが歩くのに除雪がまったくされていない。これは帯広の恥であろう。

しかも、大雪の後の数日後に至るまで、まったく道が開けられていない。

なんということだ。これでよく観光客誘致だなんて言うもんだよな!

情けない!

道路の四つ角には、除雪された雪がうず高く積まれていて、まるで見えない。自動車の鼻先を出さないと車が来ているのかどうかが見えないから、恐る恐る鼻先を出すのだが・・・。少しでも出し過ぎたら、衝突してしまう危険性が高い。去年からつい最近まで、雪が無かったのだから、今年の除雪費用は、まだほとんど使用していないはずだ。せめて道路の四つ角の雪くらいはトラックに積んで排雪してくれよ!

コロナ禍で、雪のことしか書くことがないが、新年早々に腹が立つことばかりである。


■2022-01-19-Wednesday 祖父の勝

今日1月19日は祖父

勝(かつ)の祥月命日『1953(昭和28)年1月19日没』なので、お寺さんに月参りに来てもらった。

母が父と結婚したのが昭和30年であるから、母は祖父の顔も見たことがなく、まったく知らない。祖父のことは生前に父から聞かされていただけである。

父の話によると、勝は1986(明治19)年9月1日に山梨県北巨摩郡高根町の生まれで、実家の農業を継ぐのが嫌で、甲府に出ては印鑑彫の技術を身につけた。その修行中に、ある時北海道から黒い石(黒曜石)が沢山送られて来て「十勝と云う場所にはこの黒い石がそこら中にゴロゴロ転がっているらしいぞ・・・」と聞かされて、自分の名前と同じ漢字の「勝」が付いている十勝に興味を持ったのだと云う。行動的な勝は、早速1901(明治34)年14歳の時に単身北海道十勝の視察に訪れた。

この時代の北海道にはまだ道路も満足に出来ていないから、海路、函館から海岸沿いにえりも岬を通って、豊頃からは十勝川を遡って十勝入りした。

山梨県は、印鑑作りでも有名な地域であるが、山梨出身の金物屋が全国に散らばっていった地域としても有名な場所である。その全国各地に散らばっていった山梨出身の金物屋の名称の頭には「曲尺(かねじゃく)(直角に曲がった鉄の物差しの形を模した(『 )の図柄が付いていて「カネ〇〇金物店」と名乗る店が多い。

当時の池田町(当時は帯広よりも池田の方が人口が多かった)にも、山梨出身の金物屋の「カネヨ佐藤」と云う店があった。勝はそこの経営者の佐藤喜代丸さんを頼り、同郷のよしみで寄宿させてもらって十勝を下見して歩いたのだという。

池田利別に物件の当たりをつけて、両親を説得する為に一旦山梨に帰郷するが・・・。

勝は坂本家本家の一人息子であったが・・・

両親からは「蝦夷地なんぞに行けるか!」と北海道行きを拒否されたという。勝は勝手に土地を半分売り払って移住資金にしたらしい。この話は、大学卒業時に私と父の二人で、祖父のルーツを辿ろうと山梨県北巨摩郡の祖父の実家を探し当てて訪ねた際に聞かされた話である。

祖父の両親は分家から養子をもらって坂本本家を継がせたが、とても苦労をしたのだと・・・

勝は1903(明治36)年16歳の時に、単身十勝の池田利別に移住をし、坂本勝玉堂という印鑑屋を開業した。

1905(明治38)年に、帯広と釧路間に鉄道が開通するのをキッカケにこれからは鉄道の時代だと帯広の西2条南4丁目20番地(宮本商産の筋向かい)に居を移した。

1938(大正13)年に諏訪鹿三河西支庁長の土地(西2条南9丁目16・18・20番地)を三戸分購入して現在地の西2条南9丁目16番地に移転した。

祖父勝が北海道十勝に根を下ろしてからは119年。現在地に移ってからでも98年になる。

月参りに来ていただいた織田住職さんにそんな勝の話を披露した祥月命日であった。


■2022-01-20-Thursday 作り出すコロナ禍

コロナ禍は政治家や専門家と称する

連中が作り出している人工的な「禍(わざわい)」である。

最近のテレビのワイドショーを見ていると、オミクロン株の感染者が凄い勢いで増えていて、マスコミも政治家も専門家と称する連中も、皆がアタフタとしている様子がみてとれる。

この期に及んで、まだ人流抑制せよだの、飲食店は時短営業せいだの、更にはPCR検査を増やせだの、陰性証明書があれば制限の必要はない云々だの、的外れな対策を叫んでいる。

対策なんてもはや無意味だろう。前から言っている様に、ただ指定感染症の2類から5類に下げればそれでOKなんだよ。

特にアホらしいのは、検査を増やせというバカである。

無料のPCR検査が増えて、結果が出るまでに数日が掛かるのだというではないか!そもそもPCR検査で陰性と出たところで、検査終了後すぐに罹患する可能性だってあるではないか!

陰性証明書を持っていたら人数制限の必要もないと言う意見には、こいつはバカ丸出しだなと笑っちゃうね!

そもそも陰性証明書の有効期間て? これはPCR検査で証明するのだろうから、検査した瞬間の陰性証明でしかあり得ないだろうに・・・。

数時間後にはこんなモノはまったく無意味な紙切れでしかなくなる。

以前からこのブログに書いているが、ワクチンだって、2回打とうが3回打とうが、コロナには掛かるのである。接種した人間の重症化を防ぐ効果ぐらいしかないのであって、他人に移さないわけではないのだ。

だからワクチンパスポートも無意味だし、陰性証明書なんてもっと無意味なのである。

こんなクダラナイことに税金と労力を使って、国民を疑心暗鬼に陥れて混乱させ、国民を分断してどうしようというのだろうか?

さっさと5類に下げろよ!

2類にしたままで、どんな対策をやっても混乱を増幅させるだけなのが、分からないのであろうか?

バカばっかりだなぁ〜。


■2022-01-21-Friday 石澤良昭上智大教授

アンコール・ワットの研究・修復で

世界的な権威である上智大学の石澤良昭教授は帯広市の出身である。

石澤先生のご両親が帯広市内の中心街で履物屋さんを営まれており、石澤先生は、帯広三条高校、上智大学を卒業されている。

その高校、大学の同窓の後輩であり、私のお隣さんである浅野祐一さんが石澤先生の活動に感銘して上智大学のカンボジアの事業に自動車などをこれまでに4台もの寄贈をしている。

その一昨年2020年12月に寄贈した浅野4号の贈呈式をこの1月27日に帯広で開催する予定になっていたのだ・・・

そもそものキッカケを作った私がその段取りをしていたのだが・・・。

今回、オミクロン株の感染者急増を受けて、急遽3月に延期することになってしまった。実は、この贈呈式はこれまでにコロナ禍で数度の延期になっていたのである。

今度こそはコロナ禍も治まるであろうと思っていたのだが・・・。私はお手伝いで主催者ではないから決定に従うしかないけど・・・。

当初、今回の石澤先生の来帯に合わせて、地元のケーブルテレビ局であるOCTV社が、石澤先生のこれまでの活動をまとめた特別番組を制作してくれる手筈になっていた。

その番組制作にあたっては、著作権などの問題が生じない映像を使いたいとのOCTV側の要望によって、私が所持していた、私が撮影したVTR映像を提供することになっていた。

この映像は、2001年12月に浅野1号(トヨタハイエース)を寄贈した際に浅野さんや私ら数名がカンボジアのシュムリアップ(アンコールワットのある町)を訪問して贈呈式を行った際の貴重な映像である。

当時、私がNHK帯広放送局から依頼を受けて、プロ用の撮影機材を貸与され、撮影方法のレクチャーを受けて撮影して来た30分テープ6本もの長い濃い内容の映像である。

帰国後にこのVTRを基にしてNHK帯広放送局はニュース番組を制作したのだが、放映後にはこのVTRテープは私にくれたのであった。

しかし、特殊な規格のテープであったので、我が家のビデオ機材では再生が不可能であった。だから撮影者である私もこれまでにまだ一度も観たことがないVTRなのであった。

今回、OCTV社が家庭のPCでも見られる様にしてくれたので、今日、20年振りに初めて観ることが出来たのであった。

20年前の映像にしてはとても綺麗な映像であった。さすがNHKのプロ用のビデオカメラで撮った映像である。しかもカメラマンの腕が良いから、なかなか良い映像であった(自画自賛)。

アンコールワット研究の世界的第一人者である石澤良昭先生の学術的解説も、どうせ編集はNHKがするだろうとニュース番組用に長〜く撮影している。

歴史的な大発見であるバンテアイ・クデイ遺跡から発掘された廃棄仏像274体の映像もバッチリ映っている。今見返してみても非常に貴重な映像なのである。

今回、OCTVが誰でもダウンロードが可能な様にしてくれたから、見たい方は是非ダウンロードして見て下さい。保存期間は30日間です。

https://58.gigafile.nu/0220-a645b6098045c9a70b9fcdd7c6772fd7


■2022-01-24-Monday アッチャ〜

今晩の勝毎の1面に・・・

デカデカと「坂本ビル売却検討」の大見出しの記事が載った。

「売却」は選択肢のひとつとして検討はしているのだが、選択肢の1番はあくまでもエンターテインメントのビルとしてテナントを誘致することであるとの私のコメントも載ってはいるのだが、この見出しの書き方だと「坂本ビル売るんだ〜」との印象が独り歩きしそうで困っている。

経営者としては、余裕のある内にあらゆるケースを想定しての対応策を考えているところであって、そのひとつを抽出して大きく書かれるのは、間違いではないが、有難くはない記事である。

我が社は、国からの補助金などが入っている様な公的なビルではないし、単なる一零細私企業であるのに、何故にこんなに大きな見出しで、しかも1面に載せる必要があるのであろうか?

以前に、このブログに江戸時代の川柳の「売り家と唐様で書く三代目」をもじって「売りビルと唐様で書く三代目」にならぬようにしないと・・・なんぞと冗談めかして書いていたのだが、それがついに現実になってしまったようで、ご先祖様に面目が立たないし、申し訳がない。

記事を見て、連絡をくれた友人もいるのだが、皆一様に「身体は大丈夫なのか?」との心配の声である。

2017年秋に受けた前立腺癌治療のことを気に掛けてくれているのであろうが・・・。

他人の噂話ってのは、伝言ゲームみたいにドンドンと変化していくから怖いよなぁ〜。


■2022-01-26-Wednesday 退院

去年の11月27日に

入居していた施設で転倒して、股関節を骨折してしまい市内の病院に入院していた母が今日退院した。

入院時には、90歳という高齢であるから、骨折すると完治には長く掛かると言われていたが・・・。

リハビリはまだ途中段階ではあるが、リハビリを続けても今後は車椅子生活になるであろうと医者は言うし、まったく元通りに完治と云うわけにはいかないのは仕方がない。このコロナ禍では面会も出来ないまま高齢の母を一人で入院させておくのは忍びない。

元の施設では、車椅子でも受け入れてくれるというので、お友達が大勢いる施設の方が寂しくなくて良いであろうと思い、退院することにしたのである。

今朝の帯広市の気温はとても寒かったから、風邪などひかせないように注意しながら施設に戻した。母は元々細い体型ではあったが、この入院でますます痩せて細くなってしまった。

施設でもコロナ禍で面会は出来ないから、病院から施設の玄関先まで一緒に居て母を励ました。

施設の母の部屋も、車椅子生活をするには、机や椅子やタンスなどが邪魔になると言うので母の荷物を2日前に引き取って運んでおいた。

早く、コロナ禍が終息して、また以前の様に頻繁に面会に行けるようになって欲しいものである。


■2022-01-29-Saturday 誕生日

今日は私の64歳の誕生日

この64歳という年齢は父が肝臓癌で亡くなった年齢と同じであるから、これまでの誕生日とはまた違った感慨がある。

今、自分と比較して考えると64歳での死去と云うのはいかにも早過ぎたなぁ〜。

私は還暦目前で前立腺癌が見つかって、札幌の北大病院に2ヶ月間入院して治療を受けた時から、この64歳と云う年齢をとても意識するようになった。

どんな人間でも同じであろうが、人生には紆余曲折、毀誉褒貶がつきものである。しかし、私はこれまでの自分の人生には十分に満足している。

妻からは「貴方はこれまで自分の好きなことばかりやってこれたのだから幸せな人生なんじゃないの」と言われているが、自分でもまったくその通リだと思う。

ただ・・・。

私は根っからのアナログ人間であるから、これからのデジタル化社会にはとてもついていけそうにない。先日もテレビでコンピュータの「メタバース(仮想世界)」のことを解説していたが・・・。これの何が良いのか私には全く理解ができなかった。

この2年間に亘るコロナ禍によって、リモートワーク等、デジタル化社会への移行スピードが10年は速まった感がある。徐々に慣れていくならばまだ対応することも出来ようが、急激な変化は歪や弊害を生み出すであろう。リアルとバーチャル、フェイクの境目がどんどん分かり難くなっていくのであろうなぁ〜。格好つけてバーチャルと英語で言った所で、所詮はニセモノである。私の好きなエンターテインメントの世界でも「生(LIVE)」が減ってWEB配信などが増えている。

ある面では便利になることはなるのであろうが・・・。

果たして人間の脳みそが、現実と仮想の区別を明確に判断出来るものなのであろうか?

仮想世界で自分の成りたい容姿や能力や性別を得て、自由に好き勝手なことが出来る万能感を簡単に入手出来るのならば、つらい現実から逃避してしまうだろう。やがて頭が混乱を起こして現実世界と仮想世界の区別がつかなくなって精神を病む人間がやたらと増えて、新種の犯罪も起きるのではないかと危惧する。

かつて私が作った「北の屋台」のキャッチフレーズは「便利さが殺すコミュニケーション、不便さが生み出すコミュニケーション」であった。

「便利さ」と云うのは不可逆的なものである。便利から不便に引き返すことは難しい。人間というのは一旦得た便利さを手放せないものなのだ。

私にとっては、とてもツマラナイ世の中になっていく様で悲しい。

去年から年金も受け取り始めたことだし、もう完全に引退、隠居して好々爺と呼ばれる様にでもなってみようかしらん。


■2022-01-30-Sunday 励まし

私のブログの読者の方々から

励ましを多数いただいた。「ビル売却検討」なんて記事が新聞に載ったことや、私が未来を悲観しているようで心配だとか、頑張れという有難いメッセージであるが・・・。

ビルの運営に関するアドバイスもいくつかいただいたが・・・

いつ終息するのか(ウィルスは自然に収まるが・・・)、政策の先が全く見えない、分からない「コロナ禍下」では・・・

冬眠状態でジッとしているしかないと考えている。

「コロナ禍下」と書いたが、私はコロナウィルスを恐れているわけではない。政治家や専門家と称する連中が煽りに煽りまくって、国民が「コロナ怖い」と脳みそに刷り込まれた状態の人工的な「コロナ禍」を恐れているのだ。

以前から何度も書いているが、ウィルスの特性としては、変異を繰り返していけばドンドンと感染し易くはなるが、宿主を殺してしまえばウィルス自身も生存出来ないのであるから、宿主を殺さないように弱毒化していくというのが自然の摂理であるはずだ。

そんなことは、ド素人の私でも知っている。専門家と称する連中が知らないわけはない。それなのに・・・

オミクロン株なんてのはその典型的な変異株であろう。であれば、感染者数の発表で「過去最高の感染者数」なんてのは、ただ国民の恐怖心を煽るだけで無意味であろう。

さっさと、指定感染症の2類から5類に下げておけば、こんな混乱は不要だったはずだ。ただイタズラに恐怖心を煽って「コロナ禍」を継続させているだけである。

政治家も専門家と称する医者連中も、いつまでも、コロナウィルスは危険である。検査を増やせ、感染者も濃厚接触者も隔離しろ、外出するな、自宅に居ろ、飲食店は時短営業しろ、アルコールは提供するな等など、未だに言い続けているだけである。それに科学的な解析はあるのか?

昼の営業は良くて、夜は8時、9時までなんてコロナウィルスは夜行性なのか?

もはや、コロナウィルスはデータを比較してもインフルエンザよりも軽度な風邪症状でしかないではないか。

インフルは子供が掛かると死亡するケースが多かったが、コロナでの子供の死者数は未だにゼロ人である。

それに引き替え、ワクチン接種後に副反応で死亡したと思われる国民が1400人以上も居るという報道が先週新聞に載った。

死亡者だけではなく、死んでいない人でも、未だに副反応の症状が続いて苦しんで居る人も多いというではないか。しかも政府はワクチン接種との因果関係を認めようともしていない。

それなのに、12歳以下の子供にもワクチン接種をとか、3回目接種をとかと政府も医者も勧める。

ワクチン接種の強烈な副反応を3回も経験させらる国民が、我先にと接種を望む様子は逆に恐ろしい。これってオカシイとは感じないのだろうか?

政府はいったいいつまでこの人工的な「コロナ禍」を続けるつもりなのだろうか?

オミクロンは後1週間程度で自然に終息するであろうが、例えオミクロンが終息しても、次は第7波が来るぞ!と脅し続けるのであろうなぁ〜。